サラリーマン格言

April 29, 2008

現実と自分の折り合いをつける能力とは・・・・・

選択と折り合いへの考察してみると・・・・人生を生きることは選択をして前に進むことである。しかし、この選択のときに大事なのが、現実と本当の自分との折り合いを付けれる能力を如何に持てるか、しかし、選択の時間は限られている・・・また、現実との対峙能力、本当の自分を人間は概念的には、個人的には確りと捉えていると理解はしているが、この概念を正しく言語化することは非常に難しい・・・・

ここで重要なのが広く深い経験とそれに基づく思考能力という洞察力である・・・・しかし、人間としての叡智としては、経験と思考、端的に言い換えると、経験にともなう情動と理性という名の思考能力の折り合いを付ける能力なのである・・・

この折り合いとは、経験と思考の仲介機能に大きく依存するのである・・・Kozyも若い時に、Mediation=瞑想として捉えて、瞑想の機会を意図的に作ることを意識してきたが、むしろ、“無我”の境地という言葉の意味に憧れていた側面が強すぎたと反省している・・・・

つまり、瞑想にふけるには、年齢とそれに伴う経験により瞑想の目的が異なってくるというべきだと、今は反省している・・・つまり、如何なるものが、どの様に影響力を発揮して、どのような結果へ導くのか、その多次元さと複合的な動的な影響、この影響も、約6割ぐらいが直接的な因果関係であり、残りが複雑で多次元名間接的な因果関係である“縁”によるものである・・・・

そして、直接的な因果関係はまだ理解をしやすいが、間接的な因果関係を理解することは非常に困難なのである・・・釈迦もこの点では普通の人には、不可能ではないが不可能に近い、つまり、現実的には無理であろうという趣旨の言葉を残している・・・

ジョージ・オーウェルは端的に「いやしくも物を考える人間なら誰でも、頭脳の内部で起きていることを描写するのに、私たちの言語は事実上役に立たないことに気づいている」とも云っている・・・・

では、多くの人達、特に若い人達は、自問しても生きづまり、同じ過ちを犯す人が余りにも多いのは何故なのか、一つは正に本当の有りの侭の自分を傲慢な思い上がりというプライドに縛られていて、自分を、馬鹿で醜い自分を受容できない・・・そして、受容できないから、自己のバイアスに縛られてあるものが見えない・・・・

正しい現実と正しい自分自身が解らなくて折り合いが付けられる訳がないのである・・・・最近、Kozyが無意識のうちに何度も口にする言葉として、“人間の持つポテンシャルとして(つまり、脳の構造的な特性より)、誰もが素晴らしく成長する可能性を持っていると同時に、最悪の人間になっていく両面を持っている”・・・つまり、人間みな大なり小なり大して変わらないのである・・・・

また、生命の恒常性より、最悪の人間に100%なれる人はいない・・・残念ながら、凡人では100%善い人にもなりきれない・・・これも人間の本質の一つなのである・・・・だから、誰もが悩むのです・・・・

つまり、くだらない虚栄心に縛られて不幸になっていくか、人間が故にちょっと油断すると不幸になっていく構造、つまり、自己の悪さ加減を正しく強く認識して自分に常に言い聞かせることにより、幸福な人生を全うするか・・・これが人生の分水嶺になるのである・・・・

本Blogで何度か触れたことがあるが、関西には金儲けの三かき・・・という言葉があるが、汗をかき、義理を欠き、恥をかくことの三つの“かき”を実行すれば金儲けが出来るという意味であるが、この深い含意は、人間が幸せになるには、あるべき三かきをすれば善いと理解をしている・・・・

つまり、努力という汗をかかなくては幸福を求める資格がない・・・・

本当に守らなくてはいけない義理とは、何なのかを掘り下げることなしに、不必要な義理に縛られているようでは幸せにはなれない・・・・つまり、自分を守ってくれた人ではなく自分を支えてくれた人達には感謝の念を忘れない・・・出来るお返しをする・・・出来ないことを誰も期待していない・・・・・

本当の恥とは何なのか、このことを掘り下げることなしには、幸福にはなれない・・・つまり、恥とは、自分自身で感じるだけの感情であり、その結果耳が赤くなる状態を表した漢字なのである、周りへ自分の虚栄心を示そうとして、それが受け入れられないから感じるものではない・・・・

また、個人には個人の個体差および各個人の固有の経験があるが故に、本当にどれだけ出来ることを頑張って実行してきたのかは、論理的には自分自身しか判らない・・・しかし、未熟な人は、人に褒められたいと思う、たとえ十分やれることを実行していなくとも、褒められることで自尊心を維持したつもりになってしまう・・・

この様な自尊心は、やれることを頑張って実行しなくても褒めてもらえる状況に、自分自身が甘えてしまう・・・つまり、脳の持つ怠惰性にマケ癖をつけるだけなのである・・・・・本当に褒めることが出来るのは論理的には自分だけである・・・この歴然たる事実を忘れることにより、馬鹿げた恥に縛られる・・・・・

以上で少しは理解を深めていただいたと希求するが、関西で云われる“金儲けの三かき”とは、自分自身が大事だと思っている恥や義理をかくという実践を通じて、それまでの社会的な通念を再学習する、そして本当に守らなくてはいけない義理と本当にかいてはいけない恥とは何なのかを体得することが、結果として、お金がついてくる・・・・幸せになるのに十分なお金はどれほどのものかを体得させてくれる、人生のトレーニング・コースの一つであると、Kozyは、理解している・・・・

季節柄、五月病の時期であるが、サラリーマンの格言の中に“三日、三ヶ月、三年”というのがあるが、この説明は以前しているので省略するが、今回は、この意味の中で、“現実と自分の折り合いをつける”という切り口で紐を解いてみると、・・・・・・・・

最初の三日間で社会人として生きていく覚悟の表出として、学生時代の怠惰な生活からの決別が試される・・・

最初三ヶ月で、現実と本当の自分の直視能力が問われ、その体得具合が、自分自身の言動に表出してくる・・・仕事においては、全体の流れがわかっていない、如何分担して仕事をしているかがわかっていない、また、頭でわかっても体が自動的には反応しない、つまり、経験とはこの反応速度を高める事でもある事を解っていない・・・・

人間は過去に習得した知識や経験を通じて、自動的に反応する回路を作っているが故に、新しいことに対する面白さや重要性の理解は直ぐにできない、それ故、端的に言うと失敗をするように出来ているのである、失敗はこのレベルでは、自分がやれることをやっている限りにおいては恥ではないのである・・・・・

人間が人間である為には、これらの失敗から如何に多くを学ぶかが問われるのである・・・・困ったことに社会人になる前までの成功、つまり、社会的なスキルは、其れまでの、たとえ同世代であっても限られた人間社会で有効であったスキルであり、如何世代の中でも非常に多くの多様性があり、世代が異なれば社会的な文脈の異なりより、更なる多様性がある・・・

上述のような社会的なスキルは、失敗の傷を大きくしてしまうだけのものが多いのである・・・・

そして、三年もすれば、“本当の現実と本当の自分との折り合いをつける方法論=スキル能力”が表出してくるのである・・・だから、組織社会の中では三年で一生が殆ど決まってしまうのである・・・・・・・

また、標準的には22歳で就職すると考えると、25歳という年齢になるが、脳科学的にはちょうどこの年齢で、自分の中での判断基準の優先順位が一旦固まってしまう時期と重なるが故に、三年間での学習は大きな効果を生むのである・・・・つまり、他の人より悩みが少なく成長が出来るのである・・・・・

しかし、現代という時代は、技術革新が人類史上、最高のスピードで進展している。昔から、Kozyは多くの大人の愚痴を聞いて、また、社会人の生き様を、母が独身寮の寮母をしていた関係で、若くして人間の成長の問題、そして、社会のメカニズムを感得してきた・・・・・・・・

通常の人には味わえない環境に身をおいてきたゆえ、“自分の人生は25歳までに決めろ”と自分にいい書かせると同時に友人にはアドバイスをしてきた・・・・・脳科学の最近の知見からは、この捉え方は正しかったと確信している・・・・

現在という時代では、技術革新が齎す価値感の変化のスピードの高速化が、昔はまだ25歳までといいえたが、今では、25歳までの経験と習得したスキルでは、不十分になってきていると確信している・・・・・・・

正に一生、それまで体得したものが、現実と折り合いが付けれなくなったら、速やかにそれまでの価値観から知恵ですら棄却して、白紙の心で現実を直視して、自分を直視して、折り合いをつける=再学習の連続である・・・このことが、人類史上で一番強く求められる時代に入っている・・・・・

この様に考えると、今や、虚栄心は言うまでもなく、プライドの類の殆どが維持するのではなく、何時でも棄却できる存在として捉える生き方が求められる時代認識が必要になる・・・正に、赤ん坊のように白紙の心で何でも経験を厭わずに、経験を通じて再学習された実学ですら、棄却する為の強い仮定であると捉えることが必要なのである・・・・・

新しい経験、より深い経験等は、嫌なことと感じるのは当然です・・・みんな同じなのです・・・大事なことはそれまでの限られた経験により醸成された自分の殻に回避をしないことです・・・この回避行動をしていくことは、ますます、折り合いを付けることが難しくなっていくことなのです・・・・この様な馬鹿げた選択だけはしないで欲しい・・・・・

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March 06, 2008

自分の第一印象にも責任を持とう・・・

自分が若かったときも含め、若い時は、周りのステレオタイプの認識や、勝手な思い込みに対して、自分はそうではないとの反発を何度も持ったことがある・・・しかし、良い悪いは別にして、経済における市場主義の重要な側面は否定できないように、自分の存在価値は、決して自分で決めるべきものではない・・・つまり、如何見られるか、これが現実という事実なのである・・・・

マーケットがどのように認識するのかを正しくつかむ事が、商売の成功の基本であるように、人間成長においても、周りの人が自分を如何見ているかを正しくつかむ事が重要になる・・・・

多くの人が、コミュニケーションや相手の説得に悩んでいると思うが、コミュニケーションの成立為には、伝えたい情報の中身は7%しかなく、ボディー・ランゲージが55%、そして、声のトーンが38%と報告されている・・・・そして、これは、本質的には、自分が如何認識されているかということである・・・

一方、説得力についても、その中で正論の割合は20割に満たない力しかない・・・最近では17%位に下がってきている・・・これ以外の力は、基本的にはケースバイケースであり、如何に信頼を得て、相手の恐怖感を取り除き、情動と理性の方向性の一致を測るしかない・・・・

コミュニケーション能力も説得力も、先ず相手が自分自身にどのような認識を抱くかに大きく依存するのである・・・このことを信頼性といわれているのである・・・関係性が既に構築されている場合は、自分自身の普段の言動が相手の如何理解されているかに依存する・・・・つまり、この二つの能力の無い人は、関係性の構築されている仕事の場合などは、正に自業自得なのである・・・・

しかし、初めて会う人達とのコミュニケーションと説得は、自分自身が相手に与える第一印象に大きく依存するのである・・・また、人間の幅や成長を促す要因としては、より多くの人達との初めての、出会いが如何に良いほうに展開していくのかにも大きく依存するのである・・・・

因縁生起という言葉の通り、直接の因果関係を示す“因”と間接的な因果関係を示す“縁”により人生は進んでいくのである・・・・ある研究においては、現在おかれている状況は“因”が6割、“縁”が4割とも報告されているが、縁があってお会いした人達と、たとえ一言も口をきくことが無くても、そこから、つまり、第一印象だけでの判断で、正に、縁起の良い、または、悪いことがおきていく・・・

縁起とは、縁があり、生起されたものが元の意味である・・・・決して、ラッキー!!!・・・というものではない・・・・

第一印象で人を判断してしまうことは論理的には危険なことであるともいいえるが、脳と体の筋肉、脳と体内の臓器等、脳とホルモンと筋肉・臓器、そして、脳と表情筋の密接なつながりの科学的な解明を見るに、人間の脳の本質はファジーではあるが、ファジーであるが故に、むしろ、それなりに第一印象は正しく捉えられていると考えるべきなのである・・・・

カウンセリングをしていると、心理学においても、非言語コミュニケーションとかNLPとかの分野があり、それらの知見が科学的にも追認されてきている・・・・また、概念的な説明をすると、普段の生きる姿勢からでる反復される言動が、種々の経験、むしろ、トラウマの場合も多いが、それらにより、Voice ToneやBody Languageに表出し、また、表情筋に表出されるのである・・・・

学生などへの講演では、二十歳を過ぎると自分の顔に責任を持つべきであると個人的にはいっている・・・米国のリンカーン大統領は、三十歳を過ぎた人間は顔だけを見れば、陳情を聞く価値があるかないかは、判断できるといって、顔だけを見て面談を断っていたという話もある・・・・

また、人間は知っている全ての人をある分類で整理をしないと、その人に合うのが不安になる為に、勝手に判断することは普通の人にとっては必要なのである・・・これらの人が大多数なのである・・・・

表情筋においては、顔の表情にあらわれる基本感情は、意識的かあるいは無意識にその心理過程が、約30(今では50以上ともいわれている)の表情筋によって形成され、静的特性と動的特性が伴う。・・・・つまり、覚醒された表情としみ込んでいる表情がある・・・・

Ekamanは、この顔の表情から人が読み取ることができる感情には、・怒り、・悲しみ、・恐怖、・驚き、・嫌悪、・喜びの6つの基本感情があり、これらは国や文化を越えて共通しているということを日本、米国、チリ、アルゼンチン、ブラジルにおける調査で明らかにした。・・・・・

その後、Ekamanは、軽蔑を加えて、これらを人が読み取ることができる7つの基本感情とした。日本では、日本人の特性を考慮して、・羞恥を8つ目の基本感情と提案している・・・・また、これらの表情を分析する場合には、その再現性の問題と解読能の教育ということが重要になる・・・・

そのための手法のひとつに、Ekman&Friesenは、顔を3つの領域にわけ、特徴的な表情筋の動きで、各感情をコーディングするFACS(facial action coding system)を提案した。・・・・顔の3つの領域とは、顔面上部(眉、額)、顔面中部(目、眼瞼、鼻梁)、顔面下部(頬、口、顎)である。このなかで感情が最も表れるのは、目と眉の部分である・・・・

カウンセリングを通じて、個人的にはクライアントの主に目の醸し出す印象で、Kozyは、ポジティブな姿勢を持っているか、ネガティブな姿勢に縛られているかを、判断しているが、間違ったことは無い・・・勿論不明な人はいるが・・・・

また、グループセラピーの一つに、例えば、ジャングルで一緒に暮らすとすれば誰が良いですか、その人の肩に手をかけて並んでください・・・との指示でいっせい動くゲームセラピーがあるが、多くの人が自分が回りに与える印象に驚きを示す・・・つまり、自分自身の人に与える第一印象を掴んでいないのである・・・・・

Kozyは商社からメーカーに転職の折に、技術者達の価値観やステレオタイプの特性を、大学時代に嫌というほど学習していたので、黒ぶちのメガネをかけると学校の先生のような真面目な印象を与える為に、約一年は伊達メガネをかけていた・・・不必要な第一印象による誤解を避ける為であった・・・・

また、お洒落でいることは、こいつは外見ばかりに気を使い仕事に真面目に取り組んでいない・・・と捉えられることを、逆にバネにして、人の何倍かの仕事をしていく事を自分自身に課してお洒落と仕事の継続をしてきた・・・・

そして、昔から、よく人に言われるのは無限に優しい目をしているといわれます・・・これは、まだ個人的な仮説の域を出ませんが、ポジティブ思考とネガティブ思考の両方を上手く切り替えている、また、現実の受容と、それに伴う愛他性を習得していることから生まれると捉えています・・・・

この様なことなどが、全て第一印象として全て表出してくる・・・だから、常に第一印象をチェックして、真摯に内観することが大事になる・・・また、もはや、科学的にも正しいことになりつつある・・・

自分の第一印象にも責任を持つべきなのです・・・・

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September 12, 2007

組織体質改善の日本企業における最大の弊害は・・・・・・

サラリーマンの格言の中で、入社後三年間管理部門にいたものは営業では使いものにならない・・・・というのがある・・・・これは最新の脳科学の知見に符合することでもある・・・・・

新入社員は、今の様に大学院卒は殆どいない時代であり、22歳で就職をして、三年後とは25歳である・・・つまり、25歳で脳の発達が終了するが、その最終のメイン回路である、将来展望を考えてのリスク・マネジメントの回路の完成の仕方に、殆どの人間は大きくその後の人生が縛られるということである・・・・・

この点では、最近は大学院卒が増えてきているが、より適応し難い人たちを採用している側面がある・・・・

さて、管理部門と営業部門とは、言い換えるとライン部門とスタッフ部門ということになるが、石の上にも三年・・・という言葉がる様に三年間同じ部門の文脈の中に取り込まれていると、仕事に関する捉え方と取り組み方が、25歳前であるが故に、その後の仕事人生にまで多大な影響及ぼすのである・・・・・

Kozyは、営業部預かりとして、入社後6ヶ月間、販売経理、営業会計、国内および輸出入の受け渡しの基本のOJTを受けてから営業に移った。そして、営業とは結果だけが重視される部門であり、どんなに重要な開発営業をしていたとしても、結果が出るまで評価はされない・・・・そして、仕事が順調なときは、むしろ残業は不要であり、クレーム等の問題が起きた時が残業になる側面を持っている・・・・・

クレーム処理などは、相手があることが故に、説明等の対応で深夜まで仕事をしても、顧客の反応が来るまでは上手く言ってくれるのかは解らない・・・・いい返事がきてくれよと祈る気持ちで足を引きずり帰宅するのである・・・・この中で、自分で考え自分で判断して行動していくことが、顧客からの反応が悪い場合でも、自分で納得がし易いので、自己リスクをとることの重要性を学んでいく・・・・

そして、相手の価値観をどれだけ理解できるかが非常に大事であり、これは、試行錯誤の中で、また、仮説の設定と検証を通じて行って行くことの大事さを学ぶ・・・・・また、クレームは、顧客の価値観を知るには最高の機会であり、一般的に、クレームの素晴らしい解決は、その後の商売の飛躍的な発展に結びつく・・・・・このことを体得し、仕事の本質として捉えることが出来るようになる・・・・

つまり、営業部門では、思慮を重ねて思いつく中で一番善いと、つまり、より善いもの=The Betterを積み重ねていく、リスク・テイキングになれており、また、評価は結果が全ての加点法の側面を持っている・・・・

しかし、管理部門は、残業の多さが仕事の負荷を示す構造を持っており、仕事は遣ったとこまでは終了という側面を持っている・・・つまり、遣ったことが如何いう結果として出てくるかは、明白であり、遣り方も多くは洗練されており、そこにはベスト・プラクティスがほぼ確立されており、実績のある方法が重宝される構造を持っている・・・・・・・

また、この構造にも起因するが、やり方が確立した仕事でもあるが故に、評価は当然原点主義が支配的になり、これが仕事だとの幻想に縛られてしまう・・・・・・

一方、組織体質の改善は、非常に多次元であり動的なものであるが故に、普遍的な解は存在しない・・・常にバランスのコントロールが求められる・・・・残念ながら、日本社会では、教育界と産業界の交流は非常に少なく、産業界からは、本当に優秀な人材を産業界に送り共同研究をする風土はこれまでは殆どないのである・・・・・・教育界から産業界への優秀な人の転身も殆どない・・・

元々は、象牙の塔という言葉は、英語のIvory Towerという言葉の直訳であったが、日本の産業界では、学者さんとか先生とは、実学を理解できてないという意味での差別用語として使われており、日本での、特に社会科学関係の産学の本格的なコラボは、存在していないといってもよいであろう・・・・・・・

しかし、米国においては、プラグマティズム=実用主義、即ち、実学の科学的な研究を行う土壌があり、盛んな交流が行われており、大きな成果を挙げている・・・・・また、昨今のPCの発達とコストダウン、および、統計解析技術の発展は、解析のトップレベルの人に言わせると、もう全ての社会科学は自然科学の分野になった・・・・とまで言われるほど発達してきており、米国のSASの発展がそれを証明もしている・・・・

また、この統計解析の技術向上に伴い産業・組織心理学の分野も飛躍的に発達してきており、更に脳科学の分野では次々に新しい発見がなされてきており、学際研究の研究が産業界を巻き込み大きな発展を、米国では成し遂げている・・・・・しかし、残念ながら、日本と米国では社会的な文脈が異なる為に、米国の多くの知見はそのまま適用することは出来ないのである・・・・・

真に組織体質改善を望むのであれば、種々の最新の知見の勉強をし、日本および日本の組織固有の文脈という事実を掌握する・・・マーケッティングと同じく、層別をして事実を掌握して、組織固有の解を求める必要がある・・・・・・

つまり、実績のない新しい解を求める必要があり、この事は専門知識を必要とするが、米国系コンサルは米国での研究成果をベースにしており、そのままは適用できない・・・吟味して修正をする能力が企業には必要になる・・・・残念ながら、日系のコンサルには、これらの全ての知識と研究結果を持っているコンサルは存在しないのである・・・・・・・・

経営者の怠慢の問題はあるが、経営者とて全ての専門家になるには無理があり、少なくとも大企業では、戦略的に自前の専門家の育成が急務となってきている・・・・この専門家は、加点主義の評価で、且つ、試行錯誤、つまり、The Betterを繰り返し求めていく人が必要となっている・・・・・

このような状況下で、長年人事部門、または、管理部門で仕事をしてきた人達は、体質として保守的であり、実績主義であり、新規制のあることに取り組むことが必要であるにもかかわらず、取り組むことは出来ない・・・・・

体質改善は、人事とのコラボの必要な部分はあるので、人事部をスタッフ部門として持つ、新しいライン部門の設立なしには、また、そのキーマン達は、管理部門以外のその部門で実績を上げている人を登用することが必要になる・・・・・

そして、全ての関係の知見を理解して統計解析の最新の方法に熟知した人をアドバイザー、または、カウンセラーとして指導を仰ぎ、吸収していくことが必要になる・・・・Kozyは、このアドバイザー・カウンセラーの必要性を痛感して、その為の勉強と研究をしてきた・・・・・・・

この上述した趣旨は、ある大企業の元人事部長の退職の挨拶で述べられていた本質を噛み砕いたものである・・・・・・

Kozyの意見としては、日本の産業界が、正しい時代認識が出来ていれば、優秀な大学とのコラボをする為に、れるをなして多くの企業の人間が訪問すべき時代だと思っている・・・・ノーベル賞の多くの受賞者を輩出している、サンタフェ研究所は、複雑系の科学のメッカであるが、その中心が最新のコンピューター解析であり、Kozyと同じ時代認識に基づき行動している・・・・・

日本の産業界は、このままでは経営手法で米国に大きな差をつけられると危惧している・・・・産業界に警鐘をならしたい・・・・

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July 07, 2007

来年正社員になる人達へのアドバイス・・・

来年より入社する、正社員としての内定者の方へ、内定おめでとうございます。そして、より自己成長しにくい環境への参入、御愁傷様ですと申し上げたい・・・・・・

サラリーマンの経験則としての格言として、・・・・・就職バブル期または、好況期に入社した人間は伸びないというのがある・・・・この点では、より強く自己を律して、想定される以下の問題に対して、深い理解をして、自己を律して生きていく必要がある・・・・・しかし、この事は、格言が示すように容易いことではない・・・・・・・

サラリーマン格言には、もう一つ留意して欲しいのが、・・・三日、三ヶ月、三年・・・・というのがある・・・・・先ずは、この格言の意味を説明しながら、容易に入社できた人たちが乗り超えなくてはいけない点にふれたい・・・・・・

三日とは出社して三日、および、職場に配属されて三日間という意味であり、この三日間とは、生活のリズムを変えてなじむまでの時間ということである・・・・つまり、学生時代の自由で、ある意味では怠惰な生活から、満員電車に乗り朝早く起きて通勤するという、敢ていうと、自分のそれまでの怠惰性をすっきり切り替えることが出来るか・・・・が観察される・・・・・

この切り替えには、言葉遣いや、異なる価値観を持つ組織の諸先輩との交流に積極的にかかわることが出来るか・・・・・つまり、会社に如何関わっていくかの覚悟が現れるものであり、この覚悟が観察される・・・・・・

ここでの覚悟の度合いが新入社員としての第一印象の形成に大きく影響をする・・・・配属されたどの職場も、先輩達は少なくとも9時から5時までの時間を要する仕事という負荷を負っており、その負荷の中で新入社員に教える時間を割くのである・・・・

また、一般論として、人が足りないゆえ、新入社員を迎えるわけであり、新入社員を迎える部署は他の部署より仕事の負荷が多い・・・・・好景気の証でもある・・・・このような好景気の時には、誰でも仕事の負荷が高いゆえ、指導する時間を取れない言い訳が成り立つのである・・・・

一方、不景気のときは、即戦力で例えば営業に放り込むのでなく、管理部門で企業のメカニズムをよく教えて、教育に時間を割いていること自体が仕事として評価される・・・・

好景気のときは、忙しすぎて教える時間がとり難いのである・・・・・こういうときに誰も指導してくれないと、入社前に金の卵的に扱われた人は、自分勝手の罠に陥る・・・・何々がわかりません、時間が余裕が出来たときに教えてくださいとメモを書き、相手の時間の都合を優先する・・・・ここまでの姿勢があって、先輩は反省をして教えてくれる時間を作ってくれる・・・・・・・

つまり、この三日間で働く覚悟と相手の視点で、どれだけものごとが見れるかが観察される・・・・不況期の新入社員は、採用して頂いただけで恩の字であるという姿勢がある為に働くことに前向きになりやすく、更に教える先輩にも時間的余裕がある・・・・・

この三日間の姿勢が悪いと教える気にならない・・・・・教えてくれない先輩が悪いのではなく新入社員の姿勢が悪いのである・・・・

さて、職場に配置後三ヶ月とは、最初の三日間で第一印象を植え付けるが、そこでたとえ悪い印象を与えても、自己反省がすぐ出来る人は、リカバリーが出来る・・・・そして、この三ヶ月では仕事への取り組み姿勢が、つまり、仕事へのやる気だけでなくどの様に効率的に理解できる術を知っているかが、また、仕事への責任感の強さが観察されるのである・・・・・・

仕事は三ヶ月もすれば、仕事の流れ、何がポイントになるか等々の理解が出来、だいたいこなせる様になるのである・・・・・・・しかし、初めてのことに多く直面をするし、わからない中で学んでいくことは不安を醸成して、嫌になることもある・・・・

ここで同時に観察されるのは、経験を通じて学んでいく姿勢の確立と、その忍耐力でもあるのです・・・・

就職バブルのときに採用された人は、この時に、こんな仕事は自分の期待していたものと違う・・・そして、別の会社に何時でもいけると思い、やる気をなくしてしまう・・・・また、管理職を見ていると、何十年後は、成れの果てとして、ああなるのかと思い、会社への希望までなくしてしまう・・・ここから転職に希望を見出そうと考え始める・・・・・・

しかし、仕事の面白みは深く広く経験しないと理解が出来ないのである・・・また、サラリーマン格言に、・・・会社は選べても上司は選べない・・・・というのがある・・・・・そして、転職をすぐ考えるような仕事への姿勢では、学べるものの半分も学ぶことは出来ないのである・・・・・

自分のお父さんの人生を良く見て欲しい・・・・家庭を持ち、子どもを持つことは、仕事以外にも大きな責任を背負っているのである・・・・この責任が人を成長させるのであるが、責任に潰されるのが普通の人たちといわれる多数派なのである・・・・・

自分らしく生き続ける事は、大変な努力と胆力が必要なのである・・・・・・つまり、権利と義務の関係でもあるのです・・・これが自由主義の本質でもあるのです・・・・・

三ヶ月の間に、上述したようなことが周りにより観察されるのである・・・・周りの本人に対する言動は、本人が普段の言動により、周りに与えたイメージに基づくのである・・・・・敵は周りではなく自分なのです・・・・・・・

さて、最後の三年間とは、どれだけ仕事に対して、上手く早く理解する能力が観察されるだけでなく、経験より学ぶ姿勢をどれだけ維持して、より広く且つ深く仕事を掘り下げて理解していくのか、実は、この経験を通じて仕事への興味が増すのであり、また、必死に仕事を取り組んでみることにより、自分のやりたいことが解ってくるのである・・・・・

つまり、それまで仕事を深く関わり理解していない大学生には、本当に自分の好きな仕事というのは、理解できないのが当たり前なのです・・・・・・・

この三年で多くの企業は正式に評価を始める・・・つまり、ここまでは待ってくれる・・・しかし、この最初の評価は、総じて一生の評価につながる・・・・・・同期の多数派の人の考えに流されない覚悟が必要です・・・・・

企業には面白いように、不作の何年入社、豊作の何年入社というのが歴然と存在します・・・・・・

そして、21世紀に求められる社員とは、単純な仕事は、アウトソーシング、専門的な仕事も、専門家がいつもいるのであれば、内部で育てるが、そうでなければ、委託することになる・・・・・そして、時代の変化のスピードは非常に速くなっており、工場労働者だけでなくホワイトカラーも、多能化が要求され、全体を通じたシステマティっクな理解力も要求される・・・・・・

社内外のコミュニケーション能力、そして、社内外との折衝能力が求められる・・・・社内に関していえば、コミュニケーション能力も折衝力も社内にどの様なイメージを確立するかに大きく依存するのである・・・・また、社外に対しても、エイブラハム・リンカーン元米国大統領も言っているように、普段の言動でどうしているかがその人の顔に現れてくる・・・・・・・・

不況期に入った新入社員は、雇っていただいたとの感謝の気持ちを会社に対して持ちやすいが、就職バブルのときに入社した人は、この感覚が持ちにくく何時でも就職の時と同じようない簡単に転職できると・・・また、別の会社にいけるとの思いが目の前の仕事への真剣さを阻害するのである・・・・・・・

ご存知の様に好景気が永遠に続いたことはありません・・・・たとえ好況期の転職であっても、その場合は即戦力を求めることが多い・・・転職したくなるような仕事振りでは、採用する側は、最近は人事部問より採用したい部門の責任者が、人事には任せられないとして面接をすることが増えている・・・・・・

これらの職場の代表の面接官は、自分の職場において、駄目になるやつの特徴を体得しているので、一緒に仕事がやりにくくて教えるのも効率的でないと判断をして採用に反対する・・・・

また、転職とは、公募の場合はどうしても採ってあげたという姿勢が受け入れる側に生まれ、なじむのに時間がかかることが多い・・・・しかし、スカウトとは、来て頂いたという姿勢で迎えられるので、溶け込みやすい側面がある・・・・・限られた人生ではこれらの点での効率も大事になる・・・・・・

Kozyは転職するなとは言わないが、理想はスカウトされるのが一番であり、スカウトされるだけの実力を養うことが善いと思う・・・・また、転職の場合は、現在いる職場が嫌だからという逃避的且つ回避的な目的では、説明の通り危険すぎる。・・・・・・

この職場では修得すべきは取得したが、自分のやりたいことの為には、これこれの経験および習得したいものがあるので転職するというような、目的が明確化された状態で、チャレンジとして、また、失敗も覚悟の上での転職は善いと思う・・・・・

最後に、サラリーマンの格言の中で、・・・・・仕事の成果報酬は仕事なり・・・・上手く仕事をこなすと、もっと深く広く仕事をしたくなると言うことである・・・・・

また、もう一つ、・・・・仕事は忙しいやつに頼め、とか、仕事とはやればやるほど増える・・・というのがある。ある意味では地獄図のようにも見えるが、これはその社員への信頼の証でもあり、やればやるほど能力は向上していくのも事実である・・・・

能力における二倍や三倍の差は、すぐついてくるのが仕事でもある・・・・・・これからの時代は、この能力の差が、より大きくなる、つまり、独創性

がより必要となってくる時代であり、本当の実力をつけていくと、ワークライフバランスを始めて自分の好きなように交渉できる時代に入る・・・・能力のない人には、ワークライフバランスの構築以前に職そのものが危なくなる・・・・・・

20代は、とにかく目の前にある仕事に、注力して、全体がわかるまで、常に掘り下げて考えて取り組むことをアドバイスしたい・・・・・

また、本Blogのメインテーマである、三つの人生の理解と三つの目の活性化の実践をしていただければ、案ずるより生むが安し・・・・・

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April 26, 2007

出すぎた杭は打たれない・・・・

“出る杭は打たれる”・・・のが、あたかも日本だけの特質の様に言われているが、妬みをかうこと自体は、人間の弱さに起因する万国共通のことである・・・また、集団の規範に対する敵対行動も、攻撃されるのも万国共通のことである・・・・

では、何故日本においてのみ、“出る杭は打たれる”との言葉が、あたかも日本の企業だけの特筆の様に言われ続けているのであろうか・・・・以前、“馬鹿社長は、馬鹿社員が作る”との発信をしたが、背景にある問題の構造は同じであると捉えている・・・

また、人間の弱さの本質は、変化への抵抗をすることにある・・・・つまり、変化を支持すれば、自分自身が変化することに責任を持つ側面があり、その変化に伴う苦痛を避けたいという、弱い人間=自律できていない人間の回避行動でもあるのである・・・これも万国共通なのである・・・

多数派の日本人が、出てきた杭を自発的に打ちにいかなくとも、それを黙認する・・・黙認は容認であり、結果としては出る杭を打つことを指示している・・・このことを、あたかも自分ではなく、他人が出る杭を打っているということにより、責任回避をしている・・・・

つまり、日本人の甘えの構造に他ならない・・・このことを日本人は認めるべきである・・・しかし、米国の様に、企業内システムとして、職務規定がはっきり規定され、権利と責任が明確に規定されていると、“出る杭”の場所により、権限と責任までハッキリしているので、決めるのは誰だから、言うだけはいったで終わるところに違いがる・・・だから、出る杭は打たれるということは、心理学的には当たり前のことであり、何の話題にもならない・・・・

Kozyは、奇人変人とか、社内の落合博光、とか、小泉潤一郎、とか、その都度の社会を代表する人が変化する度に色んな風に呼ばれてきた・・・しかし、これらの発言は、あいつはしょうがない、あいつは下手に攻撃すると、こちらが火傷する・・・等々の諦めの発言であることが文脈上理解できると思います・・・・・

つまり、“出すぎた杭は打たれない”のである、畏敬の念で見られる様になるのである・・・・・

余談だが、あるとき上司と議論をしていたときに、なんの話かは忘れたが、“自分は技術者ですから”といったら、上司より、“奇術者”と言い返されたことがある・・・至極名言であり、つい思い出してしまった・・・

では、出る杭と出すぎた杭の違いは何であろうか・・・・

出る杭で終わる人の特徴:

* 机上の知識だけでの発言であり、三現主義に基づく、事実に基づく理論展開が出来ていない。
* 発言が影響を与える前提は、発言者の普段の仕事への取り組み姿勢からくる信頼感であり、それがない。
  (変化の必要性を叫んでも、言いだしっぺが率先して動く必要があるが、誰も動くと思わない)
* 発言の趣旨が、全体の会社の利益でなく、個人の興味、自部門の都合に基づく発言。

出すぎる杭の人の特徴:

* 三現主義に基づき、事前に調査および事実確認をしていての提言をする。
* 提言が認められなければ、その判断基準・理由を明確にして、その後の会議で修正提言をする(すぐには諦    めない)
* 普段の仕事への取り組み姿勢が評価されている。こいつの言うことには傾聴の価値があると認知されてい    る。
* 変革への自己犠牲を厭わない。提案者が一番わかっているので、自分の本来の仕事でなくても、自分が率   先する。または、手伝う。

“出る杭で終わる人”は、まさに、さんよんさんの下の三への候補生であり、現実に基づく理論構築が出来ない人。また、自己犠牲という泥をかぶる胆力のない人なのである。・・・・

“出すぎる杭の人”は、現実に基づき構想して、全社としての利益を考え、リーダーシップとは、究極は自己犠牲を何処まで出来るかの胆力の問題であると理解している。まさに、さんよんさんの上の三の候補生なのである・・・また、仕事の効率を常に感が実行している人たちなので、自分自身で余裕の時間を作り出せるから、自己犠牲の時間を取れるのである・・・

このような能力は、仕事に真面目に且つ真剣に取り組むことにより、生まれてくる能力なのである・・・・全社の中で、この件に関しては自分が一番知っている・・・ここまでの確信が持てるまで到達すれば、交渉の迫力も増す・・・

今まで何人もの、出る杭で終わる人を見てきたが、知識も着眼点もよい人がいたが、真ん中の四の人に目線を合わせて表現できない。また、真ん中の四の人たちを馬鹿にしているのが見え見えであり、多数派工作は出来ない・・・当然自分が犠牲的行動をすることもない・・・・まさに、文句ばかりで、何も貢献しない人になっていく・・・・くだらないプライドに縛れて自滅していく・・・・

変化を求めるなら、まず、自分から・・・・自分自身が変化できなくて相手に求めるのは、子どもと同じである・・・・だから、仕事の場は、自己成長に最高の場でもあり、最高の機会でもある・・・つまり、自分を磨くことが仕事の本質であるのです・・・それまで見えなかったことがどんどん見えてくるようになる・・・楽しい創造に場にもなるのです・・・・

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April 23, 2007

善い仕事人間と悪い仕事人間・・・・

新入社員や若い人の多くは“ワークホリック=仕事中毒=仕事人間”は軽蔑すべき悪しき事と思い込んでいる人が、残念ながら圧倒的多数派ではないかと危惧している・・・

人間は、本Blogで何度も“三つの人生論”で述べているように、第二の人生として社会人になることは、それまでの限られた経験および現実社会では通用しない知識に囚われた行動および思考のパターン化されたもの、バイアスであり、ステレオタイプでもある自分からの開放が必要で自己成長である・・・・

この開放とは掘り下げると不必要なあらゆる恐怖感からの開放をもたらすものであり、一時的ですぐ消えふせる快楽と異なり、恐怖感からの開放という永続的な快楽=安らぎをもたらすものである・・・・

この為にいったん脳内に刷り込まれたパターン化されたものを修正および向上させる為には、やったことのない経験に自発的に取り組む、経験したことのない深い次元までの理解に貢献する経験を喜んで取り組むことが必要になる・・・・

つまり、仕事における新しい機会は、まさに、自己成長のための宝箱のような存在であり、仕事の全体的な理解は、自己成長のための方策に対する大きな気付きの宝庫でもある・・・・この学習は仕事中毒=仕事人間として没頭することより、唯一習得されるものなのである・・・・・

Kozyは、敢て若い人たちに、これらの意味において仕事人間になれ・・・そうすれば、大きな、また、速やかな自己成長への道が見えてくる・・・・

しかし、やってはいけない事がある・・・・あくまで主体的に且つ能動的に取り組むのは善であるが、受動的且つただの忠誠心で取り組むことは悪なのである・・・恐怖をより感じてしまい、恐怖感のとりこになるのである・・・・恐怖感は個人の尊厳まで破壊していく・・・・

孔子曰く、・・・君子和して同ぜず、小人同じて和せず・・・“和”とは寄せ鍋の様にそれぞれの食材が個性を発揮して全体としての最高の味を構築すること・・・“同”とは水の様に全てが同じになってしまうこと・・・小人と君子の分かれ道は、主体的で能動的であるか、否かなのである・・・・

念の為であるが、主体的とは、自分で考え、自分で決断する、自分で行動することである・・・しかし、仕事のメカニズムに疎い若い人は、先ずは、言われた事をやってみて、それから考えるということである・・・自己を保持して生きることは、知らない事は先ずやってからでないと判断能力がないことを忘れないで欲しい・・・

尊敬できない先輩達をよく観察して欲しい、何が尊敬できない人間にしてしまったのか・・・彼らは昔の新入社員で意欲は若いときは皆同じであったのです・・・・尊敬できない先輩の愚痴には、嘘はなく学べることが多い。・・・・・

この愚痴も出来たらアフターファイブでは聞きたくないであろう。これも仕事に没頭することにより、たとえ尊敬できない先輩と一緒であろうと、意義ある愚痴が聞ける機会が増えるのである・・・・

恐怖感に負けてはいけない。これを続けると“学習無力感”という、洗脳と同じ状態に陥ってしまう・・・・これが人生の蟻地獄である・・・・これが、悪しき仕事中毒人間である・・・・

善なる仕事人間になって欲しい、けっして、悪しき仕事人間になってはいけない・・・仕事人間には二種類あることを忘れないで欲しい・・・・・

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February 26, 2007

鈍感力・・・実は古くからのサラリーマンの格言・・・運・鈍・根よりきている・・・・

小泉前首相の発言で話題を呼んでいる鈍感力とは、渡辺淳一の著書“鈍感力”から取った物ではない・・・Kozyの団塊の世代でも知っているのは少数派と思われる、サラリーマンの格言の一つである“運・鈍・根”からきている・・・・

ある世代よりも上の人には非常になじみのある言葉である・・・・・サラリーマンの処世術として、また、サラリーマン社会のメカニズムの一つとして、昔から語り継がれていたものである・・・・意味は、出世・成功に一番大事なのは“運”であり、二番目が“鈍”、つまり、鈍感力であり、三番目が“根”、つまり、根気である・・・・・

今では言われることが少なくなってきたが、もう一つこれに関係するところでは、“一に体力、二に運、三、四が無くて五に能力”という古典的な格言もある・・・・少し自虐的であるが・・・・

敢えて、この一から五を完成させると、一に体力、二に運、三に鈍感力、四に根気、五に能力が、かってのメカニズムであった・・・60歳ぐらいで社長になる大企業は、未だにこのメカニズムが生きていると危惧する・・・

この裏には、サラリーマンのゴールが社長であるという社会的文脈があるからである・・・また、日本の企業社会の良いところでもあるが、内部昇進方式を中心としているところに問題がある・・・・・・・社長職とは専門職であるべきである・・・

つまり、米国の様に管理職を一つの職業として捉えて、その為の養成所がMBAコースであると言うことでは、管理職として急に任されていても、現場のメカニズムの理解が当然すぐには出来ない。また、チームワークをより軌道に乗せるためには、次は自分、その次は自分が管理職という文脈がないと、まとまり難い側面がある・・・・

確かに現場を熟知していることは大事なことであるが、日本で言えば、部長、本部長、事業部長という管理職はMBAに負けない専門職としての能力が必要だと捉えている・・・・この点への価値観の共有化が日本では必要だと捉えているが、儒教国家であるために、年下の上司および女性の上司、ましてや、年下の女性の上司の下で働くことに対して、特に40歳以上の世代には抵抗感が強い・・・・・

それ故に、体力がある人が残ってしまう・・・・確かに60歳ぐらいで一番の激務である社長職を遂行するには、“心技体”の体力がないと正しい遂行が出来ない・・・確かに、総じて社長になる人は元気で体力がある・・・・・

ここで少し、“運・鈍・根”を掘り下げて願意を説明しておきたい・・・・

“運”とは、心理学の研究を見ていても、運がないと嘆く人は、常日頃の努力=根気がなく、自分を抑えられずにカットしてしまう(鈍感力がない)、また、運を見逃さない為の洞察力=能力が無い人が多い・・・・この運を見逃さない為には、まさに“敏感力”を発揮する鋭敏なセンサーを自己内に構築できる必要がある・・・・・

“鈍”とは、つまり、鋭敏なセンサー=敏感力を持っていて、解っている上で、敢えて鈍感になれるように自分を律する力である・・・・これが鈍感力の真意である・・・つまり、超敏感と超鈍感という絶対矛盾というものを、自己内に包含する力である・・・鈍感ではなく、鈍感力・・・・これが大事・・・・・

“根”とは、根気であるが、これは現実という不条理の中で、また、論理的にはコントロールできない“運”に一番依存する社会=企業のなかで、成功または達成の保証のないものに向って、自己内の美学または良心または、誇りに基づき、問題を一つずつ解決していくことに喜びを感じる力が根気であり、忍耐力に強く依存する・・・・・

Kozyはサラリーマン社会だけでなく、この“運・鈍・根”は人間社会の認めなくてはいけない大事なメカニズムだと、今でも捉えている・・・・・

なんとなれば、人間は全員が自己内に矛盾を抱えており、どのように反応するかは、つまり、情動に支配されるが、その支配の仕方は、その人の経験により異なり、誰も他人の経験を追体験して共有化することは不可能であるからである・・・・・

この当然のことの理解が、不必要な過敏症を防ぎ、鈍感力を養う・・・・

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October 22, 2006

愚痴を聞け・・・・人生の蟻地獄の回避策・・・

“愚痴を聞け”とは、Kozyの講演の中での常套句である・・・講演では、“愚痴を聞け”だけを主題にしたことがないので、今回、深く掘り下げてみたい・・・・

何時も“愚痴を聞け、そこには嘘がないからだ!!!”とは、Kozyのもう一つの口癖である“人生・社会のシステマティックな理解”の時に、決まって自分の口をついて出てくる言葉である・・・

つまり、成功者の言葉には、こんな失敗をした、恥をかいた、義理を欠いた、自分がこんなに情けない人間だとは思わなかった等々の成功までに大事なステップを言わない、また美化されている・・・という“嘘がある”・・・・・この文脈の中で言っている・・・

しかし、“愚痴を聞け”には、今まで述べてきたこと以上の、伝え切れていない、含意がある・・・・・

実は、Kozyの母は、大企業の独身寮の住み込みの寮母として、離婚後、四つの企業で働いた・・・Kozyは寮母の息子であり、食事するところ、または、その近くの団欒の場所にあるTVを小学校6年の時から何時も見ていた・・・・寮母に与えられた部屋は小さすぎた・・・・・

それ故、寮生が、食事中とか食後に酒を飲む人から、また、酔って帰ってきた人から、数え切れないほど多く種々の人の愚痴を聞かされて育ってきた・・・・寮生の息子としての弱い立場ゆえ、“うるさい、負け犬!!!”などとは絶対にいえないので、相槌を打って聞いてきた・・・・・

正直言って、当時は、嫌でしょうがなかった・・・・苦行であった・・・しかし、社会システム、仕事は、会社とは、等々の理解には非常に大きな貢献をした・・・・同期の社員が若い時に周りへの文句を言うが、Kozyはそれが現実だ、何を夢見たいな理想を求めているんだと何時も感じていた・・・・

しかし、大企業の中の種々の文脈により起動される恐怖感により、同期の多数派の人間が、元気を無くしていくのを目の当たりに見てきた・・・・・・

Kozyは散々愚痴を聞かされ、何処で如何したから愚痴しかいえない人間になってしまったかを、少なくとも同期の誰よりも、何がきっかけで蟻地獄に落ちていくかを、そのケース・スタディを聞かされていたので、蟻地獄を目ざとく見つけて、本の小さな勇気で、回避してきた・・・・・

このことが本当は一番言いたくて、“愚痴を聞け”といっている・・・・・・

今流に云えば、Roll Modelとも呼べるが、外から見るだけでは、蟻地獄の回避策は学べないであろう・・・当人でさえ、愚痴を言う折に“何処で間違ったのか”とかの発言が多く見られ、ふと気が付くと、もう遅い・・・・

つまり、経験的に云うと、概念的で恐縮だが、ちょっとした妥協が蟻地獄の入り口であり、複雑でダイナミックな企業社会の中で、因果応報の連鎖、つまり、バタフライ効果の様に後で嵐となって襲い掛かってくる・・・・そして、個人が破壊される・・・

蟻地獄に落ちる人とは、普段から考えることを疎いとしている人で、自身の情動=自動脳の構造的な機能縛られている人たちである・・・・何が本当の優しさかを理解しているか否かが分水嶺れになる・・・・

Kozyの研究結果から見ると、真ん中の4の人たち・・・・・つまり、その場の雰囲気を悪くしないことが優しさと自己弁護をする人たちである・・・問題の先送り体質でもある・・・・

もう一つは、知識偏重のプライドに縛られる人、本当の義理とは、本当の恥とは何かを体得できない人・・・これも、破棄すべきプライドの項目である・・・・・表層的には元気に見える場合もある人たち・・・・一言で言うと、ドグマに支配されている人であり、、見えるものが見えなくなっている人たち・・・・・・

両方のタイプに欠けているのは、時間の有限性の理解=Time Management能力の低いこと、そして、何事にも時間がかかり、継続的な努力が出来ない=忍耐力が足りない・・・・・

以上を理解したうえで、Kozyの研究結果から云うと、9割以上の人が、再度、いくつになっても、自己実現できないと感じる人は他人の愚痴に耳を傾けてほしい・・・・自分のことは見難いが、他人のことは理解しやすい・・・・

若い人、特に大学生は、社会に出る前に、出来るだけ多くの愚痴を聞いてほしい・・・・人生の蟻地獄に落ちないようにするには、これほどの良い自己実現へのレッスンは無い・・・・・

では、大学生は愚痴を聞く為には、先ずは、親の愚痴を聞こう。そして、出来るだけ多くの業種での、そこで働いている先輩と一緒に働けるバイトをこなそう・・・・・同じ業界のバイトは繰り返さない・・・・実は、これもKozyが大学時代に実践したことである・・・・・

つまり、業界には業界の文化がそれぞれあり、それぞれ異なる企業内文脈があり、幅広いケース・スタディーが出来る・・・そして、現場の人たちの情動も理解できる・・・・金を貰って人生の大事な勉強が出来る・・・・・

理想としては、男女それぞれの愚痴、同世代の愚痴、年下の愚痴、年上の愚痴の2X3=6種類を聞くことが大事である・・・さらに、年上のGeneration毎に愚痴を聞くことも大事である・・・・・・

成功者の自慢話から学ぶのはTime Management上は非効率的である、“愚痴を聞け”・・・正にそこには人生の真実がある・・・

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May 21, 2006

これからの人事の役割・・・人事管理から気財管理へ(5)

第五回として、今話題の人材教育について述べていきたい・・・・

まず、学ぶこととはどういうことかを最新の自然科学の知見から整理したい・・・

最初に言葉の規定をしたいLearn=学び習得=体得する、Memorize=記憶する、Remember=必要なときに思い起こせる=Learnが機能している・・・と規定する。

(興味を持つ)+(重要と思う)=情動・・・・この情動を起動するのが強い意識下の動機付けと無意識=潜在意識である・・・・・自己意識による動機付けは比喩的に謂うと一次元の思考でしかないが、潜在意識では非常に多次元の思考を行っている・・・・だから、潜在意識への介入が上手くなされないと行動へ転移が上手くいかない・・・・・

潜在意識のセンサーが企業・職場の文脈である・・・Kozyはこれを気の脈として気脈と名づけた・・・

よく勉強モードと謂うが、Learn&Memorizeするとの強い意識で、学生時代に勉強してきたと人が殆どだと思う・・・・しかし、新入社員は少し異なるかもしれないが、いったいどれだけ、Remember出来るものがあるだろうか・・・

アインシュタインも言っているが、“教育とは学校で学んだものを全て忘れて残るも”・・・至極明言であるが、Rememberできる為には、経験と行動が伴って初めてRemember出来る・・・・

情動の伴わない場合は、驚くことに、教えたことの10%以下しかLearnできない、一方、情動が伴うと、90%以上がRememberできる・・・・

兜町の格言で、“百の理論より一つの取引”・・・情動の=臨場感の伴わない理論的学習は、効果はゼロとは謂わないが、ゼロに近いと経験的に学んでいる・・・

日本の産業界は自らの経験学習を通じて、Off-JTよりOJTに圧倒的に注力をしてきた・・・・今や、脳科学でもこの正しさは証明されている・・・・

更に、Rememberできる記憶とは、情動を伴い出来るだけ多くの脳内のネットワークに繋がることがMemorizeを強くする・・・・この事は、Learnする対象に対して、どれだけ多くの相関を理解しているかに依存する・・・

換言すると、システマティックな理解が不足していると、必要なときにいくらMemorizeをしていてもRememberが出来ないことを意味する・・・・つまり、この点で、思考能力と知性が必要となってくる・・・・

人間はLearning Machineであり、生まれたとき、恐らくその前から、経験(と行動)を通じでLearnするように作られている・・・・

企業において、最近はMental HealthとかWell-beingが話題となっているが、脳科学の最新の知見を総合すると、Learnをし続けることがWell-beingに影響することを示唆している・・・・・

以上を総合すると企業における人材教育とは、少なくとも押し付けてきなOff-JTはその効果から、当然、Pay-lineには乗らない・・・・・・

現在、日立製作所が、Intranetに教材を提供して効果を挙げているが、興味を持ったとき、この勉強が重要だと思った時に、On-demandで勉強が出来る環境を提供する・・・これは論理的に評価できる・・・

また、本人が自発的に夜間大学に行きたい場合は支援することも評価は出来るが、少なくとも、企業活動の全体活動に対して、あるレベルまでのシステマティックな理解に達していない場合は、効果としてはPay-lineに乗らない・・・・しかし、今の時代の資格ブームという文脈に踊らされている人には、一度行かしてみる事により、もっと企業活動をシステマティックに理解する必要への気付きとしての効果は期待できる・・・・

では、今効果的で大事な人材教育とは、管理職の教育である・・・管理職が実際の気脈のControllerでかつMaintainerである・・・この人たちに部下の正しい教育とその支援をしてもらわないと、社員の能力の最大化は達成できない=これからの企業は生き残れない・・・・・

また、現在のポスト・モダニズムのマーケット下で、かつ、かってのように容易にBenchmarkingが出来る時代ではない・・・・社長は正しい臨場感は持てない時代の中で、管理職への今まで以上の権限の委譲と管理職の活性化は絶対条件である・・・・・

残念ながら、Kozyは社内の落合と小泉首相とか揶揄され、いつも、奇人変人と言われてきたが、現在の多くの管理職は、企業という集団の愚かさに洗脳されてきており、現在の時代にマッチする人は非常に少ない・・・・・

しかし、大企業の社員であることは、本当は何をしなくてはいけないかについては、ほぼ全員が正しく認識している・・・・しかし、行動に移すことが出来ない・・・・Kozyはこれを実行力不全症候群と名付けた・・・・

この行動力不全の原因が潜在意識の恐怖感を起動する悪い気脈である・・・この事は、J. Pfeffer & R. I. Suttonの“The Knowing-Doing Gap”HBS Pressの再監修版として、2005年12月に日本で出版されてりる実証研究にても確認されている・・・・邦訳タイトルは・・・実行力不全――なぜ知識を行動に移せないのか・・・・

この本では、恐怖感に縛られているのが原因であるとしか述べられていないが、まさに、潜在意識に縛られていることを意味している・・・・・

このような同じ状態にある日本の管理職をいったいどのように教育すればよいのか・・・・上述しているように、単純なOff-JTにて解決する問題ではない・・・既に正しい認識と本当はこうしなくてはいけないという意識も十分にある・・・

つまり、意識改革をいくら叫んでも効果は殆ど期待できない・・・潜在意識の恐怖と自動脳により行動変容に踏み切れない様にパターン化が出来ている・・・

実学と最新の心理学の知見を総合的に判断すると、自分で時間を作ってLearnすることもあまり出来ていない人も多いことより、知識としての不足の捕縄も必要である・・・・

それゆえ、まさに、MBAの学習方式でもある、課題へのグループ学習を通じてのグループ・セラピーがベストだと確信する・・・・このようなセラピーは、恐らくはじめてであると思うが、基本は如何に会社という集団の愚かさに支配されているかの気付きを与えること。 そして、仕事と心の本当の健康について、理解を深める・・・・・

今必要なのは、この種の教育研修とセラピーの組み合わせが一番だと捉えている・・・・・

今回は、ここまで・・・・次回は、もう少し、今回の論旨を掘り下げて見たい・・・

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May 20, 2006

これからの人事の役割・・・人事管理から気財管理へ(4)

第四回として具体的な話=例を挙げて説明したい・・・・

人事の仕事で、一番重要と捉えられているのは人事評価システムだと理解する・・・・

特に、自立できていない層の人にとっては非常に重要なものであり、特に、下の三の人からのクレームは絶えないと理解できる・・・

上の三の人にとっては、人間が人間の評価をする、また、職種・部門により求められる優秀さは異なる、・・・・如何考えても、正しい評価システムなどは作りえない・・・・この困難さは直ぐに理解できることであり、これが現実である・・・・と達観している・・・・・

また、人事評価は過去の貢献、現在の貢献、そして、将来への貢献への期待値により今までは捉え構成されてきている・・・・

過去の貢献とは、過去に実績を上げた人が、評価が良い、そしてこの評価は下がらないことを意味している・・・・これは、得点主義でもあるが、この評価がついて回るということは、いったん減点評価を受けると水準以上にあげることは難しくなる・・・この点では減点主義がベースになっている・・・・

一方、減点=失敗経験は非常に大きな体感的学習であり、潜在能力が増大している=人間的に成長をしている・・・

話が古くなるが、約30年以上前に、当時の富士銀行のNYの為替の予約の責任者が何千億円の損失を出した・・・懲戒免職となった・・・しかし、英国の富士銀行より大手の銀行がその退職した人をスカウトして為替予約の責任者にした・・・・・曰く、当行では出来ない何千億円の教育投資が必要な経験をした人間は、もう二度と同じ失敗はしない。こんなに市場価値の大きい人はいない・・・・実話である・・・欧米企業、恐るべしと感じると同時に、日本企業にこの度量は無い・・・大きなカルチャー・ショックであった・・・・

一方、会社に入る前に、人生で失敗している人は、全て上手くきている人より強さ=人間成長の度合いが高いとも言いえる・・・・しかし、個人的に振り返ると、自分自身もそうであったが、自分は成長しているとの自惚れに陥りやすいのも人間の性である・・・・自分自身も仕事で失敗したことがある・・・

サラリーマンの格言の一つに、ベテランほど失敗する・・・と言うのがある、つまり、成功を積み重ねることにより、発想とかチェック・ポイントが固定化するのが自動脳のなせる人間の性である・・・・今でも、Kozyは自分自身に言い聞かしている・・・自分はベテランである、だから間違いやすい・・・・・

以上を鑑みると、過去の評価を見ることは、論理的には弊害が多い・・・・

将来への貢献期待は、かって優秀な人もいつ失敗するかわからない、失敗してきた人のほうが失敗の再発の確立は小さいと捉えられる側面もある・・・

また、将来への期待は、能力主義の側面を持っているが、ここで大事なのは頭だけでの知識ではなく実学の多さであり、また、実学を増やせる、現実への対峙能力であり、その為の忍耐力である・・・実学の取得能力とも言い換えることが出来る・・・・これは、現在で見えるものであり、評価できるものである・・・・・

実証研究の結果からも、また、不必要な恐怖の回避策としても、評価するのは現在の評価=時価評価だけでよいと確信する・・・・しかし、全額が時価評価では経験知が出ないときもあり、また、経験知と課題処理能力は正の相関がるので、個人的意見としては、月給は同期は同じとして、ボーナスを時価評価にするのが良いであろう・・・・

これは、一見成果主義と誤解されるが、遣れることを遣ったのかというプロセス評価が半分であり、残りが成果主義と考える・・・つまり、信賞必罰の精神をここで生かすべきである・・・・・・

その為には、人事部は人事評価件を所属部門の本部・事業部の移管すす必要がある・・・・・・・謂わば、評価の現場主義ということも出来る・・・

この場合の想定される弊害は評価権を持った上司の公正な評価の正統性の問題がある・・・・この為の方策として、ジョブ・ポスティングは当然必要となる・・・

つまり、あまりにも不公平な上司は部下がいなくなる・・・・これでバランスを取る必要がある・・・・

尚、目標管理システムは部下と上司の大事なコミュニケーションツールでもあり、必要であり、その中で、プロセスの課題と成果の課題に分けて話し合うべきである・・・・・

結果のフィード・バックは行っても説明は不要である・・・これは次期の目標管理での課題のときにわかる話である・・・心理学の知見では、評価のフィード・バックが不要な場合が、一番正確な評価が出来ているとの実験報告があり、話し合いで決めることに伴い評価が甘くなる・・・また軋轢が残る・・・

時価評価の現場主義への転換は、確かにいくつかの問題がおきることが考えられるが、後は、人材の登用方式で修正するのが良いと考える・・・評価の判断基準は総合評価がベストであり、基準を決めると矛盾が出てくる・・・

もう一つ最近の変化のスピードからいえば、目標管理は三ヶ月、つまり、クオーターリーに改定することである・・・・一年計画は、ドッグイヤーの現在では、昔で言えば、7年間の計画を立てていることと同じであり、現況には既に不適切である・・・・

また、株主に対しても、月次の報告が必要な時代になってきており、最低でもクオーターリー制が良い・・・・・

また、現在の大企業を見るに、上の三の割合が低くなりすぎていること自体が最大の問題である・・・如何に増やすかが緊急課題である・・・

上の三は、完全無欠の評価はありえないことは理解しているが、次のことに対しての有形無形の評価と勇気付けは、研究結果が有効でかつ大事あることを示唆している・・・・

* 誇りの思える会社であること
* 権限委譲がなされている・・・権限と責任のバランスが取れている
* トップの方針が理解できるものであること
* 周りの人に良い影響が与えられていること
* 社内の実績数字が実態を正しく伝えていること
* 組織があまりにも弊害が大きくないこと
* 社内会議があまりにも非生産的でないこと
* 特に管理職の権限に付随する責任が明確であること
* 会社の目指すべき方向への関与が出来ること
* 仕事における夢を語る場を大事にしていること
* 人材育成に力を入れている

今回はここまで、次回は社内の人材教育についてアップロードしたい・・・

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April 19, 2006

Blog二周年記念と祈念・・・(3)

Bog二周年記念と祈念(2)を(必ずこれを読んでから読んで欲しい)総括すると、人間は生まれたときは、正しい気=正気を持っているが、青年期までの限られた経験・・・それも、ひとり立ちしていない守られた状態での経験に基づき、正気が恐怖経験の積み重ねによる自動脳=固定化された思考・行動パターンに縛られていく・・・邪気が増えていく・・・・人間的には偏った人間に育つ・・・・これが第一の人生である・・・・・・

このこと、つまり、自分の愚かさおよび弱さは、なんら恥じることはない・・・これが、人間の、人間にかされた成長システムである・・・・・正しく認める・・・正しく受容することが一番大事なことである・・・・・

しかし、生活としての自立のために、社会で働くようになると、現実社会は、それまでの経験と知識=自動脳に縛られた固定化された思考と行動のパターン化では衝突、葛藤等々の連続が起きる・・・・当然のことである・・・これが第二の人生である・・・・

第二の人生は、正気を再度覚醒して、現実を直視して、人間として真の成長の時期になる・・・・この時に、大事なポイントが、現実逃避=自動脳に縛られて、真の成長のための再学習に取り組むことである・・・・・・

この中で、それまでの人生の限られた環境の中での経験と学習を通じてのファジーな恐怖感の整理ではなく、現実社会での、もっと複雑な環境、親には守りたくても手の届かない環境の中での新しい経験を通じで、自分の感じる恐怖感の再整理を行い、そして、再学習に取り組むことである・・・・

これが成長することである・・・逃げてはいけない・・・受身になってはいけない・・・新たな経験をすることは成長をすることである・・・・

青年期に築いた、所謂プライドの類は、バーチャルでありファジーなものであり、多くのものは、“いったい何ぼのもんや!!!・・”・・・否、これだけは自分は本当に勝ちあるものであり譲れない・・・・

この事を真摯に現実に向かい合い、経験を通じて・・・不必要なものは破棄して、再構築をする・・・まさに、人生感の再構築=Restructure・・・自身のリストラ=第二の人生である

この再学習の完了は、孔子をして“四十にて惑わず、五十にて天命を知る”・・・今と比べれば、より単純な社会であり、また、今よりも早く社会でのひとり立ちを強いられた時代の言葉であり・・・・・凡人のわれわれは、死ぬまで再学習の連続であると捉えるべきである・・・

また、自分で子育てをしていて痛感したが、都会育ちでサラリーマンの子弟は、周りに自然が消えてきており、都会的な自然の驚異から・・・自然の偉大さから、科学技術の水を集めて守られている・・・それゆえ、自然から学ぶ機会が少ない・・・・

また、親の働く姿を見る機会もない・・・たとえ垣間見ても、大企業での細分化された分掌の業務の話を聞いたり、見たりしても、仕事とは何なのか、それに対して、親は如何対峙して生きているか・・・・理解は難しいだろうが、少なくとも、感じることが出来ない・・・・

それだけ学ぶ機会が少ない・・・・・

それゆえ、人間成長の点では、ハンディーを背負っている・・・・・

凡人のわれわれは、死ぬまで再学習の連続であると捉えるべきである・・・それゆえ、この覚悟が、人生での自己実現への分水嶺になる・・・・この揺るぎ無い覚悟の確信が出来ることが、第三の人生への入り口だと捉えている・・・・

念のために言っておくが、Kozy自体も、何度も揺るぎ無い覚悟の確信を抱いたことがある・・・一番初めは、転校を繰り返し、終了した中学三年のときに確信したことがある・・・・確かに、人よりも多くの経験を積んで来た・・・・しかし、高校・大学、そして、世界をヒッチハイクして、また、社会に出て、未熟さ=自分の経験の浅さを何度も痛感した・・・・・

大事なのは、未熟を何度も痛感できる自省力(常に、これでよいかと真摯に問い続ける)である・・・・Kozyにとって、自省力が第三の目である・・・・第三の目は自分にとって自分で育てる神の目と捉えている・・・・・・

この第三の目を成長させるのは、自己の視点の第一の目と相手・社会の目である第二の目である・・・・この二つの目は、より多くの、より深い経験により磨きをかけることが出来る・・・そして、論理的分析、システムでの理解能力に知識の類が必要である・・・・

この三つの目を活性化させる習慣化が、自己実現の分水嶺になる・・・・・・念のためであるが、第三の目は第一の目とか第二の目のどちらが正しいというのではなく、何が正しいかを問い続ける目であり、結論も、あくまで仮説として処理することである・・・・

商売も仕事も経営もマーケッティングも同じことである・・・第一の目は自社、第二の目は顧客・マーケット・・・第三の目は、お互いのために何が一番良いのか・・・商売は長続きして始めて商売である・・・・・

結論=公理と捉えると、自動脳が活性化して、見えるものが見えなくなる・・・見えるものが見えなくなるのは、脳の非活性化を意味して、心のエネルギー=心的気力の低下、または、消滅を意味する・・・・これが老人の悪い側面としての規定である・・・・

残念ながら、今の若い人に、健忘症とか、アルツハイマー病が報告されるのは、心の老化が若い人に蔓延し始めているのではないかと危惧している・・・・

実は、今日が、57歳の誕生日である・・・誕生日は人から祝ってもらうものであるが、ある年齢を超えると、ここまで理解が出来るようになった・・・このことを伝承する=プレゼントする方が筋であるかもしれない・・・・

本件は、Kozyの誕生日のKozyから、読者へのプレゼント・・・・・・

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March 27, 2006

新入社員を迎える人に・・・・

本来なら,新入社員=新社会人の人へと考えたが,幾つかのところで,それなりの事を伝えている,または,伝えるであろう・・・・それゆえ,相手=新入社員に期待するより,受ける側はどのような認識をすべきかを整理してみたい・・・・

職場に新入社員が入ることは,管理職の目線と構成員の目線では異なる・・・・・

管理職としては,次の目線で見るべきだと思う・・・・

1.世代としてどのような変化があるのか,何が変わってきているかを知るいい機会である。

2.変化があるとしたら,その変化は部内への影響はどのようなものが在るのか・・・変化を拒否して,Unlearningを促すか,積極的に取り込むか・・・・・大事な選択である・・・・

3.今の時代の変化から言うと,産業の突然死もありえる,また,アウトソーシングで仕事が無くなる事もある,Job
Postingにより,直ぐ他の部署にいくかもしれない,自己成長のための転職の意欲が強いかもしれない,・・・・・従来の様に,暗黙の契約といわれる終身雇用は前提にならない・・・・・社により異なるが,基本的には,悠長に何年計画で育てよう,それまでは,貢献しなくても良いとは言えない・・・・一人の増員に伴ない部の固定費が増えるわけである・・・・・如何に早く育てるか・・・・を従来以上に考える必要がある・・・・

4.それ故,昔の様に三日,三ヶ月,三年の様に待つのではなく,一年以内で追い出すか否かを決める事が,部の為,また,本人の為に良い時代ではないだろうか・・・・一年で判断する為に,なにをどうすれば良いかを,良く考える必要が在る・・・・・

構成員の先輩諸氏にとっては,特に一番若い人に後半が出来る事は,嬉しい事であり,新入社員が配属されるという事は,基本は,業績を挙げている事が必要条件であり,傾いているところには新入社員は配属されない・・・・・この事を忘れないで欲しい・・・・・

そして,自分が新入社員で配属された時の事を思い出して欲しい・・・・・如何思っていたか,その中で,正しい事は率先しよう,また,甘えの様な事は,世代の近い人が諭すのが一番である・・・・・

少なくとも,最初は顧客から顧客への社内の仕組みをシステマティックに教えてあげて欲しい・・・・恐らく一度では理解できないであろうが,担当する職場の仕事の位置づけは理解させるべきで,そして,職場の中で如何分担をしているのか・・・・・は教えてあげて欲しい・・・

そして,学生と社会人の標榜する価値観の違いを教えてあげて欲しい・・・・新入社員は,ものの見方,考え方については,限られた経験,そして,守られた中での経験による非常に偏った思考のパターン化がなされている・・・この事を最初に認識させてあげる・・・・・ここが,これから学ぶ人にとり一番重要である・・・・・

そして,経験から学ぶ姿勢の確立が,換言すると,現実とその矛盾に正しく対峙して,Unlearningを必要に応じて行い,現実に即して,Relearningした実学が大事であることを・・・・・・・・

それらを通じて,如何に良い習慣を身に付けるかが企業における才能になることを・・・・・・・

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March 14, 2006

平凡こそ非凡なり・・・・・

平凡こそ非凡なり・・・Kozyの人生に大きな影響を与えた言葉である・・・

以前も発信しているが,異邦人の作者のアルベール・カミュの言葉だと記憶していたが,また,
以前,そのようにBlogでアップロードしたが,ふと自信がなくなり,Webで調べてみたが,ヒット数が10件にも満たなくて,確認できなかった・・・・

学生時代に,確か,中学時代に出会った,つまり,40年以上も前のことで,思い出せない。
ご存知の方が居られれば,確認頂きたい・・・・・

この言葉に影響を受けたのは,当時名言集とか,偉人伝の類を読んで,人間の幸せとは,生きることの意義・意味を追求していた・・・・・両親の離婚に始まり,ある日突然貧乏になり,煩悩の類類するプライドはずたずたにされる中で,生きるよりどころを求めると同時に,将来金持ちになってやるとの当時の現状への反発の中で,この言葉に出会った・・・・・・

つまり,自分の中で所謂,経済的に成功した人の人生を読んでいると,表面的に書かれていない,人生の折々の転機の中での選択において,確かに経済的な大きな成功を得ているが,本には良い事しか書かれていないが,選択の結果として放棄したものを考えるに,その人たちは幸福な死を迎えたとは思えなかった・・・・・・

その時に出会ったのが,平凡こそ非凡なり・・・であり,Kozyは次のように解釈をした・・・・

1.非凡であることは,平凡な事を選ばない・・・放棄すること・・・人生は選択・・・
2.非凡になることは,本当の人間の姿を見ることが出来ない・・・
3.本当の人間の強さ弱さを知る機会が減ることである・・・・
4.本当の人間への理解がなくて,人間なんて理解出来ない・・・
5.人間が理解できなくて,本当の幸せなんて理解できるはずが無い・・・・

本Blogの読者の多くが,小中学校で,よくもそこまで感じて行動をしたとは,ませた子供とお感じの人が多いともう・・・身近な友人にもよく言われる・・・・

もし,この言葉に出会っていなければ,ませた子供であった小生は,世間を見返すために勉強に没頭して,世間に同じように経験を持った人が,資格の類の社会的に評価され高収入につながる生き方,又は,有名な占いの先生に何人にも言われたが,一代で財閥を成す運勢があると言われていたので財閥をなしていたかもしれない・・・・・

大学院の社会学の教授と親しくなり,何度も同じ事を言われたが,同じような境遇で育った人を何人も知っている。しかし,その人たちは米国留学をしてMBAを取得して,高給取りであるが,人間的に尊敬できないし親しみを感じない。そして,優しさが無い・・・・

Kozyさんは,むしろ,ボンボン的に育ったようにすら見えて,愛他的精神が強く,Blogでも,諦めもせずにずっと,自己成長の方法論のメッセイジを送り続けている・・・・と言われていた・・・・Kozyは通常は勉強でプライド維持するところを,ちょうど男性ホルモンの支配下に入った中1の時に,男同士で一番羨ましく思われる女性にもてることであり,その能力に磨きをかけ,今でも,ハッキリつかみきれない女性の追及という最高の苦行の道を選んだ・・・・・

だから,人間への慈愛の気持ちが強くなった・・・半分本当であり,半分はKozyのユーモアを込めた返答である・・・・・

しかし,その裏には,自分は絶対に離婚をして子供に同じ思いをさせたくない,ベスト・パートナーを見つける能力を身に付けたいという恐怖体験にドライブされた強い願望を持っていた・・・・・その為には,相手だけでなく自分も知る・・・つまり,人間を知る・・・人間の幸福とはを知る・・・生きることの意味を知る・・・・この為には“平凡こそ非凡なり”・・・・

平凡に生きることが方法論として一番大事である・・・人は,経験でしか学べない・・・当時から心理学を勉強していたが,今でこそ発達心理学と呼ばれているが,昔は,児童心理学(?)と呼ばれている知見の方が,当時如何見ても合点が行く事が多く,母が独身寮の住み込みの寮母をしており,大人の愚痴を聞かされ大人を見ていても,心理学という分野の中で児童心理学が一番役に立つと確信していた・・・・・・・

今何故,この“平凡こそ非凡なり”をアップロードしたのか・・・平凡な人生を心がけ,平凡な世界で留まる様に生きてきたが,社長にまで長時間慰留されてまで,健康の問題があったとはいえ,退社して,この歳で心理学の大学院に入り,自分自身でたった二年の間で完成した自分の修論に感銘を受けるものを完成させた・・・・この生き様は非凡な生き様であることに気づいた・・・・・

つまり,平凡に生きたから実学が蓄積できた,また,周りへの説得力があり,周りの目線へ合わせ方を間違える事がなかった・・・しかし,非凡に行き始めてしまうと・・・よく東大卒の本当に頭の回転のいい友人に,口癖の様に,俺には先の先からスタートしたり,途中の思考過程を飛ばしても話は理解できるしついていけるが,普通の人へは,ここからスタートして,ここの論理展開は飛ばしてはいけないといっていた事が,今の自分に対して言わなくてはならない・・・・

平凡こそ非凡なり・・・・いま自分が非凡に成長した自分に40年ぶりに言い聞かせなくてはならない・・・人間の成長の矛盾の忘れてはいけないメカニズムである・・・・・以前大殺界で,アップロードしたが,人間は定期的に無意識になっている自己のバイアスを見直す大事な貴重な時期といっていたが・・・・・

正に,自己の無意識の自動脳による支配の気付きを得る事が出来た・・・大殺界に感謝・・・これも大殺界という意義を理解して意識していたお蔭だ・・・再度,大殺界に感謝・・・・・・お蔭で第三の人生にやっと踏み入れる自信が持てた・・・・・


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September 27, 2005

大企業で働く若いサラリーマンへの追加メッセイジ

25日にある異業種交流会にて、講演をしてきた。

講演といっても、三連休の最後の日曜日で、且つ、台風17号の影響で、通常2-30人ぐらい集まるところが、計7名だけとなり、正に、専門職大学院のゼミの様になった・・・・・・また、友人が声を掛け合ってサラリーマンである社会人三年生が、7名のうち4名という、Kozyにとっては、珍しいケースであった。

その後、懇親会もあり、講演会は3時間、そして、懇親会が約二時間、講演会は三三の人生論を暗黙知とは三三人生哲学を理解して、三三・・・・三つの人生の成長のメカニズムの理解と、三つの目を習慣化させて欲しいと・・・・・まだ、コピーで閉めてしまったが、“Keep on 3355”・・・・・三々五々ではなく、成長のメカニズムである、三つの人生の理解と三つの目を育てるの33で頑張れ、行け行けのGo Goを55として、体に染込ませて欲しいと・・・・・・・・・・

このBlogでは、Kozyが、今まで、起業家の人、技術経営(MOT)関係、勉学中の心理学関係、学生、そして、同世代の人達へのメッセイジが多かったが、小生の経験より得た・・・・・つまりサラリーマンとしての経験をもっとアップロードをしてあげなくてはならないと気づかされた・・・・・・・・・

確かに、Kozyがサラリーマンの時に、若手とか中堅から、Kozyさんが会社にいるから、今もこの会社で働いている・・・・・・・と何人かに言われた・・・・・・また、在る中堅には海外本部の“良心”ともいわれた・・・・・・同じ事をDream GateのMLで発信して、MLを終了した時に、Dream GateのそのMLの良心であったともいわれた・・・・・

今回、この若者達は、所謂、大手企業であり、今の若いサラリーマン諸君は、企業内のメンターの不足、及び、その質の問題に面していると痛感した・・・・・・・・・・

懇親会は、がらりと雰囲気を変えて、Senior Gigolo Kozyの独演会の様相を呈してしまった・・・・その時にはいわなかったが、もっと、自慢すると、世界で一番評価の高いフランスの女の子が、片道切符で、日本までKozyを追いかけてきた・・・・・・・・・女難とはもてることであり、それは難なのです・・・・困る事が多い・・・・一人にだけ本当に愛されるのが理想です・・・・・・・

さて、自慢はこの辺にして、今回、気づいて伝えなかった事を、ここに追記したい;

*サラリーマン格言集の一つとして、“三日、三ヶ月、三年”をもっと詳細に説明すると、

三日で生活態度の評価が決まる・・・・遅刻しない自律心のある信頼に足る奴か・・・・・倫理観と責任感・・・・・・????

三ヶ月で仕事に対する取り組みが如何に真剣であるか・・・・・こいつは仕事で信頼できるか・・・・主体性・・・・・????

三年でどのような取り組み姿勢か、その方法論は正しいか、つまり、何処までのレベルまで成長できたか・・・・正に、成果主義で評価が決まる・・・・・ここでサラリーマンのその会社での一生が来まる・・・・・・・

ここまでは説明したが、もっと、具体的に言うと、関係する全社の業務分担を何処までシステマティックに理解しているかがポイントとなる・・・・・・また、この時には、自分の業務分担だけでなく、最低限、現状の仕事の前工程と後工程はほぼ掌握していることが大事になる・・・・・・・・・出来てますか・・・・????

このようにシステマティックに理解していると、例えば、マーケッティングとは、・・・・・社内の製品の材料調達、製造から販売およびその代金回収まで社内工程は終了するが、また、その中で常に全体の工程を通しての最適化・・・これを全体最適というが、・・・・・・この社内の全体最適では不十分で、更に、顧客の利用価値と製造コストの最適バランスを工程として追加した全工程の全体最適を目指すもの・・・・・・このように言い切ることが出来る・・・・・

7名の内、2名が大手のコンサル系の社員であり、失礼にも、コンサルとは、20年以上の実業の経験がないと、それは詐欺師でしかない・・・・・具体的解決策は出せない・・・・・つまり、コンサルの最大の仕事は、Business Developmentになるが、その為には、社内の全ての工程とその相関を掌握していないと実行のある解決策は出せない・・・・・・実業でもアイデアは大事であるが、具体的な解決策が提示できなければ、意味を成さない・・・

そこで若い人は、最低五年は同じ会社で全体システムを理解するまでは、辞めるな・・・・・自分特異分野を確立して、全体を理解できた自信があれば、辞めても良い・・・・・・・・・むしろ、十年は必要かもしれない・・・・


*恋愛と結婚について:

今回の三つの目を成長させる、特に第一の目である、自分の視点である自分自身を以下に正しく、また、弱さ醜さを強く受容できるか・・・・・・・これにより、自分にとって本当に必要なライフ・パートナーとは如何いう人かが見えてくる・・・・・そして、正しいパートナーを選べるか否かで人生の多くが決まる・・・・・結婚適齢期が遅くなって来ているのは、Kozyに言わせると、この点では自然な流れである・・・・・自己受容が出来ていないと結婚自体がしっくり来ない・・・・・・・・・

確か心理学関係だと記憶しているが、種々の障害を乗り越えて、奇跡的に結ばれたカップルのDNAを調べたところ、配列がことごとく異なっていたとのレポートがある・・・・・・小生の自論では、お互いを補う組み合わせ・・・性格の異なるのBestであり、似たもの夫婦が成立するのには、二人とも限りなく神に近い人間同士でしか成立しない。

もっと科学的にいうと、種族の保存の為には生存率を高めるのに、自分と異なるDNAの人間が結ばれると、免疫力(つまり、非自己の免疫細胞が増える)が高まり、また、大きな変化への対応には、この非自己の細胞が起爆剤になる・・・・・・・先ずは、自分を知る事が大事である・・・・・・・

経験的に、本当に確信しているが・・・・・・“自分が本当に好きになれる時は、必ず、相手も自分を本当に好きになる”・・・・・・駄目な時は、本当の自分を理解していなくて、好きだと勘違いをしている、または、相手を誤解している・・・・・・・この勘違いと誤解の関係が恋愛で、勘違いと誤解がなくなる関係が結婚である・・・・これが出来れば、当然楽しく有意義な人生が待っている・・・・・・・・・・・・

学生結婚は、ホルモンの情動に動かされて、何も見えずに結婚する危険は在るが、同時に、お互いの相性以外何も考えずに結婚が出来るメリットがある・・・・・・・・・

しかし、社会人になると、無意識のうちに、今所属している仕事・会社・・・・・つまり、自分の所属する集団の規範に縛られて判断を誤る人が多すぎる・・・・・・人生のおける一番大事な集団は夫婦である・・・・・他の集団ではない・・・・・・・・これだけは忘れないで欲しい・・・・・・・・・・・・・

また、適宜、若いサライーマン向けにアップロードして行きたい・・・・・・・・・

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July 24, 2005

人生の才能!!!

自己実現、自己成長、経営者としての成功、リーダーとしての素養、たとえスポーツの才能も含めて、これら全ての才能とはなんだろうか、DNAなんだろうか・・・・・・・・・

Kozyの人生を振り返ってみても、若いときは“才能とは集中できる事だ”とよく言っていたが、もっと深く考えるに、“才能とは習慣化できることだ”と言う方が正しい。・・・・・・・・

つまり、才能とは生得的なものではなく、誰でも同じように取得できるものだと云う事ではないだろうか・・・・・

確かに、スポーツでは身長の高さが大事になることがあり、これは、DNAの影響は大きいだろう・・・・・それ以外の才能は、何時から、どれだけの事を習慣化できるかによって決まっていく事ではないでしょうか・・・・・・・・・

若くして才能がある人でも、それは若い時の習慣に起因している事が多い・・・・・例えば、成功している経営者の最も多いのは、若い時に苦労・貧乏をして、婿養子として経営を任されている・・・・・・とのレポートがある。

これも言い換えると、小さい時から倹約の習慣がつき、苦労を惜しまない(強いられ続けた)習慣がつき、経営を任されても婿養子として会社を絶対潰さない思考が習慣化された人達・・・・・・この様に解釈できる。

自分自身を振り返っても、中身は変わらなくとも、行動の変容を続けている=習慣化することにより、今では、中身まで変わっている・・・・・・・・この点では、何処様なものの見方、捉え方をしていくかを習慣化していくことにより、俗に言う、才能が開花する・・・・・・・この意味が、トーマス・エディソンの言う、“天才は99%の努力と1%の才能により作られる”という真意ではないだろうか・・・・・・・・・

誰も同じように才能があり、人間は大して差がない、悪い習慣に流される人は才能を放棄した人でしかない・・・・

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July 16, 2005

高齢化社会て本当ですか???

最近よく思うことは本当に高齢化社会が来るのだろうか・・・・・・・この前提はあくまで今高齢化に達している人と同じぐらいまで、まだ高齢化に達していない人が生きれる事です。・・・・・・・・・

一方、少子社会は、良くも悪くも既に人間そのものが、これ以上増えてはいけないとの背景・・・・“成長の限界”と言う最新報告を読むと既に限界を超えている事を受けて、また、時代の必然性の所以かもしれないジェンダー・フリーの影響も受けていると思うが、最新の研究では、先進国の男性の精子の数が有意に減ってきているとの報告があり、自然の摂理に従い増えすぎた人類の増加の調整時期に入ってきている・・・・・・・・・また、残念ながら、人間の馬鹿さ加減の象徴である一神教の社会の病巣の象徴でもあるブッシュが正に藪の中の蛇を人間社会に追いやっており、一神教同士の潰しあいによりかなりの人口調整がなされるであろう・・・・場合によっては地球、ガイアそのものが危険にさらされるかもしれない。・・・・・・・・・

本題に戻り、取敢えずは日本に限定して考えてみると、今70歳以上の人達は、戦前戦後の混沌の中で、過っての価値観の崩壊の中、自分で考え自分で決定し、自分で行動を強いられる戦後を生きてきており、Kozyの自論である心のエネルギーを増やす生きる姿勢を持っていたと推測している。・・・・・・・

これからまだまだ生きるといわれているそれ以降の世代はいったい如何だろうか・・・・・・・・・

その前に、自論の再説明をしたい・・・・・・人間の本能として三欲といわれているが、Kozyは、それらの上位概念として全て健康維持・増進の為と捉えている。 睡眠欲と食欲は説明不要だと思うが性欲を考えるに、他の生き物と比べて、人間だけが365日発情期であるとは、考えにくい・・・・・・むしろ、性欲は心のエネルギーを求める為に存在していると捉える方が合点がいく・・・・・・だから、人間の本能は単純に健康の維持・増進である・・・・・・・

では、健康の維持・増進の為と考えるに、心と脳と体に分けて考えると、心が脳と体の健康を支配していると考えている・・・・・つまり、元気な心が大事である・・・・・この事を心のエネルギーと言いたい・・・・心のエネルギーの大きい人は“器の大きい人”・・・・この器は心のエネルギーの大きさに合わせて変化する・・・・・

よって、心のエネルギーを維持・増強する生き方を(=生きる姿勢とも云いたい)どれだけの人が出来ているのであろうか・・・・・・・・Kozyの言う三つの目を活用して、三つめの目を育てろ・・・・・この真意は生きる姿勢の確立方法を示唆し、三つめの目は心のエネルギーそのものでもある・・・・・・・・

一つめの目は自分の視点であるが・・・・問題は自己の在りのままの受容であり、特に悪さ加減の受容が大事であるが、これが難しい。 そして、二つめの目は相手・社会の目だが、自己矛盾を持った人間の集合体が社会であり、情動の出方が、経験しないと判らない・・・・・自分自身の情動の出方も経験しないと判らない・・・・・・・

三つめの目はどちらが正しいの選択ではなく何が正しいかを見分ける目・・・・しかし、それも自己の仮説として扱い真理としてはいけない・・・・・一旦真理とするとそこから三つめの目は機能しなくなる・・・・・・結果として、常に考え、決断をして、或いは選択をして、行動指令を出す・・・・・・・この事が三つめの目を育てる事であり、心のエネルギーを生み続けることである。

心理学ではよくバイアスと云う言葉を使う・・・・自己の思い込み又は偏向と云っても良いであろう・・・・Kozyは、人間の成長の過程での論理的整理の為にバイアスは避けられないと理解はする・・・・バイアスはあくまで仮説であると捉えるべきだと云いたい・・・・・・・・バイアス・フリーになるには無限のバイアスを持つことでもある。・・・・

以上の整理の基に考えるに、団塊の世代は、学生時代に自己矛盾とか自己の傲慢性について自己批判という自己受容の洗礼を受け、知行合一の洗礼も受け、行動の大事さを知らしめられた・・・・・・だから総じて元気な人が多いが、待っているのは、彼らの親の看病、退職後離婚・・・・・・

団塊以降の世代は飽食の時代の中で教育を受け、教育の三大要素の家庭教育、学校教育、地域コミュニティー教育の全ての弱体化の中で育っており、地域コミュニティー教育にいたっては完全に崩壊してしまっている。・・・・
団塊の世代の時ですら地域コミュニティー教育は崩壊していたといって良いだろう・・・・・・・・

そして、人生の大事なライフ・イベントとしてのハードシップ(苦境)の経験もなく育てられている・・・・・・・更に自分自身を振り返るに自然と接する事による気付きと学びによる自己成長への大きな貢献を確信するが、モダニズムの中での自然破壊に伴い、自然に触れる機会が減りすぎた都会育ちには機械損失への同情を禁じえない。

また、昨今の“あいちゃんブーム”を見るに子育てと社会教育のパッケイジによる親の指導のシステムの素晴らしさを痛感している・・・・・・過っては封建的と批判していたインドのカースト制は人間教育上は非常に良いシステムだと再評価をしている。・・・・・・・・・

Kozyの講演の中での口癖になってきた“大人の愚痴を聞け”は地域コミュニティー教育の崩壊を受けての、社会のメカニズムと成長のメカニズムを学ぶのに妙案だと、自分自身の経験上、思い奨めてきている。・・・・・・・

実は、Kozyが企業文化の研究に取り組んでいる最大の目的は、ポストモダニズムを受けて、今が経営者に業績向上と企業の社会的責任を果たす為には、社員の心のエネルギーを維持・増大させる=自己成長を促し、つまり、正しい生きる姿勢の習慣化を企業活動の中で行う事により、社員の所属する地域コミュニティーへの貢献、社員の家庭への貢献が一番大事である事を科学的かつ論理的に説明したいからである。・・・・・・・・・

この点では、Kozy自身も嫌いなサラリーマン格言の“社長になるには一に体力、二に体力三四がなくて五に能力”の深い含意は心の健康があれば体力も付いてくる・・・・これが先人の含意かもしれない・・・・・・!!!

話が長くなったが、この様に考えると、特にサラリーマン子弟で都会育ちの人達には同情を禁じえない・・・・そして、母親に庇護されていては正しい生きる姿勢の確保は確かに難しいと推測する・・・・・・・

どれだけの人が本当にこれから長生きできるのであろうか・・・・・・・・強い疑問を持たざるを得ない・・・・・・???

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April 23, 2005

企業文化ーサラリーマン格言集(2)

前回、思いつくまま、サライーマンの格言集を書いていったが、いざ、考えると、前回はもっと書くつもりでいたが、五つで終わってしまった。

心理学で言うところの“情動”がないと出てこないものだ・・・・・

その後、サイバー上でも調べてみたが、驚くことに見つからなかった・・・・・名言集、株の取引の格言は山の様にあったが、サラリーマン格言というのは、ついに、まとめられたものが無いのには正直言って驚いた・・・・・

この意味する所は、サラリーマンになる前に、良くも悪くも、大事な知見を知らずにサラリーマンになっている人が、現在では圧倒的多数であると確信する。

また、明治・大正のサラリーマンとは、特に、ホワイトカラーは当時の大学進学率から言えば、非常に少なく、親子代々の伝承は、Kozyの様に3代に亘るものは少ないのであろう・・・・・・確かに、今まで、親子3代商社マンの家系はKozyの世代ではあったことが無い。

確かに、親子3代、全てが、入社は商社でも後でやめている事が示すように、働くなら商社には自分の子供は入れたくないと思う親が商社マンの圧倒的多数派である事も事実である・・・・・・・

それにしても、サイバー上でサラリーマン格言集が見つからない事は、おそらく、“格言”などという言葉を口にする事に躊躇する大人が増えているとも危惧している。

企業文化研究に於いては、その企業文化は95%程が、創業者により作られたものとの報告も在り、一度出来たものは、なかなか変わりにくいものであり、また、社外の友人との交流が、また、転職の経験がないと、自社だけの格言が、一般的なのかすら判断が出来ないことも考えられ、それが原因で、あまり口に出されない、サイバー上には発信されない・・・・・・・かもしれない・・・・・・

ここで再度、云いたいのは、特に大手の企業は“日本株式会社”とも言われているが、日本文化にも基づく、共通する格言があり、共通であるが故に、格言として呼ばれて生き残ってきている・・・・・・・死んではいない・・・・・

前置きが長くなったが、その後、思い出したサラリーマン格言を追加します。

*三日三ヶ月三年:

三日で生活リズムの切り替え能力が判り、三ヶ月で仕事への取り組み姿勢と自己学習能力が判る、そして、三年で、会社内での評価が固まる・・・・・・定年までの出世が決まる。

企業文化の視点で見ると、三年で企業文化の、少なくとも、所属する本部・事業部の文化の刷り込みガ完了すると同時に、ここから、日本流の減点主義が科されて来ているのが、悪い日本株式会社である。 敗者復活の制度は今後はぜったに必要であり、これが、個人の成長を促すと確信する。

*自社株を買え:

自社株を持つ事により、従業員から、商法で規定される社員になり、経営の視点での見方が身に付き、業績向上への動機つけにもなる。 たとえ会社を辞めさせられても、株主として意見を言える権利を留保できる。

本当の“社員”になる為にも、求心力を高める為にも、ますます、重要な事になる。

*入社後三年管理部門に所属すると、営業では使えない:

これは、商社だけかもしれない。 メーカーでは耳にしなかったが、メーカーの場合は、メーカーのメカニズムを理解する為には、経験としての管理部門も大事になるからだと思う。 しかし、確かに、上記の三日三ヶ月三年の三年同種の仕事をすることを通じて、管理部門の管理部門での規範が染込み、それが正しいとのバイアスがかかり、
営業での価値観=規範への適応が難しくなるのは、確かである。

この後の変化への対応能力の向上には、最低でも、三つも部門を経験させることにより、多様な視点、多様な価値観の育成が必要になり、バイアスの調整に悩む社員も出てくるとも杞憂するが、杞憂でしかないと、人間にはこの変化を消化し、昇華させる力があると確信している・・・・・そして、これが個人の成長・会社の成長に繋がる

*仕事は忙しい奴に頼め/遣れば遣るほど仕事は増える:

仕事が暇な奴は、仕事を任すのが心配である、危険であるとの判断がなされていることであり、忙しい人は、優秀且つ、責任感が強いと云う事であり、頼むのには安心である・・・・・・つまり、仕事は遣れば遣るほど、増える構造的なものを持っている・・・・・・経験的に行って、同期の人との比較において、3倍以上のアウトプットの差が出てくる・・・・・・しかし、給与は同じである・・・・・・この不条理に耐えれない人は、上の三から下の三に飛び降りる。

人間の成長は、矛盾、不条理への対峙により、もたらされるとKozyは確信している。 心理学の中でも発達理論の中でエリクソンの発達理論があるが、正にこれは、成長の段階での矛盾への対峙が、次の成長に導いていることを言っていることと同じである。・・・・・・・・・清濁併飲の事でもある。

以上

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March 27, 2005

企業文化ーサラリーマン格言集

本日は、思いつくままに、親子3代にわたるサラリーマンとして、サラリーマン格言集を、企業文化の視点から考察しながら、書き留めたい。

1.“3:4:3の原理”

この意味には、足すと10=10割と言う集団組織の構成員の比率を表している。 上・真ん中・下の人間の比率であり、どんなに優れた企業でも、3:4:3にしかならないと云う事である。 実際の比率が企業により異なる。
企業文化を考える時には、この三層に送別して捉える視点が、大事になる。

そして、下の3には、上の3から急降下した人が多い。・・・・Kozyはこれは、集団圧力の実験が示すように、同一集団の意見に迎合せずに自分の意見がいえる人は二十数パーセントの数字と告示しているところに着目したい。

それだけ、内集団圧力は、特に日本人の場合、集団重視傾向が強く、上の3は個人主義の国の企業に比べて、少なくなるのではないかと捉えている・・・・・・・・・・普通の会社を見ていると、上の3は一割も存在しない・・・・この様な企業は、上の3から落ちてきた、頭脳明晰な下の3の比率を高めていると考えると。 
現実の姿の比率のあってくる。 しかし、この様な会社の場合、頭脳明晰な下の3が、文句ばかりを言う存在になっている・・・・・・・心理学の知見では動かない人ほど文句をいう・・・・・・・・一つの病的症状と言い得る。

2.“出る杭は打たれる”

これは日本社会に蔓延する、悪しき伝統である。 この裏にあるのは、内集団の規範を犯すことへの制裁行動とも言い得るが、本質的問題は“日本人の甘えの構造”から出てくる“妬み・僻み”の行動であり、それ自体は自立が出来ていない日本人が多すぎるのが、問題だと捉えている。・・・・・・この視点では、個人主義と民主主義の理解と強化が必要だと捉えている。

3.“うんどんこん”

サラリーマンの出生は一に“運”、二に“鈍感・鈍臭さ”、三に“根気”・・・・言い換えると、この三点には経営能力は求められていないと云う事でもある・・・・・・・・・

運が一番で・・・・・自分の上司が出世する、そして、引き上げてもら得るか否か・・・・勝ち馬に如何に乗るかが大事と云う事でもある。

頭角を現さずに、下手に文句をいわない、かっこよいのはいけない事・・・鈍牛で入れる能力が二番目に大事である。

そして、耐えて耐えて、自分を殺して、努力をし続ける能力が三番目に大事である。

成果・実績は大事である事よりは、確実の将来を読むことが出来ない、現在の状況では、運は必要だと思うが、本来は、絶え間ぬ努力が運を導いてくるものとしての認識が正しい。  鈍は胆力と解釈すれば、必要であろう。
そして、根は絶え間ぬ努力と解釈すれば、必要であろう・・・・・ひょっとすると、昔はこの様な前向きな言葉の含意があった気もしてならない。・・・・・・しかし、ここに述べる他の格言の影響を受けたとも推測される。

4.“社長になるには、一に体力、二に体力、三、四が無くて、五に能力”

この意味は、体力が一番である事、能力ではないと云う事です。 体が一番、健康が一番、それで初めて、社長レースに参加が出来る。・・・・・幾ら能力があっても、倒れてはおしまいである・・・・・警鐘でもある。

今での、古参の上場企業、環境体質の上場企業の社長就任年齢が60以上の会社があるが、これからの変化への対応への危機感を持っていないと云う事を内外に示していると言われてもしょうがないであろう・・・・・この様な企業では、上記の2-4項は、悪い意味での文化として組み込まれていると確信します。

今や、社長は名誉職ではなく、経営という専門職の仕事である・・・・・正に体力の居る仕事であり、40代の後半の人間が、能力を鑑みて選ばれる時代になっていると思う・・・・・55歳以上での社長就任は、それ自体が、犯罪行為に近い。・・・・・・・

5.“和を以って尊しとする”

何時の時代からか、これほど現在解釈が、本来の姿から枉げられているものは無いのではないか・・・・・上記の2と3項の格言の影響を受け、2と3項の意味で使われる事が多いが、聖徳太子の意志は、法治国家として、それまでは
力で統一するのではなく、当然衝突はあるが、忌憚の無い議論を尽くし、それでも同意に達しなければ、戦争での決着でなく、多数決での結論に従う事が“和”である。

統治及び経営に於いては、変化の激しい時代には種々の意見を出し合い討議を行い、最後は多数決に従う、変化への対応には統制の取れて無ければ、会社という船は難破するのは当然であり、統制は非常に大事である。

然しながら、多くの企業の中で、文句を言うなの意味で使われ、多くの日本人も同様にマインドコントロールされている状況は、この言葉の持つ、集団主義の側面が悪用されていると捉えている。

今回はここまで・・・・・・・・

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March 16, 2005

企業文化ーメーカーと商社の違い

現在就職活動をしている人も多いと思うが、会社の企業文化を事前に知る事は、特に企業活動が人間成長の非常に大事な“場”である事から鑑みるに、非常に大事な事である。 しかし、経験的に云うとOB/OG訪問で相手が管理職でない限りは企業文化を聞きだすのには無理が在るのであろう・・・・・・・・・・。

就職でなく就社を考える人には企業文化を知る事は、結婚相手を理解する事と同じぐらい大事な事である。 何となれば、転職の為の退社の隠れた原因は企業文化への不適合が原因であるからだ。

今回のアップロードは学生、既に就職している人両者に確り読んで自社と行きたい会社の文化の考察の一助になると確信している。

“商社は社内営業は1-2割、メーカーは社内営業6-8割”

商社の場合は基本的には営業のライン部門とその他のスタッフ部門のみとなる、この事が企業文化にどの様な影響を与えるのかを考察したい。

商社は、先ず、営業が全てに優先する。 営業をスタッフ部門は本当にサポートしない限り存続が出来ないので、営業の価値観の文化が支配的になる。 

扱い商品の強さにより軸足が売り先または仕入先に移動するが、いずれにしても、両者の価値観を如何に深く理解して、両者の仲裁作業を行う事になるとも言い得る。 この仲裁を可能にする為には、売り手と買い手の標榜する価値観を正しく認識していないと出来ない。 

この視点では、メーカーの場合、概念的に云うと事業・工場等々のプロフィットセンターの価値観と顧客の価値観との仲裁が必要となり、メーカーの営業は社内の価値観は、基本的には、修正をする必要が在る場合はあるが、普遍であり、多様性の理解という点では構造的に、商社と比べて欠陥があるとも言い得る。 しかし、俗に云うルートセールスも商社にあり、その部門しか知らない営業マンは多様性の点では劣る。

しかし、総合商社の場合は、全体としての多様な価値観はメーカーに比べて優れている。 それが故に今までに何度も商社不要論が持ち上がるが、その都度、新たに変革を成し遂げる事が出来た・・・・必然的に出来た。・・・・・

商社の営業のラインとその他のスタッフの組織のシンプルさより、費用計算が容易い事もあり、基本的には個別費用の管理、更に、社内金利制度まで設けて、課別決算を実行している。・・・・・・この点では毎月業績が報告され、この意味では課別の成果主義が徹底されている。 むかし、まだコピーマシンが高価であったときには、課別にコピー枚数のカウンターがあり、カウンターを挿入しないとコピーできない時代があった・・・・・・・個別原価の徹底管理が成されている。

言い換えると、グループ毎の成果主義、三期赤字だと存続は許されない厳しさが在る中で、年功序列式が共存している。 よって、常に課の経営を考える文化が出来上がることになる。  一方、業績の悪いときは、所謂サービス残業を強いられる事が発生する。・・・・・組織保全行動・・・・・。  しかし、スタッフ部門は、組織の存続は残業の多さが一つの判断基準になるため、少なくとも本当の残業は絶対に申告する特性を持つようになる。

メーカーの場合は、原価計算を全て個別管理する事は、この為の原価単位を集めるのが大変である為、標準原価方式と呼ばれる・・・・別名丼勘定と揶揄されている。 この事は、全てがある規模以上の案件である限りに於いては問題が少ないが、当然色々の規模の案件があり、または、異なる事業部の製品であってもある工程は共有していたりするので、当然、正しい採算は不明になる。・・・・・・この事が、商売の判断を狂わすばかりか、営業に正しいコスト意識の低下を齎し、更に、営業と工場の間の不信感を醸成していく・・・・・・お互いのフィードバックが悪くなる。

例えば、手間ひまのかかる案件で売り上げを増やしても、大口で売り上げを増やした人も同じ利益貢献をしたとして数字上では表示されない。・・・・これでは倫理の崩壊を招いてしまう。 工場サイドはたとえコストダウンに成功していても、原価を下げても、営業はよりやすく売るだけ・・・・・悪循環に陥る。

商社は予定利益が0.1%異なるだけで原因追求が行われ、優良なメーカーは個別原価体制を築いており、1%異なると原因追求をする。 しかし、標準原価システムのメーカーは+・-10%を超える事はざらである。・・・・・・

標準原価か個別原価か・・・・・・どっちのシステムをとっているかにより、メーカーの将来性が読み取れる・・・・・

商社の構造のシンプルさは、最大のコストが人件費である事の意識を植え付けるため、自己成長の意識がメーカーより促進される。 メーカーの場合は、勿論、人件費意識はゼロではないが、材料を如何に無駄なく安いものを使用できるか、如何に安くて良いものを作るか等々のエンジニアリングの価値観が、商品によっても異なるが、より大きくなる。

商社の場合は社内営業は少ない為、各部門の相互作用の機会が少ない為、企業文化としての要因はより少ないものになる。

一方、メーカーは社内営業が6-8割、つまり、関係部門の協力を取り付けることが必要である。 商社は、例えば、書面で依頼をすれば、駄目なら駄目で直ぐ連絡が来て、連絡がなければ希望期日どおりに対応してくれる。 しかし、メーカーの関係部門はそれぞれが多くの依頼を受けており充分忙しい中で、その中でプライオリティーをつけても
言い訳が出来る。・・・・・・それが故に、優先的に事の重要性を説明して、場合によっては泣きついてでも優先処理をしてもらわないと、幾ら書面で依頼をしても対応をしてくれない・・・・・だから、社内営業が構造的により必要になってくる。・・・・・科学的管理を推奨したテーラーイズムの分業による効率化の構造的問題でもある。

この点では、商社と比べて、無責任で居られる構造的問題が内在している。

以上の点では、成果主義そのものは善である・・・・・方法論を煮詰める事が大事であると考えている。

メーカーにおける分業システムは、技術(者)重視、品質重視、少品種大量生産技術重視を醸成してきた。
しかし、顧客の使用価値、その顧客の価値観の多様化の時代に変容してきており。 メーカーの中での重視の順番の変化が必要となってきている。 この様な変化の速やかな掌握と対応を取れる企業か、否かが将来を決める。

Kozyは幸いに、鉄鋼、非鉄、化学、銀行、電力、通信関係の業界を体感してきた。 顧客と市場の影響を受ける、つまり、相互作用を通じて、業界文化や企業文化にも影響を与える様を理解できることが出来た。

企業文化の形成には、創業者の信念の影響を反映する・・・・成功体験を経て、強化されるとある。 確かに、同意は理解出来るが、これでは掘り下げが浅すぎると言わざるを得ない。

成功体験には哲学的要素と、顧客の価値観への適応の二つに分けられると考えるべきである。

哲学的要素として、創業100年以上の商社とメーカーでビジネス活動を経験してきた人間から見ると、読者の方はご存知の人は少ないと危惧するが、日本で生まれた石門心学思想が共通して感じざるを得ない・・・・正に、日本的経営のバックボーンになっている。 ポイントだけを言うと、もうける事は悪い事ではない、ただし、三方良し、先義後利 
等々の企業哲学、経営哲学が共通している。・・・・・・道経一体の思想、ここから、経を営む=経営と言う言葉が生まれてきたのではないかと強く思っている・・・・・・もっと調べて誰が何時から経営という言葉を使い始めたか確認する心算である。

顧客への価値観への適応、つまり、営業で成功するとは言い換えれば如何に顧客にえこひいきされるほど可愛がられるかに尽きる。 つまり、成功体験とはどの様な価値観を顧客と共有できるか、そして、その価値観に見合った品質と価格と機能とを満たすことが出来るかに尽きる。 元来使用価値も、流行り言葉の様に云われているが同じ事である。 つまり、顧客の価値観が変わって来たと云う事でしかない。

Kozyが鉄鋼業界に居る頃は、鉄は国家なりとまでいわれていた時代で、民間会社でありながら官庁の様なプライドと傲慢さを持っていた。 30年前とは言え、暗いスーツに白いシャツでないと出入りできないぐらいで、髪が耳にかかっていると文句を言われるぐらいであった・・・・正に武家商売的であったが大量生産技術での品質と価格競争力を誇っていた。 売ってあげているのに売らして頂く姿勢が、必要な業界であった。・・・・・封建的文化であった。

非鉄業界は、鉄鋼に比べると世界シェアが低く、民主的であり、対等な文化であった。

両方とも技術革新は種々あったが、ゆったりした風土があった。 先輩が鉄はライフワークだと言っていたのを思い出す。 

電力や通信は、鉄鋼は国策事業であっても民間企業であったが、まさに公社の体質であり、価格より品質を重視、
安全より安心を重視、一旦、品質クレームを起こすと出入り禁止になっていく。 

特に通信は世界の有数の研究力を持っており、其処との共同研究を如何に受注するかが将来の商売に大きく影響する。 下流がどうなっているかを知らなくても上流の方でこれを開発して欲しい・・・・・つまり、商品開発の一番大事な開発商品コンセプトは考えなくてもよく、当然需要の喚起などはメーカーには縁がない。 マーケッティングの価値観は醸成されない文化がメーカーには定着していく。

化学業界で材料を売る場合などは、品質も価格も大して差がないものも多く、その様な業界は接待漬けが大事な価値観になり、営業の社内評価は高いものになる。

商品の設計思想も顧客の標榜する価値観への適応に大きく関係してくる。 設計思想が技術部門の文化を作る場合もある。

以上

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March 14, 2005

企業文化ー文化の測定

企業文化の文化の測定とは、何を如何測定するかになります。 ここでは深層部の文化、つまり、暗黙的に認識されている文化の測定について考察して行きたい。

測定・検定方法は大きく分けると、質問紙実験、特殊な統制した環境を設置して行う実験室での実験、臨床的なアプローチの三種類が考えられる。 しかし、実験室実験は非現実的で、たとえ、上手く統制するアイデアがあっても、企業戦士に実験室にまできていただき実験をするのは非現実的と考えざるを得ない。

質問紙実験は、現在では共分散構造分析という統計解析法があり、ある程度の成果は期待できる。 しかし、質問紙の内容をどの様にするのかが難しい。  WHY応答法、価値観構成比質問、項目反応理論等々が考えられるが、この種の質問表の作成には、本人も気付かない暗黙的文化のあぶり出しに於いては、やはり、研究者のバイアスと個別企業の従業員のバイアスの問題が出てくると容易に推測される。

Kozyは、共分散構造分析の有効性を考えるに、また、上記のバイアスの軽減を考えるに一般的意識調査の解析で可能である事が望ましい、 つまり、一般性を持たせるには良いのではないかと考えている。 勿論、今後とも良い質問内容の検討は進めて行きたい。

共分散構造分析といえども、現在でも全因果自動分析が出来るという統計のツールはあるが、本来的にはより制度の高い構成概念の確立がより正しい分析結果をもたらす。

つまり、企業文化の構成概念は種々の論文はあるが、Kozyの経験則から判断するに掘り下げが足りないと確信する。 研究者の多くが、企業の中でのダイナミックで、多くの複合の“場”での情動のメカニズムの複雑さ、大事な価値観の掘り下げが、経験がないと考察と仮定の探索が難しいのは当然である。 

より精度の高い構成概念を確立するには、やはり、臨床学的アプローチが必要になる。 つまり、個別面接とかフォーカス・グループ・インタビュー(FGI)を行い暗黙知的文化を形成メカニズムとあわせて調査をしたい。 特にFGIに於いては、シャインの指摘するように、出来るだけ具体的テーマでの議論で且つ変化を求める議論の中で一番文化が表出し易く、又、構成員の標榜する価値観の確認を行いその価値観と社内のルールとか経営理念・戦略等々の不一致の確認をする事により隠された文化の掌握と形成メカニズムが浮かびだされるという点は賛同できる。

そして、文化と業績との関係まで含めた構成概念を構築したい。

では、この種の質問紙調査と臨床学的アプローチは誰に対して行うべきかとの問題が在る。 この点では少なくとも二つの次元での層別を考えるべきだと考える。

一つは、企業文化の体現度は勤続年数に依存する為、又、管理職=リーダーシップにより醸成・維持されることより鑑みるに課長以上の管理職が対象として相応しいと考える。

もう一つは、サラリーマン格言集の中に3:4:3の原則というのがある。 サラりーマン社会での格言は、言い換えると臨床学的な知見と呼べる。 3:4:3とは足すと10、つまり10割の全体の中での構成比を意味しており、どんなに優秀な企業でもこの様な比にしかならないという企業組織の本質の知見である。

何も支持されなくても自分で考え会社の為になることを提案・実行していく“上の3”、言われた事を忠実に実行する“真ん中の4”、そして、会社のお荷物、または足を引っ張る“下の3”にしかならない。・・・・と云うことである。
当然企業によりこの構成比は異なる。

“上の3”と“真ん中の4”が企業文化の体現者であるが、“上の3”には所謂“チェンジリーダー”が含まれていると理解している。 何とならば、大きな成果には今まで出来なかった事、思いつかなかった事の実現が含まれ、その為には、喩え暗黙知的であっても自社の企業文化の形成メカニズムと文化を熟知していたからこそ変革が可能に成った側面があると確信している。 一方“真ん中の4”には所謂集団圧力により、形成メカニズムとかを考えずに同調による共生を選んでいる人が多く含まれていると考えられる。

一方、“下の3”には採用活動に関する大企業の構造的問題としての人事部が真に現場が求める人を掌握できる限界から“有名大学ー成績優秀”の採用をしていれば言い訳がしやすいと云う問題による採用間違いの人、コネの社内圧力による無能者の採用者がおり、どの会社にも“三馬鹿トリオ”とか云われる一流大学でが必ず居るものである。 

しかし、“下の3”には過って社内評価の高かった“上の3”が多く居るのも事実である。 この人たちを見ていると企業文化の体現者である上司との軋轢の中でやる気をなくした人たちである場合が多い。 この人たちは企業文化をより正確に理解しているが自分を枉げられなかった人たちとも言い得るのではないだろうか。

以上より、質問紙対象は管理職以上として、臨床学的アプローチは“上の3”と過って“上の3”であった人が望ましいと考える。 企業内ではこの層別は管理職レベルの勤務者に対しては概ね正しく認知されているものである。

次回は以下のどれかを取り上げたいと考えている。

*前段で述べたサラリーマンの格言の追加と企業文化の視点よりの考察

*Kozyの経験的な商社とメーカーの企業文化の形成メカニズムの違いについての考察。 この考察を行う事により、業種の違いから来る企業文化の違いを明示して、今回の研究対象とするメーカーの企業文化の構成概念の事前考察を試みたい。

*欧米の企業文化へのアプローチと異なり、日本には企業文化はこう在るべき論のアプローチがある。 このべき論も大事であると考えているので自論を整理したい。

*今回の対象社は、又、Kozyがかって所属した商社も創業100年以上の老舗であり、対象メーカーの100年史を受け取っているので、ここから想定される企業文化の整理を試みる。

以上

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