February 07, 2012
2012年1月11日についにお爺ちゃんになりました・・・・・ 実は,この生まれたときには,今年のインフルエンザに罹り,Kozyは通常体温が36度行かないぐらいなのに,最高で40度になるぐらいで,立ち上がろうとしても倒れてしまうぐらいの状態でした・・・・正直言って,命の継承の確認が,孫にまで出来たので,このまま死ぬのではないかと頭を過りました。・・・・・ しかし,どのように継承されたのか,本質的な特性として,どの様な形で,父から娘,そして,孫,それも,男の子の初孫に引き継がれているのか,良く見てみたいとの強い欲求のお陰で,高熱に負けなかったという感覚があります・・・・人間は,この世に生を受けて,動物の生得的な本能としての種族の保存というのが,やはりあるのでしょう・・・・ このような状況下で生まれましたが,その日から,家族内隔離状態に陥ることになります・・・当然,母子にインフルエンザをうつす訳にはいかないので,また,妻と次女は直ぐに病院に行き,家に一人のところに,運悪く,この日に限って朝から夕方まで断水予定の日であり,最悪の日になってしまった・・・・確かにいろんな意味で,忘れることは出来ない日になった・・・・ 幸いに,我ながらこの事態は想定していなかったが,昨年秋にシャープさんのプラズマクラスターと加湿器の一体型を,孫を産後預かる為に購入していたので,無事に孫の受け入れが出来て,我が家に娘と孫が居る時には,孫は熱も出さずに,無事に先週土曜日に娘と共に,婿様の下に届ける事が出来た・・・また,断水ではあったが,非常用に2リットルのミネラルウォーターも,6本キープしていたので,断水でも無事に乗り切れた・・・・ この間,出来るだけ早く帰宅して,孫と過ごしたが,手の掛からない孫で,不思議な気分で見ていたが,Kozyは,頭で考える男性的特性が非常に強いことを,非常時への準備や,冷静に観察する自分自身の姿とこみ上げる不思議な感情の中で,揺れ動いていた・・・・妻と娘の女性たちは,先ず可愛いという感情と,大丈夫かという心配の感情に満ちていたが,やはり,前回で述べたお爺ちゃんとしての役割を整理していたこともあり,男と女の役割分担が,やはりあるのだと感じさせられた・・・・・・ 自分の子供たちの赤ん坊の時を思い出してみると,我が子と思うが故に,また,初めての子育てと思うが故に,全てが気に止まり,一喜一憂をしていた・・・・やはり経験がもたらす余裕なのかもしれない,一つは娘夫婦の子である,そして,責任を取るのは親である,この置かれている状況の違いが齎すものは大きい。・・・・ 対象へ対する強い好奇心と責任感・・・・これが親子の関係の源泉では,そして,強い好奇心が,観察力を向上させる,そして,母親は守り,父親は支える・・・・正に夫婦二人の共同作業・・・・そして,親子の愛情は,自身の父親との物心がついて,22歳出始めて8ヶ月ほど一緒に暮らして,親子の愛情は一緒に積み重ねた時間により育まれるものでしかないと達観をしたが,この自分の口から出た言葉の深い含意を,次のように整理できた気分である・・・・ 親子のお互いの強い好奇心によって齎された,親子のお互いの観察力と親の責任感と子供の 親への依存関係に基づく相が作用が,お互いへの深い理解を生み,深い理解がベースとなり, 親子の愛情は長い年月を経て醸成されるが故に,簡単に壊れるものではない・・・・・ そして,美しい不動のものになる・・・・・ 本ブログで何度も愛他性の重要性を述べてきているが,相手への好奇心,もっと掘り下げ...
January 03, 2012
新年の挨拶とお爺ちゃん仮説の構築・・・・
明けましておめでとう御座います。 昨年は,今迄で一番忙しく,仕事で追われ,疲れてしまい,ついに年賀はがきも購入して年賀はがきを出す気力もなくしてしまいました・・・・時間は作るものをモット-としていたのですが,脳の怠惰性に負けてしまいました・・・・言い訳の天才である脳に支配されたと反省すると同じに,ここまで疲れてしまったことも,確かに記憶が無い・・・・ 脳の言い訳は,以下の通りでした: 1.もう,メイルでの挨拶でよいのでは?・・・・これも,現状する元気が出てこない・・・・ 2.初孫が,1月5日が予定日なので生まれてから書けばよいのでは?・・・・これも初産なので,恐らく遅れてしまうので, タイミング的には,年初の挨拶の時機を逸してしまうだろう・・・・・・・ 流石のKozyも,肉体的疲労からくるうつ状態,または,統合失調症類症に落ちっていると認識しています・・・・とはいえ,年賀の挨拶は,やはり,メイルよりはがきが良いと思っている・・・・ 今年は,不義理をさせていただいたことに,謝罪をさせていただきます。 そして,皆様のご多幸を祈念いたします。 ブログでのご挨拶をご容赦の程,お願いいたします。 さて,娘が二人だけで息子のいなかったKozyが,初孫が男の子である事が既に判明しており,非常に楽しみにしております。 所詮は100%がKozyのDNAにはなりえない話であり,どんな子供として生まれるかは,全く予想もつきませんが,何か期待してしまいます・・・・ 一方,論理的は,DNAの影響よりも養育が与える文脈的効果が,大きいと捉えているので,孫であっても,最大の文脈的影響力は,孫の両親が大きく,娘と婿様を信頼してお任せするしかない・・・・ 爺婆の寄与は,お祖母ちゃん仮説で言い継がれてきた様に,お祖母ちゃんは,大きな支えになるだろう・・・・幸いに娘夫婦の両方のお祖母ちゃんが顕在なので,この点は心配していない。 参考まで,哺乳類でメスで閉経があるのは,人間だけで,それだけ,三つ子の魂百まで・・・といわれる時期の育て方は重要であり,それが故に,母親一人での養育は大変であり重要である・・・・それをサポートするする為に,つまり,女の証の生理をなくし,養育をサポートに注力できるようにする為に,閉経が,起きるように人間は進化してきたのです。 これが,お祖母ちゃん仮説の意味するところです。 メスが,メスの本能を残していては孫の世話は出来ない,そのような社会は進化をしないということでもあります・・・・この点では,お爺ちゃん存続意味は無いということになります・・・・生物学的には生存意義が無いとまでよく言われます・・・ 人間の存在に無用のものは無い,また,かって,盲腸は無用のちょうぶつとも言われましたが,善玉コレステロールの生成に大きく寄与している事が確認されました・・・・無用のものは無いとという前提でお爺ちゃんの存在価値を考えてみたい・・・・ 一方,昔と異なり,中国・唐の詩人、杜甫の「人生七十古来希なり」に由来した「古希」といわれましたが,世界的に70歳まで生きることは,稀ではなくなってきている・・・・ また,大器晩成と言う言葉が在りますが,現在の脳科学では,脳は歳をとっても進化していく事が確認されています。 問題は,圧倒的多数の人が,加齢に伴い脳を使わなくなっていく,つまり,それまでの経験に基づく同じ思考のパターン化に縛られる(これが,楽なのです),同じ思考パターンとは,正にパターン化しているので脳を殆ど使っていないことなのです。 また,同じ環境下では環境から来る文脈的な刺激に...
December 11, 2011
思索の忘備録・・・・志への考察
前回,志を社会コミュニティへの貢献を希求する心と規定しました・・・・ この言葉で,Kozyの頭に最初に浮かぶのはダーウィンの進化論の本質である,強い種が進化して残るのではなく,所属するコミュニティの変化に一番早く適応した種が生き残ることです。・・・・・・ この本質とは,変化の胎動を逸早く感知する能力が備わっていて,つまり,A.I.G.に代表される傲慢,無能,強欲に囚われることなく,つまり,充分な能力が備わっていないにも拘らず,変化の胎動を傲慢に満ちた心で検証もせずに勝手に思い込んだり,その対応策を強欲に直ぐに決めることなく,検証を進め,時間を要することを覚悟して,理解を深めながら取り組んでいくということです。・・・・これが必要条件です。 そして,変化の胎動に対して,自分の所属するコミュニティに対して,何もしなければ,コミュニティに所属するものはどうなっていくかを洞察できる能力が備わっている事により,つまり,コミュニティの存続を希求する愛他性に基づく心の方向性が,志という事が出来るのでしょう・・・・ しかし,多くの人が,平和であればるほど,これらの要因は,人間が文脈に囚われやすい構造を持っている,つまり,多数派の意見や,文化的な影響,常識等々に即して生きている事が楽であるが故に,その都度,その判断基準の判断基準はという堀さげをしない,また,それらの前提条件は何なのかとの堀さげをしない限りは,現実が見えてこない,深く理解できない,・・・・これでは,変化の胎動など気がつくことも出来ないし,考察能力ももてない・・・・ 自分で考える能力,周りが正しいということでも,判断基準と前衛条件を検証してみる・・・・これが,本当に考えることであり,文脈や常識に縛られていては,本当に考えることは出来ない・・・・・殆どの人間が持つ信念とは,所詮はその人が如何育ってきたかということでしかないが,これこそが,人間の多様性の源になっている・・・・・ 一方,常用字解で“志”を紐解いてみると,心がある方向を目指していくことを志というと記載されているが,“士”とは,戦士の階級であり,王に仕えたものであると記載され,・・・・Kozyは,自分の善い心に仕える事が“士”その心が善い方向を目指していることが,あるべき“志”だと捉えたい・・・ 心の衛生管理の話しを前回したが,私利私欲に基づく,邪悪な志は,長続きはしないだけでなく,ここの気力を減退させていく,それ故に,困難にぶつかると,直ぐに挫折してしまいます。 愛他性の基づく善なる志は,永続的に続くものなのです。 長続きするものが志とすれば,邪悪な志なるものは存在しない・・・・・ 掘り下げる前派,今の日本では,志と言う言葉は死語ではないかと思っていたが,論理的には,死語ではないと確信すると同時に,逆境しか人間を成長させないという否定できない知見はあるが,自分に嘘をつかない,自分を殺さない,確信を持たずに仮説として,その都度,検証を行なう, そして,自分で決断をする・・・・・これら志をもたらしてくれる・・・今の日本でも可能な筈である・・・・・
November 03, 2011
思索の忘備録・・・・己との戦いと対話の記録
読者の皆さん,また間が開いてしまい申し訳ありません。 プロジェクトマネージャーの職務を実は以前から行なっていますが,幾つものプロジェクトが重なり,流石のKozyもばて気味です・・・・ こんな中でも,研究の堀さげを断続的に続けてますが,疲れれば疲れるほど,人間の持つ傲慢性に縛られて結論を急ぐ・・・・この傲慢性と戦っているところです。 以下は,そのような中での自己との戦いの結果の思索の忘備録です。 大胆にも,組織活動を行なう人にとって何が一番大事なことかを思索した結果です・・・・ 結論は,如何に素晴らしい人生と仕事の哲学を持つべきかということです。 人生・仕事哲学=志 + 経験より学ぶ姿勢(事実の徹底的確認と整理) + 実学の蓄積(前提条件と判断基準の整理) + その都度のあるべき姿の前提条件と判断基準の整理 補足すると,志とは,社会(含む組織)への貢献を希求する心と規定します。 また,哲学とは,理性的認識による全体を貫く基本的考え方に基づく世界観・人生観=科学的思考 + ネガティブとポジティブの両面思考に基づく探究心と規定します。 私心に基づく,大志は,挫折しやすい脆いものである。 つまり,自己愛や利己的な感情の動機は,人間である限り,言い訳の天才である脳の前では,逃避や回避の道を選んでしまう・・・・これは,脳の怠惰性であり,幼稚性でもあり,最高の変化または効果が出るまでに,大志であるが故に,時間を要するが,達成までの長い時間の間で,自己との戦いが必要だが,その忍耐心が維持できない・・・・ 在るべき最大の効果とは,何かを理解できていない状況からの脱却の側面があるが,脱却前に逃避をしてしまい,逆にあり地獄の深みに入っていってしまい,心の死とその後に続く免疫力の低下により,身体の死の近道という最大の恐怖・最悪の状態に堕ちて行く・・・・このことを知らないのは,人間として未熟としか言いようが無い・・・・・ この大事な忍耐心は,大きく分けると三つのものが無ければ確かに困難なものである。 また,この忍耐心は,己と戦い続ける勇気でもあり,知力による希望の維持の能力でもあります・・・・ 1.科学的アプローチ,即ち,現実である経験で学習したことを現実・事実として受け容れ,徹底的に事実を再確認をして,その事実に基づき再学習をして,前提条件とそこで機能している判断基準を整理し,そこにある新たな価値観を見出せる能力。 これこそが,希望の発見と維持の能力の源泉になるのです・・・・源泉とは何時までも湧き続けるもの。 この前提条件として,自分自身が人間であるが故に,人間の持つ構造的問題を受け容れる事が必要です。 改善の基本は,悪さ加減の認識から始まります・・・・残念ながら人間は構造的な悪の部分と善の部分と,矛盾する両面を持っています・・・・だからこそ,多面的な捉え方を心がける,習慣のレベルまでに落とし込む,つまり,最低でも表裏一体や陰陽の捉え方の両面から見る必要があります・・・・悪さ加減の徹底的な理解は,ネガティブ思考が必要で,善の理解はポジティブ思考が必要です・・・・この違いを理解して切り替えていく習慣が大事になります・・・・ この結果,二者択一ではなく第三の道が見えて来るのです・・・・この為には日々の全てから,再度,観察をしてみる。 そして,あるレベルまでの知識は必要となります・・・・ 2.心の衛生管理能力の向上,本ブログで何度か述べていますが,自己嫌悪に堕ちるような言動は慎むこと。 解っていてもやってしまうのが人間ですが,Kozyは,この為に,“清く正しく美しく”という宝...
September 04, 2011
矛盾は,神の啓示・・・・
“ストレスは成長への一里塚・・・”を2006年5月6日にアップロードした。 http://kozy55-39all.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_ea0c.html Kozy自身として,本ブログのベストテンに入る価値のある内容だと捉えているが,超低位になっていることは,自分自身の言語化能力に問題があると反省をしている・・・・この内容を要約すると次のようになる・・・・追記をカッコ内に,入れて,その後に更なる堀下げをしてみたい・・・・・ ストレスとは、大きく分けると次の五つにより感じるものである・・・覚醒される・・・・ 1. Unpredictability・・・・予測が出来ないことにより、不安を感じ、ストレスが起動する・・・・・(相関関係,相互作用を常に前提条件まで整理してして,つまり,まじめに観察をすることをしていないからストレスが起きる) 2. Ambiguity・・・・・多義的であることで、または、曖昧なので自分自身で整理できない苛立ちがストレスを起動する・・・・(特に,前提条件と関与者の整理が出来ていないが故に,曖昧だと捉えてします。 また,存在しない普遍性を求める,現実への対峙の覚悟が出来ていない) 3. Novelty・・・・新規性・革新性・・・理解が出来ない・・・体得できないことがストレスを起動する・・・・(自己の怠惰性に起因しているだけである。 基本的な知識と真剣に理解することを放棄している) 4. Object Loss・・・・(依存)対象の喪失・・・目的の喪失、自己の価値観の変容または不適応、・・・・戸惑いが解決できないことがストレスを起動する・・・・・・・(人間は生まれる時も死ぬ時も自己選択できない。 この当たり前の事実を認めようとしない。 何時死が訪れても良いような覚悟を以って生きる,生きていられる時間は誰もコントロールが出来ないが故に,どんな対象の喪失に対して覚悟をして,生きなければならない宿命を背負っている。 自分の死も同じこと,だからこそ,今生きているこの瞬間を大事に生きなければならない・・・・) 5. Assault on Value・・・・価値観が異なるがゆえに攻撃されることがストレスを起動する・・・9.11は、まさにこの典型でもある・・・・(先人の例えのように,弱い犬ほどよく吠えるのが人間の構造的な問題であり,多様な価値観を認めることは,容易なことではない。 強い心があって初めて出来ることなのです。 悩みは不安を呼び起こし,不安は恐怖感を呼び覚ます・・・・人の価値観が,十人十色なのは,異なる環境で,異なる人間の中で成長するが故に,違うことは当たり前のことでしかない・・・・旅は異なる環境,そして,異なる価値観への遭遇の代名詞であり,それが故に,可愛い子には旅をさせろことの重要性が叫ばれ続けている・・・・) これらの五つだけが、ストレスを起こさせるのである・・・・結論から言うと、未熟で、忍耐力がなく、傲慢な人・・・・この人たちの専売特許がストレスを感じてしまうことである,人にあたる人はストレスの押し売りをしている・・・・換言すると、自己実現に到達しない人の専管事項がストレスを強く感じてしまうことある・・・・・ 総括すると、自己成長を放棄したい人が感じるのがストレスである・・・・・Kozyは殆どストレスを感じることがありません・・・・また、ストレスは免疫力とホルモンの活動に悪影響を及ぼします・・・つまり、体的気力の低下を通じて心的気力の低下を促し、行動力不全症候群に陥ります・・...
August 14, 2011
安全安心な設計思想と成長の設計思想・・・・
“Message to Engineer(12)・・・設計思想のパラダイム・シフト”(2,005年12月5日)を以前アップロードしている・・・ http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=8500710&blog_id=27984 ここで,設計思想を抜本的に変える時代が来つつある・・・・と,述べた・・・・そして,免疫のメカニズムの設計思想に切り替える・・・・パラダイムシフトを訴えた・・・・是非,読んでみて欲しい・・・・ また,“保守保全と日本の文化と経営”(2006年8月6日)も以前アップロードしている・・・・・ http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=13323495&blog_id=27984 ここで,本当の安全の維持には,問題が発生してからの修理対応体制の拡充よりも,問題が起きないように,常にチェックする体制を構築して,予見される問題に先先に手を打っていくことが大事だと,日本株式会社への警鐘をならした・・・こちらも読んで見て欲しい・・・・ これらの前提条件でもあり判断基準は,Kozyの中の経験則である,人間は構造的によほど意識をしないと,むしろ,幾ら強く意識をしても,あるべき思考が出来ない構造を与えられているという,悲しい現実がある・・・・だから,歴史が示すように,自然科学は大きく発展して,社会科学は比較すると,失敗の連続なのです・・・・ 同じ本質の間違いを何度も繰り返している・・・・・・ 一番大事なことは,人間の脳は,進化論の本質でもある,強い種ではなく,自分が所属するコミュニティの存続の為に,最小のエネルギーで,最大の貢献が,つまり,効果を挙げる種だけが生き残れる,これを,一番の適応者のみが生き残れるといっていることの本質に,人間の脳は一番適用している・・・・・・・・ 現在の地球というコミュニティ=ガイアの中で,人類は一番支配的な種になっている・・・・・これは,地球というとてつもなく長い歴史の中での一瞬でしかない18世紀の産業革命から21世紀の2~3百年という間の自然科学の発展により齎されたもので,人類は何十倍に増えています・・・・ しかし,社会科学は,その間にどれだけ進歩してきたかというと,あまりにもお粗末であり,人類に一番影響力を持つ先進国の人たちは,響きは良いですが,最小のエネルギーで最大の効果を挙げる脳の本質の陰陽の陰の部分の弊害に支配されつつあり,人類の破滅への潜在的なエネルギーを増幅しつつある・・・・・ 自然科学と社会科学で何故に,進歩にこれほどの差が出てしまうのか・・・・・・自然科学は,記号化,つまり,記号の規定が誤解を生じないが,社会科学,それこそ,“愛”という同じ言葉を使っても,人それぞれ異なる概念を持っており,言葉での自然科学的なコミュニケーションが出来ない故に,進歩が阻まれている・・・・ 一方,人間の脳は,残念ながら,言語でしか思考が出来ない・・・・ただ,自己内で充分に言語化されていない概念が圧倒的にたくさんあり,その概念の集合体が,Kozyは,“潜在意識”だと捉えている・・・・ 脳が“最小のエネルギーで最大の効果を求める”生物の進化の本質に則るということは,具体的に如何いうことかというと,第一ステップとしては,25歳までの経験に基づき,パターン化した思考に瞬時に反応していく,つまり,生きることは...
July 05, 2011
日本人が,今求められている成長とは・・・・・
ここ二回連続,日本人について述べてきたが,これからの日本人が,世界から一番ポジティブに評価されていることの意味すること,また,そこにある日本人への期待とは何か,そして,如何応えるべきか考えてみたい・・・・前回述べたように,「受信者責任文化」と対極にあるの文化「発信者責任文化」,つまり,異なる二つの文化の「二項同一化」を考えてみたい・・・・ とは言ってみたが,本シリーズは,考えれば考えるほど,奥が深く,何度も書き直して短くしてみたが,それでも一件のアップロードとしては,一番長いものになった,二つまたは,三つに分けることも考えたが,一気に読んで欲しいので,止めました・・・・お待たせをして,申し訳ありませんでした・・・・ 記事をPCで一気に読むか,または,コピペをしてプリントアウトして,じっくり読むかのどちらでも良いが,一気に読む,そして,読み返すことをお勧めします・・・・・・日本人の読者が中心なので,言外の言葉,特に方法論は,きりが無いのでかなり限定したので,言外の方法論をよく読みとって欲しい・・・・・ まずは,日本人の皆が認めるゴールとも云いえる「中庸」という価値観があります・・・しかし,この言葉を平易な言葉で説明を試みると・・・ その都度,求められる“あるべき姿”の“解”は何なのかを,何事にも囚われることもなく,現実を直視して,何が一番影響力が大きくなるか,プラスとマイナスの両方の要因を考え,その前提条件と因果または相関関係を持つものを見極め,整理して,あるべき方向性を吟味して,“解”を導き出す・・・・そして,間違いがあれば直ぐ正す勇気ををもち,求め続ける忍耐力を維持する姿勢・・・・・ではないでしょうか・・・・焦って結論を出したくなる焦燥感に負けてはいけません・・・・・机上の思考は,言い訳の天才である脳の怠惰性に負けることです・・・・・ 物事の本質は,影響力の大小を見分ける能力の向上が一番重要ですが,ちょっとやそっとでは,身に付くものではありません。 それ程に,人間社会のみでなく,地球というコミュニティは,多層で,多次元で,動的なものであり,陰陽の両面の把握や,因縁生起の直接的な因果関係の“因”は,理解できても,間接的な因果関係はである“縁”は,複雑に絡むが故に,難しい・・・しかし,姿勢の確立は出来る・・・・あとは経験をふみ続ける事です・・・・・ “和の心”は,地球というコミュニティ維持を誓い,この大儀の為に私利私欲による戦いを行なわない不戦の誓いを意味する。・・・・稲作文化は,秩序が維持される事の重要性を社会的な文脈が気付かせてくれる社会を作ってきた・・・また,“和の心”は,多様性の重視,つまり,効率的な役割分担の重要性を示唆するものでもあります・・・・ 狩猟文化は,個人の強さと責任により生死が決定される側面を持ち,稲作文化は定住を齎すが,それ以外の農耕の中で,移動が可能な文化は,大きな地球というコミュニティの中で移動するコミュニティという“集団の愚かさ”に支配される構造を持っている・・・・ この二つの文化は,前回も述べたが,“同じて和せず”の敵対する構造を持っている。 不必要な戦いは避けたいと幾ら思っても,個人または所属する集団の価値観の押し付けにしかならない,そして,最後は,力ずくの決着を求める構造を持っている・・・・・ Kozyは,人々との議論と内省を通じて,どんな価値観も,つまるところ,育った文化=共有化されている価値観の集合体であり,それを齎す社会的な文脈が維持するものであり,人間社会では,社会的な規範の維持であるが,所詮は,自然環境...
May 07, 2011
日本人であること・・・
東日本大震災のずっと前から,日本人は世界で一番ポジティブに評価されている・・・・人間は自然環境も含む社会的文脈に縛られる・・・・つまり,この社会的な文脈が評価されているという事でもある。 しかし,その社会的文脈の中にも評価に値しない,むしろ,ネガティブに評価される文脈もある・・・・ ネガティブな評価の対象は,官僚的な組織がその存在目的が,組織の存続になってしまうことです。東日本大震災の問題で,東電の様な大企業や,当然官僚組織を見ていてもお解りになったと思います。 しかし,この特性は,人間の構造的な問題が齎すのもであり,万国共通なのです。 問題は,“お上には逆らえない”や“長いものには巻かれろ”という負の社会的な文脈です。・・・・これさえなければ,黙っていても日本人はあるべき方向に成長をしていくでしょう・・・・ お上の代表が政治家であり,官僚でありその官僚組織です・・・・官僚を動かすのが政治家です,その政治家を選べるのが民主主義です。 しかし,民主主義は選挙により政治家が選ばれるが故に,政治家は大衆の人気取りに走りがちになるのが,民主主事の構造的な問題です・・・・・選挙権を大事に行使しましょう・・・・ 昔云われた言葉で,“日本は経済一流,政治三流”と揶揄されていました。 第二次世界大戦後の財閥の解体=大企業群の解体に見られるように,政経一致が悪の権化のように,アレルギーを日本人は持っています。 しかし,企業はユーザー,つまり,国民から嫌われたら,企業は存続できません・・・・・ 裏にある文脈は,国民が,諦めている厭世観に囚われている・・・・これは,生きることの放棄とKozyは,捉えています・・・なのに,日本人は世界で一番ポジティブに評価をされている・・・・ 理由は,結論から言うと,「以和爲貴」(和を以て貴しと為す)とする価値観だと捉えている。 天皇制を維持する価値観でもあり,天皇制の本質は,稲作の布教の側面がある。 つまり,小作人に納税させ統治するるシステムでもあり,農業を行なうことは,集団活動が必要で,決まった時期の共同・共助なしでは成り立たないシステムなのです。・・・・だから,江戸時代までは,藩の力を,米の生産量である何万石と表示をしてました・・・・ また,社会的な文脈の最大の動因である四方を囲まれた島国であり自然災害の多さが日本人を形成している・・・・ “和”について,孔子の言葉を引用すると,「君子,和して同ぜず,小人,同じて和せず」そして,「和とは、謂わば、肉野菜の調味料による味付けをした煮込みのようなものであり、それぞれの個体がしっかり自分の役割を果たして、調和を生んでいる状態であり、同とは、水のような物であり、全てが同じになっている」と説明をしています・・・・ 当時の最高の知識人であった聖徳太子は,当然,和の真の意味は知っていた・・・・また,十七条憲法の第一条が「和」だが,十条には,多様性を認めよの趣旨が明記されており,和の心を補足してある・・・・異なる意見や価値観に対して怒り,武力で制することを戒めている・・・・つまり,秩序がなければ国家・コミュニティは存続できない・・・・ この哲学が脈々と継続してきている・・・無知な治世者,無知な大衆に対して,逆らう事=和の精神に反するとした時期が長くて,“お上には逆らえない”や“長いものには巻かれろ”という社会的な文脈が,日本に出来上がったのではないだろうか・・・・釈迦も言ってますが,無知は罪なのです・・・・ また,農耕民族と狩猟民族,もっと正確に言うと,最初は自然の恵みで生きていましたが,定住する...
April 30, 2011
災害と日本人・・・・
最近は,多くの人が,日本人が東日本大震災を受けて,様変わりしたというコメントを見たり聞いたりする機会が増えてきている・・・・つい最近,日経の天声人語の心算で読んでいたら,“春秋”とタイトルが変わっていること気がついた,実は,通勤の途中で面白い視点だと思ったが,反芻する時間がなくて,カッティングした後で帰宅時に読み直すときに気がついた・・・・ 災害社会学,確かにこの分野はあるだろうとは納得したが,その第一人者の広井修の著書「災害と日本人」の中で,伝統的な災害観を3つあげている。まずは人間社会への天の戒めとみる「天譴(てんけん)論」。2つ目は「精神論」で災害に科学的に対処するよりも心構えを強調する考え方だ。最終的に神仏依存に通じるという。3つ目は「運命論」で災害とそれによる生死を運命として受け入れる。そう割り切ることで悲劇性を心理的に抑える効用がある一方で、あきらめにつながる恐れもあると広井さんは指摘している。 何ゆえ「天声人語」から,「春秋」に変えたのかは知らないが,天の声と人の語りが,本来の意味だと思うが,天の声を人が語るのニュアンスもあり,天の戒めを言葉で説明するのが,天声人語であった側面もあり,精神論の啓蒙の側面もあり,運命論の擁護でもあったのが,天声人語であり,Kozyが,時々天声人語を読むのは,潜在的に,異なる視点や考え方を求めていた自分を再発見したいからだ・・・・ では,Kozy自体は,災害観としては,災害は、社会の仕組みを可視化する・・・同時に社会の中で生きる人間の構造的な強さと弱さを知らしめてくれる!・・・・だから目を背けずに,見えなかった,または,忘れていた現実を確認させてくれる機会=あるべき姿を再考させてくれる機会として捉えている・・・確かに多くが天の戒めという側面はあるが,精神論も自己の中にある・・・・しかし,ここで述べられている運命論では捉えない・・・つまり,諦めない・・・ 災害というのは,運命的な事柄ではあるが,Kozyは,運命とは成長の為の試練場であり,本当に,自己に起因する問題はなかったを真摯に自問し,自己責任は正し,自己責任でないものがあれば,それは,成長の為の試練だと捉える事にしている・・・・諦めずに必ず乗り越えられる試練という成長の再考の機会と捉える・・・・ つまり,何時も悪いことの裏には良い事があり,表裏一体となっているので,世間で言う災いは,必ず,転じて福と成せると信じる事が出来るほど,災いを,常に福と成すことができてきている・・・・・Kozyも今月で62歳になったが,人生を振り返ってみると,幸運と思えることの殆どが,世間で言うところの,不幸な経験や逆境に追い込まれた経験をさせていただいた事が原因になっている・・・・・・ 以前に,既に,日本人のミーム,つまり,日本人の遺伝子的なものについても何度か触れているが,若い時に苦労させられたのが幸いなだけで,特に自分自身が優れていたとは,思っていない・・・・むしろ,如何に人間は脆く弱いのかを自分自身を含めて,理解をしたがゆえに,また,その脆さと弱さに負けているとどうなってしまうかを,若くして悟らされたが故に,その恐怖の方が大きいので,世間の人は,Kozyは強いと捉えられる事が多いが,ほんの小さな勇気を出せば,幾らでも乗り越えられる・・・・この最悪の恐怖を避けられるタイミングを体得しただけでしかない・・・・ 先人は“失敗は成功の母”という類の言葉を幾つも残しているが,発明に関してだけの事がではなく,失敗や挫折や逆境に面した時も,如何に他人や回りの所為にせずに,自分が何が...
March 21, 2011
感じ方の向上方策の追記・・・・
最初に,東日本大震災の千年に一度ぐらいの大規模な被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます・・・・・ 松下幸之助は,歴史上,常に,壊滅的な打撃を受けた町と何も無かった町を比べると,全てのケースにおいて,10年または20年で捉えてみると,必ず,壊滅的な打撃を受けた町の方が,その時には発展していると言っており,その通りだと思います・・・・人間にはそのような力が備わっている・・・・これが,松下幸之助の経営哲学,ひいては,人間感としてバックボーンになっています・・・・ 壊滅的な打撃を受けて復興に向けて動き出すには,そのコミュニティは,とにかく出来ることから取り組む,そして,一人の無力さを知ると同時に,人それぞれが出来ることに差がある,異なる経験と能力を持っている・・・多様性に対する理解と重要性を知り,知っている人,必要な能力のある人に,任せることを学びます,任された人は,その確りした遂行の大事さを知ります・・・・・何度か述べていますが,忘れていた“一隅を照らす者,是国士なり=照一隅者是国士”を再度体得するからではないでしょうか・・・・・この感覚を得た人は,遣り甲斐と幸福感に何時も満たされます・・・・・ また,以上の事がコミュニティにあるべき秩序を齎します・・・君主論のマキャベリですら,社会に一番大事なのは秩序だと断言しています・・・・・ さて,また,前回のアップロードから一ヶ月ほど空いてしまいました・・・・ 今回は,前回の“感じ方のの掘り下げ方策”で述べ忘れたことを追記しておきたい・・・・ 本Blogで何度か述べたように,何事に取り組む時も,目的と方法論を混同してはならない・・・そして,出来る限りゴールの確認もするべきなのです・・・ゴールとは,究極の目的であり,達成できないが如何にその状態に近づけるかということであり,この近づける状態までの道のりは,階段を一つ一つ上り続ける長い道のりです・・・そこには,近道はないのです,幾つもの習得したもののシナジーが齎すものでしかない・・・・ 何かを抜かすと,ある時はブレークスルーできても,必ず越えられない壁にぶつかります・・・・ 究極の目的は,つまり,ゴールは,唐突ですが,自己内概念と潜在意識の言語化なのです・・・つまり,本当の自分とのコミュニケーションを可能にすることです・・・多くの人たちが,内なる本当の自分の声を聞く事が出来ないから悩み,何度も間違いを起こしているのです。 それどころか,多かだか25歳までの非常に狭く浅い経験を通じて,自己内に,間違った恐怖感,嫌悪感,そして,幸福感ですら作り上げている・・・・そして,それらの情動に縛られて,あるべき見方・捉え方,そして,考え方まで,結果として縛られている・・・・・ しかし,断って置かなければならない事が在ります・・・・実は,前回申し上げた感じ方の掘り下げは,先ずこの大事さを理解することと,何か自分自身で腑に落ちない事があるときに,感じ方の堀さげをしていき,見方・捉え方とキャッチボールをして,その考え方をそれで良いのか充分なのかを考えて欲しいということです・・・このことの習慣化に努力して欲しいということです・・・決して,上述したようなゴールまでを目標にしなくて良い・・・つまり,出来るわけがない事なのです・・・ 遣ってみるとよく解ると思いますが,物事をより深く知ることにより感じ方が変化して行き,また,社会が変化するたびに変化していくものであり,行なって欲しいのは,目標としては25歳までに身体に染み込んだものを掘り下げることでよいのです・・・・是だけでも非常に難しい...


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