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February 16, 2007

“和”は、東洋哲学での個人主義の萌芽???・・・・

君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず(立派な人間は、協調はするが雷同はしない。つまらない人間は、雷同はするが協調はしない)

この「和」と「同」とは何が違うのでしょう。それは、自分なりの価値観や倫理観、行動基準があるかないかの差なのです。

つまり、チームプレイはできるが、間違いや不正には、それが上司や社長でも指摘できるのが「和」です。一方、上や周囲の人間が、白いものを黒といえば、自分も黒といってしまうタイプを「同」と表現しました。

では、自分なりの価値観や行動基準を持てば、それで万事解決か、というと、そうもいかない所がこの問題の難しいところです。自己の確立も、行き過ぎてしまうとやはり組織をおかしくする原因になってしまうのです。雑誌「プレジデント」の記事に、現代の大手企業の、人事担当者の対談があったのですが、中にこんな指摘があります。


《うちの東大出身者でいえば、人物も頭も優秀なのは三分の一しかいないね。そして三分の一は並。残りはどこか欠落しているという印象だね。その三分の一はまさに養うべき大事なものを捨てて厳しい受験勉強を突破してきたわけで、会社に入っても当然パフォーマンスは悪い。そういう人でも昔なら東大を出ているからと出世できた。でも今の成果主義の時代に経営幹部に引き上げることは当然しないし、社内からも上に上げろ、という声は出なくなったね》(『プレジデント』2005年10月31日号)

以上は守屋淳さんのSoftbrainのメルマガへの投稿よりの抜粋です・・・

論語語りの論語読まず・・・・という言葉があります・・・・恐らく、守屋淳さんほどの人ですから、論語を全て読んでいると思いますが、論語とは、孔子の原点の論語、孟子の整理した論語、そして経典かしていった朱子学へと整理されていきますが、論語とは、やはり原点である孔子の言葉が基本となるべきだと思います・・・・

孔子の原典では、この和と同の違いを弟子に聞かれて次のように説明しています・・・・

和とは、謂わば、肉野菜の調味料による味付けをした煮込みのようなものであり、それぼれの個体がしっかり自分の役割を果たして、調和を生んでいる状態であり、同とは、水のような物であり、全てが同じになっている・・・・・・これを守屋さんは“自分なりの価値観や倫理観、行動基準があるかないかの差”と解釈をしています・・・・

この解釈にけちをつける気はありませんが、“和して同ぜず”とは、掘り下げていくと、正にしっかりとして個人の確立が君子たるものである・・・・そして、個人の確立こそが、白川静の言わんとする、不戦の誓いという“和”の漢字の意味するところへ導く・・・・・これすなわち、正に個人主義の思想である・・・・・・・

本Blogでは、日本の新しい規範の構築を一つの目的にしておりますが、その最大の癌である“和を以って尊しとする”の解釈が、過去の権力者により間違った解釈を押し付けられて来ており、歴史上の呪縛からの開放が必要だと認識により、何度も発信そして来た・・・・・・

今年になって、実は論語を読んでみた・・・・・今回、更なる自信を以って申し上げたい・・・・

中国においても、朱子学が治世者の都合の良いように解釈され教条主義に陥っていき、日本の治世者も権力維持の為に、論語の悪用をした・・・・・

また、密教と言う釈迦の思想の原典も個人主義を唱えており、論語を儒教として治世者が悪用したと同じことを、つまり、原点である仏教と儒教を融合さして、個人主義のエッセンスを抜き去ったものが多くの日本に渡った改変版仏教である・・・・

チンギスハンが世界制覇をなせた大きな理由は、統制の取れた封建主義=絶対君主制を、確立したことに伴い連戦連勝を重ねる最強の軍隊を確立した・・・・ここから封建主義が世界に伝播していった・・・・統制の維持には絶対服従が、如何に体制の維持に大事であるかが認識された・・・・・・

恐らく、元の時代以降、原典論語は変質していった・・・・・

しかし、アジアにおける東洋哲学・思想というものは、孔子も釈迦も個人の確立の重要性を説いており、個人の確立が、不戦の誓いを確固とする調和を生む・・・・・・

面白いことに最新の科学と言われる複雑系の論理においても、多様化した社会において、如何なる矛盾があろうとも、関与者が参画して議論を尽くすことにより、最適解が生まれるとしている・・・・・拡大解釈をするとこれは正に民主主義の基本思想でもある・・・・・・

17条の憲法の聖徳太子の言いたかったことは、当時の問題点から考えるに、力=軍力による決定ではなく、議論を尽くし、最適会を話し合い、合議したことには従う・・・・これが法治国家である・・・・

この前提には個人の確立、成熟した人間としての個人の確立が必要であり、東洋哲学には孔子の時代から、個人主義が脈々と流れている・・・・・

日本人には、小人の“同して和せず”が多すぎる・・・・・“和”とは、成熟した個人主義が前提である・・・利己主義と個人主義は全く異なるものであり、その違いが“和して同ぜず”が出来るのが個人主義であり、“和せず同ぜず”が利己主義である・・・・・・やっとすっきりしたKozyです・・・・・

しかし、残念ながら、拝金主義は、まさに、利己主義から生まれるものであり、利己主義の人は文句だけはよく言う・・・問題解決志向が“和して同ぜず”につながる・・・・今の日本は利己主義者が増幅してきている・・・・

念のためであるが、あるべき商売をして稼ぐことは、社会への貢献活動の維持の為に行うことは善であるが、拝金主義に縛られていては悪になる・・・・・・・念の為・・・・また、個人の技術的な興味または私心だけでの商売も淘汰される・・・・・・

では、守屋さんの後段の“自己の確立も、行き過ぎてしまうとやはり組織をおかしくする原因になってしまうのです”とその後の東大卒の話は、守屋さんの真意は測りかねるが、明らかに誤解を与える文であり、ここに訂正したい・・・・

“自己の確立も、行き過ぎてしまうとやはり組織をおかしくする原因になってしまうのです”・・・・自己の確立とは自分の中に確信を持たずに、それを強い仮説として処理する能力、そして、如何に多くの強い仮説を持てるようになれるかであり、孔子の偉さは、常に内観をして内省をすし、その都度問い続ける姿勢を維持すること・・・・これが真の自己の確立であり、行き過ぎるということはないのが自己の確立である・・・・・・

守屋さんの言われる行き過ぎることのある自己の確立とは、人間の構造的に持つ、確信として整理しないと不安になる心の弱さに支配されることであり、その都度の“中庸”を問い続けることを放棄している人たちのことを意味している・・・・Kozyの言葉にすると、“第三の目”が“第一の目”に支配されることを意味している・・・・・

ビヨンの言葉に置き換えると、“知識の習得が出来ずに、知識の所有だけに堕ちる”・・・・つまり、文句ばかりを言って企業に貢献しないと言われる“下の三”の人たちである・・・・・・

Kozyは時々、“東大馬鹿症候群”と呼んでいるが、東大だけでなくいわゆる一流大学卒の人に多く見られるが、二つの異なる問題、一つは“燃え尽き症候群”と呼ばれる、大学入学が人生の目的になってしまい、その後の本当の人生での目的が、見つけられない・・・・・自分で考え自分で決断して行動をする訓練が出来ていない・・・・

もう一つは、知識を暗記力だけで乗り切ってきた(これすなわち知識の所有)為に、実社会での矛盾に直面したときに、最適解が見つけられない、また、経験を通じての叡智の修得(これすなわち知識の習得)訓練をしていないのは、誰もが同じであるのに、馬鹿にされることを恐れて、皮相的な知識の所有に基づく考えに縛られる・・・・・

すなわち、Learn→Unlearn→Relearnの実学の修得のサイクルのところのUnlearnが出来ない企業内のお荷物になってしまう・・・これは、一流大学卒のプライドに縛られている・・・・経験を通じて修得しないと、脳の構造上は、現場ではすぐ知識は有効に機能しないのであることを理解できないでいる・・・・

人事担当者の話は感覚論で三分の一づつとして捉えているが、これらの人事担当者は採用担当責任者として、能力の無いことを臆面もなく公言している・・・・・非常に憂うべき記事であり、平気の載せるマスコミのレベルも憂うべきである・・・・

人事の人が認識するように、下の三分の一は、多分燃え尽き症候群であろう、そして、真ん中の三分の一は、言われたことだけする誠実さを維持した、Kozyの規定する“真ん中の四”であろう、しかし、東大卒場合はプライドが高いので真ん中の四から、下の三に堕ちていく予備軍でもある・・・・

また、上の三分の一も、Kozyの規定する下の三の予備軍が含まれている・・・・・本当に人事の強化が必要な時代に、現状は非常に憂うべき状態を脱却していない・・・・・・真の個人主義の徹底が望まれる・・・・・・・

2007年2月19日追記:

一流大学卒の方へ、Remindしたいことがあります。自立には自律力が、当然必要になります。一般的には若いときは欲望に負けるのが人間の脳の構造的問題でもあります。しかし、その欲望に負けずに自分を律して勉強に注力できたということは自慢をして良いレベルの自律力です・・・・・・

このことを思い出して欲しい・・・・・そして、これからは自分で考え、自分で決定して、より多くの、また、より深い経験を積む機会が在れば、積極的に取り組み、経験を通じて再学習をして下さい・・・・・これが出来る・・・・・・

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Comments

一応、中国の古典を勉強したものですが、ちょっとあまりに誤解がひどいので、書かせてもらいますねー。

●孔子の原点の論語、孟子の整理した論語
『論語』が編纂されたのは、孟子以後であることは定説。『孟子』に『論語』の引用がないのが最大の論拠。こんな珍説だれが唱えてるの?

・・・・・・・言葉が足りなかったので誤解を与えて申し訳ありません。孟子が孔子の言葉の解釈としての一番の理解者という趣旨です。(引用元は、“現代人の論語”呉智英 文芸春秋)

●孔子の原典
引用は、『左伝』で、晏子が語っているもの。、それで『左伝』自体、孔子の没後に書かれたもの。なぜ、これが孔子の原典?誰かそんなこと書いているの?

・・・・・・・孔子自身は何も書き残しておりません。全ては、多くの弟子が、孔子の没後に書き残した物があるだけであるのはご存知の通りです。原典というのは弟子が書き残した物という意味で書きました。

●ここから封建主義が世界に伝播していった
feudalismの訳語が「封建主義」で、もともと西洋のもの。中国のは本来的に封建主義とはいえないのは、貝塚茂樹等の議論をみても明らか。それをモンゴルが輸出?

・・・・・・・これは、現在日経新聞で連載中の堺屋太一の“世界を創った男チンギスハン”よりの引用です。13世紀の初めの頃の話であり、彼の治世術が原型となり、封建主義が出来たという事。

もちっと勉強してから書かないと……

・・・・・・・ご指摘有難うございました。

Posted by: 通りすがり | February 16, 2007 at 01:08 PM

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