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February 2009

February 24, 2009

今回を人類最後の世界恐慌できるか・・・これが問われている

日経で“景気循環と恐慌”のゼミナールとして、もう既に種々の景気循環論などが紹介されて、既に、本日ので36回目を迎えている・・・種々の循環論に触れて同時に異なる循環論がふれられているのを見ていると、いったい幾つの循環論があるのか厭きれてしまう・・・・

経済学者は、所詮は、後付けの理論を過去になってから理論化している・・・分析や解析を行なえばいくらでも後からいろんなことが言いえる・・・しかし、景気循環論がこれだけ多くあるということは、まだ誰も景気循環論の本質を理解できていないことを示している。

しかし、少なくとも今までのところ、Kozyの捉え方をする理論は現れてきていない・・・景気といえば、自然災害の影響を受ける場合は別にして、需要の読みと供給の読みのギャップが景気循環の根本にあり、無知さと強欲さが導いてきたが、そこには当然大きな技術革新の波の影響をもろに受けてきた・・・・

しかし、歴史的に見ても、1980年大の後半から、つまり、ICTの技術革新が本格化し始めたときから、Great Moderationと呼ばれる鉱工業生産の振れは、また、インフレの振幅の幅超安定化してきた・・・・ そして、ICT技術の革新を受けてトヨタの看板方式を代表とする在庫管理技術が飛躍的に向上したことも大きな原因になる・・・

そして、金融政策の運営手法も飛躍的に向上してきたが、金融工学に代表される証券化やレバレッジを多用する、正に強欲な技術が洗練されてきた。80年代ぐらいまでは金融経済は実体経済の三倍ぐらいでしかなかったが、Kozyは十倍を超えていると危惧していたが、最近の種々の情報を見ていると三十倍ぐらいに行っていたのではないかと思われる・・・・

この裏には実体経済という製造業では日本に太刀打ちできないとの認識より、金融経済による実体経済=製造業を支配下に置こうとの米英の戦略的な動きがあったと捉えているが、正に、ミイラ取りがミイラになってしまった・・・しかし、金融経済が約十分の一には収縮することは、正に大恐慌を起こしてしまうのは自明の理ではある・・・・

英語では、Old same story、つまり、同じ過ちの連続という意味の言葉がるが、米英のこの様な国家戦略は二度と容認されてはならない・・・強欲は罪であるが、この様な地球規模の国家戦略に踊らされる無知さも罪なのである・・・

しかし、何故この様なことが起こったのかという事を考えてみると、科学や技術は、事実を基にして誤解の生じない記号化と公式に拠る革新が成されるが故に、今まで発達してくることが出来たが、人間は未だに基本的には何も進化できていない、つまり、発達できていない・・・・

また、大事なことは過去から学ぶことしか出来ない人間が如何に未来を読む事が出来るかが問われているとも言いえるのかもしれない・・・・・

しかし、ICTの技術革新が齎した社会は、60億人以上の人類が住む地球を、あたかも弥生時代などの集落の単位でもある200名ぐらいのコミュニティーの中で何かをすれば周りに直ぐ影響が出る小さな地球、ガイアと呼んでも良いが、かっての大きな地球のような分断されたコミュニティの存在をなくしてきている・・・

また、この様に一つのコミュニティーと化してきた地球においては、釈迦の言葉を借りると“因縁生起”、つまり、直接的な因果と間接的な縁により全てがおきる訳であるが、理論物理学のクォークの世界の言葉で言うところの強い相互作用と弱い相互作用に基づき全てが発生しているということに相通じるのである・・・・

また、ICTの技術革新が齎した時間と距離を超越したインターネットの世界は、強い相互作用をより強く、さらに、弱い相互作用を最大化する力を秘めている・・・人類は今回のような、世界恐慌を二度と起こしてはならない・・・次回はガイヤそのものの崩壊に結びつきかねない・・・・

そのために難しいことを言う気はないが、実は、人間の構造的な問題からいうと非常に難しいことではあるが、大事なのは事実に目を背けない、そして、その事実の共有化さえ出来れば、人間が成長できるばかりか、社会は必ずよい方向に進むのである・・・

しかし、人間は都合の良い事実は認識できるが、不都合な事実は認識しようとしない構造を持っている・・・くれぐれも何が本当に事実かは執拗に掘り下げることが必用なのである・・・・・

また、多くの人との対話を通じて洗練されていくものでもあるのです・・・・忘れてほしくないのは、未来を作るのは何時の時代も私たち自身なのです・・・・・・

ちょっと難解になりすぎたとしたらご容赦ください・・・最近のKozyはこの様に考えているところです・・・・

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February 15, 2009

やっとか、または、もうなのか・・・・10万件のアクセスを達成

本Blogが、開始以後4年10ヶ月弱で、やっとアクセス数が10万件を2月12日に超えた、一部では有名なBlogではあっても、Mixiやその他には露出していない点で言えば、他の人のBlogでは、珍しくないもない。正確には2月11日に99,999件となり、12日の0時以降に最初に訪問した人が、10万件の人となった・・・・

何時10万件になるかと思っていたが、2月11日は建国記念日であり、正直言って記念日としては抵抗があったが、母の命日でもあり、11日に99,999件で終わったことは、何か意味があるのかと考えているところである・・・

しかし、個人的には“もう”10万件に達したのかという気分である・・・・意図的にあちこちに露出したわけでもなく、自分自身が有名人でもなく、日記的なBlogでなく、どちらかと言えば、楽しい記事はなく、人間の持つ愚かさ、つまり、本当の自分を直視する、つまり、つまらないプライドや無意識のうちに両親から引き継いだ価値観を、本当の自分として何を本当に引き継ぐのか読者に問うている・・・・

また、脳科学や心理学の最新の知見の紹介など、そして、如何いう組織、如何いう経営、如何いう人材の育成、Kozyの意見は、育成よりも人間の発達をどのようにして導くべきか、論じてきている・・・

KozyのBlogは、どちらかと言うと、目を向けたくない“不都合な真実”を発信しているようなものでもある・・・この様にKozyは捉えているが故に、“もう”10万件のアクセスを超えたのかという捉え方をしている・・・・

この不都合な真実とは、人間の脳は五感を通じて脳内に情報が取り組まれるが、全てが曖昧な情報でしかなく、それが故に正しくそれらの情報を言語化することが出来ない、しかし、人間の思考は言葉を通じてしか出来ない・・・・また、脳は最初のエネルギーで最大の効果を求める設計になっている、だから、大雑把に物事を体系化し整理する、見ているつもりでも現実を見ていない、考えているつもりでもそれまでの考えの延長でしかなく、まさに、頭の中では最小の回路の使用しかしていない・・・・

皮肉ではあるが、この情報の曖昧性が、人間の脳を進化させた・・・・それ故に、子供から大人に成長することは、自己内の両義性=Ambivalent、つまり、自己内に矛盾を抱え込む、これが、むしろ成長過程であり、悩むのは当然のことなのです・・・これでは、脳が大変なので、どちらかにハッキリさせてしまう・・・・これが、バイアスの基本なのです・・・、また、不安の本質は、どちらかを決められないことでもある・・・・

だからこそ、普遍なものはない、その時々であるべき姿は違ってくる・・・このような捉え方が、白紙の心であり、この白紙の心があって初めて現実から、それまでの思い込みを戒めて大事な再学習が出来る・・・・この再学習に一番良いのが初めての経験やより深い経験なのです・・・・・話が長くなるので、ここで止めます・・・・

実は、あるときから10万件のアクセスを超えたら、カウンターをBlogに表示しようと決めていたので、本日よりアクセス・カウンターを表示することとします・・・・しかし、Niftyの表示のアクセスカウンターは携帯からのアクセスはカウントされていませんので、表示された数字は、2500件ほど減ったものになっています・・・・PCからだけのアクセスで10万件を踏むのも楽しんでください・・・・・

毎月、一人は一度に20件以上読まれる読者がいますが、一度、朝から晩まで100件以上、途中の昼食と夕食と思われる時間を除いて、読んでくれた読者がいましたが、頭の整理には貢献できるBlogだと自負しています・・・訪問された方は、腰をすえて読んで頂くことを祈念しています・・・・・

今後とも、宜しくお願いいたします・・・・

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