今回を人類最後の世界恐慌できるか・・・これが問われている
日経で“景気循環と恐慌”のゼミナールとして、もう既に種々の景気循環論などが紹介されて、既に、本日ので36回目を迎えている・・・種々の循環論に触れて同時に異なる循環論がふれられているのを見ていると、いったい幾つの循環論があるのか厭きれてしまう・・・・
経済学者は、所詮は、後付けの理論を過去になってから理論化している・・・分析や解析を行なえばいくらでも後からいろんなことが言いえる・・・しかし、景気循環論がこれだけ多くあるということは、まだ誰も景気循環論の本質を理解できていないことを示している。
しかし、少なくとも今までのところ、Kozyの捉え方をする理論は現れてきていない・・・景気といえば、自然災害の影響を受ける場合は別にして、需要の読みと供給の読みのギャップが景気循環の根本にあり、無知さと強欲さが導いてきたが、そこには当然大きな技術革新の波の影響をもろに受けてきた・・・・
しかし、歴史的に見ても、1980年大の後半から、つまり、ICTの技術革新が本格化し始めたときから、Great Moderationと呼ばれる鉱工業生産の振れは、また、インフレの振幅の幅超安定化してきた・・・・ そして、ICT技術の革新を受けてトヨタの看板方式を代表とする在庫管理技術が飛躍的に向上したことも大きな原因になる・・・
そして、金融政策の運営手法も飛躍的に向上してきたが、金融工学に代表される証券化やレバレッジを多用する、正に強欲な技術が洗練されてきた。80年代ぐらいまでは金融経済は実体経済の三倍ぐらいでしかなかったが、Kozyは十倍を超えていると危惧していたが、最近の種々の情報を見ていると三十倍ぐらいに行っていたのではないかと思われる・・・・
この裏には実体経済という製造業では日本に太刀打ちできないとの認識より、金融経済による実体経済=製造業を支配下に置こうとの米英の戦略的な動きがあったと捉えているが、正に、ミイラ取りがミイラになってしまった・・・しかし、金融経済が約十分の一には収縮することは、正に大恐慌を起こしてしまうのは自明の理ではある・・・・
英語では、Old same story、つまり、同じ過ちの連続という意味の言葉がるが、米英のこの様な国家戦略は二度と容認されてはならない・・・強欲は罪であるが、この様な地球規模の国家戦略に踊らされる無知さも罪なのである・・・
しかし、何故この様なことが起こったのかという事を考えてみると、科学や技術は、事実を基にして誤解の生じない記号化と公式に拠る革新が成されるが故に、今まで発達してくることが出来たが、人間は未だに基本的には何も進化できていない、つまり、発達できていない・・・・
また、大事なことは過去から学ぶことしか出来ない人間が如何に未来を読む事が出来るかが問われているとも言いえるのかもしれない・・・・・
しかし、ICTの技術革新が齎した社会は、60億人以上の人類が住む地球を、あたかも弥生時代などの集落の単位でもある200名ぐらいのコミュニティーの中で何かをすれば周りに直ぐ影響が出る小さな地球、ガイアと呼んでも良いが、かっての大きな地球のような分断されたコミュニティの存在をなくしてきている・・・
また、この様に一つのコミュニティーと化してきた地球においては、釈迦の言葉を借りると“因縁生起”、つまり、直接的な因果と間接的な縁により全てがおきる訳であるが、理論物理学のクォークの世界の言葉で言うところの強い相互作用と弱い相互作用に基づき全てが発生しているということに相通じるのである・・・・
また、ICTの技術革新が齎した時間と距離を超越したインターネットの世界は、強い相互作用をより強く、さらに、弱い相互作用を最大化する力を秘めている・・・人類は今回のような、世界恐慌を二度と起こしてはならない・・・次回はガイヤそのものの崩壊に結びつきかねない・・・・
そのために難しいことを言う気はないが、実は、人間の構造的な問題からいうと非常に難しいことではあるが、大事なのは事実に目を背けない、そして、その事実の共有化さえ出来れば、人間が成長できるばかりか、社会は必ずよい方向に進むのである・・・
しかし、人間は都合の良い事実は認識できるが、不都合な事実は認識しようとしない構造を持っている・・・くれぐれも何が本当に事実かは執拗に掘り下げることが必用なのである・・・・・
また、多くの人との対話を通じて洗練されていくものでもあるのです・・・・忘れてほしくないのは、未来を作るのは何時の時代も私たち自身なのです・・・・・・
ちょっと難解になりすぎたとしたらご容赦ください・・・最近のKozyはこの様に考えているところです・・・・


Recent Comments