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November 15, 2007

「 幸せのハードルを下げる」を感動だけで終わらせない為に・・・

お笑いコンビ「麒麟」の田村裕氏が書いた『ホームレス中学生』という本の中で「 幸せのハードルを下げる」ことを学んだ人は百万人はくだらないのではないだろうか・・・・・実は、Kozyはこの本は読んでいないが、本Blogの中の第一の人生の中で同じ趣旨のことを言っている思う・・・・

Kozyの言葉では、この事は二つの言葉で書かれている・・・・・

一つは、人間は落ちる所まで落ちると、幸福とは、それまでと比較してよくなるときに感じる感情であるが故に、落ちるところまで落ちると、それ以上はおちようがないので、少しの改善に伴う感激の連続になる・・・・それまでの自分が如何に恵まれ傲慢であったかを感じることが出来るようになる・・・・

傲慢であるが故に、何時までも幸福感を感じることができない・・・・しかし、落ちるところまで落ちる事は、少しの好転だけで非常に大きな幸福感を感じることが出来る・・・・つまり、一生で幸福感を一番多く感じることが出来る一番幸せな人生を送ることが出来るという幸福感を感じることが出来る・・・・・・・

つまり、あって当たり前と思っていたことが、実はそうではないことを知ることになる・・・・

もう一つは、家なき子の名言でもある“同情するなら金をくれ”という言葉があるが、Kozy自身も小さい時に、同情とはその人の自己満足である。本当に同情してくれるなら金をくれという感慨に陥ったことがある・・・・しかし、多くの知り合いの人が、小学生のKozyに出来ることを依頼してそのお礼としてお金をくれるのであった・・・・・かっての自分自身を振り返ったときに、皆が金が余るほど裕福ではないので、また関係性が強いわけでもないKozyに、必要な出費の中でてKozyが遣れることをわざわざまわしてくれる・・・・それは、小学生のKozyの仕事は大人と較べれば時間がかかり、また、精度は落ちるはずなのに回してくれる・・・・・・

また、母子家庭のKozyにとっては親にお金の負担をかけることは避けたい中で、高校・大学における特別奨学金は当時は半分は返済不要で残りの半分は無利子での卒業後の20年返済となり、これがなければ学校には行けなかった・・・・・そして、これが国民の税金で賄われていることを知り、何千万分の一の負担を周りの人がしてくれているメカニズムを理解するに、何時か納税をして自分も貢献したいと思うようになった・・・・

この事は、更に昇華していき、社会に支えられている自分が先ず必要なのは、つまり、幸福な人生として送る為には働くことが出来て納税することが出来ることが、社会の一員として出来れば十分幸せであると捉えるようになる・・・・つまり、この義務を果たさない限り幸せになる資格はもてない・・・・そして、日本国憲法の中に国民の三大義務として、勤労、納税、そして、教育と明記されていることを知りこの含意に納得するのである・・・・・

つまり、落ちる所まで落ちる事は、人間の弱さ、自分の弱さと同時に、人間の共同体の中で生きていくことが支えあいの愛によって支えられ生きている。そして、この優しさを知ることになる・・・・・以前、平和の代償として一連の発信を通じて人生を振り返ってみたが、やはり、“泥中の蓮”とは、泥水の中でしか清らかな純白の蓮は咲かないということだと痛感した・・・・

しかし、この様に達観しては、平和な社会は崩壊するしかないことを意味する・・・・それ故に、平和な社会の維持と発展をするためにはどうすれば良いのか・・・・ここで最新の脳科学と心理学の知識からの洞察が必要になる・・・・正直言って、残念ではあるが、この書籍読んで感動をして大きな気付きを得たとしても、決して幸せのハードルを低くすることは殆どの人が出来ないと確信する・・・・

それは人間の場合は経験を通じて脳に刻み込まれる特性を持っており、所詮は同じ経験をしないと身につかないのである・・・・言葉による理解は所詮理性の構成物でしかなく、理性だけでは人は変われないのである・・・・・・・・

では、どうすれば良いのか、答えは経験と同じ効果のある習慣化の力を利用するしかない・・・・つまり、落ちる所まで落ちるとは、それまでにある現実に対して見えていなかったことが見えるようになることを意味している・・・・・

この答えのヒントが関西で古くから言われている“金儲けの三かき”の深い含意であると捉えている・・・・この表層的な意味は、三かき、つまり、汗かき、恥かき、義理かき、つまり、一生懸命取り組み、恥も気にせず、義理も気にせず生きていけば金儲けが出来るということであるが、Kozyは、何が本当に汗をかくことか、何が本当に恥なのか、何が守るべき義理なのかを、社会的な通念や周りの意見に邪魔されずに真摯に掘り下げて再考すること捉えている・・・・・・

つまり、この事は、その都度、あるべきすがたは何であるかを自分自身で自問自答する習慣が人を成長させ、結果としてお金がついてくることだと理解している・・・・・・このこと自体が、本BlogでKozyが何度も発信している生きる目的でもある第三の目の熟成そのものなのである・・・・

第三の目の熟成は、次の三つの思考の習慣化がもたらすのである・・・・①普遍なものはない。②システマティックな事実に基づく理解を深める。③見つけた仮説を諸先輩または関与者との対話を通じて検証する(弁証法思考)の三つである。・・・・①と②には物事を陰陽・表裏一体で捉えることが必要である・・・・・

この第三の目の熟成には、自分の視点である第一の目および周り社会の視点である第二の目の熟成が必要になる・・・・・つまり、現在多くの人が「 幸せのハードルを下げる」という言葉に感動をしても、感動はその掘りさげをしないと時間と伴に色あせていくのである・・・・

人生には近道はない・・・なんとなれば経験を通じて脳の改善が必要だからである・・・・しかし、人生には余分な遠回りを避ける道はあるのである・・・・・焦らず諦めずに第三の目の熟成を意識して、つまり習慣化して、幸せの階段を登っていって欲しい・・・・・

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