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November 2008

November 29, 2008

“心の弱さ”についての考察・・・・

多くの人が、解っているけれど出来ないんだ・・・・という状態にいると理解している・・・

人間を動かすのは心であり、心が弱いから行動に転化することが出来ない・・・誰でもがこの事は表面的には理解していると思います、しかし、次から次に種々の困難に立ち向かい実現していく人たちも、少数派ではあるが実在している・・・・この違いはいったい何処から生まれてくるのかという視点で、いったい心の弱さとは何なのかを掘り下げて説明していきたい・・・・・・

Kozyは、この心の弱さには、幾つかの次元があり、心の弱さという言葉が規定するものは単純な構造ではないと理解している・・・・・

Case 1:
一つは、この言葉“心の弱さ”という言葉に逃避する、つまり、自分が出来ないことの論理的な言い訳として、現実への直面化を避けている・・・しかし、ここで認識すべきは、人間の脳は皆同じ構造を持っているのである・・・少なくとも自分自身が真に解っている状態であれば、誰でも出来ることを意味している・・・

Case 2:
Case 1 の場合の本質的な問題は、もう一つの原因である、理解できているつもりで本当は理解できていないということなのである・・・・人間の脳は本質的には怠惰性に縛られているがゆえに、深く考えて理解を深めることを回避してしまうのである・・・怠惰性という言葉は別の表現にすると、最小のエネルギーで最大の効果を求める生態系の中で生きていく上での摂理でもある・・・・

Case 3:
Case2の裏に隠されているのが、第三の問題である・・・本当にしたいというほどの状態に自分自身がいない、または、追い込まれていないということを、潜在的に自分自身が感じているからなのである・・・・では、行動転化することはないではないか・・・ということになる・・・・何も悩まなくても良いではないか???・・・ということも出来るのである・・・・

しかし、多くの人が何故に、“解っているけれど出来ないんだ”といって自分を責めるのか???・・・これは、皆さんが、自分自身の中に培ってきた五感を通じて集められた情報の総体でもある自己概念が、自分の心の声として、生きていく上で本当に必要な心のエネルギー(これを東洋哲学では“気”と呼んでいる、そして、生まれたばかりの赤ん坊が一番大きな気のエネルギーを持っていると捉えている)の超えてはいけない低下レベルを超えてしまうのが時間の問題であると囁くからなのである・・・・とKozyは整理している・・・・

このことが、自己変革の三要素で述べた“心のエネルギー管理”を意味する・・・・つまり、人間の思考は言語でしか出来ないが、五感を通じて集積してきた自己内の概念を全て言語化して本当に理解することは、真に自分を知ることと同意語であり、なかなか簡単には出来ないのである・・・・・

自己変革の三要素で述べた、“知的思考能力”とは、少なくとも自分自身の中で言葉とその言葉が規定する概念が限りなく一致させることが出来ることにより、初めて言語を通じた思考が正しく行なわれる、そうでない言葉による思考は、当然、真の理解には結びつかないのである・・・・

つまり、言語の精緻化が大事になるが、この精緻化に必要なのが、それまで経験をしていないより広い経験とより深い経験を通じて、初めて磨かれていくのである・・・(自己研磨の本質はこのことなのである)・・・・つまり、自分で自分自身の中にある概念との対話は、これらの経験なしには出来ない・・・・

また、言語の精緻化が本当に自分自身で出来ているか否かの検証は、それまで出来なかった行動が出来るようになることによってのみ確認される・・・つまり、“多くの人が、解っているけれど出来ないんだ”ということは、実際は解っていないことを意味する、机上の理解だけでは意味がないのである・・・・・

普段から、自分の使っている言葉の規定を常に検証する習慣、問題の前提条件の整理確認する習慣、そして、システムとしてどうなっており、各プロセスで何をしており、その前後のプロセスとの相互作用がどうなっているのかという点に対する掘り下げた理解をする習慣、これらの習慣は、慣れていない人には非常に難しいことであるとは理解するが、これらの習慣があって初めて本当の知的思考能力が発揮されるのである・・・・・

念の為であるが、大事なのは姿勢の確立であり、システム的な深い理解は、経験が少ない人には不可能なのに、この探求が出来ないことで悩む人がいるが、若い時は、自分で創造して一環システムを完成して理解することで充分なのである・・・つまり、仮設を設定すれば良い。この仮説をもつことにより現実からの学習をするときに、大事な現実を見逃さなくなり、また、学習スピードが増すのです・・・

しかし、人間の脳の発達は、曖昧なままの情報の取り組みを行なうことにより発達したものであり、人間の脳の中での整理は常に曖昧な情報に基づく、曖昧なままでの整理が成されたものに動かされているのである・・・だから、皆悩むのである・・・

また、本当に知的思考能力を発揮して物事を掘り下げるということは、目の前にある現実を正しく検証をして受け入れて、曖昧な情報による理解をより精緻化して、自分の新たな理解を平易な言葉に置き換えて表現し直した言語による思考とその結果、頭に浮かんだものを、現実の中で検証してみるという作業が必要なのである・・・・

この作業がなければ、また自分の思い込みによる妄想になってしまう・・・・まさに、現実とは神の啓示ということが出来るのである・・・・現実との対話という表現が出来るが、この現実との対話とは実践して、つまり、行動に転化して検証をする、つまり、行動を通じて得た理論でないものは、正に机上の理論であり、信頼が出来ない、また、その理論が実践を伴わないものは理論としては信頼されない・・・・

また、行動を通じた学習は脳内の広い分野の活動を促すが故に、体験学習は短期記憶でなく長期記憶として脳に残るのです。また、この記憶は実戦で有効機能する、つまり、既に形成されている情動記憶の修正に役立つのです・・・・

ここで述べたような生きる姿勢の確立が成されていない人が、たとえ周りの皆の人に貢献できることを提案しても、周りの人を動かせることは出来ないのです・・・この様な経験を何度も踏むことにより、正しい生きる姿勢が確立できていった人は説得力を持つが、何度もの経験で、自分の普段の言動=生きる姿勢の確立不足が原因であるにもかかわらず、無力感に陥ったり、周りの人たちは馬鹿ばかりだと周りに責任の転嫁をしてしまう駄目な人になる人に分かれていきます・・・・

残念ながら、後者が圧倒的に多数なのである・・・・先人が言っているように、信用は築くのに時間はかかるが、信用をなくすの一度の言動で簡単になくなるのである・・・・つまり、完璧な聖人になれとまでは、言わないが、周りの人は自分のことは棚に上げて、少しでも他の言動で非があれば、その非を誇大に評価してしまう・・・人間は、これほどに傲慢になりやすい、だから謙虚さを自分に言い続ける必要がある・・・・

ここで大事なのは、不完全な人間であるが故に、誰でも魔がさすとか、疲れから怠惰な言動に走ったりする事はあるが、その非を素直に認めて謝罪したり、何度も同じ間違いをしない反省という学習能力を常に発揮することなのである・・・・この様な人の存在が今の社会では非常に減ってきているのも事実である・・・・

昔はよく耳にして言葉で“職場の良心”という言葉があったが、あまりにも未熟な人が増えて、未熟な人があるべき方向への抵抗勢力になるが故に、“職場の良心”候補であった人たちを圧殺している、そして、未熟な人が職場がよくないとかの言動に走る、全て自業自得なのである・・・・

ここで述べた“生きる姿勢の確立”とは、正に“自己変革の三要素”で述べた、“覚悟の醸成”そのものでもあるのです・・・・

さて、最初に戻ってCase 1で終わってしまう人は、人間は皆、人間であるが故に“心の弱さ”をもっていること、そして、人間が真に成長することは、自分の“心の弱さ”と戦う必要があることを肝に銘じてください・・・・そして、誰もが生得的にもっているものは同じであり、誰でもが成長できる・・・これが生きる上での覚悟でもある・・・

Case 1で止まってしまう人は、これまで生きてきた中で、自分自身のもっている心のエネルギーが低下しすぎている。それ故に、自分が真に楽しめることがあれば楽しんで心のエネルギーを上昇させてください、しかし、念の為ですが、楽しむことは、決して目的ではなく、成長する為の心のエネルギーのあるレベル以上に保つ為の手段でしかないことを忘れないでください・・・・

Case 2で止まっている人は、真の知的思考能力の向上に励んでください。・・・行動心理学では、人間の場合は、“論理化”といわれる心の知的思考能力を発揮して自分自身で論理的に納得することが必要とされている、Kozyが大学院で受けた講義ではこの“論理化”については詳しく述べられなかったが、Kozyは、これが一番大事なことだと捉えている・・・・・・

特に現代社会においては、この能力を人類全体で向上していかないと、新千年紀は在り得ないのではないかと捉えている・・・つまり、恐らく産業革命までの時代はよかったが、産業革命、つまり、人間が楽をしたい気持ちで技術進歩を選択したことにより、技術革新のスピードが人類史上最高速になったが、これらの技術進歩は二つの大きな弊害を齎している・・・・

一つは、忍耐力をつける頑張る機会を減らしてしまった、そして、もう一つは生きていくことに対する価値観の変化のスピードまで速めてしまった・・・・これらの事は、産業革命以前の今より小さなコミュニティーのなかで完結していたコミュニティーという社会の喪失なのである・・・・

人間の脳は、25歳までの経験により瞬時の判断をするようになっているが、その根源にある前提条件が、小さなコミュニティーの中で完結して、価値観の変化が非常に少ない場合は有効であるが、現代のようなある意味では無限大に近い数のコミュニティーとの相互作用の中で生きていかなければならない社会においては、25歳までの人生での経験はむしろ邪魔になり、必然的に異なる価値観との対立が起き、人類史上最もストレスを起こす環境で人間は生きていく必要があるのである・・・・これが更に上位の生きていく為の、また、自己変革のための覚悟の真意です・・・

ストレスとは個人だけの問題でなく、その対処には相手への攻撃や逆に回避というものが発生するものであり、これが人間各個人の成長への大きな弊害を生むのである・・・・

一方、自然科学は、その使用する言葉や思考する場合の方程式などに使用される記号等は、厳密に規定されており、それらをベースにした思考の発展は、これからも続いていく、しかし、社会科学や人文科学等は、規定の厳密さには、それぞれの社会経験が異なるが故に、厳密な規定の共有化自身が非常に困難であるが故に、自然科学に比べて圧倒的に進歩が遅いというギャップを産んでいる・・・・

この様な本質的な問題に打ち勝つ為には、先ずは現実として人間は言葉でしか思考が出来ないが、その言葉自体が精緻化されたものではない事への理解、そして、人間の持つ、ある意味では自然に摂理でもある最小のエネルギーで最大の効果を求める脳の支配からの脱却が必要になる・・・この理解が生きていく覚悟を醸成し、そして、知的思考力の向上を促すのである・・・

つまり、Case 2の人たちは、表面的な理解だけで解ったつもりになっている、これは脳が楽をしたいが故に起きるものであり、常に事実を再度見つめて、常に検証して理解を深める必要がある、・・・・現実と自己概念と自己が使用する言葉の一致が成されない限り理解したことにはならない・・・・・

人間の思考の源である前頭葉は、人間だけが持つ素晴らしい脳機能であるが、殆どの考えや感情は、辺縁系という情動を司る部分が先に起動して、約0.5秒ぐらいで前頭葉が追認している・・・この辺縁系は哺乳類の時代の脳機能であり、前頭葉は人間の証である機能であるが、この0.5秒とは短いようでも、その間に前頭葉を強く起動することにより、充分に辺縁系からの指令を覆すことが出来るように、人間の脳は出来ているのである・・・

ある意味では、この辺縁系の機能を現実に即した形に、強い覚悟や何度もの新たな経験を通じて向上させることが人間の成長になる・・・これは己の情動との戦いであり、あるレベル以上の心のエネルギーが維持されていないと、自分の脳の怠惰性に負けてしまうのです・・・・

先人が言うように、攻撃は最大の防御というように、攻撃とは能動的な思考行動であり、防御とは受動的な思考行動であり、受動的とは、どうしても先に情動が強く起動してしまうので、自己変革においても、先に自分で考えて決断をして行動に移す能動的な姿勢でないと難しいことを意味している・・・・

つまり、正しい理解の前提は受動思考でなく、能動思考をすることが必要であり効率的なのである・・・・これ即ち、普段から種々のことを掘り下げて考えることが必要であり、その検証にはより深い経験と新しい経験が必要になる・・・これこそが知的思考能力を鍛える近道なのです・・・・

Case 3の場合は、もし、Case 2で述べたような知的思考を経て、世間が如何いおうとも自分はこれで良いのだということになれば、“解っているが出来ない”対象であることは取り組む必要はない・・・人間は社会的な文脈、つまり、多数派の理論に押し流されやすい構造を持っているが、知的思考力を充分発揮して、やる必要がないとの結論に達すれば、取り組む必要なない・・・・・・

多数派の理論は常に正しいわけではない、むしろ、多数派という集団は集団の愚かさを生みやすいのである・・・

しかし、人間は、今回の金融恐慌および今までの歴史を顧みてもわかるように、不都合な現実には目を背ける“心の弱さ”を誰でもが持っている、つまり、これは、脳の持つ本質的な機能そのものでもある・・・・特に金融関係は人間の強欲さが渦巻く私利私欲に囚われており、行くところまで行かないと判らない愚かな構造下にある・・・

これでお解かりの方もいると思うが、“心の弱さ”は、脳の持つ本質的な機能であり、脳の陰陽の陰の部分なのです、しかし、人間の脳は陽の部分を持っている・・・これがここで述べた知的思考能力であり、前頭葉を本当に上手く起動および機能できるかに、人間の成長は依存している・・・

追伸:

つい今回は、かなり本質的な部分に触れる話であったので自己内での整理に時間がかかりました、また、今週も出張で忙しかったので、投稿間隔が開いてしまい、申し訳ありませんでした・・・・また、少し長くなりすぎたこともご容赦ください・・・

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November 17, 2008

自分の存在・視点をなくしてみよう・・・・・

生態系で生きるもの、むしろ生きていけるということは、相互作用の中で存在が保たれていると言うことです・・・・・人間も同じ生物として、生態系の一構成物でしかない・・・だから、今環境問題が問われている・・・しかし、人間社会という人間だけで構成する生態系も同じ側面を持っている・・・・

多くの人がその人間だけの生態系の中で悩んでいる訳ですが、その悩みは、自分自身の存在が独自のもの、または、相互作用をうけない独立したものであるとの妄想でもあり、また、その幻想に縛られているが故に、相互作用の中でしか生きていけない生態系の中で自分自身で悩みを創造して、自分自身で悩むという一人芝居をしている・・・・・非常に愚かなことなのです・・・・

最近、Kozy自体が、本Blogで、何度も言ってきている・・・有りの侭の自分を受け入れろとか、種々の経験をしてそれまで知らない自分を体感しろとか、25歳までの経験に縛られ散る自分自身を知れとか、などの発言では、Kozyのように小学生のときから転校を重ね転校の度に、自分の限界を知る、自分の能力を知るとかの試験的な実験に取り組むことが出来たが故に、“自分”という存在を若くして体感できる幸運に恵まれていない人には、自分を知ること自体に、より困難さがあるのではないかと感じてきている・・・・・・

つまり、小学校の高学年から俗に言うところの人格形成がはじまるのであるが、狭い世界観でこれが出来上がってしまった人には、自分を見るのにも自分というバイアスがかかるがゆえに、自分を見ることは難しいということである、つまり、自動的に頭に浮かぶことはそれまでの経験が齎すものであり、これを自動脳と呼んでいるが、自動脳の呪縛からの開放は、人間形成の大事な時期に幅広い実験に基づく経験をしたKozyには、簡単に出来ても、平和に逆境もなく育った人にはあまりにも難しいのではないかと感じている・・・

論理的には、人間の成長の三つの段階、第一の人生、第二の人生、第三の人生のメカニズムを理解して、第三の人生を可能にする為の方策として、三つの目を常に意識して生きるという考え方は間違っていないと今でも確信するが、平和に育った人や、人生のある事件以来、視点が偏ってしまった人には、もう一つの方策として、自分を苦しめてしまう自分という存在をなくすという考え方を実践することが、正に、第二の目の速やかな発達を促すということです・・・・

完全な哲学的な話に聞こえるかもしれませんが、これは発想の転換ということです・・・・即ち、自動脳の呪縛殻の開放策でもあり、人間社会の本質への理解を高める為の近道になる可能性を秘めている・・・・これだけでは、解りにくいと思うので、少し、

具体例を挙げてみたいと思います・・・・・

例えば、昨今のKozyのBlogの訪問者を見ていると、“駄目上司”で検索してくる人が多いが、今まで周りの人間、そして、自分自身の経験からも、駄目上司と感じたことにより、何ゆえ、自分の上司が、駄目上司だと感じさせられるのか(どの様な作用を、周りから、その上司から受けているのかるのか)を先ず最初に考えることが必要です・・・・・

そして、その上司は何処からどのような作用を受けているが故に、駄目な言動が成されるのか、自分を知るよりは、周りの方が観察をしやすいが故に、観察をしてみてください・・・・・実は、この点に関する理解力を向上させてくれたのが、人格形成に差し掛かったことから、Kozyが毎日のように聞かされていた、独身寮生の愚痴と、自分の人生の失敗から気がついたアドバイスだと、今では捉えています・・・・・

上司というのは、特に中間管理職(この規定は社長ではない管理職全てといって良いでしょう)は、上からのプレッシャーに納得が百パーいかなくても、また、逆らいたくても、家族を持っており、その生活を考えると首になる、または、降格による給料の減額、または、地方に飛ばされる等々のリスクを考えると、逆らえなくなる人たちなのです・・・・この人たちを本当に責める事が出来る人がどれだけいるでしょうか・・・・・・

しかし、自分が納得できないことを自分の部下に如何伝えることが出来るでしょうか・・・確かに、頭の悪い上司はいるでしょうが、頭がよければ良いほど、また、優しい心を持っていればいるほど、納得できないことは伝えることが難しくなる・・・優秀な部下は、この点を悟って対応をします・・・文句ばかりを言わないのです・・・文句ばかりを言う部下が多ければ多いほど、上司は、虚勢を張ったり、怒鳴ったりをして、また、そんな部下の為に責任をとることを回避しようと考えてしまいます・・・・

この様な上司と部下の関係は悪化の一途をたどっていく・・・そして、面と向かって本音を言えない人は、悪循環は更にひどくなっていく・・・・こんな当たり前のことではあるが、学生の人には、背中にしょったものが少ないが故に、自分はそうは成らないという言葉で整理をして非難をしてしまう・・・・

60年代の後半に、学生運動にも大きく影響を与えたものの中に、“Don't trust over 30s”つまり、30歳を過ぎた人間は信用するなということですが、Kozyの周りの連中は、30歳を過ぎた人間は日和見主義だと言って非難をしていましたが、Kozyは、それが、人間の持つ本質であると、多くの大人の愚痴を聞いて育ったので理解をしていた・・・それが故に、背中に荷物を瀬よっていない学生にとっては、社会正義を守る戦いは、学生の必須科目だと捉えていた・・・・・

だから、Kozyは、・・・学生が学生運動に関与しないのは人間失格だ、そして、大学を卒業しても学生運動をするやつは未熟な馬鹿だと言って憚らなかった・・・・・たとえ、結婚をして家族を持つことをしなくても、仕事はチームで行なうものであるが故に、自分勝手なことは出来ないと言う荷物は誰でも背中にしょっていく・・・・・

Kozyもご多分に漏れず、人間が構成する人間社会である限り、必然的に何人か、むしろ、殆どかもしれないが、駄目上司に仕えてきた、しかし、彼らを責めるというよりは、人間の本質を再確認させていただくと同時に、種々の対処方法を学ばせていただいた、結果としていえるのは、俗に言うところに駄目上司ほど、使いやすいものは無いと捉えている・・・・

駄目上司ほど、ある意味では自分の弱いところをさらけ出している人はいないのである・・・・・・弱さを利用すれば良いのである・・・また、結果としての成果を挙げてあげれば駄目上司にとってはハッピーなことになる・・・・・

駄目上司ばかりでなく駄目先輩も、自分の仕事で精一杯であり、仕事を丁寧に教えるような時間はなく、教える時間を割くことは、残業に繋がるのである・・・・駄目でない優秀な上司は、上司の本質は自己犠牲だと捉えることが出来ている人なのです・・・人間関係における作用反作用の中に、命令されれば反発したくなるが、上司がここまでしてくれていると捉えれば、命令には従いたくなる・・・・

この様な観察をしてから、自分は上司と同じ環境におかれた、何が何処まで出来るのかを自問自答してみることです・・・そして、そこから自分自身の視点である第一の目が成長をしていく・・・・・

最近の若いクライアントを見ていると、第一の目の成長から取り組むのは、回り道になる可能性が大だと見ている・・・昔から言われるように、自分のことはわからなくても他人のことはよく観察できるものであり、その観察結果を自分自身が同じ状況に置かれたら、自分はなにが何処まで出来るのかを自問自答する習慣を付けてください・・・・

くれぐれも間違えないで欲しいのは、ある行動に関与する人の構成は常に異なる、また、社会的な背景から来る価値観、つまり、社会的な文脈も常に変わっているのであり、観察結果が常に適用できる訳ではないということを肝に銘じて欲しい、しかし、不安感を人間は減らしたいが故に、こうだと決め付けたくなるのが、人間の本質でもあるのです・・・・

この様な本質にあがなえない人は、常により多くの広く深い経験を意識的に積み重ねる必要がある・・・つまり、自分の中の確信は所詮は思い込みでしかない、心理学では、偏向のことをバイアスと呼びますが、バイアスに囚われない為には、二つの道が在り、一つは、どんなに確信があろうとも一つの仮説として捉え、その仮説の前提条件をはっきりさせておく、・・・・・

もう一つは、バイアスに捕われ易いのが人間だと居直って、生きてる間に限りなく多くのバイアスを持つように新しいことには進んで経験をしてみる・・・そうすれば、結果としてバイアスはないことになる・・・トヨタやホンダなどの現場主義とか三現主義とは、机上の捉え方でなく現場に行き、現物に触れて、現実を正しく理解してことで人間の構造的な問題に対処している・・・・・

人間の脳は常に楽をしたがるものであり、思い込んでおけば、普段も悩まず即断が出来て楽である、しかし、脳に楽をさせては人間は退化するのである・・・・・・ここで述べてきたことは自己を否定することの論理的な背景と重要性である、普遍なことはない、常にその都度、この場合のあるべき姿は何かをよく考える、この面倒な生き方を選択する覚悟が大事なのです・・・また、本当はこれが脳=心の健康維持に一番効果があり、そして、知的思考力を高めてくれるのです・・・・

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November 09, 2008

What is changing(19)・・・・人間の成長が希求されている・・・

昨年の“What is changenging (17)”では、次のように締めくくりました・・・・“来年は、Revamping Yearになると見ている・・・Revampとは、修正のために変化するという意味であり、大きな潮流の変化が出てくると見ている・・・・”・・・・

そして、今年は3月の“What is changing (18)”では、日本人として、“日本人の無知さが、馬鹿な政治家と官僚を温存して、低金利と過剰流動性を世界にばら撒き、金融バブルをDriveしてきた張本人であるのに、この罪の意識が薄すぎる”・・・・と指摘してきた、また、この中でBaraku Hussein Obama氏の勝利はなく、結局は、マケインが勝利する可能性が高いと読んでいた・・・・・

しかし、黒人で且つ“Hussein”という回教徒の代表的な名前が含まれた人が、大統領として選ばれた、良くも悪くも、Kozyのように世界を駆け巡り、米国とのビジネスの経験の長い人間には、正に、後の歴史学者は、今回の選挙を無血且つ平和革命と呼ぶかもしれないほどのことである・・・・

マキャべりは、人民の無知無能に立脚した歴史的な事実からの意見を述べているのが多いが、議論を大衆の前で行なわれた場合は、人民の判断が間違ったことは無いとも言っている・・・・米国ではケネディーとニクソンとのTVを通じた公開討論が、ケネディーの勝利を決定づけ、それ以後は、常に、公開討論がもたれるようになった・・・・・マキャべリズムは、日本と異なり、欧米ではビジネスマンの多数派が読んでいる本であり、マキャベリがいなければ、ケネディー大統領もオバマ新大統領も生まれなかったともいいえるのである・・・・・

今回は、マケインは失言が多く自滅した・・・金融恐慌が、権利と義務に基づく自由主義の米国人に、リーマンが破綻しても、米国経済は磐石であるとの失言、企業支援は必要だとの明確な意見発信、また、民主主義の最大の問題である、ポピュリズムにまけて、無能な副大統領にペイリン女史を選び、当初はよかったが、選挙前には無能さが露呈してしまった・・・・・オバマ氏は、非常に幸運であったといいえる・・・

しかしながら、WASP(White Anglo Saxon Puritan)と呼ばれる米国の支配階級は、予想を覆し、オバマ氏が、ヒラリー氏を打ち破ったことを受け、真剣にオバマ氏が米国大統領になったばあいを考えることにより、ブッシュの8年間の間の負の財産、つまり、一極支配、米国の威信の低下、そして、最後には、極端な市場主義を強行することで、製造業で敗退した米国を立て直す為に、最新の金融工学といえば聞こえは良いが、デリバティブの無制限で無軌道な発展を促進したつけが、正に、人類史上最大の津波となって、ブーメランのように米国に押し寄せた・・・・・

ここまで威信として地に落ちた米国の復興は、死語になりつつあった“American Dream”、つまり、自由で、偏見もなく、努力する人、また、能力がある人が報われる“素晴らしい国、米国”の演出抜きには米国の復興は難しいと考え、戦略的に、かってのネオコンと呼ばれる人たちも含めてオバマ支持に転換したようである・・・・単純に若い白人達がオバマ氏を支持したからというものではない・・・・

また、米国における白人比率が下がってきたのもオバマ氏には幸いしたようである・・・・今回の結果は、どうも幸運というより歴史的な必然性があると捉えるべきなのだろう・・・・・・

11月6日の日経によると、今回の有権者は、未だに、白人が66.0%、ヒスパニックが15.1%、黒人が13.5%、そして、アジア系が5.0%という比率であり、この様な状況では、白人からの支持が無い限り当選は出来ない構造になっている・・・・

また、米国メディアの出口調査の結果が掲載されていた・・・黒人は95%、ヒスパニックは66%、白人は43%がオバマを支持した・・・性別では、男性が49%、女性が56%がオバマを支持した・・・そして、意外にも無党派層は52%しか支持していない・・・・・・・

。また、面白いと思ったのは、プロテスタントは45%しかオバマを支持していないが、カソリックは54%がオバマを支持している・・・また今回の投票率は記録が残っている1960年以降では、ケネディー大統領が選ばれた時が63.8%であったが、これを抜いて最高投票率を更新した・・・そして、初めて投票をした人は68%がオバマ支持であった・・・・・・

論理的には、これだけでは正確な判断は出来ないが、日本における郵政選挙のときのように、オバマ氏の票が一票でも多くなるように、それまで選挙に行かなかった人たちが、歴史的な選挙=革命に参画したと捉えて良いのだろう・・・また、黒人のオバマ支持率が驚異的な数字である95%より伺えるのは、いかに現在でも黒人への差別があるということを物語ると同時に、如何に黒人がメシアを求めているかを物語っていると捉えている・・・・

白人のオバマ支持者は戦略的なWASPとまったく異なる白人の低所得者層が混在していると捉えている・・・・・また、民主党が議会選挙でも圧勝をしたが故に、大統領と議会の両方を民主党が握る形にはなっているが、米国には党議拘束はなく、ヒラリー路線とオバマ路線は異なっており、決して、大統領府と議会の蜜月の安定政権にはならないと捉えている・・・・・

個人的には、米国人としてのプライドを傷つけられ、生活の困窮の度を深め、自由という権利の実施は義務の履行が前提である自己責任社会の重みにつぶされかけてきた人たちが、オバマ氏をメシアと期待して投票行動をとった人がかなり多いと危惧している・・・・つまり、これは、ヒットラーが台頭したときと同じ状況と同じ側面を持つ・・・・・・現在の日本も同じ側面を持ってきていると危惧している・・・・

希望というものは、与えられることを望む人は未熟者でしかない・・・成長した人間は希望とは自分で維持するものであると理解している・・・これは、グループ・ダイナミクスの定理であり、誰も否定できない事実なのである・・・この点では、オバマ氏自身は、黒人差別の中で育ち希望を維持してきた人間であるが故に、また、生まれて物心がついてから、つまり、10歳のときに一度だけ一ヶ月のみ一緒に暮らした経験しかなく、回教徒の父親の価値感の影響を受けずに、男性として生きる姿勢を自分自身で築いてきた人間と思われる故、成熟した人間だと捉えられる・・・・・

また、レーガン大統領のナンシー夫人、クリントン大統領のヒラリー夫人を超えるような、苦労人であり頑張り屋さんである人がファーストレディーになっている、学歴的にはこのミシェル夫人のほうが上であるぐらいであり、観察力と論理的な分析はむしろオバマ氏より上でありそうな人である、しかし、オバマ氏の言葉による表現力にミシェル夫人は、見せられて結婚したとの逸話があり、この二人の共同作業による、これからの米国は確かに、期待は持てそうであるが、非常に険しい道のりが待っていると捉えている・・・

未熟者の特徴には、メシア願望だけでなく、事実に目を向けず、直ぐの効果を求めてしまうので時間感覚がなく、忍耐力が乏しい・・・どうも支持者の多くが未熟者である可能性が大きいがゆえに、また、民主主義の最大の弊害のひとつである多数決の暴力と未熟者がどの社会においても多数派である人間社会の持つ構造的な問題を反映した構造的な社会問題がるが故に、特に下院議員のレベルでは未熟者の支持者に迎合するポピュリズムの弊害が危惧される・・・・・

オバマ新大統領は党派を超えた閣僚人事を考えているということであるが、ある時は共和党を見方にして政治をするめる戦略んをとることは非常に重要になると見ている・・・

理想は理想として追求し、現実は現実として受け入れて、現時点でのあるべき姿を常に追求する政治姿勢が大事になるが、表に出てこないテーマは、産業革命以後の歴史を見れば解るように、また、社会心理学者がノーベル賞の経済学賞を数年前に受けていることからも解るように、人間の持つ構造的な愚かさ、21世紀で何とかする方策を確立しない限り、ここまでグローバル化した地球の経済活動は、相互作用および相互連携があまりにも発達してしまっているので、被害は甚大になるが、今回の世界的な金融恐慌は何とかなると思うが、その次に来る問題は地球の存亡にも影響してくると危惧している・・・・

つまり、今問われているのは、如何にして、未熟な人間を減らすのか、如何に多くの人を成長させる方策を確立できるかが問われている・・・・・

そして、今回の金融恐慌を通じて問われるのは、これからの経済活動として、企業が健康でいることが個人に幸福を齎すのか、または、個人の精神的な健康が所属する企業の健康に一番大事なのか、つまり、救済は個人からするものか企業からするものかが問われている・・・しかし、個人と企業が健康でいられるのは地球が健康を維持していることが前提であり、第一義である、しかし、今、この前提が崩壊ししつつある・・・・・

未熟者は二者択一をすることによりすっきりするので、二者択一を求めてしまうが、Kozyはある問題に対してその都度どちらに軸足をおくべきかをその都度考える事が大事だといいたい・・・・これが、成長した人間の姿なのである・・・・

また、今回の州別の結果を見ていると、農産物の世界最大の生産国である米国であるが故に、一次産業産業が中心の州はマケイン支持、二次・三次産業が中心の州はオバマ支持という構図がはっきりでている・・・都市部と田舎の意見の違いがはっきりした選挙でもあると捉えている・・・・この融合にも成長した人間が増えなければ、融合は生まれ得ない・・・・

かって、チャーチルは、民主主義は決して良いシステムでは無い。しかし、民主主義よりましな主義は存在していないという趣旨のことを言っている、また、社会主義は理想であり、人間が全員が充分成長しない限りは、最悪の結果を生むことを露呈した・・・・経済で言えば、市場主義は確かに神の見えざる手により軌道修正が成される側面があるが、人間が愚かであるが故に、今回のような金融恐慌を発生させてしまう・・・・

Kozyは、最近は、“秩序ある自由な社会”、つまり、人間全員が充分成長することは、現実としては非常に難しい、つまり、必要悪という概念があるが、反面教師の存在は人間の成長には残念ながら大きいものであるが故に、民主主義と社会主義の融合した社会としての“秩序ある自由な社会”を具現化したいと思い、Physical Securityで蓄積されたものを勉強をしている、この知見を人間社会におよび経済活動に活かす道を模索している・・・・

しかし、Physical Securityにおいても方策としての考え方は確立しているが、やはり、各個人のセキュリティーの意識向上が一番大事なのである・・・これ即ち、個人の成長度合いが一番大事なのである・・・・

最後に、今までに何度か述べているので詳細説明は避けるが、最近はイノベーションが叫ばれているが、イノベーションは人間の脆弱性とストレスの増加を齎すものであるが故に、科学・技術の発展には、無条件に推進することは、人間の成長へのもっとも大きな阻害要因になることを忘れてはいけない・・・・

以上、つれづれなるままに・・・・・

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