“心の弱さ”についての考察・・・・
多くの人が、解っているけれど出来ないんだ・・・・という状態にいると理解している・・・
人間を動かすのは心であり、心が弱いから行動に転化することが出来ない・・・誰でもがこの事は表面的には理解していると思います、しかし、次から次に種々の困難に立ち向かい実現していく人たちも、少数派ではあるが実在している・・・・この違いはいったい何処から生まれてくるのかという視点で、いったい心の弱さとは何なのかを掘り下げて説明していきたい・・・・・・
Kozyは、この心の弱さには、幾つかの次元があり、心の弱さという言葉が規定するものは単純な構造ではないと理解している・・・・・
Case 1:
一つは、この言葉“心の弱さ”という言葉に逃避する、つまり、自分が出来ないことの論理的な言い訳として、現実への直面化を避けている・・・しかし、ここで認識すべきは、人間の脳は皆同じ構造を持っているのである・・・少なくとも自分自身が真に解っている状態であれば、誰でも出来ることを意味している・・・
Case 2:
Case 1 の場合の本質的な問題は、もう一つの原因である、理解できているつもりで本当は理解できていないということなのである・・・・人間の脳は本質的には怠惰性に縛られているがゆえに、深く考えて理解を深めることを回避してしまうのである・・・怠惰性という言葉は別の表現にすると、最小のエネルギーで最大の効果を求める生態系の中で生きていく上での摂理でもある・・・・
Case 3:
Case2の裏に隠されているのが、第三の問題である・・・本当にしたいというほどの状態に自分自身がいない、または、追い込まれていないということを、潜在的に自分自身が感じているからなのである・・・・では、行動転化することはないではないか・・・ということになる・・・・何も悩まなくても良いではないか???・・・ということも出来るのである・・・・
しかし、多くの人が何故に、“解っているけれど出来ないんだ”といって自分を責めるのか???・・・これは、皆さんが、自分自身の中に培ってきた五感を通じて集められた情報の総体でもある自己概念が、自分の心の声として、生きていく上で本当に必要な心のエネルギー(これを東洋哲学では“気”と呼んでいる、そして、生まれたばかりの赤ん坊が一番大きな気のエネルギーを持っていると捉えている)の超えてはいけない低下レベルを超えてしまうのが時間の問題であると囁くからなのである・・・・とKozyは整理している・・・・
このことが、自己変革の三要素で述べた“心のエネルギー管理”を意味する・・・・つまり、人間の思考は言語でしか出来ないが、五感を通じて集積してきた自己内の概念を全て言語化して本当に理解することは、真に自分を知ることと同意語であり、なかなか簡単には出来ないのである・・・・・
自己変革の三要素で述べた、“知的思考能力”とは、少なくとも自分自身の中で言葉とその言葉が規定する概念が限りなく一致させることが出来ることにより、初めて言語を通じた思考が正しく行なわれる、そうでない言葉による思考は、当然、真の理解には結びつかないのである・・・・
つまり、言語の精緻化が大事になるが、この精緻化に必要なのが、それまで経験をしていないより広い経験とより深い経験を通じて、初めて磨かれていくのである・・・(自己研磨の本質はこのことなのである)・・・・つまり、自分で自分自身の中にある概念との対話は、これらの経験なしには出来ない・・・・
また、言語の精緻化が本当に自分自身で出来ているか否かの検証は、それまで出来なかった行動が出来るようになることによってのみ確認される・・・つまり、“多くの人が、解っているけれど出来ないんだ”ということは、実際は解っていないことを意味する、机上の理解だけでは意味がないのである・・・・・
普段から、自分の使っている言葉の規定を常に検証する習慣、問題の前提条件の整理確認する習慣、そして、システムとしてどうなっており、各プロセスで何をしており、その前後のプロセスとの相互作用がどうなっているのかという点に対する掘り下げた理解をする習慣、これらの習慣は、慣れていない人には非常に難しいことであるとは理解するが、これらの習慣があって初めて本当の知的思考能力が発揮されるのである・・・・・
念の為であるが、大事なのは姿勢の確立であり、システム的な深い理解は、経験が少ない人には不可能なのに、この探求が出来ないことで悩む人がいるが、若い時は、自分で創造して一環システムを完成して理解することで充分なのである・・・つまり、仮設を設定すれば良い。この仮説をもつことにより現実からの学習をするときに、大事な現実を見逃さなくなり、また、学習スピードが増すのです・・・
しかし、人間の脳の発達は、曖昧なままの情報の取り組みを行なうことにより発達したものであり、人間の脳の中での整理は常に曖昧な情報に基づく、曖昧なままでの整理が成されたものに動かされているのである・・・だから、皆悩むのである・・・
また、本当に知的思考能力を発揮して物事を掘り下げるということは、目の前にある現実を正しく検証をして受け入れて、曖昧な情報による理解をより精緻化して、自分の新たな理解を平易な言葉に置き換えて表現し直した言語による思考とその結果、頭に浮かんだものを、現実の中で検証してみるという作業が必要なのである・・・・
この作業がなければ、また自分の思い込みによる妄想になってしまう・・・・まさに、現実とは神の啓示ということが出来るのである・・・・現実との対話という表現が出来るが、この現実との対話とは実践して、つまり、行動に転化して検証をする、つまり、行動を通じて得た理論でないものは、正に机上の理論であり、信頼が出来ない、また、その理論が実践を伴わないものは理論としては信頼されない・・・・
また、行動を通じた学習は脳内の広い分野の活動を促すが故に、体験学習は短期記憶でなく長期記憶として脳に残るのです。また、この記憶は実戦で有効機能する、つまり、既に形成されている情動記憶の修正に役立つのです・・・・
ここで述べたような生きる姿勢の確立が成されていない人が、たとえ周りの皆の人に貢献できることを提案しても、周りの人を動かせることは出来ないのです・・・この様な経験を何度も踏むことにより、正しい生きる姿勢が確立できていった人は説得力を持つが、何度もの経験で、自分の普段の言動=生きる姿勢の確立不足が原因であるにもかかわらず、無力感に陥ったり、周りの人たちは馬鹿ばかりだと周りに責任の転嫁をしてしまう駄目な人になる人に分かれていきます・・・・
残念ながら、後者が圧倒的に多数なのである・・・・先人が言っているように、信用は築くのに時間はかかるが、信用をなくすの一度の言動で簡単になくなるのである・・・・つまり、完璧な聖人になれとまでは、言わないが、周りの人は自分のことは棚に上げて、少しでも他の言動で非があれば、その非を誇大に評価してしまう・・・人間は、これほどに傲慢になりやすい、だから謙虚さを自分に言い続ける必要がある・・・・
ここで大事なのは、不完全な人間であるが故に、誰でも魔がさすとか、疲れから怠惰な言動に走ったりする事はあるが、その非を素直に認めて謝罪したり、何度も同じ間違いをしない反省という学習能力を常に発揮することなのである・・・・この様な人の存在が今の社会では非常に減ってきているのも事実である・・・・
昔はよく耳にして言葉で“職場の良心”という言葉があったが、あまりにも未熟な人が増えて、未熟な人があるべき方向への抵抗勢力になるが故に、“職場の良心”候補であった人たちを圧殺している、そして、未熟な人が職場がよくないとかの言動に走る、全て自業自得なのである・・・・
ここで述べた“生きる姿勢の確立”とは、正に“自己変革の三要素”で述べた、“覚悟の醸成”そのものでもあるのです・・・・
さて、最初に戻ってCase 1で終わってしまう人は、人間は皆、人間であるが故に“心の弱さ”をもっていること、そして、人間が真に成長することは、自分の“心の弱さ”と戦う必要があることを肝に銘じてください・・・・そして、誰もが生得的にもっているものは同じであり、誰でもが成長できる・・・これが生きる上での覚悟でもある・・・
Case 1で止まってしまう人は、これまで生きてきた中で、自分自身のもっている心のエネルギーが低下しすぎている。それ故に、自分が真に楽しめることがあれば楽しんで心のエネルギーを上昇させてください、しかし、念の為ですが、楽しむことは、決して目的ではなく、成長する為の心のエネルギーのあるレベル以上に保つ為の手段でしかないことを忘れないでください・・・・
Case 2で止まっている人は、真の知的思考能力の向上に励んでください。・・・行動心理学では、人間の場合は、“論理化”といわれる心の知的思考能力を発揮して自分自身で論理的に納得することが必要とされている、Kozyが大学院で受けた講義ではこの“論理化”については詳しく述べられなかったが、Kozyは、これが一番大事なことだと捉えている・・・・・・
特に現代社会においては、この能力を人類全体で向上していかないと、新千年紀は在り得ないのではないかと捉えている・・・つまり、恐らく産業革命までの時代はよかったが、産業革命、つまり、人間が楽をしたい気持ちで技術進歩を選択したことにより、技術革新のスピードが人類史上最高速になったが、これらの技術進歩は二つの大きな弊害を齎している・・・・
一つは、忍耐力をつける頑張る機会を減らしてしまった、そして、もう一つは生きていくことに対する価値観の変化のスピードまで速めてしまった・・・・これらの事は、産業革命以前の今より小さなコミュニティーのなかで完結していたコミュニティーという社会の喪失なのである・・・・
人間の脳は、25歳までの経験により瞬時の判断をするようになっているが、その根源にある前提条件が、小さなコミュニティーの中で完結して、価値観の変化が非常に少ない場合は有効であるが、現代のようなある意味では無限大に近い数のコミュニティーとの相互作用の中で生きていかなければならない社会においては、25歳までの人生での経験はむしろ邪魔になり、必然的に異なる価値観との対立が起き、人類史上最もストレスを起こす環境で人間は生きていく必要があるのである・・・・これが更に上位の生きていく為の、また、自己変革のための覚悟の真意です・・・
ストレスとは個人だけの問題でなく、その対処には相手への攻撃や逆に回避というものが発生するものであり、これが人間各個人の成長への大きな弊害を生むのである・・・・
一方、自然科学は、その使用する言葉や思考する場合の方程式などに使用される記号等は、厳密に規定されており、それらをベースにした思考の発展は、これからも続いていく、しかし、社会科学や人文科学等は、規定の厳密さには、それぞれの社会経験が異なるが故に、厳密な規定の共有化自身が非常に困難であるが故に、自然科学に比べて圧倒的に進歩が遅いというギャップを産んでいる・・・・
この様な本質的な問題に打ち勝つ為には、先ずは現実として人間は言葉でしか思考が出来ないが、その言葉自体が精緻化されたものではない事への理解、そして、人間の持つ、ある意味では自然に摂理でもある最小のエネルギーで最大の効果を求める脳の支配からの脱却が必要になる・・・この理解が生きていく覚悟を醸成し、そして、知的思考力の向上を促すのである・・・
つまり、Case 2の人たちは、表面的な理解だけで解ったつもりになっている、これは脳が楽をしたいが故に起きるものであり、常に事実を再度見つめて、常に検証して理解を深める必要がある、・・・・現実と自己概念と自己が使用する言葉の一致が成されない限り理解したことにはならない・・・・・
人間の思考の源である前頭葉は、人間だけが持つ素晴らしい脳機能であるが、殆どの考えや感情は、辺縁系という情動を司る部分が先に起動して、約0.5秒ぐらいで前頭葉が追認している・・・この辺縁系は哺乳類の時代の脳機能であり、前頭葉は人間の証である機能であるが、この0.5秒とは短いようでも、その間に前頭葉を強く起動することにより、充分に辺縁系からの指令を覆すことが出来るように、人間の脳は出来ているのである・・・
ある意味では、この辺縁系の機能を現実に即した形に、強い覚悟や何度もの新たな経験を通じて向上させることが人間の成長になる・・・これは己の情動との戦いであり、あるレベル以上の心のエネルギーが維持されていないと、自分の脳の怠惰性に負けてしまうのです・・・・
先人が言うように、攻撃は最大の防御というように、攻撃とは能動的な思考行動であり、防御とは受動的な思考行動であり、受動的とは、どうしても先に情動が強く起動してしまうので、自己変革においても、先に自分で考えて決断をして行動に移す能動的な姿勢でないと難しいことを意味している・・・・
つまり、正しい理解の前提は受動思考でなく、能動思考をすることが必要であり効率的なのである・・・・これ即ち、普段から種々のことを掘り下げて考えることが必要であり、その検証にはより深い経験と新しい経験が必要になる・・・これこそが知的思考能力を鍛える近道なのです・・・・
Case 3の場合は、もし、Case 2で述べたような知的思考を経て、世間が如何いおうとも自分はこれで良いのだということになれば、“解っているが出来ない”対象であることは取り組む必要はない・・・人間は社会的な文脈、つまり、多数派の理論に押し流されやすい構造を持っているが、知的思考力を充分発揮して、やる必要がないとの結論に達すれば、取り組む必要なない・・・・・・
多数派の理論は常に正しいわけではない、むしろ、多数派という集団は集団の愚かさを生みやすいのである・・・
しかし、人間は、今回の金融恐慌および今までの歴史を顧みてもわかるように、不都合な現実には目を背ける“心の弱さ”を誰でもが持っている、つまり、これは、脳の持つ本質的な機能そのものでもある・・・・特に金融関係は人間の強欲さが渦巻く私利私欲に囚われており、行くところまで行かないと判らない愚かな構造下にある・・・
これでお解かりの方もいると思うが、“心の弱さ”は、脳の持つ本質的な機能であり、脳の陰陽の陰の部分なのです、しかし、人間の脳は陽の部分を持っている・・・これがここで述べた知的思考能力であり、前頭葉を本当に上手く起動および機能できるかに、人間の成長は依存している・・・
追伸:
つい今回は、かなり本質的な部分に触れる話であったので自己内での整理に時間がかかりました、また、今週も出張で忙しかったので、投稿間隔が開いてしまい、申し訳ありませんでした・・・・また、少し長くなりすぎたこともご容赦ください・・・


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