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July 2008

July 21, 2008

[“精神力、気力、胆力”の違いと構図]だけを毎日読む読者へ・・・本Blogの読み方・・・

この二週間ぐらい毎日、複数回[“精神力、気力、胆力”の違いと構図]のポストだけを読んで頂いている人が一名いる。お陰様で、アクセス数は増えているが、この読者の心理状態を推察するに、このまま放置しておくのは気がとどめるので、また、その他の一般の読者への方への、参考にもなると思うので、本Blogの読み方、そして、本Blogの効用とその限界について意見をまとめて見たい・・・・・

本Blogの目的は、幾つかあるが、出来るだけ遠回りしない自己成長の為の実践力を向上させる為に、発信をしています・・・・

この目的の為に、人間の構造的な問題、つまり、人間の強さおよび弱さの両面の理解を深めてもらうことを一番多く発信している・・・

そして、行動心理学でいわれる様に、行動変容の為の論理化の手助けをする為に、種々の掘り下げも行なっている。・・・・・

しかし、この論理化はあるレベルまでの強い覚悟をもっていることが前提条件になる。つまり、幾ら理性的な動機を確認したところで、情動、端的に云うと、自己の持つ恐怖心が許さない限り、行動変容は出来ないのである・・・これが人間の構造的な問題の一つなのである・・・・・

いわば、自己内の恐怖心の正しい理解、つまり、一体如何なる体験からその恐怖心は自己内で醸成されたのか、一旦、特に25歳までに、自分自身の限られて、かつ、守られた経験から、醸成された恐怖心は、25歳以降、自動的に起動され、盲目的にその恐怖感に縛られてしまう・・・・

また、自己内で葛藤が起きるということは、例えば、快楽と恐怖の葛藤で悩んだとしても、快楽とは、所詮、ある恐怖感から離れるつある状態でしかなく、安心は恐怖感から一番、離れた状況に居ることでしかない。つまり、実体験の、また、より深い体験が出来ていない若い人達の問題は、自己内の恐怖感の適正化と強さの序列が整理されていないことに尽きるのである・・・・

孔子が、四十にて惑わずとは、人間のメカニズムおよび社会のメカニズムのシステマティックな理解と、自己内の恐怖感を全て見直し精査して、そして、自己内の恐怖感の強さの序列の整理をすることが出来たということだと捉えている・・・・

しかし、忘れてはいけないのは、その前提条件である社会そのものは、現在のように複雑に幾つものことが重なり合っている状態ではない、また、本BLOGで述べているように、人類史上技術革新のスピードが最高になっているということは、人々の行動の判断基準でもある価値観は、技術革新が齎す生活および社会の新しい変化が新しい価値観を齎す状態に、我々は生きていることなのである・・・・

現在を生きるとはと云うことは、“死ぬまで迷いの中で生きる”、別の言い方をすると、死ぬまで現実を神の啓示として捉えて、それまで学習して信じていたことでも、現実社会で齟齬が生じてくれば、それまでの価値観を潔く棄却して、そして、現実に基づき再学習をしていく強い覚悟が、生きるということであり、この覚悟がもてない人は、自分自身が人生のあり地獄に落ちていく徒を選択したということでしかない・・・・・

これこそが、人生および自己成長において一番大事なことでもある忍耐力の源泉なのでもあるのです・・・・

本BLOGで、人間の成長のメカニズムについて述べているように、25歳までの、守られた限られた経験に基づく、また、守られるとは現実を直視する機会を奪われて育った、また、褒められて育つということは、本当は精一杯頑張ったか否かは、本人しか判らないのに頑張っていない状態で褒められるとは、頑張る為の胆力、精神力、気力の醸成の機会を奪われて育ったと同じことなのである・・・

正に裸の王様と同じなのである・・・そして、25歳を過ぎると脳内にそれまでの経験に基づく価値観が自動的に起動してしまうが、それは、裸の王様が、思う様にならないと駄々をこねている状態でしかないのである、また、裸の王様の側近達というのは、社会全体で捉えると非常に限られた人達と経験を持っている人達でしかない・・・何度も述べているが、精神的には自分自身は“かたわ”でしかないのです・・・・

この様な状態で、本Blog中の同じ記事だけを読んでも解決にはにはならず、余分な恐怖感が不必要にじわじわ浮き上がってくる弊害が出てくる、そして、この恐怖に打ち勝つ為に、また、同じ記事を読みたくなる・・・・いたちごっこでしかない・・・・

昨日、セリグマンが世界で最初にMaster course of Positive Psychologyの第一期生である日本人の人が、Kozyに強い興味を持ちたずねてきて5時間以上話をしたが、結果としては、Kozyが研究の対象にさせられた気がするが、同時に、途中から先生と呼ばれてしまい、講義とカウンセリングして終わった・・・

Positive Psychologyとは、Kozyとしては、実学として、そして、体系化されているが、実学とは、上述したLearn, Unlearn, Relearn のサイクルの繰り返しにて、つまり、遣れる事から実行していく繰り返しにて、自己内に25歳までの取り組まれた不適切で間違った価値感の適正化を体得するしかない・・・勿論この体得のスピード・アップに関しては方法論はあるが、一朝一夕で成し遂げられることではないことを再確認した次第である・・・・

[“精神力、気力、胆力”の違いと構図]を毎日何度も読んでいる人に云いたい・・・あなたは、自分自身で幾ら思考を深めようとしている気かもしれませんが、思考停止状態に陥っている状態なのです・・・

人間は残念ながら、言葉でしか思考は出来ない、しかし、言葉自体が自分独自のバイアスを持っており、人間の思考とは、云うは易し行なうは難しとう先人が伝えてくれているように、白紙の心になっての思考が出来て始めて思考活動が有効になるのです・・・

第一の人生は裸の王様ですが、第二の人生とは、このバイアスからの開放と適正化を行なう時期なのです、つまり、このバイアスという足枷のついた鎖につながれた奴隷と同じということです・・・そして、広く深い経験を通じて足枷を削り落としていくのが第二の人生なのです・・・そして、この足枷が取れた状態であることが確立された状態が第三の人生であり、まさに、知的な深耕の時期になります・・・・

残念ながら、9割以上の人が第三の人生を迎えることが出来ないのが現状だと捉えています・・・Kozyは第三の人生の開始を宣言していますが、一生修行だと、今は捉えています・・・この歳になっても、確信することはしないように自分に言い続けています・・・あくまで強い仮説として処理をしています・・・・

[“精神力、気力、胆力”の違いと構図]を毎日読んでいる人はすくなくともKozyより若い人だと思いますが、若いということは、物事に対する探究心が強いことでありますが、特に現代社会においては、多次元で動的な相互作用の中で我々は生きており、単純に頭で理解しようと思ってしまいます・・・・これが人生のあり地獄への罠なのです・・・・

しかし、これは、自分自身が不安状態から解放されたいという傲慢性でしかないのです、また、甘えでもあります・・・・

どうしても、今の状態を続けざるを得ない状態にあれば、ガイドをしてあげます、そして、叱ってあげます・・・何時でも、メイルでアポをとり、会いに来てください・・・・これは出来ることの代表でもあり、この小さな勇気の積み重ねが人生および自己成長において大事なのです・・・・

また、読者でXXXX(1)と書いてある記事ですら、その(2)を読まなくてブックマークをしている人が散見されます・・・言葉での伝承は限界がある中で、XXXX(1)だけしか読まないのは、もったいない、歯がゆくし仕方ないと感じています・・・せめて、シリーズのポストは全て読んでください・・・

読まないと自己内の勝手なバイアスの影響を受けて、Kozyが伝えたいこととは違った解釈を生むと危惧しています・・・

また、多くの読者の皆さん、一旦、KozyのBlogで納得することがあれば、それは本当にKozyの伝えたいことが伝わったとは限らないのです・・・何とならば、矛盾することも他の記事で発信しています・・・つまり、本当に伝えたいことは、この矛盾の間にあることが多いからです・・・・

また、KozyのBlogの愛読者は既にご理解されていると思いますが、本Blogは所謂日記的なものではなく、Kozyの意見の発信のBlogです。縁があり、KozyのBlogを訪れたかたは、じっくり反芻しながら読んで下さい・・・・

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July 19, 2008

社会考察・・・・体が本当に欲するものは必要なもの・・・

TV Commercialで余分三兄弟として、脂肪、糖分、塩分を攻撃している・・・確かに、余分に取りすぎることは体に悪いのであるが、昨今の健康ブームの中で、聞いている方としては、脂肪、糖分、塩分は一切ないほうが良いように錯覚してしまうのではないだろうか・・・・

この三兄弟は、もし摂取が少なすぎると生命の危機に襲われるのである・・・本Blogで何度も人間の持つ恒常性について述べているが、脳を含めて殆どの部分は、むしろ、全てといって良いと思うが、いわば、プラスの機能とマイナスの機能の両方を持ち合わせており、行き過ぎない様にバランスをとっているのであるである・・・また、そのプラスとマイナスの差異が、体の中、特に脳内の信号の伝達を可能にしている・・・・・

また、この三兄弟の全てが、、バランスを保つ為に、例えば、食用として塩分を欲したり、または、過剰分を排泄するようにして恒常性を維持しようと活動をしている・・・むしろこれ自体が生命の本質である可能性が大なのである・・・更に、直接的な増減のコントロールだけでなく、間接的な増減のコントロールのシステムを人間は併せ持っている・・・

先週で、この歳で再就職して、三ヶ月の試用期間も終了して正式に正社員になったが、5年ぶりの、この三ヶ月の通勤を通じて、それまでは気がつかなかったことに気がついた・・・つまり、昨今の女性を観察してきたのであるが、5年前に退社後、脳科学および心理学を勉強してきたが、手には、一般的には,手相という情報があることは知られているが、それ以外にも多くの情報が現れているのである・・・・

また、顔や胸などを見ていると変質者に間違えられるが、手を見ている分にはその心配がないので観察をしてきた・・・・

第一のチェックポイントはディジット・レシオという、以前細かく説明のポストをしたが、人差し指の長さと薬指の長さの比率で、今話題にもなっている、性同一性障害の肉体的な性と精神的な性、つまり、性ホルモンの強さを知ることが出来るのである・・・

このチェックをしている時に、Kozyが若いころには見たことがないような、つまり、女性の場合は、飢饉や災害等で、食べることが出来なくなってもそれに耐えうる為に、皮下に男性と比べて多くの皮下脂肪を蓄積できる能力を持っているのである。 Kozyは、若い頃は痩せたスマートな女性が好みであったが、全員が女性の証でもある皮下脂肪を蓄積していた・・・・

目視によるチェックでは、手の血管が浮いて見えるか否かで判断できるのである・・・この皮下脂肪が女性独自の肌の柔らかさを齎している・・・・

ディジット・レシオは、人差し指の長さ÷薬指の長さで計算されるが、男性は約0.9前後であり、女性は0.95以上位が、男性であれば適切な男性ホルモン、女性であれば女性ホルモンの影響下にある。また、第二子からは、同性愛者が増えるのである・・・・・・・・

Kozyのカウンセリングは叱ることを目的としているが故に、男性のクライアントには問題ないが、女性の場合でこのディジット・レシオの一に近い人、つまり、体も心も女性の場合には、効果が半減するので、最初に手を見させて頂いている・・・・

さて、観察結果から言えることは、皮下脂肪が極端に少なくて、血管が浮いている女性がこんなに居たのかと驚いている・・・しかし、最近は全国を飛び回っているが、東京の中心地で働く女性に多いのである・・・また、血管が浮き出た人の顔を少しのぞいてみると、ポジティブな第一印象を与えてくれる女性は皆無である・・・・

ディジット・レシオは、なかなか手のひらを広げた状態での観察機会は少ないが故に、観察データが少なく、断定的なことはいえないが、都会においてはせいぜい子供は二人が限度である実情を反映してかとも感じるが、確かに女性ホルモンの支配下にある女性が圧倒的に多い・・・

しかし、個人的には意外に男性的な人差し指の短い女性が多く観察できたと感じている・・・恐らく、ストレスや偏食などから女性ホルモンが減ってきている女性が増えてきているのではないだろうか・・・何度かポストしているが、女性にとっては女性ホルモンは精神安定機能を持っており、精神的に不安定な女性が増えているというのが正しい捉え方なのであろう・・・

Kozyは小学校の中ごろまでは毎年、自家中毒になり、つまり、ノイローゼ状態になり、ブドウ糖の注射(?)を一本うってもらうと直ぐに元通りになっていた・・・・脳内のエネルギーの低下には、ブドウ糖が一番効果があるのである・・・・このブドウ糖は食物でいえば砂糖、つまり、甘いものを取得すると多くがブドウ糖に変化していく・・・・・

Kozyの仮説の一つに、女性の甘党が多いのは、男性よりも日常的に八倍もの観察能力を持つが故に、八倍とは言わないが、男性に比べて非常に多くのストレス、恐怖感等を感じているが故に、脳を元気にさせる為に甘いものを、体が欲するが故に、また、甘いものを取得すると脳が元気になるが故に、女性は無意識のうちに甘党になる人が増えると捉えている・・・・

つまり、現代社会では毎年の流行のように、何々が何々に良い、とか、何々は体に悪いとか云われてそれに踊らされる人々が、その偏りによる弊害のことを知らずに、逆に体の元気を奪われていく・・・残念ながら、周りの観察力があり、所属する集団からの逸脱行動による所属集団からの離脱の怖さを男性以上に知っている女性は、保身の為に、流行に敏感にならざる得ない構造化にあると捉えている・・・・

女性の皆さん、特に、女性ホルモンの十分ある人達に申し上げたいのは、自分自身の体が欲するときは、何を食べても良いのです・・・また、一番いけないのは偏りすぎることなのです・・・

昨今は、お酒も飲まないで甘党の男性が増えてきているが、これは、ジェンダー・フリーの影響下で育った人達、心理学の実験データから言うと、90年頃の大学生から、男性ジェンダーの男性が消えてしまっている・・・つまり、回りを女性のレベルまで気にする、自分が浮かないようにする男性が増えてきていると、Kozyは捉えている・・・・

これは、性ホルモンとは別に、社会的な文脈に縛られているというべきであるが、叱られずに、不必要に褒められて、競争という機会まで奪われた、男性は、社会に出てからは、自分がおかしいだけなのであるが、本人は相当なストレスを感じているが故に、男子絵の甘党が増えてきているとKozyは捉えている・・・

昨今の“お馬鹿ちゃんキャラ”のブームの中で、女性トリオ“Pabo”と比べて男性トリオの“羞恥心”の大爆発は、自分は学校では勉強よりも何々をしてきて、そこでは、それなりに成果を出した、しかし、常識というレベルでは、“お馬鹿”であることは否定できない、だけど、それが自分であり、あるがままで、それが現実が故に、前向きに受け入れたいとの、生きる姿勢が女性だけでなく男性にも感動を与えている・・・・と捉えている・・・・

また、“Pabo”は、昔ドラマで、可愛ければそうで十分という趣旨のものが流行ったが、それは、男性が男性的で強い時代であることが前提であり、男性が、男性ジェンダーとしては、これか揺り戻しはあると思うが、強くなくなった社会では、女性のお馬鹿は、一般的価値を失ってきている、また、ぶりっ子に通じるものであり、男性も女性も嫌いなのである・・・・

しかし、昔から、芸能界はよほど賢いか、または、馬鹿でないと勤まらないと言われており、馬鹿の割合は減るかもしれないが、昔から云われている、“河原乞食”が芸能界の本質であれば、芸人の馬鹿さを見て、人間の持つ構造的な馬鹿さをしり、それを笑い飛ばす、そして、元気になる・・・これがユーモアの本質でもあり、この点ではお馬鹿タレントは永遠不滅なのであろう・・・

例が良くないかもしれないが、エネルギーの塊の代表とも云いえる、“大阪のおばちゃん”の体形を思いだしてほしい・・・異常なデブはいないが、中肉であり、つまり、余分三兄弟は必要分は取得しており、多くが甘党だと思われる気がしませんか・・・大阪のおばちゃんに近づく選択をするか、都会の悩める、いつもいらいらしているスマートな女性キャリアを目指すか、あなた次第です・・・・

選択とは、何かを増やすことではありません、何かを捨てることにより初めて可能になる行為です・・・しかし、本当に自分で考えて本当に自分が求めるものを選択することは、人間の構造上の欠陥より容易なことではありません(詳細は前々号見てください)・・・・だから、普段から自分の体と心との対話を習慣にして、五感力を向上してください・・・・・

最後に、念の為に、余分三兄弟は、脂肪はお肌のつや、糖分は気力の充実性、塩分は肌の張りに影響を与えます・・・本当に自分は既に取りすぎなのか、よく考えてみてください・・・・・

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July 13, 2008

幸せでないことが、幸せなり・・・・

自分自身を振り返ってみる、または、内観してみると、何をしていても、または、何もしていないときも常に無意識のうちに、現代社会や自分の仕事などの本質的な問題は何なのかを考えているとしか思えない・・・別の言い方をすると、見ること触れることや新たな知識の習得を受けて、常に、それらの作用に対して相互作用の中で生きている・・・・

今回の“幸せでないことが幸せなり”とは、現在の仕事で、新潟県の上越市(高田)、新潟市、そして、長岡市を一泊して回っているときに、突然、頭の中に浮かんできた言葉なのです・・・・全て生まれて初めての訪問先です・・・

自分の言葉でありながら、何ゆえにこの言葉が浮かんできたのかを考察するのは、一見おかしいと思う人も多いと思うが、個人的経験から言わせていただくと、この知的な作業は非常に大事なのである・・・つまり、出張中に10年以上ぶりに友人と昼食を伴にしたが、人間、特に男性は自分は十分考えているとの間違った自負に縛られやすい・・・・・

人間は、残念ながら、言語でしか思考できない、しかし、その自分が使用している言語では、自己内に長い人生を通じて蓄積してきた種々のことに対する自己内の概念を正しく理解(言語化)することはできないのが人間の脳の持つ構造的な問題なのである・・・

特に若い時は、どうもすっきりしないが、それは違うと思う、または、賛同するがどうもすっきりしない、上手く言葉で説明できないとのもやもや体験を多く積んだはずだと思う・・・・・しかし、多くの大人も同じもやもや感を実際は持っているが、その原因追求諦めただけなのである・・・このことが大人だと言い訳をしているだけなのである・・・・

念の為であるが、人間の脳への情報は五感を通じてWhat、つまり、何がとHow、つまり、どうなっているのかかに二分されてインプットされるのである、これらのWhatにしてもHowにしても、五感から入る情報全てを言葉で表すこと自体不可能といって良い。

また、更に、何度も述べているように、五感そのものが曖昧性を含み、また、脳の制御下にもあるために思い込んで五感で感情としても正しくはインプットされない構造的な問題もある・・・・・・

脳も体も、皆さんがご存知のように使わなければ退化していく・・・しかし、脳の本質は、この実質は、退化の促進であるものを、生態系の一生物として、人間の場合は特に多次元で輻輳する何種類もの生態系の中で、瞬時の判断を可能にする為に、曖昧なままでの判断をする・・・だから、自分で腑に落ちない、また、何が間違いかも言語化が出来ない・・・・

つまり、人間の脳の進化は曖昧性により齎されたが、その曖昧性に基づく瞬時の判断を可能にする脳機能に縛られている・・・他の生物には言語がなく、複雑な思考回路もなく、それまでの経験に基づく自己内のよりはっきりした概念を感じ取って、精神疾患になることもなく、生きていく上で必要な五感は人間より当然優れている・・・

嗅覚では犬の何分の一しかなく、聴覚においてもお粗末な限りである、目は画素数では今や誰も振り向かない百万画素しかない、しいて言うと味覚だけは進んでいるとも言い得る・・・それ故に、女性の多くの人が美味しい物を食べる為に生きていると公言して憚らない・・・目は進化の過程で光の三原色の一つである緑色のセンサーを放棄しており、元来は緑色は感知できないのであるが、他の三原色の赤と青の関係より緑色をこれであろうとして感知しているに過ぎない・・・・・

人間の思考能力とは、25歳までの経験や知識に縛られてしまう、また、恐怖を感じる、恐怖感を刺激する不安感や嫌悪感という情動にも縛られてしまい、どうしても現実に目を向けたくなるが故に、見ようとしない・・・この様な思考を繰り返すことは、最近既に兆候がいっぱい出てきているが、若いにも拘らずアルツハイマー病に陥る可能性が高くなる・・・・

つまり、ここで述べてきた脳の機能を自動脳とKozyは名づけているが、自動脳に支配されることは、脳を使わないことでしかなくこれからの世代の人達には、脳の老化が非常に早くなることが推測されるのである・・・

また、自動脳とは、人間の本質は自己中心であるともいいえるが、多くの経験を通じて、周りとの相互作用により自分自身にしっぺ返しが来ることを学習して、また、愛他性または、笑顔で人と接していると自分にそれが戻ってくること、これ即ち、相互作用の中で生きている、これ即ち、全て自業自得の哲学を体得しくのでもある・・・・

上述した、瞬時の判断を可能にする機能とは、つまり、自動脳の機能とは最小のエネルギーで最大の効果を求める生態系の中で生きる、つまり、人間の本能であるが、同時に、怠惰性でもある、めんどくさい・・・とは、エネルギーをつぎ込んでも、最大限の効果が得られないと考えることでもある・・・・

しかし、曖昧性の取得により進化してきた脳には、この弊害を克服する為に、前頭葉という思考する回路の発達を齎している・・・何でもやってみて現実を直視して、過去の人生、特に25歳までの人生で自動脳が習得した瞬時の判断基準の向上を前頭葉と五感を最大限に活用して、自己内の概念のより精緻な理解を高める・・・・

また、怠惰性に関しては、より深い経験と理解を通じて、先をまたは将来を洞察して、今、先にやっておくことはないかと考えて、一石二鳥よりもっと多く、つまり、一石何鳥にもなることを自覚できれば、正に最小のエネルギーで最大の効果を求めることが出来るので、怠惰性に勝てるのである・・・・・

クライマーズ・ハイとか、マラソンのランナーズ・ハイとかいう言葉をご存知の肩もいると思いますが、また、心理学ではフロー現象とも呼ばれていますが、脳内麻薬と呼ばれる快感と元気を齎すドーパミン等の物質は、目標に向かって一生懸命努力しているときの方がより多く生成され、目標を達成したときの方が少ない・・・・

つまり、幸福でないが故に幸福という目的に向かって一生懸命努力をしているときが、心理的には一番幸福感を感じるのです、そして、この努力の維持に一番貢献するのが、目標達成への希望を、前頭葉を活性化して、つまり、知的思考力を屈指して、維持する能力なのです・・・・この事は、当然脳を最大限に活用することでもあり、また、五感を研ぎ澄ます必要もあり、体を酷使することにも繋がっていくのです・・・・・

だから、“幸せでないこと”という状態は、人間である限りにおいては、人間である所以でもある前頭葉の活性化を促すことの出来る状態なのである、しかし、多くの人は、自己内の概念の知的検索のたびを放棄して、自己中心の発想に囚われている、つまり、幸せな状態であることを活かすことを放棄して、他人、環境、回りの人達の正にしてしまう・・・・

だから、刺激的な表現ではあるが、“幸せでないことが、幸せなり”とあえて言いたいのである・・・きっと、Kozyの自己概念と言語の相互作用により、突然この様な言葉が出てきたのであろう・・・・また、綺麗で、心地よい言葉ではなく、つまり、逃避的、または、回避的な理解を避ける表現をする必要があるとKozyの第三の目は言いたいのであろう・・・・

念の為に、少し補足説明をすると、フロー現象とは一時的なものであるが、最小のエネルギーで最大の効果をあげる、各人の固有の強さを認識できて、その強さを発揮して取り組むことがもっとも正統的な幸福感を得られると同時に、怠惰性にも打ち勝ちやすい・・・だからより幸せを感じる・・・・

現在、仕事で日本全国を訪問しているが、まだまだ言ったことのない都道府県があり、訪問するたびに、現代の日本との対話という相互作用の中に身をおいているが、自己内の概念との対話が無意識のうちに行なわれていることを強く感じる・・・何か、青春時代に世界をヒッチハイクして一周したときの原体験がよみがえってくる感覚である・・・・・

また、かって、何年も住んでいたところも、何十年ぶりに訪問しているが、まるで、Feeling like stranger・・・・時間と伴に、一体何が、何故に変化してきているかを感じさせてくれる・・・

青春時代における異国のたびは、自己内の自分が知らなかった自分の発見や多様な価値感の習得や事故の価値感の見直しに大きく貢献した、つまり、自己内の旅であったが、59歳での国内の旅は、今まで日本で何が起きてきてこれからどうなるのかを教えてくれる、また、何十年ぶりの友人との再会は、人間の成長における個人のMind Set(各人の価値感の集合体)と環境の相互作用のメカニズムを教えてくれる・・・・

Kozyの研究の旅は、Endless Journey ・・・・・・better stay on the road forever・・・・

今回は、Kozyの中の自己概念との対話の試みであり、理解しにくいところがあると危惧しますが、この対話は非常に重要なことでもあるので、書いてみました・・・・

念の為ですが、本来の自己概念との対話は、自分がこう思うのは、何が自己内の判断基準なのかを、その判断基準の判断基準は何なのかというようにトコトン掘り下げていき、最後に到達した判断基準は、一体何処から来たのかを自問自答することが王道です・・・・そして、その原体験は、今でも正しいのかを検証する・・・・

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July 06, 2008

“選択”の本質への考察

ドラッカーと長い交友のある人から、ドラッカーの晩年のころに、人生で一番大事なことは何ですかと聞いたところ、“生きることは選択の連続であり、この選択が人生で一番大事なことである”という話を聞いたことがある・・・表面的にはその通りであり、同様のことを多くの人が言っているとも認識している・・・

しかし、この言葉の裏に含まれた含意とは、選択は重要であるが、正しい選択をすることの難しさを認識して欲しいとのメッセイジであると捉えるべきだと、Kozyは云いたいのである・・・つまり、人間の脳は、良くも悪くも“曖昧性の取得”により、他の生物とは、全く異なる高い次元の脳の成長を齎したのである・・・・

しかし、他の生物と同様に、生存していく為には瞬時の判断が必要であり、“曖昧性の取得”が、そのまま曖昧なままに脳内で記録されていては、瞬時の判断・選択が出来ないのである・・・・この為に、人間の脳は、それまで生きてきた経験をある架空のパイプラインを脳内に何本も設定して、ある経験から五感を通じてWhatとHowの回路に分けてインプットされた情報を大雑把に峻別する機能を持つことにより、瞬時の判断を可能にしてきた・・・・・

この脳内の機能は、心理学のデータから推察すると、産業革命の始まり以前までは、精神疾患の患者数は比べ物にならないぐらい少ないので、それなりに有効機能してきたと捉えられる・・・また、考古学的な発見をみると昔の集落を見ると全てが200-250名以下の人間で構成されている・・・恐らく、これ以上の集落の維持としては、何らかの理由により、不可能であったことを意味している・・・・

また、“曖昧性の取得”に対して、脳は、25歳までは短期的な展望、つまり、将来の中長期的な展望を考えることなく、言い換えると、後の後悔を考えることなく、種々の経験が踏めるように、体で、且つ、自分自身で学習して、その結果を体にしみこませる進化をしているのである。そして、25歳までに十分な体験学習を通じた中長期の展望を踏まえて考えるようになる回路を25歳で完成することにより、十分ないい意味での大人として判断・選択を出来るように進化しているのである・・・・・

特に日本で言えば、弥生時代までは、25年間同じ集落での中での体験学習は十分機能したと推測できる。一方、ほぼ独立した集落社会の崩壊を齎した、産業革命は、良くも悪くも、一つの集落内での自給自足体制の崩壊だけでなく、集落の構成員の新興の産業への労働の供給という形で、離脱を齎していった・・・・

つまり、より多次元でより複雑で動的なつながりの中で人間達は生きる道を、人間の貪欲さが、選択をさせてしまった、よく言えば知的能力が、開花して可能にせしめたのである・・・・・しかし、こと選択が齎すことを誰も正確には理解できなかった・・・

つまり、この変化への対応として如何すべきかを知らなかった・・・・・

少なくとも、産業革命というある意味では“パンドラの箱”とは知らずに開けてしまった当時の人達は、産業革命よりも、もっとインパクトの大きい、国境という壁、つまり、距離の壁、そして、Real Timeとも呼ばれる時間の壁を打ち砕く、ICTの技術革新を、予知できた人はいなかったであろう・・・・

更に困ったことに、人間は文脈に支配される動物であるにも拘らず、解り易くいうと、自分を取り巻く環境に支配されやすい、また、多数派の意見に迎合しやすい、それにも拘らず、現代の日本を見つめてみると、たとえ小学校の学区という小さな地域においてすら、小学校時代は、その地域の全てのそうの人達との交流の機会は維持されているが、昨今は、高校からだけでなく、中学校から私立の学校に行く生徒がふえている、つまり、親の教育への価値感の違いおよび家計の経済状態の差により、ある意味では似た環境の人達が寄り集まってくる・・・・・

更に、社会を本当は正しくリードして行く責任を担うべき人達である、大学卒や大学院卒と言う人達は、高校卒業の折に、何学部の何を専攻したいという親と本人と学校の相互作用の中で峻別された人が同じ大学の同じ学科に集まり、自分達のコミュニティーを作ってしまい、これだけ全体の中では種々の特性により峻別された、非常に限定された友人関係の中で自分の中の常識を無意識の中で醸成してしまう・・・・・

また、良くも悪くも22歳で大学を卒業した人は、25歳までの三年間で企業内文脈の洗礼を受けるのである・・・しかし、25歳前であるが故に適応性は、大学院卒よりずっと大きいのである・・・・・

現代の学生および若いサラリーマンは、人間の持つ脳の構造的な特性、つまり、人間とはについて、もっつ深く正しく理解すべきなのである・・・・

キャリアプランに最近の人は、若さから来る傲慢性より、正しくエキャリアプランを描いて、自分だけは上手く生きたいと思う人が増えている・・・この点に関して、企業文化の父とも呼ばれるエドガー・シャインは、きっと学生時代に描いたキャリアプランに基づき、自分のキャリアプランを全うしているだろう思い、大学の卒業生の追跡調査してみた・・・・・

しかし、ほとんどの人が、全く異なる仕事をしている結果が出てくると同時に、どうしても出来ないことがそれぞれの人間に固有のものとしてあり、シャインはこれをキャリアアンカーと名づけた・・・・

僭越ながら、シャイン氏は、脳科学や心理学および最新の統計学には疎い人であり、彼の集めたデータを、Kozyなら共分散構造分析で解析をしてみるが、そのデータは入手できないので、単純な考察としての意見しか述べられないが、解釈としてはシャインの考察は不十分だと思っている・・・・

Kozyは次のように考察したい・・・

1.Planned Happened Stance Theoryと呼ばれる理論と同じことが、言い得る・・・もっと詳しく言うと、能動的に且つ主体的に常に変化の胎動にたいして留意していると、自分と周りの変化の相互作用により、新しいキャリア・プランが生まれてくる。決して偶然ではないのである・・・・大事なのは市場の変化、社会の変化に対して如何に速く気付き、その変化に伴う新たな能力を習得していく姿勢が大事である・・・

2.人間には、25歳までに経験したトラウマ的な恐怖体験が多かれ少なかれ存在しており、脳の構造的な問題で上述したように、脳の中にあるパイプラインで一番影響力を持つのは情動経験のパイプラインであり、その中で一番強いのが恐怖感という情動なのである、この恐怖感という情動が中長期の展望の中で垣間見てしまうと、行動への移せない・・・つまり、絶対に自分には出来ないというマインド・セットに含まれてしまう・・・・

これがキャリアアンカーのことになるが、人間は“曖昧性の取得”により可塑性を持つことが出来ている。また、経験にて回路が出来るが、それに対して新たなまたはより深い経験を積み重ねることにより、曖昧なパイプラインをより精緻なものに書き換えが出来る、

つまり、上述したキャリアアンカーのアンカー(錨)を上げて自由に変身出来る可能性を持っているのである・・・・・

また、脳は他の生物と同様に、生態系の中で生きていくには、最小のエネルギーで最大の効果を求めるものであり、この事は、言葉を変えると、人間の怠惰性の本質になっている・・・この怠惰性に打ち勝つ為に、前頭葉存在しており、常に一石二鳥を何鳥にもする思考力を持っている・・・・

念の為であるが、“最小のエネルギーで最大の効果を求める”とは、長所を知り、短所のコンプレックスという恐怖感をバネにして、長所を活かすことが含意である。また、最小のエネルギーとは、一日で出せるエネルギーには限度があるが、日々の小さな積み重ねという総エネルギーには限度がない・・・

つまり、習慣化する努力が大事なのである・・・良い習慣化に成功すると脳内の間違った認知が適正化されていくのである・・・・

しかし、これらの述べたことは社会での実体験を通じて社会の、または、仕事のメカニズムを深く理解しないと正しい選択は出来ないのである・・・・つまり、キャリアプランは、未熟な若者には論理的には、描くことは出来ないといっても過言ではない・・・同様に人生の選択なども非常に難しいことでしかないのである・・・・

下手に成功体験を積み重ねると、そこで得た判断基準を過信してしまうのが人間の脳の構造でもあり、常に、白紙の気持ちで現実を直視して、現実の発するメッセイジを出来るだけ正しく汲み取ることが出来ることが重要になるのである・・・・この点では、自分で決めることなどは何もなく、現実との相互作用の中で正しく選択することしか出来ないのである・・・・

三年もたたないうちに退社する人達は、自分自身に問うて欲しい・・・・“自分はただ現実から逃避しているだけではないか???”・・・・逃避の先には何も生まれなく、より対峙が難しくなり、また、逃避を繰り返すという人生の蟻地獄しか待っていないのである・・・・・


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