蒲池幸子さんへ捧げる・・・・・
酒井泉水ではなく、蒲池幸子さんの死は、非常に自身の気分を重たくさせた・・・・・何時かは、幸子さんが本当のHappy Songを、本当に心から歌うのを聞きたいと思っていた・・・・・残念で悲しい知らせでした・・・・・・本日はZardの歌を20曲ぐらいご冥福を祈りながら聞かせていただきました・・・・・
ここからは、幸子さんの公表されているプロフィールと今まで見てきた歌う姿から受けたKozyのイメージ、そして、彼女の作詞、サラに彼女の声から、一ファンとして、勝手に描いていたイメージに基づくものであり、推測でしかありませんので・・・・・念の為・・・・・
先ずは、個人的には数人の幸子という女性を知っているが、幸せな人生を感じることが出来た女の子には会ったことがない・・・・また、人の名前を見ていると、昔から名は体を現すというが、むしろ逆であると感じている・・・・恐らく親がそう望みたい状況の中で、名つけをするからではないだろうか感じている・・・・・
つまり、この子にだけは幸せになって欲しいという親の心境では、幸せな子は育ちにくい・・・・・
Zardのグループ名は、Wizardと言いたかったのだろうが、つまり、魔法の力を持った天才というのに近づきたくて、Zardと名づけたのではないかと見ている・・・・・しかし、世の中には魔法は何処にもない・・・・・・
Zardの作品は、幸子さんの声が表現しがたい魅力を持っているので、好きであるが、聞き終わった後は、Kozyだけではないと思うが、何か人間の愚かさ侘しさを感じてしまい・・・・・曲調は全く異なるが、中島みゆきと通じるものを感じていた・・・・・
幸子さんの生い立ちは知らないが、人間を信じたい、彼を信じたい、しかし、何らかのトラウマがあり、信じることが出来ない・・・・自分の口から出る言葉は、嫌味であったり、ここまで悪いことをしても愛してくれる・・・・・どんなひどいことをしても愛してくれないと、愛情への確信が持てない・・・・・・大なり小なり、人間はこの種の感情は持っているが・・・・・
しかし、ひどいことをした自分が許せなくなってしまう・・・・後ろめたくなり、それが重荷になり、結局は、どちらから切り出すでもなく、破局を向え、自分自身が傷ついていく・・・・・・そして、そんな自分に言い聞かせる目的の歌・・・・または、楽しかったときを振り返る歌、・・・・なんか切なくなる・・・・・それは、幸子さんがあまりにも優しいから傷つきやすい・・・・・・
Kozyは、遺伝的問題は別にして、癌は心が傷つきやすい人のかかる精神病のような気がしてならない・・・・ポジティブに生きることはたやすい事ではない・・・・Zardの場合、これだけの成功をしていてもマスコミへの露出を、あんなにまでしなかったのは、芸能界のダークサイドを、また、メジャーになり露出しすぎる場合の問題を熟知していた・・・・・と捉えている・・・・・
それこそ、蒲池幸子の本名でレースクイーンをしていた初めの頃は、マスコミに露出したくてしょうがなかった筈だ、多分、ビデオで乳首まで露出を強いられて、芸能界の怖さを知っただろう・・・益々人間不信におちていったのだろう・・・・・売り込むことの怖さを知ったのであろう・・・・・
そして、逆に成功したことにより、純粋に愛してくれる男性はほぼ消滅して行ったのかも知れない・・・・・・
また、売れすぎたことにより、歌の世界ではZardの分野を作ったが故に、そこから逆に抜け出せなくなっていったことも考えられる・・・・・
今日まで、彼女が実は昨年癌の手術をしたことなどは知らなかった・・・そして、転移してまた手術をしたとは・・・・落ちた高さが3mぐらいの非常階段とのことゆえ、自殺ではなく事故死のような気もするが、真実は永遠に解らないだろう・・・・しかし、3mぐらいからでおちて死ぬようなら自分は生きていてもしょうがない・・・・・このように思って、試してみた、試してみたくなった・・・・人間は、こんなことでまだ運があるという確信を得たくなるときがある・・・・・・
こんなふうな妄想を抱かせる存在であった・・・・・
女性の場合は、レジリエンスが男性より強い傾向があることが報告されている・・・・Kozyは、これは女性は恐怖には意図的に目を向けない術を修得しているだけであり、自分にとっての一番の恐怖の裏返しが自分が一番求めることである・・・・女性は、この事実を忘れないで欲しい・・・・・・・
もし、来世があるならば、幸子さんは、自分にとり一番大事なものを確認することは、自分にとっての一番の恐怖を確認することだということを忘れずに、一番大事なものを確り捕まえ、他は棄てる生き方をして欲しい・・・・・・・
しかし、i-TuneのライブラリーでZardの全ての曲を聞いていたら、アルファベット順になっているので、Kozyのライブラリーでは、Zardの今日が全て終わると、奇しくも、X-JapanのTearsが自動的に流れてくる・・・・・


Comments
こんばんは
大変有意義な文章を拝見しました。
私も坂井さんの死亡にいまひとつ納得(死亡の原因とかではなく)が行かなかったので、色々なブログを拝見しながら自問自答しておりました。
自分自身が白血病の経験があるため、あまり人事ではありません。
前年の本田美奈子さんの時も穏やかではありませんでした。
思うに酒井さんの場合、マスコミ全面拒否という不自然な非社会的芸能生活の中で、繊細な神経の女性が自滅して行ったというべきかと思っております。
芸能人であれ一般人であれ、人間である限り心の支え、感情の支えが必要なのはかわりありませんが、坂井さんの漏れ聞く内気な性格+対外的な社会生活からの断絶生活は、そうとうの人間的な社会性の喪失があったのではないかと思います。
作品の多くが、非常に抽象的な感覚のものであり、社会の中で負けそうになった人たちの内面に響くような性質のものであることからも、それを伺うことができます。
彼女の作品はコマーシャルに使おうが、色々なシチュエーションで違和感が無いといわれていますが、逆に言えば具体的な存在感の希薄さがあるはずです。
同じ女性の応援歌であっても、たとえば竹内まりやでは歌詞のそれははるかに具体的なイメージがあります。
レースクィーン時代のヌードの(仮に)トラウマがあったとしても、たとえば森高千里などのほうがはるかにそれらしい路線であったのに、全国行脚の興行をしたり渡良瀬橋という具体的なふるさとが出たりして、より健康的ではないでしょうか。
問題なのはむしろこういう坂井さんに響和してしまう今のわれわれの精神ではないかと思われます。
バブル時代から一転して、社会から抹殺されそうな不安を抱きながら敵が見えない喪失感の中で、抽象的な坂井さんの歌に救いを求めざるを得ないという状況がありそうです。
尾崎豊のように学校を正面から敵としたりジョンレノンのように正面から戦争を敵とすることなく、内面からの何と無くの応援歌にすがらざるをえないのですから。
われわれ自身が正面から社会と対峙する気迫に欠けているともいえます。
おそらく坂井さん自身が相当の孤独に耐えながら自分の救いの写し絵として作詞していのではないかという気がします。
90年代は低年齢の子供の虐殺行為が増加し、オウムが現れ、いじめが全国に蔓延し、という時代の反映として、孤独な坂井さんの曲が支持されたのでしょう。
たとえば激しい時代、70年の全共闘時代であればおそらく坂井さんの曲は見向きもされなかったのではないか、逆に坂井さん自身が覆面歌手のような生活はしなくても良かったのではないかと思えます。
病気は一人づつの運勢もあります。私のように白血病の病棟で生活した経験をもつと本当に人間の命は紙一重だと感じざるをえません。病室からの開放は戦地での生き残りの人の感慨を想起させてくれるものです。
しかしながら、それでもやはり人の命を支えられるかどうかは、その人の心の持ち方で極端に変わります。
またその人の心の持ち方は、人間生活の生き生きした具体的で感覚的な部分がどれだけあるかによって変わります。
がんに侵され、抗がん剤で戦うときの自殺志願は全く不思議ではありません。自分もそうでしたから。
しかし思うに坂井さんの、崩れ落ちそうな心は一体何が支えてくれていたのでしょうか。
それだけの心の友がどれほどあったのでしょうか。
なまじの若い時代の成功、神秘的な生活・・が逆に坂井さんの心の支えとなる人間関係をつくる上ではマイナスになったのではないでしょうか。
なまじ成功したとはいえ、人間的とは考えられない覆面生活をせず、坂井さんが全国ドブ板ツアーで小さな体育館や学園祭で生身の接触を続けていればこんなことにはならなかったのでは、と思えてなりません。
次の時代は押しつぶされそうな孤独を癒す曲ではなく、自然で具体的な人間生活の中から人の心を支えるてくれる音楽の時代であること願うばかりです。
それが沖縄の音楽なのか海外の音楽なのかわかりません。
しかし日本版ネオコン安部政権が時代を仕切るようではしばらくは明るい生き生きした時代が日本にくるとは期待できません。
若い世代が坂井さんの時代を乗り越えて世界の中、あるいは自分の故郷の中からよりたくましい歌声を見つけだしてくれることを願うばかりです。
Kozyです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
長いコメント有難うございます。
基本的に言われるご趣旨に同意します。
この記事はポスト後、三週間で1000件のアクセスを超えています。つまり、時代の揺り戻しが起きてきていると証左であると捉えております。
また、ある意味では若い人が聞きたくない話を中心にした意見発信をしているこのBlogが急にアクセスが増えてきています。・・・・・
これからも引き続き、現実の直視、駄目な自己の受容、そして、ポジティブ心理学のエッセンスを発信していく所存です・・・・・
Kozyは、特に希望の維持能力が、つまり、真に現実に対峙して、知的能力を屈指して、希望が十分あること、また、それは自分で自分と対峙して考えること・・・・この能力が低下しすぎている・・・日本は希望のない国ではなく、自分で考えることを放棄している・・・ここが最大の危惧するところです・・・・・
時間はかかると思いますが、人間には自分自身で悪いことが解ると訂正する能力を持っていると確信しています・・・・・
近い将来に日本から世界に向けて新千年紀の善なる生き方のロール・モデルを提示できる日がくると信じています、また、そうでないと、人類そのものが消滅するでしょう・・・・・・・
Posted by: すずき | June 18, 2007 at 11:44 PM