人事政策

April 12, 2009

Kozyの研究の最新解釈

いよいよあと一週間ほどで6周年目に突入する・・・・今回は、Kozyが心理学の修士コースで手がけた修士論文の意義について、最新の理解を述べておきたい・・・・・実際は2005年に完成して、2006年に修士論文として認められたものであるが、その当時は、何とか、昔から言われている三、四、三の分類方法の確立とその三つのグループの認知構造、つまり、どのような価値観を持っているのか、何が、仕事および人生において大事にすべきことなのかを解明したかったのが動機である・・・・

久々にこの論文に触れるので、三、四、三とは、何のことであるかを再度最初に説明しておきたい・・・足すと十になる、つまり、サラリーマン社会において、新入社員のときは、多くの人が、自分の明るい未来を描いて、腐った目をしたどぶ鼠にはならないとの思いで入社し、自分らしい幸福を求めてサラリーマン生活を始める・・・

しかし、結果として三つの層に分かれていく、つまり、何も指示されなくても自主的に行動して会社に一番貢献する“上の三”、そして、云われたことしかしない“真ん中の四”そして、文句ばかり言って会社の貢献しない“下の三”に分化していく、そして、組織の中では、どうやっても“上の三”は三割を超えることはない、また、“下の三”はどうしても発生してしまう・・・これが組織の特性でもある・・・・

この三、四、三というのは、戦前のサラリーマン社会から言い続けられてきた、正に、“経験則”なのである・・・・そして、昔からこれに関して云われていることとしてもう一つあり、社内において、誰からもぼろくそに言われない人は、所詮は“真ん中の四”にしかなれない・・・・昔か云われる“八方美人”と同じこととも云いえる・・・・この人たちは、誰も悪く言わないが誰も褒める人もいないのである・・・・

また、仕事というものは、すべての人に同様に気を使っていては、何も生み出すことはできない・・・・・“下の三”にぼろくそに言われようと無視する勇気がないと、自分自身が壊れていくのである・・・そして、一番大事なのは“真ん中の四”にいくら時間をかけようとも、働きかけて賛同を得ることなのである・・・“上の三”には気を使う必要もない、何とならば、彼らは何も言わなくとも理解して支持してくれるのである・・・・・

この修士論文の結果だけを“研究結果の主要ポイント”として、今回、Blogの中の“講演資料・自書レポート等”にアップロードしたので、これをプリントアウトして、それを見ながら、本記事を読んでみてほしい・・・・久々のアップロードでやり方が解らなくなり、時間が空いてしまった・・・・ご容赦ください・・・・

見事に三層に分類ができて、各層の認知構造がどうなっているのかが導き出されている・・・・当初は因果構造まで導き出すことを意図していたが、強く明確な因果関係は導き出せなかった・・・しかし、よく考えてみると、以前も何度か、本Blogで述べたように人間は文脈の支配を受けるが、多次元で且つダイナミック世界で働く組織の中の社員に対しての質問項目は、生態学的心理学の常識から言っても、因果関係を求めること自体が、現実的には妄想でしかないと気づかされた・・・・

それ故に、組織の中の構成員であるサラリーマンの研究においては、いかなる相関関係にあるのかを調べることが、必要十分だと捉えるべきである・・・・そして、見事に、正の相関だけでなく負の相関関係まで描き出すことができたのである・・・この詳細結果はアップロードはしないが、今日分散構造分析の多母集団同時分析を行って、その関係で一番信頼の高いケースの結果を含めたものをアップロードしておいた・・・・

この修士論文が、巧く統計解析ができたのは某創業100年以上の老舗大企業のメタアナリシス(アンケートのデータの後分析)をさせて頂くことが出来たこと、そして、この質問内容はアメーバ経営で知られる京セラの優れた質問内容に負うところが大きい、再度ここで感謝をしたい・・・

尚、この対象母集団は、正ライン部長のみを対象としており、その数が250名であり、その同期の人間は約千名おり、四人に一人が部長になっていることになる。 また、H群が“上の三”、M群が“真ん中の四”、L群が“下の三”を意味している。

この論文を完成したときに、自分でも宝の山を掘り当てたと直感的に確信したが、その後何度も反芻していると、また、今回添付していない0.1%以下の有意な相関係数の関係を見ていると、確かに人は取り巻く文脈に縛られるのであるが、企業内での同じ文脈に対する認知構造、Mind Setが、大きく三つの群に分かれるのである・・・・

面白いのは、H群はすべての項目が必ず他の項目と有意な正の相関で結ばれているが、つまり、一つの項目が起動するとすべての項目が起動していくのである・・・仕事が楽しくてしょうがない、そして、非常にポジティブな感情と現実認識が結びついているのである・・・・

一方、M群とL群は意識項目が高い数値を出しても、いくつかの認識項目と負の相関を起こす、つまり、高い意識を持てば持つほど、現状へのポジティブな認識がもてなくなり、ネガティブな認識をしてしまう・・・・

このことは、意識改革や動機付けにいくら力を入れても組織内の圧倒的な多数派の人には、意味はないということなのである・・・コミュニティ心理学でいわれるように、個人支援だけでは効果が出ないのが組織開発の基本であり、同時に取り巻く文脈への介入が一番大事になるのである・・・・

M群の人たちは、1-3の質問である業績貢献のために創意工夫をする、そして、1-4の質問であるチャレンジ精神の意識を高く持てば持つほど8-2の質問である部下はミーティングの結果に関心をもてない、8-5の質問である部門間での意思の疎通が出来ていないという認識になっていってしまう・・・また、意識としては5-3の他部門との協力体制に努力しいているという項目と8-5の項目も負の相関関係なのである・・・・・つまり、会社の実態に厭世観を持ってしまう・・・

M群の人は、他の人、つまり、自部門の部下へは愛情はあるが、トップが馬鹿だと、また、組織がおかしいとの認識を持ってしまっている・・・・自己無力感に陥っているのである・・・・

L群の人は、負の相関関係がM群は六つしかないが、十一個もあり、業績への意識およびコミュニケーションへの意識と会議関係認識および情報の伝達・迅速性関係と負の相関関係を生み出している・・・自分の部下、関係部門、そして、トップを完全に馬鹿にしている・・・・これでは組織内で浮いてしまうが、本人は厳しい統制の認識は強い、つまり、文句だけはよく言うのである・・・・

多母集団同時分析のパス図は、その中で一番収まりのよいものを提示しているが、すべての有意な相関係数を見ていると、そのすべてを収まりのよいパス図には出来なかったが三つの群の違いが如実に記載できることが出来るのである・・・・

また、現実として選ばれた役員や社長などを見ていると、日本においては、出世だけで捉えるとH群の人が社長になる場合もあるが、B群やC群の人が社長になる場合もあり、サラリーマンの格言でもある“運、鈍、根”の中で確かに時代の流れとかライバルの消失等による“運”が一番大きなことだと知らしめている・・・・

しかし、多くの過去の社長を見ていると、H群でなかった人が社長になるのはその人にとって運がよいと思うかもしれないが、会社にとっては最悪であり、社の真の発展はないのも確かであり、社長ともなれば、誰のせいにも出来ないので、H群でなかった人たちは、馬鹿社長の烙印を押されてその後を生きていく・・・本当にこのような人は幸せなのだろうか???・・・

この研究に取り組んで既に6年が経つが、その間にポジティブ心理学や脳科学を平行して勉強してきたが、同じ会社で働いていてこれだけ認識が異なるということは、まさに、何がポジティブな認識に導くのか、その分水嶺は何であるのか示唆している、そして、グループ・ダイナミックスの知見が示すように、H群=ポジティブな認知ができ、有効機能する人たちとの違いは、事実を正しく認知して科学的思考する能力、それには時間を要するとの理解=希望の維持能力、そして、その日までがんばって行くという忍耐力、M群およびL群にはこれらが見事に欠如している・・・・・

自業自得および因果応報が、人間がコミュニティの中で生きるときの基本であることの認識が出来ていないは、社会のメカニズムと人間の持つ構造的な弱さが理解できていない・・・人間は画一的な理解をしたがるが、これは、脳の怠惰性がもたらすものであり、普遍なことはないのである・・・

今後も日本の産業界の経験則である三、四、三の視点を活かして、曖昧模糊としたデータしか集められない従来の調査方法に最新の統計解析を屈指して、ポジティブ・オーガニゼーションの構築に向けてライフ・ワークとして研究を続けていきたい・・・・

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March 03, 2009

雑感・・・リーダーとは、リーダーの選定とは・・・・・

商社に居た頃は、サクセス・パス、つまり出世コースというのは営業で実績を上げることに尽きた・・・具体的には役員になる頃、そして、役員になった後でも伸びる部門に関与していることが大事であった・・・メーカーでは、お金の生み出し方や節約が必要な時代には経理関係、技術が必要な時代では技術系、販売力が必要なときには営業出身というように、正に、タイミングという運が必要であった・・・・

しかし、なんと言っても一番稼いでいる部門が社内発言力を持つのは当然である・・・経理関係はRisk Managementが必要な時代に浮上するが、実際は、時代が一番経営上大事なものを持っている人が社長になる・・・また、確かに技術革新のスピードが人類史上一番速い時代には、技術的な洞察力と顧客の求めるものを肌で感じる能力が一番求められ、経理出身を社長に選ぶのは論理的には考えられない時代になっている・・・・

しかし、コモディティの世界で生きていくにはコストマインドの高い経営者が必要となるが、この点では技術系の中でも製造技術ばたの社長の到来も考えられる・・・・

欧米的な経営の発想では、Business Development、Effective Operation、そして、Risk Managementの全てに長けているのが良いが、この経営の三大要素のどれに一番比重をかけるべきかの認識に選ばれていく・・・日本的には、それらの三大要素の要因である、人、物、金のどの要因が一番強化が必要な時代かの認識に依存して決められるのが筋である・・・

現状認識として、企業のLife Timeつまり、生存期間は短くなってきている、また、昔は、“寄らば大樹の陰”ともいわれ、大企業はつぶれないといわれたが、この変化の激しい時代では大きいが故に、変化への対応において、変化の胎動を知るのに時間がかかり、動くにも末端まで浸透するのに時間を要するが故に、潜在的には非常に危険な会社になるのである・・・

しかし、Globalizationの齎すものとして、新技術の伝播のスピードが速まり、直ぐに、多くの商品がコモディティ化してしまう、そのためには大量生産によるコストダウンは不可欠になり世界市場で3位ぐらいまでに入れない企業は飲み込まれてしまう時代に入っている・・・

一方、Globalizationは全ての商品およびサービスで起きる訳でもないものであり、その地でしかその価値は認められない商品やサービスがあり、これをLocalizationと呼ぶ・・・ある意味では、Made in JapanというブランドもLocalizationのエリアの商品として捉えることも出来る・・・・・

自社が置かれている状況を直視して、自社に適した上述してきたようなことのベスト・ミックスを経営者は構築することが出来る人、そして、その先のゴールとしてのビジョンを提示できる人、そして、そのための戦略を練ることが出来る人と言いたいが、残念ながら、戦略のLife Timeも短くなっており、如何にゴールに近づけるかの努力は部課長に任せるしかないだろう・・・・

つまり、現場での変化の胎動の感知能力、それに基づく知的で現実的な戦略の構想能力が必要になる・・・しかし、これらの能力は、人間の持つ構造的な問題である変化を嫌うところに打ち勝つ人材が必要になってくるのである・・・これ即ち、人間としての自己成長が必要であり、また、自己成長を阻害する要因を廃する行動を経営者が率先垂範できることが大事になるのである・・・

トップが範を示すことなしには、如何なる新規な人材開発といわれる策をとっても絵にかいたもちにしかならない・・・

Kozyは今まで色んな人にリーダーとして一番大事なのは胆力だと断言してきているが、胆力とは、本Blogで、現在一番読まれている精神力、気力、胆力の違いと構図で述べているように、この三つは、強い相関関係で結ばれており、三点セットの側面があるが、どれだけ多くの成功体験を築いてきても、常に自己を否定して白紙の心で物事のあるべき姿を志向および思考することであり、変化することを恐れない心が胆力の本質です・・・・

しかし、人類はリーダーの選択では間違いを繰り返してきている・・・Kozyは知る人ぞ知るハーバードの“Working Knowledge”に加盟しているので、その中で、・・・What do you think? Why can't figure out How to select leaders・・・がOn-line forumでありそれをみていたが、答えは出てきてない・・・

胆力がなければ、現実がただしく見えない、現実が正しく観測できなければ正しいリ-だーシップは発揮できない、正しいリーダーシップを発揮しようとすることは自分が変わる胆力が必要であり、人を引っ張るには愛他性と自己犠牲も必要になるが、これも胆力がなければ発揮は出来ない・・・・

職場ごとに仕事での重要度の高い価値観は異なるが、社会的な文脈は技術革新のスピードアップを受けて常に変化し続けてきており、この変化が重要度の高い価値観にまで動的な影響を及ぼして生きているのが現代社会であり、如何なる変化も嫌がるのが人間の本質であり、自己評価は常に過大評価されやすいのが人間でもある・・・・

だから、リーダーの選定はその権限を行使する対象がどのような集団かにも左右される・・・それなのにリーダー選定を上の人間だけが行なうが故に、上手くいかない・・・現社長が後任の選択権を持つことは、取りやめるべきだと思っている・・・社長が任命権を持たないとイエスマンは大幅に減るのである・・・これがRisk Management上大きいのである・・・特にこれからは・・・・

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November 29, 2008

“心の弱さ”についての考察・・・・

多くの人が、解っているけれど出来ないんだ・・・・という状態にいると理解している・・・

人間を動かすのは心であり、心が弱いから行動に転化することが出来ない・・・誰でもがこの事は表面的には理解していると思います、しかし、次から次に種々の困難に立ち向かい実現していく人たちも、少数派ではあるが実在している・・・・この違いはいったい何処から生まれてくるのかという視点で、いったい心の弱さとは何なのかを掘り下げて説明していきたい・・・・・・

Kozyは、この心の弱さには、幾つかの次元があり、心の弱さという言葉が規定するものは単純な構造ではないと理解している・・・・・

Case 1:
一つは、この言葉“心の弱さ”という言葉に逃避する、つまり、自分が出来ないことの論理的な言い訳として、現実への直面化を避けている・・・しかし、ここで認識すべきは、人間の脳は皆同じ構造を持っているのである・・・少なくとも自分自身が真に解っている状態であれば、誰でも出来ることを意味している・・・

Case 2:
Case 1 の場合の本質的な問題は、もう一つの原因である、理解できているつもりで本当は理解できていないということなのである・・・・人間の脳は本質的には怠惰性に縛られているがゆえに、深く考えて理解を深めることを回避してしまうのである・・・怠惰性という言葉は別の表現にすると、最小のエネルギーで最大の効果を求める生態系の中で生きていく上での摂理でもある・・・・

Case 3:
Case2の裏に隠されているのが、第三の問題である・・・本当にしたいというほどの状態に自分自身がいない、または、追い込まれていないということを、潜在的に自分自身が感じているからなのである・・・・では、行動転化することはないではないか・・・ということになる・・・・何も悩まなくても良いではないか???・・・ということも出来るのである・・・・

しかし、多くの人が何故に、“解っているけれど出来ないんだ”といって自分を責めるのか???・・・これは、皆さんが、自分自身の中に培ってきた五感を通じて集められた情報の総体でもある自己概念が、自分の心の声として、生きていく上で本当に必要な心のエネルギー(これを東洋哲学では“気”と呼んでいる、そして、生まれたばかりの赤ん坊が一番大きな気のエネルギーを持っていると捉えている)の超えてはいけない低下レベルを超えてしまうのが時間の問題であると囁くからなのである・・・・とKozyは整理している・・・・

このことが、自己変革の三要素で述べた“心のエネルギー管理”を意味する・・・・つまり、人間の思考は言語でしか出来ないが、五感を通じて集積してきた自己内の概念を全て言語化して本当に理解することは、真に自分を知ることと同意語であり、なかなか簡単には出来ないのである・・・・・

自己変革の三要素で述べた、“知的思考能力”とは、少なくとも自分自身の中で言葉とその言葉が規定する概念が限りなく一致させることが出来ることにより、初めて言語を通じた思考が正しく行なわれる、そうでない言葉による思考は、当然、真の理解には結びつかないのである・・・・

つまり、言語の精緻化が大事になるが、この精緻化に必要なのが、それまで経験をしていないより広い経験とより深い経験を通じて、初めて磨かれていくのである・・・(自己研磨の本質はこのことなのである)・・・・つまり、自分で自分自身の中にある概念との対話は、これらの経験なしには出来ない・・・・

また、言語の精緻化が本当に自分自身で出来ているか否かの検証は、それまで出来なかった行動が出来るようになることによってのみ確認される・・・つまり、“多くの人が、解っているけれど出来ないんだ”ということは、実際は解っていないことを意味する、机上の理解だけでは意味がないのである・・・・・

普段から、自分の使っている言葉の規定を常に検証する習慣、問題の前提条件の整理確認する習慣、そして、システムとしてどうなっており、各プロセスで何をしており、その前後のプロセスとの相互作用がどうなっているのかという点に対する掘り下げた理解をする習慣、これらの習慣は、慣れていない人には非常に難しいことであるとは理解するが、これらの習慣があって初めて本当の知的思考能力が発揮されるのである・・・・・

念の為であるが、大事なのは姿勢の確立であり、システム的な深い理解は、経験が少ない人には不可能なのに、この探求が出来ないことで悩む人がいるが、若い時は、自分で創造して一環システムを完成して理解することで充分なのである・・・つまり、仮設を設定すれば良い。この仮説をもつことにより現実からの学習をするときに、大事な現実を見逃さなくなり、また、学習スピードが増すのです・・・

しかし、人間の脳の発達は、曖昧なままの情報の取り組みを行なうことにより発達したものであり、人間の脳の中での整理は常に曖昧な情報に基づく、曖昧なままでの整理が成されたものに動かされているのである・・・だから、皆悩むのである・・・

また、本当に知的思考能力を発揮して物事を掘り下げるということは、目の前にある現実を正しく検証をして受け入れて、曖昧な情報による理解をより精緻化して、自分の新たな理解を平易な言葉に置き換えて表現し直した言語による思考とその結果、頭に浮かんだものを、現実の中で検証してみるという作業が必要なのである・・・・

この作業がなければ、また自分の思い込みによる妄想になってしまう・・・・まさに、現実とは神の啓示ということが出来るのである・・・・現実との対話という表現が出来るが、この現実との対話とは実践して、つまり、行動に転化して検証をする、つまり、行動を通じて得た理論でないものは、正に机上の理論であり、信頼が出来ない、また、その理論が実践を伴わないものは理論としては信頼されない・・・・

また、行動を通じた学習は脳内の広い分野の活動を促すが故に、体験学習は短期記憶でなく長期記憶として脳に残るのです。また、この記憶は実戦で有効機能する、つまり、既に形成されている情動記憶の修正に役立つのです・・・・

ここで述べたような生きる姿勢の確立が成されていない人が、たとえ周りの皆の人に貢献できることを提案しても、周りの人を動かせることは出来ないのです・・・この様な経験を何度も踏むことにより、正しい生きる姿勢が確立できていった人は説得力を持つが、何度もの経験で、自分の普段の言動=生きる姿勢の確立不足が原因であるにもかかわらず、無力感に陥ったり、周りの人たちは馬鹿ばかりだと周りに責任の転嫁をしてしまう駄目な人になる人に分かれていきます・・・・

残念ながら、後者が圧倒的に多数なのである・・・・先人が言っているように、信用は築くのに時間はかかるが、信用をなくすの一度の言動で簡単になくなるのである・・・・つまり、完璧な聖人になれとまでは、言わないが、周りの人は自分のことは棚に上げて、少しでも他の言動で非があれば、その非を誇大に評価してしまう・・・人間は、これほどに傲慢になりやすい、だから謙虚さを自分に言い続ける必要がある・・・・

ここで大事なのは、不完全な人間であるが故に、誰でも魔がさすとか、疲れから怠惰な言動に走ったりする事はあるが、その非を素直に認めて謝罪したり、何度も同じ間違いをしない反省という学習能力を常に発揮することなのである・・・・この様な人の存在が今の社会では非常に減ってきているのも事実である・・・・

昔はよく耳にして言葉で“職場の良心”という言葉があったが、あまりにも未熟な人が増えて、未熟な人があるべき方向への抵抗勢力になるが故に、“職場の良心”候補であった人たちを圧殺している、そして、未熟な人が職場がよくないとかの言動に走る、全て自業自得なのである・・・・

ここで述べた“生きる姿勢の確立”とは、正に“自己変革の三要素”で述べた、“覚悟の醸成”そのものでもあるのです・・・・

さて、最初に戻ってCase 1で終わってしまう人は、人間は皆、人間であるが故に“心の弱さ”をもっていること、そして、人間が真に成長することは、自分の“心の弱さ”と戦う必要があることを肝に銘じてください・・・・そして、誰もが生得的にもっているものは同じであり、誰でもが成長できる・・・これが生きる上での覚悟でもある・・・

Case 1で止まってしまう人は、これまで生きてきた中で、自分自身のもっている心のエネルギーが低下しすぎている。それ故に、自分が真に楽しめることがあれば楽しんで心のエネルギーを上昇させてください、しかし、念の為ですが、楽しむことは、決して目的ではなく、成長する為の心のエネルギーのあるレベル以上に保つ為の手段でしかないことを忘れないでください・・・・

Case 2で止まっている人は、真の知的思考能力の向上に励んでください。・・・行動心理学では、人間の場合は、“論理化”といわれる心の知的思考能力を発揮して自分自身で論理的に納得することが必要とされている、Kozyが大学院で受けた講義ではこの“論理化”については詳しく述べられなかったが、Kozyは、これが一番大事なことだと捉えている・・・・・・

特に現代社会においては、この能力を人類全体で向上していかないと、新千年紀は在り得ないのではないかと捉えている・・・つまり、恐らく産業革命までの時代はよかったが、産業革命、つまり、人間が楽をしたい気持ちで技術進歩を選択したことにより、技術革新のスピードが人類史上最高速になったが、これらの技術進歩は二つの大きな弊害を齎している・・・・

一つは、忍耐力をつける頑張る機会を減らしてしまった、そして、もう一つは生きていくことに対する価値観の変化のスピードまで速めてしまった・・・・これらの事は、産業革命以前の今より小さなコミュニティーのなかで完結していたコミュニティーという社会の喪失なのである・・・・

人間の脳は、25歳までの経験により瞬時の判断をするようになっているが、その根源にある前提条件が、小さなコミュニティーの中で完結して、価値観の変化が非常に少ない場合は有効であるが、現代のようなある意味では無限大に近い数のコミュニティーとの相互作用の中で生きていかなければならない社会においては、25歳までの人生での経験はむしろ邪魔になり、必然的に異なる価値観との対立が起き、人類史上最もストレスを起こす環境で人間は生きていく必要があるのである・・・・これが更に上位の生きていく為の、また、自己変革のための覚悟の真意です・・・

ストレスとは個人だけの問題でなく、その対処には相手への攻撃や逆に回避というものが発生するものであり、これが人間各個人の成長への大きな弊害を生むのである・・・・

一方、自然科学は、その使用する言葉や思考する場合の方程式などに使用される記号等は、厳密に規定されており、それらをベースにした思考の発展は、これからも続いていく、しかし、社会科学や人文科学等は、規定の厳密さには、それぞれの社会経験が異なるが故に、厳密な規定の共有化自身が非常に困難であるが故に、自然科学に比べて圧倒的に進歩が遅いというギャップを産んでいる・・・・

この様な本質的な問題に打ち勝つ為には、先ずは現実として人間は言葉でしか思考が出来ないが、その言葉自体が精緻化されたものではない事への理解、そして、人間の持つ、ある意味では自然に摂理でもある最小のエネルギーで最大の効果を求める脳の支配からの脱却が必要になる・・・この理解が生きていく覚悟を醸成し、そして、知的思考力の向上を促すのである・・・

つまり、Case 2の人たちは、表面的な理解だけで解ったつもりになっている、これは脳が楽をしたいが故に起きるものであり、常に事実を再度見つめて、常に検証して理解を深める必要がある、・・・・現実と自己概念と自己が使用する言葉の一致が成されない限り理解したことにはならない・・・・・

人間の思考の源である前頭葉は、人間だけが持つ素晴らしい脳機能であるが、殆どの考えや感情は、辺縁系という情動を司る部分が先に起動して、約0.5秒ぐらいで前頭葉が追認している・・・この辺縁系は哺乳類の時代の脳機能であり、前頭葉は人間の証である機能であるが、この0.5秒とは短いようでも、その間に前頭葉を強く起動することにより、充分に辺縁系からの指令を覆すことが出来るように、人間の脳は出来ているのである・・・

ある意味では、この辺縁系の機能を現実に即した形に、強い覚悟や何度もの新たな経験を通じて向上させることが人間の成長になる・・・これは己の情動との戦いであり、あるレベル以上の心のエネルギーが維持されていないと、自分の脳の怠惰性に負けてしまうのです・・・・

先人が言うように、攻撃は最大の防御というように、攻撃とは能動的な思考行動であり、防御とは受動的な思考行動であり、受動的とは、どうしても先に情動が強く起動してしまうので、自己変革においても、先に自分で考えて決断をして行動に移す能動的な姿勢でないと難しいことを意味している・・・・

つまり、正しい理解の前提は受動思考でなく、能動思考をすることが必要であり効率的なのである・・・・これ即ち、普段から種々のことを掘り下げて考えることが必要であり、その検証にはより深い経験と新しい経験が必要になる・・・これこそが知的思考能力を鍛える近道なのです・・・・

Case 3の場合は、もし、Case 2で述べたような知的思考を経て、世間が如何いおうとも自分はこれで良いのだということになれば、“解っているが出来ない”対象であることは取り組む必要はない・・・人間は社会的な文脈、つまり、多数派の理論に押し流されやすい構造を持っているが、知的思考力を充分発揮して、やる必要がないとの結論に達すれば、取り組む必要なない・・・・・・

多数派の理論は常に正しいわけではない、むしろ、多数派という集団は集団の愚かさを生みやすいのである・・・

しかし、人間は、今回の金融恐慌および今までの歴史を顧みてもわかるように、不都合な現実には目を背ける“心の弱さ”を誰でもが持っている、つまり、これは、脳の持つ本質的な機能そのものでもある・・・・特に金融関係は人間の強欲さが渦巻く私利私欲に囚われており、行くところまで行かないと判らない愚かな構造下にある・・・

これでお解かりの方もいると思うが、“心の弱さ”は、脳の持つ本質的な機能であり、脳の陰陽の陰の部分なのです、しかし、人間の脳は陽の部分を持っている・・・これがここで述べた知的思考能力であり、前頭葉を本当に上手く起動および機能できるかに、人間の成長は依存している・・・

追伸:

つい今回は、かなり本質的な部分に触れる話であったので自己内での整理に時間がかかりました、また、今週も出張で忙しかったので、投稿間隔が開いてしまい、申し訳ありませんでした・・・・また、少し長くなりすぎたこともご容赦ください・・・

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October 28, 2008

自己変革の三要素・・・・・・

全国行脚の旅を取り敢えず終えることが出来た・・・会計年度が、通常の会社と異なり11月30日である為、今期での出張は緊急の場合を除きこれで終了となり、これから溜まっている評価レポートを作成することになる・・・・

これまでは、日本の最北端の訪問地は妻の実家のある会津若松でしかなかったが、最北端は北海道の名寄まで記録を塗り替えた、北海道だけでも、このほかに札幌、旭川、留萌、そして、苫小牧まで訪問してきた・・・四国中国は全県制覇したが、後、訪問していないのは、南から、沖縄、鹿児島、宮崎、熊本、佐賀、秋田、岩手、そして、青森の八県のみが未だに訪問したことが無い・・・・

これで日本人であるといいえるだけの自信が持てた、しかし、来期は九州が抜けすぎなので全県制覇をしてみたい・・・・これから、一ヶ月をかけてレポートを作成する・・・・・

種々の地方の人たちとの種々の交流を通じて、色々と感じさせられ、自問自答を繰り返してきて、今、自分の頭に浮かんでくる人間の成長の為の三大要素は、もっと端的に言うと自己変革のための三大要素は、①自己変革に立ち向かう覚悟の醸成力、②自己変革を成し遂げる為の心のエネルギー管理と維持能力、③人間であるゆえんである知的思考能力・・・・この三つである・・・・

この三つは全てお互いに相互作用の関係で結ばれており、どれ一つとしてあるレベルを下回ってしまうと全てが駄目になる・・・

この三つの関係でやはり一番大事なのが、覚悟の醸成であると捉えている、つまり、多くの人が自己変革をしたいと思うのであるが、自己変革とは、苦行を伴うがゆえに、願望としての“したい=欲求”がいくら強くても、苦行に直面すると萎えてしまい、つまり、心のエネルギー不足の状態に陥り、前に進むことが出来ないばかりか、諦めてしまう・・・

もし、この時点で知的思考能力が十分であれば、この様な苦行に面することは論理的には当然のことであり、自分が、自分自身でこのままでも良いと判断をするのか、しないのかを知的思考力を屈指して判断をするが、人間の構造的な問題を、また、その人間が構成する社会の構造的な問題を確り理解が出来れば、再度、覚悟の強化が出来るのである・・・・

つまり、真の知的思考力を、ほとんどの人が出来ていない・・・・

つまり、実存する現実を現実としてどれだけ正しく認識できるかは、心のエネルギーの大きさに依存するのである、つまり、それまでの限られた知識や経験から自分の中に自動的に起動してしまう捉え方や価値観に、如何に縛られないようにするか・・・・

これがKozyの言わんとする自動脳のことであり、この自動脳に縛られないことで初めて現実が正しく見えてくる・・・・・この為には、心のエネルギー不足では、脳の持つ怠惰性に負けてしまう・・・・

Kozyが、皆さんにお勧めしている“3355”は、人間の構造的な問題の理解とその構造的な問題の呪縛からの開放策であり、この方策の実践を通じて、一番最初に深い理解をする必要があるのが、自己観察と周りの人達の観察を通じて人間の構造的な愚かさからくる、・・・・・・人間は自分の普段の言動を通じて、周りの人たちに植え付けた自分自身に対する社会的な認識に対して自分自身がその役割を演じていることなのである・・・・つまり、全て自業自得であり、まさに、因果応報なのである・・・・

そして、この自分自身に対する社会的認識への反発心が、自己変革への機動力になっている・・・・この理解が大事で必要なのである・・・・つまり、自己変革に立ち向かう覚悟とは、人の所為にはしないことなのである・・・また、周りの人の自分自身に対する認識の変化は、当然、すぐ変わるものではないことを理解して立ち向かっていくこと、これが覚悟であるとこを理解すべきなのである・・・・

もっとも愚かな人は、自分の偏った経験とそれに付随する感情により、自分の愚かさを認めることもなく妄想として、自分はこうなれるはずと思う人であり、当然、そこには正しい覚悟もなく、知的思考力もなく、当然頓挫してしまうだけなのである・・・・・・

個人的には英語の表現である“You are trying”という言葉を思い出す・・・この意味は、(自己変革を)試みている最中である=(結果が出ない状態であるが故に)苦しんでいる・・・つまり、試みは達成するまでは苦しい=苦行でしかない・・・・これが、現実であり、それが故に、このことを最初から理解していない人は、覚悟を本当にはしていないことでしかない・・・・

しかし、たとえ同じ事をしていても、この“TRY”ではなく“Challenge”する意識に切り替えると、挑戦という言葉になり、挑戦=覚悟と同じ意味になり、その挑戦の方向が自分にとって本当に正しければ、また、知的思考力を屈指して自分自身で本当に必要であると整理が出来ていれば、むしろ、ワクワク感が生まれるように脳はできているのである・・・

つまり、知的思考力が心のエネルギーの維持と増幅に貢献をして、あるべき覚悟を醸成してくれる側面もあるのである・・・・

もう一つ大事なこととして、“3355”を通じて、理解すべきことは、自己成長の度合いにより変化していくが、誰が一番自分を支えてくれているのか、また、誰を一番守りたいのかを知り、その人たちへ報いたいことを自分自身ではっきりさせ、その人たちの為に、そして、それが自分の為(自分が自分として存在できる為に)にもなることを理解して、そのために自分が如何変わりたいのかを考え知ることなのである・・・・

理由は簡単であり、人間の脳の持つ怠惰性の本質より、ただ自分の為だけという覚悟は、苦行に直面すると萎えてしまう・・・端的に言うと、自分で他の理由を見つけて逃げてしまう・・・・これでは覚悟にならないのである・・・つまり、利己主事による覚悟は弱いものであり、愛他主義による覚悟の方が強いのである・・・・

つまり、利己主義による覚悟は、集団社会での自分にとっての自分として変革でしかなく、集団社会に寄与が認められない限りは社会からの抵抗はより強く、また、変革への支援者は現れてこない。 一方、愛他主義による覚悟は、人間が集団の中でしか生きていけないが故に、集団社会からの支援が得られ、また、相手に寄与する自分自身の変革が自分の望む自分と一致することにより、一番おきな自己変革への心のエネルギーが得られるのである・・・・・

言葉だけで説明することは非常に難しいが、各三つの本質は次のように言いえるのではないだろうか・・・・

覚悟とは、・・・・・人間の構造的な問題から捉えると達成できないものへの挑戦・・・また、強い覚悟は、その目的達成に有益な脳内回路を活性化し、有害回路を不活性化する、良くも悪くも、だから、人間は多重人格者にもなれる。言い換えると、強い覚悟は、人間の無限の可能性の具現化へのスイッチになるのです・・・・・

この覚悟が無いと心のエネルギーの維持も増幅もできない、また、知的思考力も磨くことは出来ないもの・・・・・だから、一番大事なのです・・・・

心のエネルギーの維持・増幅とは、・・・・・如何に人間の持つ構造的な問題を深く理解して、現実との折り合いを付ける能力であり、そのためには、一方だけに偏らないで臨機応変にスイッチできる能力であり、これなくしては正しい覚悟は出来ない、また、正しく現実を捉えて知的思考をすることは出来ない・・・・

知的思考力とは、・・・・・曖昧性の習得により齎された人間の脳のみが持つ能力であり、それが故に人間は矛盾に満ちており、人間が構成する人間社会も曖昧性と矛盾に満ちている、この人間社会は構成員である人間の成長度合いによりあるべき解決策な変化していくものであり、実践+検証=経験によりあるべき解決策が醸成される。 念の為であるが、経験とは新しい体験及び、より深い体験のことである・・・この経験を喜んでできる人が知的思考能力を身につけるのである・・・・・

この曖昧性をその都度、俊時に、または、速やかにあるべき方向を見出すのは、現実的には不可能であり、それが故に、人間の脳は自動脳という機能を持つようになったと、Kozyは捉えている・・・・しかし、この進化した脳に、人間は縛られて成長が困難になってしまった・・・・・

以上の説明で、Kozyの言いたいことを得心していただける方は、相当、本Blogの愛読者であり、“3355”の実践者であると存じます・・・・・

また、この三つの要素について、他のテーマでも言及しながら、説明を試みたいと思います・・・・・・


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June 11, 2008

第三の目と生きる目的と現実への対応能力の構図・・・・

目的と手段の混同の罠に落ちるのではない旨を、以前ポストしたが、最近の風潮の“お金を稼ぐ”、では、そのお金を貯めたら何の為に使うのか、何に使うとしたら、一体お金を使って何を手に入れたいのか・・・・ここまでは、自分にとっての目的がわからない状態での手段としてお金を稼ぐことがあたかも、人生の目的になっている・・・・・正に混同している・・・・

では、“一番家庭を大事にしたい”・・・家庭を大事にすることは決して人生の目的ではない、家庭を大事にすることにより何を手に入れたいのか・・・・家庭が安定して相互信頼のできる集団を維持または構築したいのか、しかし、これは本当の目的ではないはずである、確りした状態を作って、そして取り組みたいものが、人生の目的なのであろう・・・・・

つまり、よく天命を知るとか天職を知るとか、人生の最良のパートナーを得る等々云われているが、一体どれだけの人が若くして、この答えを確信を持っていえるのだろうか、また、60を過ぎた人、70を過ぎた人、80や90を過ぎた人の中ですら一体どれだけの人が死ぬ前に確信できている人がいるのであろう・・・・

歴史上の偉人の多く、また、この様なことを問い続けた哲学者であろう、誰もが頷けるような人類普遍の答えを提供してくれたであろうか・・・・なのに純粋無垢という傲慢さにより若者は答えを直ぐに欲しがる・・・当然挫折をしていく・・・・人間として脆弱性が強い人は、折れた心が立ち直れない・・・

強固な人は、それらの経験を実学の習得、現実の正しい受容・理解として、正に神の啓示として成長に結び付けていく・・・まさに、心理学で言うところのレジリエンスの強い良い人は、挫折でなく善い経験をさせてもらったと捉えるが故に、それらの人の辞書には挫折という言葉はないのである・・・・・・

世間一般で云う逆境や苦行は、レジリエンスの強い人には、“災い転じて福と成す”が自然、むしろ自動的に発生してしまうのである・・・・・・ではこの違いは一体何が最大の原動力になっているのであろうか・・・・・

最近やっとKozyの頭の中で、人生の目的とは、何なのかがすっきりしてきた・・・心身ともに健康であり続けたいと本Blogでは何度か云ってきたが、これも所詮はKozyの煩悩でしかないと反省をしている、また、新たな経験、より深い経験をすることも自己成長への手段でしかない、また、自己成長も、自己成長をして何をやりたいのかと考えると、これも手段でしかないのである・・・

残念ながら皆さんへの具体的な答えはそれぞれの経験および能力の個体差があるゆえ、ここで提示は出来ないが、最近のKozyの辿り着いた結論は、動物およびたとえ生物であっても種族保存、それも個人レベルでなく人類という種のレベルでの保存の為に生きている・・・これが人間の人生の究極の目的である・・・・

唐突に感じる人が多いと思うが、むしろ、それは当然だとも理解している・・・これは、生命の恒常性にも関係するが、“種の恒常性”といっても良いだろう・・・・つまり、人間の社会集団の維持および発展のために生きていると・・・この社会集団の維持とは、一つは人間集団の内側からの維持および向上であり、もう一つは人間集団が基盤としているその他の生態系との共存を目指すことなのである・・・・・

正に、概念的には地球を一つの生態系として捉えた“ガイア”とその中の一つの種族としての生態系である人間社会との共存を目指すことが、各個人の人間であったとしても、人生の目的だと捉えている・・・

ミクロシステムでもある夫婦または家族、メゾシステムである社会集団(友人、企業社会、地域社会等々)、エクソシステムである国家、民族、文化、宗教等々の集団、そして、ガイアを構成する人間以外の種の集団と自然環境等々のマクロシステム、これらは正にダイナミックな相互作用の関係で成り立っているのである・・・・・

一個人である人間自体は、これらの多次元の大きなシステムとのダイナミックな相互作用の中での存在でしかないのである・・・

良くも悪くも、文明の進化が、現在ではこのことを良く感じさせてくれている・・・しかし、人間の脳は、残念ながら、文明の進化が齎した、エクソシステムおよびマクロシステムの変化への対能力を持っていない・・・

自然科学が大いに発達したが社会科学は、人間の持つ構造的な問題があるが故に、変化への対応能力を持てていないと言わざるを得ない・・・・

もう少し判りやすく説明すると、人間が人間に進化した当時は民俗学や考古学の知見が示すように、集落の単位は200-250人がマックスであり、それ以上の集落は発見されていない・・・つまり、これより大きくなると分裂をしてしまう・・・また、当時の集落はミクロシステムおよびメゾシステムの中で完結していたと言って良いだろう・・・・

つまり、脳科学が解明してきた、25歳までの経験を通じて、言動のパターン化がなされ、25歳ぐらいにそれまでは短期的展望しか考慮できなかった人間が、長期的な展望を以って判断する能力を備える構造、これをKozyは自動脳と名づけているが、小さな集落の中で暮らしていくのには、これで十分に大人としての機能を発揮できたのである・・・

然るに、現代社会では一部の農村を除くと、多層な集団の影響を受けるにも拘らず、両親の価値観や経済状況により、中学校からまたは高校から同じ地域の異なる環境で育った人達の地域集団から、私学に入ったり、進学校に入ったりして層別されて限られた人間同士の限られた社会集団に入っていってしまう・・・・・

そして、大学の入学に際しては、個人の環境と個人の勉学のレベル、そして、個人の趣向により選別された大学および専攻科の選定をして、同地域および同世代の中だけでも、非常に偏った人間集団に組していってしまう・・・科学技術の進化により促された文明は、人間を大人としての機能を持つ大人を生成できなくしている・・・・

そして、社会に社会人として参入をすれば、狭い日本の中にも地域文化の違いがあり、育った時代背景が異なる世代間の違いもあり、余りにも多層な集団の下では、全てが因縁生起、つまり、単純な直接的な因果関係だけでなく、間接的な因果関係である“縁”の影響を受けるが故に、また、単純ではない多層な社会のメカニズムについて、無知に近い経験と知見しかないが故に、必然的に悩み苦しむのである・・・・

今や、上述した自動脳は、恐らく産業革命以前まではそれなりに機能したと思われるが、事実、産業革命以後、急激に精神疾患者が増加している。そして、エクゾシステムやマクロシステムは、今や、ICTの技術革新に伴い、時間や距離を超越して個人に強く影響を与える時代になっている・・・・

脳の機能は今や、心の病を増幅する方が圧倒的に多くなっているのである・・・・

更に、褒められて守られて育ってきた人間の脆弱性は人類史上最悪の状態にあり、技術革新のあまりの早さがストレスの、先進国では、人類史上最悪の機会の増加を生んでいる・・・・・

しかし、純粋無垢な心から起きてくる自己成長への過度な期待・切望が蔓延している・・・自己成長はゴールとしての結果であり、どのような生きる姿勢、つまり、直面する、また、死ぬまで直面していく、自分が不都合と思う、そして、認めたくない現実に対して、どのように対処していくのかが、人類史上、ガイアの中で最大の拡大をしてしまった人間には、自分の中に醸成されてしまった自動脳とは如何いうものであり、その自動脳を如何に正しく熟成させていくのかが、人間に課された試練でもあるのです・・・・・・

そのための方法論として、自分自身が自動脳に縛られていることを自覚して、常に自己内の自分の視点(自分自身の判断基準でもある)に謙虚になり、相手および周りの視点(意見でもある)とその裏にある判断基準を理解または確認して、人類の最大の目的である人間社会の維持とその他のガイアの全てとの共生を一番目指すべきものとして、どちらの視点と判断基準が正しいとの二者択一ではなく、この場合は本来如何あるべきかを考える第三の目を熟成させる、これを習慣化させる・・・・・

この意味では生きる目的はガイアとの共生を行なうことであり、その方法論として、第三の目を熟成させていく・・・昔から、張った糸は過ぎきれる・・・とか、過ぎたるは及ばざることなり・・等々の諺があるが、正に、机上の論理による近道は存在しないのであり、徳川家康が言うように“人生は重き荷物を背負うて、長き(坂)道を歩くが如し”を肝に命じて、また、人間は誰でも何処までの成長できることは、脳科学的には否定の出来ない事実であることも肝に銘じて、生きていくしかないのである・・・・

孔子も言っているが、“人生は何かを成し遂げるには短すぎる、しかし、何もしないで生きるには長すぎる”のであり、何処まで第三の目を、いわば、自己内に存在する神として、どれだけ素晴らしい神に、時には退行も繰り返しながら自己内の神を成長をさせれ得るのか・・・正しい方向に進んでいけば、至福の幸福感の云う成果が種々の結果を通して得られるであろう・・・

また、知らない現実とは、自己に変化を求めるものである。進化論で言われる“生存できるのは強いものではなく、変化への対応が取れたものである”といわれるが、この含意は最大のエネルギーで変化に対応していれば、体が持たない。つまり、最小のエネルギーで最大の効果を齎す対応策をうてた者だけが、真の変化への対応の成功者なのである・・・・

このことの意味する含意は、如何に自分の長所を見つけ、如何に長所を最大限に活かすことが大事であることを意味している・・・・また、最小のエネルギーで最大の効果を生むことは習慣化することでもあるのです・・・・

先日の秋葉原での無差別殺人者の加藤氏が、何故にそのような状態に追い込まれたのは非常に理解できるが、まさに、殆どの若者の中に内在している現代病でもある、しかし、本質は、若者の性急な傲慢さでしかない・・・・これからも多発するのは避けられない・・・

この様なかっこ悪い生き方でなく、かっこよい生き方をするためにも、第三の目の熟成を図る生きる姿勢の確率をして欲しい・・・・加藤氏は、正に自分の視点(第一の目)だけでしか世の中の事実を見ることしかできていなかった・・・周りにも必ず何人の人が加藤氏を支えてくれた人がいるはずであり、まさに、周りの視点(第二の目)が全く成長していなかった・・・当然第三の目は未熟以前であったと捉えている・・・・・

次回は、Kozyのお勧めの成長の方法論である第一の目、第二の目、そして、第三の目を再度深く掘り下げて説明をするので、理解をして、常に三つの目で考えることを習慣化して欲しい・・・・・これが今一番求められていることである・・・・・

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April 13, 2008

“明るく、元気で、希望をもって頑張ります”・・・この深い含意・・・・

昨日(4月12日)NTVの“アニーの舞台裏に密着!オーディション親子奮闘気”10:30-11:25a.m.を偶然見ていた。そして、9000人の応募者の中から選ばれのアニー役を射止めた小学生の“荻野七穂”チャンの言葉“明るく、元気で、希望をもって頑張ります”という言葉にギョッとした・・・・・

定期的な読者はお解かりと思いますが、Kozyは、小学生のころから、人生を生き抜くのに大事なことは、種々の事が言われているが、その本質を掘り下げていくと、きっと三つから、最大でも五つのポイントに要約されるはずだと考え続けてきた・・・

また、最近は、本Blogの四周年を迎えるにあたり、ポジティブ心理学、“Authentic Happiness”、“成長するMindset”を通じて、ポジティブ・オーガニゼーションの提案等を“新しいドア(DOA)を開けよう”というシリーズで人間の発達・成長に焦点を絞って最新の自分の意見を整理しているところである・・・・・

また、以前から、最近の若手女優の“蒼井 優”の所謂美人女優ではないがその存在感、または、醸し出す素晴らしいオーラがどうして今の若い人にはないものを持っているのか不思議に思っていた・・・・・そして、昨日、初めて彼女も昔、アニーのオーディションにパスして、アニー役が芸能界デビューであることを知った・・・

勿論、Kozyの思い込みでもあるが、“荻野七穂”チャンと“蒼井 優”がダブって見えて仕方なかった・・・・きっと“蒼井 優”も同じ様に“明るく、元気で、希望をもって頑張ります”と同じ言葉、もしくは殆ど同じ気持ちを持っていたのではないかと・・・根拠のない確信を抱いた・・・・

つまり、“明るく、元気で、希望をもって頑張ります”という言葉の持つ深い含意を言葉でどれだけ理解していたかは確認のしようがないが、58年、もう直ぐ59年になるが、Kozyは、問題意識を持っているが故に、この言葉の深い含意に、正しくは、Kozyが理解する含意に(自分自身で)感銘を受けた・・・・・

物心がついた時期から、“明るく、元気で、希望をもって頑張ります”を“何妙法蓮華経”という言葉でなく誰でもわかる言葉として子供に教えていくだけで善いのではないかと、Kozy自体も、幾つもの座右の銘の類はあるが、掘り下げていくと頑張る対象はこの三つ“明るく、元気で、希望をもって”だけで良いと気付かされた・・・・・

ついては、この三つを頑張ることの深い含意をここに説明した・・・正に、光の三原色の様な気がしてならない・・・・

“明るく頑張る”

これは、笑顔を絶やさない・・・常に、ネガティブ感情に陥っても、陰陽の陰だけに囚われないで陽のサイドも正しく見つめることによりポジティブ感情を奮い立たせる為に頑張る・・・これは、知的な洞察力および論理的かつ科学的な思考力を屈指しないと出来ないことである・・・・

また、明るい表情とポジティブな行動は、相互作用としては相手の正の相互作用を起動させるものであることを体感し続ける、少なくとも負の相互作用はより少なくなる・・・これが、人間不信を人間信頼へと導いてくれる・・・正に、Kozyの口癖でもあるSwitch-wellの能力向上に繋がっていく・・・・・・

“元気で頑張る”

この元気という言葉は東洋哲学および東洋医学からきている人間の陰陽の意味である“気”と“血と水”、つまり、心のエネルギーと体のエネルギーの意味でもある“気”が、生まれた赤ん坊のときが最大であるという考え方・・・つまり、赤ん坊のようになんでも五感を屈指して体験して学んでいく元来の気という意味が“元気”の意味なのである・・・・

人間は、この経験をすることによりバイアス=経験に基づく固有の捉え方を身に付けてしまうが故に、元来の気を忘れていく構造を持っている・・・元気を出してとは、経験による概念ですら正しく言語化されていない言語でしか思考できないにも拘らず、バイアスに縛られて、五感を通じた経験をせずに判断をしてしまう・・・・

勿論、なんでも全てを経験するのは不可能である、また、事実を正しく認識することが一番大事であるが故に、五感を通じて経験をする、つまり、遣って見ることが目的であるが、遣って見る必要がないものもある・・・それが故に、自分で元気がうせていると感じるときは、頭で悩まずに、遣れる事から、先ず遣って見る・・・これが“元気で頑張る”の本質なのである・・・・

それにより、現実から正しい学習が出来るようになる・・・つまり、実学の習得が出来る・・・残念ながら、実学の習得が一番大事であるが、実学とは当意即妙ではあるが、この意味することは普遍なことはないということであり、その都度、現実と対峙をして再学習をする・・・

これを繰り返すだけなのである・・・・この繰り返しが、また、知的且つ科学的な論理思考を可能にしていくのである・・・・

“希望を持って頑張る”

これは、おそらくアニーのメインテーマでもあると思うが、希望を失うことは、知的思考能力の放棄であり、知的思考能力を磨いていくと、希望を持てないものは論理的には在り得ないのである・・・

希望を維持することは、昨今の言葉で言うと、面倒な努力と継続的に思考する必要があり“うざい”とも言いえるが、また、可能性を見出しても=希望を見出しても、何事も相互作用の原理の中で動いているが故に、変化には時間がかかるものが多いが故に、長い時間軸で考えて継続的に取り組むことにより、つまり、忍耐力を持って取り組むことが必要になる・・・・・

そして、人間の脳が持つ基本特性は“最小のエネルギーで最大の効果を求める”、平たい言葉にすると怠惰性であるが故に、これに打ち勝つには、この特性を利用して、常に“一石何鳥”にもなる行動を考える知的洞察力が必要なのである・・・・

また、進化論および生態学的に言うと、一つの生態系での適応とは、最小のエネルギーで最大の効果を生む行動適用が出来るものだけが生存を許されるのである、簡単に言うと最大のエネルギーで最小の効果しか生み出せないでは、その生物は消耗してしまうのである・・・・・

つまり、人間が学習をする場合は如何に効率よく学習をする方策を、つまり、Good Strategy考えることが出来るかに依存するのである・・・これも正に知的思考能力であり、これは幅広い実学のなせる業でもあるのです・・・

机上の論理だけでは、関係者の情動は感じて読み取ることが出来ない・・・このことが理解できて初めて、情動の起動条件を含む実学の習得が増えて、人間への両面の理解が出来るようになる・・・

この領域では脳科学の貢献は非常に大になってきているが、経験を通じていない理解は、同時に脳科学的には、後で考えれば理解が出来ても、その場では、体に沁み込んでいないが故に、つまり、経験を通じた五感での識別能力が養われていないが故に、機能しないのである・・・・・

“頑張る”ということが死ぬまで必要が故に、徳川家康は“人生は長き(坂)道を、重き荷物を背負うて歩くが如し”と自分自身の慢心を戒めたということでもあるのです・・・・・・・

また、努力を惜しむことを戒める意味で、孔子は“人生は何かを成し遂げるには短すぎる、しかし、何もしないで生きるには長すぎる”と自分に言い聞かせ、だから、何もしないで生きるのではなく、たとえ、成し遂げられなくても、継続してやっていく道を自分は選んでいるとして、元気を取り戻して生きてきたと理解できるのである・・・

ここまで感じさせてくれたNTVの番組に感謝したい・・・・・そして、皆さんも“明るく、元気で、希望をもって頑張ります”というあえて言うと、覚悟をもって生きていってください・・・・その為に、戦略的な方法論として“3355”を有効に使ってください・・・・・

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April 10, 2008

新シリーズ:新しいドア(DOA)を開けよう(第八弾)・・・ポジティブ・オーガニゼーションの具現化に向けて・

新シリーズ:新しいドア(DOA)を開けよう(第八弾)・・・ポジティブ・オーガニゼーションの具現化に向けて・・・として、前回は骨子を書いたが、少し長くなるので、覚えやすい言葉で、潜在意識へ働きかけると大事な提供すべき情報=共有すべき知識について、再度取りまとめたい・・・

先ずは、同じ言葉を並べたい、古くは“ものの見方捉え方を磨く”、また、“潜在意識への介入と潜在意識からの開放”Kozy曰く“第三の目の熟成”または“自動脳からの開放”、そして、最近は、“自己ない概念と言語の精緻化”、心理学で言うと、“自己成長のマインド・セットの構築”また、“バイアスに囚われるな、とか、それはステレオタイプだ”とか・・・みんな同じ問題意識を持っての解決方法をそれぞれ異なる表現をしている・・・・

最近の脳科学は、人類が感じてきた経験則でもある問題意識の構造を解明してきています・・・つまり、年限はある年齢までで、これが25歳ぐらいであることが判ってきたが、それまでの経験に縛られるということです・・・しかし、これも昔は変更できないとか言われていましたが、今は脳の可塑性が素晴らしいことが解り、幾らでも努力と学習により変えられることがわかってきている・・・・

また、脳の構造的な問題は、人間は他の生物と異なり、曖昧性の取得を選択したことにより、曖昧がゆえに悩む、つまり、頭を使うが故に、他の生物と異なり、非常に大きな大脳新皮質を発達させてきた、そして、そこに、同時に、曖昧性を減らし対処すべく、前頭葉が存在して、思考および判断をする機能を発達させてきた・・・・

しかし、人間も生物である限り、瞬時の判断は必要であり、脳にインプットされた情報自体も曖昧であり、情報の整理、それに伴う概念の構築、また、概念の言語化にも曖昧性があるなかで、曖昧なグルーピングを行なうことにより瞬時の判断を可能にしている・・・・この判断の下になるのが、潜在意識でもあり、自動脳の機能でもあり、バイアスでもあり、ステレオタイプを生むものでもあり、マインドセットでもある・・・・

つまり、曖昧な認識に基づく曖昧な意識が、不安と恐怖感を生み出し、その恐怖感の強さが一番影響力のある判断基準になっている・・・・残念ながら、理性よりも恐怖感のほうが強いが為に、恐怖感が理性を打ち負かしてしまう構造になっている・・・しかし、学びと努力により、また、それを可能にする忍耐力と胆力により、曖昧な認識も曖昧な意識も精緻化される、それに伴い、理性が力を増していくのである・・・・つまり、人間に近づいていく・・・・・

もっと細かく言うと、恐怖感に囚われていると、大脳辺縁系からの指示を前頭葉が追認するだけであるが、この間には0.5秒ほどの時間があり、強い意思があれば、理性で抑えることが出来るのである・・・・、有名な実験では自由意志ですら、脳にコントロールされていることが証明されている・・・・自由という概念ですら、それまでの経験による学習で規定されている・・・

Kozyが述べている三つの人生論の述べていることは、25歳までの世間を知るのにはあまりにも不十分なそれまでの経験により、構築された認識と意識に、25歳以降も縛られている・・・これでは、裸の王様と同じである・・・また、25歳以降は不十分で不適切な認識と意識という鎖に繋がれた奴隷といいえるのである・・・常に冷静にカッと来ることなく、常に三つの目の第三の目を十分活用して、第一の目も第二の目も変化に対応させて充実させていく習慣が身について、第三の人生が楽しめるのである・・・
(詳細は、新しいドア(DOA)を開けようの第二段を参照ください)

マインドセットの研究においては、Fixed Mind SetからGrowth Mind Setへの移行を説いているが、一番大事なのが、人間は努力と学習によって幾らでも進化できるということへの理解と確信であり、この為には、脳科学の上述した最近の事実としての知見の習得である・・・

以上より、[人間の成長には限界はない]・・・・・このMind Setが成長の源泉であるが故に、標語または、成長へのルールとして認識すると伴に、本当に成長をした人、または、成長の為の良い戦略の策定したことを褒めよう・・・・心理学で“Self-esteem”つまり、自尊感情を高める為に、褒めて育てる事が全面的に良いとする意見があったが、これは、他人に褒められることを求める・・・

つまり、自分が如何に成長したかは自分が一番知ることであり、他人の評価ばかりを気にするFixed Mind Setを醸成する・・・しかし、これでは、失敗のときのレジリエンスは、自分の努力が足りなかったとの捉え方が出来なくなる、つまり、立ち直れなくなるが故に、[安易に褒めるな]というのも実は必要なのである・・・

しかし、批判に関しては、既にGrowth Mind Setが出来ている人には、事実を知らしめることが、その事実より再学習をすることに繋がるが故に有効であるが、Fixed Mind Setの永続的成長を可能に出来ない人には、立ち直れなくなる可能性があるので、慎む必要がある・・・・残念ながら、これらの人が9割ぐらいの多数派なのである・・・

上述した、成長の為の良い戦略は非常に大事なことである、孔子の言うように“何かを成し遂げるには人生は短すぎる”ので、努力と学習を如何に的をえたものにするか、また、如何に効率的にするかにより成長スピードが異なる、また、人間は弱いゆえに速く成果を実感したいのである・・・・・だから、[Beautiful Strategy !!!]も標語に入れたい・・・・

社内会議とか社内談義において、前向きな気持ちに持っていくことが必要なのである、なんとなれば、人間はネガティブな感情により縛られやすいからである、しかし、ネガティブ思考はリスク分析には有効であるが故に、[ネガティブ感情/ムードの後はポジティブ感情/ムードへ]・・・・という標語も大事無いなる・・・・・

また、机上の論理は常にバイアスが入っているが故に、Fact Figure-upは非常に大事なことである、つまり、[三現主義]はたとえ事務の仕事であっても標語しては良いものだと思う・・・・・

曖昧性の適正化をすること事態が成長でもあるが故に、[その判断基準は!!!・・・本当に正しいか!!!]を常に自問自答する必要があるので標語としても入れておきたい・・・・

結果として成長に伴いより多くのものが見えてくる・・・これは成長に伴う成果であり、より正しく見えるが故に業績に貢献するのである・・・・[より多く正しく見えてきてるか!!!]を常に自問自答して欲しいので標語にも入れたい・・・

Fixed Mind Setの人の特徴は、自分は知性があり才能があると思われたいが故に、失敗により、馬鹿に思われるのが恐怖となり、失敗の責任を他人のせいにする・・・それ故に、[実学の蓄積こそ、成長なり]を標語として入れたい、また、実学とは、今までの知性や才能への過信を棄却して、現実に基づき再学習することにより得られるものである・・・・この推進の為に、[白紙の心で学び取ろう]も入れておきたい・・・・

技術革新があるが故に時代の価値観も変化していく・・・だから、[普遍なものはない]そして、[先ず、取り組んでみよう]更に、技術革新が変化のスタートであることから、[技術的洞察力を磨こう]、また、変化は意識していないと見えないが故に、常に[何が如何変わりつつあるのか!!!]を常に感じ取る努力が必要である・・・Kozyは、その指標として、流行歌やアイドルの特徴の変化にはいつも気を配っている・・・・

脳科学の知見の中に、新しい音楽を聞くようにしていると、脳がそれを理解して記憶しようとする為に、脳が発達するというのがあり、良好化を聞くことは一石二鳥でもあるのです・・・

最後に、[一生勉強!!!]・・・脳は使うほど良くなる、また、刺激が多いほど成長できる、だから、逆境は人を育て、また、責任が人を育てる・・・・

そして、[Let's Strive for Thrive]・・・・・!!!!!

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April 08, 2008

新シリーズ:新しいドア(DOA)を開けよう(第7弾)・・・仕事の本質とPositive Organizationの骨子・・・

今回は、“仕事とは、仕事の本質とは”という観点で捉えなおしてみたい、まず、ドラッカーの言葉を借りると・・・組織のマネジメントを、「成果目標による管理=Management by Objects」と言う。つまり、未来を想定し、それを尺度として、現在までの達成を計る。これがマネジメントという。つまり仕事です。・・・・

この仕事とはもっと掘り下げて言うと、普通の人間には、見たくないものは見えない構造的な問題があるのである・・・・・・・つまり、仕事の基本的な能力は、全て、または、より多くの現実を直視することにより、目標とする未来のイメージ、そして、未来への道筋がより正しく見る能力があって初めて仕事がこなせるのである・・・・・

実は、これが人間の成長度合いに大きく依存するのである・・・つまり、失敗が減る、また、失敗が起きてもリカバリーショットが打てることに繋がる・・・

そして、関係する人達の仕事、また、反応のメカニズムをより正しく理解する、そして、恐怖感が、見たくないものを作り出すが故に、恐怖感に打ち勝てる人のみが仕事をまっとうできる側面を持っている・・・この為には仕事の遂行時に直面する文脈は何なのか、また、関係者がその文脈を受けて如何動くのかを理解していることが必要になる・・・

この理解の為には、同じ人間である自分自身が仕事を深く理解して、仕事に没頭することにより仕事で直面する文脈に自分自身が如何反応してしまうのかを先ずは見極めることが必要になり、また、それは何故かを掘り下げる、そして、自分以外の誰であれば如何反応するかを現実を直視しながら種々の反応の原因と起きる条件を学んでいくこと・・・これが仕事の本質である・・・・

この基本能力を、敢えて、文脈的業績達成能力と呼びたい。また、これに対比する能力としては職務遂行上に必要な課題の処理の方法に熟知するという意味で、課題的業績達成能力と呼びたい、米国では、この研究は採用の判断基準の作成の側面でされてきている、日本ではごく少数の研究がなされている・・・・・・

しかし、米国の研究結果を見ていると、文脈的業績達成能力は、人間の成長度合いと符合しており、この能力が高い人は高い業績を上げている・・・また、課題的業績達成能力は、仕事の遂行に必要な専門知識やスキルを意味している・・・

だからこそ、現実にあるものが、見えるようにする方法として、種々の見える化の方策が重要になる・・・つまり、仕事の本質を極めることは人間の構造的な問題とその仕事と仕事を取り巻く文脈のメカニズムを極める、そして、特に文脈への反応のメカニズムを見極めることなのである・・・・・・・

この点では、ポジティブ心理学の本質は、仕事の本質と全く同じことなのである・・・・それゆえ、従業員の育成と業績の向上にはポジティブ・オーガニゼーションが必要であると捉えている・・・・・

Kozyは人材育成=人を成長させる方策としては、大きく二分すると、①文脈的業績達成能力の向上策、そして、②課題的業績達成能力の向上策になると捉えている・・・しかし、この二つの間にも相互作用は存在しており、概念的に言うと、①知的思考能力の強化の為の知識の習得、②OJTのより有効化の為に知識の習得、③実践・経験(=OJT)による学習システム(有効な実践と経験の中長期計画の作成)の構築、・・・この三つの視点で、その都度、目的は文脈的業績達成能力なのか、それとも、課題的業績達成能力なのか、それとも、一石二鳥の両方なのかを正しく意識して取り組むことが大事である・・・・・

Positive Organizationを構築することは、これらの三つの人材育成=人を成長させる方策をより有効に気のさせる為のインフラのようなものである。つまり、不必要なネガティブ感情および恐怖感を起動させる文脈の管理と統制、そして、一番大事なのが、人間の成長のメカニズムを体得・理解させるシステムが必要になる・・・・

しかし、忘れていけないのは同じ文脈であっての個人個人の成長のレベルにより認識の仕方が異なり、また、恐怖感や無力感のレベルが異なるが故に、最低でも、三層に分けて対応を考えていく必要がある・・・・つまり、一つの方策が万人に有効ではない・・・・各層の人間により、支援すべき自己成長への課題は異なるのである・・・・

特に米国と比較して、日本においては、産業界と教育界の交流が希薄であり、また、残念ながら、種々の実験調査を行なう場合、悉皆調査、つまり、対象母集団の全ての人への調査はまれであり、三層の中のどの人達が割合として一番多く実験に協力したかにより、全く異なる結果がでてくるのであり、それが故に、納得感のもてる調査はまれであり、結果に納得感がもてない・・・むしろ、ミスリードをすることが多い・・・・

また、三層に分類するとしても、その分類に全くバイアスの入らない分類が必要であり、科学的な妥当性を持った認識と反応による分類は、日本では見たことがない・・・・

また、全てが相互作用の中で成り立っているが故に、統制をかけて実験を行なってきた多くの心理学の知見では、科学的妥当性は担保できない・・・心理学の中では、妥当性を確保できるのは、集団と個人の動的な相互作用を扱ってきている“グループ・ダイナミックス”ぐらいであろう・・・

産業界での経験則は、むしろ有効なものが、論理的には多いといえるのである・・・・つまり、日本の企業村社会と日本文化のミームという文脈の中では、組織人=サラリーマンの“さん、よん、さん”または、昨今は“に、ろく、に”とか云われる経験則が、グループ・ダイナミックスの知見と見事に一致しているのである・・・

つまり、グループ・ダイナミックスの知見と産業界の経験則が合致するものは、一番科学的な妥当性が担保できるとKozyは捉えている・・・もう一つは複雑性の科学の知見である・・・つまり、生態学的な知見であり、今の統計解析技術とコンピューターの処理能力における技術革新が、これらのアプローチを可能にしている・・・・

また、先日、Business Weekを見ていると、“There is Gold in reality-Mining”とのタイトルの記事があったが、QA/QCの基本のように、先ずは、現実としての悪さ加減の認識が、王道であり、まさに、現実の採鉱の先に金鉱が見つかる・・・Kozyの研究結果が示すように、産業界で云われている、何も云われなくても主体的行動する上の三は、一割にも満たない・・・これが大きな日本企業の現実だという危機感を持って欲しい・・・・

Kozyの研究は探索的に取り組み、演繹法でも帰納法でも、質問項目とその内容が十分であった為に、バイアスが一切入らない三層分類の方法が確立された・・・そして、各層における認知および反応のパターンの違い、ある意味では面白いほど、描き出すことが出来た、また、その結果は、見事にグループ・ダイナミックスのビオンの言う通りの理論に符合し、また、先ほど述べた、文脈的業績達成能力、そして、産業界の経験則である“さん、よん、さん”の特性とも一致している・・・・

三層分類が出来ると、更に、どの質問で反応が分かれてくるかが理解できる為、何が如何影響を与えているかが類推できるようになるのである・・・・

改革に取り組みたい企業は、この分析から自社の問題点を洗い直すことが、最初である・・・各社の企業文化は9割以上が創業者または偉大な実績をあげた社長等の成功哲学が9割以上を占めている、また、これらの成功の哲学は当時の顧客の標榜する価値観と強い相関関係にもある、つまり、業界の文化という文脈にも大きな相関関係もある・・・・・・・

それ故、自社の問題は独自の問題であり、それに見合った方策が必要になる・・・・以下に示すのは一般論として云いえることだけを述べており、実際は、自社独自の改定が必要である・・・・・

組織人が三層に分かれる理論的背景として、次のように考えられる・・・・

心理学の視点で言うと、グループ・ダイナミックスでは、ビオンは、大きく二分類しており、作業グループと基底想定グループに分けており、作用グループは、現実を整理して、科学的アプローチを行い問題解決に取り組む人達、そして、彼らは、変化を起こすことは時間がかかることを論理的に理解しているが故に、時間をかけて取り組む忍耐力を持っている・・・・

一方、基底想定グループは、現実を直視できなく、現実からかけ離れた放送に縛られており、時間をかけて取り組む忍耐力が無い、そして、更に問題なのは、変化が起きる事により自分自身が変化しなくてはいけないことを認識しているが故に、変化そのもを拒絶している・・・・

基底想定グループには、更に三つのグループがあり、全くの学習無力感に囚われている三無主義的なグループ、現実逃避または攻撃をするグループ、そして、つがいグループと呼ばれる、一人では決断できないが故に誰かをつがい先としてついていくグループ、このグループの目的は、一時の快楽主義に囚われていることなのである・・・・

以上の三つのグループになるが、流石に、管理職クラスの年齢になると、このつがいグループは、企業では存在しない・・・若手の社員にはこのグループの存在が見られると確信する、それ故、若手に対する調査は、つがいグループの特性を織り込んだ質問紙作成と、計四層として、四分類の必要がある・・・・・

また、心理学の中で、マインド・セットという意思と認識の組み合わせのセットのことであるが、この分野も研究が進んできており、Fixed Mind Set、つまり、自分の能力は生得的である、または、これ以上変わらないという意識と認識をする人は、三無主義に陥るか、または、自分が傷つくことを恐れて、たとえ成功を望んでも、自分が傷つくことになりそうなことへは逃避をしてしまう、または、頭が良い=種々の(机上の)知識を鼓舞して自分のプライドを保とうとして、種々の抗議をする・・・正に、真ん中の四と下の三の特性そのもでもある・・・・・

一方、マインド・セットには、もう一タイプあり、Growth Mind Set、つまり、自分は成長できると捉え成長することに喜びを感じる人達であり、失敗も成長の一里塚として失敗から学び、成功からも学ぶ人達であり、正に上の三に当てはまる・・・

脳科学の視点で捉えると、曖昧な情報インプット、曖昧な情報整理、そこからくる曖昧な脳内の概念整理、脳内概念とその言語化された言葉が精緻化されていない、しかし、人間は言葉を通じてしか思考できない、これらの中での瞬時の判断が必要になりそれを可能にする脳内装置・・・・本当に正しい判断が、未熟で狭い経験を通じて出来るわけがない故に、人は現実と異なる妄想に縛られる構造を持っている・・・・・・・

他の生物には、これらの曖昧性がないが故に悩まないが、人間は、自分の中の言葉に出来ない概念が不安を呼び起こし、間違った言語と概念の違いがより恐怖感を呼び起こす・・・精緻化を目指すには机上の理論では、脳内の精緻化は出来ない・・・経験という全ての五感からのインプット殻生起される概念とそれに合った言語化が、経験を通じて成されることにより、精緻化は可能になってくる・・・・また、これらの精緻化は他人との交流によりも成される・・・このときに必要なのが知的思考であり、物事の判断基準まで掘り下げての検証作業なのである・・・・・

25歳までは、短期の報酬に負けるが、苦い経験を通じて25歳ぐらいで中長期の展望を織り込んで判断する回路が、最後のメイン回路として構築され、これが脳内で構築されるメイン回路としては最後のものになる・・・後は精緻化の作業なのである・・・・・・・・

恋に落ちるワクワク感も、チャレンジするワクワク感も、人間独自の復習の達成のワクワク感も、全て、不適切な恐怖感からの開放、または、恐怖の対象から遠ざかるワクワク感、これ即ち成長願望を意味する・・・つまり、この楽しみを覚えて人は成長のサイクルに入っていく・・・・・この精緻化を可能にするのが、現実から再学習できる論理的思考能力なのである・・・・

つまり、恐怖の多くは自分が作り出している、本当に必要なのは実学であり、実学とは、現実の問題を直視して(恐怖感を取り除いて)存在する現実がそれまでの自分の机上の知識とそれまでの経験では解決できない場合は、それまで学んできたことを棄却して、現実の事実に基づいて再学習を、知的思考能力を屈指して、行い習得したものが実学なのである・・・

つまり、成長のサイクルとは、学び、必要に応じて学んだものを棄却して、再学習をする・・・Learn-Unlearn-Relearnの繰り返しなのである・・・この喜びを体得した人は成長を続け、途中で挫折した人は、三無主義に陥る、または、机上の知識に縛られて机上論ばかりを言うのである・・・正に、“さん、よん、さん”の人の特性となり現れてくる・・・・・

一旦、成長のサイクルに乗った人は、人にとっては苦悩と見えることでもそれが現実であれば、その現実から再学習を繰り返し、その成長が齎すワクワク感を楽しむことが出来るのである・・・復習は、復讐を遂げることにより、自分を拘束していたものからの開放の側面があるが故に、満足感を覚える・・・念の為であるが、真の知的思考力を身に付けて正しい中長期の展望能力を身に付けると、復習は連鎖を呼び復讐心に囚われることは虚しいことであることを知るのである・・・・・・

以上より、ポジティブ・オーガニゼーションを構築する場合には、不必要な恐怖感を起動させない、不必要で不適切な恐怖感の間違いを見える化する、気付きのシステムを構築する、恐怖感を起動する文脈の管理が織り込まれるべきなのである・・・そして、萎えた心への充電を齎すものを生み出すシステムが必要になる・・・仲間への支援の推奨、褒めることの推奨、ユーモアの精神の推奨、“One for all, all for one”のチーム・プレイの推奨、必要に応じた報奨システム等等である・・・・

Growth Mind Setの人達には、悪いところのポイント・アウトとしての叱りは成長の促進になるが、多数派のFixed Mind Setの人達には、所謂叱りは逆効果を生む、叱る時は、当人が、間違いを一番直視できる状況で行なうのが良い、しかし、叱る内容を自分が実践できていない場合は、俺も駄目だけでお互いに注意していこうと言うのが良い・・・・

また、叱る場合は、本当に相手の為になるという確信とその判断基準の提示が必要になる・・・これらのあるべき判断基準の共有化がチーム内で広がることが、新しい文化の構築繋がるのである・・・もっと掘り下げると、これらの判断基準の優先順位まで共有化することが大事なのである、また、ケースにより判断基準の優先順位が異なる場合は、これのケースの共有化も必要になる・・・

また、何事も、それに関して一番良く知っている人およびその実学が活かされることの共有化も必要であり、例えば、人事評価は、論理的には人事には不可能であり、現場に任せるべきである・・・そして、この場合の問題点を最小にするシステムを構築することが必要になる・・・360度評価等・・・・

今回はここまで・・・・

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April 05, 2008

新シリーズ:新しいドア(DOA)を開けよう(第六弾)・・・人を育てる経営の留意事項・・・

新シリーズ:新しいドア(DOA)を開けよう(第六弾)・・・人を育てる経営とは・・・を本シリーズの第一弾ではその詳細に触れておらず、後でも触れることになっていたが、何処まで長くなるかは判らないが、あまりにも長くなる場合は、数回に分けて説明したい・・・・・

第一弾では次のように述べている・・・・

Aspiration(達成しようとする熱意と実行力)の能力をあげる時代となるが、この為には従業員の成長を促すしかないのである・・・・・この為には:

①チクセントミハイルが推奨した、Psychological Capitalsの促進(PCP)が必要であり、
②個人の主体性を上げてチームワークのアウトプットを上げるには、グループ・ダイナミックスの知見であるWorking Groupに属する人間を増やすことが必要となる、
③企業内の健全なるコミュニティーの育成と維持には、コミュニティー心理学の知見である、文脈への介入と管理が必要になる、そして、
④Positive Organizationの構築が必要になる・・・・

先ずは、詳細に入る前に、留意事項を述べておきたい・・・

①サイコロジカル・キャピタルとは、如何にすれば、Positive Society consists of many and various positive collective(=共同体/集団)・・・つまり、ポジティブな社会を作ることが究極の目的であるが、ポジティブ・シンキングは、一時的には出来たとしても、PMA=Positive Mind Attitudeという常にポジティブ・シンキングが出来るわけではない・・・この習慣化は非常に難しいことであり、人間の持つ生得的能力である知的思考力の増強が必要である・・・・・

社会的に、または、種々の集団内でこの能力を促進する施策が必要である・・・そして、より多くのポジティブ・マインドを維持している集団が必要になる・・・・これらの類の社会的な資産の構築が必要になる・・・しかし、全員に心理学を大学・大学院で学んでもらうわけにもいかない・・・・Kozyは社会的気財と呼んでいるが、新しい規範の構築も必要となる・・・・

②現在は、欧米の経営も人の成長とチームワークの重要性を理解してきているが、日本の文化のミーム(文化の遺伝子)には、経営は人つくりという文化もあり、職場は成長の場であると云うのもあり、集団に過剰依存する部分もあり、チームワークの文化を持っている・・・・個人を大事にする個人主義の文化が希薄な日本人は、集団の愚かさに支配されやすい構造を持っている互恵を期待する甘えの構造もある・・・・だからこそ、より自己成長を促す必要がある・・・・

念の為であるが、土井先生の“甘えの構造”の持つ含意は、文明化の中で互恵主義を維持している日本の文化は、陰陽の“陽”の視点で捉えると、生態学的にはあるべき姿の文化である、しかし、成長した人間が前提であり、人間は構造的にはどうしても低きに流れやすい・・・つまり、Psychological Capitalsが十分構築されたときには、この“陽”の部分が活かされる・・・この意味では、あるべき方向への揺り戻しの責任を日本人は担っているのであると、Kozyは捉えている・・・

③日本人の文化は、確かに受信者責任文化の側面があるが故に、謙虚に成りすぎてネガティブな感情を欧米以上に起動しやすい構造があり、より多くの社会的な気財の促進策と蓄積が必要になるのである・・

④ポジティブ・オーガニゼーションは、ポジティブ感情の起動という意味でも、また、気の充電という意味でも表面的には楽しい職場を志向するが、楽しい職場の構築は目的ではなく、仕事は苦しいが故に、心のエネルギーの充電の為に“楽しさ”を方策として志向するものである・・・・

⑤受信者責任文化の下にある日本人は欧米人以上に文脈に囚われやすい、また、この種の改革には文脈主義の世界観で捉えるのが正しいが、常に多くの文脈の下にあるが故に、単純な因果を求められない、むしろ、求めてはいけない、明確な因果を求めるのは人間の弱さであり、人間の持つ傲慢さでもある・・・全てが、相互作用の中にあり、文脈の受け取り方も個人により大きく異なるのである・・・・また、常に変化するものであり、普遍なものはないとの考えに基づく・・・・

⑥文脈主義で捉えるが故に、その都度のより善い方策の選定と定期的なモニタリングシステムでの永続的なチェックと永続的な改良が必要であり、この継続的な努力がThe Bestなのである・・・・

⑦少ししつこくなるが、日本という国は、世界で奇跡的に、農耕民族からくる互恵主義の文化の遺伝子(ミーム)が温存されている。それ故、正に受信者責任文化が醸成された。この事は、日本人は世界で一番文脈に囚われ易い、また、影響を受けやすい“村社会”の規範が残存している。“村八分”という言葉が未だに残っている、これは、明治以後、村が企業に置き換えられたという側面を持っている・・・それ故に“企業内村八分”の怖さを熟知している、または、産業革命後の大企業の出現を受けても、社員と村民の変化を理解できなかった、むしろ、深く理解したのかもしれない・・・・・

⑧“企業内村八分”という恐怖感が強いが故に、その誘因になりかねない文脈には非常に強く反応してしまう。それが故に、外発的あろうと内発的であろうと、個人の動機などは、この恐怖感を一旦感じ取ると、吹き飛んでしまう・・・十分に成長するまでは人間は文脈に支配されるのである・・・内発的な動機付け理論に期待をするのは、的外れでしかない・・・・・むしろ、個人の言い訳に使われているとしか捉えられない・・・職場での人間成長に関しては、内発的動機付け理論は、キリスト教と個人主義の社会的文脈が早期の自立を促す、欧米置いて通じる理論でしかないのである・・・・

⑨職場においての人間成長として日本人に必要なのは、不必要な恐怖感を起動する文脈への介入、よく練られた苦悩(含む孤独)体験、カルチャーショック、よく練られた困難を乗り切る成功体験、そして、後述するが、ポジティブ心理学の根幹ともいえるレジリエンス能力を上げる、現実を正しく認識して現実に基づき再学習(Relearn)を可能にする知的思考能力の向上なのである・・・参考まで、“気付き”は大事なことであるが、これは知的思考能力の向上が齎すとともに、正しい現実への“気付き”が、更なる深い理解を生む知的思考能力を向上させる関係にある・・・・

以上を頭に入れて、次はPositive Organizationの基本理論になるポジティブ心理学について要点を説明したい・・・ポジティブ心理学は、しばしば、“the science of Optimal Human Functioning”つまり、人間の最適化された機能の科学と呼ばれる、しかし、人間の成功学は、種々の相互作用の中での断片的結果でしかないので、人間の弱さや失敗学を学ぶことにより、如何いうときに人間はどうなるのかという人間の構造的なメカニズムを研究している心理学である・・・・

また、ポジティブな主観的経験、つまり、幸福感やWell-being等、そして、人間のポジティブな性格、つまり、各個人の固有の強さや徳等・・・また、個人だけでなくグループや組織の構造、また、ファミリーや文化にもポジティブな感情とか強さを奮い立たせてくれる構造等を中心に研究する学問でもある・・・

また、人間の進化として習得しているとも言いえるネガティブ思考は、知的思考における大事な要素である、陰陽の両面を常に見るという点では、重要な能力であり、Positive Organizationの構築と維持には非常に大事な能力とも捉えている・・・むしろ、問題は、ポジティブとネガティブの思考の比率、または、ムードの割合であると捉えている・・・・ネガティブを一とするとポジティブは最低でも三以上に保つことが重要になる・・・・

人間はネガティブ感情に囚われ易いので最低でも三倍以上のポジティブ感情のエネルギーを維持する必要がある・・・・念の為、ポジティブ感情やムードが、二倍以下になるとネガティブな感情やムードに縛られてしまう・・・・

人生においても仕事においても常に勝ち続けることは、人間であるが故に、不可能であり、特にビジネスにおいて勝者の席は限られているが故に、むしろ負けるほうが多いであろう・・・それが故に、ポジティブ感情は、組織の持つレジリエンス(速やかな復旧能力)に一番依存するのである・・・・尚、自信という感情は脆いものであり、自信を維持するのもレジリエンスの力なのである・・・・

組織のレジリエンスは、折に触れて、本シリーズで述べていくが、本Blogで何度も述べている、三つの人生の中でも位置づけと三つの目の熟成が齎すものであり、第三の目が、正に、知的思考能力の源泉となり、知的思考能力がついてくると、第三の目が熟成していく・・・この為には現実を直視する第一の目と第二の目の修練が必要にもなる・・・・・・

つまり、本Blogで何度も述べている人生におけるあり地獄に陥らない、また、失敗を減らすようにする科学であるとも言い得るのである・・・・

もう一つとして、脳科学の最新の知見をあわせて鑑みるに、曖昧性の獲得により進化してきた人間の脳は、曖昧に情報が整理されているが、それを曖昧に分類したカテゴリに

より、生物として瞬時の判断を可能にするメカニズムを習得している、このメカニズムが潜在意識でもあり、自分自身の中にあるMind Setでもあると言えるのであろ。確かに、この瞬時の判断機能は、弥生時代までの一つの集落は200人前後より少ない完結した社会においては十分機能したとも捉えれるが、文明化され技術革新の荒波に揉まれ始めた産業革命を契機に精神疾患を起こす人が急激に増えてきた・・・・

脳内の瞬時に判断する機能は、ネガティブ感情がポジティブ感情を負かしてしまう様に、最大の判断基準は曖昧な恐怖感の曖昧な強さであり、報酬系の力は、生きることを一番に考える生命の基本本能より、弱いものなのであり、恐怖感がネガティブ感情を起動している。そして、25歳ぐらいまではリスクに関する短期展望の回路しか出来ていないが、25歳頃からそれまでの経験に基づくリスクの中長期の展望をする回路が瞬時の判断機能に結び付けられる・・・・

そして、20世紀の末から始まった、ICTの飛躍的な技術革新とグローバルな市場主義社会になり、善い側面としては人類史上、個人が一番影響力を発揮できるようになったが、同時に、多様な価値感の衝突と価値感の変化のスピードも人類史上、最高レベルに達している・・・

関係性、つまり、直接的な相互作用と間接的な相互作用を持つ対象は飛躍的に拡大してきており、今や、弥生時代以後の文明化の中では、変化が少ないが故に、瞬時の判断機能(これをKozyは自動脳と呼んでいる)はそれなりに機能したと思われるが、それ以後の産業革命の時代までもそれなりに、現実社会での、自動脳の修正を可能にしてきた・・・・・・

しかし、産業革命以後は、交通手段の技術革新、通信技術の技術革新、種々の電気製品の技術革新等が仕事や生活のパターンの変更を齎す、そしてこの変更が新しい価値観を生み出す・・・残念ながら、価値感の変更への適用はストレッサーであり、強いストレスを生む、そして、この価値感の変更のスピードは21世紀は人類史上最速なのである、また、21世紀の日本などの先進国では、精神的にも肉体的にも、若いときには、逆境、挫折、苦悩、競争等の経験する機会が減っている・・・つまり、人類史上、一番脆弱性をもつ人間達を育てている・・・・・

また、技術革新により、逆に非常にそれまであまり影響を受けなかった相互作用を受けるようになり、より複雑化した社会への言語化前の概念的理解を困難にしているばかりか、更に、言語でしか思考できない人間の脳が曖昧性に支配されている構造下では、概念の正しい言語化自体が困難をきたしている。これでは、概念の共有化自体が困難を極める時代に入っていると認識せざるを得ない、また、前述した自動脳も現実社会では混乱をきたしてきている・・・つまり、ストレスが飛躍的に増えてきている時代なのである・・・

つまり、今や、経営の根幹として人の育成に取り組まなければ社員の圧倒的多数派が統合失調症になる時代なのである・・・統合失調症とは、(人間の脆弱性)X (ストレス頻度)の総和が齎すものなのである・・・・この認識も非常に大事なのである・・・

この変化への対応としても、企業における人を成長させる経営の必要性は、人間社会というコミュニティーの存続の為には、正に一番大事な社会的な責任を担っている時代にもなってきているという理解が必要になる・・・また、企業にとっても社員の成長は、特に、Positivityは創造性にも寄与して、チームワークにも寄与して業績に大きな貢献をするのである・・・・また、メンタル・ヘルスにも大きく寄与するのである・・・だから、ポジティブ組織の構築が、今一番求められるのである・・・・

正に、日本のお家芸でもある(もしくはあった)QA/QC活動と同じことがPositive Organizationの成否と決めると同時に終わりのないQA/QC活動の時代になるのである・・・・

先日、日経BPの記事で、積水化学の社長が人事部を解体したという記事を読んだが、今や、減点主義の管理部門文化の下で育った人事の人達には任せてられない。経営の根幹であるが故に、社長が直々に取り組んだ結果が人事部の解体であり、個人的には分割された人事機能を見ていると、あまり感銘を受けるところはないが、社長が直々に取り組んでいる経営姿勢に感銘を受けた・・・

今回は、ここまでとしたい・・・

追伸:
念の為ですが、村八分とは、規約違反などにより村の秩序を乱した者やその家族に対して、村民全部が申し合わせて絶交するもの。八分とは、全ての協力する関係を十分として、葬式には出てあげる、また、火災は、燃え移ると困るので、消火活動は手伝います、それ以外は絶交するということです。つまり、最低限のことは(2割は)協力するが、残りは協力しないことにより、支え合って生きることの重要性を悟らせ反省を求めるものである・・・・本来は、今の法律に替わる善い側面もあるが、現代では、恐怖感の側面である“仲間はずれにする”こととして使われる・・・

また、ここで述べる職場での文脈とは、評価システムや、組織構造、共有された価値観等々の企業の文化、そして、職場のリーダーシップが作り出すものに集約できるが、これらの文脈も、関係する異なる機能を持つ職場の文脈、業界の文化、社会の文化との相互作用により変化をしていく、また、変化していく必要がある・・・しかし、実際に一番大きな影響力を持つのは、“現在の”企業の最高権力者である社長の言動なのである・・・・それが故に、昔から、兜町では“社長を見ろ”という言葉があり、社長を見れば企業の将来が見えてくるという経験則が今でも存在している・・・・

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March 28, 2008

新シリーズ:新しいドア(DOA)を開けよう(第四弾)・・・新デジタルデバイトの陰と陽・・・無差別殺人の誘因・・・

新シリーズ:新しいドア(DOA)を開けよう・・・の第四弾として、新デジタルデバイトの陰と陽・・・について、警鐘を鳴らしたい・・・

念の為であるが、再度、DOAについて説明をすると、Development Oriented Approach とDevelopment Oriented Architectureの頭文字をとったものであり、人間としての発達=成長を意識して生きる、また、その構造を理解して体系的な取りみをしようということである・・・

ここ一週間の悲しむべき事件である、茨城と兵庫県での無差別殺人事件を見ていると、Kozyにとっては明らかに、“デジタルデバイトの陰と陽”の陰の部分が少なからず影響を与えていると危惧している・・・

デジタルデバイド【digital divide】についてご存知の方が多いと思うが、“IT用語辞典 e-Words”では次のように規定されている・・・・・

quote:
 パソコンやインターネットなどの情報技術(IT)を使いこなせる者と使いこなせない者の間に生じる、待遇や貧富、機会の格差。個人間の格差の他に、国家間、地域間の格差を指す場合もある。

 若者や高学歴者、高所得者などが情報技術を活用してますます高収入や雇用を手にする一方、コンピュータを使いこなせない高齢者や貧困のため情報機器を入手できない人々は、より一層困難な状況に追い込まれる。いわば、情報技術が社会的な格差を拡大、固定化する現象がデジタルデバイドである。

 また、先進工業国が情報技術によりますますの発展をとげる一方で、アフリカなどの途上国が資金難や人材不足、インフラの未整備などで情報技術を活用できず「置き去り」にされ、経済格差が拡大するのは、国家間、地域間のデジタルデバイドと言える。

 デジタルデバイドは、もともと貧富や機会の差が激しかったアメリカで問題となった現象で、2000年夏の沖縄サミットでは議題として取り上げられるなど、地球規模の新たな問題として注目されている。
unquote

確かにこれが一般的な理解であり、この規定の中にも陰陽の両方が説明されている・・・しかし、Kozyが規定するデジタルデバイドとは、ICTの全てであり、ここには、コンピューター・ゲーム、携帯によるメールでのコミュニケーション、インターネットを利用したパソコンでのメールコミュニケーションが含まれるのである・・・・

Kozyの言いたい本質的で且つ一番恐ろしい“陰”の部分とは、結論から言うと、ICT関連の技術を謳歌している人達は、確かに、“デジタルデバイトの陰と陽”の陽の恩恵を享受している・・・しかし、これは、人間としての脆弱性の習得とトレードオフ(相殺)されるのである・・・・

本Blogでは何度か指摘をしているが、ここに来て指摘ではなく、警鐘を鳴らしたい・・・・・

これが如何に恐ろしい事態を招いていくのかについて、掘り下げて説明を試みたい・・・・

先ずは、コミュニケーション能力という点では、話している内容自体は、コミュニケーションにおける割合の中では意外にも、 7%に過ぎません。逆に、声の大きさ・リズムといった、声の調子によるコミュニケーションは38%、更に顔の表情・体の動きといった、からだによるコミュニケーションは55%を占めています。・・・・

つまり、人間の脳は、93%、Voiceを聞いて、そして、相手の表情とボディー・ランゲージを読み取ってコミュニケーションの精度を上げるように進化してきたのです・・・・・本Blogにて何度も言葉の限界について取り上げているように、言葉だけでのコミュニケーションは成り立たないことを、人類は学んでいるのです・・・・

Kozyは人を騙す為の心理学は勉強はしていないので、騙しの専門家ではありませんが、文字だけの、それも直筆でないデジタルな文字だけのコミュニケーションでは専門家にかかれば誰でも騙されてしまうと確信します・・・

今のデジタル世代の人達は、デジタル・コミュニケーションを多くとればとるほど、人間不信に陥る経験をより多くしていると捉えています・・・・

また、コンピューターゲームに精通することが、Face to Faceのコミュニケーションの為の話題の為であれば、コンピューターゲームをすることは、より円滑なコミュニケーションをする目的の為の、方法論となり、この場合は許せる範囲に入るが、コンピューターゲームをすること自体が目的になってしまっては、人を見る目を養う大事な少年期や青年期にが無駄に過ごされ、コミュニケーション能力は劇的に低下してしまう・・・・・

コミュニケーション能力は、Kozyの研究結果は、この能力の差が人間成長の度合いの差であることを示唆しています・・・つまり、コミュニケーション能力の低下は、現実への理解力と相手への共感力を低下させて、自分自身の弱さも認識できなくしていきます・・・

そして、若さゆえの自分自身と相手への理想主義的な観念に囚われやすいが故に、原因を周りと同じように弱い自分自身の所為に出来ないが故に、人間不信に陥るばかりか、自己の無力感も学習していき、非常に感情に囚われたり、逆に逃避したりしていき、人間の脆弱性を助長していくのです・・・・・

また、デジタル・コミュニケーションの技術革新だけを見ても、最初の産業革命以上のスピードで大きく変化してきている・・・

そして、技術革新に追いつく為の努力だけもストレスの原因になり、または、それ以外の技術も含めて、人類史上最高のスピードで技術革新が進み、技術革新が齎す新しいライフスタイルが、人生の種々の価値観にも影響を与えて、これ自体もストレスの原因になる・・・・・

最近の事件を見ていると、ある意味では自殺行為に走っているともいえる行動をとり、殺人自体に罪悪感が異常に少ない・・・つまり、以前もポストしたように、現代という時代は誰でも統合失調症に陥り安い社会になっている、そこに更にうつ病が併発すると自殺に走る人達が増えるのです・・・これでは日本人社会は崩壊に向かわざるを得ないと危惧しています・・・・

感性豊かな女子高生の間で自然発生的に絵文字が生まれたりしたのは、文字からだけでは読みきれない大事なものを補う必要を感じたからだと捉えています・・・しかし、騙しの専門家にかかれば、誰でも騙されてしまう・・・・

この解決策としては、よくオフ会といわれる類のFace to Faceのコミュニケーションを機会を大事にする、また、できる限り最低でも声でコミュニケーションをとることを心がけて欲しい・・・

一抹の寂しさは覚えるが、画面で顔を見て声を聞いて行なうことも、NGNは低料金で可能にしてくれるでしょう・・・この時は、このコミュニケーション方式をとってください・・・

また、職場においても、直ぐに話せる距離にある人とのメールでのコミュニケーションをすることは自分自身のコミュニケーション能力の向上の放棄でもあるのです、これ即ち自己成長の放棄でもあるのです・・・社内的にこの種のメールを禁じた会社のコミュニヶ-ションがよくなったとの事例も聞いたことがあります・・・・理論的もその通りだと言えるのです・・・・・

以前もポストしましたが、プレステはこの点では社会に害を及ぼす悪なのであり、Wiiは家族および友達とのコミュニケーション能力の向上には善なのです・・・現在は、良いから善いへのパラダイムシフトが起きているのです・・・

皆さん、コミュニケーション能力を、今や、意識的に磨く時代なのです・・・時として、ロウテクだといわれても気にしないでください・・・

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March 25, 2008

新シリーズ:新しいドア(DOA)を開けよう(第三弾)・・・・株式会社とは・・・

新シリーズ:新しいドア(DOA)を開けよう・・・の第三弾として、これからの会社とは・・・について、ポストしてみたい・・・念の為であるが、再度、DOAについて説明をすると、Development Oriented Approach とDevelopment Oriented Architectureの頭文字をとったものであり、人間としての発達=成長を意識して生きる、また、その構造を理解して体系的な取り組みをしようということである・・・

本Blogのメインテーマである、人間の成長を促進するサイコロジカル・キャピタルを増加・蓄積する為には、企業内の経営は、別途述べているので、社会における会社とは如何あるべきなのかを考えてみたい、また、それに関連して、最初に社会システムは如何あるべきなのかについて述べてから、説明をしていきたい・・・

社会システムとしては、自由主義、民主主義、経済としては資本主義、市場主義、また、現在破綻しつつある、ファンド資本主義というのが、主流だと捉えるが、前提条件としての種々の環境の変化および問題が噴出している・・・

先ずは、基本的な捉え方としてコミュニティーが平和に存続することを最重要視する、そして、Psychological Capitalsが蓄積され増加していく為には、如何あるべきかという視点で、論じて生きたい・・・つまり、DOAの視点で述べたい・・・・

再度念の為であるが、サイコロジカル・キャピタルとは、人間の持っている強さを強化して、弱さを補い、人間の成長を促す社会資本という事である・・・この理念自体が、ポジティブ心理学の基本であり、その中の一つの概念がポジティブ・マインドを如何にして社会に植えつけていくのかを研究するものであり、そこには、レジリエンス、自信、幸福感、等々が研究対象として含まれるのである・・・・・

自由主義は、基本的に維持することであるが、自由と言う権利は、それに伴う義務を履行して、初めて行使できるものなのである。決して“俺の勝手だろう”というような利己主義な言動は、認められない・・・もっと平たく言うと、一旦決められたルールは、守る義務がある、守らない人はコミュニティーから罰を受ける、または、追い出される・・・自由主義の場合は、ルールに反対であれば、ルールを守りながら、ルールの改定の為に必要な行動をとること・・・これが出来ないと、自由主義は崩壊するのである・・・

教職費等の未払いの場合は、子供には責任がないとので、悩ましいところはあるが、経済的に問題のない家庭の場合は、たとえ憲法で保障をしていても、義務の履行が出来なければ、退校の処理を行なう権利を有すると理解すべきだと捉えている・・・ただし、事前通告期間を十分取る、または、学校とPTAで問題家庭の両親にも会議の案内をだして、たとえ問題家庭から不参加でも議論をした上で、必要に応じて退校通知を行なうべきである・・・学校の先生が頭を下げに行くとか個人で代理払いをしてあげるのは、間違いである・・・

民主主義については、二つの問題がある、一つは多数派の暴力という側面、そして、もう一つは代理民主主義として、選ばれた人達が、堕落している状態である・・・・

旧英国首相のチャーチルは、“民主主義は問題が多い、しかし、現状民主主義に勝るものがない”・・・と言う趣旨の発言をしていたが、代理民主主義に関しては、まだ、デジタルデバイドの問題はあるが、技術的およびコスト的にも、直接投票が可能になってきている・・・・全国民がチャットで参加、また、個別に意見発信は現実的に無理であるが、選挙をして代理人は議論をするだけで、決定は電子投票にすべきであり、出来る時代になってきた・・・

勿論議論の内容は見れるようにしておく・・・透明性の維持が前提ではある・・・・

また、多数派の暴力に関しては、多数派の暴力として不満が起きるのは末端での事項が多いと理解している・・・複雑性の科学の知見が提示するように、この場合は、不満者は市町村の指定された窓口に異議申し立てが出来るようにして、問題に関するステーク・ホールダーに集まって頂き、妥協点を見出すしかない・・・この意味することは、地域地域により構成員および文化も異なるが故に、この種の問題が想定されるものは地域への権限と予算の委譲をすべきなのである・・・よく知る人、または、当事者が直接話し合うことにより、創発は生まれるのである・・・・

この場合の前提としては、市町村の行政の透明性を維持すること、そして、時期はまだ先になるであろうが、インターネットで結ばれることとなるのであろう・・・・

さて、資本主義は、産業革命の時代から、ある時までは資本集約的な設備で資本の再生産が出来たが、現代では人的な資源が資本の再生産に一番貢献している。株式会社の株主は、株を持つことに伴う株価の変動リスクに対して対価が払われるだけの時代になっている・・・・つまり、現在の株式会社は、人的資本である従業員に如何に最大の能力を発揮してもらえるかが、企業の利益に貢献して、それに伴い株主にも配当が出来る・・・ここで大事なのがDOAなのである・・・

また、市場経済主義は、コモディティーと高付加価値品とに二極分化しているが、この背景には、旧社会主義国の自由市場への参入と技術移転、技術開発の伝播の高速化により、供給面では何時でも需要をうわまれる能力を持った市場に、ICTの技術革新に伴い変化をしたからなのである・・・

つまり、市場主義経済においては、コモディティーの世界では、如何に速く且つ安く作るかの人的資源に依存してきている、むしろ、技術力より如何に安い機械と安い人件費の相乗効果を生むソフト・パワーが求められている・・・ここにも資本が資本を再生産する構造はないに等しい・・・・

また、当然の如く、高付加価値商品は、従業員のソフト・パワーに依存しているのであり、そこには資本が資本再生をする構造はないのである・・・・

ファンド資本主義は、Kozyは米国の戦略的な動きであり、目的は、米国およびイスラムの裏社会のフォーメイスン等の、製造業で日本に敗退したグループが、再度、製造業の間接支配を狙ったものであると捉えている。勿論、金融工学の技術の大事さは否定するものではない・・・しかし、策士が、図に乗って、実際は、返済能力がない貧民層までに手を出して、サブプライムローンを押し付けて、最初から破綻することを解っていて、それを証券の中に組み込み、AAAとしてビバレッジを上げて暴利をむさぼった・・・

しかし、この戦略を仕込んだ社だけは、関係証券を早く売り抜けて、踊らされた人達だけが、損をする・・・今やこの構図は見えてきている・・・どうも、Citiグループ踊らされた方のようであるが、巨悪は、ゴールドマン・サックスではないだろうか・・・・・・こんな企業の存在は、悪い人間または破滅した人間を増やすだけであり、コミュニティーの維持を考えた場合は、存在を許してはいけない・・・

また、金融バブル以前は、金融経済は実質経済の二倍前後であったが、恐らく一時期は10倍ぐらいまで、ビバレッジにより拡大していたと推定される・・・つまり、昨日のBusiness Weekでも述べられていたが、バブルが破綻してからの救済でなく、その前に、FRBは強権発動をして、(実質経済の二倍または三倍を超える場合は、)止めさせる等の対策が必要になる・・・・

こうすると、もし10倍が正しければ、金融経済を貪った人達の収入は、今後は五分の一とは三分の一にまで落ち込み・・・・一人当たりの平均月収が7千万円とか言うような、不労所得は是正されるのである・・・その前に破産する追従者も多いが・・・・

20世紀末からの、旧社会主義国の自由市場への参入は、基本的にはデフレ要因で、むしろ、ジスインフレというべきだが、この場合は、金利は有効機能しなくなるので、敵ながら良く考え抜いた戦略である・・・しかし、時を同じくして資源・穀物への投機が起きたことにより、だぶついた資金が流れて、インフレドライブがかかってきた・・・・しかし、この前提は景気の持続であるが故に、ここ数日、ドルが下げているにも拘らず、金価格、原油価格も、クレディットによりレバレッジを外されて来ている、投機マネーは縮小を迫られた・・・・

先進国で一番の低金利で且つ、かっての資金投入が大きく加担した円が、今回の金融バブルの最大のドライバーであると見ている・・・

以上を総合すると、これからの株式会社は、米国でGoogleが口火を切った株主としての議決権のない株券の発行というのが、ヒントを与えてくれている・・・つまり、Googleの場合は創業者の二人だけで50%以上の議決権をもち、他は、正確には覚えていませんが、一株あたりの議決権を制限している・・・しかし、配当はもらえる形式で上場をしました・・・・

今でも、人間は成功を重ねるたびにバイアスを持ちやすい構造的な特性を持っているが故に、いつかは問題になる・・・何とならば、経営者を解任したくても出来ないということになります・・・日本の商法ではこの種の発行は議決権は1/2までに限定されている・・・・

通常の普通株は1株=1議決権になりますが、これを自由にいじることが出来るということです・・・・どのような比率にするかについては色々の考え方があってもよいと思います・・・・

また、議決権の対象を限定して株を発行することも出来るのです、例えば取締役の解任権に限定することも出来ます・・・

ところで、日本の商法では社員とは株主のことを意味しています・・・Kozyの提案は、三年以上勤務している従業員は、株主=社員になるべきだと捉えています。また、相互主義から言えば、取締役会で、人事と供与の承認が成されるが故に、社員は解任権を持つべきだと考えています・・・

以上より鑑みるに、これからの会社は、ある意味では契約社員である取締役、そして、自社株を持った従業員=社員、そして、取引先企業、および、会社を取り巻く社会・・・この四つに分けて考えると、この四つは、それぞれコミュニティーと言いえる・・・そして、会社の構成人員は、取締役と社員という二つのコミュニティーが一つのコミュニティーを形成している・・・・

現在は株主重視ということで、取締役は株主総会での承認を受けて就任をするが、この関係は、今では、昔と違い資本が資本を再生産をするわけではない、むしろ、経営層である取締役が社内の人事権を持っていることを考えると、構造的な問題として、同一コミュニティーの一員として、取締役が、株主のコミュニティーに含まれやすい構造を持っている・・・

これは、会社というコミュニティーとの二束のわらじを履くようなものであり、会社コミュニティーのあるべき姿での存続を危険にさらす構造である・・・・

この様に捉えると、一つは、取締役は自社株の持ち高の念の為に上限を決めて、社員株と取引先株主が役員に対する承認権を確保する50%以上の議決権を持つようにする、つまり、社員の意向と会社を良く知る立場である取引先の意向で選べるようにする・・・または、比率の若干の調整はあるとしても、社員が議決権の三分の一、取引先が三分の一、そして、社会を代表して購入する人達を三分の一にするという形式が大事になるであろう・・・・

株主総会での議決を要するものは、他にも種々あるので、それぞれは、如何あるべきか、その判断基準は社員が、全体として一番能力を発揮できること、そして、会社というコミュニティー存続できること・・・つまり、DOAに基づき社員の成長を促すには如何あるべきかが判断基準になる・・・・

しかし、非上場の会社は、Googleの様に、最初からこの種の措置を取れるが、歴史ある上場企業の場合は、実際は、MBOと同じように取締役と社員でBuy-out=買収をかけるしかない・・・しいて名前を付けるとしたら、CCMBO=Corporate Community Menbers' Buy Outと呼べばよいだろう・・・・また、しいて言えば、これがPsychological Capitalism Revolutionといえるかもしれない・・・・

これは決して非現実的な考えではなく、21世紀の大きな揺り戻しの結果としての、既に動き始めている方向だと捉えている・・・・・

一見、Communism=共産主義に映るかもしれないが、全く似ても否なるものである、つまり、サイコロジカル・キャピタリズムであり、この事は万人に平等を与えるものではなく、万人に対して成長の機会および支援を与えることであり、万人の自己成長を促すことが目的であり、また、万人の幸福感は当然千差万別であるが故に、万人平等とは異なる・・・・

また、念の為であるが、同じ会社というコミュニティーのメンバー間の所得格差は、最大30倍、または、20倍ぐらいまでにするというルールは必要になる・・・なんとなれば、取締役というのは、コミュニティーの一メンバーとして、経営職を行なうだけであり、所得格差の差が大きすぎることは、コミュニティーのメンバー間の不適切な競争を生むのである・・・

念の為であるが、これと同じ事を、Kozyは日本語では気本主義と名づけている・・・まさに、キホンに帰れである・・・

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March 21, 2008

新シリーズ:新しいドア(DOA)を開けよう・・・これからの経営の基本・・・

新しい概念には新しい名前付けが必要になる・・・今年の1月30日に“2008年は人類史上の歴史的転換期・・・よく観察しよう・・・ ”をポストして、述べたように今年は21世紀の進むべき方向が見えてくる年であり、観察をしていて、個人的にははっきりと見えてきたことがあり、広範囲に適用されることでもあるのです、また、Blog開始から、4月19日で3周年を向かえ4年目に突入します。

それ故に、今までの集大成の気持ちも含めてシリーズとして、書き上げて生きたい・・・・タイトルは“新しいドア(DOA)を開けよう”です、実はに欧米では新しく映るが、日本人であるKozyには、日本文化の持つミーム(文化の遺伝子/特性)の本質が、やっと世界的に認められつつある時代に到達してきた・・・

また、科学的にも正しく、21世紀の新しい根幹となる哲学に基づく、新しい社会システム(企業を含む)の提案でもある・・・・・まさに、“石の上にも三年”でやっとここまで到達した・・・・・

良くも悪くも、新しい言葉は古い言葉の規定される概念の影響を受け易いので、Wikipediaを覘いてみると、DOAは、今までは次のような種々の領域で使われていたようです。個人的には、Dead of Aliveを最初に思い出しまた・・・・・・・・

デッドオアアライブ。テクモ・チームNINJAの3D格闘ゲームシリーズ。
DOA/デッド・オア・アライブ (DOA: Dead or Alive)。2006年のアメリカ映画。ゲーム『デッドオアアライブ』が原作。
DEAD OR ALIVE 犯罪者。1997年の日本映画。
DEAD OR ALIVE 逃亡者。2000年の日本映画。『DEAD OR ALIVE 犯罪者』の続編。
DEAD OR ALIVE FINAL。2001年の日本映画。シリーズ第3作・最終作。
DEAD OR ALIVE。イギリスのポップミュージックグループ。
データ中心アプローチ (data oriented approach)。ソフトウェアの開発手法の一つ。
アジピン酸ジオクチル (DiOctyl Adipate)
救急医療における到着時死亡 (dead on arrival)。

何か少し死の概念が付きまとっている気がしますね・・・・

先ずは何のことかというと、Development Oriented Approachであり、かつ、Development Oriented Architectureの頭文字を取ったものです・・・・

Developmentとは、開発という日本語が良く語で使われていますが、心理学の世界では発達と訳されており、Developmental Psychologyは発達心理学を意味します。また、欧米ではBusiness Developmentは、事業開発と約されることが多いですが、開発をする、また、発達をする・・・この二つは成長を意味することでもあるのです・・・・・・

よって、ここで述べるDevelopmentとは、人の成長を志向する、それに伴い企業の成長が成され、社会の発達が成されるシステムの構築を目的としたアプローチを重視する・・・・つまり、これらこそ、人間社会にとっての“善”の本質だと捉えます・・・

世界から一番Positive(正の評価=良い)に受け止められている日本文化の再構築と西欧文化がまだ見つけきれないが、希求する新たしい社会規範、社会システム、経営システム、等々への答え、少なくとも大きな示唆を提示するものだと捉えています・・・

また、現在は、人類の存続そのものが危機に面してきている中で、複雑性の科学、心理学、脳科学、ICTの技術革新による統計解析学の実用化の推進等に基づき、あえて区別して言うと、“Pure Science”と“Practical Science”が同一化してきていることが、DOA=ドアを開くことを可能にしてくれつつあるという時代背景がある・・・・

個人的には、また日本経営の追従かという第一印象を持ちましたが、米国の経営学のグルである、『コア・コンピタンス経営』の著者、ゲイリー・ハメルが『経営の未来』ゲイリー・ハメル、ビル・ブリーン・著の新刊を出した・・・彼の『コア・コンピタンス経営』の英文タイトルは“Fighting For Future”であるが、大前研一が、ハメルが主張したかった、コア・コンピタンスとアスピレーションの二点のうち、一点だけを取り上げて強調するタイトルを付けてしまった・・・・

そして、今回の新刊の英文タイトルは“The Future of Management”であり、これからのManagement Innovationは、混沌とした現代から、未来を読み解くにはあまりにも難しすぎる。それ故に、今、注力すべきは“人”の情熱と想像力を喚起して最大限に活用することであるといっている・・・

つまり、意訳すると、従業員のAspirationが大事であると言っている。しかし、Aspirationとは、困難なことへでも達成する熱意という意味であり、そのような人間を如何に育てるかが一番大事なことになってきている・・・

そして、種々の恐怖を起動して思考と行動の不全を招かない次のような状態を造り維持することが大事である・・・・

「自発的に自らをつくり変えられる組織」
「変革のドラマに痛々しいリストラの衝撃が伴わない組織」
「反逆者が常に保守主義者に勝利する企業」
「社員の情熱と創造力に本当に活かし、社員からそれぞれの最高の力
 を自然に引き出せる企業」
「全てがチームモードで支えられる組織」
「より多くのコミュニティーとより少ない階層の組織」
「より少ない統制と目的の共有化で成り立つ組織」

等々の類のことを述べているが、同時にMBAに導かれたものは何もない状態でもあると述べている・・・実学と同じ事を言っている・・・つまり、MBAの知識は、誰でも入手できる。そして、MBAは“to do things right”はできたとしても、一番大事な“to do right things”には直接には貢献できないのである・・・・・新しい変化への対応には、自己成長をした実学の持ち主にしか出来ないのである・・・・

残念ながら、ゲイリー・ハメルは、だから如何すればよいという答えは持ち合わせていない、そして、読者に問いかけている・・・・・What does the future of management look like to you?????・・・・・

Kozyは、以前から、大前研一のコア・コンピタンスというタイトルは、片手落ちで、原書を読む限りは反対であったが、一貫してハメルが言っていることはAspirationの大事さであり、松下幸之助が言ったように企業は人を作る事が最大の使命なのであるに通じるのである・・・・

また、現代という平和な社会で育った人達はより脆弱になっており、技術革新の高速化は、価値感の短命化を齎し、ストレス頻度を上げている、つまり、人類は、人類史上一番脆弱な人間と一番多いストレス頻度社会で生きなければならに試練の時期に来ているのである・・・・

それ故に、人類は、人類史上一番統合失調症、むしろ、昔の呼び方をすると精神分裂症に陥りやすい社会の中で生きる試練を与えられているが、この種の人達、または、予備軍の人達が、つまり、先進国の人達が世界の富と権力を持っている非常に危険な状態に入っている・・・・

だからこそ、企業は社員の成長を促すことが、社会的な責任であり、企業の発展にも最大の効果を持ち、従業員にとっても充実感と幸福感を齎す、一石三鳥という、新たなる生態系で存続する為の一番の摂理である、最小のエネルギーで最大の効果を出せる企業が成果を挙げ生き残れるということにもなるのです・・・・また、人類が生き残れる・・・・

Aspirationの能力をあげる時代となるが、この為には従業員の成長を促すしかないのである・・・・・この為には:

①チクセントミハイルが推奨した、Psychological Capitalsの促進(PCP)が必要であり、
②個人の主体性を上げてチームワークのアウトプットを上げるには、グループ・ダイナミックスの知見であるWorking Groupに属する人間を増やすことが必要となる、
③企業内の健全なるコミュニティーの育成と維持には、コミュニティー心理学の知見である、文脈への介入と管理が必要になる、そして、
④Positive Organizationの構築が必要になる・・・・

まさに、Kozyが唱えていることが、答えになるのである・・・・

詳細の方法論は今後述べていくが、これからの経営とは、良いから善へのパラダイム・シフト、善なる商品・サービスの開発と提供を行なう、これが出来るの人達、つまり、何が善なのかを峻別できる成長した人間を育てることになる・・・善なることと納得して行なえること、これ即ち、情動と理性の一致であり、最大のAspirationを生み出すのである・・・・・・

少なくとも、従業員の成長を促す人材育成は、今までの管理部門の専管事項ではなく、経営者の専管事項になると言うことでもあるのです・・・・如何により少ないエネルギーで最大の効果を生む従業員の成長システムを構築していくのかが経営の主眼になる・・・・・今や、この無形資産である人に付随する財産が利益の大半を既に生み出しているのである・・・・・・

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March 14, 2008

表面的な言葉に踊らされるな・・・本質を理解しよう・・・

以下は、米国のあるBlogに掲載されていた、いわば成功の為の10っヶ条である。・・・・米国人らしい観察眼だと理解できる・・・・・

1.Take Risks
リスクをとれ

2.Make Opportunities
機会を作ろう

3.Have a Plan
計画を持とう

4.Stay Motivated
やる気を維持しよう

5.Be Patient
忍耐を忘れるな

6.Reward Yourself
自分を褒めてあげよう

7.Do not Stop Learning
学び続けよ

8.Learn to Delegate
人に任せることを学ぼう
(Delegate: to give part of your work or the things you are responsible for to some one in lower position than you)

9.Raise Your Standards
自分の能力を上げよう

10. Be Thankful
感謝を忘れるな

米国、むしろ、欧米では物事の捉え方として、表面に出てくる行動で捉える、ある意味では実践的、つまり、プラグマティズムの影響がある。本Blogでも云っているが、経営を欧米では、Bisiness Development, Effective Operation, and Risk Managementと捉えるが、日本では古来、人、物、金のもっと掘り下げた要素で捉える文化を持っている・・・

読者の中で、上述の10ヶ条を読んで感銘を受ける人もいると思うが、だからといって、直ぐに実行できる、また、継続的に実行できる人はいるだろうか!!!・・・先ずいても少数派でしかないと確信する・・・また、この種の類のことを仰々しく言われる専門家も圧倒的多数派であり、この様な事にお金を払う人が圧倒的に多数であるのも事実である・・・・

昔から、人間の弱さおよび傲慢さに、つまり、概念的に解った気になりたい傲慢さを悪用する人が多い、人間の弱さがあるゆえにやくざ家業が絶えないことと同じである・・・・

同じことに違う名づけをしたり、本当の事は言わない、つまり、それを云ってしまうとそんな思いはしたくないとか、困難すぎると、弱い人間という多数派には受け入れられない・・・マスコミで言えば売れない、視聴率が取れないと愚かな大衆への迎合に、陥る構造的な問題を抱えている・・・・・

また、最近の日本は少し怪しくなってきているが、現在の日本があるのは、表面的には全く異なるものをその本質まで掘り下げて、異なるものの融合を果たすことが出来る文化を持っているからである・・・詳細は、以前“日本人のミーム(文化の遺伝子)・・・・ある視点より・・・・”2007/2/17にてポストしているので、興味ある人は見てください・・・

欧米のプラグマティズムは、現実として表出した行動を重視する。これはこれで正しい。しかし、成功の為の10か条のような場合は、これらの行動、むしろ、行動変容または、実践力を可能にするのは何なのかの要素をはっきりさせて乗り越えることが重要になる・・・・

つまり、欧米式の捉え方は行動としてのチェックリストであり、この様な行動をとらせる為の統制に力点を置いてきた・・・如何に奴隷を働かせるかという側面があるのである・・・ここで、従わせると言う外発的な動機付け理論は、現代社会では破綻を示してきた、そして、内発的な動機付け理論が生まれてきた・・・

しかし、人間は取り巻く文脈に支配されるものであり、文脈の管理の時代に突入してきている・・・マズローの欲求階層説は、まさに、文脈が変われば人は自己実現に向かう、つまり、内発的な動機付けが成されると言うことなのである・・・・

チェック項目を知ることも重要ですが、それを可能にする要因=本質を知ることのセットではじめて、実用的で効果が出る・・・このことを肝に銘じて欲しい・・・・

ここで、上述の10か条を掘り下げて、何が原因で実践できないのかを考察してみたい・・・・

“リスクをとれ”が実践できないのは、恐怖感に打ち勝てない、また、恐怖を過大に感じているが故に、実践に移せない、つまり、普段からの現実への対峙を怠っているから、余分な恐怖に縛られるのである・・・・

“機会を作ろう”が出来ないのは、普段から現実への対峙をして現実から起動される恐怖とは一体どこまでのものかを思考する習慣を持っていないと、大事な機会があっても、恐怖感からあるものが見えなくなるので機会が作り出せない・・・・・

“計画を持とう”が構築できないのは、、つまり、あるべき正しい計画をもてないのは、現実でなく幻想に縛られているが故に、当然上手くいかない失敗の連続から、現実を学ぶのでなく、学習無力感を習得してしまうからなのである・・・・

“やる気を維持しよう”が、難しいのは、自分で掘り下げて考えて、自分で決断をして、その仮説の検証をして、実行に移す、つまり、Plan, Do, Check, ActionというPDCAをしないで、他人や周りの所為にする子供の専売特許という既得権にすがるからである・・・・PDCAの繰り返しが出来ていれば、やる気は維持できるのである・・・

“忍耐を忘れるな”が出来ないのは、代表的な自己成長の出来ない人の行動特性であるが、この背景には妄想に縛られて現実を直視できない、科学的な、または、論理的な思考能力の欠如が挙げられている、言い換えると、現実への対峙能力と自分が変わらなくてはいけない恐怖感に勝てないのである・・・・・

“自分を褒めてあげよう”は、自分自身にお祝いをあげようということであるが、張った糸は切れるの喩えの様に、人間は完ぺき主義では続かない構造的な弱さを持っている・・・つまり、自分も他人もみな同じように人間は弱くて傲慢で醜い構造を併せ持っていることを受け入れる・・・自己受容=人間受容なのである・・・だから、自分を褒めることが必要であり、小さくても良いから成果を積み重ねることも重要であるのである・・・・

“学び続けよ”とは、特に現在においては技術革新の高速化により、人類史上一番変化の周期が短くなっている、つまり、普遍なものは何もないが故に、学び続ける必要があるのである・・・経済学や経営学などは、過去の変化の体系化でしかなく、これからの変化を読み解くものではない・・・しかし、不安という恐怖感から逃げたいが故に、多数派の人が、普遍性を求める、また、悪いことに多数派の意見が普遍な事実であるという安易な幻想に縛られやすいのである・・・・

“人に任せることを学ぼう”とは、人間社会は相互作用により成り立っている、つまり、支えあって成り立っていることを理解せずに、自分が偉い、自分ですべてやるという傲慢さに囚われている、または化人を信頼できないのでは、大きな波は起こせないのである・・・一人で全て出来る仕事はないのである・・・まさに、一隅を照らすものはみな、国士なりと大昔から言われている通りなのである・・・

“自分の能力を上げよう”は当たり前のことであるが、これが出来ないのは、驕りを持ってしまうこと、そして、人間の怠惰性に負けてしまうこと・・・・・

“感謝を忘れるな”、実はKozy苑の中に、感謝は売っても買うな・・・という戒めの言葉がある・・・このぐらいの生きる姿勢でないと、感謝の気持ちが薄くなるからである・・・上述したように、人間社会というのは相互作用により成り立っているが、この相互作用をプラスに持っていくのが、感謝の気持ちなのである・・・・

以上の掘り下げから、要素を拾い上げると、人間社会のメカニズムはそれを取り巻く文脈に支配される人間の弱さ、傲慢さ、怠惰性という悪さ加減をどれだけ深く認識できるかが、人間社会のメカニズムの理解に繋がる・・・・・また、人間の構造的な特性である曖昧性を求めて進化してきた脳の構造的な問題を理解して、言葉とその意味する概念の乖離、特に恐怖感の対象と恐怖感の正確な理解が必要になる・・・・・

実は、これらの事を体験学習させてくれるのが社会生活であり、仕事であり、恋愛なのです・・・これらの現実が成長を促してくれる・・・しかし、より深くより広く経験しないと学習効果は得られないのである・・・確かに苦悩の連続であるが、この苦悩の連続こそが、苦悩を減らしていく・・・・これだけしか方法論はないのである・・・本当の心の自由は、こうして得られる・・・

成長することは、実学の習得をどれだけ多く出来るか、つまり、それまで学んできたもので、現実との齟齬が生まれれば、それまで学んできたものを棄却する勇気を持つ、つまり、棄却する為に学んでいるという心構えをもち、現実に基づいて根気よく、PDCAで再学習をする・・・この結果が実学です・・・しかし、これも仮定の一つでしかない・・・棄却して再学習をする必要がある覚悟が必要なのです・・・

人生は何時までも勉強の連続が必要であり、これを諦めた時から社会からの乖離が始まるのです・・・そして、脳は退化してしまう・・・・マキャべりが、歴史上の人物で権力を持ち続けて退化しなかった人はいないと断言しています・・・これも現実です・・・これらの現実を踏まえて、それでも挑戦し続ける・・・これが生きることであり、自己成長または真の成功への王道であり、胆力の源泉でもある・・・・

これらは、まさに、意見不都合な事実ですが、その中で何とかしてやりぬけて、または、耐え抜いて、生きることが、人間社会への最大の貢献となり=いつか感謝される、至福の幸福感を得ることが出来る王道ではないでしょうか・・・

この王道とは到達しないゴールに対して遣れることを常に考えて遣れることを実行し続けていく・・・これだけで良いのです・・・念の為ですが、このためには知的思考能力の研鑽を積むことが前提になります・・・・

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March 12, 2008

国際ポジティブ心理学会の設立の案内・・・・

日本時間で3月7日に、国際ポジティブ心理学会の設立と、設立メンバーとしての勧誘のメールが入ってきた・・・今までは、正式な国際学会は無かった・・・当然、日本にも存在はしていない・・・健康心理学会の人が文句を言うかもしれないが、ポジティブ心理学は、健康心理学の一部ではなく、、むしろ、健康心理学がポジティブ心理学の一分野にすぎないと、Kozyは理解している・・・・

Kozyも早速加盟したが、誰でも加盟できるので、また、21世紀における重要な役割を担うと思うので、組織学、組織心理学、人材育成、経営心理学、等々にご興味がある方は、加盟をお勧めします・・・ただし、英語の苦手な人は英語でしか情報は入手できないので、お勧めできない・・・・

また、取り敢えず加盟して覘いて見たが、まだ、データ等は、集められていないので急がなくても良いかもしれない・・・

英語の苦手な人には申し訳ないが、設立趣旨書でもある、勧誘のメールのコピーを原文のまま掲載させていただきます。

We are delighted to announce the founding of a new organization: The International Positive Psychology Association (IPPA). The purpose of this organization is to promote the science and practice of positive psychology and to facilitate communication and collaboration among researchers and practitioners around the world who are interested in this new field.

This is a brand new organization, and we would like to extend a cordial invitation to you to be among the very first to join. We have been hard at work developing the infrastructure for what will without question be a major international organization. Here are some highlights we wanted to share with you:

-We have set up a website where you can find out more about IPPA and where you can join today. Please visit www.ippanetwork.org to sign up as a Charter Member, Charter Associate, or Charter Affiliate.

-IPPA is run by a Board of Directors comprised of leading positive psychologists from around the world. Visit the website for a full list of the members of the Board, which includes such founding figures as Martin E. P. Seligman and Mihaly Csikszentmihalyi.

-On the website, you will see the categories of membership developed by the IPPA Board of Directors. We're excited that there is a category available for everyone, whether you are a researcher, a practitioner, a student, or someone who just wants to keep abreast of the latest developments in positive psychology.

-You will also see the various membership benefits, including journals, an IPPA Newsletter, and quarterly conference calls with leading figures in positive psychology.

-The First World Congress of Positive Psychology has been scheduled for June 18-21, 2009 in Philadelphia, Pennsylvania, USA. IPPA members will receive a discount on their Congress registration.

-In the coming days, we will be adding more content to the website, so be sure to check back often.

If you have any questions about IPPA or your membership, please send them to info@ippanetwork.org.

Please help us spread the word about IPPA by forwarding this email to any groups or individuals you think might have an interest in joining this exciting new association.

We look forward to having you join IPPA and to welcoming you into this global positive psychology community.

Very best wishes,

Ed Diener, President
International Positive Psychology Association

James Pawelski, Executive Director
International Positive Psychology Association

尚、会員の特典および会員の種類と回避は、次の通りである・・・・・

Member Benefits

FREE quarterly calls with leading positive psychologists (Martin Seligman, Ed Diener, and others)
FREE Positive Psychology News Monthly newsletter
REDUCED registration for World Congress
OPTIONAL Positive Psychology News Daily subscription

Member ($90 per year)
Associate ($80 per year)
Affiliate ($50 per year)
Student Member ($30 per year)

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February 29, 2008

楽しい職場の本質・・・“経営としての人事政策の根幹と基本”の各論・・・・

本年2月11日に“経営としての人事政策の根幹と基本”にて発信した“もう一つの大事なことは、定期的、つまり、3年か5年毎に、現状の悪さ加減の認識をする質問紙による調査を実施する・・・そして、対策を考え実施する・・・この目的は、すべての社内的文脈で不必要な恐怖感を起動しているものはないのか、また、組織をネガティブな方向にもって行っているものはないかを調べることとその改善が目的である”・・・・・・・・・・・このことについて、本日は説明をしたい・・・・

悪さ加減の現実としての認識から、改善そして改革と言うものは始まるのである・・・現在の日本の企業においては、何も指示されなくても自発的に動く、米国流にいうと“A社員”、日本流に言うと“上の三”という社員がどれだけ存在、または、生存できているかと言った方が良いでしょう・・・・

この“上の三”の社員こそが、Positive Organizationのドライバー、つまり、ポジティブな心のエネルギーを自ら発信する人達なのです・・・・しかし、Kozyが、創業100年以上の老舗企業である、あるメーカーでの研究をしたところ、ライン部長職年齢の中で一割以下しか生存していない・・・・

しかし、9割以上の学習無力感に囚われた人たちの中で、今でも、頑張っている・・・想像してもらえばお分かりのように、9割以上の学習無力感に囚われている社員達のなかで、ポジティブでいることは、9割以上が、守旧派であり、変化を望まない人達とのなかで活動をすることは大変なことであるが、希望を捨てていない・・・・

実は、米国流のA社員、B社員、C社員と日本で言われる上の三の社員、真ん中の四社員、下の三の社員の規定は、企業における文化的な違いより、米国流では、利己的であっても頑張る社員はA社員に含まれるが、日本では下の三の社員に含まれる・・・面白いことに、日本流の上の三の社員と下の三の社員は、若いときは同じグループであるが、ある時から分かれていく・・・また、行き来はあるのである・・・・

一方、B社員と真ん中の四の社員は、正に、言われたことはしっかりこなす社員達であり、ほぼ概念的には一致している・・・

しかし、米国流のC社員は、端的に言うと、陰口はたたいてもやる気のない社員であるが、日本流の下の三の社員は、堂々とあるべき論とかおかしいとの指摘という文句は言うが、実践しない人達であるが故に、会社への貢献はゼロと言うよりも、マイナスになる・・・つまり、ネガティブなこころのエネルギーの発信者なのである・・・・

ここで、日本流の“さんよんさん”とは、単純に比率をいっているのではなく、経験則に基づき、今でいうところのグループ・ダイナミックスの知見を示している言葉であり、何もいわれなくても自発的に行動をして会社に一番貢献する人間は三割を超えることはない、また、言われたことだけは確りこなす人達は四割は生まれてしまう、そして、文句ばかりを言って何も貢献しない人達も三割位にまでになる・・・・存在比率の上限や下限を示す言葉でもあるのです・・・・・

Kozyが行なったこの組織人の三層構造の分類方法の解明・確立と、その各層の意識・認識の構造の違いを解析した結果から次のことが示唆されています・・・・この解析はメタアナリシス(後分析)と云われるもので、50の質問紙票の調査結果からの分析です。質問紙の正確度にもよるので、保証は出来ませんが、殆どの場合はこれと類似した解析が出来る・・・・

上の三の社員:

この人達は、50の質問項目の全てが、少なくとも他の項目の一つはおよび多数の項目に対して有意な正の相関関係を持って繋がっている・・・一つの捉え方、一つの考え方が、50の質問項目に有意な正の相関関係で連鎖的に繋がっている・・・これだと、仕事が楽しくてしょうがないだろうと言えるのです・・・しかし、9割以上の仲間とある意味では戦っている状態の中で、賞賛に値する人達なのである・・・

現実を直視して、その中で希望を維持して、愛他性が高く、矛盾や困難を何とかする努力に価値観を持って、責任を人の所為にしないで取り組む誠実性と責任感と忍耐力を持っている・・・ビヨンの規定するWorking Groupの特徴そのままであると同時に、マズローの自己実現の第二論文で発表された、自己実現者の特徴と同一である・・・・・・

・・・・このような人には人材育成教育は、多くが無駄な時間になる・・・しかし、大学院に戻り確り体系化して整理をしたい、深耕したいと言うのは支援すべきである・・・

真ん中の四の社員:

セリグマンの学習無力感を絵に書いたような人達ではあるが、誠実性と責任感があるが故に、また、集団からの離脱を恐れるが故の忠誠心があるが故に、言われたことはこなすのである・・・しかし、自部門内の意思疎通と問題解決能力はそれなりにあるが、他部門との協力関係を構築するコミュニケーション能力がない・・・・

また、これはビヨンのいうところの、基底想定グループのBaD+BaPの混在は見られるが、それらの特徴を持っている・・・・

・・・・このような人達には人材育成教育を自己成長を促す教育として捉えるのであれば、学習してしまった無力感の原因は、異なる捉え方が出来る、未来永劫に続くものではない、また、少しの勇気で出来ることを実践させその成果を感じさせて、すこしづつ学習無力感から開放させていく、または、逃げることの出来ないポジションを与えて、現実逃避も出来なくして自分が変わるしかない状況、つまり、計画された“苦悩体験”をさせるしかない・・・意外と多くの人が、正に、ポジションが人を作ると言う言葉に代表されるように成長を成し遂げている・・・・・

・・・・・このような人達にはその人を取り巻く職場の文脈への介入なしでは成長支援は難しいのである・・・・

下の三の社員:

自己効力感が自分の机上の知識に依存しすぎており、現実との対峙をして問題を現実に基づいて解決する能力がない、また、周りを馬鹿にする人達なのである・・俗にいう有名大学卒に多い・・・・・

ビヨンの言葉を借りると、知識を所有することはできるが、その知識を棄却して現実に基づき再学習をして知識を習得することが出来ない・・・それが故に、攻撃に出たり、逃避に走るBaFの人達なのである・・・・

・・・・・・このような人には、現実から逃げれない状況を与える、責任者として、現実に基づく再学習経験をさせて実学の習得とその大事さを教えるポジションを与えるのが効果的と考える・・・また、周りを馬鹿にしては仕事が出来ない、周りを馬鹿にする人間が一番馬鹿であることを学習できるポジションを与えることとも言いえる・・・

・・・・・全体を通じていえるのが、実業界での経験の多い問題解決志向のブリーフセラピストを常駐させることは有効なのである・・・社員をポジティブにしてくれるのである・・・産業カウンセラーやキャリアカウンセラーには、この手法を学んでいる人は稀なのである・・・・

ビヨンの言葉を借りると、上の三の社員は、現実に基づく変化への対応を常に善しとするが、他の二層の社員は変化への対応が自己変容=自己改革を求める場合は、口でなんと言おうと、自己変容=自己改革を拒絶するのである・・・つまり、自己変容=自己改革は、対峙したくない現実が齎す恐怖感に縛られる為なのである・・・・

だから集団の愚かさに縛られていると思っても、その方がましであるとの判断により、集団の規範という文脈の維持に努める・・・そして、結局は自分の苦しみからの解放は出来ないばかりか、苦しみを深めていく・・・・・後で述べる知的思考能力の欠如以外の何者でもない・・・

企業体質をポジティブ体質にすることは、どんな困難にあっても、そこからの復旧能力=レジリエンス能力を上げることでもあり、自発的に学習する組織にもなる、ポジティブとは現実の“肯定”、こころのエネルギーの“正の増加”、自分で考え決断し行動する“自発性”、“前向きな”自己受容、相手の成長を喜ぶ“愛他性”、周りを元気にする“ユーモア精神”、自分と人間と将来に対して“肯定的な誇り”、“不必要な恐怖感を抱かせる否定的な言動を取らない”、等々の文脈を築き、ポジティブな組織文化を構築するのである・・・ポジティブとは“”内の言葉を全て包含する・・・・・

また、Kozyの規定する“ポジティブ能力”は、次に述べる知的思考能力の訓練・習慣が齎すものであり、楽天性とか単純なプラスだけを見るようなプラス思考ではない・・・念の為。

1.人間社会の全てにおいて“普遍なものはない”との捉え方により、ものごとの両面、つまり、陰陽と表裏を常に直視して考える・・・・・これは、自分の全否定からスタートする思考でもある・・・Learn-Unlearn-Relearnの成長サイクルの中に身をおくことでもある・・・・・・

2.ズームインとズームアウトの両方の視点で、全体を俯瞰して、つまり、そこにあるシステムは何が存在しているのか、また、そのシステム内の各プロセスの相互関係はどうなっているかまでを常に考察する。・・・いくつものシステムに組み込まれている時は、どのような時にどのシステムが起動するのかを思考し、検証する必要もある・・・・

3.全体と各部の関係が見えてきた時には、今回の目的達成の為には、判断基準として何が一番適性で影響力が大であるかを思考して、一つの仮説を導き出し、よく知っている人達との意見交換をして、如何するかを決断する(弁別思考のこと)・・・・

この三つの思考を体にしみ込ませることが出来れば、至福の楽しい組織が出来ていくのである・・・これが、楽しい職場の本質なのである・・・これこそが、Positive Organizationであり、Psychological Capitalが自動的に蓄積されていく企業の姿になる・・・・ひいては日本の発展、世界の平和にも繋がっていくのである・・・・

これからの組織改善や人材教育に関わる人は、最新の心理学と脳科学関係の必要な知見を持ち、最新の統計解析技術を持ち、その統計解析技術をもっとも有効化させ得る実学による洞察力の三点セットが必要になる・・・・確かに、このような人は企業でもアカデミアでも、コンサルタントでも殆ど居ないでしょう・・・だから、Kozyがお手伝いをしたい・・・

自社のことはいかなる大学の有名な教授・専門家やコンサルタントより、自社の社員が知っているのである、・・・これは最近ポストした、問題解決志向(SFA)のブリーフ・セラピーの基本精神である、患者のことは患者が一番知っている。それを種々のバイアスや取り巻く文脈からの開放を手伝い解決方法を導くのを手伝う・・・つまり、個別企業のことは、個別企業の社員が一番良く知っている、これをお手伝いしていくと言う意味で、Kozyは自分の名詞には“企業体質改善チーフ・セラピスト”と書き入れている・・・・・

個人の成長と企業の体質改善=企業の成長・・・・Kozyのライフワークでもある・・・・

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February 22, 2008

人間不信の解消策・・・ブリーフ・セラピーSFAの例・・・

最近の人の中で、昔に比べると、人間不信が強くなっている気がしてならない・・・・いじめの問題が叫ばれて久しいが、多くの人達の人間不信は、いじめのトラウマ経験からきていると言っても良いのかもしれない・・・それが故に、人間に無関心になるという悪循環に陥る・・・また、人間不信を、恥を忘れた大人が増えて来ている事が、さら
に、拍車をかけている・・・・

いじめとは、心理学的には、人間になる為に、最初は同化することを学び、小学校の高学年ぐらいか、異なる環境と異なるDNAによる個性が生まれてくるが故に、違いを学ぶ訓練期間にいじめが発生する・・・同化学習から違いの学習、いわば、パラダイムシフトという葛藤から生まれる行為である・・・この以前には男女の差も殆どないのである・・・・

確かに、一部の人はこのパラダイムシフトの苦悩から、成長が止まっている人はいるかもしれない・・・平和の代償として・・・しかし、少なくとも、男女の違いは認めている・・・また、圧倒的多数が、この試練を乗り越えて成長している・・・・

仕事は成長の場である・・・と何度もいっている様に、仕事は一人で全て出来るものではなく、お互いに分担をして、チームとして行なうものであり、仕事を通じて、愛他性を学習していくものでもある・・・・お互いに分担することは、お互いの違いという特性に基づく、違いを受容するものでもある・・・・

また、人間不信ということは、自分も人間であるが故に、自己不信ということでもある・・・いじめを受けた時代から、自分自身は本当に成長していないのでしょうか・・・つまり、自分自身が成長していると認めることが出来れば、人間不信は消えるのではないでしょうか???・・・

また、25歳までは、短期的な展望だけで行動に移せるが、それまでの経験で習得してきた中長期での展望が25歳以降の脳では取り組まれています・・・・人をいじめることが、相手に何を齎し、また、自分自身に何を齎すのか・・・また、チームの一員であるとは、同じ集団の一員であり、同じ仲間がいじめられていれば、脳内で同じように感じる「ミラーニューロン」と言う部位が前頭葉で発見されています・・・・

「ミラーニューロン」は、正に、真似るという同化の機能のことでもあり、共感力を養う機能でもあります・・・相手を見るだけで脳内で感じ取る・・・よくスポーツの世界でイメージ・トレーニングという言葉を耳にしますが、「ミラーニューロン」の強化トレーニングでもあるのでしょう・・・・

また、カウンセリングにおいても、具体的にイメージできることは実現できるという知見があります・・・イメージ出来れば、体が受け入れたということを、意味していると捉えています・・・・

人間不信という感情を抱くことは、そのイメージが抜けないということでもあるのです・・・このような感情が残っていることは、まさに、心のエネルギーへのマイナス機能の強化装置を内蔵している事と同じといい得るのです・・・・人生のあり地獄への道を歩んでしまう可能性が非常に高くなる・・・・

それが故に、一旦このイメージが起動しているときの判断は、必ず逃避的、または、回避的な判断にしか導かないのです・・・・このような場合は、決して大事な決断をしてはいけないのです・・・逃避や回避の先には間違った判断しかまっていないのです・・・理由は非常に簡単です・・・事実に基づかない判断をしてしまうからです・・・・

このような状態に陥っている人には、次の二つの観察課題を実行して欲しい・・・・

1.現在の自分を取り巻く人は、昔のいじめをした人、また、それを無言で容認した人たちと比べて、同じですか・・・同じように成長していない人たちばかりですか・・・違いあるはずです・・・違いを探して記録してください・・・

2.自分に関係する行為をする人たちの行為を全て有難う御座いますという言葉に置き換えて捉える様に努力してください・・・例えば、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんという言葉は、何何していただき有難う御座いますと言い換えることが可能になります・・・いわれた方も、迷惑をかけられた言うことの喚起がされるのではなく、感謝されたとの気持ちが残り、お互いにこの方が良い連鎖を生起していくのです・・・・・・そして、感謝したことを記録してください・・・・

この二つの観察課題を一週間実行して、記録を見て下さい・・・そして、今や昔のようないじめは起きない状態であることを、最初はイメージしてください・・・イメージが出来れば、既にトラウマは卒業になります・・・・

ただし、そのイメージの中で、自分は今までと違った行動をしているはずです、朝起きたときから寝るまでを全てイメージするともっと違った行動をおおくしていることに気づくはずです・・・このことを確認して、これからは行動課題として実行してください・・・・

もし、イメージ出来ないようであれば、更にもう一週間、観察課題を実践してみてください・・・必要なら更に続けてください・・・

人間不信から脱却できない人は、そのような気持ちを持って行動している限りは、周りからも気づくので、当然、嫌われて、いじめたくなる対象に自分から追い込んでいる側面があるのです・・・

また、本当の自分からかけ離れた、恐怖から逃げれる自分、または、虚勢を張った自分を提示している・・・これを心理学では自己呈示といいます。有りの侭の自分を出すことを自己開示といいます・・・この差が大きすぎると、当然、ストレスが多くなり、心のエネルギーのマイナスを増やしてしまいます・・・・

上述した“違った行動”が、直ぐに全ては取れなくても、出来ることから実行していけばよいのです・・・一つづつでも良いのです・・・一つ出来ると、二つ目は更に取り組みやすくなります・・・一番取り組み難いのは最後でいいのです・・・・また、“違った行動”が取れなければ、また、観察の行動課題からやり直しても良いのです・・・・

これは、自分のもっている妄想からの開放の一つの方法です・・・・これが、問題解決志向のブリーフ・セラピーでもあるのです・・・行動課題を考えてあげる・・・そして、もとに戻らない為の、方法も伝授する・・・コーチングと似て非なるものなのです・・・つまり、常に隠れた目的としてポジティブ感情を高上させる側面があるのです・・・・・

人を成長されることは、不適切な恐怖感に基づく妄想からの解脱を促すことであり、このの為に、現実との違いを探させて、正しいイメージを抱けるようにして、それまでと違った行動=行動変容を可能にする・・・そして、これらの成功体験をドライバーにして、ポジティブな感情を増やすようにする・・・・・・・

ポジティブ感情が増えるともっと大きく困難な行動変容=成長が出来る・・・・ある意味では恐怖感の悪循環からの解脱活動でもある・・・しかし、ここで述べた観察課題とても、現実直視の苦悩体験でもあり、簡単ではない・・・

それ故、自己の持つ得意なことを活かす観察方法とか、自分をサポートしてくれている外的なリソースの発見から行なう必要もある・・・また、恐怖感からイメージできない場合は、それらの阻害要因が、奇跡が起きて全てなくなったと仮定をしてもらい、イメージ力を高上させる必要もある・・・このことをミラクルクエッションと呼んでいる・・・・

つまり、如何に縛られている恐怖から解き放ち、発想の自由化を促進するか・・・このためには、まだまだ色んな方法がある・・・

現実から離れすぎた未来では、流石にイメージ障害が少なくなる為に、そのイメージの中での自分を観察してもらう手法もある・・・そして、現在の自分と違う行動を行動課題として実行してもらう・・・・これをタイムマシン法とも呼んでいる・・・

スケーリングという方法もあるが、現在の自分の状態がゴールを10点満点とすると、今何点ですかを本人に規定してもらい、例えば、1点上げるとしたら、何なら出来ますか、何も出来ない、では0.5点なら何か出来ることがありますか、つまり、どんなに小さな点でも良いので出来る行動課題に取り組む・・・これが出来れば、更に出来ることが出てくる・・・この成功体験がもてれば自分でどんどん取り組んでいく・・・・

カウンセラーは、どのレベルのゴールが良いのか、どの観察課題が良いのか、どの行動課題が良いのか、それを考えるお手伝いをするだけ・・・本人が一番良く知っていると考えるが故に、ロジャースのスタイルのカウンセリングと異なり時間が短くなり、効果も大きくなる・・・だから、ブリーフ=要約されていて短いカウンセリングになる・・・・

まさに、セリグマンの学習無力感のまったく逆バージョンであり、学習効力感の勧めでもある・・・人間はこのような両方の潜在的な能力を持っているという人間尊重の思想に基づいている方法論でもあるのです・・・・Kozyの考えるPositive Organizationとは、このようなことが出来る組織でもある・・・その為には、職場にある文脈への介入をすることが、より効果的なのである・・・・

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February 21, 2008

人材育成担当が知っておくべき知見・・・・

“経営としての人事政策の根幹と基本・・・賛同者・エンジェル募集中・・・ ”を今年の2月11日にポストしましたが、その中で次のことを言っています・・・・・

“人を育てるには、育てる側として、基本的に必須の知識としては、最低限の、発達心理学、集団と個人の関係の力動の心理学であるグループ・ダイナミックス、企業集団をコミュニティーと捉えることが出来るコミュニティー心理学、また、異なる集団同士の関係を扱う異文化心理学、最新の産業心理学および組織心理学、そして、ここ二十年飛躍的に発達してきた脳科学の知識とゲーム理論の知見は必要になる・・・今や、“経営とは心理学”といわれたセブン アンド アイ ホールディングの鈴木会長の発言は、正に名言である、社会心理学者がノーベル経済学賞を取る時代なのである”

ここで述べた必須の知識として述べた学問領域のなかで、これだけは頭の中に、最低限、入れておいて欲しいことを今回アップロードしておきたい。先日ある人材育成の集まりに参加したが、あまりにも基本を抑えていない人が多すぎるので、このままでは日本の将来が心配になってきた・・・・

発達心理学について:

発達心理学は、昔は児童心理学と呼ばれていた。Kozyが自己変革を成し遂げるために小学生の時に勉強を始めたが、独身寮で母が住み込みの寮母をしていた関係で、大人の愚痴を嫌という程聞かされてきたが、つくづく感じたのは、人間は、ずっと大人と言われる年齢になっても、児童心理学の知見だけで、相手の心の葛藤が読みきれる・・・・

愚痴を言う人たちは、今考えると成長のとまった人たちであり、また、Kozyの研究結果示唆するように本当の大人になる人は一割にも満たない・・・・だから、児童心理学、今は、発達心理学と呼ばれる学問領域は心理学では、人材育成にかかわる人にとっては一番重要な領域となる・・・これだけは本を買って勉強をして欲しい・・・・

しかしながら、ポイントとしては、日本でも三つ子の魂100まで・・・といわれるが、これをInner Working Model = IWMと呼び同じことが確認されており、このIWMの改定は難しいのは事実であるが、不可能ではない・・・

そして、小学校の高学年ぐらいから、文化また社会的な規範がしみ込まれている・・・そして、いじめが起きる時期は、それまでは自分自身が同化する時代から、それぞれの異なる個性の発現と相手の異なる個性の受け入れの訓練期間になる・・・この変化を受容しきれない人が多い・・・・同時にこの時期から、性差という男女の個性差という多様性の受け入れの始まる期間でもあります・・・・

いじめのトラウマを背負う人は多いが、周りが未熟な成長段階であったが故の問題なのに、周りの人間のその後の成長としての変化に目を向けていない・・・・確かに、ここで成長のとまる人もいる・・・恐怖感に縛られた人の陥る人生のあり地獄の罠でもある・・・・・

また、人間のもつ価値観の8割以上は両親の価値観を受け継いでいる・・・

グループ・ダイナミックスについて:

集団の愚かさにダイナミックスが働くが、妄想に縛られない現実の直視力、現実に基づく科学的な思考、変化は必ず起きるが時間がかかることへの理解と忍耐力、・・・・これらがない人達は、集団の愚かさに加担していく・・・つまり、自己成長は出来ない・・・自己成長を齎すのは、苦悩とそれに伴う孤独しかないのである・・・・・

コミュニティー心理学について:

ある意味では支援の心理学といっても良いが、発達心理学の知見でもある、人間は“文脈”に支配される存在である。それ故、支援を有効にするには個人に対する支援だけでは不十分であり、個人を追い込んでいる“文脈”への介入が必要になる・・・

この“文脈”とは、人間の情動と価値観に影響を与える全てのもの・・・会社全体としての文脈、所属する部門の独自の文脈、そして、家庭内の文脈、社会的な文脈・・・全ての規範・文化と呼ばれるもの、また、評価システム、等々も文脈なのです・・・

それ故に、個人の能力支援という側面のあるOFF-JTは、職場の文脈と異なる場合は機能しなくなるのである・・・・

異文化心理学について:

正に、文化的な、且つ、自然環境の異なる文脈により異なる価値観をもつことは当然のことであり、多様な異文化の価値観は、多様な異なるな文脈があるが故に、生起されるべくして起きるものであり、人間の本質は変わらない・・・違うのは、価値観の下にある判断基準のプライオリティーが異なるだけであり、どのような文脈の違いがどのような価値観の違いを生むのかを理解することが、人間の幅を広げるのである=自己成長でもある・・・・世代間ギャップも同じことである・・・・主に背負う責任の違いという文脈から生まれることであり、また、生きてきた時代の社会的な文脈の違いのなせる業でしかない・・・・

産業心理学および組織心理学について:

これには種々の知見があるので、折に触れて最新の知見を学んで欲しい・・・しかし、全ての基本は上述した心理学の基本のに基づく・・・個人的に、興味深いのは、日本においてはメージャーではないが、課題業績能力と文脈業績能力とに二分して捉える一連の研究があるが、人材育成も仕事の業務の遂行に必要な能力と職場を取り巻く文脈への効果的な介入の出来る能力とに、はっきり異なる目的意識を持って行なうべきであると捉えている・・・・

見えない文脈を正しく捉えて、正しいタイミングにおいて正しい介入を出来ること・・・これこそ、人間の成長の証といえる能力だと捉えている・・・・つまり、この能力を高めることは、人間の成長を高めることなのである・・・・

脳科学について:

この両分野は、未だに研究途上であるが、既に、ゲーム理論でも解明されているように、人間は理性が支配する動物ではない。・・・情動と理性がダンスをして上手く踊れるか否かにより、残念ながら、上手くダンスが出来ないと情動が理性を抑えてしまう・・・情動で一番強いのが恐怖感なのである・・・・

また、人間の脳の発達は曖昧性が齎している・・・脳への情報は全て五感よりインプットされるが、基本的にはWHATとHOWに二分されてインプットされる・・・・しかし、発達の過程で、五感の能力は、精度的には決して高いものではない・・・また、麻痺するものでもある・・・・

しかし、脳内での処理が曖昧のままでの情報整理では、生きる為の瞬時の判断は出来ないが故に、ある種の大まかなセンサーで分類され、生きる為に必要な瞬時の判断を可能にしている・・・曖昧情報の曖昧分類の基での瞬時の判断を可能にしているのが人間の脳であり、これこそが、“こころ”の本質である・・・・

自然界の生態系で生き残ることは、確かに強いものが生き残るのではなく、上手く適応した、つまり、最小のエネルギーで生態系の維持存続に最大の効果を導き出せるものだけが生き残れるという自然界の摂理に基づいている・・・つまり、人間社会も一つの生態系であり、また、もっと大きな生態系の一翼を担っている・・・

つまり、人間も人間社会、また、一つの生態系としての地球=ガイアに最小のエネルギーで最大の貢献の出来る人間だけが、本来は望まれる存在なのである・・・・無知で社会秩序を乱す人間の存在は、少数であれば、反面教師として存在価値はあるが、ある量を超えると粛清される・・・また、“神の見えざる手”でもある揺り戻しの現象は、ある意味では曖昧性に起因して動き、行き過ぎると揺り戻しが起きる・・・

人間の脳も同じようにホメオスタシスと呼ばれる生命の恒常性の原理で、プラスに行き過ぎるとマイナスに持っていく、また、その逆の機能もあり、このプラスとマイナスの正しい管理能力が自己成長力とも言いえるのである・・・

人間の脳は25歳頃までは中長期の展望を持って行動規制する回路は出来ていない・・・それまでは短期的な展望、つまり、目の前のものへの反応が中心であるが、これは出来るだけ多くのことをそれまでに経験しやすくしてくれている・・・だから、成長を促す苦悩体験は、若いうちの苦労は買ってでも経験する価値がある・・・

つまり、25歳を過ぎると、中長期の展望を踏まえるということは、それまでの未熟な経験と机上論としての知識により醸成された恐怖感と両親から受け継いだ価値観の離脱にともなう恐怖感が起動されるが為に、行動変容を必要とする新しい経験・深い経験がより困難になる・・・だから、苦悩を感じるのであり、苦悩なしでは成長はないのである・・・

脳の成長・活性化=自己成長とは、この意味では、先ずは無知から始まり、学習をして、現実に対応できなければ学習棄却(=Unlearn)して、現実に基づいて再学習(Relearn)を、現実を神の啓示として捉えて、死ぬまで、Learn/Unlearn/Relearnのサイクルを繰り返すことが求められている・・・・この試練から逃げると急激に脳は退化するのである・・・

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February 14, 2008

新入社員教育の根幹・・・新入社員へのメッセイジ・・・

Kozyが新入社員を向かい入れたときに必ず言っている話がある・・・一般メディアでは差別用語になる為にいえない言葉であるが、“自分自身が精神的なかたわだと自覚して仕事に取り組んでください”・・・もちろん、この後その意味を説明する・・・

日本においては、小学校の私立は少ないので、公立小学校に入学したでしょう、少なくとも同じ学区の中に住んでいる全ての層の家庭のご子息と知り合いになり、交流を重ねる・・・しかし、全ての層とは言っても、地元の地域の中でも限定された(山の手と下町は文化が異なる)人達の可能性もあり、当然、日本全国で言えばある種の地域文化の影響下の人達である・・・

最近は中学校から私立に入学する人も多い、中高一貫校に入学する人も多いでしょう・・・この時点で地元の地域の中で私立に行く人達の親は経済的に裕福な層が多くなるでしょう・・・つまり、収入による選別化が為されている・・・また、総じてサラリーマンと商家では、教育への捉え方も異なってくる・・・・高校入学も同じです・・・

ましてや、大学入学となると自分の教科の得て不得手、そして、将来なりたいこと等により、学科を選択して、さらに細分化されていく・・・公立か私立にするかは同時に親の金銭的余裕と教育への熱の入れ方にも依存しても、細分化されていく・・・・

この様にして、一流大学を卒業した人達が、更に馬の合う人達と仲間を構成して、その仲間の価値観に縛られていくのが人間であり、当然同世代だけを考えてみても、価値観の偏りが存在する・・・企業に入ると、色んな世代の人がおり、当然世代間の価値観の異なりは必然的に形成されている・・・育った地域の文化的な影響も存在する・・・・

これらは否定できない事実である・・・だから、“自分は精神的なかたわとの自覚が必要になる”・・・ましてや、社会人としては一年生であり、先ずは、言われたことに素直に取り組んで欲しい・・・・との短い話をする・・・・

何とならば、この様に絶対必要で大事な基本姿勢に関するオリエンテーションをどこもしていなかったからである・・・これは企業社会に入り仕事に取り組む大事な基本姿勢なのである・・・・

また、紀元前の昔から、アリストテレスは、「服従することを一度も学んだことがない者は、よい司令官にはなれない」と明言をしている・・・この意味は、もっと深い意味がある・・・反発して生意気な姿勢で仕事に取り組んでいると、服従することを通じてしか理解の出来ない、見えない圧力、見えない苦汁の体験的な理解は出来ない・・・こ
の理解なしには、最大の効果を挙げる司令官にはなれない・・・・

ジンギスハンは、自分の軍隊を作る時に、隊長には体力に自身のある猛者は任命しないとのルールを作った、そして、優れた戦闘能力を持つ猛者達を近衛兵とした・・・だから、強い軍隊を作れたという側面があるのである・・・・

また、仕事においては、目の前の仕事に没頭しない限りその仕事の本質は見えない・・・また、関係する人達の見えない苦悩は理解できない・・・以前も紹介したが、“Knowing-Doing Gap”にて報告されているように、理性上は遣らなくてはいけないことを理解していても、見えない恐怖感により、人間は情動に支配されやすいので、実行に移せない・・・この仕事の本質への理解が出来ない・・・・・

これらのことを理解して仕事に取り組むのが仕事への基本姿勢であり、この先に、自分の遣りたいこと、キャリアプランという考えが初めてもてるのである・・・・これが現実であり、このことを理解して入社する人は皆無に近いと理解している・・・だから、現実から乖離した妄想に囚われている新入社員は、当然三年間も我慢できないで退社していく・・・・理論的には当然の帰結であると捉えている・・・人事の怠慢でしかない・・・

Kozyのもとで働いた新入社員で三年以内で辞めた人は誰もいない・・・・自己成長は多様な価値観の習得と理性だけで人間は動かないという、ある意味では、不条理への理解なしでは、達成できない・・・・・

更に、上述したことへの効率的な理解と自己成長を高める為には、新入社員教育の中で次の二つの講義をすることが大事になる・・・

1.人間の成長のメカニズムとその中で、自分の立ち居地はどこにあるのかを認識させること・・・

詳細説明は何度もアップロードしているので、省くが、社会に出るまでの自分は、謂わば、“裸の王様”の童話のように、自分を守ってくれる人達からの知識と宮殿の中での生活経験だけで、一般の絶対多数派の人々の実学と実体験を知らない・・・これが学生時代なのである・・・

そして、人間は25歳で肉体だけでなく脳の成長も終わる、この脳の成長とは脳内のメイン回路として、中長期の展望をもって瞬時に判断をする回路が出来上がり、これがメイン回路の構築としては最後になる・・・それまでは短期的な展望だけで判断をしている・・・だから若い時は種々のことに取り組める・・・情熱だけで取り組める・・・

しかし、これらの回路の判断基準は、情動というそれまでの限られて浅い経験に基づいた判断基準の回路と理性の回路とのダンスをして、この情動は恐怖感に置き換えるのが正しいが、ダンスが上手く踊れない、つまり、シナジーが生まれない場合は行動には移せない・・・・・・

つまり、25歳を過ぎると頭が固くなる・・・恐怖感が自動的に起動してしまい、中長期的視点で理性的に必要だと理解しても、行動が伴わなくなる・・・また、未熟な知識と経験に基づく、自分の心を自分らしさだと勘違いをしてしまう・・・そして、自分らしく生きたいとの罠に陥ってしまうのである・・・・この一歩手前までが第一の人生である・・・

25歳からの人生は、間違った、または、間違っている可能性の高い曖昧な自分の価値観という、謂わば、奴隷と同じように重い鉄球に、自分の足を鎖でつながれている状態の始まりなのです・・・だから、多くの人が、現実を受け入れられなくて病んでいくのです・・・・この鎖を解く方法を学び実行していくのが第二の人生です・・・

また、米国では以前から、“Temporary Staff = Temporary Slave”つまり、人材派遣の仕事は一時的な奴隷でしかないと云われているにも拘らず、正しい目的意識ももたずに、一時の自由さに流されていく・・・そして、病んでいく・・・・

この鎖を解くことが出来た人が第三の人生を迎える・・・脳はこの様にして、第二の人生での発達という課題を与えている・・・また、鎖を解く方法論を与えてくれるのが仕事の場であり、修練の場でもあるのです・・・・

2.三つの視点としての三つの目の熟成方法

自分の視点としての第一の目、周り社会の視点としての第二の目、第一の目と第二の目は、両方が常に必要です・・・ストレスの多い人は、第二の目が存在してない、または、広く深い経験の不足から、あまりにも未熟である・・・また、カッときてしまう人は、第一の目に囚われているということです・・・

第三の目は、第一の目と第二の目のどちらが正しいという二者択一でなく、この状況であるべき答えは何なのか常に考える目なのです・・・第一の目と第二の目、そして、第三の目は相互に影響し合い、効率的な自己成長を可能にします・・・・

そして、三つの目はどんどん熟成していく・・・この熟成がまた、組織をポジティブな自己学習する組織、また、良い影響を与え合う組織に変えていきます・・・だから、大きな成果に結びつくのです・・・少なくとも大企業においては、一人で出来る仕事はないのです・・・

また、新入社員教育の最後にグループ・セラピーの手法の一つを利用して、回りに如何見られるかの気づきを得る為の演習も効果的でしょう・・・

詳細は省いていますが、この二つの講演を行うべきです・・・もし、未熟な社員が多ければ、新入社員以外にも講演を行うべきでしょう・・・・

以上

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February 11, 2008

経営としての人事政策の根幹と基本・・・賛同者・エンジェル募集中・・・

最近は人事政策関係を中心とする発信が減っているので、今回は、経営および人事政策の根幹と基本について、最近のKozyの意見を述べたい・・・

日本では経営とは、人・物・金、そして更に最近では情報を追加するのが一般的である・・・日本はこのように要素に分解して捉える文化を持っている・・・米国では、歴史的には、Business Development, Effective Operation, and Risk Managementという表面に出てくる結果を重視する見方をする文化を持っている・・・・

米国では、ドラッカーが新しい概念として、Management=経営という命名をしたが、このManagementをAdministration & Controlに分解して捉える・・・このControlとは、英英辞典を見ると、make somebody do what you want・・・と規定されている・・・つまり、従わせるという恐怖政治の様な側面を持っている・・・もっと悪く言うと、人間の意思を無視して、奴隷のように扱う文化が歴史的には存在する・・・・

このような米国の文化の下では、個人の三現主義に基づく創意工夫をもって潜在的な最大効果を必要とする製造業では、日本に敗北したのは自明の理でもある・・・また、個人への従わせる統制が強く、Job Descritionにて仕事の範囲とそれらの責任と権限が明確化されすぎた職場状況では、チーム・ワークは醸成されないのも自明の理である・・・また、米国の捉え方から来る成果主義は、日本のチーム・ワークの文化を破壊する側面を持っている・・・・

米国のJob Descriptionは、多民族社会の中では、誤解を避ける為のものという側面があるが、同時に、これだけ遣っていれば首にはならないという文脈効果を、実態として醸成している、しかし、仕事におけるチーム・ワークは、自分の所属する部・課内だけでも自分の仕事の範囲以外への理解と言及が必要になるが、更に効果を挙げる為には、関係する他の部・課との連携が必要となりそれらの仕事への理解と言及が必要になる・・・

コトラーは、かっての日本を褒めすぎのところがあるが、日本は全従業員が顧客の利益を考える=マーケッティングを行っていると捉えてくれているが、全社がチーム・ワークを組む、部門間の壁が家族主義のお陰で、米国に比較すると、非常に低くなっているのは事実であろう・・・

そして、時として業務分掌の変更まで必要になる・・・米国の製造業での敗北は、個人主義の問題ではなく、運命共同体意識の醸成が難しいところが最大の問題である。日本の経営においては、家族主義、年功序列主義、終身雇用主義が運命共同体意識へのドライバーとして機能していた。米国の経営者の中でもこのことに気づき、“On the same boat”という言葉を多発する経営者を散見したが、経営層は、経営職として採用する文化があり、また、“Master of business management”ではなく、“Master of Business Administration=MBA”の採用は、経営層と従業員層との採用をしたりする企業では、ますます、乖離を増幅するのである・・・

個人的には米国流の成果主義は米国の国家戦略に基づく日本潰しではないのかと危惧している・・・念の為であるが、Kozyは成果主義をチーム単位の業績、または、もっと大きく本部または事業部単位の業績による成果主義をとり、その成果の配分はチーム長に任せるのが良いと思っている・・・また、100%個人への成果主義は反対であり、何%にするかはそれぞれ違うと思うので断定できないが、半分位はチーム・ベースの成果主義でよいと捉えている・・・・

歴史的な経営文化の違いは、個人主義のもつ発信者責任文化と阿吽の呼吸を求める受信者責任文化の違いからきているとKozyは捉えている・・・このことは換言すると、人間尊重および人間信頼の度合いの違いということが出来るのではないだろうか・・・・・

米国的な物差しである三つの視点、即ち、Business Development, Effective Operation, and Risk Managementで捉えても、これを可能にするのは、課題の処理能力と、正に、マズローの自己実現者の特徴を整理した論文に記載されている様な、自己成長の度合いによる知恵と行動力に依存する。また、実行力は、Pfeffer J.とSutton R.I.の共著の“The Knowing-Doing Gap”で述べられているように、恐怖感を如何に感じるかに依存する・・・この恐怖感も、自己成長の度合いに大きく依存している・・・

日本の視点の人・物・金・情報の“人”以外の要素は、当然、同様に課題処理能力と自己成長度合いと実行力による知恵に依存するのである・・・・しかし、日本人は受信者責任文化、つまり、集団は、愚かさに陥りやすく、その集団の愚かさに敏感になりすぎて支配されやすい構造を持っている・・・日本人の課題の一つに、必要に応じて、発信者責任文化への切り替えを行い、理路整然と相手の説得に注力する/注力できる人材の育成が必要になる・・・また、集団の愚かさに縛られずに発信する内容を汲み取る受信者責任文化をここで発揮する規範またはルール、または、評価システムに織り込む等の文脈への介入が必要になる・・・・

一方、Kozyの研究結果も、正に、自己成長が出来ている人が、一番充実して仕事に取り組むことが出来、そして、業績に一番貢献していることを示唆している・・・

正に、日本の多くの著名経営者が述べるように、“御社は色々のものを作っておられますが、何製造会社と呼べばよいでしょうかと聞かれ、人間を作っています”という有名な松下幸之助の言葉だと記憶しているが、経営とは社員という人間の育成がすべての根幹になる・・・それ故、意図的に人を殺す=駄目にする経営は、経営の根幹をなくすものであり、企業として存続の価値がない・・・・

何とか偽装というものは、正に許されない・・・どれだけ自社社員を傷付けているか・・・・談合も同様である、これらは顧客へ=社会への背任行為でしかないが、更に悪いことに、談合を取り仕切る人が出世する、これでは技術者の開発努力に水をさすことになり、長期的には企業の弱体化を招くのである・・・・

では、人を育てるには、育てる側として、基本的に必須の知識としては、最低限の、発達心理学、集団と個人の関係の力動の心理学であるグループ・ダイナミックス、企業集団をコミュニティーと捉えることが出来るコミュニティー心理学、また、異なる集団同士の関係を扱う異文化心理学、最新の産業心理学および組織心理学、そして、ここ二十年飛躍的に発達してきた脳科学の知識とゲーム理論の知見は必要になる・・・今や、“経営とは心理学”といわれたセブン アンド アイ ホールディングの鈴木会長の発言は、正に名言である、社会心理学者がノーベル経済学賞を取る時代なのである・・・・

残念ながら、ある意味では社会人になる為の必須のこれらの知識は、一部の学生しか勉強をしていない・・・よって、企業がこの勉強の指導をせざるを得ない・・・つまり、統合失調症の中で述べたように、統合失調症=(自己の脆弱性)X(ストレスの強さと頻度)にて表すことが出来るが、先進国で、甘えの構造下の日本人は平和の代償として、脆弱性が拡大しており、また、ストレスのもとになる個人の価値観と社会の価値観の変化および乖離は、掘り下げると技術革新が齎す生活様式の変化等が齎すのが価値観の変化であり、人類史上、技術革新のスピードが一番速い社会に住んでいるのが現代の日本人なのです・・・・・

それが故に、リーダーには、コーチングではなく、ポジティブ心理学の創始者であるセリグマンが、ポジティブ心理学のコンセプトに一番近いと述べている、ブリーフ・セラピーのSFA=Solution Focus Approach, 日本語では問題解決志向ブリーフ・セラピーの知識を習得する必要がある・・・この件は、本Blogで別途、ポスト済みであるが、改めて近々アップロードしたい・・・・・

ついては、人事政策とは、自己成長を促す作業が、今や中心になり、極論すれば、あとはすべてアウトソースすればよいとも言いえる・・・しかし、自己成長を促す作業を通じて、自社においては、如何いう人間は一番育てるのに非効率的かが理解できるようになり、また、このような反面教師、または、このような人間が人の成長に一番貢献するということなどが理解できてくる・・・これらは、企業の中の文脈と企業の外の文脈の大きな影響を受けるために、自社に適した人材は各社まちまちなのである・・・

一番大事なのは二つのOff-JT教育と言い得るであろう、また、課題処理能力に関する知識および体験学習は各部門に任せる・・・また、共通の課題処理能力は、人事が取りまとめて、e-learning systemを別途構築するのが望ましい・・・・二つのOff-JTとは、新入社員教育研修とリーダー研修である・・・中途入社の人にも新入社員教育研修と同じものを実施する、また、年齢と職位により必要に応じてリーダー研修を行う・・・・

また、もう一つの大事なことは、定期的、つまり、3年か5年毎に、現状の悪さ加減の認識をする質問紙による調査を実施する・・・そして、対策を考え実施する・・・この目的は、すべての社内的文脈で不必要な恐怖感を起動しているものはないのか、また、組織をネガティブな方向にもって行っているものはないかを調べることとその改善が目的である・・・・・

これらの方策は、Positive Organizationへの変革とその維持が目的になるのである・・・・念の為であるが、Kozyは、Negative Mindを全面否定するわけではない・・・異なる二つの才能であると捉えており、特に、Risk Analysisにおいては、非常に効果を発揮する、しかし、分析後にそれらの事実に基づき、Positive Mindにて捉えなおす、そして、Positive Mindにて学習および実行する組織をPositive Organizationと捉えている・・・・

経営の名言でもある、“計画作成は悲観的に、実施は楽観的に”は、大事なポイントでもある・・・つまり、良いことも悪いことも両方の事実を出来るだけ多く収集して、悪いことに囚われすぎない組織を目指すべき、米国では全てのネガティブな発言に罰金制度を実施している企業も最近は散見されるが、計画段階はネガティブな視点はOK,しかし、実施段階は一旦決めたことに、再度ネガティブな発言を認めない・・・

また、ネガティブな視点による発言は、論拠および事実に基づかないものは認めない・・・正に、これが不必要な恐怖感を起動するのである・・・・・

また、念の為付け加えると、楽観主義は事実を直視しないが、ポジティブとは、事実直視の上に成り立つものであり、ポジティブの構成概念にはレジリエンス(苦悩からの復旧能力=立ち直り能力)が大きな部分を占めるが、レジリエンスは、事実の正しい掌握から始まるのである・・・・

米国の場合は常に、発信者責任の文化が根底にあるがために、短絡思考、即ち、“Simple is best”へ流れる、つまり、Land-Slide=地すべり的な極論に流れやすい、しかし、個人主義の発達のお陰で、レジリエンスが強く、揺り戻し能力は強い・・・しかし、経営をドラッカーはManagementと名づけたが、Manage to=種々の困難、つまり、矛盾を何とかして乗り切り上手く成し遂げるというのが原義であり・・・・米国人には二項同一とか中庸という文化的バックグランドは希薄なのである・・・

本Blogで何度も言っているように、その都度のあるべき姿を知的思考力を屈指して導き出せることが自己成長の証なのである・・・・・

Positiveは、肯定的、前向き、自発的とかのニュアンスと、数学ではプラスという意味があり、Kozyの哲学の一つでもある“The Better is The Best”にて言っている“The Better”は、その時点での考えられる中でのより良いもの=短期でなく中長期の視点でよりプラスになるもので、出来ることを実行していく・・・この実行を行うとそれまで気がつかなかった視点とか事実が見えるようになる・・・そして、再度、“The Better”を考え実施続けること、これ即ち、現実としての“The Best”になる・・・・

紀元前、何百年も前の時代ですら、釈迦が“諸行無常”を悟ったわけであるが、現在という世の中は、人類史上で最も変化のスピードが早い時代であり、もっと無常=常なる普遍なことはない、地球が時間および距離の点で短くなっており、よりダイナミックに変化をしていく・・・・だから、“The Better is The Best”は、どうもKozyのオリジナルな言葉であるようだが、これも経営および人事政策の根幹なのである・・・・また、Positive Organizationの根幹となるキーワードでもある・・・・

つまり、Positive Organizationにおいては、楽観主義や自信などは、結果として習得するが、習得は目的でなく、Positive Organizationの醸成と維持・増強の目的の達成の為の、心のエネルギー=気力の増強の手段となる・・・・目的と手段を混同してはいけない・・・・

企業、特に大企業は、これからもとめらる日本の文化への最大の影響力を持っている、悪い方に導いては、しっぺ返しが来るのである。フロー理論で有名なチクセントミハイルは、ポジティブ心理学会で、人間が生得的にもっている強さであるポジティブ心理能力の増強の為には、社会としてこの能力を醸成する社会資本的なものが必要であると提唱している・・・

これを、Psychological Capitalsと命名した,つまり、心理的なプラスのエネルギーとしての資本蓄積が必要だと、東洋哲学の言葉に置き換えると、ポジティブな気の資本財という言葉におきかえれる、これをKozyは“気財”と新しく命名した・・・大企業の社会的な最大の責任は、資源財を除くと、技術革新とグローバル・マーケットの出現により、需要を上回る供給力を可能にしている中では、大企業こそがPsychological Capitalsの担い手となることが要求されている・・・これこそが人材育成の最大の目的であると同時に、Psychological Capitalsの蓄積が大きい企業が従業員の自己性度合いが大きくなり、どんどん発展していくのである・・・・

これを世界で最初に担えるのは、日本の大企業だと、日本文化のDNAをもつ日本の大企業だと云いたいのです・・・・・この新しい経営、ポジティブな気を中心に捉える“気本主義”とKozyは命名しています・・・・

Kozyは、この活動の掘り下げおよび促進の為に、一緒に取り組む賛同企業・仲間を求めています・・・・また、活動維持のためのエンジェル投資家を求めています・・・連絡をお持ちしています・・・・

長くなったのでここで止めるが、ここで述べたのは総論であり、各論については、別途ポストしていきます・・・・

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February 04, 2008

目的と手段の正しい認識への考察・・・

目的と手段=目的達成の為の方法論について、人間は、手段が目的になるという罠に落ちやすい構造を持っていると捉えている・・・・如何にいくつかの例を挙げて説明をしたい・・・

先ずは一番一般的な例で言うと、お金持ちになりたいという目標を設定する人がいる・・・お金をためて何を実現したいのかが、本来の目的であり、お金をためるのは目的を達成する為の手段でしかない・・・そして、お金を貯めると、そのお金を何に使うわけでもなく、お金の増減がその人の一番の感心になり、お金に縛られてしまう人が多い・・・正に、冥土にまでお金を持っていくことが出来るという妄想に縛られている・・・・・

また、お金を貯めたいという人が、お金を貯められないということも多く散見される・・・この人達は、正に自分自身を正しく受容できていない、つまり、自分自身を理解できていない・・・・これでは、お金を貯めたいという目的に対しての自己の動機付け、または、継続的な行動は維持できない・・・・ただ単に、お金がないことの不安に縛られているだけでしかない・・・ある意味では不安を継続的な目的達成の為の行動のエネルギーにしている・・・・しかし、このエネルギーだけでは非常に弱いエネルギーであり、大金は貯まる事はない・・・・・

次に、仕事の目標とそれを達成する為の手段を掘り下げて考えてみると、例えば、今期の目標を考えてみると、目標設定が自分も参画して設定したものでなければ、成果主義によるインセンティブだけであり、人間が本当に取り組む気力を向上するには、あまりにも微弱なものでしかない・・・・それ故に、手段に関しても、与えられた目標達成の為のアプローチにしても、本人が真の堀下げをして考えることは期待できない・・・手段まで指示を受けてそれに従うことになってしまう・・・・

一方、目標設定に参画することは、どのような手段を用いてどこまで達成できるかを、最初に念頭におくがために、自分が仮定した方法論がどれだけ正しいかを上司などと議論することにより、それまで見えなかったことが見えてきたりするものであり、達成の可能性は確かに増すのである・・・・これが、ドラッカーが推奨した目的管理システムであり、参画が前提なのである・・・

しかし、もっと掘り下げて考えてみると、これも、目標の達成は多くの場合、インセンティブだけなのである・・・インセンティブは外発的な動機付けでもあり、人間は、内発的な動機付けがゼロでは、行動不全に陥りやすいのである・・・・

以前に、課題業績能力と文脈的業績能力という説明をしたが、文脈的業績能力の高い人の方が、目標達成能力が高いのである・・・経験の未熟な人、または、精通していない人には、課題業績能力としての課題処理能力としての知識やより深い理解を促す必要はある・・・・しかし、この課題処理能力を高めるものに文脈的業績能力が、同時に必要になるのである・・・・

では、文脈的業績能力の源泉になる能力とは、Kozyの研究結果は、次のことを示している・・・・

1.愛他性・利他性の確立・・・これが、コミュニケーション能力および説得力の源泉になる、また、チーム活動の源泉でもある・・・・

2.諸行無常の哲学の感得・・・これが普遍なものはないとの視点を確立して、陰陽の両面での視点を確立する、そして、困難なのが当たり前であり、その中で自分がどこまで出来るかに価値を見出す・・・これこそが、忍耐力および鈍感力の源泉になる・・・・

3.己を知り=悪さ加減を認識して、一生かけて自己の向上目指す、そして、そこに喜びを見出す・・・

以上の三つが文脈的業績能力を増大していく・・・・

このことを、目標と手段にわけて捉えると、文脈的業績能力の高い人は、上述の三つを如何に向上するかというものが、ゴール、または、最近は“Final Line”という言葉が、最近の米国のドラマを見るとはやっているようであるが、生きている中での設定する目標は、この"Goal/Final Line"のへ到達する為の手段として認識している・・・また、そうすることが大事であると感得している・・・・

つまり、自分の為と社会および周りの人の為が、正のシナジーを生むことを感得している・・・また、このことを人間のみが持つ知的思考力通じた知的な希望の維持能力を持てる様になってきている・・・・・

最初に述べた、お金を貯めるというのは、手段であり、あるべき目的は、自分が社会および周りの人にどれだけ多く貢献できるかということを計測するのがお金の入金額である・・・そして、そのお金を、更に、社会および周りの人に貢献できる様にうまく使っていく・・・この気持ちになれることが一番の個人の能力を発揮する継続的に行動につながって行く・・・自分の為だけの目的では、継続的な行動エネルギーは維持できない・・・・・

仕事における目標と手段に置き換えると、設定した目的の達成は、社会への貢献および周りの人=仲間としての社員達への貢献の為の手段として捉えることが出来ることが大事となる・・・リーダーは、事業の目標を設定するときに、部下に参画をさせ、ここまで掘り下げての共有化が要求されるのである・・・・

大人に成長するということは、表面的で一時的な目標を、どこまでの将来にわたっての階段の一つであるかを掌握して、説明できるかという事でもある・・・・・残念ながら、このレベルの大人は少ないが、これは経験を通じてどれだけ現実に基づいて、より実学を習得していく姿勢と能力の差に起因する・・・・

この経験学習が、上述の三つの、謂わば、あるべき人生哲学を感得する道でもある・・・ではないでしょうか・・・・・

最後に、若い人の関心事である持てることとは、目標ではなく結果であり、尊敬および信頼を超えて多くの異性に持てることは、これは災難を招くことでしかない・・・好きでない人に横恋慕されることが、男性における女難の相の本質である・・・・それ故に、恋愛においての目標は、男女の性差の学習と自分の悪さ加減を如何に正しく認識するかということであり、これが出来て、初めて自分の求めるべきライフ・パートナーを見つける能力を持つのである・・・・

端的にいうと、自分の求めるべきライフ・パートナーを探すことが目的であり、この能力を磨く手段として恋愛が必要なのである・・・・もっと掘り下げると、自己の成長の最大化を目指すことが目的であり、その為に、最高の修練の場が仕事と恋愛であるとも言いえるのである・・・・

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January 25, 2008

忍耐力への考察・・・・

本部ログでよく使う言葉に忍耐力という言葉がある・・・一度この言葉の構成概念はどういうことなのか、自分自身でもっと掘り下げてみたくなった・・・・

先ずは広辞苑で“忍耐”という言葉を引いてみると・・・こらえること、たえしのぶこと・・・と記載されており、その力=エネルギーが忍耐力であるということである・・・では、堪えるとは、・・・自分を抑えるとか克己=己に克ということであるが、これは、有機的な内発的または生理的な衝動を抑える、つまり、行動、表情、言葉を抑える・・・つまり、抑止力の側面がある・・・・

しかし、同時に、堪えて継続的な努力をする、つまり、行動への転化を促し、維持促進するという、抑止力とは反対の側面がある・・・一方、耐え忍ぶが、この漢字のもとであるが、我慢をする、つまり、動かないとか逆らわない心的な静止状態を意味する側面がある、しかしながら、これも継続的なつらい行動を歯を食いしばって継続していく側面もある・・・・

一方、英和辞典で忍耐をひいてみると、Perserverance=(困難に負けない)根気強さ、Endurance=長期にわたる忍耐=辛抱、Patience=(冷静な)忍耐(力)、Tolerance=忍耐・我慢・・・・どうも一番忍耐力に近いのは、Patienceだと推察される・・・

英語では、病気の患者をPatientともいい、入院している人をIn-Patient,通院している人をOut-patientと読んでいる・・・患者には、確かに、忍耐力が必要であり、そして、生きたい気持ちがあるが故に、治療を受けている・・・また、この気持ちが自然治癒力を向上するのである・・・・・

以上を総合すると、Kozyが使用している忍耐力とは、上位概念としては、抑止力と継続力の二つより構成されている・・・平たい言葉にすると、後ろに戻されない気力、たとえ一歩下がっても二歩踏み出す気力と言っても良いだろう・・・・

この上位概念を動かすのが、下位概念としての、心身のプラスのエネルギーレベル、つまり、心的エネルギーと体のエネルギーの総和であると捉えたい・・・では、このエネルギーは何に対して注がれるべきなのか・・・・一つは恐怖感であり、もう一つは知的活動を通じての希望の論理的な維持に注がれるべきではないだろうか・・・・・

最近、別途“時代は対峙能力を求めている”というのをアップロードしたが、このように掘り下げていくと忍耐力と対峙能力は極めて近い概念であると痛感してしまう・・・・

対峙能力と忍耐力の構成概念は、たとえ同じであっても、知的活動を通じた希望の維持能力により軸足があるのが、忍耐力ではないかという気がしている・・・対峙能力では、この知的活動を通じた希望の維持能力についての説明はあまりしていないので、本ポストの中で少し説明したい・・・・

出来るだけ具体的に説明をすると、抑止力の中には恐怖感という情動に囚われすぎない為に、つまり、情動として起動するのは、あくまで自分の視点である第一の目であり、この情動に負けると相手の視点である第二の目が起動しないばかりか、本来は如何あるべきかを考える第三の目も起動しない・・・つまり、上手くいく可能性があるものですら、第一の目だけでは、上手くいかずに、お互いに感情的な軋轢だけが残るのである・・・・このことは、もう誰もがわかっている筈である・・・・

それ故に、感情がこみ上げてきたことは誰でも判ると思うが、この時に、これは第一の目の意見、第二も目は如何なのか、第三の目はどうなるのか、つまり、この三つの目を意識する・・・これは訓練で出来ることである、つまり、人間は習慣化することにより無意識に対抗できるのである・・・・・

心のエネルギーは、希望が持てない状態では最低レベルまで下がってしまう・・・物事には、陰陽、表裏一体、時間による変化と関係者の変化等により変わっていく、つまり、仏教の知恵の如く、世の中は諸行無常、つまり、普遍なことは無いのである、それ故に、システム的な理解とそのメカニズムの理解を向上すると、可能性が=希望があることが理解できるようになる・・・正に人間にのみ与えられた知的能力の賜物なのである・・・・そして、これが、継続力を生むのである・・・・

また、恐怖感に縛られるとあるものが見えないのである、また、あって当たり前と思っているものが自分の中に存在すると、言い換えれば、すべてのあるものへの感謝の気持ちがもてないようでは、現実にある有形のものは見えても無形のものは見えないのである・・・・現実がより正しく見えない限りは、希望に対する自身が十分沸かないのである・・・

恐怖感の対象にしても、目を背けない習慣を身に着けると、五感の麻痺のお陰で、だんだん恐怖感になれる=より現実が見えてくる・・・・・また、すべてに感謝する姿勢を習慣化すると、あって当たり前と思い込んで見えなかったものが見えてくるようになう・・・・これらも人間に与えられた才能であり、これを有効利用できるのは知的能力の賜物なのである・・・・

きつい言葉であるが、抑止力も継続力も不十分であるという人は、せっかく与えられている人間の能力の無駄使いをしているだけなのである・・・・

仏教の知恵である、“諸法無我”は、簡単に言うと、自分が独立した存在であるというのは妄想でしかない・・・つまり、己の存在は、すべての自分以外のものとの相互作用の中にしかない・・・・つまり、影響しあっている、また、支えあっている一時的な存在でしかない・・・・この理解が出来るのには確かにあるレベル以上の人生経験を通じて、やっと感得できるものではあるが、この理解が出来ずに、自我に囚われるが故に、不必要な余分な恐怖感および苦痛に襲われるのである・・・

これも人間の知的な観察能力および知的な概念の言語化能力による知的な整理作業により齎されるものである・・・・・・人間が人間であるが為には、忍耐力を磨くことは、それが故に大事なのである・・・・

人生は、ある意味では、患者であることであるが、In-patientからOut-Patientになれるように知的活動能力を高めていくことが課されている・・・そして、最大限に知的能力を発揮した人が、“涅槃寂静”・・・苦しい病から開放される・・・・

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December 19, 2007

スキル重視教育への警鐘・・・・

先日、ある会社のOff-JTで、戦略の設定方法の講義をしているとの話を聞いたが、先ず事実をつかみ整理したあとに、あれこれというものであった・・・・最近はスキルを重視するOff-JTが増えている現状を見るに、正に、一時期いわれた“マニュアル世代”という言葉を思い出してしまう・・・・

基本的には、自分で良いやり方を考えることを放棄させる学習であるという点では、スキルもマニュアルも同じ側面を持っている・・・企業においてマニュアル重視というのは、ISO-9000シリーズが、日本におけるTQC=Total Quality Controlのすばらしさを分析して、欧米が日本に追いつきたいという側面で作成されたにも拘らず、欧米企業が、ISO-9000シリーズの取得をベンダーに義務付けたが故に、日本も追従せざるを得なくなった・・・・

しかし、現場を見ていると、当時の若者達が、正に、マニュアル世代であったが故に、日本においてもISO-9000シリーズは急激に浸透していった・・・・この結果日本に持ち込まれた文化は、指定された項目しかチェックをしないという最悪の文化が出来てきた・・・・

この事は、仕事の遂行において一番大事な一から十までの一連の業務、最低でも自分の部署が責任を持っているプロセスの前後のプロセスでは何を如何やっているかを知らなくては、本当の仕事の理解はできないのである、つまり、全体の業務の分担のメカニズム等々を知らなくても仕事の出来る状況を作り出していった・・・・

Kozyは、マニュアルを全面的に否定するものではないが、日本の産業の強さは、少なくとも日本人だけの職場においては、英国におけるWorking Class,また、米国における多民族国家に伴う多様な価値観の違いと教育レベルの格差、そして、欧米とも、Managerは専門職として独立している色彩が強く、正に管理職と労働階級の溝は深い状況とは異なるが故に、日本には二つのチーム・ワークが育っていたのである・・・

一つは、同じ部署内のチーム・ワーク、そして、もう一つは日本のチーム・ワークの強さおよび特色である関係する他部門とのチーム・ワークである・・・・このことは、TQCを進めるときには、自部門内だけの改善では限度があり、全社トータルとしての効率化・改善活動なのである・・・

マニュアル化は、人間の持つ怠惰性とマニュアルどおりにやっていれば責められないと側面から、全社の全体の流れを理解することを怠るようになる・・・

Kozyは、ISO-9000シリーズは、欧米の日本企業の弱体化を意図した戦略的な、実の巧妙な、じわじわ蝕んでいく麻薬のような攻撃であったと捉えている・・・・

また、心理学的にはマニュアル化は脳の弱体化を招く・・・つまり、脳が使われる機会の略奪であり、老化の促進でもある・・・

Kozy自体、少なくとも部長異常の人達は、経験的に回りも見ていると、ほとんどの人があるべき姿、遣らなくてはいけない事を非常によく理解している・・・しかし、これらに取り組み成し遂げるまでに直面しなくてはいけない恐怖感に関しても同時によく理解しているが故に、恐怖感に縛られ実行に移せない・・・・これが実態なのである・・・・また、成功回避動機があるように、成し遂げた後の仕事の変化が自身に求める変化を拒絶する人達もいるのである・・・・

話を戦略策定に戻すと、あるべき戦略策定が出来ない集団は、想定される恐怖感のために存在する事実が見えていない、または、不都合な事実を見ようとしないので、結果としては不都合な事実は見えないのである・・・・本質的な問題はこの点なのである・・・

また、表面的な事実を整理することが出来ても、その裏に隠されているものを見抜くことが出来ていない・・・つまり、陰陽の視点、または、表裏一体の視点での両面を見ることが出来ていない・・・・これも大事な事実なのである・・・

つまり、戦略の策定には、存在する事実をすべて網羅できれば、その事実の機能と各事実間の相関・相互作用を掘り下げて理解をすれば、自ずと採るべき戦略は見てくる・・・そして、幾つか見えてきたときには、選択する戦略の判断基準を何にするかを議論することが大事なだけなのである・・・・

スキルはスキルで大事であるが、スキル自体はそれまでと異なる視点で考えることも有効であるということでしかなく、下手にスキルを過信すると、思考パターンにバイアスをかけることと同じになる危険性をはらんでいるのである・・・

トヨタやホンダの見える化は、正に、存在する事実を見落とさないようにする、多次元で総合的なアプローチをしている・・・しかし、あるべき戦略の再策定のための事実確認の整理は、不必要な恐怖感を起動する不適正な社内文脈への介入と個人の自己成長のレベルの二つに大きく依存するのである・・・・

一つの例を挙げると、誰かが何かを伝えようとした時に、トップが話の途中で、先読みをして、それはこうこうなので却下し、更に部下をおまえは甘いとなど突っ込んだりすると、誰も何も言えなくなるのである・・・また、関係者の間で共有化されていない事実というのは、普通の人には論理的に説明することは往々にして難しい・・・しかし、このような普通の人が発言しようとした内容は、大いに傾聴の価値があるのである・・・勇気を出していいたいぐらいの重要性認識を持っていることなのである・・・

傾聴ということは即ち、相手への信頼と忍耐力であり、この忍耐力を持たないトップは、トップ失格なのである・・・とにかく最後まで意見を言わせて、すぐに否定・批判するのでなく、何故にそれが大事なのかを掘り下げる議論をすべきなのである・・・そして、それでもトップとして納得できないときは、その納得できないことに対する自分自身の判断基準を明示してあげる・・・そうすれば、相手も自分の選んだ判断基準を明示することになっていくのである・・・・

将来のことは神のみ知ることである・・・将来に対する方策が戦略であるということは、誰も絶対に正しいと確信できる選択は出来ないのである・・・また、現在のように、技術革新が早い時代においては、昔の変化の少なかった時と比べると、戦略自体のライフ・タイムは、当然短くても良いのである。大事なのは戦略を策定するときには、その選定のための判断基準が何があるかをすべて網羅して議論をして、選定のための判断基準を同時に確認することが大事になる・・・・

この反転基準の共有化がなされることは、判定基準がセンサーの役割となり、関係者は、判断基準と異なる事実が出てきたときには、現場を預かる人達が、その想定外の変化を、気軽にトップに報告できるようになる・・・・最高のセンサー精度は現場なのである・・・・

この種の議論の掘り下げのスキルはコーチングでもあり、ファシリテーティングでもあるが、これも、どれだけ多くの関係する知識を持っているかに依存するのである・・・・Kozyは営業部長として、5年後10年後の技術革新、つまり、テクノロジー・ロードマップを整理共有化して、自社の強みを生かした戦略的な商品開発をするプロジェクトリーダーになったことがあるが、最新の技術や近々の将来技術がもたらす変化の認識が最初であり、幾つかの異なる開発部門の部課長を集めて取り組んでみたが、ファシリテーティングには、苦労した・・・・つまり、技術者間では会話の内容が理解できている問題に自分だけだ理解が十分出来ていない・・・その中で本質的な議論を深めるのは、あるレベル異常の技術に対する理解力と論理的思考が絶対に必要なのである・・・

いろんなスキルがあるが、スキルはあくまで本質を掘り下げる方法論であり、本質を掘り下げるのに大事な事実の掌握能力が第一である・・・・人間の成長とは、より多くのことが見えるようになることだとKozyは捉えており、すべての大事な事実をその陰陽まで含めて見えて、システム的理解とそのメカニズムの理解があって、はじめて、スキルが生きるのである・・・・

マニュアル化により日本企業の弱体化したように、スキル重視は日本企業を弱体化しようとする攻撃を再度受けているのではないかと危惧するのである・・・・Kozyは、スキル教育はそのスキルに見合った課題処理能力を持った人達のみに有効ではないだろうか・・・つまり、関係領域で、自分で考えて処理する能力を持った人への更なる進化を齎すものであるべきで、マニュアル化の弊害を最低限に抑える配慮が必要ではないだろうか・・・何事にも陰陽があることを忘れないでほしい・・・

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December 16, 2007

What is changing(16)・・・企業が自己成長支援を

本ポストを読まれる方は、2007年12月15日の“What is changing(16)・・・統合失調症が増えるわけ”と必ずあわせて読んでください。そうでないと論理の展開についていけないので、時間の無駄になるでしょう・・・・・

昨日ポストしたように、新しいシナプス・ネットワークを構成する方法論を有効化するにしても、行動変容の阻害要因を如何に乗り越えるにしても、読んでお解りいただいたと思うが、自分の過去の人生で形成された恐怖感に人間は縛られてしまうのである・・・記憶においても、楽しかったことよりも、怖かったことのほうがより深く刻まれるのと同じことなのである・・・

種族保存本能にも通じる自己保存・自己防衛本能は、一番、情動の中で強いのは、むしろ自然なことなのです・・・しかし、人生における状況は千差万別であり、いちいち深く掘り下げて考えていては、時間がかかりすぎて、それこそ命取りになりかねな・・・問題は、何が将来展開を考えたときに、本当に自分のためになるかの人生のメカニズムを十分は体得していないということ・・・・

ある視点で捉えると、人間の25歳までの成長のための学習とは、何が怖いのか、また、何が恐怖となって後で帰ってくるのか、そして、それらの怖いものの中でのその優先順を学んでいるとも言いえるのです・・・その為にいろいろの怖い思いを繰り返す・・・しかし、これらのことを体は理解していても、頭では論理的に判断基準まで含めて言葉にて整理できない・・・

上手くいえないけど、何か違うんだ・・・これがその整理の未熟さを表している・・・・つまり、自分にとっての恐怖感の判断基準の整理と自分の中での恐怖感の優先順位が整理できていない・・・

25歳で将来展開を踏まえて、自分の中の恐怖感の強さの優先順位を整理して、脳内で、報酬系(喜びの得られる行動)と嫌悪系(嫌で悪い=恐怖感に陥る行動)が、脳科学ではダンスという言葉を使いますが、如何判断するかを瞬時に判断することを可能にするRisk Managementの回路が出来上がります・・・・昔々は、小さなコミュニティーにのみ依存して、変化が少なかったので、これはこれでよかった・・・・・

しかし、現代社会においては非常に大きなコミュニティー、また、非常に多くのコミュニティーに現代人は依存しており、社会人になってから初めて見る・体験する複雑で多次元な社会体験の洗礼を受ける・・・実はこれだけでも非常に大きなストレス要因になります・・・

前回の最後で述べたように、平和な社会が故に齎される発病の脆弱性が、残念ながら、鈍感力という本がベストセラーになるような世の中が示すように、発病の脆弱性とは、この鈍感力のなさを意味しており、平和の代償を背負う世の中になってきている・・・

また、最後で述べたように、技術革新のスピードが人類史上一番速い世の中にいるが故に、多様な価値観の存在だけでなく、多くの価値観が変化していく、つまり、ストレス要因が人類史上で一番多い時代に入ってしまった・・・・しかし、このことは、同時に、人類が人類史上で一番大きな成長をもたらすとも言いえるのです・・・・

統合失調症を招くストレス要因と発病の脆弱性には強い相関関係があり、このままでは、統合失調症に陥る人は、増大の一途をたどるのではないでしょうか・・・・・21世紀は、心の世紀といわれ始めているが、統合失調症の人がこれ以上に増えていくことは社会の秩序が乱される・・・このことは、大きな生命体としての地球=ガイアの崩壊を、確実に導くことになるでしょう・・・・

恐怖感とは、正に有名な諺の“馬鹿とはさみは使いよう”に通じるものであり、行動変容=自己成長に対して、最大の阻害要因にもなり、また、最大のDriverにもなるのです・・・・この前提が、自分の中の恐怖感のあいまいな理解ではなく正しい理解と優先順位の整理なのです・・・つまり、最大の恐怖を避けるためには、そのためには2番、3番目の恐怖の乗り越えが必要であれば、最大の恐怖感が大きなエネルギーとして、2番、3番目の恐怖を乗り越えさせてくれる・・・

Kozyは、現在、東洋医学形の知見を使って、本来は経験を通じた検証でしか、恐怖感の優先順位の検証は出来ないのですが、体に問い合わせる方法を開発して実験をしている最中です・・・この実験にご興味のある方は、ご一報ください。但し、面談が必要なので関東圏在住の方、もしくは、横浜までおいでいただける方のみが可能になります・・・・この方法の有効性が確認できれば、自己成長のスピードアップができる・・・・

また、脳科学的に捉えると、人間の脳の進化は、脳の可塑性に拠るのですが、これをもっと掘り下げると、人間の脳は植物や動物のように本能だけで割り切るような回路でなく、あいまい性を追及して進化してきたといいえるのです・・・・それ故に、恐怖感の脳内の整理も非常に曖昧なものになっている・・・・だから、変化の時代においては常に精査が必要になる・・・再検証が必要になる・・・・

このあいまい性の源泉は、脳への情報はすべて五感を通じてインプットされ、HowとWhatの回路に分けられてインプットされます・・・しかし、人間の五感はすべてインプットを続けていると麻痺を起こすように出来ている・・・つまり、Whatは麻痺して変わることはないが、Howは麻痺して変化をすることを意味している・・・

日本の諺の中で、“覚えるより慣れろ”というシンプルな言葉がありますが、この点では、至極名言です・・・・・あがり症などは、まさに、自分自身で自分にプレッシャーをかけないことを場数を踏む中で、つまり、慣れる中で自分にあった方法論を試し続ける中で克服される・・・・慣れるとそれまで見えなかったものが見えてくる・・・自分も周りも・・・・・

学校教育においては、“アリスの不思議の国”・・・これは恐怖から逃げてはだめ、恐怖感が怪物を生み出すことを教える童話です・・・または、同類のことを小学校の低学年のうちに教え込む。地域の文化的価値観は小学校の高学年から中学校時代に形成されるようです・・・よって、この時期に、まったく異なる地域文化の体験学習を二回織り込む・・・

少年期における成長とは、自己と周りの友人を同一視することから、違ういうことを学ぶ時期でもあるのです・・・・

中学および高校のときは、しっかりした性教育が前提となるが、異性交際を推進すべき・・・個体差および男女差の勉強には最高の機会である・・・種々の危惧を抱く人がいると思うが、まずは、異性交際を推進することとして、心配なことを出来るだけ少なくする方策を考える・・・・

また、学校教育においては、日教組は共産主義的色彩が強い、それが故に、人間の本質を無視した非競争社会的な施策が多く導入されているが、自由主義を標榜する限りにおいては、競争は避けられないものであり、この競争こそが人間の脆弱性を弱めていくのである・・・

しかし、自由主義であることは、自由という権利の行使にはそれに付随する義務の行使が前提であること、そして、恐怖感に打ち勝つとは、克己のことであり、自分に克ことであり、競争至上主義ではなく、自己との競争の大事さを教える・・・この成果を図るのが現実としての競争の結果なのです・・・

学ぶことも同じであり、如何にすれば自分に打ち勝って学業に取り組めるのか、また、自分に一番あった勉強の方法は何か、この方法論を自分でつかむ、この成果を試験で確認する・・・つまり、人生は一生勉強である、しかし、社会に出れば学校とか塾とかはありません。・・・その中で自分で如何に勉強できる能力を養うかがその人の人生を意義あるものにしていくのです・・・・

企業においては、これまで述べてきた時代の変化に対応して、人材開発とか言う視点ではなく、人財活性化と視点、つまり、米国で推進されている“Human Resource/Capital Development”で使われているDevelopmentを心理学に疎い人しか日本にはいないことを図らずも証明しているが、これは、経営=心理学の時代の潮流を受けての言葉であり、心理学においてはDevelopmentとは、正しい訳は開発ではなく発達を意味するのである・・・・

発達心理学は、英語ではdevelopmental psychologyというのである。HRM/HCMの真意は社員を如何に発達=成長させるかと言う強い含意がある・・・・このニュアンスを含めていないネイミングである人材開発室は、この言葉だけで本質を外れてしまうのであり、Kozyは、あえて、“人財活性化”と呼びたい・・・活性化には適材適所、自己成長の促進、会社全体の活性化というニュアンスが生まれると捉えている・・・・

つまり、社員の自己成長の支援をすることを明確に目的意識として持つべきである・・・これに伴い、自動的に、Quality of Work Life, Mental Careなどが含まれてくるのである・・・・念の為であるが、カウンセリングの本質は、自己成長の支援活動なのである・・・・

人財活性化をもっと掘り下げると、個人支援と企業内の文脈のマネジメントに分けられる・・・つまり、両方への介入があって初めて、行動変容はおきやすくなるのである・・・個人支援はカウンセラーよりも、職場に支援者がいることのほうが効果は大であり、また、職場における文脈は構成員が作り出すものであり、文脈の形成と維持はトップに大きく依存するものであり、この点ではリーダーシップは非常に大事になってくる・・・・

しかし、変化を起こすにはライン部門の人間は、取り組みたくても時間も知識も不足している。この点ではスタッフ部門の人間が参画する必要がある・・・残念ながら、スタッフ部門しか経験のない人にはライン部門の文脈のメカニズムは理解の限界を超えてしまう。また、現状ではスタッフ部門の人の知識レベルも低すぎる・・・・これは一朝一日で出来るものではないが、問題があってもやり始めるしかない・・・・

米国では、Positive Organizationという動きがある。また、Psychological CapitalということもPositive Psychology学会でも議論されている・・・つまり、心のエネルギーを個人から組織、そして、組織から個人両方から効率的に送り維持することで職場の活気の維持・増幅を標榜している・・・これは東洋哲学における“気”のことであり、それが故に、Kozyは気財管理と名づけて促進しようとしている・・・・

先ずは、日本企業は、日本企業になじんだTQM=Total Quality Managementの原則として、悪さ加減の認識から始めるのが良いだろう・・・・しかし、社員がみんな感じていても論理的な説明が出来ない。

ついては、企業毎に的をえた質問表を作成すて調査することが前提になるが、層別をして共分散構造分析の多母集団同時分析を通じて、科学的な解析により実態をつかむ必要がある・・・ここからすべてが始まるのである・・・これが、Kozyの行った研究でもある・・・

また、新入社員に対しても、悪さ加減の認識という視点で、人間の構造的問題という悪さ加減の正しい認識をさせる。そして、人が成長するとはどういうことなのかのOff-JTを、現状の日本の教育と鑑みるに、企業が取り組むしかないのである・・・Kozyは、ここも取り組んでいきたい・・・・

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December 12, 2007

仕事こそ自己成長の場・・・・第一の人生と第二の人生???・・・

本Blogで述べている第二の人生について少し掘り下げて説明したい・・・

第一の人生と第三の人生の間が第二の人生であるが、第一と第二の人生の分技点は、単純に25歳という年齢である・・・これは脳の成長が、メイン回路の構築という意味で、終了する年齢ということである・・・もちろんこの後も脳の発達ということでは熟成という意味での進化を続ける・・・この点では死ぬまで進化を続ける・・・但し、150歳ぐらいでは誰でもアルツハイマー病にはなるようである・・・

この25歳での第一の人生と第二の人生との分技点は、自然の摂理でもある最小のエネルギーで最大の効果を生むものではある、つまり、瞬時の判断を可能にするRisk Managementの回路なのです。第一の人生と異なるのは中長期の展望を踏まえて判断をする回路、しかし、これは自動的に起動してしまうのです・・・・

おそらく、原始の昔では、十代のはじめから社会で働き、また、結婚もしていたでしょう。つまり、肉体的に大人になっているからです・・・・そして、25歳までの実社会での経験をもって回路が形成された。しかし、その当時としては、変化も少なく、コミュニティーの規模を小さかったでしょう・・・・

それ故、動物として大人になる訓練としてはそれなりのレベルと価値を持った経験をした後に、大人として成人をした状態において、中長期の展望を踏まえて、このRisk Managementの回路が出来たと捉えています・・・高等動物ほど成人になるまでに時間が必要であり、原始の人間は、実質的に25歳で成人になった・・・

参考まで、文化人類学の知見では当時のコミュニティー=集落はすべて250人以下であった・・・これが集団として維持できる人数の限界であったと捉えています・・・この点を組織学でも重視する意見もあります・・・

第一の人生では、生まれてから、ずっと何でもやってみることを通じて学習をしてきます。そして、その経験により自分自身の判断基準を徐々に作ってきている・・・自分にとっと何が恐怖なのかを学んできている、また、親のしつけや親の価値観に同調することで親に好かれようとします・・・・

第一の人生の特徴は、この中長期の展望を踏まえる回路が出来ていない・・・つまり、やりたいと思ったことを短期的な展望だけで判断をする・・・だから、自分自身を振り返っても、よくもあんな危険なことをしたもんだという類の経験が山のようにあります・・・この中長期の展望は親しか、または、地域コミュニティーの大人しかもっていないので、大人は叱る事を含めて子供を守る行為に走る・・・・

Kozyはこの25歳で出来上がった脳のことを“自動脳”と名づけています・・・しかし、この自動脳は、近代社会においては、人間にとっては、隔離された250人以下の世界で生きてはいけないが故に、また、25歳までに必要十分な経験を踏むことが出来ないが故に、自動脳はまったく不十分なものにしかなっていない・・・・

むしろ、より劣化した自動脳になっているといってよいでしょう・・・つまり、原始の時代は250人の小さな集落であったとしても、その中のすべての世代、また、役割を担っている人のすべてとの交流があり、異なる家庭環境の人達との交流もあったが、現代社会においては、一般的に小学校まではその地域のすべての階層の人の子供たちとも交流があるが、中学・高校、または、中高一貫の学校の公立か私立に行くかにもより、交流できる同世代の人達ですら限定されてくる・・・

ましてや、大学では公立私立により受容できる家庭の金銭的環境で二分類され、また、選考する学科の判断基準が同じ人達が集まる・・・

原始の昔の250人以下の集落ですら、大人とは認められない限られた経験に基づく自動脳が形成されている・・・しかし、現代の実社会は、もっと広い交流が基本となっており、当然、現代の25歳で出来上がってしまった自動脳は不十分であり、心のかたわを生み出している・・・

技術革新が進むことにより、人間社会の文明は飛躍的に発達したが、この点では脳の発達は昔のままである・・・むしろ、文明の発達により、自動脳は、不適切な判断基準に基づき、不必要な恐怖感を起動してしまい、そのために、25歳以降に行動変容が必要な場合においても、脳内で起動された恐怖感に囚われて動きにくいのである・・・ストレスがより多くなるのは当然のことなのである・・・・

このことに気づいた現代社会では、それが故に“心の時代”と呼ばれる様になってきている・・・・

つまり、第二の人生は、25歳で成人になるということではなくて、25歳は初期的な成人でしかない・・・つまり、人間という動物としては、現在の多次元で高度な社会のなかで生きるための、第一次としての成人でしかないことを認識して、自動脳の中の物事に対する理解のための判断基準と中長期の展望の持ち方の判断基準を、再度、白紙の心で見直して生きていく時代でしかない・・・・

現代社会においては、既に、サラリーマンの世界では、“入社三年ですべてが決まる”という経験則が出来ている・・・つまり、22歳プラス三年=25歳で決定してしまうということである・・・・この点では、大学院卒を採用することを好まなかった日本の人事の新入社員採用の慣行は、実に的をえたことであったといいえる・・・・

この点では、新入社員教育というのは非常に大事な教育ということになる・・・・入社後の三年とは、本Blogで説明したことをよく理解して、自動脳の向上・修正の為に必要な生きていく姿勢の確立のことであり、技術革新が継続する限りにおいて、社会はどんどん変化していくが故に、常に変化の胎動を意識して、より速く変化をつかみより早く適応して生きていくことであり、この点では、現代社会においては、死ぬまで自動脳の向上・修正は必要になる・・・・

しかし、現実の問題として、平和の代償といってしまえばそれまでであるが、あまりにも守られて、苦労という現実を学ぶ機会も少ない中で、また、原始の時代と異なり10代からより限定された交流しか積んでこなかった、現代の若者を見るに、25歳以降の自動脳の向上は、より厳しい修行になるが、若い人達だけでなく教育する立場にいる人達も取り組む覚悟を、もって臨むしかない・・・・・しかし、生きる姿勢の確立は、いつからでも出来ることであり、遅すぎることはないのである・・・

第二の人生は、実社会の中で働くことを通じて、自動脳の修正と向上を行う時、つまり、これこそが人間の成長なのであり、職場こそ自己成長を目指す修練の場なのである・・・・つまり、職場は自己成長の場なのである・・・企業は、如何に速く効率的に社員を成長させるかが企業の栄枯衰退のKeyであるばかりか、その責任を担っているのである・・・・・・

企業内では人事関係者だけではこの責任を果たすのは無理であり、全員参加が当然望まれる・・・そこには、良いロールモデルだけでなく、反面教師も必要なのである・・・・

パラドックスではあるが、反面教師の方が効果がある側面もある・・・人間はああなりたいよりもああはなりたくないという恐怖感がより大きなDriverにもなるのである・・・・だから、Kozyは先輩の愚痴を聞く機会があれば、愚痴を聞け・・・そして、何が愚痴だけの人間にしてしまうか、そのメカニズムは何なのかを汲み取れといっている・・・・

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December 10, 2007

経営戦略としての人材育成への考察・・・

日本の経営の問題を考えるに、多くの経営者が人材教育=OJTと捉えており、現場での教育が一番であり、育つやつは育ってくると捉えている。その結果、人材育成について人事任せになっている・・・

しかし、管理部門としての文化がしみこんでいる人事部門の人が、人材育成に関する自己成長をもたらす理論、また、その支援の理論をどれだけ勉強してきているのであろうか・・・また、自社の体質的問題=社内文脈を如何に論理的に分析・解析するツールとその理論を勉強してきているのであろうか・・・・

人材育成は、あまりにも多くの要因、または、次元の中の話であり、常に、よりベターを求め続ける仕事であり、その時々、部門毎の違いもあり、より適した方法を常に分析をして、仮説を立てて、検証をしていく仕事である・・・つまり、どうしても試行錯誤の側面があるのである・・・・

しかし、管理部門の仕事文化には試行錯誤をする、つまり、リスク・テイキングする文化はないのである・・・つまり、減点主義がしみ込んでいる・・・・これらの姿勢は教育を受けるほうは感じ取るが故に、結果として減点主義の文化の植え付けをする危険すらあるのである・・・つまり、構造的な問題をはらんでいるのである・・・・

人事関係者はそれが故に、世界で一番のコンサルタント会社=米国系コンサルタントに任すという、論理的には最悪の選択をしてしまう・・・・つまり、頭の裏には、先に言い訳を作っておく・・・世界のトップですら上手くいかなかった・・・採用のときと同じで、一流大学卒で成績も良かったので採用した・・・同じ愚行をしてしまう・・・

西欧には、しっかりした個人主義、自立を強く促すキリスト教などの社会的な文脈の違いがあり、日本では、相互互恵への期待に基づく日本の甘えの構造という文脈の違いより、自立の促し方、また、自立を促してもチーム・ワークを重要視するものを残す自立・成長支援が必要なのである・・・・

また、自立・成長支援活動とは、個人への支援・介入だけでは不十分であり、被支援者を取り巻く文脈への介入との二本だてが必要になる・・・この文脈にしても、ミクロ、メゾ、エクソ、そして、マクロシステムと最低でも四分類が必要で、すべてには介入が出来なくても、出来ることをやっていく・・・・つまり、不必要な恐怖感を起動する不適切な文脈への介入に関して、出来ることをすることが必要になる・・・・・

では日系のコンサルタント会社は適切なのか・・・残念ながら、日本においては教育界と産業界の交流および協力関係という点では、特に米国と比べるとあまりにも希薄であり、有益かつ有効な研究はなされていないといわざるを得ない・・・Kozy自身も日本を代表する一流どころを数社訪問して確信したが、各産業界、各企業には、それらを取り巻く独自の文脈があり、さらに、部門によっても異なる文脈があり、これらの実学および経験則に対する理解が浅い・・・・

確かに、いくつもの会社のコンサルをしていると理解が深まる側面はあるが、決定的に足りないのが、層別して分類する技術、共分散構造分析の、特に多母集団同時分析などは、ほんの十年前までは現実的には使えなかった統計解析が、今や、PCの飛躍的な発達に伴い、ノートPC で取り組めるにも拘らず、このスキルを持っている人は皆無に近い・・・

若い人では、このスキルを持っている人はいるが、産業・組織への洞察力がなく、実効のある実験調査計画を立てれる熟達者は、論理的にもいないのである・・・また、これらの若い人を使えるベテランもいないのである・・・

マーケッティングの世界では層別して捉えることは当たり前になっているが、人材育成計画を立てるにあたって、会社の実態を知るには、Kozyの研究結果は、当たり前のことであるが、その人間の成長具合により異なることを示唆しており、成長具合により層別出来る調査を方法にも熟知している必要がある・・・

しかし、日本の場合は研究者の努力不足と人事関係部門の理解不足により、大企業の社員なら一度や二度は人事に頼まれアンケート調査に協力した人も多いと思うが、これらは全員が答えているのではなく、せいぜい約二割ぐらいの社員だけが答えており、これらの結果をいくら何万件回収をしたとしても、答えた人達の中で成長度合いが、たとえばA,B,Cとしたときにどの人達が多数派になっているかにより結果は異なる・・・また、各企業により異なるものをいくら分析しても何の意味もないのである・・・これが日本の実態なのである・・・・・

では、日本企業はどうすればよいのか、大きな問題となるが、短期および中長期の両方の視点で、日本企業が取り組むべき方策を整理してみたい・・・・米国では、SASがこの分野で成功を収めているが、日本の文脈に即した研究はSASも取り組んでいない。日本のSASになれる企業は潜在的には存在すると思うが、大企業は独自の部門を持つべきだと捉えている。なんとなれば、これらのKnow-Howが今後の日本企業の競争力の源泉になるからである・・・・

短期的には;

現状では、上述したように、残念であるが、日本では皆無に近いと危惧するが、実業界の十分な経験と最新の心理学の知見、および、最新の統計解析に長けた人間をアドバイザーまたはスパーバイザーとして契約をして、つまり、一緒にチームを組むとか、共同で現状の悪さ加減の解明を行い、自社独自の人材育成策を立案して実行する。なんとなれば自社を一番知っているのはその社員でしかないからである。そして、このOJT的側面を利用して社内に専門家を育てていく・・・・

また、大学院との共同研究にも喜んで取り組むべきである・・・・

長期的には;

1.先ずは、心理学を選考して最新の統計解析に長けた人材の採用を行うべきである。そして、複数の部門を経験させるべきである・・・・

2.経営は心理学の世界になる中で、最低でも二つの部門での経験を持つ10年以上のベテランを心理学の大学院に行かせるべきである・・・

つまり、今後の経営を考えるに、独自に自社に一番適した方法論を、または、そのためのアプローチの仕方を構築して維持していくことが、その会社の競争力の維持において一番大事になる。

また、これからの望まれる企業としては、より成長した人間を通じて社会に貢献するばかりでなく、それらの成長した社員を社会に還元する事が一番大事になる・・・

このように社会で認知されることなしでは、企業は存続を認められない時代になっていくであろう・・・・・このためにも、上述した方策を戦略的にとる必要がある・・・・人事まかせではなく、社長直属とか経営企画部門が取り組むべきである・・・・

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December 05, 2007

今求められる経営・人材開発のベストミックス・・・

人件費、特に非正社員の低下と正反対に資源および農作物の輸入価格が高騰している・・・資源国および農業輸出国の関係労働者への利益のシフトが起きているともいいえる・・・世界的な視点では、人類の人口の爆発に伴い、需要と供給の関係上は労働者が増えているがゆえに、ミスマッチの問題等を無視すると、日本以外の多くの国においては労働の供給過多の問題より、日本以上に二極化が進んでいる・・・・・

現実は、日本の人件費は、大企業の正社員は、団塊世代を中心とする人件費が退職および給与減額(多くの企業は55-57歳ぐらいから半分近くに、役員以外は減額される)に伴い給与原資も増えてきているため、50代の中ごろまでの人は給与が増えている・・・しかし、非正社員の場合は増えるより減っているのではないだろうか・・・・

非正社員といっても大きく二分できると見ている・・・・一つは就職氷河期に正社員になりたくてもなれなかった人達が、否応なしに非正社員の道を歩んできた。そして、三十代になって深い専門性も持てずに、また、示すべき経歴も持てずに来てしまった人達・・・・・この人達にはセイフティーネットが必要・・・・

もう一つは、忍耐力のなさ=自分の感情を抑えられない人達が、これは自分のやりたい仕事ではないといってドロップアウトしてしまった・・・この自分の感情を抑えられない人には、対人コミュニケーションスキルのない人たちが一部含まれており、自分勝手な感情に縛られるがゆえに、忍耐力をもてない・・・・

本Blogでは何度か言っているが、対人コミュニケーションスキルの本質は、集団内においては、いかに普段から信頼されるに足る言動をしているかでしかないのである・・・・これが、相手の情動を決定するのである・・・すぐ切れる人は当然、信頼されないのである・・・

しかし、これらの世代の中での流行語になったとも言いえる自己実現には、この忍耐力は絶対条件なのである・・・・・

そして、世間の流行的なものに流されている人は、つまり、自分で考え自分で決断して自分で検証をして実行をしていった人たちの成功事例を追っかけるのは、その時代の変化の後、つまり、すでに過去のことについて、いまさら取り組んでも、そのときには供給過多となり、成功は期待できない・・・・このように流されてきた人たちは、当然の如く、直面する現実とのギャップはより大きいものになる・・・・

しかし、現実を直視して、困難に打ち勝てなくてもその中で少しでも進歩すれば、つまり、それでも希望を捨てずに=切れることなく頑張った人たちは残り、労働市場の需給のバランス調整がなされる・・・つまり正社員として残っている・・・・

この正社員も、上述したような人は少数派であり、切れる勇気もなく三無主義的に安定を求めて、本人としては自分を殺してしがみついている人達、つまり正社員という状況に甘えている人たちが多数派であろう・・・・

当局は告発者を発表しないのでデータはないが、内部告発者の多くは非正社員と正社員という状況に甘えている人達、特に、文句は言うが業績には貢献しない人達だと見ている・・・・頑張っている人達は、どんなに困難であろうと社内で改革に取り組むのである・・・・

非正社員の多くの仕事は、実質的に外人労働者との競合を強いられている部分もあるので、非正社員の人件費が低下する・・・しかし、先進国である日本の大企業においては、対正社員と対非正社員の金銭的な差と非金銭的な待遇の違いの差の両方が劣る状況が現在の姿であるが、これでは、社内に爆弾を抱えているようなものであり、極論すれば、非正社員の方を金銭的に優遇するということも考えるべきである・・・・

忘れてはいけないのは、労働者のコミットメントは、会社が同時に双方向にてコミットメントをすることによりはじめて成り立つのである・・・・心理学ではPOS=Perceived Organizational Supportと呼んでいる・・・また、日本的経営の本質である、年功序列制、終身雇用、および、家族主義は会社からのコミットメントとしての大きな文脈的な効果を持ってきた・・・

日本では、和洋折衷とか飴と鞭か言われているように、今流の言葉にするとベストミックスを考えるべきである・・・また、社員を分類しての対応が必要になってきている・・・つまり、人間の成長度合いに見合った対応が必要なのである・・・

念のためであるが、内部告発される会社はやはり経営者が一番悪いが、良い悪いは別にして、経営の根幹である人の成長を促すことにもっと留意すべきである・・・・単一の方法論ではいけない。人間の成長度合いによる方法論でなければならない。また、不必要な恐怖感を起動する社内的な文脈を洗い出し、その文脈への介入なしでは人の成長は促せないのである・・・・

少なくとも契約社員をもっと増やして、その下で正社員が働く、派遣社員とは異なるシステムはもっと考えるべきである・・・年俸では、契約社員、派遣社員、そして、正社員という順番もあってよいと思う・・・

日本における非正社員の給与の低さは、個人の因果応報および自業自得の部分もあり、仕方ない側面もあるが、いかにも低すぎると危惧している・・・・しっぺ返しがくる・・・・

いずれにせよ長い目で見れば、格差は世界的に収束していくであろう・・・現在は配分競争の過渡期だと捉えている・・・

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November 24, 2007

訪問者へのメッセイジ・・・・

実は、今年の一月1日より、ブックマーカーおよびRSS接続がどのぐらいかを調べる為に記録をしていた・・・今週遂に1000件を越えた。つまり、毎月100人前後の人が、熟読をしてブックマークまたはRSSをしてくれている。また、累計アクセスも今週で6万件を超えた・・・・

また、一件の記事に関する平均アクセス数は95件を超えた・・・・しかし、ここ三四ヶ月はポスト数が減っていたので、一日あたりのアクセス数は、ピーク時は一日あたり150件を超えていたが、最近は80件前後に低下している・・・・・

ついにBM・RSSの数が1000人を超えた、また、アクセス数が6万人を超えた・・・・これが多いか少ないかを考えると、本Blogは日記ではなく、意見発信のBlogであり、また、長い文が多いことを鑑みると、更に、読者層を検索ワードから推測するに二三十代の若い人がどう見ても多いにも拘らず、団塊世代のKozyの意見発信を読んでくれていると捉えると、十分多いのではないだろうか・・・・

本Blogのカバーする分野は、多くの人から非常に広いと言われているが、Kozyとしては、人間への理解、人間の成長メカニズムの理解、つまり、三つの人生として自分が今どのステージにいるのかを真摯に捉えて欲しい。そして、人間成長のために色んな言い方が出来るが、三つの目を常に意識して三つの目の熟成を目指すことを習慣化して欲しい・・・・このことだけを言っている・・・・

しかし、言葉の限界があるが故に、読者がより理解しやすいそれぞれの分野を例にとりながら発信している・・・・・

まだ年末には時間があるが、今年一年の本Blog経由の情報を振り返ってみたい・・・・今回、BM/RSSで読んでいただくきっかけになった検索ワードと、それ以外の訪問者の検索ワードをずっと見てみたが、また、多くの読者の訪問の足跡を見てみると、現代の社会の、または、現代の人間像を考えてみると次のようなことを感じざるを得ない・・・・・

1.良くも悪くも、今の人は、情報過多の中で、短い文は読んでも、長い文を読む忍耐力がない人たちが散見される・・・・本Blogで文脈という言葉をよく使っているが、本来は発信されるメッセイジにて表現された言葉だけでなくそこに流れる文脈を理解することが、メッセイジの理解においては一番大事なのである。しかし、会話においては空気が読めない=KYを重視しているが、文によるメッセイジの理解は文脈を読み取ることを正しく重視できていない・・・・

つまり、文脈を読もうとしない=BYの時代になっていると危惧する・・・・これからはビデオでの発信は増えるだろうが、ウェブ上の重要な情報は殆どが文であることを忘れないで欲しい・・・・しかし、文脈と空気は本来同じ意味でもある・・・・

2.昨年のアップロードである“あなたにとって一分とはなんですか”が今でも多くの人が訪問している・・・・本質的には、自分探しということと同じであり、また、生きる目的探しとも同じであることであり、自慢じゃないがKozyの歳になっても、未だに自問自答している・・・但し、自分なりの強い仮説は持ってはいる・・・・・・

Kozyは、自分の人生を振り返って、自信を持っていえるのは、人間には無限の可能性があり、苦悩と習慣化という時間は必要ではあるが、性格や情動ですら、自分の望むように変えられる柔軟性を人間は持っていると確信している・・・・

3.行動変容には確かに人間の場合は理論化ということは必要であるが、理性は情動の前では人間であるが故に無力である。それ故に、新たな経験を通じて、本当の自分の情動を知る必要がある・・・・

つまり、本Blogを読んでいただくことは理論化としては大事だが、一番大事なのは行動に移して、自分の体に自分を支配する情動は何なのかを体感することなのである・・・・そして、脳科学でも証明されているように、情動で一番強いのは恐怖感であり、恐怖感の直視を避けては人間の成長はありえないのである・・・・・

4.本Blogの発信の中でも胆力という言葉は非常に多く発信しているが、訪問者の中で胆力で検索してこられる方が、一番多いかもしれない・・・・・正に、胆力こそ恐怖感への対峙能力であり、これこそ習慣化で乗り切るしかないのである・・・・ある意味では理性だけで判断するのでなく、遣ってみて判断する生きる姿勢とも言いえる・・・・・

5.企業文化で検索される方も未だに非常に多い・・・・しかし、本当に企業文化の類を研究しようとすれば、企業内に流れている文脈について、ミクロシステム、メゾンシステム、エクソシステム、そして、マクロシステムの四分類に分けて捉えて実験計画を立案して、研究することが必要である・・・・・この為には、最低でも十年以上の大きな組織での幅広い分野での経験に基づく洞察力が絶対に必要であり、今の日本のアカデミアでは、指導できる先生は、ゼロとまでは言わないが極めて少ない・・・・

また、もう一つのポイントは個体差による層別を行う分析をするべきなのである・・・・・

この問題意識を持って大学を卒業して、大企業の中で十年以上のフィールド・スタディーを行い、それから研究をするのが一番価値ある研究ができる・・・学会での関係する学生の研究発表をみてきたが、たとえ実験方法が正しかったとして結果への考察は、当然、白けるものばかりである・・・・・

6.訪問者の中で心理学関係の人も非常に多いが、心理学の知見は一つの真実ではあるが、心理学の研究をしている人はよくご存知の様に、心理学の実験は如何に実験しようとする対象要因以外の影響を受けないように、実験計画を組むかが一番重要なことであるが故に、現実の社会で適用をしようとしても、現実の社会では複数の大きな要因および個体差の問題等もあり、現実の問題には適用が出来ない。

つまり、現実の世界はより多次元の影響下にあり、個体差の影響も受ける為に、また、関係者の組み合わせによっても異なるが故に、単純には適用は出来ない知見でしかないのである・・・・・過剰な期待を持つことは人間の弱さによるものであり、現実の問題では、中途半端な心理学の知見を知っていることは、混乱を招くことでしかない・・・・

残念ながら、現実の世界からは逃避することは不可能であるが故に、逃げていては何にも解決をしないのである・・・・ある意味ではこれも胆力の本質でもあるのでしょう・・・・・・

7.人事関係者の方の訪問も非常に多くなってきているが、先ずは、自分自身で発達心理学を紐解いて欲しい・・・Kozyが小学校の時には発達心理学は昔は児童心理学と呼ばれていたが、その後大人になっても、児童心理学の知見が一番よく役に立った・・・・つまり、Kozyの研究結果が示すように、大企業の部長の年齢になっても9割以上の人が大人=自立が出来ていないのが実情なのである・・・・・

また、集団と個人の関係の心理学であるグループ・ダイナミクスも最低限紐解いて欲しい。そして、産業組織心理学を勉強することが重要である・・・・・更に、最新のカウンセリングでもある、ブリーフセラピーの中のSFA(Solution Focus Approach)の手法を学んで欲しい・・・・・

Kozyの研究を通じて、人間の成長度合いの違いによる個体差が非常に大きいことが判明した。日本の先人が経験則により、“さんよんさん”の分類と特徴を整理してくれたが、正に、経験則を追認する結果が出てきた・・・・

細かく分類するときりがなく、また、統計解析の信頼度が下がるが故に、この三分類で層別をして自社の実態を、つまり、悪さ加減の認識をすることが全てのスタートになる・・・・つまり、共分散構造解析の中の多母集団同時分析がこれから絶対に必要になるのである・・・

米国は産業組織心理学においては、確かに進んでいるが、日本企業と米国企業においては、組織内文脈としての、ミクロシステム、メゾンシステム、エクソシステム、そして、マクロシステムが大きく異なり、自立を強く促すキリスト教文化による組織人の自立をしている人の割合も大きく異なるのである・・・・・

それ故に、特に人材開発とか育成を考えるので在れば、自社独自の悪さ加減を理解することスタートであり、個人への介入だけでは不十分であり、自社に存在する不必要な恐怖を起動する文脈の洗い出しとその文脈への介入が必要なのである・・・・

特に米国系のコンサルへの依存は危険極まりない。自社独自で取り組む覚悟が今一番要求されているのである・・・また、自社のことはコンサルではなく社員が一番知っている立場にいることを忘れないで欲しい・・・・・・

Kozyはこの作業へのアドバイザーとして、または、教育を兼ねたカウンセラーとしてお手伝いをしていきたいと捉えている・・・・・・それ故にKozyの名詞には企業体質改善チーフセラピストという肩書きをつけている・・・・・

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November 05, 2007

潜在能力を見つめよう???・・・

“天職・適職の見つけ方・・・・”を10月15日に以下のURLにてポストした・・・・
http://kozy55-39all.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_0ffc.html
しかし、これは本人の内側よりの外に向けての探し方である・・・・今回は自己の内面に問う探し方にについて、Kozyの意見を述べておきたい・・・・

人間は誰でも自己の持つ能力を最大限に活かしてより多くの人に貢献したいという集団の中で生きる動物としての本能を持っている・・・・・最近は若い人の中で、社会貢献をしたいというこの本脳に基づき、ほかの社会勉強もせずに、または、他の社会から逃げるようにして、社会貢献関係の仕事につく人を多く見るが、その中の多くの日は、この本能を満たす為にだけ取り組んでいる人が多い・・・・・

人間は、自分の本能を満たす為だけの厚意は、自分勝手であり、自己中心的なことである・・・・これらのことをすぐに見抜いてしまう・・・・・自己満足でしかない、欺瞞でしかないと見抜いてしまうのである・・・・・

それ故、相手の視線である第二の目の成長が出来ていない人は、本人自身はその人に貢献してあげている心算でも、それは相手に通じないのである・・・・・・

Kozyの通った心理学の大学院においても、社会貢献関係の仕事をしている人たちの多くいたが、自分は相手に貢献しようとしているのに相手からは信頼されない矛盾を解く為に心理学に救いを求めてきていることが見え見えの人が多くいた・・・・・・本質的な問題は心理学ではなく自分の第二の目の未熟さであるが故に、答えは見つけられずに、かえって深みにはまり途中から大学院に来なくなる人たちが多くいた・・・・・

ポイントは、“自己の持つ能力を最大限に活かして”という言葉であり、本人の持つ能力の問題となる・・・・・・

この能力とは一体何なのか、社会貢献だけでなく仕事をおこうなう上での能力とはなんなのであろうか・・・・・

根源的な問題としては、自己受容の出来た自分の視点としての第一の目、相手の視点としての第二の目、そして、その都度の問題に関して自分が正しいとか相手が正しいとかの二者択一の選択をするのではなく、本来はどうあるべきかの正しい洞察力とその検証能力としての第三の目をどれだけ熟成できるかにかかっている・・・・・・

しかし、この様な特に第三の目は、幅広く且つ深い経験により社会のシステマティック理解、即ち、各プロセス間の相互作用の理解が不可欠であり、本当の能力とは築き上げるものであり、隠されているものではないのである・・・・・

経験知の少ない若い時代には好きと楽しいは仕事においては両立しないものなのである・・・・・・どんなに嫌な思いをしてもそれ以上に好きである・・・・これが本当に好きなことであるのです・・・・・・

好きであることの維持能力とは、楽しくない嫌な思いも乗り越えることが出来る能力であり、ある意味では楽しみを放棄できることでしかないのです・・・・・・この延長線上にはどんな苦しいことも楽しんで行えるという好きと楽しいの両立りがまっている・・・・・・・・これが才能を発揮したことになる・・・・・・

本当に好きかどうかは、堀り下た経験を積まないと解らない・・・・・机上で考えても、経験を通じて体に聞かないと判らない・・・・・嫌いなことも同様に体に聞かないと判らない・・・・・なんとなれば、それまでに必要十分な経験を踏んでいないからです・・・・・

一方“苦労した”という言葉はよく耳にしますが、この事は掘り下げて考えると、それまでの経験および知識を以って期待または予測したとおりに行かなかった経験であり、その本質的な意味は、自分の中の間違いを現実を通じて修正して理解をしたということになります・・・・・・・・

また、“楽しかった”という言葉は、楽して楽しみを得られた、また、この楽しみは一時的な、継続しないものである場合が殆どである・・・つまり、楽しかったから好きであるというのは、本当に好きであるということを殆どの場合は意味しないのである・・・・・一時的な快楽逃避でしかない・・・・

以上をよく理解して考えていただくとお解かりになるんではと思いますが、若い人にとっての潜在的な能力とは、それまでの限られた短い人生の中で一番苦労した分野が、能力として潜在的に存在すると言うことなのです・・・・・・また、中堅の人たちにおいても、一番苦労してきた分野が一番自分自身が深く理解している分野であり、一番能力を発揮できる分野になる・・・・・

ここで規定する“好き”になれるように努力をすることに対して収入が発生するとKozyは捉えています・・・・また、仕事は、人間が起きている時間の一番おおきな部分を割く対象であり、ここで好きになれないまま終わることは、あまりにも人生としては寂しいものだとも捉えています・・・・

そして、仕事人生を通じて本当に好きなこと=能力のあることを修得して、第三の人生を通じて、社会に還元および貢献していく・・・・これが本当の幸福なのではないでしょうか・・・・・

心理学において有名な実験として、看守と囚人の実験がありますが、人間は自分が強い立場になると、つまり、権力を持つとどんどん残忍性を増していく、つまり、人間として堕落していく・・・・だから、社長職はあまり長くやらしてはいけない・・・・また、それが故に経営の根源としては、自分を常に否定できる人でない限り経営を任せてはいけない・・・・・・

最近の脚光を浴びてきた創業社長のお粗末さは心理学的には、また、脳科学的にも頷けることなのです・・・・相対的に大企業ではこの種のお粗末さが少ないのは、この種の人間の弱さを長い経験を経て社長になるためにそれまでに体得しているからだと捉えられます・・・・マキャベリもいっています・・・・・・

・・・・残念ながら、人類において、長い間権力を掌握して堕落しなかった人はいない・・・・・・この事は、長い間権力を掌握することに伴い、第一の目だけが力を持つ、そして、イエスマンを回りにおくようになり、第二の目も第三の目も消失していくからだと言えます・・・・

若い人に望まれる能力を開花させる才能の見つけ方とは、第一の目、第二の目、そして、第三の目をそれぞれ活性化する習慣が第一だと思います・・・そして、最初に、ここで言うところの好きと自信をもてる分野で、最低でも5年間取り組んでみることです・・・・・

しかし、マーケッティングの視点、つまり、社会で評価されやすいと言う点では、嫌いな分野で取り組む人は少数派であるが故に、ある意味ではニッチな隙間でもあり、成功する確率は大きくなる・・・・嫌いなことには敏感な人間の能力を活かすことだ出来るのです・・・・・・また、人間の好きは、嫌いの前では無力化するものだからです。嫌いなものの分野で取り組むには覚悟が必要ですが、評価されることが多いので一旦覚悟を決めることが出来れば、取り組んでいけるものなのです・・・・

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September 25, 2007

誰にでもある固有の強さを知ろう・・

前回約束したように、個人の固有の強さ=Character Strength and Virtue=CSV=人生に貢献する性格とその徳の24項目は以前アップロードしたことがあるが、今回参照の論文にて、セリグマンが平易な言葉で説明しているの、訂正をかねてアップロードをしたい・・・・

このCSVの選択および整理に当たって、セリグマンは、人類に共通する、また、ほぼ全ての文化に共通する美徳とされる性格を、つまり、ポジティブな心の強さを構成するものとして六つの骨子に分類して、それぞれについて幾つかのCSVを整理して、計24種類のCSVを作成した。人間のネガティブなところや弱いところではなく、人間が本質的に持っているポジティブで強いところの分類を行ったのである・・・・・

さて、以下に同論文に纏められていた内容を記することとしたい・・・・英語の堪能な方は、

http://www.authentichappiness.org/ 

を訪問して英語の質問に答えてもらえれば、CSVの中で自分は何々が強いのかが提示されます・・・英語が得意でない人は、真摯に自門自答してください・・・・そして、自身の持つ強いCSVを如何に活かして生きていくかを考えてみてください・・・・・

I.Wisdom and Knowledge(叡智と教養)

1. Creativity: 新規で生産的なことを考えれること・・・・
2. Curiosity: 今経験していることの全てに興味を持てること・・・・・
3. Open-mindedness: よく考えて全てのサイドから検証をする能力と習慣を持っていること・・・・
4. Love of Learning: 新しいスキル、トッピックス そして、知識の本質をマスターすることを楽しめること・・・
5. Perspective: 他の人たちに、賢明なカウンセリングを提供できること・・・・

II. Courage(勇気・胆力)

6. Authenticity: 真実を話し、真の自分を開示できること・・・・・・
7. Bravery: 恐怖、チャレンジ、困難 または、痛みに怯まないこと・・・・・
8. Persistence: スタートしたらやり遂げること・・・・・
9. Zest: 興奮と気力を持って人生に立ち向かえること・・・・

III. Humanity(人間性)

10. Kindness: 他人に対する善意と勇気のある行動・・・愛他性の実践力とも言いえる・・・
11. Love: 他人との親密な関係性の理解に大きな価値を見出すことである・・・・・
12. Social Intelligence: 自分自身と他人は、何に動かされどんな感情を抱くかに気付くことが出来る・・・・・

IV. Justice(正義感・公平感)

13. Fairness: 全ての人に対して同じ公正さと正義の判断基準で接することが出来ること・・・・
14. Leadership: グループの活動を有機的な繋げ、そして、何が起きるかを理解する能力 ・・・・・・
15. Team-work: グループまたはチームの一員として行動をすること・・・・

V. Temperance(自制心)

16. Forgivenness: 間違いを犯した人を許せること・・・・
17. Modesty: 功績は、それを成した人の為に知らしめることが出来ること・・・・
18. Prudence: 後で後悔しないように自分自身の選択に非常に注意深くいられること・・・・
19. Self-regulation: 人間(自分)が感じて行うことを規制することが出来得ること・・・

VI. Transcendence(超越性=普通の限界を超えられること)

20. Appreciation of Beaty and Excellence: 人生の主要部分で、美、卓越したもの、そして、Skilled performance =  熟練した技による出来栄えに気がつき感謝する能力・・・・
21. Gratitude: 善なること、よい事が起きたことに速やかに気付き感謝することが出来得る・・・・
22. Hope: ベストを期待して成し遂げようとすること・・・・
23. Humor: 笑うこと笑いを取るために当惑させることを好み、他の人に笑いもたらすこと・・・・・・
24. Religiousness: 高貴な目的と人生の意義について首尾一貫した信念を持てること・・・・

皆さんは、以上の24個のCSVのどれが自分の中で一番強いとお感じですか????・・・・または、どれに磨きをかけて生きたいとお感じですか???・・・・よく考えてみてください・・・・

Kozyは、セリグマンの活動および功績は高く評価しています・・・・また、ポジティブ心理学のネイミングには、文句をつける気はありませんが、本Blogを書き始めて、四年目になりますが、セリグマンおよびその他の研究者と同じベクトルの方向ではありますが、今年になってふと吹っ切れたことがあります・・・・・・

それは前回に少し触れましたが、“Hope: ベストを期待して成し遂げようとすること”と規定されていますが、Kozyは、
Hopeとは、よりベターになる可能性があると信じて成し遂げる努力を出来ること・・・・つまり、普遍な自分にとってのベスト、そして、万人にとってベストはありえないと捉えているからです・・・・・・

日本語でも、夢も希望もない=生きていけないという言葉がありますが、確かに人間はその様に弱い存在です。Kozyは、自身の研究およびグループ・ダイナミクスの知見より、成長できない人達は、現実を正しく認識できずに幻想に囚われている・・・・・夢は多くの人にとり幻想であり、現実の直視能力の欠如と捉えている・・・

困難なことに挑戦し続ける為の能力は、CSVでは“7. Bravery: 恐怖、チャレンジ、困難 または、痛みに怯まないこと”である対象を夢として捉えることが出来るが、この継続力を可能にするのが、恐怖に打ち勝つ力とKozyが規定するところの希望の力になる・・・・・

即ち、Kozyとしては、この希望の維持能力を経験を通じて正しい維持能力を養うこと、これ即ち、ポジティブの本質だと捉えている・・・・・

しかし、恐怖感とは、生まれてまだ小さいときの幼少期までを見ているとわかるが、何でも遣ってみようという恐れない心、即ち、生得的に持っている“気”であり、元来の気力=元気なのであり、残念ながら、学習無力感と同様に、狭く浅い、且つ、守られた情況での経験に基づき学習されたものであり、つまり、不十分な学習により得られた恐怖感に人間はおののいている・・・・・・

そして、25歳ぐらいにおいて、不十分な経験に基づき学習された、中長期の展開性とそのリスクを織り込んで、恐怖感と報酬を天秤にかけた俊時の脳の自動判断を行う回路が完成される・・・・・

この不適切な回路の適正化のためには、より広く深い経験を通じて、自己責任による現実を直した再学習経験が必要になる・・・・・つまり、性格要因のBig Fiveにある“Openness to experience=知性”がポジティブになるためには必要であり、その成功体験による再学習の有効性の理解が必要になる・・・・・・・・

また、希望の維持能力とは人間の知的な活動がもたらすものでもあり、セリグマンのCSVには、その構成要因は基本的に全てカバーされていると捉えている・・・・・

念の為であるが、“VI. Transcendence(超越性=普通の限界を超えられること))”とは、普遍なものはないという確信に基づき習得されるものである・・・・・・・・

Kozyは、24項目を見てつくづく感じるのは、良くも悪くも経験が人を作る・・・脳科学的に換言すると、経験がシナプスをつくり、シナプスが人の性格を決定する・・・・・経験から如何に正しく学ぶことが出来るか・・・・これが一番大事ではないだろうか・・・

そして、正しい方向の学習に導いてくれるのが、“希望の維持能力”・・・・・本Blogの発言は全てこの希望の維持能力増進の為の発信である・・・・・・

この為には、弱いところを最初に強くするのではなく、個人の持つ固有の強さをより活かして、生きていくことがより大きな成長への原動力になる・・・・・ある意味では24項目は一つとして、100%の自信がもてないと思います・・・・経験不足であれば、当然のことです・・・24項目の中で他と較べて相対的に強いところを理解する・・・・・

まずは、それだけで善いのです・・・・・・つまり、新たな経験は、それまで見えなかったものが見えてくる・・・・そして、更なる可能なチャレンジ項目が増えてくる・・・・・見えてくるから正しい経験の理解がより可能になるのです・・・・そして、更なる経験に知的好奇心が沸きたてられる・・・・・・

Kozyはより見えることが成長だと捉えています・・・・・

あとは、焦らず、諦めず、経験を直視して真摯に掘り下げて考え続けていくことです・・・・人生には近道はありません・・・・

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September 22, 2007

ポジティブ心理学の知見と考察(2)・・・

第二回として、二つめの知見として、固有の強さのプロファイル、つまり、そのパターンの共通性が米国の大人と青年の間で見られる。しかし、米国の大人と米国以外の大人の間では、共通性がより低いのである。Hope,Team-work,そして、Zestについては米国の青年間の方が米国の大人の間よりより共通点がある。・・・・

米国の大人の間では、Appreciation of Beaty,Authenticity、Leadership そして、Open-mindedness がより共通している・・・前回に規定の説明をしていなかった固有の強さは以下の様に規定されている・・・・・

Appreciation of Beaty (and Excellence): 人生の主要部分で、美、卓越したもの、そして、Skilled performance =熟練した技による出来栄えに気がつき感謝する能力。・・・・

Leadership: グループの活動を有機的な繋げ、そして、何が起きるかを理解する能力 ・・・・・・

Hope: ベストを期待して成し遂げようとすること・・・・

Team-work: グループまたはチームの一員として行動をすること・・・・

Zest: 興奮と気力を持って人生に立ち向かえること・・・・

この知見に対しては、如何にある強さを、大人への旅の中で壊れていくことから守り維持する事が出来るか、また、種々の傷を受けながら、如何に他の固有の強さを構築できるのか、更に研究していくことが大事になると結ばれている・・・・・

Kozyは、米国には住んだことはないが、何度も米国内の色々の場所を訪問しており、いろんな人にあってきたが、所謂自由の国アメリカといわれるが、良くも悪くも伝統のない国が故に、他の国と較べて、米国人はより社会的な文脈に縛られやすい国民性を持っていると捉えている。・・・・

それ故、大人と青年に共通性が多いのは頷ける・・・・人間とは文脈に縛られる動物である・・・・

また青年の方が現実の社会のメカニズムを正しく理解できていないが故に、また、社会的な負荷が青年の方が少ないが故に、Hope,Zest、Team-Workが若いうちでは、固有の強さとして維持されているが、大人になるにつれて、現実の直面して、この三つが失せていく・・・・

そして、大人は社会で実学を理解および修得するにつれて、Appreciation of Beaty, Authenticity, Leadership & Open-mindednessの重要性を理解して修得していく・・・・・つまり、大人に成長をしていく・・・・しかし、現実は、9割以上の人が、これらの維持と修得に、何度もの挫折を経て無力感に染められていく・・・・

青年の固有の強さへの認識は、謂わば幻想の世界で守られた社会での認識であり、責任という負荷も少ない・・・・幻想の世界で感じる固有の強さでしかない・・・本当の固有の強さは、現実の恐怖感の醸成される中でしか正しくは認識できない側面を持つ・・・・・

また、三つめの知見としては、いわば、心の強さに関係する、Zest, Gratitude,Hope and Loveは幸福感に強く繋がっている。これらは、知的な強さでもあるCuriosityおよびLove of Learningより、幸福感に繋がっているのである・・・・・

ここで新しく登場した固有の強さ(CSV)の規定を追記する・・・・

Curiosity: 今経験していることの全てに興味を持てること・・・・・

Love of Learning: 新しいスキル、トッピックス そして、知識の本質をマスターすることを楽しめること・・・

Love: 他人との親密な関係性の理解に大きな価値を見出すことである・・・・・


つまり、人間の幸福感は、好奇心や学びの喜びという類の項目でなく、より情動的なZest, Gratitude,Hope,そしてLoveの影響が強いということでもある・・・・また、これらの心の強さが結果としての幸福感を映し出すのである・・・・しかし、もう一つのポイントとして、心の強さは、情動的な部分と知的活動の両方の相乗効果により生まれるのである・・・・・

Kozyは、この論文の中では、言葉の裏にある文化的な文脈の違いが原因だと推察するが、Hope=希望とは、稀なる望みという漢字で構成されており、維持することが出来る人は稀である望みという含意があり、セリグマンのHopeの規定は、東洋人から見ると本質を見逃していると危惧している・・・・・

また、もう一つの知見として、両親の人生の幸福感は、親の人生は全て知っているわけでもないのに、子どもの人生の幸福感に強く関わっている・・・・それだけ多くの日常生活を通じて、強い影響を受けるのである・・・・つまり、両親という文脈の呪縛から脱出できない(人が多い)・・・・・

Kozyは、ある年齢を超えてから、多くの自分固有の強さは、自分自身が物心がつく前に親父が海外に単身赴任して、そのまま両親が離婚をしてしまったので、通常は息子が故に、父親の影響を受けるのであるが、良くも悪くも、男性イデオロギーのまだ強い時期であったが故に、離婚を契機に、父親からの影響を受ける類の話は、自分で考え、自分で検証をして、自分で決めてきた・・・・・

ある意味では、大人への旅を、小学校の四年生から始めることが出来た・・・・正に、脳の発達の最後である25歳の15年ほど前からスタートを切ることが出来た・・・・確かに種々の嫌な思いもしたが、若いが故に適応能力・順応性が非常に大きかった・・・・実に善い時期に、父親の離婚のお蔭で、旅立ちを可能にしてくれた・・・・・

さて、今まで述べた知見は、“Positive Psychology Progress - Empirical Validation of Interventions” M.E. Seligman他、2005 American Psychologistよりの引用です。訳はKozyの翻訳であり、参考としてください・・・・

また、この論文には24種類の全てのCSVの規定が纏められているので、以前のBlogの訂正版として、別途、タイトルを変えて掲載します・・・・お待ち下さい・・・・

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September 12, 2007

組織体質改善の日本企業における最大の弊害は・・・・・・

サラリーマンの格言の中で、入社後三年間管理部門にいたものは営業では使いものにならない・・・・というのがある・・・・これは最新の脳科学の知見に符合することでもある・・・・・

新入社員は、今の様に大学院卒は殆どいない時代であり、22歳で就職をして、三年後とは25歳である・・・つまり、25歳で脳の発達が終了するが、その最終のメイン回路である、将来展望を考えてのリスク・マネジメントの回路の完成の仕方に、殆どの人間は大きくその後の人生が縛られるということである・・・・・

この点では、最近は大学院卒が増えてきているが、より適応し難い人たちを採用している側面がある・・・・

さて、管理部門と営業部門とは、言い換えるとライン部門とスタッフ部門ということになるが、石の上にも三年・・・という言葉がる様に三年間同じ部門の文脈の中に取り込まれていると、仕事に関する捉え方と取り組み方が、25歳前であるが故に、その後の仕事人生にまで多大な影響及ぼすのである・・・・・

Kozyは、営業部預かりとして、入社後6ヶ月間、販売経理、営業会計、国内および輸出入の受け渡しの基本のOJTを受けてから営業に移った。そして、営業とは結果だけが重視される部門であり、どんなに重要な開発営業をしていたとしても、結果が出るまで評価はされない・・・・そして、仕事が順調なときは、むしろ残業は不要であり、クレーム等の問題が起きた時が残業になる側面を持っている・・・・・

クレーム処理などは、相手があることが故に、説明等の対応で深夜まで仕事をしても、顧客の反応が来るまでは上手く言ってくれるのかは解らない・・・・いい返事がきてくれよと祈る気持ちで足を引きずり帰宅するのである・・・・この中で、自分で考え自分で判断して行動していくことが、顧客からの反応が悪い場合でも、自分で納得がし易いので、自己リスクをとることの重要性を学んでいく・・・・

そして、相手の価値観をどれだけ理解できるかが非常に大事であり、これは、試行錯誤の中で、また、仮説の設定と検証を通じて行って行くことの大事さを学ぶ・・・・・また、クレームは、顧客の価値観を知るには最高の機会であり、一般的に、クレームの素晴らしい解決は、その後の商売の飛躍的な発展に結びつく・・・・・このことを体得し、仕事の本質として捉えることが出来るようになる・・・・

つまり、営業部門では、思慮を重ねて思いつく中で一番善いと、つまり、より善いもの=The Betterを積み重ねていく、リスク・テイキングになれており、また、評価は結果が全ての加点法の側面を持っている・・・・

しかし、管理部門は、残業の多さが仕事の負荷を示す構造を持っており、仕事は遣ったとこまでは終了という側面を持っている・・・つまり、遣ったことが如何いう結果として出てくるかは、明白であり、遣り方も多くは洗練されており、そこにはベスト・プラクティスがほぼ確立されており、実績のある方法が重宝される構造を持っている・・・・・・・

また、この構造にも起因するが、やり方が確立した仕事でもあるが故に、評価は当然原点主義が支配的になり、これが仕事だとの幻想に縛られてしまう・・・・・・

一方、組織体質の改善は、非常に多次元であり動的なものであるが故に、普遍的な解は存在しない・・・常にバランスのコントロールが求められる・・・・残念ながら、日本社会では、教育界と産業界の交流は非常に少なく、産業界からは、本当に優秀な人材を産業界に送り共同研究をする風土はこれまでは殆どないのである・・・・・・教育界から産業界への優秀な人の転身も殆どない・・・

元々は、象牙の塔という言葉は、英語のIvory Towerという言葉の直訳であったが、日本の産業界では、学者さんとか先生とは、実学を理解できてないという意味での差別用語として使われており、日本での、特に社会科学関係の産学の本格的なコラボは、存在していないといってもよいであろう・・・・・・・

しかし、米国においては、プラグマティズム=実用主義、即ち、実学の科学的な研究を行う土壌があり、盛んな交流が行われており、大きな成果を挙げている・・・・・また、昨今のPCの発達とコストダウン、および、統計解析技術の発展は、解析のトップレベルの人に言わせると、もう全ての社会科学は自然科学の分野になった・・・・とまで言われるほど発達してきており、米国のSASの発展がそれを証明もしている・・・・

また、この統計解析の技術向上に伴い産業・組織心理学の分野も飛躍的に発達してきており、更に脳科学の分野では次々に新しい発見がなされてきており、学際研究の研究が産業界を巻き込み大きな発展を、米国では成し遂げている・・・・・しかし、残念ながら、日本と米国では社会的な文脈が異なる為に、米国の多くの知見はそのまま適用することは出来ないのである・・・・・

真に組織体質改善を望むのであれば、種々の最新の知見の勉強をし、日本および日本の組織固有の文脈という事実を掌握する・・・マーケッティングと同じく、層別をして事実を掌握して、組織固有の解を求める必要がある・・・・・・

つまり、実績のない新しい解を求める必要があり、この事は専門知識を必要とするが、米国系コンサルは米国での研究成果をベースにしており、そのままは適用できない・・・吟味して修正をする能力が企業には必要になる・・・・残念ながら、日系のコンサルには、これらの全ての知識と研究結果を持っているコンサルは存在しないのである・・・・・・・・

経営者の怠慢の問題はあるが、経営者とて全ての専門家になるには無理があり、少なくとも大企業では、戦略的に自前の専門家の育成が急務となってきている・・・・この専門家は、加点主義の評価で、且つ、試行錯誤、つまり、The Betterを繰り返し求めていく人が必要となっている・・・・・

このような状況下で、長年人事部門、または、管理部門で仕事をしてきた人達は、体質として保守的であり、実績主義であり、新規制のあることに取り組むことが必要であるにもかかわらず、取り組むことは出来ない・・・・・

体質改善は、人事とのコラボの必要な部分はあるので、人事部をスタッフ部門として持つ、新しいライン部門の設立なしには、また、そのキーマン達は、管理部門以外のその部門で実績を上げている人を登用することが必要になる・・・・・

そして、全ての関係の知見を理解して統計解析の最新の方法に熟知した人をアドバイザー、または、カウンセラーとして指導を仰ぎ、吸収していくことが必要になる・・・・Kozyは、このアドバイザー・カウンセラーの必要性を痛感して、その為の勉強と研究をしてきた・・・・・・・

この上述した趣旨は、ある大企業の元人事部長の退職の挨拶で述べられていた本質を噛み砕いたものである・・・・・・

Kozyの意見としては、日本の産業界が、正しい時代認識が出来ていれば、優秀な大学とのコラボをする為に、れるをなして多くの企業の人間が訪問すべき時代だと思っている・・・・ノーベル賞の多くの受賞者を輩出している、サンタフェ研究所は、複雑系の科学のメッカであるが、その中心が最新のコンピューター解析であり、Kozyと同じ時代認識に基づき行動している・・・・・

日本の産業界は、このままでは経営手法で米国に大きな差をつけられると危惧している・・・・産業界に警鐘をならしたい・・・・

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August 19, 2007

Critical Thinkingの本質???・・・

Critical Thinkingという言葉がよく使われるが、これは仕事での問題解決思考として重要であるだけでなく、人生において葛藤に襲われたときに、また、如何したら良いか解らなくなったときに、正に必要な思考方法でもある・・・・

これは、Kozyの呼ぶ第三の目の最重要機能であるが、自分の視点の第一の目と相手・社会の目である第二の目が十分に発達していない内は、当然、本人がThe Bestという解は見つけられない・・・・必要なのは、その時点時点で思いつく解の中で、The Better=より善いと思える解を実行してみることが大事になる・・・・・

論理的には広く深くより多くの経験を通じた実学の修得をもって人間は成長していく・・・・・不幸への道の典型的なパターンは、理想を求める=The Bestを求めて、限定された知識と経験によりシュミレーションを頭の中で行なって、理想という至福の心地よさを求められないと判断をして、何も行動を起こさない・・・・・そして、時だけが、冷酷に過ぎていく・・・・・・

人間の脳は、ある意味では発達しすぎており、それまでの経験と机上の知識で自分で経験を通じて納得したものに縛られて考えている=シュミレーションをしているに過ぎない・・・・・また、自分の経験および経験を通じて納得しているということは、自分にとって都合の善いものの見方と捉え方をしている・・・・

つまり、シュミレーション自体が、個人のバイアスが入り正しく出来ないのが人間なのである・・・・・

この最大の要因は、自分にとっての不安であり、嫌悪感であり、それらは自分にとっての恐怖の対象からの回避思考でしかない・・・・

まず、The Best=理想に囚われてはいけない・・・なんとなれば、成長することは、如何にThe Best=理想に近づけるかということであり、凡人である我々には、その時々の想定されるより良い解でかつ、自分が出来ることを繰り返していけばよいのです・・・・・

そして、出来ることに取り組んでみると、また異なるものが見えてくる・・・・そして、更に良い解が見つかればそれを実行すれば善いのである・・・・微積分の様に、この積み重ねる行動様式を身につけることが、現実としてのThe Bestなのです・・・・

これが、Kozyの言うところの“The Better is The Best”なのです・・・58歳になるKozyでもThe Bestを確信できない・・・しかし、The Betterとしてのより善いか否かは確認できる・・・・・この為に、前頭葉を人間は進化させた・・・・この背景には人間社会においては普遍なものはない・・・社会は力動的で常に変化しているのです・・・・社会の構成要因である人間の多数派は成長できていない人が構成員であり、誰がどの様な決断をするかしないかは、偶然のなせる業でしかない・・・・しかし、時間はかかるが収束すべき方向には収束していく・・・・・

先ずは人間の構造的な問題を真摯に受け入れて、Critical Thinkingを掘り下げると、Criticalとは、Criticの形容詞であるが、これは、原義としては、境界線にあるものがどちらに属するか見分けることである・・・・

つまり、何はどのシステムに属するのか否かを考え、物事をシステマティックに捉えることが前提になる。・・・その為には、構造化して捉えことと同じことになる・・・

構造化には次の5ステップが必要になる・・・・

1.事実の収集 

現場主義という言葉が日本では多用されているが、Fact-Figure-upと米国では以前から呼ばれることが多い・・・・しかし、人間の脳の構造的問題もあり、事実は見えがたいものである・・・・特に調査票を用いる場合は、どのような質問を作成するかが鍵になり、実際は次のグルーピングにて述べる如何なるパラダイムを適用するかに依存してくる・・・・一番難しいとも言いえる・・・・

個人の問題に特化して言うと、自分の視点である第一の目として、自分自身をありのままに受け入れる・・・即ち、自分の弱さ、醜さ、悪さ等を如何に正しく且つ強く受け入れるか・・・・これは、自分にとっての恐怖感の対照として、何が、その序列はどうなっているのか、その判断基準は本当に正しいのか・・・・・ここまでの掘り下げ画で規定ないと、第一の目は本来は機能しないのである・・・・・

第一の目がバイアスに縛られていては、当然第二の目は正しくは機能しないのである・・・・・つまり、事実の収集と簡単に言っているが、現実である事実を知ることは、厳密には理想でしかないのである・・・・・出来ることは、今やれることでより善い解を求め続けるだけなのである・・・・この覚悟は生きる上で一番大事なことである・・・・・これが忍耐力であり、胆力の本質でもある・・・・・

2.グルーピング 

グルーピングは、言葉は簡単に聞こえるが、如何なるパラダイムにて捉えるべきか・・・・パラダイムとは何々を判断基準として捉え、また、種々の判断基準の優先順位をつけることでもある・・・・・・実はこれが一番大事であり、ここで経験と実学による洞察力が必要になる・・・・

同様に個人の問題に特化して掘り下げると、所詮は収集された事実は不完全であるが、このことを踏まえて、どの様な次元とも呼ぶべきパラダイム、即ち、システムに組み込まれているが、また、この様な次元がどの様に何処で異なる次元と繋がっているかの仮設を設定することは可能なのである・・・・

しかし、経験が少ないという若さは、より多いバイアスを持っていることであり、正しくは捉えられないのは致し方ないのである・・・・だから、自分で理解できる範囲でより相応しいと思う自分の判断基準でグルーピングをすれば善いのである・・・・

3.事実よりのメッセージの抽出

多くのメッセイジが事実より汲み取れるが、この時にも、最初に決めたパラダイムに縛られすぎるとメッセイジを見逃すように脳は出来ているので白紙の気持ちで読み取るのが大事になる・・・・・

4.メッセージの裏にある文脈と構成概念の整理

多くのメッセイジが何は独立している、または、何と何がどのような影響関係にあるのか、本来はここで因果関係を掴みたい所であるが、多次元で力動的な関係が集団の中にはあり、見るべきは、影響を与えている文脈の確認が大事になる・・・・つまり、因果関係の断定を行なわずに、また、実際は因果関係は、たとえ統計解析をしても非常に弱くしか出ないが、相関関係は強く出てくるので、相関関係を整理する事が大事である・・・・

個人の問題解決として掘り下げると、第一の目と第二の目を屈指して、何と何は相関関係があるのかを判断すれば善いのである・・・因果をハッキリ求めるのは、人間の曖昧さに耐えられない弱さのもたらすものであり、The Better=理想を求めるという人生の罠に陥ることでしかない・・・・・

5.因果関係の仮説の設定と検証

複雑に絡み合う相関関係のあるメッセイジ・文脈から、因果関係の仮説の設定を行なう・・・・ここでは、最新の脳科学と心理学の知見および経験と実学による総合的な洞察力が必要になる・・・・一番効果があるのは何かを見極める為には、検証をするしかない・・・・・

Critical Thinkingとしては、ここまでであるが、ここまでで整理できたことを、仮説として検証をして見ること・・・違っていれば、もう一度考え直せば善いのである・・・・そして、社会は常に変化していくことより、たとえ検証できたものであっても、それらの判断基準を確りと頭の中に残して、時代の変化の中でそれらの判断基準に変化がないかを見続けていくことにより、更なる深い気付きや、時代の変化の胎動を人より早く感じ取ることが出来る・・・・・・

企業においては、モニタリング・システムまで構築することにより、一時的打開策ではなく、変化を先取りして変化に対応できる素晴らしい学習する変化への対応が取れる組織の維持が可能になるのである・・・・・・

自己変革および企業体質変革も、如何に現実を正しく知ることが出来るかに依存する・・・・現実を正しく知り、その現実に基づき、常に再学習をすることが一番大事になるが、この為には“Unlearning”つまり、それまで学習したことの棄却があって初めて出来ることなのです・・・残念ながら人間には、これは困難なことが故に、自己変革および企業体質変革が上手く機能しない・・・・・・

Unlearningとは、ある意味ではそれまでの常識の棄却でもあるのです・・・・これを集団の圧力が抹殺しようとします・・・・しかし、変化を感じる最先端にいる人が、即ち現場の人が最初に変化の胎動を感じて、それまでの常識を否定する発言をするのです・・・・

この発言を抹殺しない為に、個人においても組織においてもポジティブ言動を汲み上げ、ポジティブに評価していく、ポジティブな個人においては性格特性を醸成させる。組織においてはトップがポジティブな言動を繰り返し、ポジティブな評価システムの構築が必要になる・・・・・・

もっとシンプル化すると、“やってみる”事を重視する・・・・これが根幹だと思います・・・・・

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August 07, 2007

「平凡こそ非凡なり」と真のリーダー像への考察・・・・

安倍首相の続投とその後を見ていると、芦屋に住んでいたときの、ボンボンを思い出す・・・・つまり、周りに常に支えられているが故に、現実の空気が読めないのである・・・・また、現実に対峙する前に、問題は周りの人により取り払われているので、常に、楽観主義に陥るのである・・・・・

また、仕事で何々首相のご子息で、東大の法学部を何番で卒業して入社されているという人たちにも会ったが、そういう人は、むしろ学生時代に、東大生自体がプライドが高い人が多く、彼らに良くも悪くもある種のいじめを受けたりして、その反動として、くそ生意気な人が生まれやすい・・・

安倍首相は、東大でもなく、小沢および小泉御両名が卒業した、慶応でもなく、成蹊大学卒である・・・・成蹊大学は三菱大学とも呼ばれることがあり、土佐、薩摩、長州などの政府の要職につく武家の子弟のいく大学としての歴史があり、岸前首相の孫であれば、血統が大事であるが故に、大学においても、周りに支えられていたと想定される・・・・・

また、安倍首相は、川重に就職されたが、ここでも現実との対峙の機会はなかったであろうと想定される・・・・・ただただ、周りが支えてきた・・・

当然、苦言を呈する友人などもいなかったのではないかと危惧する・・・・・つまり、真に信頼できる友人とはを学ぶ機会がなかったのではないだろうか・・・・・安倍首相の対応を見ていると、確信を持って言いえるのは、Kozyだけではないだろう・・・・

政界に入ってからも、昭和の妖怪といわれた岸さんのお孫であり、安倍晋太郎氏のご子息であり、昭和の妖怪と呼ばれる所以は、おそらく、裏社会にも通じている・・・・下手にはむかうと暗殺されるという意味が含まれていたと推測される・・・・この意味では、安倍首相はプリンスの中のプリンスであり、利用しようとした悪いやつらが、当然、アプローチをしたと考えるのが自然ではないだろうか・・・・・

20歳を過ぎると、人間は自分の顔に責任を持つ必要があるが、常識的に見て、あんな悪党顔のやつは選ばないという人をお友達内閣として選んでいる・・・・・政治と金の権化のような人をいっぱい選んでしまったので、当然の帰結として、問題が次から次と出てきた・・・・

また、安倍首相の顔を見るに、これだけ守られて育った人は少ないが故に、確かに人を疑うことも知らない、人のよさが伺い取れる・・・また、お金には不自由しないので、大義および正論重視の姿勢もうかがい取れる・・・・・しかし、人を見る目の教育は一切受けていないのではないだろうか・・・

日本の国民が十分に成長していて、経済的にも安定しているときには、悪人もいなくなるので、安倍首相は一番の適性を持っている・・・しかし、人類の歴史を見るに、その様な時代は論理的に来ることはありえない・・・・・・

この様に考えると、個人的にはカミュの“平凡こそ非凡なり”と言う言葉を思い出してしまう・・・・・・・安倍首相は平凡から最も離れたところで成長した人であり、日本のトップオブトップスとしての首相には最も適さない人である・・・・・・

先週の日曜日に日経に連載されていた“世界を創った男・・・チンギス・ハン”が終了したが、ふと頭に浮んだのは、徳川家康とチンギス・ハンはよく似た人生を送っていると痛感した・・・・安倍首相は、まさに、対極にある人生であり、この様な人には日本国のリーダーは任せられない・・・・・・・・

少し前にポスとしたが、“泥中の蓮”の本当の含意は、どろどろの汚れきった社会を体験することにより、蓮のような真っ白な心と崇高な理想が生まれる・・・・そして、その目標へ向けた実行力が熟成される、・・・・徳川家康は戦国時代の下克上の人間の汚さを熟知して200年以上の太平の江戸時代の礎を作った・・・・・

そして、チンギス・ハンは、“人間に差別なし、地上に境界なし”のビジョンの下に、大モンゴル帝国を構築する礎を作った・・・そして、道士の長春真人にあてた手紙にて、自身の自己分析として・・・・・・・

「朕には、特に際立った資質が備わっていない。朕が勝てたのは、朕の武勇が優れていたのではなく、敵の能力が足りなかったからだ。天は、我が周辺の富み栄えた国々を、傲慢と奢侈(しゃし)の故に罰した。朕は今も、馬飼いや牛飼いと同じものを着、同じものを食べている。我が君臣は労苦を伴にして、富と栄を共有している。朕が贅沢を憎み、節制を旨としている」

そして、こうも言っている・・・「朕は臣下の者を我が子の様に扱おうと努めている。才あるものは氏族身分に関わりなく兄弟の様に遇した。朕と臣下は原則において一致し、愛情によって結ばれていた」・・・・・・これは、チンギす・ハンが若い時に逆境の中でたどり着いた人生哲学であり・・・・また、世界史上の最大の帝国を築いたチンギス・ハンのお墓にも現れている・・・・・・

チンギス・ハンのお墓は、故郷の近くにただ深い穴を掘りそこに埋めて、その後を大量の馬で踏み固めただけで墓標すらないのである・・・・・・息子達および臣下たちが、これこそがチンギス・ハンの望みだと理解してこの様な埋葬をしたと思われる・・・・・

ここまでの素晴らしいリーダーシップを望むのは酷であるが、あまりにも安倍首相は血筋はよくてもリーダーになるには育ちが悪すぎる・・・・・

平凡を知ることは非常に大事なことであり、平凡を知って、初めて空気が読める(=KY)になれるのであり、リーダーの必須の条件である・・・・そして、泥中での生活経験を通じて、蓮のような清廉なビジョンと実行力を供える・・・・・この様な人が発言を許される言葉が、「美しい日本」なのである・・・・そして、「戦後レジームの改正」なのである・・・・

ふと考えると、平和な時代で育った人達には、この資格を持つことは至難の業である・・・・・・・・・・・・・

また、産業界の泥中の十分な経験を持たない、教育界や、コンサルタント、および、学者の類の意見も同じことが言いえる・・・・また、米国の平凡と日本の平凡は異なるのである・・・・踊らされないで欲しい・・・・・

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August 01, 2007

動機でなく動因に注視・・・・自分の恐怖感を整理しよう・・・・

先日、成功回避動機についてアップロードしたが、行動変容する、つまり、変わりたい=成長したいということと、行動に移すことは、分けて考えるべきだと捉えているので少し説明をしたい・・・・・

動機とは、行動に移らせる為の要因と規定できるが、成功回避動機とは、逆であり、行動に移らせない為の動機であり、要因にもプラスとマイナスがあることを先ず理解して欲しい・・・・・

そして、動機としては、生得的な一次欲求と社会的学習の結果としての二次欲求がある・・・・・・・また、英語では“Driver”と呼ぶが、日本語では動因と訳されているものがある・・・・つまり、動機の原因になるもの・・・・・・・・参考まで、欧米では既に、Motivation よりもDriverを多く使っています・・・・・

ごく一般的には,行動は,本人が何らかの要求(欲求)をもち,同時に要求の対象(誘因)が存在する時に生起すると考えられている。・・・・さらに,要求と誘因が出会うことによって生じ,行動の直接的な推進力となる動因の概念もこの過程に加えられることがある。・・・・・

動機づけの概念は,これら行動の発現と維持にかかわるすべての要因を含んだものとも考えられる。しかしながら,動機づけ概念の捉え方は,各研究パラダイムによって異なり,確定的なものはない。・・・・パラダイムとは、何を拠り所としてどの様に捉えるかということである・・・・

多くの人が動機付けについて述べているが、この動機付けという言葉の規定の統一さえなされていない言葉なのである・・・・・・

しかし、その中でも、認知的動機づけ理論と呼ばれるものがあり、人間は、生得的ないし生理学的な過程とはなかば独立に,人間の認知機能が行動を発現させる原因になるという立場のものがある。・・・・・

この中で、以前も紹介したが、行動は目標達成への期待と目標の価値(誘因価)との関数であると仮定するJ. W. アトキンソンらの期待 = 価値理論と,入力された刺激と何らかの内的な基準とのずれが行動を発現させるというバーラインらの認知論的な内発的動機づけ理論,あるいはTOTE単位の理論を発展させたパワーズ(Powers, W. T.1973)らのコントロール理論、・・・・・・

そして、もう一つ、 産業場面での研究によって提唱されたヴルーム(Vroom, V. H.1964)の動機づけ理論。期待 = 価値理論の一種でもあるが、ある行為に随伴する産出(outcome)によって他の何らかの産出が得られるか否かについての期待が,行動を動機づける重要な要因となることを強調している。例えば、給与が増えるとか、周りに評価されるとか等の,ある行為の産出は他の産出を得るための手段(道具)となる・・・・

難しいことはさておいて、アトキンソンの期待 = 価値理論とヴルームの別名、道具性理論との二つを比較すると、面白い違いがある・・・・・

つまり、アトキンソンの理論は、達成したい動機が一定で在れば、成功確率が半々のときに行動がおきやすくなる・・・・一方、ヴルームの理論では、成功するとの主観的な成功確率に対する認知が高いほど、行動がおきやすい・・・・・これは何を意味するのか???・・・・

アトキンソンの理論は行動そのものが困難であるほどやりがいを感じることを示しており、ヴルームの理論は行動の結果得られるものが大きいほど、やる気が沸いてくる・・・・・・ある意味では、アトキンソンの理論はバーラインの言うとこの、内発的動機付け理論に通じるものがある・・・・

ここでKozyの見解、つまり、仮説としては、最近の脳科学の知見では、理性的な思考だけでは行動に移せなくて、情動と合致しないと行動に移せいないことより判断するに、二次的な欲求は、すべて、一次的な生得的欲求が根本にあり、また、一次的欲求の中で一番強い影響力を持つものが恐怖感であり、恐怖感は自分を取り巻く文脈により起動されるものであり、如何なる動機付け理論も、文脈への介入がない限り無力でしかない・・・・・これはむしろ自然科学で確認されていることでもあり、確信に近い強い仮説としてKozyは捉えている・・・・・

アトキンソン氏は会ったことがないので断言は出来ないが、現実および恐怖と対峙することの出来る、ポジティブな人であろうと推察します・・・Kozy苑でも言った気がするが、自分自身でも“周りが不可能というから、自分の出番である”・・・・・

つまり、Kozyはこの様な困難の極みのような課題に取り組むときはワクワクするのである・・・・そして、それに取り組む自分を誇らしく思うのである・・・・・・

とにかく仮説を設定して、検証をしてだめなら、また、そこから仮説を設定して検証をすることを繰り返す・・・・そして、不可能と思われたことが可能になることに至福の喜びを覚える・・・・なんとなれば、自分がまた成長できたことを実感できるからなのである・・・・個人的にはアトキンソンの理論は非常によく理解できる・・・・・

また、セリグマンの学習無力感の研究の示唆するように、8割ぐらいの成功率での計画の立案は産業界においては非常に大事であり、失敗の連続では仕事は続かない・・・・この点では、ヴルームの理論もよく理解できる・・・・

今回、皆さんに申し上げたいのは、行動に随伴する報酬が目的の行動なのか、または、行動そのものが目的の、行動なのか・・・・行動に移したいと考えるときには、どちらなのか、ハッキリ整理することが大事なのです・・・・

どちらの場合も一番大事なのは、自分自身にとって一番の恐怖感は何なのか・・・・このことを自分自身を直視して、恐怖感の序列を確りと掴むことが大事になる・・・・これが出来ると、The Better than The Worstとして、最悪の恐怖感を避ける為には、その次とか、それより小さい恐怖感は、最大の恐怖感を避けるという一次的な欲求の強力なるエネルギーを利用して乗り越えられるのです・・・・・

そして、ヴルームの理論の場合は、Kozyの言っている第三の目の知的思考力を発揮すると、より多くの報酬が隠されていることが理解できるようになる・・・つまり、一石二鳥どころでなく、一石何鳥にもなるのです・・・・・・

また、人事および組織論で考える場合は、不必要な恐怖感を起動するものは何なのかを、詳細説明は既に何度もアップロードしているので省くが、Kozyの開発した方法で洗い出して、その文脈への介入が絶対的に必要になる・・・・動機付け理論だけでは機能しないのである・・・・

念の為ですが、上述したことは本では学べません、より深く、より広い経験を通じた実学が必要になります・・・・焦らないで下さい・・・・しかし、問い続けてください・・・そして、新しい経験、嫌な経験は躊躇せずに取り組んでください・・・・自分が、また、社会がよく見えてきます・・・・・・

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July 25, 2007

もう目を背けるのはやめよう・・・苦悩だけが人を成長させる!!!

いまでもKozyが大学院で、グループ・ダイナミックスの講義を受けたときを思い出すことがある、それは、“苦悩しか人を成長させない”という、長年かけてたどり着いた、ビヨンの定理である・・・・・このことを教授が伝えると、すぐある大学院生が、それとは異なる理論は、または、それを否定する理論は無いのですか?・・・・と質問した・・・・

教授は答えていった・・・・君たちが期待することはわかるが、これを否定する理論はない・・・・Kozy一人だけ、その通りだと頷いていたが、他の誰もがうな垂れていた・・・・・・

グループ・ダイナミックスは、臨床心理学を学ぶ人の必須科目でもあり、まさに、個人と集団のダイナミックスを取り扱ったものであり、心理カウンセリングを体系的に学ぶ場合には欠かせないものである・・・・・

しかし、世に出て、心理カウンセリングおよび個人と集団の権化のような人間関係の縮図でもある産業・組織心理学の専門家という人たちで、この当たり前の真理を口にする人は少ない・・・・大学院の授業においても、Kozyを除いて、他の人には信じたくないことであり、彼ら自身にとっても、正に目を向けたくない、“不都合な事実”なのである・・・・

この様な人たちが、専門家として説く理論などは、こうあって欲しいという希望的意見、または、机上の空論でしかない・・・・自分で見たくない事実は、本人認識の中で抹殺される・・・・これが、人間の脳の構造的問題なのでもある・・・・・

しかし、Kozyは、多くの所謂大人は、この事実・・・“苦悩しか人成長させない”・・・ことを、経験を通じてむしろ体感している・・・・心理学では、成功回避動機というのがある・・・・これは、かっては、女性の特性の様に言われていたが、決して女性特有のものではない・・・・ここには性差はないのが現在では通説になっている・・・・・

カウンセリングをしていると、この成功回避動機に縛られていて、“解っているが、したくない”・・・・という典型的な発言にて表出されてくる・・・・

つまり、自己成長をしたいといっているが、そのこと自体が苦悩と対峙して乗り越えなくてはいけないことを確りと理解しているから、“やりたくない”ということになるのである・・・・・

また、悪者ほどこの心理状態を利用する・・・・つまり、“楽して”とか“夢の力”とか“好きなことで”・・・等々で成長しようとか、乗り越えようとかを強調する・・・・・これは、詐欺行為でしかない・・・・

残念ながら、マスコミは本来は事実を伝える義務があるが、売れないと商売にならない・・・また、読者が喜んで読んでくれることばかりに、フォーカスする構造的問題があり、そのマスコミが、社会的文脈に一番影響力を持つが故に、まさに、間違ったことが多数派を形成してしまう・・・・これが社会の構造的な問題でもある・・・・・

経営においても同じ構造的な問題が存在する・・・・企業経営と自己経営とは、正に同じ構造的問題を含んでいる・・・・株式投資も同じ問題を含んでいる・・・・・

このBlogを、幸いに訪問した人達には、声を大にして申し上げたい・・・・・

苦悩を誘導する恐怖感に目を背けていては、何時までも苦悩からは開放されないのです・・・

そして、歳を取ればとるほど、苦悩に対峙するのが困難になるばかりか、より多くの経験を通じてより多くの苦悩が見えてくるようになり、ストレスばかりの人生になっていくのです・・・・これが、人生の蟻地獄の構図なのです・・・・・

苦悩こそが、人間の苦悩からの解放へ導いてくれる・・・・・人間の人間たる所以は、動物にはこの様な脳の構造的問題はありませんが、人間が獲得した脳の構造はこの様な矛盾を乗り越えることにより、より高度な進化を可能にしてきているのです・・・・・・

また、人間が構築した複雑な社会は、矛盾に満ちています・・・・それが故に、人間は中庸を探し出す能力が要求される・・・つまり、その都度の状況において、バランスを見て判断をすることが求められている・・・・他の動物には、Yes or No の判断しか出来ないことです・・・・・

苦悩は、人間である証でもあり、苦悩に対峙して乗り越えることにより、25歳に完成されたRisk Mnangement回路へのあるべき修正がなされる・・・これが未熟な人間から熟成した=自己実現がなされることなのです・・・・・・

特に女性に申し上げたいのは、男性の八倍の観察力をもつ女性は、男性の何倍かの恐怖か見えるとKozyは捉えております・・・男女の性差はこの点に起因すると考えられます・・・・成功回避動機は、確かに女性の方が強いと考えられます・・・・・

しかし、生きる強さは女性の方が強いのです・・・・俗にいう所の腹をくくるという点では男性よりも胆力があるのです・・・・痛みに耐ええる強さを持っている・・・

最初は男性よりも辛いかもしれませんが、この胆力が人間の持つ才能である“慣れ”のスピードを速めると捉えています・・・・慣れるとそれまで見えなかったものが見えてきます・・・・・是非立ち向かってください・・・・・真の幸福へのこれが本当の近道なのです・・・・・

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July 22, 2007

自己成長の戦略を真摯に考えよう・・・・

実は、カウンセリングの依頼を受けた方には、自己成長の為の“Marketing Chart on yourself”というものをお渡ししています・・・・

大きく分けると、Marketing Management(副題:正しく自己受容できていますか???)・・・・とMarketing Strategyと二つに分けています・・・・このMarketing Strategyの副題は、頭領運 or 参謀運・・・・としています・・・・・

自己成長のゴールをどちらにするのかということです・・・・最近のリーダー教育、また、エリート選抜教育を見ていると、矛盾を禁じえません・・・また、資格を取ったり、スキルを磨く教育も然りです・・・・・

参謀運、参謀向きの人と、頭領運、頭領向きの人に、人間は大きく分けると二つに分かれるのです・・・・

勇気と無謀は全く異なることは、皆さんお解かりだと思いますが、勇気とは、胆力と言い換えてもよいでしょう、危険を熟知して立ち向かうのが勇気であり、胆力なのです・・・・無謀というのは危険が十分認識されていない行動を無謀というのです・・・・・・

ご存命の中での日本の誇る銘経営者と言えば、誰もがその中に、信越化学の前会長である“金川千尋”をあげられると思います・・・以前、金川さんの日経に掲載された、私の履歴書にて、次のようなことを言われている・・・・

社長としての私の仕事は、社員に仕事のチャンスを与え、自ら伸びる人間を見つけることだ・・・・将来の社長候補だからといって、勉強のためにあれこれとポストを準備するようなことはしない。誰かに育ててもらうようなひ弱いことでは、社長など務まらない・・・・・・

参謀運とは、一言でいうと、まさに、“ひ弱な人”なのです・・・・また、言い換えるとネガティブ思考の得意な人とも言いえるでしょう・・・・・

頭領運とは、危険を十分予知できるネガティブ思考能力を持ち、その現実の中でそれらのリスクを踏まえて、ポジティブに思考能力を発揮して、決断と行動を出来る人です・・・・・だから、誰かに育ててもらうのではなく、どんな逆境にも動ぜずに、自発的に自分を磨いていく人なのです・・・

だいぶ前にリーダーに一番求められるのは、胆力であるとポストとしたことがありますが、この能力は大企業でいえば、正に入社後三年で、胆力による差がついてしまうのです・・・・この差を埋めることは、ある意味ではより強い胆力が必要であり、より難しいことである・・・・

この胆力は若いときにどれだけ苦労し、その中で養われるものであり、人生で、この事がその後の人生に大きく影響するので、だから、先人は“若い時の苦労は買ってでもしろ”との言葉が伝承されている・・・・また、それが故に、“逆境が人を育てる”といわれている・・・・

今の社会の風潮および多くの企業の人事の対応を見ていると、参謀は多く揃っても頭領は育たないと危惧する・・・また、参謀は気弱な本質を持っているので、頭領運の人に対して排斥をすることも危惧する・・・・

この様な参謀ばかりが揃うと、正に“船頭多くして、船山登る”の様に暗礁に乗り上げてしまうのではないだろうか・・・・

自己成長を考えるときは、自分自身をよく見つめて、頭領運を目指すのか、それとも、参謀運を目指すのかを冷静に決断する必要がある・・・しかし、参謀運を目指すとしても、頭領運の人の足を引っ張らない・・・

また、自分にとっての頭領は誰かを見極め、参謀はよき頭領と一緒ではじめて実力を発揮できることを肝に銘じて欲しい・・・・・

金川さんは、社長としての仕事として、私の仕事は、会社を優良企業にするための方法を「考える」ことであり、考えるための時間と場所は選ばない・・・・とも言っておられるが、この「考える」とは、まさに、ネガティブ思考とポジティブ思考を交互にSwitch-wellすることであり、このこと自体が胆力を要する・・・・

胆力とは、同時に現実の直視であり、そこにある恐怖への対峙能力である・・・・念の為であるが、頭領運を目指すにも参謀運を目指すとしてもコミュニケーションおよび説得能力は必須であり、この為には、言動の一貫性が保たれていないといくらスキルを屈指しても無駄なのである・・・

そして、実学の修得が絶対条件である・・・念の為だが、実学とは、現実の問題に直面したときに、それまで学習したものを棄却して、現実に即して、検証を通じて、再学習されたものである・・・実は、ここでも胆力がいるが、この胆力よりも、経営判断としての危険を熟知して決断と行動をする胆力に較べると小さなものなのである・・・・

また、異なる言い方をすると、見えるところを磨くのが参謀運であり、見えないとこも磨くのが頭領運でもある・・・・資格に頼る人は、参謀を目指すしかなく、自分を活かしてくれる頭領を見極める能力が必要になる・・・・・

さて、皆さんは、頭領運をお持ちですか???・・・・!!!・・・・

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July 07, 2007

来年正社員になる人達へのアドバイス・・・

来年より入社する、正社員としての内定者の方へ、内定おめでとうございます。そして、より自己成長しにくい環境への参入、御愁傷様ですと申し上げたい・・・・・・

サラリーマンの経験則としての格言として、・・・・・就職バブル期または、好況期に入社した人間は伸びないというのがある・・・・この点では、より強く自己を律して、想定される以下の問題に対して、深い理解をして、自己を律して生きていく必要がある・・・・・しかし、この事は、格言が示すように容易いことではない・・・・・・・

サラリーマン格言には、もう一つ留意して欲しいのが、・・・三日、三ヶ月、三年・・・・というのがある・・・・・先ずは、この格言の意味を説明しながら、容易に入社できた人たちが乗り超えなくてはいけない点にふれたい・・・・・・

三日とは出社して三日、および、職場に配属されて三日間という意味であり、この三日間とは、生活のリズムを変えてなじむまでの時間ということである・・・・つまり、学生時代の自由で、ある意味では怠惰な生活から、満員電車に乗り朝早く起きて通勤するという、敢ていうと、自分のそれまでの怠惰性をすっきり切り替えることが出来るか・・・・が観察される・・・・・

この切り替えには、言葉遣いや、異なる価値観を持つ組織の諸先輩との交流に積極的にかかわることが出来るか・・・・・つまり、会社に如何関わっていくかの覚悟が現れるものであり、この覚悟が観察される・・・・・・

ここでの覚悟の度合いが新入社員としての第一印象の形成に大きく影響をする・・・・配属されたどの職場も、先輩達は少なくとも9時から5時までの時間を要する仕事という負荷を負っており、その負荷の中で新入社員に教える時間を割くのである・・・・

また、一般論として、人が足りないゆえ、新入社員を迎えるわけであり、新入社員を迎える部署は他の部署より仕事の負荷が多い・・・・・好景気の証でもある・・・・このような好景気の時には、誰でも仕事の負荷が高いゆえ、指導する時間を取れない言い訳が成り立つのである・・・・

一方、不景気のときは、即戦力で例えば営業に放り込むのでなく、管理部門で企業のメカニズムをよく教えて、教育に時間を割いていること自体が仕事として評価される・・・・

好景気のときは、忙しすぎて教える時間がとり難いのである・・・・・こういうときに誰も指導してくれないと、入社前に金の卵的に扱われた人は、自分勝手の罠に陥る・・・・何々がわかりません、時間が余裕が出来たときに教えてくださいとメモを書き、相手の時間の都合を優先する・・・・ここまでの姿勢があって、先輩は反省をして教えてくれる時間を作ってくれる・・・・・・・

つまり、この三日間で働く覚悟と相手の視点で、どれだけものごとが見れるかが観察される・・・・不況期の新入社員は、採用して頂いただけで恩の字であるという姿勢がある為に働くことに前向きになりやすく、更に教える先輩にも時間的余裕がある・・・・・

この三日間の姿勢が悪いと教える気にならない・・・・・教えてくれない先輩が悪いのではなく新入社員の姿勢が悪いのである・・・・

さて、職場に配置後三ヶ月とは、最初の三日間で第一印象を植え付けるが、そこでたとえ悪い印象を与えても、自己反省がすぐ出来る人は、リカバリーが出来る・・・・そして、この三ヶ月では仕事への取り組み姿勢が、つまり、仕事へのやる気だけでなくどの様に効率的に理解できる術を知っているかが、また、仕事への責任感の強さが観察されるのである・・・・・・

仕事は三ヶ月もすれば、仕事の流れ、何がポイントになるか等々の理解が出来、だいたいこなせる様になるのである・・・・・・・しかし、初めてのことに多く直面をするし、わからない中で学んでいくことは不安を醸成して、嫌になることもある・・・・

ここで同時に観察されるのは、経験を通じて学んでいく姿勢の確立と、その忍耐力でもあるのです・・・・

就職バブルのときに採用された人は、この時に、こんな仕事は自分の期待していたものと違う・・・そして、別の会社に何時でもいけると思い、やる気をなくしてしまう・・・・また、管理職を見ていると、何十年後は、成れの果てとして、ああなるのかと思い、会社への希望までなくしてしまう・・・ここから転職に希望を見出そうと考え始める・・・・・・

しかし、仕事の面白みは深く広く経験しないと理解が出来ないのである・・・また、サラリーマン格言に、・・・会社は選べても上司は選べない・・・・というのがある・・・・・そして、転職をすぐ考えるような仕事への姿勢では、学べるものの半分も学ぶことは出来ないのである・・・・・

自分のお父さんの人生を良く見て欲しい・・・・家庭を持ち、子どもを持つことは、仕事以外にも大きな責任を背負っているのである・・・・この責任が人を成長させるのであるが、責任に潰されるのが普通の人たちといわれる多数派なのである・・・・・

自分らしく生き続ける事は、大変な努力と胆力が必要なのである・・・・・・つまり、権利と義務の関係でもあるのです・・・これが自由主義の本質でもあるのです・・・・・

三ヶ月の間に、上述したようなことが周りにより観察されるのである・・・・周りの本人に対する言動は、本人が普段の言動により、周りに与えたイメージに基づくのである・・・・・敵は周りではなく自分なのです・・・・・・・

さて、最後の三年間とは、どれだけ仕事に対して、上手く早く理解する能力が観察されるだけでなく、経験より学ぶ姿勢をどれだけ維持して、より広く且つ深く仕事を掘り下げて理解していくのか、実は、この経験を通じて仕事への興味が増すのであり、また、必死に仕事を取り組んでみることにより、自分のやりたいことが解ってくるのである・・・・・

つまり、それまで仕事を深く関わり理解していない大学生には、本当に自分の好きな仕事というのは、理解できないのが当たり前なのです・・・・・・・

この三年で多くの企業は正式に評価を始める・・・つまり、ここまでは待ってくれる・・・しかし、この最初の評価は、総じて一生の評価につながる・・・・・・同期の多数派の人の考えに流されない覚悟が必要です・・・・・

企業には面白いように、不作の何年入社、豊作の何年入社というのが歴然と存在します・・・・・・

そして、21世紀に求められる社員とは、単純な仕事は、アウトソーシング、専門的な仕事も、専門家がいつもいるのであれば、内部で育てるが、そうでなければ、委託することになる・・・・・そして、時代の変化のスピードは非常に速くなっており、工場労働者だけでなくホワイトカラーも、多能化が要求され、全体を通じたシステマティっクな理解力も要求される・・・・・・

社内外のコミュニケーション能力、そして、社内外との折衝能力が求められる・・・・社内に関していえば、コミュニケーション能力も折衝力も社内にどの様なイメージを確立するかに大きく依存するのである・・・・また、社外に対しても、エイブラハム・リンカーン元米国大統領も言っているように、普段の言動でどうしているかがその人の顔に現れてくる・・・・・・・・

不況期に入った新入社員は、雇っていただいたとの感謝の気持ちを会社に対して持ちやすいが、就職バブルのときに入社した人は、この感覚が持ちにくく何時でも就職の時と同じようない簡単に転職できると・・・また、別の会社にいけるとの思いが目の前の仕事への真剣さを阻害するのである・・・・・・・

ご存知の様に好景気が永遠に続いたことはありません・・・・たとえ好況期の転職であっても、その場合は即戦力を求めることが多い・・・転職したくなるような仕事振りでは、採用する側は、最近は人事部問より採用したい部門の責任者が、人事には任せられないとして面接をすることが増えている・・・・・・

これらの職場の代表の面接官は、自分の職場において、駄目になるやつの特徴を体得しているので、一緒に仕事がやりにくくて教えるのも効率的でないと判断をして採用に反対する・・・・

また、転職とは、公募の場合はどうしても採ってあげたという姿勢が受け入れる側に生まれ、なじむのに時間がかかることが多い・・・・しかし、スカウトとは、来て頂いたという姿勢で迎えられるので、溶け込みやすい側面がある・・・・・限られた人生ではこれらの点での効率も大事になる・・・・・・

Kozyは転職するなとは言わないが、理想はスカウトされるのが一番であり、スカウトされるだけの実力を養うことが善いと思う・・・・また、転職の場合は、現在いる職場が嫌だからという逃避的且つ回避的な目的では、説明の通り危険すぎる。・・・・・・

この職場では修得すべきは取得したが、自分のやりたいことの為には、これこれの経験および習得したいものがあるので転職するというような、目的が明確化された状態で、チャレンジとして、また、失敗も覚悟の上での転職は善いと思う・・・・・

最後に、サラリーマンの格言の中で、・・・・・仕事の成果報酬は仕事なり・・・・上手く仕事をこなすと、もっと深く広く仕事をしたくなると言うことである・・・・・

また、もう一つ、・・・・仕事は忙しいやつに頼め、とか、仕事とはやればやるほど増える・・・というのがある。ある意味では地獄図のようにも見えるが、これはその社員への信頼の証でもあり、やればやるほど能力は向上していくのも事実である・・・・

能力における二倍や三倍の差は、すぐついてくるのが仕事でもある・・・・・・これからの時代は、この能力の差が、より大きくなる、つまり、独創性

がより必要となってくる時代であり、本当の実力をつけていくと、ワークライフバランスを始めて自分の好きなように交渉できる時代に入る・・・・能力のない人には、ワークライフバランスの構築以前に職そのものが危なくなる・・・・・・

20代は、とにかく目の前にある仕事に、注力して、全体がわかるまで、常に掘り下げて考えて取り組むことをアドバイスしたい・・・・・

また、本Blogのメインテーマである、三つの人生の理解と三つの目の活性化の実践をしていただければ、案ずるより生むが安し・・・・・

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June 28, 2007

ビジネスのスキル学習って???・・・・

人材教育の話の中でスキルの教育を真顔で言う人が多い・・・・また、スキル関係の本がそれなりに売られている・・・・・本来はこれらは可笑しいのである・・・・・知識の足りないところを補うのはよいが、スキルは学習するものではないのである・・・・履き違えないで欲しい・・・・・

Skillを英英でひくと、・・・・an ability to do something well, especially because you have learned and practiced it・・・・・つまり、何かを上手く行なう能力が本来の意味であり、特に自分で学んで練習してきたからである・・・・・・

つまり、ビジネスにおけるスキルとは、前提が、細分化された分業による多次元で継続的な一つのプロセスの責任を負っている。それ故、運動の技術とは個人の技術の向上がスキルの向上になり、ビジネスにおけるスキルとは全く異なる・・・・・・・多次元で動的な環境におけるビジネスのスキルには、普遍なものはないのである・・・・・

また、社会的スキルという言葉はあるが、これは主にコミュニケーションのスキルと人の説得のスキルになるが、コミュニケーションの場合は伝える中身の力は、一割以下、また、説得の場合は2割以下であり、中身の正当性とか重要性はごく一部でしかない・・・・・・

何が一番の影響力を持つかというと、普段の自分自身の言動が相手に与えたイメージが、相手から見て信頼に足りるか否かなのである・・・つまり、相手の為を思っての言動であるか、相手を騙すとか陥れられるという類の恐怖感を醸成するか否かが大事であり、スキルではなく、普段の言動が因果応報の如く帰ってくるだけなのである・・・・・

本質的な問題としては、狼少年に通じるのである・・・また、自分の言動が相手に如何とられるかをより正しく知ることがスキル自身の本質になるのである・・・・・

ビジネスにおけるスキルとは、常日頃からの仕事に対する姿勢、同僚・上司そして顧客への貢献を考えて行動しているかに一番大きく依存するものである・・・・・自分のことは棚に上げていくら正論を言っても、意味がない側面を持っている・・・・・

このことは、本Blogでいっている“第二の目”、つまり、相手の視点に立って考える=相手の立場になり相手の価値観を理解する・・・・この第二の目が未熟な人ほど、これは正に自己中であり、文句を言う・・・・・・

自分が変わり、相手の多様な価値観を理解していくことが出来れば、自ずとその正しい理解に基づく方策、即ち、スキルは自動的についてくる・・・・・・表面的にいくら暗記をしても意味がないのである・・・・・

自分を変えるには、有りの儘の悪い自分自身を正しく強く受け入れることが大事になる・・・・強く認識をするから、自分を変えることが出来るのである・・・・・

スキルには、もう一つ、仕事上の効率化に関するスキルというのが別途ある・・・・この種の本も売られているが、確かにすぐに効率化に寄与することが述べられているが、この種のスキル本を購入することは、ただそこに掲載されているスキルを流用するという姿勢で読んでいる人は、自殺行為と同じことをしている・・・・・・・

つまり、スキル本に出ているのは既に古いことであり、これからの新しい事態には適用できない、または、新しい事態では、もっと良いスキルが想定されるのである・・・・スキル本を読む場合は、効率化とは何なのか、また、技術革新に伴い、今まで出来なかったことの何が出来るようになったのかを、つまり、スキルは、どの様にして考えられるのか、このいくつかのパターンを理解して、自分の思考回路に抜けがないかを検証する思考姿勢が大事なのである・・・・・

この間普段から考える姿勢が構築できることが、自己成長の門をくぐることを可能にするのである・・・・スキル本を読んで流用することでしか読まない人は、自己成長の門はくぐれないのである・・・・・だから、自殺行為なのである・・・・・・また、脳は使わないと死んでいくのです・・・・・・・

職場には職場の異なる多次元で動的な環境があり、種々の変化に対応して一番最初に職場に合ったスキルを自分自身が考え出す習慣をつけることが、スキルの向上に一番求められることであり、一番最初になれることが大事なのである・・・・・・・・・・・・・

かっての自分の部下にどうして何でも上手く出来るのですか、教えてくださいと何度も聞かれたことがあるが、前述の全てを一言でいうと・・・・・・・・・・Brush up yourself!!!!!・・・・・でしかない・・・・・・

最後に、everybody is trying・・・・・・・如何いう意味か解りますか、みんなTRYしている・・・・という意味ではありません・・・・tryingとは現在進行形であり、まだ達成していないことを意味します・・・・つまり、正しい訳は、みんな苦しんでいる・・・・・・しかし、やってみることが、自己成長の門をくぐることであり、やってみることにより、それまで見えなかったものが見えてくる・・・・・これが成長なのです・・・・・・

スキル本は、もう卒業すべきではないでしょうか・・・・・・・・・マニュアル至上主義は論外です・・・

もうお解かりかと思うが、仕事をすること、そして、有能な仕事をすること・・・・・これらは、“Brush up yourself”でしかなく、職場は、正に自己成長のために最高の場を与えてくれているのである・・・・・・・!!!!!・・・・・

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June 25, 2007

人事部がなかったら・・・・白紙に戻って考えよう・・・

昨今はそれなりに人事部の話題が増えてきている・・・・つまり、人事部の機能そのもののパラダイムの再考、つまり、人事部とは何だ・・・・どうあるべきかということが問い直されてきている・・・・・・・

ここで発想を変えて、人事部がなかったら、現在の経営環境の変化にどのような影響を及ぼすのであろうか・・・この視点で考えてみたい・・・・・

就いては、何が変化してきているのか・・・つまり、What is changing・・・・について再度基本に戻り考えてみたい・・・・・・・・しかしよく考えてみると、以前、“What is not changing agaist what is changing”のポストでも発信したが、多くの点で日本企業はすでに変化していることに対しても対応が取れていない部分がある・・・・・

また、“HCMのあるべき姿と乖離”でも、これからの人事部について述べてきたが、白紙に戻って人事部の仕事を考えてみたい・・・・・

現在行なわれている人事部の仕事は、大きく分けると、採用、人事管理、人材育成、企業理念と戦略の周知徹底と捉えています・・・・

採用活動ですら、現在はアウトソースを請け負っている下請け企業が出てきている・・・・・・理想論からいえば、ある基礎能力のレベルを超えていれば、採用後の教育で人を育てることが出来る・・・・・総務部人事課採用係でもすんでしまう・・・・・

人事管理は、大きく分けると学歴管理や年功管理等の所謂人事管理、昇級等の人事評価、そして、昇進・昇格等の人材登用に分けられる・・・・・・・これらの人事管理は社内規則・ルールの問題であり、この規則やルールを決めることが重要であり、この規則やルールに基づく管理であれば、正に総務部人事課または、総務部人事管理課で事務処理をすることでことが足り、アウトソースも可能である・・・・・

人材育成は、基本がOJTがベストと考えれば、不要である・・・・・・しかし、経営の本質は人材の育成でもある・・・・

また、企業理念の周知徹底にはOff-JTは必要かもしれないが、新入社員のオリエンテーションのプログラムでことが足り、OJTのなかで体にしみこんでくると考えれば、このプログラムの作成を誰がアップデートするかは、人事である必要はない・・・・ただこの実施責任を総務部人事課で負えばよいともいいえる・・・・・・

企業戦略の周知徹底は、昔と異なり、戦略自体の寿命が短くなってきており、速やかな周知がこれから大事になるが、これは各部門においての新戦略の新展開の解釈がなされ、周知徹底されることが重要であり、この点では、人事部という大きな部の出る幕はないともいいえる・・・・

白紙に戻って考えると、人事部という独立した部は不要になり、多くの会社が既に実行しているように、総務・人事部という組織にして、人事部を解消していることは理解できる・・・・・・・

強いていえば、労働組合の交渉窓口としての人事部の存在があるが、本来は経営の根幹に関することでもあり、経営企画本部等の組織がこれにあたれば良いともいえる・・・・・

また、経営企画本部等が、人事管理のルールの作成、また、新入社員の採用規定とか新入社員のオリエンテーション・プログラムの作成責任を負えば良い、この方が、そのフィードバックを受ける権利を有して、新規の経営戦略の見直し上有効であるとも言いえる・・・・・

また、経営の本質を人材の育成と捉えるなら、人事部という組織より、経営企画本部等の名前の部門が、全社的な人材育成に責任を負うことが筋であるとも捉えられる・・・・・・・

勿論このような大まかな捉え方には異論もあり、反論もあると理解するが、本質論で“今”を捉えて常に、既にあるものに囚われずに、再考することが重要である・・・・・・・・

このように考えると、今の人事部は、総務部に代表される管理部門としてのスタッフ部門と、経営に直結する戦略的なスタッフ部門に二分される必要があるとも言いえるのである・・・・・・

そして、管理部門としてのスタッフ部門はコストセンターとして経費の削減が重要項目となり、戦略的なスタッフ部門としての旧人事部門は戦略的な経営としての投資部門として扱われるべきである・・・・

また、この戦略的なスタッフ部門とは社長およびライン部門長への協力が第一義であり、痒いところに手が届く理想のスタッフ部門として、ライン部門で成果を挙げた人材の取組が必要になる・・・・・むしろ長としての取組が必要になる・・・・・何とならば優れた提案の義務を負うのがスタッフ部門でもあるからである・・・・・・・

旧来の人事部門はやはり解体が必要になる・・・・一部の会社で人材育成本部等に分けているところがあるが、やはり、経営企画本部等に含まれるのが今後のあるべき姿になるのではないだろうか・・・・・・

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May 27, 2007

21世紀の経営・人事の世界の本流(2/2)・・・“Positive Organization”

5月24日に続く第二回として、以下の八項目のKozyの答えまたは意見を要約して説明したい・・・・・・

1.組織で働くことは、避けられない人間の苦悩の場であるとの現状認識を確りもち、そこでの共感力について

ここでは仕事における共感力は何か?、如何してこの共感が重要なのか?、集団の能力をあげる個人のプロセスでの共感力は何をもたらすのか?、・・・・・この三つの視点で意見交換および研究がなされている・・・・・

Kozyは、自己の研究を通じて、むしろ、働くことは何ゆえ苦悩をもたらすのかの視点で捉えるべきだと考えており、その答えは、それまでに自己内で養ってきた経験による知見と所有または習得した知識の廃棄学習を求められることである・・・・・

つまり、人間の弱さのより深く正しい理解、多様性の修得、現実に基づく再学習による実学の修得・・・・これらは全て苦悩である・・・そして、仕事は一人では全て出来ないものであり、お互いに助け合って遂行する必要がある・・・・自己中では誰も支えてくれない・・・・・

誰がどのようなステージでの苦悩の中に居るのか、これがわかるようになって初めて、本当の協働が出来るようになる・・・・この為には、自分自身が、どれだけ成長のために苦悩を味わい乗り越えてきたかの経験が深まることにより、また、それらの重要性に気付くことにより、その集団は成長していくのである・・・・

後でレジリエンスの話が出てくるが、レジリエンスの能力の大事な点の一つは、現実が正しく見えることであり、対人関係においては、これが正に共感力なのでもある・・・・

2.同時に、組織で働くことのもたらすプラスの面について

上で少しふれたが、組織で働くことは自己の人間成長に最大の寄与をするのである・・・・実学の修得は成長であり、多様性の修得も成長であり、助け合う愛他性の精神の体得も成長である・・・・・・これらの経験の積み重ねがまた、レジリエンスの強化にもなる・・・・

3.如何にポジティブに自己を認知出来るのか、つまり、自己のベストに導くか・・・・・・

ポジティブに自己を認知出来るということは、陰陽の視点で、駄目な方だけを見るのではなく、良い方を見ることが出来ること、そして、プラスの長期的な未来展望を持てること・・・・これだけでは楽観主義になってしまうが、レジリエンスもポジティブ思考も正しい現実直視が前提である。

その現実を基に、希望があることを見出せる知的思考能力・・・・つまり、不完全な人間が織り成す人間社会では普遍なことはない、また、常に陰陽で捉えて考える、そして、全てが相対的であるとして、システマティックに捉えて考え、一つ一つ検証をしていく・・・・これが人間の知的思考能力なのである・・・・・

4.ポジティブ・リーダーシップの有効性

人間は弱いが、人間は成長できる、また、希望は維持できることを指導・支援があって初めて障害を乗り越えられるのが人間であり、お互いの助け合いが必要なのが人間である・・・・・上司は部下を人間として育て、部下は人間として成長する・・・・この事が集団を成長を促し、部下にも上司にも報酬として還元されるのである・・・・・ポジティブマインドのレベルが高いとよりハイレベルの成果への結びつくのである・・・・

5.ポジティブな社会資本の有効性

ネガティブな視点が根付くと、集団は恐怖に囚われて、行動不全に陥る。それ故、ポジティブなマインドを常に喚起する社会的文脈と規範の維持が必要になる・・・・・また、恐怖に囚われると疑心を招き、そして、疑心が疑心暗鬼を招き、鬼畜の攻撃的行動を招く・・・・・

6.逆境に打ち勝つレジリエンスについて

レジリエンスは2007年3月10日、2日、そして、2月28日の三件のアップロードを見てください・・・・・ポジティブになれる一番大事な能力です・・・・

7.企業内の文脈の影響について

企業内の文脈は、規範や組織特性、評価システム等が含まれますが、一番大事ななのは社長の言動であり、その一貫性である・・・・それ故、企業はトップの交代で大きく変化するのです・・・・・Positive Organizationになれるかは、社長に大きく依存しますが、駄目な人を社長にしてしまった従業員の所為でもあるのです・・・・・

8.価値観の重要性について

ここでは、ただ単に“Value”としか記載されていないので、なんともいえないところがありますが、少なくとも、日本人には価値観という言葉は理解しにくい、もしくは真意が伝わらないと危惧します。一般的日本人には何に価値を求めるかという理解がなされていると思いますが、自分が生きて生活していく上での判断基準の総体、つまり、判断基準の判断基準と掘り下げていったときの、残る判断基準の優先順位リストとして理解をして欲しい・・・・・

小学校から論理学を習う欧米社会では、この掘り下げの習慣が身についている・・・・しかし、日本人は文脈をよく読めるが、衝突を避ける為に曖昧にする習慣により、個人の価値観ですら掘り下げが出来ていない・・・・・ここが日本人の弱点なのです・・・相手の衝突を求めるか否かという問題は別の問題である・・・・・

ある意味ではここで説明した自己の価値観の掘り下げが出来ていないために、衝突も出来ないのが日本人であるという側面があります・・・・

共感と同情を混同して使うのが未熟な人の特徴でもあります・・・・Compassion; a strong feeling of symathy for people are suffering, and a desire to help them・・・・と英英では明記されている、つまり、同情は同じ感情を持ち共有化することですが、共感とは更に助けようとすることなのです・・・・・

また、passionは情熱とか夢中とか訳されますが、原義は苦悩(suffering)からきているのです・・・念の為ですが、Comは共に、または、強意を表す接頭語なのです・・・・つまり、“Compassion”とは、価値観を判断基準の判断基準と掘り下げていった時の恐怖強さの優先順位を表したものでもあるのです・・・・・・・・

第1項で書いた共感はこのことであり、同情は一時の感情的支援でもありますが、同情される人間を回避または逃避させることを増長する行為である・・・・・それが、小さな親切大きな迷惑の真意でもあるのです・・・・同情は本当の助けにはならない・・・・・

上述は一つの例ですが、共感はだから重要であるという価値観の掘り下げが出来ていることが非常に重要なのです・・・・・

また、自己の価値観を確り持つということは、自己内での恐怖感の強さの優先順位の確認をすることなのです・・・・・これが出来ていると、最悪の恐怖感を避ける為に、情熱が沸いてくるということなのです・・・・・この確認には恐怖感への対峙という経験のより多い積み重ねが必要なのです・・・

現実を見ない楽観主義は危険すぎる、現実を直視して、知的思考能力を最大活用して、最大の恐怖を逆用して、希望を維持して生きる・・・これがポジティブの本質であり、だから、個人が成長できて、組織が成長できる・・・・・これが、Positive Organizationなのです・・・・

言葉は文化から生まれます・・・・Positiveは、だから日本語化できなかった・・・・しかし、今後の経営・人事においては、Positive Organizationは、正に、和と洋のWin-Winの、21世紀に求めるべきものなのです・・・・・・

ここでポジティブを掘り下げる為に、ポジティブを心の動きという視点で捉えると、意識され、認知され、行動として現れるといえる・・・・・

意識をする時には、既に脳内ではそれまでの知識および実学に基づき、自動的に整理されている。そして、整理されたものを追認する、そして、行動へ結びつく・・・・脳はここまで発達している・・・・実学と経験が十分広く深いものであれば、結果としてポジティブになるのである・・・・・・ポジティブとは経験から学ぶ姿勢の確立でもあるのです・・・・

しかし、不適切な理解に基づく恐怖感に支配された知識と実学は、当然の帰結として、困難に直面する・・・・それ故、若いときの、または、未熟な大人の場合は、現実を再度直視して、正しい理解を促進して、決断をしないといけないことを理解することがポジティブの基本であり、レジリエンスの基本でもある・・・・・

そして、ポジティブとは、失敗をしても、修正の学習が出来たと捉えることでもある・・・不確実性の受容能力の向上でもある・・・・不確実性を通じて異なる価値観の修得の促進でもある・・・・・

また、何が正しく理解出来ていないという点では、自分自身の理解が出来ていない・・・己の恐怖感の優先順位、己の知力と体力、己を支援してくれる人的資源への理解、以上三点を理解することが出来ていない・・・・

そして、次に周りに対する上述の三点が理解できていない・・・・・そして、この場合は如何あるべきかを考える知的思考能力が不十分・・・・・

特に学生から、つまり、同世代を中心とする偏った集団から、幅広い年齢と異なる経験を持った人から構成される集団にての活動は、全ての点で不十分であり、そのことは当たり前のことなのである・・・・だから、希望を維持する上述の知的思考能力の向上が必要なのである・・・・・

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May 25, 2007

What is changing(8)・・・・現実の理解能力・・・・

5月25日午前2時から3時ぐらいまで、SASがフリーで提供している“Real World Learning Live Web-Cast”を見ていた・・・・勿論英語でのWeb-Castであり、英語のヒアリング能力がないと解らない・・・・・英語の能力がないと取り残される・・・・・

中身としては、もっと専門的な解析方法の事例を期待していたが、このWeb-Castは不定期であるが、今回は個人的には、“Hands-on Experience”とのことで期待していたが、すこし裏切られた感じは否めない・・・・・

しかし、解析の重要性と、解析能力自体は目的の半分でしかなく、データをみて、データの特性から、何が何処まで解析で気負うかの洞察力が大事である。また、グループ・ダイナミクスへの造詣、企業の求めるもの理解のコミュニケーション能力、文脈への理解力等が大事で、それから、解析方法を選定して、解析をする。また、求められるものに一番沿う形で纏めること等の重要性が述べられていた・・・・・・

異なる世代間の協働の時代なのでもある・・・・・

つまり、いまや全ての業界で解析能力が求められる時代になっており、また、従来とは異なり大きく進化したPCがそれらを可能にしている・・・・

SASは元々は統計解析の専門会社であったが、その応用に関係するビジネスに軸足を移しており、米国を代表する高収益会社に変貌している・・・・

また、今回のプレゼンターが二人であったが、二人とも大学の先生であり、多くの学生が米国では解析を学んでおり、日本と頃なり、産業界との協業も頻繁に行なわれていることが解った・・・・・・

念の為であるが、産業界での経験以外には、よりすぐれた解析を行なうには、心理学と生態学の知識が必要とのことであった・・・・・同感である・・・

ふと危惧したのは、日本では時差の関係より、NYCで24日の午後1時からのスタートであり、日本時間では25日の午前2時という真夜中になるので、普通の人には聴きにくい時間ではあるが、Kozy以外では一体誰か見て居る人は日本に居るのであろうか????・・・・との危惧を持った・・・・・

お年寄りのといってもKozyと年齢は大して変わらないが、日本のアカデミアの経営・組織・人事の大家は、質的研究が大事で量的な統計解析の研究では、Real Worldは解らないという人が圧倒的多数であるが、PCの技術革新により、また、統計解析ソフトの技術革新もあり、昔は出来なかった統計解析が今や、ほぼ何でも出来るようになっている・・・・・・

謂わば、質的な研究と量的な研究の両方でのアプローチがより効率的になるのである・・・・・

ノーベル賞の受賞者の宝庫である、複雑系の学問のメッカであるサンタフェ研究所は、まさに、この変化を捉えて、解析力を屈指して、より広い視野でより有効な研究を続けている・・・・・このままでは、マーケッティングおよび人事を含む経営手法の開発で負けてしまう・・・・・

また、日米の社会的および企業内の文脈は異なる為に、米国流を導入するとまた、混乱を起こしかねない・・・・この大事な知見を持つ経営者は、日本ではセブンアンドアイの鈴木さん位ではないだろうか・・・・・

参考まで、例えば、平均値が違わなくても大きな変化が起きていることも見抜ける、少しの変化でも優位な大きな変化であることもあり、その逆もあり、その違いも見抜ける。また、種々の層別が、種々の特性により簡単に出来るようになっている。また、直接には測定していないものでも、隠れた要因として、取り上げて、それがどの様に影響しているか等も調べられるのである・・・・そして、相関、シナジー効果、および、因果関係も容易に調べられるようになっている・・・・・

現在の経営系において、正に、ツールとしての宝庫なのである・・・・・しかし、各社には各社の最適解しかないので、自社独自、または、カウンセラーとの協業が必要になる・・・・

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May 24, 2007

21世紀の経営・人事の世界の本流(1/2)・・・“Positive Organization”

“Positive Organization”という言葉を既に、本Blogで発信しているが、日本ではあまりこの言葉を知っている人に合わないので、Webで検索してみた、英語だけで検索すると、なんと6百万件近くヒットする・・・・・この事は、十分に知れ渡った言葉である証左である・・・・・

しかし、日本のWebでの検索をする為に、ポジティブ・オーガニゼーションで検索してみると、なんと本Blogしかヒットしない・・・・日本のアカデミアでも誰も扱っていない可能性がある・・・・当然、日本のコンサルティング業界の人が知るよしもないだろう・・・・・これが日本の現状なのである・・・・・・・・・・・

Kozyは世界を駆け回ってきた東洋人として、哲学の世界では、いつも西洋哲学は、東洋哲学に真摯に学べと言っている・・・・問題は、問い詰めると非常にシンプルな結論に達する・・・・・

数字は、エジプトで発明されたが、その時の数字にはゼロはなかったのである・・・・・・・ゼロの発見というか、ゼロの概念の確立までに、何百年もかかったのである・・・・・・ゼロとは、何にもないことではなく、無限の組み合わせの結果としての状態である・・・・バランスしている状態でもある・・・・・

このゼロと同じ概念が、専門家にはお叱りを受けるかもしれないが、“空”なのである・・・・つまり、・・・"empty" is not empty・・・・この理解を西洋に広めたのは、皮肉にもアインシュタインなのである・・・・現在は西洋哲学も東洋哲学に追いつきつつある・・・・

この東洋哲学には、陰陽の原則の考えがあり、東洋哲学に起因する東洋医学では、局部に囚われずに全体で捉える、つまり、“気血水”の三点で統合的、まさに、Holisticな視点で考えることをよしとしている・・・・・

念の為であるが、元来は陰陽の思想で、心のエネルギーとホルモンの正常な活性化の度合いを示す、謂わば、生命エネルギーとしての“気”と体の機能維持のための“血”との陰陽であったが、血が血と水に分けて考えら
れるようになった・・・・・・

前説が長くなったが、Kozyが唱えている、“気本主義”というのは、この“気”を中心に考える経営および人事政策が、これからの基本になるべきだというものである・・・・・・気力とか気合とか、本気等々の言葉を通じて、日本人には沁みこんでいる言葉なのである・・・・

一方、欧米においては、経験則としての“PMA(positive mind attitude)”という言葉があり、APA(米国心理学会)の会長も勤めた、セリグマンにより“Positive Psychology”が創始された・・・・・

フローで有名な、チクセントミハイルとセリグマンにより、人間の成長促進のために社会資本としての “Psychological Capital” の増進が叫ばれるようになった・・・・つまり、心理的な資本の増強でもあり、これをKozyは“気本主義”と名づけた・・・

これらの流れを受けて、当然の帰結として“Positive Organization”という言葉が生まれ、研究されている・・・・

“Positive Organization”とは、個人も組織もポジティブになることを目指しており、これが正に、どんな困難にも負けない、自分達で学習、変化に対していける理想の組織になるのである・・・・・・・そして、個人の企業も健康を維持できる・・・・・


まさに、Kozyの唱えている“気本主義”と全く同じことでもある・・・・若い人は構造的にステレオタイプになるので、“気本主義”というと古臭いと拒否反応をするので、“Positive Organization”と気本主義・気脈・気財と併用して、相手に合わせて言っている・・・・・・・・

日本では、Kozyだけが取り組んでいるかもしれないが、これは東洋哲学、しいては日本の経営哲学を織り込んだ正に、本来は日本が世界をリードして、世界に示すべき新しい日本的経営・人事の根幹になるものだと捉えている・・・

米国の研究を見ていると、次の点を中心に研究を進めている・・・・この中心がミシガン大学である・・・・・

1.組織で働くことは、避けられない人間の苦悩の場であるとの現状認識を確りもち、そこでの共感力について

2.同時に、組織で働くことのもたらすプラスの面について

3.如何にポジティブに自己を認知出来るのか、つまり、自己のベストに導くか

4.ポジティブ・リーダーシップの有効性

5.ポジティブな社会資本の有効性

6.逆境に打ち勝つレジリエンスについて

7.企業内の文脈の影響について

8.価値観の重要性について

Kozyが正に取り組んでいることと同じであり、上記の8項目に対する答えまたは、意見は既に本Blogで全て発信しているが、次回に要約してポストをしたい・・・・

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May 17, 2007

コミュニケーションの真髄とは・・・・

いちど、コミュニケーションという言葉をよく使っているが、何なのかをよく説明する必要があると思う・・・・心理学的には、次のように整理されている(株式会社有斐閣 心理学辞典)・・・・

コミュニケーションとは情報のやりとりである。情報とは広義には物質やエネルギーのパターンであるが,ヒトのコミュニケーションにおける情報は,情報処理の主体であるヒトにとって何らかの意味を帯びた表象であると考えられる。・・・・

するとコミュニケーションとは,何らかの意味ある表象を伝達する過程であることになる。この伝達の過程では,意味ある表象である情報が,何らかの形,すなわちメッセージとなって運ばれる。またメッセージはメディアを通して運ばれる。さらに,情報がメッセージとなるにはある人(送り手)の表象からそれが記号化(もしくは符号化)されなければならず,また,メッセージを受け取った受け手の側ではそれを自らにとって意味ある表象として再現(記号解読もしくは復号化)されなければならない。・・・

コミュニケーションは,この伝達の過程でいくつかの問題をはらんでいる。・・・・・・・

第一は,記号化・記号解読が,ともに同じルールに則って行われているかどうかという問題である。ここでルールというのは,文や意味の辞書的規則や語用論的なルールにとどまらず,役割や地位による社会的な制約や文化的なコミュニケーションの慣習などまでをも含む。伝統的なコミュニケーション概念では,基本的にはこのルールがコミュニケーションする両者の側で同一であることを仮定してきたが,そう仮定してしまうと,多様化した社会のなかで頻繁に生じるディスコミュニケーションの問題を検討する足かせとなる。・・・・(ディスコミュニケーションとはコミュニケーションの破綻のこと)・・・・

・・・・・現代の世の中では、むしろ人間社会においては、コミュニケーションのルールが共有されていることの方が稀であると理解することが必要で大事である・・・・相手が馬鹿だとか言うことは自分が馬鹿であることを意味する・・・

むしろ,コミュニケーションする当事者たちは,コミュニケーションの現場でルール共有を実現・確認しながらコミュニケーションしているのだ,逆にいえば,場合によってはルール共有の形成・確認作業がコミュニケーションにとって重要な側面をなすのだ,と考えるべきであろう。・・・・・・

・・・・・・・コミュニケーションの基本能力とは、コミュニケーションの現場でルール共有を実現・確認出来る能力でもある・・・・・

こう考えることによって,誤解,欺瞞,解釈などの問題について理論化・研究が容易になるばかりではなく,さらに意味の共有過程のなかで,コミットメント(commitment)という行為の重要性が浮かび上がってくる。すなわち,送り手と受け手の両者がともにあるコミュニケーションの話題のなかに関与し,同じ話題を共有している(だろう)ことを伝え合う相互フィードバックの試みが,意味の共有を成立させるのである。

例えば、「今日は暑いね」というA氏の語りかけは,B氏が無反応ではそれがコミュニケーションとして成立したかどうか不明である。しかし,B氏がA氏の語りかけを前提として反応を返してくるならば(「汗が止まらないね」と発言するなど),A氏は自分のメッセージは伝わったと仮定できる。B氏がA氏のメッセージに対して自らの発言を通じてA氏の話題設定にコミットメントを行い,それを前提とした自らのメッセージを記号化して送ってきたからである。

こうしたコミットメントの相互過程が意味の共有を成立させるのであって,共有のルールが元から存在しているから意味の共有が成立するのではない。もちろん日常のコミュニケーションではルールが共有されていると多くの人が信じていることは事実であるが,そのことがしばしば誤解等を拡大させる要因ともなる。

・・・・・・相互のフィードバックをすることが基本であるが、目上の人だからといって、話を折らないようにとの気遣いは、時として、フィードバックの機会を逸することになり、結果として理解できず、また、誤解を生じる・・・・・

第二の問題は,メッセージのなかに何を読みとるか,という問題である。非言語的コミュニケーションの問題はこれと大きく関わる。例えば、国会に喚問された証人が「5億円は受け取っていません」と証言しながら,唇がふるえ,脂汗をかいていたとしよう。このとき多くの受け手は彼の字義どおりのメッセージだけを解読したりはしない。・・・・・・

コミュニケーションにおける非言語的要素の重要性はここに示される。また,非言語的要素のどこまでを言語的メッセージに付随し解読すべきものとして受け取るかによって,記号解読される情報の内容は異なる。唇がふるえているのは,証言がうそなのではなく,国会という場が彼を緊張させているだけなのかもしれない。その場合非言語的要素は「うそ」を解読する側にとってはノイズであるということになる。・・・・・

コミュニケーションは,必ずしも一対一の状況で生じるとも,対面状況で生じるとも仮定することはできない。このことから,第三者を含むコミュニケーションにおける情報の共有問題が生じる。また,対面状況以外でのコミュニケーションのメディアでは,非言語情報の伝達の問題とも関連して,それぞれのメディアに独特の問題がある。電話メディア,テレビ・メディア,電子メディア,それぞれに固有の問題と適応形態がある。・・・・

以上が、コミュニケーションのことである・・・・・マスメディアには特に踊らされないこと、参考まで、知識が中程度の人が一番危険なのである・・・・知識レベルの低い人と高い人はあまり影響を受けない・・・最近は、皮相的な知識の高い人が増えていて、踊らされるのも問題である・・・・・

茲で一つ認識して欲しいのが、一対一の状況においては、ここで述べたノイズは、よほど特殊な状況以外では考えられず、心理学の実験を通じては、コミュニケーションの成立為には、伝えたい情報の中身は7%しかなく、ボディー・ランゲージが55%、そして、声のトーンが38%と報告されている・・・・

この事は、表面的には、云いたいことが伝えられないときには、話の中身より、声のトーンを変えたり、話す態度をもじもじせずに毅然としていうとかの方法論を変えるとのスキルは必要になる・・・・むかし、Kozyが若いときに、先輩に指摘されたことがある、仕事のときの電話の声と、女性からの電話の声は別人のようなのですぐわかると・・・・

また、ある女性の友人ですごい実績を上げているセールス・ウーマンの子が、会社から電話をしてきたときに、その職場の文脈に縛られて、仕事モードの話し方をしてきたときに、すごく可愛く好感を持てて驚いたことがある。しかし、こっちは地の姿を知っているので、気持ち悪いから、仕事モードを切り替えてといったことがある・・・・

良くも悪くも、話し方は声も態度も含めて訓練できるのである・・・だから詐欺はなくならない・・・Kozyは、あまりにも話し方の上手い人は逆に信用できないとの経験則を持っている・・・ファンの人には、お叱りを受けるが、松田○子ちゃんなどはその典型である・・・ぶりっ子は、すぐ見抜ける人は多いとおもうが、セールスですごい実績を上げている女性ほど恐ろしいものはいない・・・・

しかし、これらのことを、脳科学の知見で捉えてみると、受け手から見ると本当に自分に貢献するのか、そこに恐怖はないのかを見ることが、話す態度や声のトーンのチェックを通じて行なっていることであり、信用出来ないとか、恐怖感じたら、脳の中に取り組めないということを意味している。しかし、このチェックだけでは危険であり、また、そのことを人間は経験的に学習している・・・・

では、コミュニケーションについて、大事なことは、相手のために貢献したいと真に確信できているか・・・これが出来ていれば、自ずと話す態度と声のトーンに違いが出てくるのである・・・・また、相手のために貢献できていると判断した基準とは何かまで、掘り下げる必要がある・・・・

また、企業内とか、自分の所属する集団において、コミュニケーションが上手くいかない、馬鹿が多いと、養老先生の「馬鹿の壁」などに影響されて、思う人が増えているが、所属する集団の人たちは、送り手の普段の言動より、送り手の愛他性についてイメージを固めている。・・・・・

愛他性とは、関係する相手への貢献意識であり、これがないと思われている人は何をいっても聞いてもらえない。つまり信用されない状況を自分で作っている・・・・コミュニケーション能力とは自業自得である側面を理解すべきである・・・・・

また、上述した、第一の問題に関係するが、話している途中で、上手く通じないと思ったときには、このように判断して、貢献できると思っていたことについて、自分が考えた判断基準、ある意味では状況認識にも関係するが、そこに誤解がないかの確認をすることが王道なのである・・・・

そして、自分の誤解が在れば、そこで誤り、正しい理解を得る・・・そして、話を続ける・・・これが、真のコミュニケーションなのである、つまり、お互いの理解の向上の手段がコミュニケーションなのである・・・・問題は、人間はここまでの堀さげをしなくてすぐ話したくなる衝動を、特に若い人はこの衝動を抑える脳回路が十分出来ていないので、コミュニケーションが上手くいかない・・・・・

本当に必要なのは、何事も判断基準まで掘り下げて思考する訓練なのである・・・残念ながら、心理学の世界では、ここまでのことは何も書いていない・・・・また、この物事を判断基準まで掘り下げる習慣こそが、人間の希望の維持能力に大きく貢献するのである・・・・・

また、人間は、コミュニケーションという相互作用により、異なる捉え方、つまり、異なる価値観を学んでいき、成長していくのである。・・・・この時に、自分の物事の判断基準までの掘り下げが出来ていないと、成長の時間のロスを生むのである・・・また、このコミュニケーションの対話法による思考の深化を弁別思考というのである・・・・

くれぐれも申し上げたいのは、コミュニケーションのスキルは、人を騙したい悪い人には必要だが、また、自分を実力以上に評価して欲しい人には必要であるが、そうでない人には、ここで述べた真髄の理解が在れば、それだけで十分なのである・・・・・

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May 16, 2007

取り組むべき日本株式会社の三つの施策・・・・

Kozyが参加しているあるSNSのコミュニティーの名前が、唐突に、「なぜ従業員が疲弊するのか」から、「自立した個人を生かす組織作りを考える」に名前が管理人のコンサルの人が変えてきた・・・何か、大きな違和感を感じる・・・・

本Blogで研究成果を何度かアップロードしているように、日本株式会社には、自立できている人が、一割もいなくて、それが故に、自立した個人が残りの9割の未自立集団との力動的な戦いにおいて、敗北を強いられ、成長する組織への最大の阻害要因になっている・・・・

グループ・ダイナミクスの視点で捉えると、日本株式会社の総合力のアップを行なうには、最低でも、自立できている人の倍増、つまり、2割いることにより、残りのボトムアップを行い、成長できる組織に生まれ変わる・・・・Kozyは、この様に捉えている・・・・

現在の日本株式会社は、自立できている人が少なすぎるのが問題であり、その自立した人を活かす組織作りとは、ないものを前提とする幻想に囚われている・・・・

今回のコミュニティーの名称の変更を善意で捉えると、一割にも満たない自立した個人を何とか活かす組織作りを考えたい捉えることもできるが、この場合は、誰がその人が自立できているかいなかの判定をするのかは別にして、自立した人を活かす為には、自立した人に強権を与えるしかない・・・・・

経営を考える場合は、その企業の属する文化の影響を無視できない・・・日本には、社長は別にしても、中間管理職および部下の従業員に強権を与えることは、日本の最大の強さの源泉になっているチーム・ワーク力の崩壊に繋がると危惧する・・・・

また、もう少し違った目で見ると、日本株式会社の最大の癌は、責任と権限の整合性が取れていないことであり、これ自体は元来は、どうしようもない従業員は別にして、責任を遂行の為に必要な権限を与えて、この責任の重さが人を成長させるものであり、普通の従業員=未自立の従業員への成長の喚起に必要なものである・・・・・

日本株式会社においては、仕事の遂行に必要な権限は、自立出来ている従業員にとっては、まさに、必要な権限は自分で掴んで来ることが出来るものであり、元来は、必要な権限は自立できている人には与える必要はない・・・・

今回の問題で、コンサルが大企業の現実を知らないのはしょうがないとしても、日本株式会社に必要なものは、現実の直視であり、現実の問題点の提示の為の科学的な分析能力の欠如であり、本来あるべき姿は、人事がスタッフ部門として、共分散構造分析などの手法をもちいて、ラインのサポートすべきであるが、この能力が無い・・・・