[“精神力、気力、胆力”の違いと構図]だけを毎日読む読者へ・・・本Blogの読み方・・・
この二週間ぐらい毎日、複数回[“精神力、気力、胆力”の違いと構図]のポストだけを読んで頂いている人が一名いる。お陰様で、アクセス数は増えているが、この読者の心理状態を推察するに、このまま放置しておくのは気がとどめるので、また、その他の一般の読者への方への、参考にもなると思うので、本Blogの読み方、そして、本Blogの効用とその限界について意見をまとめて見たい・・・・・
本Blogの目的は、幾つかあるが、出来るだけ遠回りしない自己成長の為の実践力を向上させる為に、発信をしています・・・・
この目的の為に、人間の構造的な問題、つまり、人間の強さおよび弱さの両面の理解を深めてもらうことを一番多く発信している・・・
そして、行動心理学でいわれる様に、行動変容の為の論理化の手助けをする為に、種々の掘り下げも行なっている。・・・・・
しかし、この論理化はあるレベルまでの強い覚悟をもっていることが前提条件になる。つまり、幾ら理性的な動機を確認したところで、情動、端的に云うと、自己の持つ恐怖心が許さない限り、行動変容は出来ないのである・・・これが人間の構造的な問題の一つなのである・・・・・
いわば、自己内の恐怖心の正しい理解、つまり、一体如何なる体験からその恐怖心は自己内で醸成されたのか、一旦、特に25歳までに、自分自身の限られて、かつ、守られた経験から、醸成された恐怖心は、25歳以降、自動的に起動され、盲目的にその恐怖感に縛られてしまう・・・・
また、自己内で葛藤が起きるということは、例えば、快楽と恐怖の葛藤で悩んだとしても、快楽とは、所詮、ある恐怖感から離れるつある状態でしかなく、安心は恐怖感から一番、離れた状況に居ることでしかない。つまり、実体験の、また、より深い体験が出来ていない若い人達の問題は、自己内の恐怖感の適正化と強さの序列が整理されていないことに尽きるのである・・・・
孔子が、四十にて惑わずとは、人間のメカニズムおよび社会のメカニズムのシステマティックな理解と、自己内の恐怖感を全て見直し精査して、そして、自己内の恐怖感の強さの序列の整理をすることが出来たということだと捉えている・・・・
しかし、忘れてはいけないのは、その前提条件である社会そのものは、現在のように複雑に幾つものことが重なり合っている状態ではない、また、本BLOGで述べているように、人類史上技術革新のスピードが最高になっているということは、人々の行動の判断基準でもある価値観は、技術革新が齎す生活および社会の新しい変化が新しい価値観を齎す状態に、我々は生きていることなのである・・・・
現在を生きるとはと云うことは、“死ぬまで迷いの中で生きる”、別の言い方をすると、死ぬまで現実を神の啓示として捉えて、それまで学習して信じていたことでも、現実社会で齟齬が生じてくれば、それまでの価値観を潔く棄却して、そして、現実に基づき再学習をしていく強い覚悟が、生きるということであり、この覚悟がもてない人は、自分自身が人生のあり地獄に落ちていく徒を選択したということでしかない・・・・・
これこそが、人生および自己成長において一番大事なことでもある忍耐力の源泉なのでもあるのです・・・・
本BLOGで、人間の成長のメカニズムについて述べているように、25歳までの、守られた限られた経験に基づく、また、守られるとは現実を直視する機会を奪われて育った、また、褒められて育つということは、本当は精一杯頑張ったか否かは、本人しか判らないのに頑張っていない状態で褒められるとは、頑張る為の胆力、精神力、気力の醸成の機会を奪われて育ったと同じことなのである・・・
正に裸の王様と同じなのである・・・そして、25歳を過ぎると脳内にそれまでの経験に基づく価値観が自動的に起動してしまうが、それは、裸の王様が、思う様にならないと駄々をこねている状態でしかないのである、また、裸の王様の側近達というのは、社会全体で捉えると非常に限られた人達と経験を持っている人達でしかない・・・何度も述べているが、精神的には自分自身は“かたわ”でしかないのです・・・・
この様な状態で、本Blog中の同じ記事だけを読んでも解決にはにはならず、余分な恐怖感が不必要にじわじわ浮き上がってくる弊害が出てくる、そして、この恐怖に打ち勝つ為に、また、同じ記事を読みたくなる・・・・いたちごっこでしかない・・・・
昨日、セリグマンが世界で最初にMaster course of Positive Psychologyの第一期生である日本人の人が、Kozyに強い興味を持ちたずねてきて5時間以上話をしたが、結果としては、Kozyが研究の対象にさせられた気がするが、同時に、途中から先生と呼ばれてしまい、講義とカウンセリングして終わった・・・
Positive Psychologyとは、Kozyとしては、実学として、そして、体系化されているが、実学とは、上述したLearn, Unlearn, Relearn のサイクルの繰り返しにて、つまり、遣れる事から実行していく繰り返しにて、自己内に25歳までの取り組まれた不適切で間違った価値感の適正化を体得するしかない・・・勿論この体得のスピード・アップに関しては方法論はあるが、一朝一夕で成し遂げられることではないことを再確認した次第である・・・・
[“精神力、気力、胆力”の違いと構図]を毎日何度も読んでいる人に云いたい・・・あなたは、自分自身で幾ら思考を深めようとしている気かもしれませんが、思考停止状態に陥っている状態なのです・・・
人間は残念ながら、言葉でしか思考は出来ない、しかし、言葉自体が自分独自のバイアスを持っており、人間の思考とは、云うは易し行なうは難しとう先人が伝えてくれているように、白紙の心になっての思考が出来て始めて思考活動が有効になるのです・・・
第一の人生は裸の王様ですが、第二の人生とは、このバイアスからの開放と適正化を行なう時期なのです、つまり、このバイアスという足枷のついた鎖につながれた奴隷と同じということです・・・そして、広く深い経験を通じて足枷を削り落としていくのが第二の人生なのです・・・そして、この足枷が取れた状態であることが確立された状態が第三の人生であり、まさに、知的な深耕の時期になります・・・・
残念ながら、9割以上の人が第三の人生を迎えることが出来ないのが現状だと捉えています・・・Kozyは第三の人生の開始を宣言していますが、一生修行だと、今は捉えています・・・この歳になっても、確信することはしないように自分に言い続けています・・・あくまで強い仮説として処理をしています・・・・
[“精神力、気力、胆力”の違いと構図]を毎日読んでいる人はすくなくともKozyより若い人だと思いますが、若いということは、物事に対する探究心が強いことでありますが、特に現代社会においては、多次元で動的な相互作用の中で我々は生きており、単純に頭で理解しようと思ってしまいます・・・・これが人生のあり地獄への罠なのです・・・・
しかし、これは、自分自身が不安状態から解放されたいという傲慢性でしかないのです、また、甘えでもあります・・・・
どうしても、今の状態を続けざるを得ない状態にあれば、ガイドをしてあげます、そして、叱ってあげます・・・何時でも、メイルでアポをとり、会いに来てください・・・・これは出来ることの代表でもあり、この小さな勇気の積み重ねが人生および自己成長において大事なのです・・・・
また、読者でXXXX(1)と書いてある記事ですら、その(2)を読まなくてブックマークをしている人が散見されます・・・言葉での伝承は限界がある中で、XXXX(1)だけしか読まないのは、もったいない、歯がゆくし仕方ないと感じています・・・せめて、シリーズのポストは全て読んでください・・・
読まないと自己内の勝手なバイアスの影響を受けて、Kozyが伝えたいこととは違った解釈を生むと危惧しています・・・
また、多くの読者の皆さん、一旦、KozyのBlogで納得することがあれば、それは本当にKozyの伝えたいことが伝わったとは限らないのです・・・何とならば、矛盾することも他の記事で発信しています・・・つまり、本当に伝えたいことは、この矛盾の間にあることが多いからです・・・・
また、KozyのBlogの愛読者は既にご理解されていると思いますが、本Blogは所謂日記的なものではなく、Kozyの意見の発信のBlogです。縁があり、KozyのBlogを訪れたかたは、じっくり反芻しながら読んで下さい・・・・


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