日本の新しい規範

March 01, 2009

素直が一番・・・この含意は・・・

あまりにも多くの人が自分を殺して生きている・・・自分を殺さずにいきいきと生きることが、実は、自分の心のエネルギーを守るには絶対条件なのである・・・この対応策として、①わがままに振舞う、②自分に正直に生きる、③素直に生きる・・・と考えてみると、“直”という漢字の由来を常用字解で紐解いてみたくなった・・・・

白川静先生によると、直というは、省という字といん(L=塀などを立てている形で、隠れるの意味がある)の組み合わせたもの、省は目の呪力を強める為に、眉に飾りをつけて、地方を巡察して不正を取り締まることをいう・・・

よって、直は、ひそかに調べて不正をただす意味であろう・・・白川静先生には珍しく、自信のない表現で説明されている・・・この“ただす”とは、正す、糺すの二つの意味が在り、Kozyは糺す=真意、罪、事実を問い調べる意味であると理解する・・・つまり、正すであれば、どうしても力関係で押し付ける側面があるからである・・・“気善として生きる”に正の含意が説明してあります・・・・

平易な言葉にすると、直とは、真意を探る為に関係する周りの事実に基づいて、つまり、自分の物事に対する眼力を磨く行為を意味すると捉えたい・・・参考まで、省という字は、生という字の下に目を書く形であり、後に生が少に変わったとの事、行動を省みるという意味になる・・・つまり、省という字は生きている目、目を活かすと言う解釈ができるのでは・・・・

では、素という字は、糸を染めるときの形を表した象形文字である。そして、糸束の本のところを結んだままで染汁にの入った鍋に漬けるから、その結んだところはもとのままの白い糸が残る、この白い糸で残った部分を素といい、[しろぬき、しろ、もと、もとより]の意味となる・・・・・

それ故、最近はあまり聞かなくなった言葉であるが、素心=純粋で汚れていない人間本来の心になる・・・・最新の脳科学の知見では、生まれたばかり、また、幼少期は、五感をフルに活動させて経験を通じて先ず経験をしてみる。この経験を通じて言語化の能力を向上させていく・・・・

小さいときは、言語による説明能力は低いのは、言語能力を向上させる経験の少なさに起因する・・・・

では、大人に成長するということは、大きな偏向を多くも持つ人になること・・・・これが残念ながら大人の正体なのです・・・・

250人までの小さなコミュニティないで全てが完結する、または、他のコミュニティーからの影響が少なかった時代においては、そのコミュニティないで生きていく上では、25歳までの経験でその経験が通用する社会だった・・・現代社会においては25歳までの経験はその多くが偏向にしかならない・・・・

人間の脳へのインプットは、全て五感を通じてなされますが、五感のどれをとっても嗅覚を選択して生きる動物、聴覚を選択して生きる動物等々と比較すると解ると思いますが、どれ一つ本当に正しく感じてインプットしてくれる五感はない・・・

視覚などは、光の三原色の赤と青のセンサーは持っていますが、緑のセンサーは進化の選択の中で放棄してしまったので持っていないのです・・・どれだけ赤くてどれだけ青いのが緑だと推定しているにすぎないのです・・・また画素数で言うと100万画素しかなく脳内で作り出している映像を本当の映像だと思っているだけなのです・・・・

だから人間は曖昧な情報に基づいて脳内でWhatの回路とHowの回路に分けて整理をしている・・・緑を見ていると何か心が安らぐ人が多いと思いますが、緑を見ているつまり、草木等の微妙に異なる草木を見ていると、心が元気なったりするのは、一番脳が視覚認識の為に活性化する状態になるためとKozyは捉えています・・・・赤や青はセンサーを持っているから俊時に判断されるが、赤と青のセンサーの情報がないと判断できない・・・

残念ながら、皆さんも感じているように、五感は加齢に伴い劣化していきます・・・脳細胞などは生まれたその日から脳細胞は死滅=劣化していき再生はされる細胞がほんのわずかなのです・・・他の細胞は再生されますが、再生のたびに上手く再生できない細胞が発生をして老化をしていきます・・・・

進化論での大事な知見は、強い種が生存するよりも、変化に早く適応した種が生存するということはご存知の方も多いと思いますが、その本質は新しく出来る生態系に対してその生態系の維持に最小のエネルギーで最大の貢献が出来る種のみは生存できるということなのです・・・・

もう少し説明すると、大きなエネルギーをもっていても新しい生態系への貢献がゼロだと淘汰される、また、最大の貢献とは一人の直接的な貢献だけではなく間接的な貢献、わかり易い言葉に置き換えるとチームワークと同じことなのです・・・そして、ラグビーでよく言われる“One for all, all for one”のできる構成員だけが生存を許される・・・・

この相関関係は強いものと弱いものがありますが、小さなコミュニティでは相関関係がどうなっているかは25歳ぐらいまでの経験で殆ど理解できるが、現代社会では、特に、地球を一つのコミュニティとして捉える時代に入った現在では強い相関関係ですら正しくシステマティックに捉えることが困難になり、弱い相関関係は、簡単には、下手すれば一生理解できないほどのものでしょう・・・・・・

そろそろ最初に述べた自分を殺さない生きる姿勢として述べた、三つの対応について、①自分勝手に行動するということは、One for oneであり、自分自身が生存は出来ない自殺行為でしかない・・・・all for oneはone for allとカップリングなのであり、All for oneだけを求めてone for allをすることもなく、誰も自分を理解してくれない・・・これは言語道断(ごんごどうだん=あまりにもひどいので話にならない)・・・・

では、②自分に正直に生きる・・・先日ヒラリー・クリントン国務長官が来日し東大生とのタウン・ミーティングに出た折に東大の女子学生が、如何すればヒラリーさんのように強く生きれるのですかとの質問を受けて、“true to myself”に生きると一瞬考えて答えていた・・・このことを聞いた人は“自分に正直に生きる”と理解された人が多いと思います・・・

しかし、正直とは力を持って自分が正しいと思う方向に直していくということになりますが、正しいことはところ変われば変わるものでしかないのです・・・ヒラリーの揚げ足を取るというよりも、この場合の“True to myself”とは、日本語にすると自分に誠実になること・・・・

自分に正直に生きることの端的な弊害がプライドを持って生きる・・・プライドは情動回路に結びつくが故に、一旦起動してしまうと厄介なのです・・・・・

誠実になるとは、五感を研ぎ澄まして現実を偏向のない目で直視して、その都度あるべき姿は何なのか考えることだと思います・・・そして、これこそが素直の本質ではないでしょうか、つまり生まれたばかりの赤ん坊のように何の偏向もなくあるべき姿は何なの・・・と考えることとが素直の本質・・・・

Kozyは経験を積み重ねるたびに、人間の構造的な問題から言うと、脳が楽したいから経験で得たものを普遍化したくなるが故に、普遍な事はない、万事に通じる正しいことはないと言い聞かせています。そして、大事なのは常に白紙の心を維持してその都度あるべき姿は何なのかと自問自答していくことを大事にしている・・・・

一旦自分の中でこれが真理だととか不変の真理だと捉えると現実が見えなくなります・・・ここでは、敢えて断定的に言っていますが、自分の中では強い仮説として捉えるように言い聞かせています・・・・つまり、上述した大人にはなりたくないからです・・・・・

以上の意味において③素直に生きる・・・これが、自分を殺さずに自分の脳を常に活性かさえるのに大事なことなのです・・・

逆境に対して子供の方が抵抗力が強いのは素直な心を持っているからなのです・・・・

また、評価されたくて、また、嫌われたくなくて、自分を殺す事は一度そうしてしまうと、次回も同じように思われるが故に、社会的な認知が、本当に自分と乖離していく事にもつながり、この様な勇気をもてない人は、結局は社会的な認知に基づく役割を自分の本意とは別に演じていくという二重人格的生活を余技なくされ、そして、無気力になっていく・・・・これが人生のあり地獄の正体なのです・・・・

だから、先人は素直が一番・・・といっている・・・そして、自分を一番活かす生き方になる・・・・

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February 24, 2009

今回を人類最後の世界恐慌できるか・・・これが問われている

日経で“景気循環と恐慌”のゼミナールとして、もう既に種々の景気循環論などが紹介されて、既に、本日ので36回目を迎えている・・・種々の循環論に触れて同時に異なる循環論がふれられているのを見ていると、いったい幾つの循環論があるのか厭きれてしまう・・・・

経済学者は、所詮は、後付けの理論を過去になってから理論化している・・・分析や解析を行なえばいくらでも後からいろんなことが言いえる・・・しかし、景気循環論がこれだけ多くあるということは、まだ誰も景気循環論の本質を理解できていないことを示している。

しかし、少なくとも今までのところ、Kozyの捉え方をする理論は現れてきていない・・・景気といえば、自然災害の影響を受ける場合は別にして、需要の読みと供給の読みのギャップが景気循環の根本にあり、無知さと強欲さが導いてきたが、そこには当然大きな技術革新の波の影響をもろに受けてきた・・・・

しかし、歴史的に見ても、1980年大の後半から、つまり、ICTの技術革新が本格化し始めたときから、Great Moderationと呼ばれる鉱工業生産の振れは、また、インフレの振幅の幅超安定化してきた・・・・ そして、ICT技術の革新を受けてトヨタの看板方式を代表とする在庫管理技術が飛躍的に向上したことも大きな原因になる・・・

そして、金融政策の運営手法も飛躍的に向上してきたが、金融工学に代表される証券化やレバレッジを多用する、正に強欲な技術が洗練されてきた。80年代ぐらいまでは金融経済は実体経済の三倍ぐらいでしかなかったが、Kozyは十倍を超えていると危惧していたが、最近の種々の情報を見ていると三十倍ぐらいに行っていたのではないかと思われる・・・・

この裏には実体経済という製造業では日本に太刀打ちできないとの認識より、金融経済による実体経済=製造業を支配下に置こうとの米英の戦略的な動きがあったと捉えているが、正に、ミイラ取りがミイラになってしまった・・・しかし、金融経済が約十分の一には収縮することは、正に大恐慌を起こしてしまうのは自明の理ではある・・・・

英語では、Old same story、つまり、同じ過ちの連続という意味の言葉がるが、米英のこの様な国家戦略は二度と容認されてはならない・・・強欲は罪であるが、この様な地球規模の国家戦略に踊らされる無知さも罪なのである・・・

しかし、何故この様なことが起こったのかという事を考えてみると、科学や技術は、事実を基にして誤解の生じない記号化と公式に拠る革新が成されるが故に、今まで発達してくることが出来たが、人間は未だに基本的には何も進化できていない、つまり、発達できていない・・・・

また、大事なことは過去から学ぶことしか出来ない人間が如何に未来を読む事が出来るかが問われているとも言いえるのかもしれない・・・・・

しかし、ICTの技術革新が齎した社会は、60億人以上の人類が住む地球を、あたかも弥生時代などの集落の単位でもある200名ぐらいのコミュニティーの中で何かをすれば周りに直ぐ影響が出る小さな地球、ガイアと呼んでも良いが、かっての大きな地球のような分断されたコミュニティの存在をなくしてきている・・・

また、この様に一つのコミュニティーと化してきた地球においては、釈迦の言葉を借りると“因縁生起”、つまり、直接的な因果と間接的な縁により全てがおきる訳であるが、理論物理学のクォークの世界の言葉で言うところの強い相互作用と弱い相互作用に基づき全てが発生しているということに相通じるのである・・・・

また、ICTの技術革新が齎した時間と距離を超越したインターネットの世界は、強い相互作用をより強く、さらに、弱い相互作用を最大化する力を秘めている・・・人類は今回のような、世界恐慌を二度と起こしてはならない・・・次回はガイヤそのものの崩壊に結びつきかねない・・・・

そのために難しいことを言う気はないが、実は、人間の構造的な問題からいうと非常に難しいことではあるが、大事なのは事実に目を背けない、そして、その事実の共有化さえ出来れば、人間が成長できるばかりか、社会は必ずよい方向に進むのである・・・

しかし、人間は都合の良い事実は認識できるが、不都合な事実は認識しようとしない構造を持っている・・・くれぐれも何が本当に事実かは執拗に掘り下げることが必用なのである・・・・・

また、多くの人との対話を通じて洗練されていくものでもあるのです・・・・忘れてほしくないのは、未来を作るのは何時の時代も私たち自身なのです・・・・・・

ちょっと難解になりすぎたとしたらご容赦ください・・・最近のKozyはこの様に考えているところです・・・・

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January 28, 2009

気善として生きる・・・・???・・・・

毅然としてという言葉がある、広辞苑では・・・意思が強く、物事に動ぜずしっかりしているさま・・・と規定されている・・・

Kozyはこの“きぜん”という発音から、広辞苑にも乗っていない言葉であるが、“気善”という漢字が浮かんでくる、気とは心のエネルギーを意味して、善とは神の意思にかなうことを意味する・・・・

広辞苑にある言葉で、似た意味では“正気”というのがある、違いは“善”と“正”の違いであるが、白川静の常用字解を紐解くと・・・正は征のもとの字であり、征服して征服地の人から税をとる、そしてそのような行為を正当として、正義としたのである。 それで正しいの意味になった・・・・

KozyのBLOGを継続的に読んでいただいている方は既にお感じだと思いますが、正しいという言葉はあまり使っていない・・・白川静の常用字解を紐解いてみて自分でもすっきりした気分だが、正しいと正論とか正義とか言う言葉には、力関係で強い方が正しい、・・・・または、多数派は正しいという類の私心などが含まれる・・・

だから、本Blogでは何度もこの世に普遍なものはないと何度も強調してきている・・・では、正気とは如何いうニュアンスが内包されているかというと、正気を取り戻せと言う人が、自分がわかる気持ちを取り戻せ、自分がわかる考え方を取り戻せということを意味するのである・・・・

歴史を見るまでもなく、あるべき姿を、その時代の常識に囚われずに考えられたことは、理論的には常に少数派人でしかないのも事実である・・・・本当にあるべき姿を求めることは、まさに毅然とした生き方が要求される・・・理解してもらうことは非常に困難なのである・・・これが集団の愚かさの本質でもあるのです・・・・

一方、中国の文化革命の顛末を見るまでもなく、染まりやすい若者を先導して、血気盛んな若者のパワーを屈指して、一方的に断罪することは人間コミュニちーとしは自殺行為でしかない・・・・本Blogで何度も言っている、先ず現実を受け入れろ対象は自分自身のことを中心に話して入るが、“正しいと正論とか正義”といわれる状態はまたは状況は正に現実社会を意味している・・・・・・

Kozyが云いたいのは、あるべき姿を思考できるようになると、それが出来るようになった人の多数派が、解らない人を馬鹿にしてしまうのである・・・相手を馬鹿にしてしまうと、コミュニケーションそのものが出来なくなる・・・そして、この様な人は集団の中で浮いてしまう・・・・そして、下手に口がたつので、ますます誰も相手にしない、そして、本人は、ますます周りを馬鹿にしてしまう・・・・

以前、コミュニケーション能力とか説得能力の真髄とはというのをアップロードしたが、相手の為に貢献したいという気持ちと普段言動が全てであるといっているが、この裏にあるのは相手を尊敬する気持ちと感謝する気持ちになるのだが、もっと掘り下げると人間の構造的な愚かさへの深い理解があれば、誰でも尊敬できる面を持っているし、誰でも何らかの形でお世話になっているという理解が深まる、だから、感謝の気持ちが持てる・・・そして、自分も人間であるが故に、当然ながら無意識のうちに人間のおろかさに縛られてしまうことが理解できるが故に、もう一つの大事な謙虚さが養われていく・・・・

また、本Blogで何度も言っているように、人間の愚かさからの解放は、物事を深く掘り下げて考えて、自分の判断基準はいったい何なのか、またそれは如何いう経験とか環境に依存しているのか、そして、それが、現在も正しいのか、また、変化して一近未来でも正しいのかを考えることである・・・・これが知的思考能力なのである・・・・

しかし、これは自分自身に対するものであり、本Blogで述べているところの第一の目である自分の視点でしかないのであり、相手、この場合は現実社会の“正しいと正論とか正義とか”という状態・状況はいったい何を判断基準にしているのか、またそれは何を根拠にしているのか、それは現在でも適用できるのか、変化する近未来でも適用できるのかを思考して検証する・・・これが相手の視点でもある第二の目なのである・・・この第二の目は種々の人たちとの対話を通じて検証されのである・・・・

この第一の目と第二の目熟成が成された上で、真の知的思考能力を屈指して、あるべき姿とは何なのであるかを考える・・・このあるべき姿というのが、神の意思に適うことであるのである・・・・この神の意思に適うこととは、人間が所属している生態系を維持そんぞくさせるこおなのである・・・・・

この様なことを行なえる、また、行ない続ける心のエネルギーを“気善”と新語として規定したい・・・この気善ができると、ストレスも感じなくなり、つまり物事に動じなくなり、心のエネルギーは維持されていくのである・・・・

皆さんも“気善”として生きることを心がけてください・・・・・

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January 12, 2009

What is changing(20)・・・・2008年を振り返ってみると・・・

昨年の1月30日に、“2008年は人類史上の歴史的転換期・・・よく観察しよう・・・”というアップロードをしている・・・正に、人類史上における歴史的な転換期であったと捉えられる・・・Kozyには、この問題意識を持っていたので、驚くというより非常に興味深く観察をさせて頂いた・・・・

Kozy自体は一人の普通の人間であり、どれだけ変化の胎動を正しく読み取りその向かう方向を理解したかは、自分でもなんともいえないが、少なくともいえるのは、種々の視点で考えて、2008年は歴史的な転換期でどの様な方向性が出てくるであろうという考えを持って生きてきた人と、ただ受身でニュースに接する人では、変化は必ず予兆を示すが故に、その予兆を感知する能力と起きた変化への洞察力には大きな違いがでてくる・・・・・・

誰の言葉でもなく、英語では、“Change always cast shadow”が個人的には、“What is changing”シリーズのBackboneになっている・・・つまり、直訳すると変化はいつも影を投じている・・・意訳をすると、変化そのものは直ぐには見えない、しかし、その変化の影は常に現在に投じられている・・・しかし、変化の詳細な形は変化が完成しないと見えない、しかし、一部の影だけは誰でも見ることが出来る・・・・

人間の脳の持つ本質から言うと、これは決して容易なことではない・・・つまり、特に現在のアメリカ人に伝えたいのが、バラク・フセイン・オバマという有色人種で且つ回教徒を父に持つ米国の大統領の出現は、確かに歴史的な“Change”であるが、オバマ氏が発する“Change, yes, we can”のメッセイジが示すように、彼はメシアではなく、We=米国民が変わる事を求めている・・・・

つまり、自己変革を求めており、自己変革とは、先ず、今までに学び信じてきた、つまり、Learnしてきたものを、すべてUnlearn, 学習してきたものを棄却する、今までの自分の中の信念や価値観を白紙にして、現実をありのままに受け入れて、その現実に基づき、Relearnすることが、Yes, we canの本質である・・・・

“Change, yes, we can”= we can unlearn and relearn つまり、苦渋に満ちた自己変革を求めていることであることを肝に銘じてほしい、もし、米国民がこの本質を理解せずに未熟者の常のように、逃避的にメシアを願望して、また、民主主義の最大の弊害である多数決の原則の齎すポピュリズムにオバマが負けてしまえば、ナチスの台頭と第二次世界大戦の勃発という、愚かな人間の歴史の繰り返しになる・・・・・

オバマが米国民を救うのではなく、米国民が自己変革を行なうことにより米国は救われる・・・・

また、あるべき世の中になるためには、変化の胎動を如何に正しく読み取るかに依存する。しかし、人間の脳の持つ本質からいうと、受身的な生き方をしていると、残念ながら情動が最初に起動してしまうが故に、見たくないものは見えてこないのである・・・特に、この点は、日本人に肝に銘じてほしい・・・・

しかし、2008年度の米国大統領選にて奇跡的なオバマ新大統領の当選を実質的に決めたのは、歴史的な金融破綻に対するあまりにもお粗末で無知さを米国民だけでなく世界にマケイン候補が露呈をしてしまったからである・・・・・、挙句の果てには、かのネオコンの人達までオバマ支持に転じてしまった・・・Kozy自体もマケインがここまで馬鹿だとは思わなかった・・・・

ネオコンの人達は、冷徹に現実の変化を直視して、マケイン氏を見限ったのである・・・当然、共和党支持者の重鎮や一般の人達もオバマ支持に切り替わった・・・・・本Blogで何度か述べているが、このような急激な変化は実際は、長い年月を経て、つまり、この急激な変化は、1989年のベルリンの壁の崩壊を始点として始まり、2001年9月11日の同時多発テロを契機として英米の世界戦略の挫折が世界中の人々の脳内に取り組まれた・・・

そして、今回の金融危機は2007年7月から、サブプライムローンを織り込んだCDO市場が消滅した為に起きた2007年8月19日に始まった信用収縮が、欧州で発生して始まった、そして、AIGが中心となったCDSの拡販により信用収縮の延命がなされ、また、欧米伴に、飛びついて急激にCDSの異常な膨張が生まれてしまい、そして、小口の証券化の拡大が、実態の掴めない金融不安を起こしてしまった・・・・

Kozyは、2008年にハッキリしてきたのは、“Everything human-being involved is lemom”, つまり、人間が関与する全ては欠陥品でしかない・・・・人類史が教えてくれているのは、人間は何度も同じ愚かな間違いの繰り返しをしている・・・その都度、確かに揺り戻しが起きているとは言いえるが、現在はガイアという地球生態系としての連動性が、ITC技術革新により、人類史上で一番強くなっている・・・・この当たり前のことを、ハッキリ知らしめてくれた・・・・・

21世紀に入り、社会心理学者のカーネマンが、ノーベル経済学賞を受賞したように、また、ナッシュ理論のナッシュがノーベル賞を受賞したように、人間は理性的な動物ではなく情動に支配されやすい非理性的な動物でしかない・・・

つまり、日本人は、海外では戸惑うが、日本以外では、普遍的な価値観や一貫性、そして、Yes or Noの二者択一をハッキリ求められるが、普遍的なものはないということ、つまり、その都度あるべき姿はこの場合は如何なのかを考えることを常とすることが求められている・・・・・しかし、人間の脳は、この不安を避ける為、また、瞬時の判断を可能にする為に、この思考回路を25歳以降は閉じてしまう進化をしてしまっている・・・また、不安=恐怖感という情動から開放されない構造を持っている・・・・

しかし、人間が人間として五感を通じて入手する情報はすべてが非常に精度がよくない、つまり、曖昧な情報に基づき整理をするという進化の選択が、人間の脳の発達を齎したものでもあり、人間であるが故に諸刃の剣なのである・・・・今回の世界恐慌は、個人的には100年に一度とかの問題でなく、人間が人間であるが故に必然的におきる問題を、今までのようなゆり戻しの機能で乗り切るのではなく、人間の脳の新たな進化を求めている気がしてならない・・・・・・

もしくは、人類全体の社会規範の再構築が必要になる・・・・正にその最大のチャンスであり、人間の成長は、残念ながら逆境の経験しかないのであり、まさに、逆境という最高の機会を人類はこれから経験を強いられる・・・・

昨年から、セキュリティーの監査の仕事を通じてセキュリティーを掘り下げてきたが、正に、これからの世界を考えるに、世界は秩序ある世界を求めている・・・まったくの自由主義は正に維持不可能なものであり、また、まったくの資本主義は大きな存在になった企業においては、つまり、権力を持ちすぎた集団が、更なる権力とお金を求める行動は、集団の愚かさに縛られて、今回のような信じられない愚かな行動に走らせる・・・

セキュリティーの基本から捉えると、①抑止力の維持強化、②問題がおきたときの対応のスピードの速さの維持、そして、③システムとしての脆弱性を常にチェックするシステムの構築力の三点に絞られる・・・・・この三つの視点で捉えていく必要がある・・・幸いなことに、人類史を見ても、あるべき自由の維持の為には、秩序の重要性を愚かな人間も許容してきている・・・・

秩序の維持の為の大事な判断基準は信義誠実および審議誠実の絶対的な価値観の維持が必要になる・・・・

また、人類史は繁栄を極めた文化の衰退は、その繁栄を導いた価値観が変更を求められたときに、その価値観を変えることが出来なくて文化は衰退していく、つまり、持続可能社会=Sustainabilityとは不都合な事実などがキーワードとして挙がっているが、人間が楽をしたい、自然の脅威を技術革新で押さえ込む、お金と技術で人間の限りない欲望を叶える、等々の価値観は破棄することが求められている・・・

最近ふと頭をよぎるのは、人間の脳が、意図的に、人類への最大の逆境を与えることにより、人間の脳の進化を人類に求めていると感じてしまう・・・・ここで人間が進化できなければ、ガイアの一つでしかない人間種、または、人間が築いた文明は崩壊する、また、自爆するだけの力を持ってしまっている・・・・

ちょっとあまりにも抽象的になりすぎたので、これからの時代、Kozyは人類史上で一番大きなパラダイムシフトが求められている、つまり、2-3年や5-6年というスパンでは、表面的な回復は齎せたとしても、本質的なパラダイムの変換には10年は必要だと見ている・・・今後の十年間は次の点(順不同)に常に留意をして物事を自分で考え、自分で判断をして、その検証をして行動をしていくべきだと申し上げたい・・・・

* 何かことがある度に、自分の判断基準は何処から来ていてかを問い続けよう・・・そして、その場合の構成要因に変化はないかを考えてみよう・・・・

* 曖昧性の取得により進化した人間の脳であるが故に、自分の判断をするときには、現実をよく見つめる必要性があるが、この現実を直視するときには、曖昧性を排除して考える習慣をつけよう・・・・

* 曖昧性が排除できないときは自分の中で不安を感じると思うが、それが故に、二者択一の理論に逃げたくなるが、全てはその都度の状況により異なる、よって、これこれの条件の時にはこうであるとの判断をするようにしよう・・・つまり、一つの仮説として、頭の中に取り組むようにしよう・・・・

* 物事に対する判断基準とは、重要視するものの優先順位の明確化であり、この優先順位はその都度の状況により異なる・・・また、物事には陰陽があり、最低でも両面で検証しながら考える習慣を身に付けよう・・・・

* より深くより広い経験と理解がないと、正しい判断は出来ないのが常である、また、新しい価値観は表面的には周りの古い価値観の変革を求めるものであるが故に、最初は常に孤立をするものである、孤立を恐れてはいけない・・・

* 今回の世界恐慌は権利欲とお金への欲が、齎したものであるが、売り手と買い手の情報量の非対称が存在するときは、正に悪貨が良貨を凌駕するという至極当然の結末である・・・情報の非対称が大きいと感じたときには、情報の開示を求めよう・・・

* ITCの技術革新、特に、インターネットは個人の発信力を人類史上最大にしている、また、情報収集能力も同時に最大にしている・・・この二点を忘れないこと・・・

まだまだあるが、今回はこの辺にして、Kozyが感じているこれからの変化の収束方向について感じていることを、最後に述べておきたい・・・・

* 基本は自由主義社会は維持される、しかし、自由の行使は、あくまで権利に伴う義務の行使が前提の社会になる・・・・

* 民主主義は、これからも維持されるが、間接民主主義、つまり、選挙で選んだ代理人による政治は終焉を迎える・・・つまり、直接民主主義による意思決定がITCの技術革新が可能にしてくれる・・・・

* 資本主義は、人間の持つ愚かさが解消されないと考えれば、善なる気の供給に対する、また、善なる秩序の維持への貢献に対することを最重視するものに変わっていく必要がある・・・

* 市場主義は、より速やかな揺り戻し機能の場であるが故に、存続させる必要があるが、行き過ぎない監視システムの構築が絶対条件になる・・・・

* 金融工学の更なる発展は必要だが、金融経済と実体経済のあるべき比率の決定が必要になる、また、投資と投機の線引きが必要になる・・・投機による利益は、Safety Netの維持費を担う責任を持たせる・・・・

取り敢えずこのぐらいは書き残しておきたい・・・・・・・・・・・・・・・

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December 07, 2008

太陽系の中の人間の陰陽の考察・・・・・・・

恐らく太陽系には、人間以外の高等動物、つまり宇宙人はい存在しないと思うが、広い宇宙には宇宙人は存在していると考えるのは、むしろ普通の考えかもしれない・・・今回はこの様な空想の世界観ではなく、太陽系を一つの生態系として捉えて、その生態系の一員として人間を捉えてみたい・・・・

事の発端は、陰陽の思想にはもっと深いものがあるのではないかと考えたからである・・・・惑星や恒星との関係は相対性理論で説明が付くと思うが微妙なバランスの中で太陽系は維持されているが、いずれは太陽も限界を向かえ、消滅と同時に新たな星の誕生を迎えるのであろう・・・・・太陽系の構成物である地球としての生態系について考えてみたい・・・・

地球上の生命体は全て光のエネルギーにより生命を維持している・・・光から熱エネルギーや電気エネルギーに変換もされるが両エネルギーから光エネルギーにも転換も出来る・・・もし、24時間太陽の光エネルギーを地球の同一面が浴びていては、一体日のあたる面は何度になるのであろう・・・つまり、地球が自転していることにより全ての生物が生存できている・・・・恐らく、地球の自転は他の恒星や惑星との相対性理論で説明されえるのであろう・・・・

つまり、太陽光を浴びている時の陽と太陽光を浴びていない時の陰との繰り返しが生命体を維持させている・・・全ての生物が光を浴びているときに活発な活動をしているわけではない、日の強いつまり、暑いところの動物は夜行性になり、夜に活動をして、日中は体力を消耗しないように睡眠等をとっている・・・・

人間に目を向けると、人類の中でも他の動物同様に中東の人たちは炎天下での活動は消耗が激しいが故に一番暑い時間帯の午後には昼寝をする習慣を持っている、そして、子供用の遊園地も深夜まで開業している・・・そのような環境の中でユダヤの神の啓示を受けたモハメッドが開祖として始まった回教徒の戒律は、中東に何度も行っていたKozyは、なるほど・・・と思わされることが多い・・・・

一方、今回のテーマでもある陰陽の考え方は中国思想からきている、つまり、農耕が出来る天候の下の中国の農耕民族社会で生まれた思想である・・・表面的な意味としては、常に物事には陰と陽の部分が共存しているということではあるが、最近は、Kozyはこの含意とはもっと深いのではないかと感じてきている・・・・

生態系として太陽系を捉えると、人間も地球に住む生物として、毎日、日が上りそして日が沈む生態系の特色の中で生きており、この特色を最大限に活かして進化してきたが故に、いまや、地球という生態系であるガイアを潰しかねないほどに進化してきた・・・・・いったい何がその最大の要因になったのか・・・・

単純に昼は働き夜は睡眠をとり体を休めて、適応をしてきたということではないだろう・・・多くの生物が同様に適応をしており、人類に限ったことではない・・・・

Kozyは複雑系の科学の基本である生態系の摂理である、最小のエネルギーで最大の効果を発揮するものがその生態系を凌駕するという視点で、人類は、今や、完全にガイヤを凌駕しており、確かに地球温暖化等の問題などのしっぺ返しを受けて、このままでは人類は滅亡に向かうとは、理解するが、人類は無意識のうちに昼と夜を使い分けて人類そのものの進化を齎してきた・・・・

本Blogで何度も述べているが、Good Switcher=切り替え能力は、まさに、昼と夜で人間は切り替えることの重要さを全員が学んできている・・・・疲れるから夜は眠るという単純なことではなく、脳科学では既に、睡眠中に脳内で種々の整理をして、正に曖昧な情報の整理をしていることが、確認されている・・・・

Kozyは、時々、寝る前に意図的に自分自身で、整理が出来ていないことを考えることにより、この睡眠中の時間を自分の脳に整理させることを行なっている・・・かの湯川秀樹博士も寝ている間に理論だ整理され思いついた、また、皆さんも真剣に考えていることが、寝ているときに解決策を思いついた経験があるはずである・・・・

また、物事を深く考えるときは日中より夜に思考を深めることも多いのではないだろうか・・・しかし、同時に夜の思考はネガティブになりやすく、日中の思考はポジティブになりやすいとの報告もある・・・Kozyは、この報告には自分自身でも合点が行くところがあると同時に、自分がポジティブ思考に入るときは心の高揚のスィッチが入る事を
感知することが多い・・・・

これは、いわば、これから切り替えて楽しむぞ・・・というものに似ていると捉えている・・・また、心のエネルギーのチャージャーのスイッチを切りあえるのと似ている・・・・KozyはよくKozyのことを知らない人からは超ポジティブといわれることが多いが、自分では超心配性な超ネガティブなのが自分の本質だと捉えている・・・・確かに思考のスピードは普通の人より速いというのは実感はしている・・・・

経営の王道の一つに、超ネガティブに種々のケースを研究して、方策が一旦決められたら、超ポジティブに実践していくということがあるが、特に日本人は、最近は減ったかもしれないが、ネガティブ思考に対し悪い事だと捉える風潮がある。しかし、本Blogで述べたように、悪いところや問題点を的確に掴むのもっとも有効な思考法であり、この才能なしには、人間は成長どころか、より多くの問題に遭遇してしまい、下手すれば短命になってしまう・・・・・

人間の日々の活動を司る脳幹は、交感神経と副交感神経、つまり、プラスの交感系、マイナスの交感系ともいえるし、活動的にする交感系と休息の為の副交感系とも言いえるものであり、以前何度か述べた、正に、脳内の活動も含めて、行き過ぎると元に戻すという海水と同じ緩衝液の機能を持っている・・・

恐らく太陽からの光エネルギーを受けて日中はポジティブまたは行動的になるが、人間にとっては、これは経験学習を行なう時間であり、夜は経験から学んだものを脳内で検証して整理をすることが、言葉の取得により可能になると同時に、次に、文字の発明と印刷技術の発明により、記憶の限界を補う、また、伝承に関して飛躍的な精度の向上を齎した・・・・

一方、文明というものを捉えると、第一には250人以下の集落で完結できない人間社会を齎したが故に、人間が人間である所以でもある、25歳までの経験で即断できるように、むしろしてしまう、脳の本質的な機能が、有効機能しない社会を作り出した・・・それが故に、この点でもっとも大きな人類史上での変化が起きたのが、産業革命であり、この時から、精神疾患系の病気が飛躍的に増えてしまった・・・・

第二は、技術革新の進歩が、それまでに不可能であったものを前提にしていた価値観のドラスティックな変化を齎すようになる・・・このこと自体は、人間の育ち方から捉えると約9割の価値観は両親から受け継ぐようになっているが為に、現代のように人類史上、技術革新が一番早い時代においては、多様で多次元な社会と接することにより、自分の持つ価値観の多くが変化を求められる・・・・これがストレスの本質なのである・・・・

第三に、文明の崩壊を読み解くと、その文明の立脚する、または、一番大事な価値観の変革が求められ時に、変わることができなくて、それまでの栄華を極めた文明が崩壊し

ている・・・今の文明の根幹にあるのは、科学の力で楽をすることおよびガイアの中で、人類に都合の悪い事を駆逐していく価値観なのであり、この価値観が変えられない限り、ガイアに築いた人類文明は崩壊を強いられる・・・・・

というい所の三つの側面があり、第一での問題は、人類に人類の脳のメカニズムの進化を求めている、または、教育に対するパラダイムのシフトを求めている。第二では価値観の変化を求めることは、確かにストレスの時代といいえるが、Kozyは人類の寿命の延びは、単純に医学の進歩だけではなく、多様な価値観の習得は脳の活性化に繋がるが故に、使われる脳は健康になるが為に寿命が延びている側面があると捉えている・・・・

第三の問題は、正に人類の存亡にかかわる問題でもあるが、この様な文明が齎したものとして人間の本質的な強靭さを磨く機会の損失を齎しており、人間そのものを非常に脆弱にしている・・・かってチャーチルが民主主義は非常に問題があるが、今、これよしましなイデオロギーがないといったが、現代のような脆弱な人間が今の文明では多数派となるが故に、改良型の新しいものが必要だと捉えている・・・・

このままだと、地球の温暖化が齎すものは、生態系が平均気温が数度上がると、まったく異なる生態系が作られるが、恐らく温度変化が齎す、これまでは生息できなかったウイルスの発生により正に映画“I am legend”のような人類の消滅が来るのであろう・・・人間の脳内にある多くの冬眠ウイルスがその候補かもしれない・・・・

この様な悲観的な考えは日中は思いもしない、まさに、夜だけが思索のときなのである・・・ふと考えると夫婦喧嘩は何時も夜だった!!!・・・・深く掘り下げて考えることは非常に大事であると述べているが、ここで必要で且つ陥りやすいのがネガティブ思考である。 しかし、ネガティブ思考があるが故に、人類は進化してきた・・・・

この必要かつ充分なネガティブ思考の上に、より効率的な実戦に移行するためのポジティブ思考がある、これが陰陽の深い含意ではないだろうか????・・・・・!!!!

!・・・・ネガティブ思考は非常に大事な思考能力であり、問題は、いい加減なところで止めてしまうことにある・・・必要かつ充分なネガティブ思考は、必ず、あるべきポジティブ思考力を高めるのである・・・・・

しかし、一晩だけの考えで全てが整理が出来るものではない、経験学習の積み重ねてその都度のネガティブ思考のパッケイジの繰り返しが必要であり、ときに充電が必要なのである・・・これが心のエネルギー管理の目的なのである・・・知的思考能力の向上とは事実を検証しながら事実に基づくネガティブ思考のことを意味する・・・この繰り返しには、意識的で且つ主体的な取り組みが必要であり、これが、覚悟すべき一番大事な点なのである・・・・


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November 29, 2008

“心の弱さ”についての考察・・・・

多くの人が、解っているけれど出来ないんだ・・・・という状態にいると理解している・・・

人間を動かすのは心であり、心が弱いから行動に転化することが出来ない・・・誰でもがこの事は表面的には理解していると思います、しかし、次から次に種々の困難に立ち向かい実現していく人たちも、少数派ではあるが実在している・・・・この違いはいったい何処から生まれてくるのかという視点で、いったい心の弱さとは何なのかを掘り下げて説明していきたい・・・・・・

Kozyは、この心の弱さには、幾つかの次元があり、心の弱さという言葉が規定するものは単純な構造ではないと理解している・・・・・

Case 1:
一つは、この言葉“心の弱さ”という言葉に逃避する、つまり、自分が出来ないことの論理的な言い訳として、現実への直面化を避けている・・・しかし、ここで認識すべきは、人間の脳は皆同じ構造を持っているのである・・・少なくとも自分自身が真に解っている状態であれば、誰でも出来ることを意味している・・・

Case 2:
Case 1 の場合の本質的な問題は、もう一つの原因である、理解できているつもりで本当は理解できていないということなのである・・・・人間の脳は本質的には怠惰性に縛られているがゆえに、深く考えて理解を深めることを回避してしまうのである・・・怠惰性という言葉は別の表現にすると、最小のエネルギーで最大の効果を求める生態系の中で生きていく上での摂理でもある・・・・

Case 3:
Case2の裏に隠されているのが、第三の問題である・・・本当にしたいというほどの状態に自分自身がいない、または、追い込まれていないということを、潜在的に自分自身が感じているからなのである・・・・では、行動転化することはないではないか・・・ということになる・・・・何も悩まなくても良いではないか???・・・ということも出来るのである・・・・

しかし、多くの人が何故に、“解っているけれど出来ないんだ”といって自分を責めるのか???・・・これは、皆さんが、自分自身の中に培ってきた五感を通じて集められた情報の総体でもある自己概念が、自分の心の声として、生きていく上で本当に必要な心のエネルギー(これを東洋哲学では“気”と呼んでいる、そして、生まれたばかりの赤ん坊が一番大きな気のエネルギーを持っていると捉えている)の超えてはいけない低下レベルを超えてしまうのが時間の問題であると囁くからなのである・・・・とKozyは整理している・・・・

このことが、自己変革の三要素で述べた“心のエネルギー管理”を意味する・・・・つまり、人間の思考は言語でしか出来ないが、五感を通じて集積してきた自己内の概念を全て言語化して本当に理解することは、真に自分を知ることと同意語であり、なかなか簡単には出来ないのである・・・・・

自己変革の三要素で述べた、“知的思考能力”とは、少なくとも自分自身の中で言葉とその言葉が規定する概念が限りなく一致させることが出来ることにより、初めて言語を通じた思考が正しく行なわれる、そうでない言葉による思考は、当然、真の理解には結びつかないのである・・・・

つまり、言語の精緻化が大事になるが、この精緻化に必要なのが、それまで経験をしていないより広い経験とより深い経験を通じて、初めて磨かれていくのである・・・(自己研磨の本質はこのことなのである)・・・・つまり、自分で自分自身の中にある概念との対話は、これらの経験なしには出来ない・・・・

また、言語の精緻化が本当に自分自身で出来ているか否かの検証は、それまで出来なかった行動が出来るようになることによってのみ確認される・・・つまり、“多くの人が、解っているけれど出来ないんだ”ということは、実際は解っていないことを意味する、机上の理解だけでは意味がないのである・・・・・

普段から、自分の使っている言葉の規定を常に検証する習慣、問題の前提条件の整理確認する習慣、そして、システムとしてどうなっており、各プロセスで何をしており、その前後のプロセスとの相互作用がどうなっているのかという点に対する掘り下げた理解をする習慣、これらの習慣は、慣れていない人には非常に難しいことであるとは理解するが、これらの習慣があって初めて本当の知的思考能力が発揮されるのである・・・・・

念の為であるが、大事なのは姿勢の確立であり、システム的な深い理解は、経験が少ない人には不可能なのに、この探求が出来ないことで悩む人がいるが、若い時は、自分で創造して一環システムを完成して理解することで充分なのである・・・つまり、仮設を設定すれば良い。この仮説をもつことにより現実からの学習をするときに、大事な現実を見逃さなくなり、また、学習スピードが増すのです・・・

しかし、人間の脳の発達は、曖昧なままの情報の取り組みを行なうことにより発達したものであり、人間の脳の中での整理は常に曖昧な情報に基づく、曖昧なままでの整理が成されたものに動かされているのである・・・だから、皆悩むのである・・・

また、本当に知的思考能力を発揮して物事を掘り下げるということは、目の前にある現実を正しく検証をして受け入れて、曖昧な情報による理解をより精緻化して、自分の新たな理解を平易な言葉に置き換えて表現し直した言語による思考とその結果、頭に浮かんだものを、現実の中で検証してみるという作業が必要なのである・・・・

この作業がなければ、また自分の思い込みによる妄想になってしまう・・・・まさに、現実とは神の啓示ということが出来るのである・・・・現実との対話という表現が出来るが、この現実との対話とは実践して、つまり、行動に転化して検証をする、つまり、行動を通じて得た理論でないものは、正に机上の理論であり、信頼が出来ない、また、その理論が実践を伴わないものは理論としては信頼されない・・・・

また、行動を通じた学習は脳内の広い分野の活動を促すが故に、体験学習は短期記憶でなく長期記憶として脳に残るのです。また、この記憶は実戦で有効機能する、つまり、既に形成されている情動記憶の修正に役立つのです・・・・

ここで述べたような生きる姿勢の確立が成されていない人が、たとえ周りの皆の人に貢献できることを提案しても、周りの人を動かせることは出来ないのです・・・この様な経験を何度も踏むことにより、正しい生きる姿勢が確立できていった人は説得力を持つが、何度もの経験で、自分の普段の言動=生きる姿勢の確立不足が原因であるにもかかわらず、無力感に陥ったり、周りの人たちは馬鹿ばかりだと周りに責任の転嫁をしてしまう駄目な人になる人に分かれていきます・・・・

残念ながら、後者が圧倒的に多数なのである・・・・先人が言っているように、信用は築くのに時間はかかるが、信用をなくすの一度の言動で簡単になくなるのである・・・・つまり、完璧な聖人になれとまでは、言わないが、周りの人は自分のことは棚に上げて、少しでも他の言動で非があれば、その非を誇大に評価してしまう・・・人間は、これほどに傲慢になりやすい、だから謙虚さを自分に言い続ける必要がある・・・・

ここで大事なのは、不完全な人間であるが故に、誰でも魔がさすとか、疲れから怠惰な言動に走ったりする事はあるが、その非を素直に認めて謝罪したり、何度も同じ間違いをしない反省という学習能力を常に発揮することなのである・・・・この様な人の存在が今の社会では非常に減ってきているのも事実である・・・・

昔はよく耳にして言葉で“職場の良心”という言葉があったが、あまりにも未熟な人が増えて、未熟な人があるべき方向への抵抗勢力になるが故に、“職場の良心”候補であった人たちを圧殺している、そして、未熟な人が職場がよくないとかの言動に走る、全て自業自得なのである・・・・

ここで述べた“生きる姿勢の確立”とは、正に“自己変革の三要素”で述べた、“覚悟の醸成”そのものでもあるのです・・・・

さて、最初に戻ってCase 1で終わってしまう人は、人間は皆、人間であるが故に“心の弱さ”をもっていること、そして、人間が真に成長することは、自分の“心の弱さ”と戦う必要があることを肝に銘じてください・・・・そして、誰もが生得的にもっているものは同じであり、誰でもが成長できる・・・これが生きる上での覚悟でもある・・・

Case 1で止まってしまう人は、これまで生きてきた中で、自分自身のもっている心のエネルギーが低下しすぎている。それ故に、自分が真に楽しめることがあれば楽しんで心のエネルギーを上昇させてください、しかし、念の為ですが、楽しむことは、決して目的ではなく、成長する為の心のエネルギーのあるレベル以上に保つ為の手段でしかないことを忘れないでください・・・・

Case 2で止まっている人は、真の知的思考能力の向上に励んでください。・・・行動心理学では、人間の場合は、“論理化”といわれる心の知的思考能力を発揮して自分自身で論理的に納得することが必要とされている、Kozyが大学院で受けた講義ではこの“論理化”については詳しく述べられなかったが、Kozyは、これが一番大事なことだと捉えている・・・・・・

特に現代社会においては、この能力を人類全体で向上していかないと、新千年紀は在り得ないのではないかと捉えている・・・つまり、恐らく産業革命までの時代はよかったが、産業革命、つまり、人間が楽をしたい気持ちで技術進歩を選択したことにより、技術革新のスピードが人類史上最高速になったが、これらの技術進歩は二つの大きな弊害を齎している・・・・

一つは、忍耐力をつける頑張る機会を減らしてしまった、そして、もう一つは生きていくことに対する価値観の変化のスピードまで速めてしまった・・・・これらの事は、産業革命以前の今より小さなコミュニティーのなかで完結していたコミュニティーという社会の喪失なのである・・・・

人間の脳は、25歳までの経験により瞬時の判断をするようになっているが、その根源にある前提条件が、小さなコミュニティーの中で完結して、価値観の変化が非常に少ない場合は有効であるが、現代のようなある意味では無限大に近い数のコミュニティーとの相互作用の中で生きていかなければならない社会においては、25歳までの人生での経験はむしろ邪魔になり、必然的に異なる価値観との対立が起き、人類史上最もストレスを起こす環境で人間は生きていく必要があるのである・・・・これが更に上位の生きていく為の、また、自己変革のための覚悟の真意です・・・

ストレスとは個人だけの問題でなく、その対処には相手への攻撃や逆に回避というものが発生するものであり、これが人間各個人の成長への大きな弊害を生むのである・・・・

一方、自然科学は、その使用する言葉や思考する場合の方程式などに使用される記号等は、厳密に規定されており、それらをベースにした思考の発展は、これからも続いていく、しかし、社会科学や人文科学等は、規定の厳密さには、それぞれの社会経験が異なるが故に、厳密な規定の共有化自身が非常に困難であるが故に、自然科学に比べて圧倒的に進歩が遅いというギャップを産んでいる・・・・

この様な本質的な問題に打ち勝つ為には、先ずは現実として人間は言葉でしか思考が出来ないが、その言葉自体が精緻化されたものではない事への理解、そして、人間の持つ、ある意味では自然に摂理でもある最小のエネルギーで最大の効果を求める脳の支配からの脱却が必要になる・・・この理解が生きていく覚悟を醸成し、そして、知的思考力の向上を促すのである・・・

つまり、Case 2の人たちは、表面的な理解だけで解ったつもりになっている、これは脳が楽をしたいが故に起きるものであり、常に事実を再度見つめて、常に検証して理解を深める必要がある、・・・・現実と自己概念と自己が使用する言葉の一致が成されない限り理解したことにはならない・・・・・

人間の思考の源である前頭葉は、人間だけが持つ素晴らしい脳機能であるが、殆どの考えや感情は、辺縁系という情動を司る部分が先に起動して、約0.5秒ぐらいで前頭葉が追認している・・・この辺縁系は哺乳類の時代の脳機能であり、前頭葉は人間の証である機能であるが、この0.5秒とは短いようでも、その間に前頭葉を強く起動することにより、充分に辺縁系からの指令を覆すことが出来るように、人間の脳は出来ているのである・・・

ある意味では、この辺縁系の機能を現実に即した形に、強い覚悟や何度もの新たな経験を通じて向上させることが人間の成長になる・・・これは己の情動との戦いであり、あるレベル以上の心のエネルギーが維持されていないと、自分の脳の怠惰性に負けてしまうのです・・・・

先人が言うように、攻撃は最大の防御というように、攻撃とは能動的な思考行動であり、防御とは受動的な思考行動であり、受動的とは、どうしても先に情動が強く起動してしまうので、自己変革においても、先に自分で考えて決断をして行動に移す能動的な姿勢でないと難しいことを意味している・・・・

つまり、正しい理解の前提は受動思考でなく、能動思考をすることが必要であり効率的なのである・・・・これ即ち、普段から種々のことを掘り下げて考えることが必要であり、その検証にはより深い経験と新しい経験が必要になる・・・これこそが知的思考能力を鍛える近道なのです・・・・

Case 3の場合は、もし、Case 2で述べたような知的思考を経て、世間が如何いおうとも自分はこれで良いのだということになれば、“解っているが出来ない”対象であることは取り組む必要はない・・・人間は社会的な文脈、つまり、多数派の理論に押し流されやすい構造を持っているが、知的思考力を充分発揮して、やる必要がないとの結論に達すれば、取り組む必要なない・・・・・・

多数派の理論は常に正しいわけではない、むしろ、多数派という集団は集団の愚かさを生みやすいのである・・・

しかし、人間は、今回の金融恐慌および今までの歴史を顧みてもわかるように、不都合な現実には目を背ける“心の弱さ”を誰でもが持っている、つまり、これは、脳の持つ本質的な機能そのものでもある・・・・特に金融関係は人間の強欲さが渦巻く私利私欲に囚われており、行くところまで行かないと判らない愚かな構造下にある・・・

これでお解かりの方もいると思うが、“心の弱さ”は、脳の持つ本質的な機能であり、脳の陰陽の陰の部分なのです、しかし、人間の脳は陽の部分を持っている・・・これがここで述べた知的思考能力であり、前頭葉を本当に上手く起動および機能できるかに、人間の成長は依存している・・・

追伸:

つい今回は、かなり本質的な部分に触れる話であったので自己内での整理に時間がかかりました、また、今週も出張で忙しかったので、投稿間隔が開いてしまい、申し訳ありませんでした・・・・また、少し長くなりすぎたこともご容赦ください・・・

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November 17, 2008

自分の存在・視点をなくしてみよう・・・・・

生態系で生きるもの、むしろ生きていけるということは、相互作用の中で存在が保たれていると言うことです・・・・・人間も同じ生物として、生態系の一構成物でしかない・・・だから、今環境問題が問われている・・・しかし、人間社会という人間だけで構成する生態系も同じ側面を持っている・・・・

多くの人がその人間だけの生態系の中で悩んでいる訳ですが、その悩みは、自分自身の存在が独自のもの、または、相互作用をうけない独立したものであるとの妄想でもあり、また、その幻想に縛られているが故に、相互作用の中でしか生きていけない生態系の中で自分自身で悩みを創造して、自分自身で悩むという一人芝居をしている・・・・・非常に愚かなことなのです・・・・

最近、Kozy自体が、本Blogで、何度も言ってきている・・・有りの侭の自分を受け入れろとか、種々の経験をしてそれまで知らない自分を体感しろとか、25歳までの経験に縛られ散る自分自身を知れとか、などの発言では、Kozyのように小学生のときから転校を重ね転校の度に、自分の限界を知る、自分の能力を知るとかの試験的な実験に取り組むことが出来たが故に、“自分”という存在を若くして体感できる幸運に恵まれていない人には、自分を知ること自体に、より困難さがあるのではないかと感じてきている・・・・・・

つまり、小学校の高学年から俗に言うところの人格形成がはじまるのであるが、狭い世界観でこれが出来上がってしまった人には、自分を見るのにも自分というバイアスがかかるがゆえに、自分を見ることは難しいということである、つまり、自動的に頭に浮かぶことはそれまでの経験が齎すものであり、これを自動脳と呼んでいるが、自動脳の呪縛からの開放は、人間形成の大事な時期に幅広い実験に基づく経験をしたKozyには、簡単に出来ても、平和に逆境もなく育った人にはあまりにも難しいのではないかと感じている・・・

論理的には、人間の成長の三つの段階、第一の人生、第二の人生、第三の人生のメカニズムを理解して、第三の人生を可能にする為の方策として、三つの目を常に意識して生きるという考え方は間違っていないと今でも確信するが、平和に育った人や、人生のある事件以来、視点が偏ってしまった人には、もう一つの方策として、自分を苦しめてしまう自分という存在をなくすという考え方を実践することが、正に、第二の目の速やかな発達を促すということです・・・・

完全な哲学的な話に聞こえるかもしれませんが、これは発想の転換ということです・・・・即ち、自動脳の呪縛殻の開放策でもあり、人間社会の本質への理解を高める為の近道になる可能性を秘めている・・・・これだけでは、解りにくいと思うので、少し、

具体例を挙げてみたいと思います・・・・・

例えば、昨今のKozyのBlogの訪問者を見ていると、“駄目上司”で検索してくる人が多いが、今まで周りの人間、そして、自分自身の経験からも、駄目上司と感じたことにより、何ゆえ、自分の上司が、駄目上司だと感じさせられるのか(どの様な作用を、周りから、その上司から受けているのかるのか)を先ず最初に考えることが必要です・・・・・

そして、その上司は何処からどのような作用を受けているが故に、駄目な言動が成されるのか、自分を知るよりは、周りの方が観察をしやすいが故に、観察をしてみてください・・・・・実は、この点に関する理解力を向上させてくれたのが、人格形成に差し掛かったことから、Kozyが毎日のように聞かされていた、独身寮生の愚痴と、自分の人生の失敗から気がついたアドバイスだと、今では捉えています・・・・・

上司というのは、特に中間管理職(この規定は社長ではない管理職全てといって良いでしょう)は、上からのプレッシャーに納得が百パーいかなくても、また、逆らいたくても、家族を持っており、その生活を考えると首になる、または、降格による給料の減額、または、地方に飛ばされる等々のリスクを考えると、逆らえなくなる人たちなのです・・・・この人たちを本当に責める事が出来る人がどれだけいるでしょうか・・・・・・

しかし、自分が納得できないことを自分の部下に如何伝えることが出来るでしょうか・・・確かに、頭の悪い上司はいるでしょうが、頭がよければ良いほど、また、優しい心を持っていればいるほど、納得できないことは伝えることが難しくなる・・・優秀な部下は、この点を悟って対応をします・・・文句ばかりを言わないのです・・・文句ばかりを言う部下が多ければ多いほど、上司は、虚勢を張ったり、怒鳴ったりをして、また、そんな部下の為に責任をとることを回避しようと考えてしまいます・・・・

この様な上司と部下の関係は悪化の一途をたどっていく・・・そして、面と向かって本音を言えない人は、悪循環は更にひどくなっていく・・・・こんな当たり前のことではあるが、学生の人には、背中にしょったものが少ないが故に、自分はそうは成らないという言葉で整理をして非難をしてしまう・・・・

60年代の後半に、学生運動にも大きく影響を与えたものの中に、“Don't trust over 30s”つまり、30歳を過ぎた人間は信用するなということですが、Kozyの周りの連中は、30歳を過ぎた人間は日和見主義だと言って非難をしていましたが、Kozyは、それが、人間の持つ本質であると、多くの大人の愚痴を聞いて育ったので理解をしていた・・・それが故に、背中に荷物を瀬よっていない学生にとっては、社会正義を守る戦いは、学生の必須科目だと捉えていた・・・・・

だから、Kozyは、・・・学生が学生運動に関与しないのは人間失格だ、そして、大学を卒業しても学生運動をするやつは未熟な馬鹿だと言って憚らなかった・・・・・たとえ、結婚をして家族を持つことをしなくても、仕事はチームで行なうものであるが故に、自分勝手なことは出来ないと言う荷物は誰でも背中にしょっていく・・・・・

Kozyもご多分に漏れず、人間が構成する人間社会である限り、必然的に何人か、むしろ、殆どかもしれないが、駄目上司に仕えてきた、しかし、彼らを責めるというよりは、人間の本質を再確認させていただくと同時に、種々の対処方法を学ばせていただいた、結果としていえるのは、俗に言うところに駄目上司ほど、使いやすいものは無いと捉えている・・・・

駄目上司ほど、ある意味では自分の弱いところをさらけ出している人はいないのである・・・・・・弱さを利用すれば良いのである・・・また、結果としての成果を挙げてあげれば駄目上司にとってはハッピーなことになる・・・・・

駄目上司ばかりでなく駄目先輩も、自分の仕事で精一杯であり、仕事を丁寧に教えるような時間はなく、教える時間を割くことは、残業に繋がるのである・・・・駄目でない優秀な上司は、上司の本質は自己犠牲だと捉えることが出来ている人なのです・・・人間関係における作用反作用の中に、命令されれば反発したくなるが、上司がここまでしてくれていると捉えれば、命令には従いたくなる・・・・

この様な観察をしてから、自分は上司と同じ環境におかれた、何が何処まで出来るのかを自問自答してみることです・・・そして、そこから自分自身の視点である第一の目が成長をしていく・・・・・

最近の若いクライアントを見ていると、第一の目の成長から取り組むのは、回り道になる可能性が大だと見ている・・・昔から言われるように、自分のことはわからなくても他人のことはよく観察できるものであり、その観察結果を自分自身が同じ状況に置かれたら、自分はなにが何処まで出来るのかを自問自答する習慣を付けてください・・・・

くれぐれも間違えないで欲しいのは、ある行動に関与する人の構成は常に異なる、また、社会的な背景から来る価値観、つまり、社会的な文脈も常に変わっているのであり、観察結果が常に適用できる訳ではないということを肝に銘じて欲しい、しかし、不安感を人間は減らしたいが故に、こうだと決め付けたくなるのが、人間の本質でもあるのです・・・・

この様な本質にあがなえない人は、常により多くの広く深い経験を意識的に積み重ねる必要がある・・・つまり、自分の中の確信は所詮は思い込みでしかない、心理学では、偏向のことをバイアスと呼びますが、バイアスに囚われない為には、二つの道が在り、一つは、どんなに確信があろうとも一つの仮説として捉え、その仮説の前提条件をはっきりさせておく、・・・・・

もう一つは、バイアスに捕われ易いのが人間だと居直って、生きてる間に限りなく多くのバイアスを持つように新しいことには進んで経験をしてみる・・・そうすれば、結果としてバイアスはないことになる・・・トヨタやホンダなどの現場主義とか三現主義とは、机上の捉え方でなく現場に行き、現物に触れて、現実を正しく理解してことで人間の構造的な問題に対処している・・・・・

人間の脳は常に楽をしたがるものであり、思い込んでおけば、普段も悩まず即断が出来て楽である、しかし、脳に楽をさせては人間は退化するのである・・・・・・ここで述べてきたことは自己を否定することの論理的な背景と重要性である、普遍なことはない、常にその都度、この場合のあるべき姿は何かをよく考える、この面倒な生き方を選択する覚悟が大事なのです・・・また、本当はこれが脳=心の健康維持に一番効果があり、そして、知的思考力を高めてくれるのです・・・・

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November 09, 2008

What is changing(19)・・・・人間の成長が希求されている・・・

昨年の“What is changenging (17)”では、次のように締めくくりました・・・・“来年は、Revamping Yearになると見ている・・・Revampとは、修正のために変化するという意味であり、大きな潮流の変化が出てくると見ている・・・・”・・・・

そして、今年は3月の“What is changing (18)”では、日本人として、“日本人の無知さが、馬鹿な政治家と官僚を温存して、低金利と過剰流動性を世界にばら撒き、金融バブルをDriveしてきた張本人であるのに、この罪の意識が薄すぎる”・・・・と指摘してきた、また、この中でBaraku Hussein Obama氏の勝利はなく、結局は、マケインが勝利する可能性が高いと読んでいた・・・・・

しかし、黒人で且つ“Hussein”という回教徒の代表的な名前が含まれた人が、大統領として選ばれた、良くも悪くも、Kozyのように世界を駆け巡り、米国とのビジネスの経験の長い人間には、正に、後の歴史学者は、今回の選挙を無血且つ平和革命と呼ぶかもしれないほどのことである・・・・

マキャべりは、人民の無知無能に立脚した歴史的な事実からの意見を述べているのが多いが、議論を大衆の前で行なわれた場合は、人民の判断が間違ったことは無いとも言っている・・・・米国ではケネディーとニクソンとのTVを通じた公開討論が、ケネディーの勝利を決定づけ、それ以後は、常に、公開討論がもたれるようになった・・・・・マキャべリズムは、日本と異なり、欧米ではビジネスマンの多数派が読んでいる本であり、マキャベリがいなければ、ケネディー大統領もオバマ新大統領も生まれなかったともいいえるのである・・・・・

今回は、マケインは失言が多く自滅した・・・金融恐慌が、権利と義務に基づく自由主義の米国人に、リーマンが破綻しても、米国経済は磐石であるとの失言、企業支援は必要だとの明確な意見発信、また、民主主義の最大の問題である、ポピュリズムにまけて、無能な副大統領にペイリン女史を選び、当初はよかったが、選挙前には無能さが露呈してしまった・・・・・オバマ氏は、非常に幸運であったといいえる・・・

しかしながら、WASP(White Anglo Saxon Puritan)と呼ばれる米国の支配階級は、予想を覆し、オバマ氏が、ヒラリー氏を打ち破ったことを受け、真剣にオバマ氏が米国大統領になったばあいを考えることにより、ブッシュの8年間の間の負の財産、つまり、一極支配、米国の威信の低下、そして、最後には、極端な市場主義を強行することで、製造業で敗退した米国を立て直す為に、最新の金融工学といえば聞こえは良いが、デリバティブの無制限で無軌道な発展を促進したつけが、正に、人類史上最大の津波となって、ブーメランのように米国に押し寄せた・・・・・

ここまで威信として地に落ちた米国の復興は、死語になりつつあった“American Dream”、つまり、自由で、偏見もなく、努力する人、また、能力がある人が報われる“素晴らしい国、米国”の演出抜きには米国の復興は難しいと考え、戦略的に、かってのネオコンと呼ばれる人たちも含めてオバマ支持に転換したようである・・・・単純に若い白人達がオバマ氏を支持したからというものではない・・・・

また、米国における白人比率が下がってきたのもオバマ氏には幸いしたようである・・・・今回の結果は、どうも幸運というより歴史的な必然性があると捉えるべきなのだろう・・・・・・

11月6日の日経によると、今回の有権者は、未だに、白人が66.0%、ヒスパニックが15.1%、黒人が13.5%、そして、アジア系が5.0%という比率であり、この様な状況では、白人からの支持が無い限り当選は出来ない構造になっている・・・・

また、米国メディアの出口調査の結果が掲載されていた・・・黒人は95%、ヒスパニックは66%、白人は43%がオバマを支持した・・・性別では、男性が49%、女性が56%がオバマを支持した・・・そして、意外にも無党派層は52%しか支持していない・・・・・・・

。また、面白いと思ったのは、プロテスタントは45%しかオバマを支持していないが、カソリックは54%がオバマを支持している・・・また今回の投票率は記録が残っている1960年以降では、ケネディー大統領が選ばれた時が63.8%であったが、これを抜いて最高投票率を更新した・・・そして、初めて投票をした人は68%がオバマ支持であった・・・・・・

論理的には、これだけでは正確な判断は出来ないが、日本における郵政選挙のときのように、オバマ氏の票が一票でも多くなるように、それまで選挙に行かなかった人たちが、歴史的な選挙=革命に参画したと捉えて良いのだろう・・・また、黒人のオバマ支持率が驚異的な数字である95%より伺えるのは、いかに現在でも黒人への差別があるということを物語ると同時に、如何に黒人がメシアを求めているかを物語っていると捉えている・・・・

白人のオバマ支持者は戦略的なWASPとまったく異なる白人の低所得者層が混在していると捉えている・・・・・また、民主党が議会選挙でも圧勝をしたが故に、大統領と議会の両方を民主党が握る形にはなっているが、米国には党議拘束はなく、ヒラリー路線とオバマ路線は異なっており、決して、大統領府と議会の蜜月の安定政権にはならないと捉えている・・・・・

個人的には、米国人としてのプライドを傷つけられ、生活の困窮の度を深め、自由という権利の実施は義務の履行が前提である自己責任社会の重みにつぶされかけてきた人たちが、オバマ氏をメシアと期待して投票行動をとった人がかなり多いと危惧している・・・・つまり、これは、ヒットラーが台頭したときと同じ状況と同じ側面を持つ・・・・・・現在の日本も同じ側面を持ってきていると危惧している・・・・

希望というものは、与えられることを望む人は未熟者でしかない・・・成長した人間は希望とは自分で維持するものであると理解している・・・これは、グループ・ダイナミクスの定理であり、誰も否定できない事実なのである・・・この点では、オバマ氏自身は、黒人差別の中で育ち希望を維持してきた人間であるが故に、また、生まれて物心がついてから、つまり、10歳のときに一度だけ一ヶ月のみ一緒に暮らした経験しかなく、回教徒の父親の価値感の影響を受けずに、男性として生きる姿勢を自分自身で築いてきた人間と思われる故、成熟した人間だと捉えられる・・・・・

また、レーガン大統領のナンシー夫人、クリントン大統領のヒラリー夫人を超えるような、苦労人であり頑張り屋さんである人がファーストレディーになっている、学歴的にはこのミシェル夫人のほうが上であるぐらいであり、観察力と論理的な分析はむしろオバマ氏より上でありそうな人である、しかし、オバマ氏の言葉による表現力にミシェル夫人は、見せられて結婚したとの逸話があり、この二人の共同作業による、これからの米国は確かに、期待は持てそうであるが、非常に険しい道のりが待っていると捉えている・・・

未熟者の特徴には、メシア願望だけでなく、事実に目を向けず、直ぐの効果を求めてしまうので時間感覚がなく、忍耐力が乏しい・・・どうも支持者の多くが未熟者である可能性が大きいがゆえに、また、民主主義の最大の弊害のひとつである多数決の暴力と未熟者がどの社会においても多数派である人間社会の持つ構造的な問題を反映した構造的な社会問題がるが故に、特に下院議員のレベルでは未熟者の支持者に迎合するポピュリズムの弊害が危惧される・・・・・

オバマ新大統領は党派を超えた閣僚人事を考えているということであるが、ある時は共和党を見方にして政治をするめる戦略んをとることは非常に重要になると見ている・・・

理想は理想として追求し、現実は現実として受け入れて、現時点でのあるべき姿を常に追求する政治姿勢が大事になるが、表に出てこないテーマは、産業革命以後の歴史を見れば解るように、また、社会心理学者がノーベル賞の経済学賞を数年前に受けていることからも解るように、人間の持つ構造的な愚かさ、21世紀で何とかする方策を確立しない限り、ここまでグローバル化した地球の経済活動は、相互作用および相互連携があまりにも発達してしまっているので、被害は甚大になるが、今回の世界的な金融恐慌は何とかなると思うが、その次に来る問題は地球の存亡にも影響してくると危惧している・・・・

つまり、今問われているのは、如何にして、未熟な人間を減らすのか、如何に多くの人を成長させる方策を確立できるかが問われている・・・・・

そして、今回の金融恐慌を通じて問われるのは、これからの経済活動として、企業が健康でいることが個人に幸福を齎すのか、または、個人の精神的な健康が所属する企業の健康に一番大事なのか、つまり、救済は個人からするものか企業からするものかが問われている・・・しかし、個人と企業が健康でいられるのは地球が健康を維持していることが前提であり、第一義である、しかし、今、この前提が崩壊ししつつある・・・・・

未熟者は二者択一をすることによりすっきりするので、二者択一を求めてしまうが、Kozyはある問題に対してその都度どちらに軸足をおくべきかをその都度考える事が大事だといいたい・・・・これが、成長した人間の姿なのである・・・・

また、今回の州別の結果を見ていると、農産物の世界最大の生産国である米国であるが故に、一次産業産業が中心の州はマケイン支持、二次・三次産業が中心の州はオバマ支持という構図がはっきりでている・・・都市部と田舎の意見の違いがはっきりした選挙でもあると捉えている・・・・この融合にも成長した人間が増えなければ、融合は生まれ得ない・・・・

かって、チャーチルは、民主主義は決して良いシステムでは無い。しかし、民主主義よりましな主義は存在していないという趣旨のことを言っている、また、社会主義は理想であり、人間が全員が充分成長しない限りは、最悪の結果を生むことを露呈した・・・・経済で言えば、市場主義は確かに神の見えざる手により軌道修正が成される側面があるが、人間が愚かであるが故に、今回のような金融恐慌を発生させてしまう・・・・

Kozyは、最近は、“秩序ある自由な社会”、つまり、人間全員が充分成長することは、現実としては非常に難しい、つまり、必要悪という概念があるが、反面教師の存在は人間の成長には残念ながら大きいものであるが故に、民主主義と社会主義の融合した社会としての“秩序ある自由な社会”を具現化したいと思い、Physical Securityで蓄積されたものを勉強をしている、この知見を人間社会におよび経済活動に活かす道を模索している・・・・

しかし、Physical Securityにおいても方策としての考え方は確立しているが、やはり、各個人のセキュリティーの意識向上が一番大事なのである・・・これ即ち、個人の成長度合いが一番大事なのである・・・・

最後に、今までに何度か述べているので詳細説明は避けるが、最近はイノベーションが叫ばれているが、イノベーションは人間の脆弱性とストレスの増加を齎すものであるが故に、科学・技術の発展には、無条件に推進することは、人間の成長へのもっとも大きな阻害要因になることを忘れてはいけない・・・・

以上、つれづれなるままに・・・・・

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October 28, 2008

自己変革の三要素・・・・・・

全国行脚の旅を取り敢えず終えることが出来た・・・会計年度が、通常の会社と異なり11月30日である為、今期での出張は緊急の場合を除きこれで終了となり、これから溜まっている評価レポートを作成することになる・・・・

これまでは、日本の最北端の訪問地は妻の実家のある会津若松でしかなかったが、最北端は北海道の名寄まで記録を塗り替えた、北海道だけでも、このほかに札幌、旭川、留萌、そして、苫小牧まで訪問してきた・・・四国中国は全県制覇したが、後、訪問していないのは、南から、沖縄、鹿児島、宮崎、熊本、佐賀、秋田、岩手、そして、青森の八県のみが未だに訪問したことが無い・・・・

これで日本人であるといいえるだけの自信が持てた、しかし、来期は九州が抜けすぎなので全県制覇をしてみたい・・・・これから、一ヶ月をかけてレポートを作成する・・・・・

種々の地方の人たちとの種々の交流を通じて、色々と感じさせられ、自問自答を繰り返してきて、今、自分の頭に浮かんでくる人間の成長の為の三大要素は、もっと端的に言うと自己変革のための三大要素は、①自己変革に立ち向かう覚悟の醸成力、②自己変革を成し遂げる為の心のエネルギー管理と維持能力、③人間であるゆえんである知的思考能力・・・・この三つである・・・・

この三つは全てお互いに相互作用の関係で結ばれており、どれ一つとしてあるレベルを下回ってしまうと全てが駄目になる・・・

この三つの関係でやはり一番大事なのが、覚悟の醸成であると捉えている、つまり、多くの人が自己変革をしたいと思うのであるが、自己変革とは、苦行を伴うがゆえに、願望としての“したい=欲求”がいくら強くても、苦行に直面すると萎えてしまい、つまり、心のエネルギー不足の状態に陥り、前に進むことが出来ないばかりか、諦めてしまう・・・

もし、この時点で知的思考能力が十分であれば、この様な苦行に面することは論理的には当然のことであり、自分が、自分自身でこのままでも良いと判断をするのか、しないのかを知的思考力を屈指して判断をするが、人間の構造的な問題を、また、その人間が構成する社会の構造的な問題を確り理解が出来れば、再度、覚悟の強化が出来るのである・・・・

つまり、真の知的思考力を、ほとんどの人が出来ていない・・・・

つまり、実存する現実を現実としてどれだけ正しく認識できるかは、心のエネルギーの大きさに依存するのである、つまり、それまでの限られた知識や経験から自分の中に自動的に起動してしまう捉え方や価値観に、如何に縛られないようにするか・・・・

これがKozyの言わんとする自動脳のことであり、この自動脳に縛られないことで初めて現実が正しく見えてくる・・・・・この為には、心のエネルギー不足では、脳の持つ怠惰性に負けてしまう・・・・

Kozyが、皆さんにお勧めしている“3355”は、人間の構造的な問題の理解とその構造的な問題の呪縛からの開放策であり、この方策の実践を通じて、一番最初に深い理解をする必要があるのが、自己観察と周りの人達の観察を通じて人間の構造的な愚かさからくる、・・・・・・人間は自分の普段の言動を通じて、周りの人たちに植え付けた自分自身に対する社会的な認識に対して自分自身がその役割を演じていることなのである・・・・つまり、全て自業自得であり、まさに、因果応報なのである・・・・

そして、この自分自身に対する社会的認識への反発心が、自己変革への機動力になっている・・・・この理解が大事で必要なのである・・・・つまり、自己変革に立ち向かう覚悟とは、人の所為にはしないことなのである・・・また、周りの人の自分自身に対する認識の変化は、当然、すぐ変わるものではないことを理解して立ち向かっていくこと、これが覚悟であるとこを理解すべきなのである・・・・

もっとも愚かな人は、自分の偏った経験とそれに付随する感情により、自分の愚かさを認めることもなく妄想として、自分はこうなれるはずと思う人であり、当然、そこには正しい覚悟もなく、知的思考力もなく、当然頓挫してしまうだけなのである・・・・・・

個人的には英語の表現である“You are trying”という言葉を思い出す・・・この意味は、(自己変革を)試みている最中である=(結果が出ない状態であるが故に)苦しんでいる・・・つまり、試みは達成するまでは苦しい=苦行でしかない・・・・これが、現実であり、それが故に、このことを最初から理解していない人は、覚悟を本当にはしていないことでしかない・・・・

しかし、たとえ同じ事をしていても、この“TRY”ではなく“Challenge”する意識に切り替えると、挑戦という言葉になり、挑戦=覚悟と同じ意味になり、その挑戦の方向が自分にとって本当に正しければ、また、知的思考力を屈指して自分自身で本当に必要であると整理が出来ていれば、むしろ、ワクワク感が生まれるように脳はできているのである・・・

つまり、知的思考力が心のエネルギーの維持と増幅に貢献をして、あるべき覚悟を醸成してくれる側面もあるのである・・・・

もう一つ大事なこととして、“3355”を通じて、理解すべきことは、自己成長の度合いにより変化していくが、誰が一番自分を支えてくれているのか、また、誰を一番守りたいのかを知り、その人たちへ報いたいことを自分自身ではっきりさせ、その人たちの為に、そして、それが自分の為(自分が自分として存在できる為に)にもなることを理解して、そのために自分が如何変わりたいのかを考え知ることなのである・・・・

理由は簡単であり、人間の脳の持つ怠惰性の本質より、ただ自分の為だけという覚悟は、苦行に直面すると萎えてしまう・・・端的に言うと、自分で他の理由を見つけて逃げてしまう・・・・これでは覚悟にならないのである・・・つまり、利己主事による覚悟は弱いものであり、愛他主義による覚悟の方が強いのである・・・・

つまり、利己主義による覚悟は、集団社会での自分にとっての自分として変革でしかなく、集団社会に寄与が認められない限りは社会からの抵抗はより強く、また、変革への支援者は現れてこない。 一方、愛他主義による覚悟は、人間が集団の中でしか生きていけないが故に、集団社会からの支援が得られ、また、相手に寄与する自分自身の変革が自分の望む自分と一致することにより、一番おきな自己変革への心のエネルギーが得られるのである・・・・・

言葉だけで説明することは非常に難しいが、各三つの本質は次のように言いえるのではないだろうか・・・・

覚悟とは、・・・・・人間の構造的な問題から捉えると達成できないものへの挑戦・・・また、強い覚悟は、その目的達成に有益な脳内回路を活性化し、有害回路を不活性化する、良くも悪くも、だから、人間は多重人格者にもなれる。言い換えると、強い覚悟は、人間の無限の可能性の具現化へのスイッチになるのです・・・・・

この覚悟が無いと心のエネルギーの維持も増幅もできない、また、知的思考力も磨くことは出来ないもの・・・・・だから、一番大事なのです・・・・

心のエネルギーの維持・増幅とは、・・・・・如何に人間の持つ構造的な問題を深く理解して、現実との折り合いを付ける能力であり、そのためには、一方だけに偏らないで臨機応変にスイッチできる能力であり、これなくしては正しい覚悟は出来ない、また、正しく現実を捉えて知的思考をすることは出来ない・・・・

知的思考力とは、・・・・・曖昧性の習得により齎された人間の脳のみが持つ能力であり、それが故に人間は矛盾に満ちており、人間が構成する人間社会も曖昧性と矛盾に満ちている、この人間社会は構成員である人間の成長度合いによりあるべき解決策な変化していくものであり、実践+検証=経験によりあるべき解決策が醸成される。 念の為であるが、経験とは新しい体験及び、より深い体験のことである・・・この経験を喜んでできる人が知的思考能力を身につけるのである・・・・・

この曖昧性をその都度、俊時に、または、速やかにあるべき方向を見出すのは、現実的には不可能であり、それが故に、人間の脳は自動脳という機能を持つようになったと、Kozyは捉えている・・・・しかし、この進化した脳に、人間は縛られて成長が困難になってしまった・・・・・

以上の説明で、Kozyの言いたいことを得心していただける方は、相当、本Blogの愛読者であり、“3355”の実践者であると存じます・・・・・

また、この三つの要素について、他のテーマでも言及しながら、説明を試みたいと思います・・・・・・


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October 19, 2008

弱者の論理の正当性への考察・・・・・

健常者の弱者=未熟者とは、同意語であることを前提に、弱者の視点と弱者の論理というものを考えてみて欲しい・・・つまり、物理的なハンディキャップや先天的遺伝子問題に起因する弱者にたいする捉え方と、自分で勝手に自分自身がが弱者だと捉えている人たちは、分けて考える必要がある・・・・

また、健常者の弱者=未熟者=甘えている人達ということでしかない・・・この人たちの視点を正しく理解することは大事であるが、甘えまたは間違った認識に基づいているのが、俗言うところの弱者の視点であり、その弱者の論理もこの視点から生まれているものであることが圧倒的に多いのである・・・・

これらの弱者の人たちは、自分たち自身が、本人が如何に否定しようとも、成長することを回避することを選択している・・・潜在意識の中で、はっきり、むしろ正しく、成長することが自分にとっては大きな苦難を乗り越える必要性を認識しているからに他ならないのである・・・

この回避行動と自分が成長することに伴う苦難を避けたいが為に、攻撃行動にでることも、根っこは同じことでしかない・・・一方、本Blogでも何度も言っているが、自分の弱さ加減を正しく勝つ強く認識することは成長への第一歩でもある・・・いったい同じように弱者であるという認識でありながら、成長していく弱者と成長を拒否する弱者の分水嶺はいったい何なのか・・・これが正しく認識されていない・・・・・

本Blogで悪さ加減、弱さ加減の正しく強い認識を説いているが、よくよく読み返してみていただければ理解が深まると期待するが、分水嶺となるのは、自分は人間だから弱い、つまり、自分だけが弱いのではなく人間である限りはすべての人が同じように弱いということを理解できるか否かが分水嶺になってくる・・・・

恨みや嫉みということも、自分のことは棚に上げて相手に期待だけをするところから生まれる感情であり、そのための個人攻撃は、おかど違いである・・・人間であるから、弱いから、悪い事をしてしまう・・・つまり、嫉んだり恨んだ僻んだりする対象の人たちと自分がとっている行動も同じ根っこから出てくる行動でしかない・・・・・もしくは、相手は何も悪くない・・・・

本当に人間の持つ構造的な問題点を本当に理解できたなら、相手を恨んだり、憎んだり、嫉んだりする事が無くなるばかりか、如何に周りの人は、同じ人間として、如何に頑張っているのか、そして、自分と同じ人間なのに、ここまでの事をしてくれているのかが、否応なしに見えてくる・・・・

この分水嶺の違いを齎すのは、自分は独自の存在である、また、周りの人間も独自の存在であるという考え方に囚われているからである・・・人間は誰もが同じ構造的な問題を抱えていることへの理解が不十分であることを理解できていないだけである・・・

表面的な違いを生んでいるのは、育った環境と経験の違いに起因するだけなのである・・・・

この点では、誰一人として同じ人間はいないのは事実であるが、人間である限りにおいて同じ構造的な長短を持っている・・・・人間の構造的な問題=短所にだけ囚われていると、心も体も病んでいってしまう・・・・

しかし、人間の長所である知的思考能力を屈指して、希望を失うことなく、事実を直視して、チャレンジし続ける生き方は、恋に落ちることと同じ高揚感を齎してくれる・・・この体験的な理解=体得の経験を、これ即ち苦行でもあるが、出来た人が、真の成長へ導かれる・・・・

本Blogで何度か触れているが、社会を、そして、自分を理解するには、闘病生活、貧乏生活、投獄生活の三点セットが必要なのであろう・・・この三点セットを、Kozyの最新の理解に基づき掘り下げてみたい・・・・

1.闘病生活(治る見込みが無い)

一般的には、五体満足で健康でいるだけでどれだけ幸福なことか、つまり、“足るを知る”ということになると思うが、Kozyは、個人的には、また、経験上は、物心がついたときが入院中であり、幼稚園に入る前から、ひらがなを覚えて、外で遊ぶことが出来ないので、病院で何とか物語などという子供向けの本を読み漁っていた・・・

始めは楽しかったが、あるとき病院の窓から見た同世代の子供達が、駆け回ったりして遊んでいるかを見たときに、その笑顔がまぶしく思えてきて、退院したら、読書しか出来ないときは別にして、健常者である限りにおいては、体を動かして遊ぶほうが、如何見ても楽しいはずだと思った・・・・

恐らく、三つ子の魂百まで・・・実は、これは、心理学的には正しいとされているが、その後、小学校時代は真冬でも短パンしか穿かないような、毎日日が暮れるまで外で遊んでいる小学校時代を過ごした・・・真っ黒な少年であった・・・

つまり、今考えると、この当時から、自分で考えて工夫して遊びの技術の達人になる=自分で考え、決断して、実践をして、必要に応じて修正していく事がどれだけ楽しいことかを、内観するに、体得した気がしてならない・・・・

Kozyは、色々考えて工夫して上手くなる=心が元気になる、そして、自分の知恵で実践をして楽しむ=体が元気になる・・・このことを体感するのが、それが出来なくなることにより、その楽しさに気がつく、これが本当の闘病生活から体感できることでである気がする・・・

また、生死にかかわる、または、死線をさまようような闘病生活は、死んだらどうなるかは論理的には自分が死なない限り自分が納得できる答えは得られないことを知らしめてくれる・・・この事は、死は自分だけではコントロールできるものではなく、死を恐れても何時死ぬか誰も解らない事であり、今を如何生きるかしか自分で出来ることは無い事を知らしめてくれる・・・・

こんな当然の現実を直視させてくれるのが闘病生活のメリットだと捉えている・・・・

2.貧乏生活(浪人生活が正しい)

昔から、“人の不幸は蜜の味”というさめた言葉があるが、確かに、本当の大人に成長できない人たちが、現代社会では9割を超えるKozyの研究成果から言うと、圧倒的多数の人に当てはまる言葉であり、現に、Kozyがある日突然に貧乏になったときに、多感な少年の目は鋭いが故に、同情は自己満足の成せる行為・・・と強く感じさせられたのは事実である・・・

しかし、始めは反発していたが、同情による援助が如何なに小さくても、それがなくて生きていけないが故に、心の中では反発はしたが、継続的に小さな援助をしてくれる人とそうで無い人がいることを知り、また、自分が感謝することにより感謝の連鎖のが、徐々に、自分自身に帰ってくることを体感していった・・・・

また、この小さな感謝の連鎖を社会システムに織り込んだのが、当時の育英会の特別奨学金制度であり、つまり、貧乏にめげず頑張って成績優秀な人は普通の奨学金の倍の金額が与えられるが、半分は返還が免除される制度を知ったことであり、このお陰で、Kozyは高校だけでなく大学まで行かせてもらえたのである・・・・全ての納税者のお陰でなのである・・・・

このことを体感していたKozyが、就職をして初めて給料をもらい、それまでは母子家庭で税金は払ったことがなかったが、我が家の中から自分が納税できるようになったことを、嬉しくて仕方なかった・・・勤労、教育、納税が日本国憲法の三大義務であり、勤労と納税の義務を果たせた=日本人として、憲法上は、大人になった・・・・しかし、周りの誰一人として納税を喜ぶ人はいなかった・・・・・

また、貧乏生活は、否応なしに、毎日如何に生きていくか、また、如何にお金を節約すべきかを考えさせられる状況のことであり、常に頭を使う、現実を直視して知恵を生み出す生活であり、逆に脳は活性化して、この点では心は元気になっていく・・・正に、貧乏また楽しからずや・・・・

確かに、プライドの類はずたずたにされる部分はあるが、自分にとって何が一番大事で維持すべきプライドなのかは、若くして自問自答せざる得ない機会を与えてくれた・・・・

尚、浪人生活という視点では、実力があるにも拘らず、浪人生活を余儀なくされることを通じて、本人の市場価値の理解の重要性と、取り組みたいことが大儀として私利私欲が無いのかが大事であることを理解をさせてくれる・・・・

3.投獄生活

この投獄生活を含めた三点セットは、電力の鬼といわれた松永氏だが、はめられたものであるが、認めれば釈放になるものを認めなくて統監された経験を持つ、これは贈収姶に絡むものであり、社会的信頼を維持する為に、認めなかったものである。・・・投獄生活では、質素な食事の方が、健康に良いことを悟らせてくれたと松永氏は、後日述べているが、恐らく、当時の法律では違反でなくとも、信義誠実の原則を貫くことの重要性と、この様な現役人生の中で自由な時間を持つことの意義を感じ取ったのであろうとKozyは捉えている・・・・

このことを言い換えれば、自分自身の知力だけでは駄目、自分だけの行いだけではすまない、情動との戦いが、自分が自分に克つことにより社会的な支持が、一般大衆への希望を与えることに伴い生まれてくる・・・・・個人的には投獄生活は経験したことが無いが、これらを体得したのではないだろうか・・・・・

北野武が以前、人間は貧乏と死の恐怖から開放されればなんでもできるといっていたことがあるが、この貧乏の恐怖も死の恐怖も、考えるだけ、時間の無駄な恐怖感でしかないとKozyは捉えている・・・Kozyの胆力の源泉かもしれない・・・・・しかし、これは、現実直視による知的活動の賜物でしかない・・・・

現実直視による真の知的活動が出来るか否かが、自己成長の出来るという視点での強者と弱者の分水嶺になる・・・つまり、弱者の思考は、不適切な恐怖感に縛られて、現実直視が出来ていない論理であり、多くの場合は正しくないのである・・・その代表が社会主義国の崩壊である、つまり、人間の構造的な問題の正しい認識を避けた論理であり、まさに、非現実的な空論でしかない・・・・・・

よって、変化の時代における正しい意見は常に少数派にしかならない構造的問題がある・・・少数派の意見として独善的な意見となるか否かは、述べてきたような現実の理解が出来ているか否かによるのである・・・・だから、Kozyは“現実は神の啓示”として自分に常に言い聞かせている・・・・・人間の構造的な問題を考えるに、死ぬまで言い続ける必要がある・・・

人間は、死ぬまで成長が出来る・・・・また、その覚悟が大事でもあるのです・・・・

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October 12, 2008

この世に生を受けて、何の為に生きているのでしょうか???・・・・

今週は、生まれて直ぐに両親を亡くされて、親戚に育てられた女性と結果として話す機会を持った・・・活発で明るい女性であり、初めてこの話を聞いたときは、驚くと同時に、自己内に確信めいた気持ちが湧いてきた・・・つまり、人間がポジティブに成れるという本質は、そうでないと生きていけない・・・・

自分の所為でないことをいくら悔やんでいても、何にもならない、むしろ、悔やんでもどうしようもない事を悔やんでいると、自分の心のエネルギーが下がるだけで、いいことは何もない・・・また、自分の両親が居ないことは如何否定しようとしても否定できない・・・

これは、心のエネルギーのマイナス要因でしかなく、プラスのエネルギーを送り込まなければ生きて行けないと体感させられる経験を持つことが、結果として、ポジティブに生き続けるうちに、他の人たちより身いつもより大きなプラスのエネルギーを維持することに繋がっていく・・・・・

これが生物も人間も持っている恒常性の機能の齎すものである・・・・・KozyはこのBlogの中で何度か、自分の所為でないことは居直ればいいじゃんと言ってきているが、この居直りが出来るのは、自分の中でこれ以上は悔やんでいることが辛すぎる限界に達したときに、この居直りが出来るようになる・・・限界に達するまでは何度も悪あがきをしていた時代を思い出す・・・・

この様な経験を25歳までに出来た人は、今の時代は甘やかされる=守られることにより、非常に稀になってきている・・・だから、25歳を過ぎてから、守られるようながきの時代を過ぎても、情動が自動的に起動してしまうが故に、すねたり、相手を恨んだり、嫉んだりする甘えの行動をとる・・・この事は更に自分自身の衰退への悪循環に追い込んでしまう・・・・・

現代の日本における間違った大人とはの認識があり、それは、表面的な言葉の理解としては、相手を傷つけないことを大事にするという言葉に代表されるが、この本質は相手に恨まれることを避ける、また、周囲に人間に無神経な人間に思われることを避ける事でしかない、・・・・・このことを端的に言い換えると、自己保身だけの生き方を意味する・・・・・

この生き方の最大の問題は、自分から自分で考えて決断をして自分で検証の為の行動をとらない生き方であり、主体性や能動的な行動を破棄することでしかない・・・・この延長には、不必要で不適切な恐怖感という呪縛から逃れることは出来ないばかりか、実際には脳を殆ど使用しないで自分の脳に縛られるだけの生き方を意味するのである・・・当然、脳の本質である怠惰性に縛られることであり、脳は日々退化していくのである・・・・

残念ながら、この様な生き方をしている人が多数派なのである・・・一体、この世に生を受けて、何の為に生きているのでしょうか???・・・・Kozyは、自己保身だけの受身の流される生き方は、生きているとはいえない、生きるとは周りとの相互作用を起こすことだと思っています・・・

流される行き方が一番嫌である・・・待っているのは、あり地獄に落ちていくだけです・・・・

少なくとも、自分に起因することでないことは、どんなことであれ、受け入れて居直れば良い・・・・また、自分に起因することは、潔く受け入れるしかない・・・・ユーモアとレジリエンスの関係でもアップロードしましたが、本当のあるべき大人になれない人は、人間の持つ構造的な問題を、人間であることを省みることなく、受け入れることをしていない・・・・

つまり、人間なのに人間であることを否定している・・・だから、不必要に悩み、不必要に心のエネルギーを浪費している・・・
人間だから、醜い心も持つが、同時に美しい心も持つことが出来る・・・人間の愚かな部分を笑い飛ばすことが、ユーモアの精神そのもであるとKozyは捉えている・・・・そして、レジリエンスの強化になる・・・

自分自身の人生を振り返ってみると、芦屋市立山手小学校に転校したときに、あまりにも経済的な環境が異なる人が多く自分が貧乏であることをなかなか言い出すことが出来なくて、苦しんだときに、自分が悪いわけではないと居直ることが出来た・・・・

後付の理屈かもしれないが、内観してみるに、この時に自己内の醸成されてきた概念(これをKozyは、自己内の神の声と捉えている)は、人間のくだらない見栄等によるプライドに縛られるのは、人間の構造的な問題であり、人間だから仕方ないが、一体何のプラスになるんだ、自分が悪い訳ではないとの概念的整理が出来たのだと捉えている・・・・

冒頭に述べた今回あった女性と接していると、明るく能動的で、結婚も無事して、働いてそこに楽しみを見出している姿を見るに、何か同じようなものを強く感じた・・・・・仕事にしても人生にしても楽しみは見出すものなのである・・・これが出来るようになって初めて夢を見る資格を得ることが出来、能力が付いてくるのである・・・・・

本当のあるべき大人は、何が本当に相手を傷つけることかを知っている人である・・・・また、何が本当に自分を守ることなのかを知っている人です・・・つまり、本当に生きることは何なのかを知っている人なのです・・・端的に言い換えると、死ぬまで自分に対してチャレンジし続けることが、生きることなのではないでしょうか・・・・・・

しかし、むりをしすぎてはいけない、適度なむり、継続できるむりを心と体にかけ続ける事が大事です・・・心も体も楽をさせればどんどん駄目になるだけなのは自明の理・・・・・・むりを漢字にすると無理、つまり、理が無い、つまり、ことわり=理が無いことを意味する、即ち、普遍なことが無いことと同じです・・・だから、何でも出来るのです・・・

ここで大事になるのが中庸でありバランス感覚ですが、これは種々の経験を積み重ねて五感を磨き自己内の概念の言語化能力を上げるしかない・・・そして、この自己内の概念である自分自身の中の神の質を如何に向上できるかが、生きることであり、生きる目的である・・・

以前恋愛とチャレンジの関係を述べましたが、チャレンジすることのワクワク感を十分に感じることが出来るようになれば、人生はワクワク感の連続になっていく・・・これが、Kozyの捉える幸福感であり、ポジティブ感情の源泉になる・・・こんなことを整理させてくれた人との出会いであった・・・・

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October 04, 2008

認識すべき、好都合な現実・・・・

前々回に、不都合な現実の話をしたが、今度は、好都合な現実で、恐らく多くの人が認識していない、もう一方の現実、つまり、人間を取り巻く陰陽の陽の部分を紹介したい・・・・

先ずは、前々回の不都合な現実とは、一言で言い表すなら、脳の構造的な特性が成すものであり、全ての原因が脳が曖昧性を習得することにより、脳が発達したことに起因するもの、つまり、人間の本質の理解、その中でも陰の部分の深い理解が必要だということである・・・・他の生物には、この様な曖昧性はないのである・・・・

何事も表裏一体であり、陰陽の部分がある。 Kozyが着目する脳科学の知見の中で一番、やはりそうかとと思ったのは、人間の脳の発達という意味で、人間の他の体の部分と同様に、25位で成長が脳も止まるということである・・・

この成長が止まるという意味は、脳内のメイン回路との繋がりを意味しており、25歳から人間は中長期の展望を踏まえて、物事を判断するという人間としての回路のメインなネットワーキングが出来るということである・・・・・

そして、進化論と生態学からは、変化に対応して、新しい生態系で生き残るのは、強いものではなく、自身を含めて新しい生態系の構成者に対して、また、新しい生態系の安定化および存続に対して、最小のエネルギーで最大の貢献を、出来るように変化できたものなのである・・・・・

つまり、自分が属する生態系に対して、また、自分自身に対しても、最小のエネルギーで最大の効果を生むのが生物の生存の為の基本ルールなのである・・・これが出来なければ、種として、また、個人として、崩壊せざるを得ない・・・・

これらの表現は綺麗な表現であるが、常に最小のエネルギーを求めるとは、言い換えると怠惰性が、生物および人間の本質であると考えられるのである・・・実際に、自己変革を求める場合には、個人の崇高な目的だけでは、誰も自己変革は出来ないのである・・・・

もう一つの、脳科学で発見で面白いのは、ミラーニューロンが大脳辺縁系のではなく、前頭葉の部位で発見されたこと・・・そして、恋に落ちるワクワク感や恋いているときのワクワク感が、恐怖感を感知する部位でも反応をすること・・・・

そして、人間の脳は人間の肉体的構造、および、五感の分布の広がりに大きく依存して発達していること、また、肉体と脳が強い相互作用の関係にあること、また、更に面白いのが、生命の恒常性という基本法則、つまり、行き過ぎるとそれを元に戻そうとする性質である・・・・・・

以上の陰の側面が前々回にポスとしたことに繋がるが、その深い意味を理解すると、その裏にある陽の部分が理解できる・・・・

・・・・・・最初に言いたいのが、いかなる恐怖感も対峙していれば、五感は麻痺するが故に、慣れてくる・・・そして、慣れてくるとそれまで見えなかったものが見てくる・・・そして、見えなかったものが見えることに伴い、そこに誤解があることが理解できてくる・・・そして、人生の不惑に通じる、自分自身の恐怖感の強さの順位が整理されてくる・・・・・

・・・・・・今の時代は変化のスピードが人類史上最大である、その変化に対応するには、本当に小さなエネルギーの意味することは、やれる事を日々やり続けること・・・今生きている、今日という時間の中で、すごいエネルギーを出したとしても、それ自体は毎日やることは出来ない、所詮は小さな日々の累積エネルギーが、その方向性のチェックできる側面もあり、一番効果的になるのである・・・・・

・・・・・・人間の怠惰性に克つには、一石二鳥ではなく、以下に二鳥を何鳥にも増やすことが出来る洞察力、つまり、中長期の展望を正しく持ち、また、社会の相関関係を理解することにより、何鳥にもなるのである・・・これを可能にするのが深く広い経験とそのメカニズムを理解する知的理解力でもあるのです・・・・

・・・・・・自分の為にという目的は、人間の持つ怠惰性には打ち勝てないのである、自分の大事な誰かの為とか、自分を支えてくれている人に報いる為とかでないと、人間の持つ怠惰性には勝てないのである・・・・また、支援してくれる人はなかなかでてこないのである・・・・・つまり、生態系の一員としての個人は生態系のその他の一員達との相互作用の中に存在している・・・

つまり、支えあっているということはお互いに利用しているということでもあり、必要なときに助けを求めても良いのである、なんとなれば、生態系の一員であるからである・・・・しかし、利己的な目的では駄目なのである・・・・

・・・・・・曖昧性を習得した人間は、瞬時の判断を可能にする為に、大まかなくくりで物事を整理して、瞬時の判断を可能にしているが、脳は、曖昧性を上手く司る為に、理性と感情=情動を別にして、理性と情動が一致する方向でない限り行動に出れないメカニズムを構築した・・・・

理性とは、人間の思考は言語でしか出来ないが、その言語自体が大きな曖昧性を含んでおり、理性は事実の確認があって初めて有効であるが、事実認識には大きな、それまでの限られた経験から来るバイアスがあり、人間の本当の理性とは非常に疑わしいものでしかない・・・また、集団の愚かさや社会的な文脈に踊らされている・・・・

一方、情動こそが、言語化されていない自己のないに蓄積されたものから起動されるものであり、情動のほうが理性より、より現実に即した、反応を導く側面を持っている・・・しかし、これとて、経験してきた現実が狭く浅い場合は、当然、現実とはかけ離れた、自分に都合の良い妄想でしかない・・・・・

しかしながら、中長期の展望能力といえば聞こえは良いが、25歳で十分の中長期の展望が持てた時代は、はるか昔の時代であり、現代人は、25歳までの経験が一生の足枷になってしまう・・・・技術革新を標榜した人間の怠惰性が、人間の脳の習得した進化をはるかに超えてしまうストレス社会を作り出している・・・・・

現代社会では本当の熟達した大人になるということは、現実社会では、意図的に自分の脳により作られた言動パターンが通じなくなったときには、まずは、白紙の心で=素直に現実を受け入れて再学習をして現実社会をより正しく学習していくことにより、成長が成されるのである・・・・・

英語では、もっと端的に、それまで習い信じてきたもの(LEARNしたもの)をUNLEARN=棄却して、現実に基づき、RELEARN=再学習することと表現される・・・・この時に役立つのが、一つは五感は全て麻痺する特性と何も考えなくても自然に言動に繋がる常に深く掘り下げて考える習慣を身に付けることなのである・・・・

如何に良い習慣を身に付けるかにより如何なる人生が送れるかが決まってしまう・・・・・

生まれたばかりの人間、そして、自立=自活できる前の人間、親に見捨てられては生きていけないために、また、最初に学ぶ対象が親であり、親から何度もインプットされるが故に、自分の価値感の8-9割以上が親から学んでしまう、また、植えつけられてしまう・・・・

今より変化のスピードがまったく遅かった時代から、先人は“老いては子に従え”との経験則を述べているが、現代のような変化のスピードが人類史上一番速い時代においては、全ては仮説でしかなく、普遍なものはないことを肝に銘じて、こだわりをもたないことが非常に重要な時代になってきている・・・・

何事に対しても、敢えて確信を持たない生きる姿勢が求められているのである・・・生きることが、人類史上、一番辛い時代を生きているとの覚悟が必要なのである・・・・・現代における不惑とは、正にこの覚悟であるとも云いえるのである・・・

これらの事は、言い換えると、白紙の心を持つことは難しいが、何事にも縛られずに自由に自分で掘り下げて考える、そして、そこで出て来た仮説を現実社会の中で検証していく・・・・これだけで良いのである・・・・この自由が現代人には与えられている・・・・人類史上、一番自由が与えられているのである・・・・

・・・・・人間は、情動に縛られるが情動は過去の経験に縛られている、本人が自由意志だと思うことでも、その自由の規定ですら過去の経験に縛られている・・・しかし、人間が人間として成長できる所以として、情動に従う前に、約0.5秒の猶予期間が設けられていることが確認されている・・・・

この確認期間を有効にするのに、強い覚悟が有効なのである・・・つまり、強い覚悟とは情動に縛られないことを意味しておりどんなに辛いことでも目を背けないという脳内信号の確立を意味している・・・そして、情動がたとえ起動しても、目を背けずに対峙していると、それまで見えなかった現実が見えてくるようになる・・・・

・・・・・・強い覚悟の確立は、超ネガティブ思考の先に生まれる、または、完膚なきまでの逆境の経験を通じて、本当に自分が一番怖いもの、または、本当に自分だ守りたいものが、はっきりした時に覚悟は確立される・・・つまり、どんな辛いときも、それは、この強い覚悟の醸成の道のりなのである・・・この過程を楽しんでください・・・・

・・・・・・もう一つ、情動に縛られない方法があります。つまり、情動が起動する前に理性を活かして、自分で考え、自分で決断をして、自分から自発的または能動的に行動をすることです・・・・受身の生き方は、先に情動が自動的に起動してしまうが故に、情動に縛られやすいのです・・・だから、日ごろから掘り下げて考えていることが大事になる・・・・

・・・・・・Kozyが自分に言い聞かせる多くの言葉の中に、“受身になっては負け”というのがあります、同じ意味で、英語で“Challenging is life”とも言い聞かせています・・・この様なBlogを書いていると、若いときには何度も自分に言い聞かせていたことを思い出します・・・まさに言霊となってあるときからこの生き方が体に沁み込んだのでしょう・・・・・

・・・・・・昔から三無主義というのがありますが、この人達を観察していると、心理学的には、ポジティブ心理学の創始者でもあるセリグマンの学習無力感の研究に繋がるのですが、これは結果であり、学習無力感に陥る人の特徴の一つに、受身的な生き方があり、自分の意見を小さな勇気があれば、誰でも言えることを言わないというのが在ります・・・

そして、結果として、暗黙の了解をしたと認知されてしまう・・・ますます意見がいえなくなる・・・この悪循環に落ちていく、特に日本人は、空気を読めることをよしとする文化的文脈に縛られやすいので、同意をしない意見を言えなくなる人が多くなる・・・・裏を返せば、自分が馬鹿にされる、または、自分が浮いてしまうことを恐れる、この気持ちが過剰反応を起こしている・・・・・

異なる意見を言わない、また、単純に相手に同意する、・・・これは、相手を気遣ってのことという人がいるでしょう・・・この

事は、相手の成長を阻害していることでしかない、そして、自分が悪循環に陥ることでしかない・・・これでは集団の愚かさだけの社会になっていく・・・・だから、最小に小さな勇気が必要なのです・・・・

まだまだあると思いますが、机上で考える浮かんできません・・・いつか、またの機会に、追加をします・・・・・

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September 23, 2008

経済と人間に関するVolatilityへの考察????・・・・・

Volatility問ういう言葉をご存知の人も多いと思うが、物理化学で云うところの揮発性という意味ではなく、市場での変動性(率)という意味である・・・実は、金融工学の基礎になる考え方であり、従来, 高額な不労所得を得ていた人でこの言葉を知らない人はいないのではないだろうか・・・・

サブプライム問題の一番の問題は、住宅ローン関係を、むしろ、慣習的にAAAにしていたところにモラル的な問題があるが、住宅価格が下がってきた、つまり、不動産バブルが崩壊して、一昨年から下がってきたことが直接的な原因である・・・UBSの破綻自体は、欧州の中央銀行の素早い対応を見ても解るように、常識ある人には予測できていた、つまり、解っていたから、素早い対応が取れたということだと、Kozyは捉えている・・・・

しかし、その後の展開を見ていると、金融工学における過去のデータから算出される、変動率への過信がこれだけの大きな世界的な金融不安を齎したとKozyは捉えている・・・ボラティリティーとは、過去十年とか二十年とか、時によってはもっと長い場合もあるが、その変動幅から考えて、最悪の場合の出現率を確率で捉えて、それにCommitment Fee、簡単に言うとリスク料を上乗せして、債権化して売買をするとか、株の売買をすることなのである・・・・

NY市場でリーマン・ブラザースが、財務省やFRBから支援を受けられないで倒産に追い込まれた・・・個人的にはリーマンの経営者のあまりにも無責任な姿勢より、こんな会社を国民の税金で支援したら問題だという捉え方が政府内にあったと推測している・・・しかし、その前の証券会社の倒産の折には、政府は実質的な支援に動いており、政府としては、リーマンの経営陣を見て、これ以上のモラル・ハザードは許すべきでないと考えたと思われる・・・・

一方、皆さんがあまりご存じないと思われる、米国最大の保険金融業社であるAIG=American International Groupが次の倒産会社になると思われ、売り込むことにより、政府の支援企業選択の判断基準を市場が問い詰めた・・・つまり、ベア・スターンズは救済して、これではダブル・スタンダードであり、先行きが不透明であるが故に、政府に真意を問いただした・・・

流石に、日本教訓から学んでいるところもあるが、早速政府としての総合対策を作成した・・・・・しかし、単純ではないのでまだ曖昧性は残っている・・・・数字という事実が好転するまでは、まだ一波乱はあるだろう・・・・

では、何故にAIGが売り込まれたのか、AIGが国際会計基準上は、保険商品に扱える形で、CDS=Credit Default Swapとして相手が倒産した場合に債権を保証する商品および商品先物市場でも債権化をして売っていた・・・つまり、リーマンが破綻して連鎖反応的に破綻企業が増えると、その取引企業で、AIGのCDSを保険料として支払っている会社の債権の保証を求められる・・・・そして、商品市況が下がってきた・・・これが膨大な負債金額になると市場が判断したからである・・・・

AIGのは、保険契約の形をとっているが、実際は、最新の金融商品と同じであり、多くの金融商品を扱っている企業は、ボラティリティーをベースにして商品を設計して販売をしていた・・・もし万が一にもAIGが倒産すると、AIGの保険商品としての保証を当て込んでいた企業が直ぐにも倒産という連鎖を呼んでしまう・・・・

つまり、実質的にはAIGのCDSは、モノラインと同じく保証会社であり、倒産の連鎖は図りきれない、また、個人の保険にまでも影響がで家計が萎縮してしまい負の連鎖がまで生まれてしまう・・・リーマンの比ではないのである・・・・・・・

しかし、21世紀は、表面的にはエコロジー経済とか言われているが、Kozyは、本Blogで述べているようにNew Era、つまり、商売においても価値観の大きなパラダイム・シフトが起きる世紀だと捉えているように、過去の数字によるボラティリティーの決定自体が、非常に大きなリスクである・・・・

円とドルや他の先進国との金利差が大きかった時には、また、金融経済が実体経済の十倍ぐらいになっていた時は、レバレッジ効果で、円が1ドル50-60にならない限りは、円の流失は十分採算に乗るという考え方があったが、現在ではレバレッジ運用には監視や規制の方向に転じたが故に、本当に円が、少なくとも今までの円高の記録を塗り替える方向に変化し始めると、50-60円も視野に入れる必要があるかもしれない・・・・

つまり、今起きているのは世界を席巻してきた金融工学の崩壊なのである・・・しかし、恐らく、もっともっと対象母集団を更に増やし、多母集団の同時分析として、見えない変化を織り込んだ形での金融工学の再構築は、やはり成されると見てはいる・・・

なんとなれば、それを可能にする脳科学と心理学の最新知見は再構築が出来ることを示唆している・・・経済も経営も心理学と統計解析の世界に入ってきている・・・・

今、マッケンジーが去年から募集し始めたように、心理学修士で統計に長けている人、もっと云うと、Kozyのような実業界の実学にも長けている人が一番必要な時代なのである・・・・企業は統計に長けた心理学修士を至急採用していくべきである・・・・・

さて、世界情勢はこのぐらいにして、ここで述べた今我々が体験している教訓から、経済成長ではなく、人間成長として何が言いえるのか・・・・・・・・・

少なくとも弥生時代、また、恐らく産業革命以前の時代においては、そして、ひょっとすると、20世紀までは、このボラティリティでの考え方は、人間にも当てはまったのかもしれない・・・

少なくとも弥生時代は、集落毎の生活が基本であり、その集落も多くて200-250人ぐらいの単位であり、人間の発達は、基本的には25歳までで終了であり、脳においても、25歳までに、それまでは種々の経験に取り組みやすいように、欲求実現の為に短期的な展望しか出来ないようになっていたのが、中長期の展望を考えに取り組んで行動の決定を決めるようになっており、当時は、25歳から大人として十分な機能を発揮したと思われる・・・・・

つまり、ボラティリティーは、25歳までの種々の経験だけで、その集落における大人としては十分であった、しかし、産業革命という人類史上の大きな技術革新が、労働者の第一次産業から、第二次産業、そして、現在では第三次産業への移行を促すと伴に、ライフスタイルが大きく変化してきて、また、それまででは考えられなかった幅広い人間との協働社会が出来てきたのである・・・

当然価値感の大きな変化も生まれ、今でも人間の持つ価値観は両親の価値観が90%以上になっているが、両親とは生活環境が大きく変わってきており、当然、両親の持っていた価値観では適応できない現実に直面するのである・・・産量革命以後、急激に精神病患者が増加したのは、今では自然の理であると断言できるのである・・・・・

現代社会は人類史上、技術革新の、また、産業革命にも匹敵するような大きな技術革新も含めて、スピードが一番速く、更に、異なる民族、まったく異なる自然環境で育った人達との時間的な距離感は、一番短くなっており、当然、直接交流の機会も増える・・・・・

つまり、親から受け継いだ価値感のボラティリティーは人類史上、一番低くなっているといえるのである・・・・・・・

また、非常に多くの異なる母集団に属する社会になってきているが、現代の子供達の発育の仕方を鑑みるに、小学校時代は、少なくとも学区というその地域の全てのそうの同世代の人々と一緒に時間を共有することが出来たが、中学・高校に入るのに、親の価値観と経済状況の違いにより、同じような背景を持った人の集団に含まれていく・・・・・

そして、極め付けが、高校をでて大学に行く行かないでも更なる選別が成され、大学に行く場合も、何学部、何学科とういう選択を通じて、更なる選別が成されていく・・・これらの極めて選別された集団の中で青春を送ることにより、無意識のうちに自分の価値観が、醸成されていく・・・

同世代だけでもこれだけ限られた人達の集団の中で洗脳され社会に出れば、異なる地域からの出身者や世代の違う人達との同じ仕事集団に入れば、適応できないのは自然の理であり、更に悪い事には、平和の中で育ってしまったということは、深く辛い体験をしていないことであり、この事は人間の脆弱性につながるのである・・・・

つまり、この時代に適した養育の仕方という点では、まったく逆行している状態なのである・・・・

ここで、成長に関する二つ目ののボラティリティーに言及したい・・・・・

人間誰でも少なからず人間不信に陥るような嫌な経験をしている・・・これが基で個人固有の恐怖感が醸成される。 しかし、恐怖感の原体験のボラティリティーは一体どれだけのものかよく冷静に考えてみて欲しい・・・・

その当時と自分自身と今の自分自身がまったく同じであるはずがないのである・・・つまり、現在周りという社会で認識されている自分と当時周りから認識されていた自分が、経験を積み重ねているが故に同じなわけがないのである・・・

もう一つ、恐怖感の原体験が発生したときの直接及び間接的に関わっていた人達と、当然構成メンバーが異なるだけでなく、関与者の年齢も異なり、人間的にも少なからず成長をしているのである・・・・・

つまり、ボラティリティーは前提があまりにも異なるが故に、適用できないのである・・・・・

そして、更に、三つ目のボラティリティーを考えて欲しい・・・・・

大人になった今は、昔と異なり、より多くの集団に所属している、そして、物事の表裏または陰陽の両側面に、若いときに比べると飛躍的に理解が深まっている、また、深めなくてはならない。

そして、25歳までに脳内に出来た中長期の展望を考える回路の有効利用の為に、種々の関係する要因に対して、陰陽の両側面を考えて、悪い事と良い事の発生率(ボラティリティー)をじっくり考える習慣をつけて欲しい・・・そして、悪い事ばかりが起きる確率を計算してみて欲しい・・・総じて、非常に低い確率になる・・・こんな低い確率を怖がっていては車ばかりか飛行機にも乗れない・・・・・

Kozyは、この第三番目にボラティリティーをいくら悲観的になっても良いが常に考えると、如何見ても全ての要因の陰陽の陰だけが出る確率は驚くほど低いということが云いたいのである・・・・これが、Kozyが云うところの、“超ネガティブ思考の先に、超ポジティブ思考が生まれる”ということなのである・・・・

また、より精度の高いボラティリティーを知る為には、より深くより広い経験が必要なのである・・・端的に言い換えると、嫌なことと思ってずっと避けていることがあれば、敢えて再度経験をしなおすことが一番効果的なのである・・・・また、まったく新しい経験も非常に有効なのである・・・・・

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September 21, 2008

成長=現実原則思考・・・不都合な現実・・・・

心理学では、快楽原則から現実原則への移行が人間の成長を表すといわれている・・・これは否定できないことであり、これこそがある意味では、一番認めなくてはいけない、成長できない人にとっての“不都合な現実”だといいえる・・・しかし、人間を観察していると、成長に必要な多くの不都合な現実の理解と受容が出来ていない人が多い・・・むしろ一生受容できずに死んでしまう人が、Kozyの研究結果の拡大解釈をすると、9割以上ではないかと捉えている・・・

今回は、Kozyが感じている自己成長への階段としての、受容しなければならない“不都合な現実”を思いつくままに羅列してみたい・・・各項目は、他の項目との相互作用もあり、関係は複雑であるが、個人差があるが故に、相互作用関係の説明は、敢えてしないが、自分自身で考えて欲しい・・・・

また、表裏一体または陰陽が常にあるが故に、都合の良いほうだけを見つめている人が多すぎると危惧している、自己成長をするには、常に、陰陽の両面思考が必要であることを、自分に言い聞かせ、そして、何と何が陰陽の関係なのかを考えながら読んで欲しい・・・人間は、特に女性の場合は都合の悪い事には目を背ける傾向があり、今回は、都合の悪い現実だけの羅列を試みたい・・・・

・・・・・人間は、種々の機能を見ても、特に他の生物に絶対的に勝っているものはない。個人としては非常に弱い存在であり、脳の構造から言うと、利己的なものでしかない・・・だから、醜い思いや言動が絶えない・・・人間の愚かさと醜さは、まさに、歴史が証明している・・・・

・・・・・しかし、同時に、一人だけでは生きていけないが故に、集団に帰属したい本能を持っている・・・残念ながら、集団に帰属することにより、集団の規範など、つまり、集団の文脈に縛られやすい構造を持っている。 集団は集団の愚かさに陥りやすい構造を持っている・・・だから、未だに戦争は絶えないのである・・・・

・・・・・集団は少なくともある共通目的を持っており、目的の達成には、集団の構成員のお互いの協力が必要になる。 しかし、一旦、集団の属すると、集団の存続ということが目的に変わりやすく、個人を大事にすることが難しくなる・・・この様な矛盾の中で人間は生活をして生きているのである・・・・

・・・・・個人を大事にする、または、個人の存続の維持の為には、自分自身が少しでも、自分の心に恥じるとの違和感を感じるときは、多数派の意見に迎合しなくて自分の意見をはっきり表明する勇気の維持が必要・・・・・経験が違う故に意見が異なるのは当たり前のことなのです・・・・

・・・・・人間の脳は素晴らしい進化をしていると捉える人が多いが、この進化を齎した最大の原因は、他の生物と異なり、曖昧性を取り込んだことにより、脳は飛躍的に進歩したのである・・・曖昧が故に、事実の基づく分析を行い、その都度如何すべきかを考えることが課されている・・・この様な掘り下げて考える行為を放棄することは、人間であることを放棄することでしかない・・・・・

・・・・・人間は、掘り下げて考えることが重要であるが、これは言葉でしか考えることができない。 しかし、言葉自体が同時に曖昧性を持っているが故に、経験を通じて五感からインプットされた情報を、また、その結果、自己内に築き上げた、情報の総体でもある自己そのものを意味する自己内概念を言葉で正しく記述して行くことさえ出来ない・・・だから、自分を知ることは非常に難しく、より広くより深い経験を通じて時間をかけてしか理解をすることは出来ない・・・・・

・・・・・しかし、実際の行動の多くは、自分で理解できない自己概念、むしろ、これが潜在意識だとKozyは捉えているが、この潜在意識に縛られる行動しか人間はとることが出来ない・・・・死ぬまで分からない人も多いのである・・・・大事なのは、先ずは自分の潜在意識との常なる会話であり、そのぜんざい意識の適正化をおこなうことである・・・・

・・・・・進化論と生態学が、導き出したのは、変化に対して、強い種が生存するのではなく、最小のエネルギーで所属する生態系への最大の効果を生む種だけが存続できるということなのである。 つまり、強いエネルギーを出し続けることは不可能(消耗を導く)であり、一番累積エネルギーとして大きなエネルギーを生むのは、たとえ小さなエネルギーの出力であっても、それが毎日継続可能な場合なのである・・・・この点では継続は力なのである・・・

・・・・・人生に近道はないのである、あるのはより遠回りをするか、しないかだけであり、実際には、最短距離を行くことは不可能な構造を脳は持っているが故に、多くの人がかなり遠回りをするが、全て必然であり、無駄なことはないのである・・・・つまり、それまでの経験の深さと広さに依存するのである・・・・

・・・・・また、全てのことをその都度掘り下げて検証をして行動に移すことは、タイミングを逸してしまうが故に、瞬時の判断を可能にする為に、それまでの経験を大まかに整理して俊時に判断できるように、脳は進化している・・・つまり、人間は過去の経験に基づく悩の判断に縛られている・・・進化しすぎた脳に支配されている・・・・・・・・・

・・・・・しかし瞬時の判断を可能にする脳の機能(Kozyは自動脳とよんでいる)は、守られ限られた経験に基づくだけではなく、最小のエネルギーで最大の効果を求めるのは、生体の本能でもあり、自分自身がいくら考えているつもりでも、この思考活動すら、白紙の状態で考える大変さを避ける為に、自動脳の回路に取り組んでしまうことであり、実際は、脳の機能は殆ど使っていないことと同じなのである・・・・・

・・・・・残念ながら、この自動脳の本質は、脳自体が楽をすることでしかないばかりか、人間の本質自体が怠惰であることを意味する・・・己に勝つ=克己とは、正に自分の中に形成された自動脳による自己の支配に対して打ち勝つことなのである・・・だから、よほどの強い覚悟を形成しないと、また、能動的に行動しないと、自動脳に負けてしまうので、殆どの人が怠惰性に埋もれてしまう・・・・・

・・・・・しかし、体も脳も本当に使わない限りどんどん退化してしまう、体の場合は弱体化したところに脂肪が付く、脳は自動脳に縛られているだけでは、脳細胞の退化が早まるだけであり、若くしてアルツハイマー病や統合失調症やうつ病になってしまうのである・・・体と脳は密接な相互作用があり、両方とも健全性を維持する必要がある・・・・・・

・・・・・快楽対象の一つでもある食事でも好きなものだけを食べていると、また、嗜好による偏食が関係部分の劣化を招き、個人の食事の傾向だけで、将来の死亡の原因になる病気が特定できるのである・・・・・

・・・・・心の状態も体の状態も、残念ながら全て因果応報でしかない・・・・・

・・・・・人間は男女で構成されているが、男女の特性がまったく差がなければ、男女の存在意味がない。 つまり役割分担があり、それに見合った特性を与えられている。 受胎した後に性別が与えられるが、その前は何も違いがないのである。 違いを作るのは性器の違いを別にすると、むしろ違いがないと言いたいが、生きる力を操る脳幹は女性の方が強い・・・・

そして、情動を司る大脳辺縁系も女性の方が強い、しかし、賢く上手く生きる機能である大脳新皮質は男性のほうが発達しているというよりは、発達していくという違いがあるのである・・・強く生きる能力と感情の強さは男性より強いが故に、女性には優しく=女らしくという育て方をする知恵を、男性は頭でっかちで行動力が弱い故に、強く行動的に=男らしく育てる知恵を人類は実践していた・・・・

これらの違いを生んでいるのが性ホルモンの機能の違いだということが出来る・・・しかし、この性ホルモンには性器の様なはっきりとした違い生むのではなく、個人差がかなり大きいのである・・・しかし、最近の科学的な知見を見るに、次男、次女からがより大きくなる傾向が確認されており、少子化社会、つまり、長男長女の世界では、強い女と弱い男がどうしても増えてしまう・・・・・

念の為であるが、ジェンダー・・フリーということに、Kozyは全面的に反対するものではない、個人差がある限りは、それをステレオタイプで見ることには反対である。しかし、本質的な特性を無視したジェンダー・フリーの考え方は反対である・・・・

・・・・・個人の人生は、何かを成し遂げるには短すぎる(しかし、何もしないには長すぎる)・・・少なくとも人類だけの、宇宙や地球の歴史と比べると、ある意味では非常に短いが、その中で、種の保存の一翼を担っているだけでしかなく、人類の継続の為の継続的な活動をサポートしているだけ・・・

・・・・・恐怖感に縛られる、つまり、恐怖感という情動の前では知力は無力でしかない・・・この恐怖には肉体的な死の恐怖と精神的な死の恐怖とに二分される、また、精神的な死は、やがて肉体的な死を導く・・・恐怖感が、それが故に、情動の中で一番強いものであり、幸福感は、幸福だと思った瞬間から、じわじわ失われていく情動でしかない・・・・大事なのは足ることを知ること・・・・

・・・・・動物の間でも怖がっているとなめられる様に、人間関係も確かに同じであるが、あれもこれも怖いでは、社会的に皆になめられ、社会的な死を招くのである・・・それゆえ、最大の恐怖感は自分にとって何なのかを知的思考力と体験により確かめる必要がある・・・・そして、自分の恐怖感の中で、自己内の恐怖感の強さの順番を整理することが出来ること=不惑なのである・・・・

・・・・・最後に申し上げたいのが、一体誰が一番支えてくれているのか、また、個人を犠牲にしてまで守ってくれているのか、そして、どれだけ多くの人に支えられているのか、いつも冷静に観察をして、理解して欲しい・・・恩返しの出来る機会は永遠にあるものではないのである・・・・・

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September 14, 2008

人の優しさ・・・何が起動させるのか・・・・

先々週は、奈良県、和歌山県、そして、大阪府を回ってきました。 最後の訪問地となった東大阪市、人の情け、むしろ、人間誰もが持っている優しさに触れて、気持ちよく仕事を済ませて帰京しました・・・

今だから解るのですが、鶴橋から近鉄奈良線に乗る為に、そのホームへいき15:12(?)発の近鉄奈良線に乗るつもりでしたが、15:12分発の普通の電車がきたので、行き先の名前は、普通で奈良行きはないだろうと思い知らない名前の行き先の電車に乗りましたが、予定時刻になっても付かないので、おかしいと思い、詳細路線図を出してチェックしたら近鉄大阪線に乗っていることが解りあわてておりました・・・・

下りた駅は住宅街の真ん中で、アポの時間に遅れるとまずいので、タクシーで飛ばそうと思ったのですが、そこには車自体のほとんど、走っていないいない状態で、近くの幹線道路を教えてもらいそこまで歩いてタクシーを捜しましたが、全く走っていなくて時間だけが過ぎていく・・・仕方ないので、少しでも時間を稼ぐ為に、行き先の方向に移動しながら汗だくで歩いていた・・・

それゆえに、タクシーを呼ぶことを考えて、タクシーを使う可能性のある店を探し呼んでもらうことを考えて、地元のある不動産屋に、自分の携帯でタクシーを呼んでもらえませんかとお願いをした。・・・残念ながら、タクシーの番号を知らないといわれ断られた・・・・

そして、普通の人なら、頭にきてふてくされるかも知れないが、自分でも正直そのとこに何を如何答えたかは覚えていないが、恐らく、お忙しいところ申し訳ありませんでした。・・・そして、有難うございましたとこたえた気がする・・・

その後、しばらくはその前で、タクシーを拾おうとしたが、やはりつかまらないので、更に目的方向に歩き続けた・・・参ったな、これ以上遅れては、今回は諦めざるを得ないと思い始めたときに、その不動産屋の人が電話帳をもって、自転車で追っかけてきてくれ、ここに電話をすれば良いでしょうと番号を示していただき、無事にタクシーを呼ぶことが出来、仕事も無事に終えることが出来た・・・・

何度も、当然、有難うございましたを申し上げたが、タクシーが来ることが確認できた後、直ぐ事務所のほうに自転車で戻られた・・・・本Blogで、一度書いたことがあるが、、Kozyが学生時代、真冬のドイツでヒッチハイクをしている時に、河が全面凍結する、つまり、マイナス20度近くで、悪寒が走り、明らかに高熱がでて、このままでは凍死すると思った時の経験を思い出した・・・・・

その時は、日が沈み始めて更に冷えることが明白であった為、高熱で体の節々が痛む状態でも、遠くに見えるインターチェンジの方向に歩き始めたときに、明らかにこの時間で歩いていては凍死する状況を理解して、拾っていただいて、更に、泊まる予定をしていたユースホステルまで、運んでいただいた経験を思い出した・・・・・

この時は、正に、“捨てる神あれば、拾う神あり”という、昔からの諺を思い出すと同時に、不運なときは必ずあるが、やけにならずに、やれる事をしていれば、どの人間にも良心があるが故に、救ってくれる人が必ずいるとの確信を深めた・・・

ここ最近は、出張で行く場所に、何かに導かれているように、先祖の関係する場所を訪れさせられている・・・神戸に詳しい人は、また、長年すんでいる人は、恐らく全員が知っていると思うが、垂水の海神社、神戸駅の湊川神社、三宮の生田神社というのをご存知だと思う・・・この三つの神社の神主をKozyの祖祖父と祖父の長兄が勤めていたのである・・・・

この三つの神社の名前は父から聞いて知ってはいたが、物心ついてからは一度も訪問をしたことがなかった、最初のきっかけは、神戸駅の近くで仕事を終えて、新神戸より新幹線で帰京しようとしたが、三宮まで行って乗り換えるよりは、当然神戸から直行のバスがあるとと聞いてみたら、バスはないが、湊川神社に沿って6-7分歩けば地下鉄の“大倉山”の駅に着くのでそこから乗り換えなしで新神戸まで直ぐですと教えられた・・・

Kozyは、横浜の東横線の“大倉山”に住んでおり、前から、路線検索などで大倉山という駅が兵庫県にあることは知っていたが、まさか、この駅が湊川神社の最寄り駅だとは、思いもしなかった・・・それゆえ、神の見えざる手に惹かれる様にして、湊川神社を訪れ、一体何時ごろに神主をしていたのかを聞きたくてお伺いしたら、“上月家資料”として、2cm弱のファイルを持ってきていただき、読ませていただくと同時に、コピーを無料で頂いてきた・・・

そして、その後の出張で、意図しないのに、途中に、残りの二つの神社があり、訪れた・・・もともとは、秀吉により上月城を落とされ落城して後は、姫路の兵主神社の神主を約4百年にわたり筆頭社家として神主をしてきており、明治になり神戸に移った。そして、祖祖父が海神社を創設して第一代の神主をして、その長兄が第三代の神主をした後、生田神社そして湊川神社の神主を勤めた・・・・

先週は、下りて寄る時間はなかったが、上月城が在った、上月駅の隣の佐用駅を電車で通り抜けた・・・かってのかの地域を治めていたのかと思いながら景色を見てきた・・・・しかし、たとえ、上月町を訪れても、あまりにも名城であったが為に、秀吉はすべとの石垣まで取り除いた為、何も残っていない。

最近は、この様なこともあり、また、縁戚である慈雲尊者が、最後に神道を勉強したこともあり、Kozy自体も、神道に興味を持ち調べていたが、神道には経典はなく、戒律などもなく、いわば、憲法の前文だけしかない様な宗教であり、どうもはっきりしない・・・しかし、“神道を知らずして、日本人を語るべからず(?)”という本を妻があるところで見つけて、妻が、先行して、興味を持ち、今や、神道にとりかれつつある・・・・

妻が、この本より、抜粋して、書き付けてくれたものを、以下に記します・・・・・

神道とは:

自然に感謝し、人間同士がより豊かに生活できるように考える。 そして、人間の持つ良心に対する全面的な信頼の上に作られた宗教である。

神道の基本:

生命の尊重の上に作られた宗教であり、“産霊”(“むすひ”と読む)問う言う行為を最大の善行とする。

神道の死生観:

死者の霊魂は神となり、子孫を見守り、その繁栄を齎す“産霊”の行為を助ける・・・・・・

以上が妻のメモの内容であるが、正式には、また、学術的には、種々の異論はあると思うが、“産霊”とは、人の良心を信頼して、現世をより良く生きる、そして、子孫を残し、善なる繋がりを現世で求める、このことが自然な繋がりを産み、物事は自然に起きるもの・・・・・・

前段で述べた、“捨てる神”と“拾う神”の喩は、相互作用により、また、自然な揺り戻しにより、全て生起していることを述べていると、Kozyは捉えている・・・・

つまり、前段で述べた話は、起きる人には起きるが、起きない人には起きない話であり、また、常に起きるとは保証は出来ない話しでもあるが、Kozy自体も、人の優しさは、人の弱さがその前にあるが故に、常に生起されるものではないが、常に、人の優しさは息づいており、悪い事をすれば良心の呵責が生起するものである・・・

しかし、人の弱さに配慮できずに、自分自身がカッときて、怒りの感情を生起させた人には、怒りは怒りを呼ぶために、人の優しさという“産霊”という行為は生まれない・・・・このことを称して、先人は感謝の気持ちを忘れないようにと説いていると捉えている・・・

人の弱さを受け入れ理解する為に、先ず人間である自分の弱さを正しく受け入れることから始まる・・・人間は弱いものであり、弱くていいのです、だって、人間だから・・・そして、弱いが故に、助け合うことが、自分自身にも助けになる・・・・人の弱さが深く正しく理解できれば、自ずと感謝の気持ちが生まれるものである・・・・

何百年も神主をしていた家系のDNAは起動してきていると感じる今日この頃です・・・・・

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September 07, 2008

ストレスも全て自業自得である・・・・・

精神的なストレスを感じる人は、自分が傲慢だと思うべき・・・ガンの増加は、昔は解らなかったからという側面があるが、判るようになってからの記録を見ても、ガンの発病は近代化の中で増加の一途をたどっている・・・

既に、多くの人がご存知と思うが、ガン細胞は誰でも自己内で毎日製造されている・・・そして、自己免疫力により毎日ガン細胞を駆逐しているのである・・・つまり、免疫力の強さに大きく依存しているのである・・・・

本Blogで何度か述べているが、精神的なストレスは、自己成長の一里塚であり、それまでの未熟で薄く浅い限られた経験から、脳内に醸成された、言葉による概念、また、脳の構造的な本質である怠惰で自分勝手な考えに縛られているが故に、ストレスが発生する。 そして、ストレスは、免疫力を大幅に下げるのである・・・

最近アップロードしたように、独自の自分があると思う幻想に縛られるが故に、反発したりしてストレスを作り出している・・・因縁生起の云っている事は、直接原因であろう間接原因であろうとも、全ては、回りの全てとの相互作用の中にあるだけでしかない・・・・

孔子は“中庸”の重要性を説いたが、釈迦は“中道=cenralization”重要性を説いた、この歳でやっとこの二つの違いの重要性に目覚めてきたと思っている・・・

孔子の中庸は、自分が自分自身で切磋琢磨して、自分を磨き上げるという、独自の自分が存在するとの幻想に起因した考え方であり、これでは、確かに、ストレスが多いのではないだろうか???・・・孔子が何処まで気がついていたかは不明であるが、この幻想に囚われていることの表れが、または、自己への戒めの言葉が、“人生は何かを成し遂げるには短すぎる、しかし、何もしないでいるには長すぎる”に結びついたのではないだろうか・・・・・

釈迦の“中道”とは、因縁生起を正しく五感で感じることが大事であり、自分の存在は周りとの相互作用の中にしかないことを悟る重要性を説いている・・・・この時に必要なことが、どちらにも偏らない中央に心をおくことを推奨していると捉えている・・・この事は、両極の経験をする修行でもある・・・

両極を経験する修行と書いたが、多くの人にはこの論理の飛躍には理解を超えるものがあると思う・・・Kozyが小学校の時の両親の離婚に伴い、こんな自分では、母や姉という家族を守っていけない、それゆえに自己改革、または、自己変身に取り組んだときに、幸か不幸か、約1年毎に転校をすることになった時に、この機会を最大限に有効活用するために、辿り着いた方法論であった・・・・

本Blogで今まで延べてきた表現で云うと、自分が成りたい自分のイメージ能力がないと、自己変革への実践力がなかなか育たないということになるが、両親の離婚前の自分は対人赤面症で、学年で数学で百点満点を取っていても、また、クラスで誰も理解できないことを、たとえ解っていても手を上げない少年であり、先生自体が、Kozyは解っていると理解しているので、授業中に当てられて黒板に答えを書くのが、嫌でしょうがなかった・・・・

この様な少年が、両親の離婚後、自己変革を目指したわけであるが、前述したように、本心は家族を守れる力をつける、つまり、自分の為というよりも家族の為という気持ちが強かったのである・・・人間は本質的には怠惰性を持っているが故に、自分の為にという目的だけでは、大きな継続的な力は発揮できないのである・・・だから自己中の人は何時までも自己中であり、変化が起きるのは良い方向ではなく悪い方向に限定される側面を持つ・・・・

そして、自己変革をしようとしたが、そこで気がつかされたのが、周りの人間はKozyのそれまでの言動に基づき、Kozyに対するイメージを固めており、そのイメージというバイアスでしか見てくれない・・・そして、自我の醸成が十分に出来ていない小学生においては、みんなが自分と同じだとの世界観で生きており、自分と異なる、または、自分が捉えていた理解が異なることを許せない、むしろ、認めることが出来ない・・・・

残念ながら、多数派の大人たちですら、このレベルを超えていない・・・Kozyがいくら変身した言動をとっても、誰もなかなか認めてくれないもどかしさを体験させてもらった、当時は関西という文脈より“おもろいやつ”への180度の変身を試みたが、偶然、クラスの人気者が、Kozyが考えたねたと同じことを言ったのだが、大うけであった・・・

初めての転校の折には、自分自身に対するイメージは白紙であることに気が付き、おもろい自己紹介のねたを練りに練って、どもらないように何度も暗唱をして、大いに受けたので、おもろいやつが転校してきたというように無事に認知された・・・しかし、論理的にはこの当時の年齢においては、まだまだ、大人の顔と違い、当時の自分の顔から相手に与える第一印象の力は軽微であったが故に、非常に上手くいったといえるのであろう・・・

二十歳を過ぎた人間は、既に、それまでの生き方が、また、生きる姿勢が顔に出てきてしまい・・・人間は第一印象で人を判断するすべを無意識のうちに磨いており、見抜かれてしまう・・・30歳を過ぎると、社会的な自分に対する印象は全て自分の責任でしかない・・・・

しかし、これらの方法論は、所詮は、表層的な理解による演技力で乗り切れたが、自分がそれだけ演じわけるうちに、演じきることの壁を感じ始めてきた、また、演じ分けるには明るいの反対の暗いの両極を体得していないと演じ分けることが出来ないと同時に、自分の居心地の良いポジションは両極の中間のどの辺なのかを掴むことの重要性を感じて、両極の経験を転校を含む更なる機会のあるときに、両極の体験を出来るところに意図的に身をおいてみた・・・・

これらの経験は、如何いう極限で人間は如何変化をするのかの体験学習として、つまり、人間の本質の理解をするうえで非常に自分自身の成長に大きく寄与した・・・また、同時に、両極を体験していることは、物事の捉え方に非常に大きな貢献をした・・・

釈迦は、極端な苦行の修行はやらなくても良いと悟りを開いた後に言っているが、確かに、Kozy自体も逆境の経験はしたかもしれないが、死に直面するような修業的な経験はしていない、しかし、より深くより広い経験は、絶対に有益であったと確信している・・・また、人間の愚痴を聞くことは、決して面白いことではないが、社会のメカニズムと人間の成長のメカニズムの理解には、自分自身を振り返っても、当時は嫌で仕方なかったが、非常に大きな生きた知識として役立ったのである・・・・

釈迦の説く“中道”の意味は、人により解釈が異なるが、Kozyは、生きた知識を、つまり、聞きたくない重要な知識を避けずに、白紙の心で聞く、・・・・どちらにも偏らない立場で、聞くことが、釈迦の説く“中道”であり、どうしても偏った見方をしてしまう構造下にある人間にとっては、出来るだけ両極の経験をする修行は必要になる・・・・

そして、直接的な因果はまだ習得しやすいが、間接的な因果は、釈迦をしても、普通の人にはなかなか理解できないとの説明しかできていないと理解しており、生きる姿勢として、中道を維持して貫く姿勢を構築して、特に、間接的な因果関係は、その人のつながりの広さ、そして、技術革新の広まりとそのスピードにも関係していらが故に、深く広い経験を積むしかないのであろう・・・・・

同じ時間に同じ環境、また、同じ構成員の組み合わせが同じ経験をすることは、云うまでもなく、ありえない。つまり、人間はそれぞれ固有の経験を積み重ねてきており、この経験を五感を通じて、蓄積されたものが人間であるが故に、全ての人が固有の思考および反応パターンを持っており、それぞれの違いは、当たり前のことである・・・

そして、この違いを素直に認められないことが、対人関係に起因するストレス増長させている・・・対人関係に起因するストレスには、自分を解ってくれないというのが更にあるが、自分の同じ体験を追体験してもらわない限りは、本質的な自分を誰かに理解して欲しいと思うのは、また、それを強く期待することは甘え以外の何でもないのである・・・・

最近アップロードしたように、独自の自分が独立して存在するという妄想の齎すのが、ストレスの本質である・・・つまり、自分自身でストレスを作って自分が困っている・・・全て相互作用の力動的関係の中の瞬間の存在でしかない・・・これが生かされていることの本質・・・・最近こう思うKozyです・・・

そして、当然の因果関係として、ストレスを多く感じる人は免疫力が大幅に下がるが故に、病気になりやすいのである・・・・・・・また、対人関係に起因する情動とは、お互いの信頼関係の有無に起因する・・・無我の境地は簡単にはなれないと思うが、相手を信頼できない、または、違いを認められない場合には信頼関係などは醸成されないのである・・・・・

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August 31, 2008

経験と成長・・・・・

先週は広島県と山口県の6箇所の町を回ってきた。 奇遇にも、両県のスタッフの間で有名なポジティブな女性と統合失調症の一歩手前の女性と会うことになってしまった・・・・

超ポジティブな人が面白いことを言っていた・・・Kozyが、“この状態では、怖くなることはないですか?”と聞いたら、“(潜在的にはその通りかもしれないが) そのような目にあうような経験をしたことがないので、恐怖を感じたことがない”と簡単に答えていた・・・・

多数派の人達は、それまでの短く、限られた経験を通じて感じた恐怖感の拡大解釈をして、必要以上に起きてもいない恐怖感に縛られてしまうが、超ポジティブな人は、如何見ても25歳以上の女性であるが、未だに、自分で経験して学び取る姿勢を崩していない・・・

Kozyは、嫌いな人はいないが、彼女も正に嫌いな人がいないようである、Kozyは、ありのままの自分をさらけ出すことを気にもしないが、彼女も同じである、違いは、Kozyは痩せ気味のほうであるが、彼女は太り気味である・・・まさに、体質と気質の相関関係の強さを感じさせられた・・・・

Kozyのポジティブは、何度も云っているが、超ネガティブの先に超ポジティブが存在する・・・つまり、人間に与えられた才能としてネガティブ思考を捉えており、ネガティブ思考は現実の直視を冷静に且つ徹底的に事実による分析と堀さげを可能にしてくれる、この論理的な、むしろ、事実に基づくアプローチとは、別の言葉に置き換えると、科学的なアプローチという表現になる・・・

この科学的なアプローチをずっと行なっていくと、物事には陰陽の両側面があり、状況により陰が強くなったり、陽が強くなったりする、そして、すべてが陰の状況が、最悪の事態=最大の恐怖である、関係する全てが陰の部分になってしまう状況を掘り下げて考えてみると、そのような最悪の事態とは、起こりえない、また、起きたとしても非常に低い確率としかいえない・・・こんな低い確率をいちいち気にしていては町も歩けない・・・・・

しかし、ここまでのネガティブ思考による科学的なアプローチは、最悪の経験を何度も踏むことにより、如何いう状況のときに陰の部分が活発化するかを学習していないとなかなか相関関係や正しい判断基準は整理は出来ない・・・Kozyは、この本質は、人間の持つ陰陽が如何いう場合にどうなるのかを、つまり、人間の構造的に持っている長短の深い理解が必要になる・・・

残念ながら、普遍なことはない、つまり、世の中が変化し続ける限りにおいては、常に変化の胎動に注意していない限りできないことであり、一生、経験学習が必要になる・・・しかし、幸いなことに、人間の構造的な本質は普遍であるが故に、変化の胎動が、人間に如何影響を与えていくかは、多くの場合読みきれるのである・・・・

しかし、個人の行動を読みきるには、論理的には過去にどのような経験をしてきて、それをどのように認知しているのか、そして、それらがその人の行動に如何いう影響を与えるかを知る必要があり、これは実質的には、残念ながら、あまりにも困難である・・・

最近の表情括約筋と脳内の感情とのつながりの研究結果の進展を見ていると、少し話をすれば、ポジティブなリアクション、また、ネガティブなリアクションが、如何いうときに強くなるかが、訓練をすれば、読み取れるということを示唆している・・・以前、自分の相手に与える第一印象は、自分に責任があると述べたが、表情括約筋のどれが、発達しているかにより、その人の普段の情動特性が読み取れるということなのである・・・・

Kozyは、少し話せば9割以上は理解できる・・・また、無意識のうちに読み取っている・・・・

更なる、この種の研究結果の発表を待ちたい・・・・そして、今いえるのは、顔の表情が豊かでない人は、それだけ感情表現を抑えてきた人達であり、能面のような顔の人には、普通の人は近づかない方が良いといいえる・・・特に、笑顔がしっくりしていない人は、作り笑いしか訓練をしてきていない・・・・

男性も女性も異性の好みで、必ずデブ専がいるが、総じてデブの人は、明るく楽観的であり、ポジティブな人が多いゆえ、論理的には、肯けるのである・・・・

恐らく、Kozyは男性であるが故に、科学的なアプローチにより超ポジティブになれる、つまり、男性は恐怖の対照を見つめることが女性よりも、脳の構造上容易であるが、女性の場合は、掘り下げるという行為は、恐怖を男性以上に感知できるが故に掘り下げ思考を継続しにくいと捉えている・・・

恐らく今回会った超ポジティブな女性であるので、彼女のポジティブの源泉は、やれることを毎日していれば良い、そして、実経験もしていない恐怖感に縛られるのはばかげているとの人生哲学に辿り着いているのではないだろうか・・・しかし、他の人は感じないと思うが、時々、非常に辛い思いをして、居直ればいいじゃんというところまで追い込まれた経験を感じさせてくれる・・・つまり、乗り越えてきたものがあり、(たとえ、逆境に会おうとも)人間は成長できる・・・・というMind-Setをもっていると確信する・・・・

カウンセリングは、男性が女性に対して行なうときには、どうしても限界を感じることが多い・・・男性が行なえるのは、ある逆境を乗り越えて、現実の直視=恐怖感から目を背けない重要性を知った女性だけなのかもしれない・・・しかし、この様な女性には、カウンセリングは必要ではなく、コンサルティングまたは、メンタリングが必要になる・・・・

さて、統合失調症の一歩手前の女性であるが、体形的には非常に痩せていて、手の甲の血管が浮かんで見える・・・つまり、皮下脂肪まで少なくなっている・・・正に、神経質そうな人であり、体質と気質の相関関係を示している・・・

上述したように表情の豊かさはなく、作り笑いだけ・・・念の為であるが、責任感も強く仕事においては優秀な人である、しかし、心理学で云うところの“A Type 行動パターン”の典型的な特徴と合致する・・・・

つまり、タイプAの人は,自らストレスの多い生活を選び,ストレスを多く受けているにもかかわらず,そのことをあまり自覚せずに過ごす傾向がある。また,ストレスに対する反応の仕方も,交感神経優位型の反応が現れやすく,血圧が上がる,脈拍が増えるなど循環器系に負荷がかかり,虚血性心疾患の発症に関係していると考えられている。このようなタイプA行動パターンは,現代社会で成功するための一つの条件であるかも知れないが,心臓病にならないように,日頃の生活習慣(ライフ・スタイル)を見直して過労に陥らないように予防に努めることが重要である。(有斐閣[心理学辞典]より抜粋)

つまり、自分自身=人間の構造的な長短を有りの侭に受け入れられない、なのに、周りの人を軽蔑し、聞く耳を持たない、これでは表情は豊かにならない、感情をありのままに受け入れて、理性と感情の融合を図る必要が人間に課せられていることに気付いていない、しかし、女性として集団の中の文脈的圧力には敏感であるが故に、集団規範には迎合をする・・・

推測の域をでないが、厳格に育てられ且つ理性的であることに過剰な価値観を両親から植え付けられている・・・そして、元来は、女性であるが故に、男性より感情をつかさどる大脳皮質が発達している、つまり、感情の支配力が男性より強いにも拘らず、内発的な感情を抑えることは、人間の否定だけでなく、日々ストレスを自分から作り出している・・・正直心配になってしまう・・・・

この様なタイプAの人達には、次のことを考えて欲しい・・・・・

1.感情=情動が起動してしまうことは、自然であり、むしろ、この情動の起動は瞬時の判断を可能にする為のものでもあり、人間に与えられた才能でもある。

2.情動を抑えることは、既に脳内回路にそれまでの限られた経験に基づき組み込まれているが故に、情動を押さえ込むこと自体は、決して正しいアプローチではなく、また、有効でもなく、更にストレスを増幅させてしまうものでしかない・・・

大事なのは、自分の中で自動的に起きてしまう情動は、一体どのような原体験から来ているのかを掘り下げて、その原体験が、関与者か異なり時代的な背景も異なる中で、本当にあるべき、また、正しく起動されるべき情動なのかを掘り下げることにより、情動の起動のパターンの適正化を図ることが大事なのである・・・・・

3.本Blogで何度も述べているように、人間の、そして、男女の構造的な問題をよく理解する必要がある・・・人間の本当の強さは、これらの構造的な長短、むしろ短所を認識する強さの度合いが人間の強さに成る・・・このことを忘れないでほしい・・・

4.人間の脳は、他の生物とことなり、曖昧性の取得により発達したものであり、曖昧性を全否定すること自体は、人間の否定に繋がるのである・・・それが故に、不条理なことも起きるのは当然であり、決して、共産主義が求めたような社会は、現実には存在し得ないのである・・・地球上で一体どれだけの人が死ぬまでに、一切悩むことが無くなる人がいるのであろうか・・・・・

5.人間は、弥生時代ならいざ知らず、現代社会では、正にあまりにも不十分な約25歳までの経験に基づき、各自の情動回路が刻み込まれ、それが自動的に起動してしまう・・・これらの多くの情動は決して全てが正しいわけではなく、また、価値感の9割前後が両親から埋め込まれ、つまり、両親に好かれたくて無意識のうちに内在化されており、過去の正論が今も正しいわけでもなく、当然常識に至っては、生活様式およびレベルが大きく変わってきており、もっと間違いが多くなる・・・・

6.25歳までは中長期の展望の回路が出来ていないので、将来にくいを残すような危険なことや馬鹿な行動ができる、つまり、種々の経験を積みやすく脳が機能するが、25歳では、中長期の展望を踏まえての行動をするようになるが、その判断基準はあまりにも未熟なものでしかない・・・・

7.25歳を超えると、あまりにも未熟な判断基準を基に情動が起動してしまうので、当然ストレスは多くなるのである・・・誰も同じなのである・・・しかし、若いときにカルチャーショックを伴う逆境経験者は、この判断基準が大きく広がると同時に、普遍なものなのはないこと、また、物事には必ず陰陽があることを学んできた人は、ストレスが当然少なくなる・・・

8.つまり、脳の構造から云うと、現代社会における人間は、特に産業革命を契機にして、技術革新が生活様式を大きく変更させ、弥生時代以前の様な約200名の集団の中で生活が完結するような単純ではない多次元で複雑に絡み合った生活を選択しており、人類史上技術革新が一番早くなっている世界では、当然価値感の変更が発生しており、今や、25歳までの経験では全く不十分であり、その不十分経験に基づく自己内の価値観の硬直化や言動のパターン化は、逆に、ストレスを人類史上、最大化されている・・・・

9.上述の意味することは、25歳までに脳内でパターン化された自動的に生起される情動の根拠は、多くが正しくないことを意味しており、当然ストレスに襲われる。 このストレスは現実が齎すものであり、自分の偏った判断基準が間違っていることを示唆してくれているものなのである・・・・

しかし、25年もかけて習得した物を棄却することは簡単ではなく苦しみを伴う、しかし、これを乗り越えなければ一生膨大な量のストレスを受けるのである・・・また、そのような現実を直視しないで避けて生きることは、本人は考えているつもりでも、自動的に脳内で発生するものであり、実際には、脳を活用していることにはならずに、脳は退化のスピードを速めるのであり、その結果、若くしてアルツハイマー病になってしまうのである・・・・

脳の活性化および自己の成長とは、今までLearn(学んできた)してきたものをUnlearn(棄却学習)して、現実に基づきRelearn(再学習)することによってのみ行なわれるのである・・・言い換えれば、判断基準の適正化が25歳以降に人間に課された人間になる為の修行の場でしかないのである・・・・・

最後に、人間の構造的な良い点を上げると、①脳内に入る情報は全て五感から入力されるが、全ての五感は麻痺する特性を持っており、“慣れ”という特性を持っている・・・つまり、目を背けないことが大事になる。 ②情動回路が起動して前頭葉前野が追認するまでには0.5秒弱あり、この間隙に理性回路を強く起動すれば、情動に左右されなくなる側面を持っている・・・つまり、チャレンジ、主体的行動を旨として、決して受身にならない行動を意識すると、情動には負けない場合がふえるのである・・・

そして、③自己の生命の保存の為に、脳も体も使わないと退化するので、健康の維持上は、脳を活性化したい本能を持っている・・・これこそが、自己成長欲なのであるとKozyは捉えている・・・つまり、自分が変わることが、その判断基準が変わることが、そして、Lear-Unlearn-Relearnのサイクル学習こそが、脳の活性化につながるのである・・・・・

だから、人間には無限の可能性があり、何時からでも成長が出来る・・・・

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August 24, 2008

自分という幻想から速く卒業しよう・・・

Kozyは全国を飛び回っているが、さすがにお盆のときは、チケットの入手の困難さがあり、飛ばなかったが、18日と19日で早速宮城県の東西南北に分かれた四箇所を仙台を起点にして回ってきた、最低気温が17度まで下がり、朝方は、流石に今の時期にベッドメーキングで毛布入れていないので、あまりの寒さで目が覚めた・・・

幸い風邪は引かなかったが、おでこに大きな吹き出物が出てしまった・・・こんな体験は記憶にない・・・やはり、歳の所為ではないかと・・・Physically, my age is catching me・・・・・

しかし、これで個人的には本州の訪問地の最北端の記録を更新した・・・確かに牛タンは上手かった・・・

また、同時に自己内の今までに経験を通じて構築された自己内の概念との会話が、無意識のうちに促進されている・・・

今回は、今まで、日本については無知に近いが、それでも田んぼの真ん中や信州などにも住んで、また、都会の下町および山の手にも住んだことがあるので、あまり驚くことはないが、松島の自然の奇跡が作り出した造形美には、圧倒された・・・正に地震の多い東北東部の固有性が作り出したものであることは間違いない・・・・

遠浅の松島、その北の方には、断崖絶壁のリアス式海岸・・・断層は、人類を作り出し、自然の造形美を作り出している・・・その影で多くの生命が奪われ、新たな進化を遂げた生命を生み出している・・・人間も偶然が生み出したものでしかない・・・・

むかし、黒沢映画の中で“今度生まれるときは、貝になりたい”という類の有名なせりふを覚えているが、生きることの難しさを謳った映画であるが、当時は感銘を受けたが、今は、“甘えているじゃない”・・・“ふざけるな”といいたい・・・・

人間は、つまり、人間の脳は曖昧性の習得により発達したものであり、この曖昧性の本質と、もう一つの脳の本質である“怠惰性”・・・つまり楽をしたいという気持ちから、発露した言葉が、“私は貝になりたい”ということでしかない・・・また、この時代背景には、大事に大戦の敗戦に伴う価値感の大きなパラダイムシフトがある・・・

今はなき黒沢監督に問いただすことは出来ないが、黒沢監督の発したかったメッセイジは、“用心棒”と同じく、真にたくましく生きているのは農民達であり、その強かさを訴える為に、“私は貝になりたい”という生き方を戒めたかったのではないかと今更ながら、感得する次第である・・・

しかし、この曖昧性と怠惰性の本質が脳を支配しているが、この脳が齎すものの中で最大の問題は、自己という概念であり、あたかも独自の自己が存在しているという幻想を抱かせてしまっていることであるともいい得るのである、しかし、同時に、自己があると思うから悩み苦しむことを通じて、人間は成長してきたとも言いえるのである・・・・

心理学の大罪でも述べたが、自尊感情=Self-Esteem, 自己効力間=Self-Efficacy, 等々の“Self”、日本では“自分らしさ”とか“自分探し”という言葉もあるが、脳科学的に云うと、両親の遺伝子の半分づつを貰っている
子供達が、何故にこれ程までに異なるのかを見るまでもなく、昔から、Nature or Nurture、生得的なものと、養育の仕方および育った環境のどちらに支配されるのかという議論があったが、やはり、Nurtureと言わざるを得ない・・・・・

また、日本人も大きく変わってきている・・・・北島康介のように進化を遂げる人、無差別殺人のように退化していく人に分かれるが、残念ながら、人間の弱さから考えると、約9割の人が退化の方向に流されやすい・・・・・

つまり、自分らしさとは、どのような経験をしてきたかにより、その経験に縛られて生きることを意味する生き方でしかない・・・・また、自分探しとは、自分が過去の経験を通じて、その経験から習得したもの、または、無意識に習得してしまったものは何なのかを突き止める作業であり、その時点での本当の自分を有りの侭に認めて受容することになる・・・認めたくない自分自身を認める作業になる・・・・・

しかし、自分自身というものは種々の異なる経験とより深い経験を通じて変化=成長していくものであり、あるべき表現としては、自分探しでなく、自己の再構築のたびになるのである・・・即ち、自分自身は幾らでも変化=成長できるということを体得または感得することであり、その連続の人生のたびでもある・・・・・

しかし、一旦見にしみこんでしまったものは、なかなか簡単には取れるもではないが故に、良いことはそのままで良いが、悪い習慣的言動パターンは、自分の悪さ加減を強く正確に認識して、対抗する良い言動パターンの習慣化をして修正していくしかない・・・

集団の中でしか生きられない人間は、集団同士、集団と個人、個人と個人のダイナミックな相互作用の中でお互いに影響しあっている存在でしかない・・・しかし、一旦、この世に生を請けた以上は、周りに正のエネルギーをより多く送りたいと思うはずである・・・このことが心の平静と幸福感を生み、脳内のエネルギーが一番増える・・・・・

生態系における最新の進化論は、強い種ではなく、最小のエネルギーで生態系の存続の為に、最大の貢献が出来る種だけが生き残れることを示している・・・この事は、最大の貢献をするエネルギーで長期的に考えると、たとえ少なくとも良いエネルギーをだす、良い継続的な=習慣化されたものが一番累積エネルギーとしては大きいのである・・・つまり、強い種は、それだけ大きなエネルギーを消化する必要があり、所詮は消耗してしまう・・・・

これらを総合すると、“自分=Self”が存在すると思い込み、この幻想に縛られて生きていくことは、エネルギーの浪費を招くことでしかない・・・・しかし、種々の経験が人間の個性を作っていることは間違いなく、その個性は自分だけのものであり、生まれてまるっきり同じ経験をした人はいるわけがないのは、事実である・・・・・

しかし、経験とは社会との相互作用によるものであり、所詮は、全く同じ経験を共有する人はいないが、社会の中の独自個性は持てないのである・・・・

禅宗では、心を無にする修行があると理解しているが、心=情動と捉えた場合、本質的には自分=我というものは存在しない・・・この境地が“無”ではないかと捉えている・・・そして、世の中は全て因縁生起のルールで動いている・・・・だから、生きているのではなく、ただ単に生かされているというのが人間なのである・・・・

難しい言葉かもしれないが“無我”の境地に速く達することが、ことが今の時代は特に求められている・・・・

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August 17, 2008

独白・・・人間について・・・

本ポストは、“独白・・・男女について”の前に投稿していたつもりだったのですが、さっき、してないことが判りましたので、ここにポストします・・・・・

最近、ポストが減ってしまい、申し訳ありません・・・・実は久々にぎっくり腰をやってしまい、逆に、最近の日本全国の行脚のたびをしていて、自己内の概念が新たな五感からのインプットの刺激を受けて、Kozyの言語で構築されている自己ない概念との活発な会話をしているようであり、横になっていると、今まで以上に本当の自己内概念がむくむくと所詮は限定的または間違った自己内の言葉で整理された体系的理解を攻撃してくるのを強く感じて、ある意味では人生の中で一番知的な時間を与えてくれたのがぎっくり腰であったとも云いえる・・・・・

走り続けるKozyに、人生を振り返らせてくれる、また、現実、地方により異なる現実、都会では何を失い何を得たのか、東京以外の大都市、そして、地方という冠をかぶされる地方都市、また、電車での移動中に見えてくる田舎の風景、これらの場所の人達も、一体何を失い、何を得てきたのか・・・

自分の中では、まだはっきり言語による精緻化は出来ていないが、もう少し旅を続ければ、100%の精緻化は無理でも、言語である程度伝えることができる確信めいたものは強く感じている・・・・・少なくとも、強く感じているのが、地方文化への誇りが消えつつある・・・日本は東京という巨大都市の影響下にある・・・決してこれは良いことではない・・・・

地方は東京と異なり自然環境も歴史も異なり、その独自の文化に裏づけされた方言というものがある・・・・違うことが良いこと、独自の文化の発信をすることが良いこと・・・そして、より素晴らしいハーモニーやシナジーを生むことが、孔子のいう和の本質であることを忘れつつある・・・・

利権体質とは、談合体質と同根のものであり、以前、本Blogでポストしたが、談合は一時的な利益をもらすが、談合は技術力の競争の回避機能を持ち、グローバルな競争においては、麻薬と同じで、結局は廃人になるのである・・・・

また、この様な中央追従型の姿勢は、中央の動向だけに目が行き、日本で、そして、世界でどのような変化の胎動が起きているかに常に目を向けなくてはいけないのに、また、目を向けていても胎動を感じるのが難しいものであり、変化への対応そのものを拒否しているのと同じでしかない・・・・

また、本Blogでなんども述べているが、人類史上で一番技術革新のスピードが速くなっている現在に生きることは、現代の日本を含む先進国の人々は、子供の教育、青年の教育、そして、大人への教育に対して、従前とは違ったパラダイムでの教育、人間育成をしていかなければならないのである・・・・・今までに幾つもの提案をしているので今回は詳細は省かせていただく・・・

一方、技術革新の中に含まれるが、脳科学の進歩、そして、生態系を中心とする複雑性の科学の進歩は、人間の本質を科学的にほぼ解き明かしてきている・・・しかし、学際的な幅広い視点を持った研究グループ稀であるが故に、また、孔子の様に最初に社会に出て、社会の実学から入った人は少ないが故に、どうしても洞察力および構想力に問題があるのが現実である・・・・

ついては、あくまで、Kozyが社会に出るまでの最大の財産は、俗に言う貧乏や逆境という経験をさせてもらい、また、当時は嫌でしょうがなかったが、母が住み込みの寮母として、働いていたがゆえに、何百回または、何千回と小生への同じ間違いを犯さないようにという善意に基づいたものも含めて、愚痴を聞かされた中で、それだけ多く聞かされると、人間の本質、そして、人生のあり地獄への分水嶺とは、集団の中での人間の弱さ等々、自然に体系化されてきた・・・・

そして、社会で30年以上、創業100年以上の大企業の中で、つまり、一番体質的に良くない部分を持つ会社の中で、再学習をした、人間とはという実学、そして、54歳からの心理学の修士コース、また、その間に勉強してきた最近の脳科学の知見から、Kozyが捉え理解している人間の構造的な問題、また、素晴らしさを長くなるが開陳してみたい。

人類は未曾有の危機に面しており、事実としての人間とはの深い理解が先ず必要だと捉えている・・・Fact-Figure-UP、つまり、悪さ加減の認識、これこそが全ての改革のスタートであると捉えている・・・・・・

Kozyは、ある程度の人が、“普遍なことはない”ことを理解しているが、その為に、確信を持たないように自分を戒める為に、どんなに自信があっても、それをあくまで強い仮説であると自分に言い聞かせる必要性を述べる人は、Kozyは知る限りは会ったこともなく、この様な表現を聞いたことがない・・・これこそが、人間の持つ長短の両方を活かす生き方の哲学でもあると、最近自分自身で強く感じている・・・・

人間社会は、昔はせいぜい二百人ぐらいが集団の、つまり、村の単位であり、その集団の中での25歳までの経験は非常に有効なものであったと考えられる・・・脳科学でわかったことの一つに、メイン回路という意味での脳の発達は25歳で終了するのである・・・最後のメイン回路が、中長期の展望の回路であり、これが意思決定の時に同時に取り組まれるようになる・・・・

25歳までは短期の展望、つまり、やりたい、やれたら嬉しいという短期的な欲求に縛られて人間は、行動してしまう、行動が出来るように、つまり、幅広くより深い経験をすることが容易なように脳は作られている・・・多くの人が若い時はよくあんなに恐ろしいことが出来たもんだ思い出すことが必ず幾つかあるものです・・・・・

以前発信したが、“守る”とはその経験をさせないことであり、“支える”とは、経験をさせることなのである・・・・

種々の経験を踏むことを容易にする為に、中長期の、端的に云うと、恐怖感に縛られないように行動に移せるように脳は作られている・・・・しかし、25歳で脳の発達が終了すると云うことは、それまでに経験したことが短期だけでなく、中期、および、長期な視点で洞察をして総合判断を可能にするということです・・・・

人間社会が二百人前後の集落の中でほぼ完結する社会に住んでいるのであれば、25歳までの経験でほぼ十分であり、まさに、大人として行動が出来る・・・また、多くの場合は瞬時の判断が必要なので、それまでの経験を類似性という回路のパイプラインを通る新しいことは、同じ類ものとして、瞬時の判断を可能にしたのが、人間が進化の中で習得したものだと思われます・・・

しかし、先進国における現代社会は、200人よりも大きな集団やそれよりも小さな集団に同時に属しており、多次元で且つそれぞれの多くの集団とのダイナミックは相互作用の影響下で生きていかなければならない・・・かって人間が習得した脳の機能は、現代社会では、よりストレスを齎し、また、技術革新は生活様式に変化を齎すが故に、価値感の変化のスピードをアップしており、種に両親から引き継いだ価値観は、また、社会に出るまでに養ってきた価値観は棄却することを強いられる・・・・・

ひょっとすると脳が進化を遂げてこの問題を解決するかもしれませんが、期待しない方が良いでしょう・・・何とならば、人間の脳への情報は全て五感を通じて、脳にインプットされるのですが、この五感はずっと同じ刺激を受けていると麻痺をして精度が落ちる特性を持っている・・・だから、Kozyは現実=恐怖への対峙を説いている、そうすれば、恐怖感が薄れ、それまで見えないものが見えてくる・・・・

また、人間の脳の進化は、他の動物に比べ五感の能力では、どれ一つを取ってみては一番のものはなく、視力いいほうかも知れないが、三原色を感知する細胞という点では、緑を感知する細胞を進化の過程で放棄しており、現在皆さんが感じている緑は、赤と青の精度の度合いのバランス上で緑として認知していることでしかない・・・だから、Greenに感度が悪くて、今、Green Ageとしてなくした緑をもとめざるを得なくなっているのかもしれない・・・・・

一方、曖昧性の取得が、人間の人間たる所以である前頭葉の発達をもたらしのである。一言で言えば本能で生きる他の動物とは異なり、前頭葉にて理性という思考能力を習得しており、曖昧性を放置しないで分析して整理することが出来るのである、また、前頭葉にミラーニューロンと呼ばれる相手の感情を感じ取る機能を、感情をつかさどる部位でなく、取得しているのは、個体としては弱い人間の生きていく為に必要な対人関係を賢く生きる為に進化の中で前頭葉に取り組んでいると考えられるのである・・・

Kozyは自動脳と名づけているが、人間が生きていく上で瞬時の判断を可能にせしめるもであると同時に、生態系の中で適応するには最小のエネルギーで最大の効果を求めない限りは、その種はどんなに強くても疲弊してしまい、生態系の中では生きていけないが故に、25歳までで、瞬時の判断が出来るように進化したのであろう・・・・

しかし、この瞬時の判断基準は、それまでの経験の浅さと狭さから云えば、変化し続けている現代社会では、あまりにも不適切なものでしかない・・・また、脳科学知見では、理性と感情が同じ方向を向かないと実行に移せないと報告されているが、自動脳の感情の判断基準も、不適切なものでしかない・・・・

これらの価値観や感情の判断基準は経験により塗り替えられていくが、一旦塗り替えられると、またその新たな判断基準に縛られてしまうのが人間の構造的な特色でもある・・・だから、Kozyは強い仮説として整理すると同時に、人間の脳は曖昧な情報しかインプットできないが故に、無理して曖昧性を白黒に分ける必要なない・・・その都度考えれば良いと考えるようにしている・・・

人間は不安感に弱いが、黒白をはっきりして整理したいというのは、人間の本質を無視した傲慢性でしかない・・・あいまい性の習得が人間を進化させていることを忘れてはいけないのである・・・・

ストレスを感じることは、自分の自動脳の判断基準が不適切であることを教えてくれることであり、また、不安を感じるとは、人間は言葉でしか思考が出来ないにも拘らず、言葉は自己内に醸成されている概念を、言葉自体にバイアスがあるために、精緻な言語化が出来ないのであり、ストレスも不安も前頭葉を最大に活用し掘り下げて自問自答をして、自分の自動脳の判断基準が何なのか、そしてそれは一体何処から来ているのか突き止める知的作業への、最高の示唆でしかないのである・・・・

そして、Kozyは人間の持つ恒常性、つまり、人間の機能は全て、正の機能があれば負の機能があり、あるバランスを保つように出来ている、本当の逆境を経験した人は、思い当たることがあると思うが、落ちるとこまで落ちると、この恒常性が起動して、なんか気力が湧いてくる・・・多くの人は、この前で悪あがきをして、自分を追い込んでいる・・・だから、逆境だけが人を成長させるのである・・・・・

まだ伝えたいことがあるが、この続きは、自分自身が、今日本全国を訪れながら、大きな刺激を受けているが故に、まだ、精緻な言語化が不十分であるが故に、しばしお待ちください・・・・・・・

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ベイジン・オリンピック・・・雑感

今年のお盆は、お盆というよりも、オリンピックという感じであった。 また、オリンピックのお陰で、TVでは、殆ど終戦に関する特別番組が無くなってしまった・・・こんな年は、生まれて初めての経験でもある・・・・

しかし、今年のメダリストを見ていると、心理学で云うところのGrowth Mind-setの人が、素晴らしい結果を残している・・・つまり、“I can do it”という自分は出来ると信じて目の前の猛練習にもめげることなく頑張ってきた人達である・・・優勝インタビューを聞いていると、特に、欧米人に多く見られた・・・・

エディソンが云っているように、天才は1%の才能と99%の努力で作られるのである・・・・継続的な努力は、知的思考力とサポーターの両方の存在が必要、100%可能性を否定できるものはない・・・サポーターの存在はあなた次第なのである・・・・

また、北島康介等のインタビューを聞いていると、アテネオリンピックで優勝して、その後、不調で国際大会で日本代表にも選ばれなかった、つまり、逆境を経験して再度這い上がってきた人の強さ、心理学ではレジリエンスという力の強さを改めて示してくれた・・・・

トップを極めた人が味わう逆境は、何時でも引退という誘惑が強い、つまり、くだらないプライドに縛られやすい・・・しかし、康介は違った・・・だから、あれだけの完璧な勝利が与えられた・・・・

逆境での強さという意味では、経営では松下幸之助が有名である・・・彼は、大災害にあった町と会わなかった町を比べると、10年後には、必ず大災害にあった町の方が発展している・・・つまり、彼は、逆境に面したときに逃げないばかりか、現実に対峙して、とことん現実からの再学習をして、正に、逆境をバネにして、松下を成長させてきた・・・・・

ふと言葉に出てきたのが、日本人は第二次世界大戦で敗戦を経験して、正に、多くのパラダイムの変換の嵐の中で、そして、生きる為に、現実を受け入れて、日本の奇跡の復興を成し遂げた・・・しかし、厳密に捉えると、日本人のもつミーム(文化の遺伝子)二項同一という、全く異なるものの融合をしてしまう能力に支えられたというべきなのであろう・・・・

しかし、この二項同一とは、想定していなかった、または、全く反対のものでも同一化できることであり、この為には、白紙の心で観察をして含意・本意を正しく理解する能力が前提となる・・・この同一化は、孔子の言う“君子、和して同ぜず、小人は、同じて和せず”の言葉に表される“同ずる”ではなく、正に、“和する”ことなのである・・・・・

“同ずる”とは、異なる意見に盲目的に、または、勇気がないために同化することなのである・・・“和する”とは異なる意見の長所を活かす、つまり、シナジーを求めることなのである・・・・まさに、このシナジーは因縁生起の“縁”の力の一つなのである・・・・・

また、多くの勝者が、支えてくれた人への感謝を口にしているが、現代のスポーツは、既に、あまりにも高度化してきたが故に、仕事と同じで、チーム力が問われる時代になっている・・・決して個人の力だけでは勝てないのである、チーム力とは単純に技術的な専門スタッフだけでなく、精神的な支えがあって、つまり、お互いの信頼感があって機能するのである・・・・

逆境の最大の利点は、孤独な環境を生むことである、そして、孤独な時間が普段は、認められなかった自分の弱さや甘えの体質を垣間見させてくれる・・・生きる強さとは、自分の弱さをどれだけ強く認識できるかに依存する・・・そして、正しく強い、弱さの認識が、種々の人に、弱い部分を支えられていると言うことの気付きをくれるのである・・・・

自分が目指す方向に、どれだけの人が協力して支えてくれているのかが、強く認識できると、その人達の為にも、頑張らなくてはという気持ちになれる・・・・人間の本質は怠惰なものであり、自分の為だけには頑張るのは難しい・・・・

日本の人々を観察していると、相互互恵主義・・・つまり、相手からの恵みがあるとの期待に基づき行動を起こす・・・そして、期待通りでないと、諦めるのはまだましだが、恨んだり嫉んだりして人の所為にしてしまう・・・挙句の果てに、空気が読めないとか、上から目線だという攻撃をしてしまう・・・・

Kozyは理系であるが、社内で、理系の仕事は殆どしていなかったが、エンジニアといえば、変ジニアといわれ、自分でも笑ってしまったが、技術者ですからといえば、奇術者と言われて来たぐらい、世間一般の言う理系らしくないところがあるが、この相互互恵とは、ベクトルで云えば、一方のエネルギーが強すぎればバランスがとれずに消え伏せてしまう・・・

つまり、どれだけ自分が自分に厳しく対応できるエネルギーを持つことが出来るか、このエネルギーと対等の相手の人および人達からのエネルギーで支えられることにより、バランスが取れて存在するものでしかない・・・つまり、自分がすこしのっ努力しかしないで、相手にそれ以上の期待を持ってよいのは、幼児だけなのである・・・・自然の摂理でもある・・理系的説明で恐縮です・・・

因縁生起の6割、つまり、常に、半分以上が直接的な因果関係、つまり、自分が間違っているから起きる問題なのである、たとえ上手くいっているときがあっても、それは長続きはしないのである・・・残念ながら、物事には時期というものもあり、機が熟していないうちの独断専行は、機が熟すまでは報われない・・・・

皆さんの中で、何気なく、“機敏”ということばを使っている人がいると思うが、機を見て敏なるが機敏ということであり、また、臨機応変という言葉があるが、これも機敏と同じ側面を持っている・・・しかし、機敏とは、普段から、普遍なものはないという考えで、また、白紙の心を維持して物事を見て体感する習慣が持てていないと、機は感じることは出来ない・・・・

せめて、本Blogでシリーズ化しているが、“What is changing”をいつも心がけて物事を見る習慣が大事になる・・・Kozyは、独身寮に住み込みで母が寮母をしていたので、中学校ぐらいから日経新聞に触れる機会が多く、大学進学に伴い下宿をするようになり日経新聞を取っていた。・・・日経新聞を読みながら、時代を読み取ることの面白さを覚えた・・・

社会経験を積み重ねるにつれて、また、技術的洞察力が付くようになって、また、経済・社会・政治のメカニズムに対する理解が深まることに伴い、洞察力の正確性が向上してきたと自負している・・・予想が外れたら、何の理解が浅かったのかを常に探求していくことがまた、重要になる・・・

また、同時に、“What is changing”を常に考えていることは、自分も変化しなくてはいけないということを自分に言い聞かせる効果もあり、常に、“What is changing”を考えて観察することをお勧めします・・・・

また、勝者のインタビューで誰も、家族に守られて感謝しているという人はいなく、家族にも支えられてという人達のみである・・・・・

昨今、家族との絆を大事にする人が増えていることは良いが、家族として一番人生の中で、一緒に長く暮らすのは、伴侶であり、結婚して自分で作る伴侶を含めた家族であることを忘れてはならない・・・親が、本当に望むことは、社会人として立派に且つ幸せに暮らせる家族を子供達が持つことなのである・・・そうでないと親は死ねないのである・・・

家族との絆が強くなりすぎると、誰もその間に入れなくなり、この事は、伴侶の候補の人にとっては耐え難いことなのである・・・つまり、何時までも結婚が出来ない・・・何度も云っているが、自分の人生への一番大きな影響力を持っているのは、伴侶なのである・・・だから、ライフ・パートナーというのである・・・・

最後に、海外を飛びまわっている人しか感じないかもしれないが、北京はペキンとは呼ばないようにずいぶん昔から国際的に変わっている、ベイジンと呼ぶのが正しい・・・中国に礼を失している・・・政府もマスコミも反省すべきである・・・・

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August 13, 2008

独白・・・男女について・・・

Kozyの頭の中で、だいたい整理が出来つつあるが、自分自身でも強い確信(=仮説)をもてないことがある・・・それは、今まで何度も色々な視点から述べているが、男女の違い=構造的な性差の整理である・・・・

あの時代によくもここまで物事をよく観察をして、整理をした実在の人物である釈迦の言葉を借りると;

「女性は心の乱れやすいもの、行いの間違いやすいものである。欲が深いから、惜しむ心、ねたむ心が強く、障害の多いものといわなければならない。 だから、女は男に比べて、道に進むことが困難である。まして年若くて容色の美しい者はなおさらである。財と色との誘惑にうち勝って、道に進まなければならない。

 女にとって強い誘惑である財と色は、決して永久の宝ではない。たださとりの道だけが、永久にこわれない宝である。強い者も病に犯され、若い者も老いに破れ、生は死に脅かされる。また愛する者と離れて、恨みある人と一緒にいなければならないこともあり、そして求めることも、とかく思うようにならない。これが世のならわしである。だから、この中にあっておまえの守りとなるものには、たださとりの道がある。急いでこれを求めなければならない。」

この発言が、仏教とは女性差別の宗教であるとの批判の基になっている・・・しかし、女性の修行を受け入れている・・・これは差別ではなく、違いの認識の重要性を説いてるとKozyは理解している・・・・

現代は、女性と男性には性ホルモンの違いによる性差はかっきり観測され、また、脳科学においても脳の構造の違いや脳内の部位にも強弱の違いが確認されている・・・しかし、前回の独白で述べたように、基本的には脳の構造は全く同じといっても良いが、性ホルモンの差に伴う特性が男女により異なる、また、同性であっても個人差は存在しており、昔のように女性は、男性はという類のイデオロギーで単純化できる問題ではない・・・・・

しかしながら、種としての人間という動物で捉えると、現在のアフリカ北部で確認された、人類の誕生は、学術名を“イブ”という女性が、最初に誕生したと捉えられている・・・この時は、それまで森林に覆われたアフリカで大地震、むしろ地殻変動といっても良いが、アフリカの南北に大断層が出来たことに伴う環境変化への対応=進化により人類は誕生したのである・・・

現代のアフリカを見てもらえば判りやすいが、旧英領が多い西アフリカに、キリマンジェロを筆頭に、大断層に伴い大きな山脈が誕生した。そして、当時は恐らく何千メーター以上の高さの断層の壁が誕生して、それまでアフリカの東西に渡る森林地帯は、気候が一変したことに伴い、霊長類と呼ばれる我々の先祖である猿は生活の場であった森林を奪われ、生きるためのルールが変更を余儀なくされた・・・・

主な変化は、森林生活から、森林のないところでの生活、ボス猿集団生活から、雄のより多い集団としての狩猟生活、つまり、ボス猿が幾ら強くても、大きな動物には単独では勝てない、また、平地ではうまく隠れることも出来ない・・・

以前述べたと思うが、現在の脳は、人間の体の仕組みの変化に伴い出来上がった脳であり、体の制限等によっても、五感での情報インプットの精度の制限も受けている・・・

人間の進化の中で、相手の表情を読み取る、言葉をしゃべれるようになる・・・つまり、コミュニケーション能力の向上が、他の霊長類との分水嶺になったとKozyは捉えている・・・また、このコミュニケーション能力は、メスのボス猿による保護が希薄化した中で、夫婦の原型が作られていき、また、集団としてより強い敵を狩猟する為にも大きく貢献している・・・・・

このような変化の中で“イブ”は、種としての人類の保存を考えるに、精神的および肉体的に性の新たな役割分担を、環境の変化に対する適合として、進化した捉えられる・・・・・

女性は、種族保存の為、生命力の強さを意味する脳幹と脊髄(進化的には爬虫類の脳)を男性より強くしている。また、子孫を作る為に、食べることへの欲求、および、美への欲求を、つまり、情動や強く生きる本能を司る大脳辺縁系(哺乳類の脳)を男性より強くした、それに伴い災害や飢饉で、食べるものがなくなっても男性より長く生きれるように、筋肉よりも皮膚の下に脂肪をためる=皮下脂肪の機能を持った・・・・つまり、筋肉による力は男性に分担させた・・・

釈迦が云う様に、女性は貪欲なりやすい構造を持っている・・・・種族保存上は子孫を残す女性がより多く生き延びれる必要がある・・・・

男性には、狩猟という行為、つまり、死をも厭わない闘争本能を持たせた、つまり、恐怖の対象に集中できる能力、むしろ、好奇の対象以外は見えなくなる機能を持たせた。この事は人生を賢く、上手く生きる為の深い洞察と論理思考(前頭葉)を男性の方を強くした。深い洞察と思考は恐怖を抱かせる現実直視の姿勢を必要とするのである・・・・・

しかし、これでは、女性から見れば、肉体的にも思考力においても、男性の支配下に置かれることはあっても、男性に妻を守らせ、家族を守らせる為の武器がないので、ミラーニューロンを男性の方が発達している前頭葉に置くことにより、男性に優しさを与えた。恐らく女性よりも、ミラーニューロンは男性の方が活発だと、Kozyは捉えている・・・・

脳科学的には女性の方が、物事に関する観察力は圧倒的に優れていることが報告されており、心理学では女性は男性の8倍もの観察能力があるとの実験報告まである・・・これは、右脳と左脳を繋ぐ脳梁と呼ばれる左右の脳の信号のやり取りをする、いわば信号ケーブルの容量の違いが、映像として捉えて記憶する能力が女性が勝っているということだと理解している・・・・

男性は構造的に左脳思考に陥りやすい、女性は右脳思考に陥りやすい・・・・左脳と右脳の両方が、解り易く言うと、言葉で理解整理したもの(左脳思考)だけでは理解したことにならない、それを、絵で描けることが(右脳思考)出来て初めて理解したことになる。しかし、人間の脳は言葉でしか思考が出来ない、それゆえ、絵が描けても正しい言語化と整理が出来ないと、思考を深める為には不十分なのである・・・

また、心理学では社会的攻撃能力とも呼ばれるが、表情などの観察能力の違いより、男性の嘘を見抜く能力と相手の弱みを見抜く能力が女性の方が勝っている・・・端的に云うと論理的な攻撃および肉体的な攻撃に対して、男性の感情的に弱い部分を口で攻撃することにより、男女の攻撃がバランスしている・・・正に脳科学で言うところの理性と感情を男女は分担し合っているという捉え方も出来るのである・・・・

しかし、現実としては、感情のほうが行動決定においては理性より強いが故に、世の中で、女房に頭の上がらない旦那さんが圧倒的に多数なのである・・・正に感情が理性を凌駕する・・・・

言葉が古いが、“うら若き乙女”とか“守りたくなる女性”という言葉があるが、何故か、そのような女性は結婚後は消滅してしまう・・・“女は弱し、されど母は強し”というように、女性は母親になると強くなる人が多い・・・しかし、科学的には母性は何時起動するのかと言うことは、未だに解明されていない、動物実験を見ていても、全ての動物が母性が強いわけではない・・・

しかし、猿を見ていると、人間に進化する前から母性を持っており、生得的本能という気もするが、全ての、DNAが起動するわけではない・・・つまり、ある種の刺激を受けてDNAは起動するものが多く、妊娠したと判った時、出産の痛みを経験したとき、自分の子供を見たときから、また、養育をしているときから等々が考えられるが、十月十日自分の体の中で生まれ成長をして生まれてきた子供に対して、多くの女性が、自分の分身とか自分の所有物の感覚を持つ・・・・これが母性の本質ではないだろうか・・・・・・

つまり、人間は守るべき対象があると強くなれる・・・そして、頼られ愛されることにより女性は強くなる・・・しかし、この愛着性が強くなると、理性が一番、さとりの道を求めるには重要であるが故に、女性は道を求めるには、確かに障害が多い・・・お歳になっても可愛い奥さんに出会うこともあるが、残念ながら、お子様の居ない奥さんが多いのも事実である・・・偶然ではなく必然なのかもしれない・・・・

しかし、愛することを守ることだけと捉えては、ろくな子供には育たない・・・守るだけでなく種々の経験、それが苦行であっても、それを支えることが、特に中学校ぐらいからは大事になるのである・・・・

以上述べたような男女の違いは、ホルモン、特に性ホルモンの影響を受けているのである・・・・生理心理学を学んでいくと、実にホルモンが種々のコントロールに影響を与えているか脅威すら覚えてしまう・・・

以前東洋における愛の含意として、立ち去る老人が残る人々の将来を案じる気持ちを表すものと書いたが、恋愛というのは、この人と居れば自分が行きたい方向へいけることが出来るのでは、つまり、自分が成長したい方向にいけるという人間の成長意欲が心の高鳴りを生むと同時に、その道のりには同然多くの危険=恐怖があることを知っているが故に、恐怖感に反応する部位が、恋に落ちる時には反応するのである・・・・

まさに、難しさや怖さをわかっていても挑戦してみたいと思うチャレンジ精神と同じだと、Kozyは捉えている。しかし、自分自身と社会のメカニズムを知らない人にとっては、恋愛は自分自身を有りの侭に理解する為の修行の場であり、また、相手を見る目も十分でない為に、失恋という経験を踏むのは当然であり、それは男女にとって自己成長への重要な一里塚なのである・・・

だから、歳をとると、恋の高揚感を抱くことが、また、現実を良く知っているが故に高揚感=チャレンジ精神が失せていく・・・失恋を繰り返す人は、同じ過ちを犯す人が多いが、それは、自分自身を有りの侭に受け容れられないからだとKozyは捉えている・・・または、現実は神の啓示であるにも拘らず現実を受け入れられない人たちなのである・・・・

恋愛経験が一番自分自身の有りの侭の姿を学ぶには一番良い方法だと、Kozyは多くの人に推薦している・・・そして、自分自身と現実社会を踏まえて、進みたい方向に一番シナジーを生む人が、ベストのライフパートナーになる・・・だから、伴侶=ライフ パートナーの選定が自分の人生に一番影響を与える大事な選択になるのです・・・・

一見難しい選択に見えますが、正しい言語化が出来ていない自己内の概念を常に探ることを習慣化していると、赤い糸は見えてくるのです・・・・女性の方が体感的に自己内の概念を掴んではいる・・・・

一方、心理学では、道徳性の習得についてギリガンが男性と女性は習得の過程が異なるとして捉え、・・・女性は人間関係,気くばり,共感などを主要原理とする「配慮と責任」の道徳性を発達させると主張した・・・そして、配慮と責任は自己と他者の両者に向けられ、傷つけないことが道徳的選択の普遍的ガイドとなる・・・と結んでいる・・・

正に女性的なソフトな言葉による総括であるが、これは、男性へのメッセイジ、つまり、社会的な攻撃能力の発揮であり、男性へ配慮と責任を求めるものである・・・・つまり、配慮は自己犠牲を生み、責任の遂行は、恐怖との直面かが必要であり、男性に精神的苦行=“傷つく”ことを求めている・・・・

しかし、自己と他者の両者に傷つかないことを前提として、配慮と責任を求めるのは、明らかに、女性の自己中心的な矛盾する主張でしかないのである・・・そして、自分が傷つかない方法論として、自分の心のエネルギーがマイナスになるものには目を向けないという知恵を多くの女性が習得していく・・・・

この知恵が、釈迦の云う“女性は心の乱れやすいもの、行いの間違いやすいものである”の本質になる・・・つまり、よく物事が見える観察能力は、諸刃の剣であり、それだけ日々の現実の生活において、男性以上に恐怖感を察知しやすい構造化にあり、これらの現実との対峙が、また、自分の想定する現実との乖離が、自分自身の間違いを気付かせてくれる・・・・・・

この種の日々の心の衛生管理は、成長させてくれるのは過去でもなく未来でもなく、今日を生きて今日の思考と行動が未来での変化という成長を齎すものである点では、Kozy自体も大事にしているが、これは、チャレンジする目標が決まっていて、その過程において恐怖との対峙が行なわれ、その対峙を通じて心のエネルギーがあるレベルを超えて下がり過ぎない様にする場合に価値があるのである・・・・・・

ただ単に、自分の心のエネルギーがマイナスになるものには目を向けない行為は、現実回避であり、逃避行動でもあり、これでは道は求められない、それだけでなく、この様な回避や逃避行動は、所詮その場しのぎのものでしかなく、この行為自体が脳を本当に使う行為ではなく、それまでに組み込まれた脳回路に縛られて言える行為であり、脳を使って脳を活性化する行為と全く逆の行為でしかない・・・・

以前も発信したが、この女性の浅はかな知恵に縛られている人は、日々のストレスから解放されないために、統合失調症に落ちていくか、落ちないとしても、使用されない脳は老化を進めるが故に、30代にしてアルツハイマー病に落ちていく・・・当然自殺やむ差別殺人に繋がっていくのである・・・・

釈迦が云う“そして求めることも、とかく思うようにならない。これが世のならわしである”・・・現実とはこうゆうことであることを受け止めて、つまり、その覚悟をもって生きていく・・・これが生きることである・・・・

この男女の違いがあるが故に、お互いに足りないものを補い合い、お互いが目指す、お互いのシナジーが最高になるライフ・パートナーではないかと、またそうであって欲しいと思いワクワク感と恐怖感の共存が恋に落ちることである・・・しかし、多くの恋愛は、誤解で始まり、絶望で終わるが、そこで学ぶことは非常に多いのである・・・だからお勧めをしたい・・・・

Kozyは“人”という字は、肉体的に勝る背の高い男性と背の低い女性がお互いを支えあっている・・・男性は将来を見つめて言葉で考え、足元の現実が見えない、だから、実践力が伴わない。 しかし、女性は足元の現実を良く見えるが故に、夢だけでは生きていけないことを、生活することの重要性を、つまり、男性に地に足を付けた人生を求める・・・・この相互作用が人間、つまり、男と女と二人で始めて人間になる・・・決して一人では生きられない・・・・・・

このお盆の時間に、一度、自分はどれだけ男は男性的なのか、女性は女性的なのか見つめなおしてください・・・己を知らない限り、自分のライフ・パートナーは、見つけられない・・・また、己を知るとは、過去を真摯に見つめなおし、不十分な狭く浅い経験と親からの価値感の譲り受けたものを、それは本当に正しいのかを現実を直視して、本当の有りの侭の自分、つまり、事実を認めることです・・・

事実とは悪さ加減の認識のことです・・・これが強く認識できることが自己成長の階段を上る最初のステップになるのです・・・

最近、男性の女性化とか、女性の男性化とかの言葉を聞くことがありますが、弱くて行動力のない男性の本質を、経験を通じて知った、先人達が、何とか男性を強くて行動力のある人間に育てようとして、男性イデオロギーを小さいときから埋め込もうとした、正に先人の知恵であった・・・・

また、優しくない、そして、強い女性の本質に対して、女の子は優しく慎み深くという女性イデオロギーを埋め込もうとした・・・・先人の経験則からの知恵には、いつも感心させられる・・・・

男性の本質は女性イデオロギーの説くところであり、女性の本質は男性イデオロギーの説くところであり、ジェンダー・フリーの行き過ぎの弊害が出てきているのは、当然の成り行きなのでしかない・・・・・

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July 21, 2008

[“精神力、気力、胆力”の違いと構図]だけを毎日読む読者へ・・・本Blogの読み方・・・

この二週間ぐらい毎日、複数回[“精神力、気力、胆力”の違いと構図]のポストだけを読んで頂いている人が一名いる。お陰様で、アクセス数は増えているが、この読者の心理状態を推察するに、このまま放置しておくのは気がとどめるので、また、その他の一般の読者への方への、参考にもなると思うので、本Blogの読み方、そして、本Blogの効用とその限界について意見をまとめて見たい・・・・・

本Blogの目的は、幾つかあるが、出来るだけ遠回りしない自己成長の為の実践力を向上させる為に、発信をしています・・・・

この目的の為に、人間の構造的な問題、つまり、人間の強さおよび弱さの両面の理解を深めてもらうことを一番多く発信している・・・

そして、行動心理学でいわれる様に、行動変容の為の論理化の手助けをする為に、種々の掘り下げも行なっている。・・・・・

しかし、この論理化はあるレベルまでの強い覚悟をもっていることが前提条件になる。つまり、幾ら理性的な動機を確認したところで、情動、端的に云うと、自己の持つ恐怖心が許さない限り、行動変容は出来ないのである・・・これが人間の構造的な問題の一つなのである・・・・・

いわば、自己内の恐怖心の正しい理解、つまり、一体如何なる体験からその恐怖心は自己内で醸成されたのか、一旦、特に25歳までに、自分自身の限られて、かつ、守られた経験から、醸成された恐怖心は、25歳以降、自動的に起動され、盲目的にその恐怖感に縛られてしまう・・・・

また、自己内で葛藤が起きるということは、例えば、快楽と恐怖の葛藤で悩んだとしても、快楽とは、所詮、ある恐怖感から離れるつある状態でしかなく、安心は恐怖感から一番、離れた状況に居ることでしかない。つまり、実体験の、また、より深い体験が出来ていない若い人達の問題は、自己内の恐怖感の適正化と強さの序列が整理されていないことに尽きるのである・・・・

孔子が、四十にて惑わずとは、人間のメカニズムおよび社会のメカニズムのシステマティックな理解と、自己内の恐怖感を全て見直し精査して、そして、自己内の恐怖感の強さの序列の整理をすることが出来たということだと捉えている・・・・

しかし、忘れてはいけないのは、その前提条件である社会そのものは、現在のように複雑に幾つものことが重なり合っている状態ではない、また、本BLOGで述べているように、人類史上技術革新のスピードが最高になっているということは、人々の行動の判断基準でもある価値観は、技術革新が齎す生活および社会の新しい変化が新しい価値観を齎す状態に、我々は生きていることなのである・・・・

現在を生きるとはと云うことは、“死ぬまで迷いの中で生きる”、別の言い方をすると、死ぬまで現実を神の啓示として捉えて、それまで学習して信じていたことでも、現実社会で齟齬が生じてくれば、それまでの価値観を潔く棄却して、そして、現実に基づき再学習をしていく強い覚悟が、生きるということであり、この覚悟がもてない人は、自分自身が人生のあり地獄に落ちていく徒を選択したということでしかない・・・・・

これこそが、人生および自己成長において一番大事なことでもある忍耐力の源泉なのでもあるのです・・・・

本BLOGで、人間の成長のメカニズムについて述べているように、25歳までの、守られた限られた経験に基づく、また、守られるとは現実を直視する機会を奪われて育った、また、褒められて育つということは、本当は精一杯頑張ったか否かは、本人しか判らないのに頑張っていない状態で褒められるとは、頑張る為の胆力、精神力、気力の醸成の機会を奪われて育ったと同じことなのである・・・

正に裸の王様と同じなのである・・・そして、25歳を過ぎると脳内にそれまでの経験に基づく価値観が自動的に起動してしまうが、それは、裸の王様が、思う様にならないと駄々をこねている状態でしかないのである、また、裸の王様の側近達というのは、社会全体で捉えると非常に限られた人達と経験を持っている人達でしかない・・・何度も述べているが、精神的には自分自身は“かたわ”でしかないのです・・・・

この様な状態で、本Blog中の同じ記事だけを読んでも解決にはにはならず、余分な恐怖感が不必要にじわじわ浮き上がってくる弊害が出てくる、そして、この恐怖に打ち勝つ為に、また、同じ記事を読みたくなる・・・・いたちごっこでしかない・・・・

昨日、セリグマンが世界で最初にMaster course of Positive Psychologyの第一期生である日本人の人が、Kozyに強い興味を持ちたずねてきて5時間以上話をしたが、結果としては、Kozyが研究の対象にさせられた気がするが、同時に、途中から先生と呼ばれてしまい、講義とカウンセリングして終わった・・・

Positive Psychologyとは、Kozyとしては、実学として、そして、体系化されているが、実学とは、上述したLearn, Unlearn, Relearn のサイクルの繰り返しにて、つまり、遣れる事から実行していく繰り返しにて、自己内に25歳までの取り組まれた不適切で間違った価値感の適正化を体得するしかない・・・勿論この体得のスピード・アップに関しては方法論はあるが、一朝一夕で成し遂げられることではないことを再確認した次第である・・・・

[“精神力、気力、胆力”の違いと構図]を毎日何度も読んでいる人に云いたい・・・あなたは、自分自身で幾ら思考を深めようとしている気かもしれませんが、思考停止状態に陥っている状態なのです・・・

人間は残念ながら、言葉でしか思考は出来ない、しかし、言葉自体が自分独自のバイアスを持っており、人間の思考とは、云うは易し行なうは難しとう先人が伝えてくれているように、白紙の心になっての思考が出来て始めて思考活動が有効になるのです・・・

第一の人生は裸の王様ですが、第二の人生とは、このバイアスからの開放と適正化を行なう時期なのです、つまり、このバイアスという足枷のついた鎖につながれた奴隷と同じということです・・・そして、広く深い経験を通じて足枷を削り落としていくのが第二の人生なのです・・・そして、この足枷が取れた状態であることが確立された状態が第三の人生であり、まさに、知的な深耕の時期になります・・・・

残念ながら、9割以上の人が第三の人生を迎えることが出来ないのが現状だと捉えています・・・Kozyは第三の人生の開始を宣言していますが、一生修行だと、今は捉えています・・・この歳になっても、確信することはしないように自分に言い続けています・・・あくまで強い仮説として処理をしています・・・・

[“精神力、気力、胆力”の違いと構図]を毎日読んでいる人はすくなくともKozyより若い人だと思いますが、若いということは、物事に対する探究心が強いことでありますが、特に現代社会においては、多次元で動的な相互作用の中で我々は生きており、単純に頭で理解しようと思ってしまいます・・・・これが人生のあり地獄への罠なのです・・・・

しかし、これは、自分自身が不安状態から解放されたいという傲慢性でしかないのです、また、甘えでもあります・・・・

どうしても、今の状態を続けざるを得ない状態にあれば、ガイドをしてあげます、そして、叱ってあげます・・・何時でも、メイルでアポをとり、会いに来てください・・・・これは出来ることの代表でもあり、この小さな勇気の積み重ねが人生および自己成長において大事なのです・・・・

また、読者でXXXX(1)と書いてある記事ですら、その(2)を読まなくてブックマークをしている人が散見されます・・・言葉での伝承は限界がある中で、XXXX(1)だけしか読まないのは、もったいない、歯がゆくし仕方ないと感じています・・・せめて、シリーズのポストは全て読んでください・・・

読まないと自己内の勝手なバイアスの影響を受けて、Kozyが伝えたいこととは違った解釈を生むと危惧しています・・・

また、多くの読者の皆さん、一旦、KozyのBlogで納得することがあれば、それは本当にKozyの伝えたいことが伝わったとは限らないのです・・・何とならば、矛盾することも他の記事で発信しています・・・つまり、本当に伝えたいことは、この矛盾の間にあることが多いからです・・・・

また、KozyのBlogの愛読者は既にご理解されていると思いますが、本Blogは所謂日記的なものではなく、Kozyの意見の発信のBlogです。縁があり、KozyのBlogを訪れたかたは、じっくり反芻しながら読んで下さい・・・・

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July 19, 2008

社会考察・・・・体が本当に欲するものは必要なもの・・・

TV Commercialで余分三兄弟として、脂肪、糖分、塩分を攻撃している・・・確かに、余分に取りすぎることは体に悪いのであるが、昨今の健康ブームの中で、聞いている方としては、脂肪、糖分、塩分は一切ないほうが良いように錯覚してしまうのではないだろうか・・・・

この三兄弟は、もし摂取が少なすぎると生命の危機に襲われるのである・・・本Blogで何度も人間の持つ恒常性について述べているが、脳を含めて殆どの部分は、むしろ、全てといって良いと思うが、いわば、プラスの機能とマイナスの機能の両方を持ち合わせており、行き過ぎない様にバランスをとっているのであるである・・・また、そのプラスとマイナスの差異が、体の中、特に脳内の信号の伝達を可能にしている・・・・・

また、この三兄弟の全てが、、バランスを保つ為に、例えば、食用として塩分を欲したり、または、過剰分を排泄するようにして恒常性を維持しようと活動をしている・・・むしろこれ自体が生命の本質である可能性が大なのである・・・更に、直接的な増減のコントロールだけでなく、間接的な増減のコントロールのシステムを人間は併せ持っている・・・

先週で、この歳で再就職して、三ヶ月の試用期間も終了して正式に正社員になったが、5年ぶりの、この三ヶ月の通勤を通じて、それまでは気がつかなかったことに気がついた・・・つまり、昨今の女性を観察してきたのであるが、5年前に退社後、脳科学および心理学を勉強してきたが、手には、一般的には,手相という情報があることは知られているが、それ以外にも多くの情報が現れているのである・・・・

また、顔や胸などを見ていると変質者に間違えられるが、手を見ている分にはその心配がないので観察をしてきた・・・・

第一のチェックポイントはディジット・レシオという、以前細かく説明のポストをしたが、人差し指の長さと薬指の長さの比率で、今話題にもなっている、性同一性障害の肉体的な性と精神的な性、つまり、性ホルモンの強さを知ることが出来るのである・・・

このチェックをしている時に、Kozyが若いころには見たことがないような、つまり、女性の場合は、飢饉や災害等で、食べることが出来なくなってもそれに耐えうる為に、皮下に男性と比べて多くの皮下脂肪を蓄積できる能力を持っているのである。 Kozyは、若い頃は痩せたスマートな女性が好みであったが、全員が女性の証でもある皮下脂肪を蓄積していた・・・・

目視によるチェックでは、手の血管が浮いて見えるか否かで判断できるのである・・・この皮下脂肪が女性独自の肌の柔らかさを齎している・・・・

ディジット・レシオは、人差し指の長さ÷薬指の長さで計算されるが、男性は約0.9前後であり、女性は0.95以上位が、男性であれば適切な男性ホルモン、女性であれば女性ホルモンの影響下にある。また、第二子からは、同性愛者が増えるのである・・・・・・・・

Kozyのカウンセリングは叱ることを目的としているが故に、男性のクライアントには問題ないが、女性の場合でこのディジット・レシオの一に近い人、つまり、体も心も女性の場合には、効果が半減するので、最初に手を見させて頂いている・・・・

さて、観察結果から言えることは、皮下脂肪が極端に少なくて、血管が浮いている女性がこんなに居たのかと驚いている・・・しかし、最近は全国を飛び回っているが、東京の中心地で働く女性に多いのである・・・また、血管が浮き出た人の顔を少しのぞいてみると、ポジティブな第一印象を与えてくれる女性は皆無である・・・・

ディジット・レシオは、なかなか手のひらを広げた状態での観察機会は少ないが故に、観察データが少なく、断定的なことはいえないが、都会においてはせいぜい子供は二人が限度である実情を反映してかとも感じるが、確かに女性ホルモンの支配下にある女性が圧倒的に多い・・・

しかし、個人的には意外に男性的な人差し指の短い女性が多く観察できたと感じている・・・恐らく、ストレスや偏食などから女性ホルモンが減ってきている女性が増えてきているのではないだろうか・・・何度かポストしているが、女性にとっては女性ホルモンは精神安定機能を持っており、精神的に不安定な女性が増えているというのが正しい捉え方なのであろう・・・

Kozyは小学校の中ごろまでは毎年、自家中毒になり、つまり、ノイローゼ状態になり、ブドウ糖の注射(?)を一本うってもらうと直ぐに元通りになっていた・・・・脳内のエネルギーの低下には、ブドウ糖が一番効果があるのである・・・・このブドウ糖は食物でいえば砂糖、つまり、甘いものを取得すると多くがブドウ糖に変化していく・・・・・

Kozyの仮説の一つに、女性の甘党が多いのは、男性よりも日常的に八倍もの観察能力を持つが故に、八倍とは言わないが、男性に比べて非常に多くのストレス、恐怖感等を感じているが故に、脳を元気にさせる為に甘いものを、体が欲するが故に、また、甘いものを取得すると脳が元気になるが故に、女性は無意識のうちに甘党になる人が増えると捉えている・・・・

つまり、現代社会では毎年の流行のように、何々が何々に良い、とか、何々は体に悪いとか云われてそれに踊らされる人々が、その偏りによる弊害のことを知らずに、逆に体の元気を奪われていく・・・残念ながら、周りの観察力があり、所属する集団からの逸脱行動による所属集団からの離脱の怖さを男性以上に知っている女性は、保身の為に、流行に敏感にならざる得ない構造化にあると捉えている・・・・

女性の皆さん、特に、女性ホルモンの十分ある人達に申し上げたいのは、自分自身の体が欲するときは、何を食べても良いのです・・・また、一番いけないのは偏りすぎることなのです・・・

昨今は、お酒も飲まないで甘党の男性が増えてきているが、これは、ジェンダー・フリーの影響下で育った人達、心理学の実験データから言うと、90年頃の大学生から、男性ジェンダーの男性が消えてしまっている・・・つまり、回りを女性のレベルまで気にする、自分が浮かないようにする男性が増えてきていると、Kozyは捉えている・・・・

これは、性ホルモンとは別に、社会的な文脈に縛られているというべきであるが、叱られずに、不必要に褒められて、競争という機会まで奪われた、男性は、社会に出てからは、自分がおかしいだけなのであるが、本人は相当なストレスを感じているが故に、男子絵の甘党が増えてきているとKozyは捉えている・・・

昨今の“お馬鹿ちゃんキャラ”のブームの中で、女性トリオ“Pabo”と比べて男性トリオの“羞恥心”の大爆発は、自分は学校では勉強よりも何々をしてきて、そこでは、それなりに成果を出した、しかし、常識というレベルでは、“お馬鹿”であることは否定できない、だけど、それが自分であり、あるがままで、それが現実が故に、前向きに受け入れたいとの、生きる姿勢が女性だけでなく男性にも感動を与えている・・・・と捉えている・・・・

また、“Pabo”は、昔ドラマで、可愛ければそうで十分という趣旨のものが流行ったが、それは、男性が男性的で強い時代であることが前提であり、男性が、男性ジェンダーとしては、これか揺り戻しはあると思うが、強くなくなった社会では、女性のお馬鹿は、一般的価値を失ってきている、また、ぶりっ子に通じるものであり、男性も女性も嫌いなのである・・・・

しかし、昔から、芸能界はよほど賢いか、または、馬鹿でないと勤まらないと言われており、馬鹿の割合は減るかもしれないが、昔から云われている、“河原乞食”が芸能界の本質であれば、芸人の馬鹿さを見て、人間の持つ構造的な馬鹿さをしり、それを笑い飛ばす、そして、元気になる・・・これがユーモアの本質でもあり、この点ではお馬鹿タレントは永遠不滅なのであろう・・・

例が良くないかもしれないが、エネルギーの塊の代表とも云いえる、“大阪のおばちゃん”の体形を思いだしてほしい・・・異常なデブはいないが、中肉であり、つまり、余分三兄弟は必要分は取得しており、多くが甘党だと思われる気がしませんか・・・大阪のおばちゃんに近づく選択をするか、都会の悩める、いつもいらいらしているスマートな女性キャリアを目指すか、あなた次第です・・・・

選択とは、何かを増やすことではありません、何かを捨てることにより初めて可能になる行為です・・・しかし、本当に自分で考えて本当に自分が求めるものを選択することは、人間の構造上の欠陥より容易なことではありません(詳細は前々号見てください)・・・・だから、普段から自分の体と心との対話を習慣にして、五感力を向上してください・・・・・

最後に、念の為に、余分三兄弟は、脂肪はお肌のつや、糖分は気力の充実性、塩分は肌の張りに影響を与えます・・・本当に自分は既に取りすぎなのか、よく考えてみてください・・・・・

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July 13, 2008

幸せでないことが、幸せなり・・・・

自分自身を振り返ってみる、または、内観してみると、何をしていても、または、何もしていないときも常に無意識のうちに、現代社会や自分の仕事などの本質的な問題は何なのかを考えているとしか思えない・・・別の言い方をすると、見ること触れることや新たな知識の習得を受けて、常に、それらの作用に対して相互作用の中で生きている・・・・

今回の“幸せでないことが幸せなり”とは、現在の仕事で、新潟県の上越市(高田)、新潟市、そして、長岡市を一泊して回っているときに、突然、頭の中に浮かんできた言葉なのです・・・・全て生まれて初めての訪問先です・・・

自分の言葉でありながら、何ゆえにこの言葉が浮かんできたのかを考察するのは、一見おかしいと思う人も多いと思うが、個人的経験から言わせていただくと、この知的な作業は非常に大事なのである・・・つまり、出張中に10年以上ぶりに友人と昼食を伴にしたが、人間、特に男性は自分は十分考えているとの間違った自負に縛られやすい・・・・・

人間は、残念ながら、言語でしか思考できない、しかし、その自分が使用している言語では、自己内に長い人生を通じて蓄積してきた種々のことに対する自己内の概念を正しく理解(言語化)することはできないのが人間の脳の持つ構造的な問題なのである・・・

特に若い時は、どうもすっきりしないが、それは違うと思う、または、賛同するがどうもすっきりしない、上手く言葉で説明できないとのもやもや体験を多く積んだはずだと思う・・・・・しかし、多くの大人も同じもやもや感を実際は持っているが、その原因追求諦めただけなのである・・・このことが大人だと言い訳をしているだけなのである・・・・

念の為であるが、人間の脳への情報は五感を通じてWhat、つまり、何がとHow、つまり、どうなっているのかかに二分されてインプットされるのである、これらのWhatにしてもHowにしても、五感から入る情報全てを言葉で表すこと自体不可能といって良い。

また、更に、何度も述べているように、五感そのものが曖昧性を含み、また、脳の制御下にもあるために思い込んで五感で感情としても正しくはインプットされない構造的な問題もある・・・・・・

脳も体も、皆さんがご存知のように使わなければ退化していく・・・しかし、脳の本質は、この実質は、退化の促進であるものを、生態系の一生物として、人間の場合は特に多次元で輻輳する何種類もの生態系の中で、瞬時の判断を可能にする為に、曖昧なままでの判断をする・・・だから、自分で腑に落ちない、また、何が間違いかも言語化が出来ない・・・・

つまり、人間の脳の進化は曖昧性により齎されたが、その曖昧性に基づく瞬時の判断を可能にする脳機能に縛られている・・・他の生物には言語がなく、複雑な思考回路もなく、それまでの経験に基づく自己内のよりはっきりした概念を感じ取って、精神疾患になることもなく、生きていく上で必要な五感は人間より当然優れている・・・

嗅覚では犬の何分の一しかなく、聴覚においてもお粗末な限りである、目は画素数では今や誰も振り向かない百万画素しかない、しいて言うと味覚だけは進んでいるとも言い得る・・・それ故に、女性の多くの人が美味しい物を食べる為に生きていると公言して憚らない・・・目は進化の過程で光の三原色の一つである緑色のセンサーを放棄しており、元来は緑色は感知できないのであるが、他の三原色の赤と青の関係より緑色をこれであろうとして感知しているに過ぎない・・・・・

人間の思考能力とは、25歳までの経験や知識に縛られてしまう、また、恐怖を感じる、恐怖感を刺激する不安感や嫌悪感という情動にも縛られてしまい、どうしても現実に目を向けたくなるが故に、見ようとしない・・・この様な思考を繰り返すことは、最近既に兆候がいっぱい出てきているが、若いにも拘らずアルツハイマー病に陥る可能性が高くなる・・・・

つまり、ここで述べてきた脳の機能を自動脳とKozyは名づけているが、自動脳に支配されることは、脳を使わないことでしかなくこれからの世代の人達には、脳の老化が非常に早くなることが推測されるのである・・・

また、自動脳とは、人間の本質は自己中心であるともいいえるが、多くの経験を通じて、周りとの相互作用により自分自身にしっぺ返しが来ることを学習して、また、愛他性または、笑顔で人と接していると自分にそれが戻ってくること、これ即ち、相互作用の中で生きている、これ即ち、全て自業自得の哲学を体得しくのでもある・・・・

上述した、瞬時の判断を可能にする機能とは、つまり、自動脳の機能とは最小のエネルギーで最大の効果を求める生態系の中で生きる、つまり、人間の本能であるが、同時に、怠惰性でもある、めんどくさい・・・とは、エネルギーをつぎ込んでも、最大限の効果が得られないと考えることでもある・・・・

しかし、曖昧性の取得により進化してきた脳には、この弊害を克服する為に、前頭葉という思考する回路の発達を齎している・・・何でもやってみて現実を直視して、過去の人生、特に25歳までの人生で自動脳が習得した瞬時の判断基準の向上を前頭葉と五感を最大限に活用して、自己内の概念のより精緻な理解を高める・・・・

また、怠惰性に関しては、より深い経験と理解を通じて、先をまたは将来を洞察して、今、先にやっておくことはないかと考えて、一石二鳥よりもっと多く、つまり、一石何鳥にもなることを自覚できれば、正に最小のエネルギーで最大の効果を求めることが出来るので、怠惰性に勝てるのである・・・・・

クライマーズ・ハイとか、マラソンのランナーズ・ハイとかいう言葉をご存知の肩もいると思いますが、また、心理学ではフロー現象とも呼ばれていますが、脳内麻薬と呼ばれる快感と元気を齎すドーパミン等の物質は、目標に向かって一生懸命努力しているときの方がより多く生成され、目標を達成したときの方が少ない・・・・

つまり、幸福でないが故に幸福という目的に向かって一生懸命努力をしているときが、心理的には一番幸福感を感じるのです、そして、この努力の維持に一番貢献するのが、目標達成への希望を、前頭葉を活性化して、つまり、知的思考力を屈指して、維持する能力なのです・・・・この事は、当然脳を最大限に活用することでもあり、また、五感を研ぎ澄ます必要もあり、体を酷使することにも繋がっていくのです・・・・・

だから、“幸せでないこと”という状態は、人間である限りにおいては、人間である所以でもある前頭葉の活性化を促すことの出来る状態なのである、しかし、多くの人は、自己内の概念の知的検索のたびを放棄して、自己中心の発想に囚われている、つまり、幸せな状態であることを活かすことを放棄して、他人、環境、回りの人達の正にしてしまう・・・・

だから、刺激的な表現ではあるが、“幸せでないことが、幸せなり”とあえて言いたいのである・・・きっと、Kozyの自己概念と言語の相互作用により、突然この様な言葉が出てきたのであろう・・・・また、綺麗で、心地よい言葉ではなく、つまり、逃避的、または、回避的な理解を避ける表現をする必要があるとKozyの第三の目は言いたいのであろう・・・・

念の為に、少し補足説明をすると、フロー現象とは一時的なものであるが、最小のエネルギーで最大の効果をあげる、各人の固有の強さを認識できて、その強さを発揮して取り組むことがもっとも正統的な幸福感を得られると同時に、怠惰性にも打ち勝ちやすい・・・だからより幸せを感じる・・・・

現在、仕事で日本全国を訪問しているが、まだまだ言ったことのない都道府県があり、訪問するたびに、現代の日本との対話という相互作用の中に身をおいているが、自己内の概念との対話が無意識のうちに行なわれていることを強く感じる・・・何か、青春時代に世界をヒッチハイクして一周したときの原体験がよみがえってくる感覚である・・・・・

また、かって、何年も住んでいたところも、何十年ぶりに訪問しているが、まるで、Feeling like stranger・・・・時間と伴に、一体何が、何故に変化してきているかを感じさせてくれる・・・

青春時代における異国のたびは、自己内の自分が知らなかった自分の発見や多様な価値感の習得や事故の価値感の見直しに大きく貢献した、つまり、自己内の旅であったが、59歳での国内の旅は、今まで日本で何が起きてきてこれからどうなるのかを教えてくれる、また、何十年ぶりの友人との再会は、人間の成長における個人のMind Set(各人の価値感の集合体)と環境の相互作用のメカニズムを教えてくれる・・・・

Kozyの研究の旅は、Endless Journey ・・・・・・better stay on the road forever・・・・

今回は、Kozyの中の自己概念との対話の試みであり、理解しにくいところがあると危惧しますが、この対話は非常に重要なことでもあるので、書いてみました・・・・

念の為ですが、本来の自己概念との対話は、自分がこう思うのは、何が自己内の判断基準なのかを、その判断基準の判断基準は何なのかというようにトコトン掘り下げていき、最後に到達した判断基準は、一体何処から来たのかを自問自答することが王道です・・・・そして、その原体験は、今でも正しいのかを検証する・・・・

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July 06, 2008

“選択”の本質への考察

ドラッカーと長い交友のある人から、ドラッカーの晩年のころに、人生で一番大事なことは何ですかと聞いたところ、“生きることは選択の連続であり、この選択が人生で一番大事なことである”という話を聞いたことがある・・・表面的にはその通りであり、同様のことを多くの人が言っているとも認識している・・・

しかし、この言葉の裏に含まれた含意とは、選択は重要であるが、正しい選択をすることの難しさを認識して欲しいとのメッセイジであると捉えるべきだと、Kozyは云いたいのである・・・つまり、人間の脳は、良くも悪くも“曖昧性の取得”により、他の生物とは、全く異なる高い次元の脳の成長を齎したのである・・・・

しかし、他の生物と同様に、生存していく為には瞬時の判断が必要であり、“曖昧性の取得”が、そのまま曖昧なままに脳内で記録されていては、瞬時の判断・選択が出来ないのである・・・・この為に、人間の脳は、それまで生きてきた経験をある架空のパイプラインを脳内に何本も設定して、ある経験から五感を通じてWhatとHowの回路に分けてインプットされた情報を大雑把に峻別する機能を持つことにより、瞬時の判断を可能にしてきた・・・・・

この脳内の機能は、心理学のデータから推察すると、産業革命の始まり以前までは、精神疾患の患者数は比べ物にならないぐらい少ないので、それなりに有効機能してきたと捉えられる・・・また、考古学的な発見をみると昔の集落を見ると全てが200-250名以下の人間で構成されている・・・恐らく、これ以上の集落の維持としては、何らかの理由により、不可能であったことを意味している・・・・

また、“曖昧性の取得”に対して、脳は、25歳までは短期的な展望、つまり、将来の中長期的な展望を考えることなく、言い換えると、後の後悔を考えることなく、種々の経験が踏めるように、体で、且つ、自分自身で学習して、その結果を体にしみこませる進化をしているのである。そして、25歳までに十分な体験学習を通じた中長期の展望を踏まえて考えるようになる回路を25歳で完成することにより、十分ないい意味での大人として判断・選択を出来るように進化しているのである・・・・・

特に日本で言えば、弥生時代までは、25年間同じ集落での中での体験学習は十分機能したと推測できる。一方、ほぼ独立した集落社会の崩壊を齎した、産業革命は、良くも悪くも、一つの集落内での自給自足体制の崩壊だけでなく、集落の構成員の新興の産業への労働の供給という形で、離脱を齎していった・・・・

つまり、より多次元でより複雑で動的なつながりの中で人間達は生きる道を、人間の貪欲さが、選択をさせてしまった、よく言えば知的能力が、開花して可能にせしめたのである・・・・・しかし、こと選択が齎すことを誰も正確には理解できなかった・・・

つまり、この変化への対応として如何すべきかを知らなかった・・・・・

少なくとも、産業革命というある意味では“パンドラの箱”とは知らずに開けてしまった当時の人達は、産業革命よりも、もっとインパクトの大きい、国境という壁、つまり、距離の壁、そして、Real Timeとも呼ばれる時間の壁を打ち砕く、ICTの技術革新を、予知できた人はいなかったであろう・・・・

更に困ったことに、人間は文脈に支配される動物であるにも拘らず、解り易くいうと、自分を取り巻く環境に支配されやすい、また、多数派の意見に迎合しやすい、それにも拘らず、現代の日本を見つめてみると、たとえ小学校の学区という小さな地域においてすら、小学校時代は、その地域の全てのそうの人達との交流の機会は維持されているが、昨今は、高校からだけでなく、中学校から私立の学校に行く生徒がふえている、つまり、親の教育への価値感の違いおよび家計の経済状態の差により、ある意味では似た環境の人達が寄り集まってくる・・・・・

更に、社会を本当は正しくリードして行く責任を担うべき人達である、大学卒や大学院卒と言う人達は、高校卒業の折に、何学部の何を専攻したいという親と本人と学校の相互作用の中で峻別された人が同じ大学の同じ学科に集まり、自分達のコミュニティーを作ってしまい、これだけ全体の中では種々の特性により峻別された、非常に限定された友人関係の中で自分の中の常識を無意識の中で醸成してしまう・・・・・

また、良くも悪くも22歳で大学を卒業した人は、25歳までの三年間で企業内文脈の洗礼を受けるのである・・・しかし、25歳前であるが故に適応性は、大学院卒よりずっと大きいのである・・・・・

現代の学生および若いサラリーマンは、人間の持つ脳の構造的な特性、つまり、人間とはについて、もっつ深く正しく理解すべきなのである・・・・

キャリアプランに最近の人は、若さから来る傲慢性より、正しくエキャリアプランを描いて、自分だけは上手く生きたいと思う人が増えている・・・この点に関して、企業文化の父とも呼ばれるエドガー・シャインは、きっと学生時代に描いたキャリアプランに基づき、自分のキャリアプランを全うしているだろう思い、大学の卒業生の追跡調査してみた・・・・・

しかし、ほとんどの人が、全く異なる仕事をしている結果が出てくると同時に、どうしても出来ないことがそれぞれの人間に固有のものとしてあり、シャインはこれをキャリアアンカーと名づけた・・・・

僭越ながら、シャイン氏は、脳科学や心理学および最新の統計学には疎い人であり、彼の集めたデータを、Kozyなら共分散構造分析で解析をしてみるが、そのデータは入手できないので、単純な考察としての意見しか述べられないが、解釈としてはシャインの考察は不十分だと思っている・・・・

Kozyは次のように考察したい・・・

1.Planned Happened Stance Theoryと呼ばれる理論と同じことが、言い得る・・・もっと詳しく言うと、能動的に且つ主体的に常に変化の胎動にたいして留意していると、自分と周りの変化の相互作用により、新しいキャリア・プランが生まれてくる。決して偶然ではないのである・・・・大事なのは市場の変化、社会の変化に対して如何に速く気付き、その変化に伴う新たな能力を習得していく姿勢が大事である・・・

2.人間には、25歳までに経験したトラウマ的な恐怖体験が多かれ少なかれ存在しており、脳の構造的な問題で上述したように、脳の中にあるパイプラインで一番影響力を持つのは情動経験のパイプラインであり、その中で一番強いのが恐怖感という情動なのである、この恐怖感という情動が中長期の展望の中で垣間見てしまうと、行動への移せない・・・つまり、絶対に自分には出来ないというマインド・セットに含まれてしまう・・・・

これがキャリアアンカーのことになるが、人間は“曖昧性の取得”により可塑性を持つことが出来ている。また、経験にて回路が出来るが、それに対して新たなまたはより深い経験を積み重ねることにより、曖昧なパイプラインをより精緻なものに書き換えが出来る、

つまり、上述したキャリアアンカーのアンカー(錨)を上げて自由に変身出来る可能性を持っているのである・・・・・

また、脳は他の生物と同様に、生態系の中で生きていくには、最小のエネルギーで最大の効果を求めるものであり、この事は、言葉を変えると、人間の怠惰性の本質になっている・・・この怠惰性に打ち勝つ為に、前頭葉存在しており、常に一石二鳥を何鳥にもする思考力を持っている・・・・

念の為であるが、“最小のエネルギーで最大の効果を求める”とは、長所を知り、短所のコンプレックスという恐怖感をバネにして、長所を活かすことが含意である。また、最小のエネルギーとは、一日で出せるエネルギーには限度があるが、日々の小さな積み重ねという総エネルギーには限度がない・・・

つまり、習慣化する努力が大事なのである・・・良い習慣化に成功すると脳内の間違った認知が適正化されていくのである・・・・

しかし、これらの述べたことは社会での実体験を通じて社会の、または、仕事のメカニズムを深く理解しないと正しい選択は出来ないのである・・・・つまり、キャリアプランは、未熟な若者には論理的には、描くことは出来ないといっても過言ではない・・・同様に人生の選択なども非常に難しいことでしかないのである・・・・

下手に成功体験を積み重ねると、そこで得た判断基準を過信してしまうのが人間の脳の構造でもあり、常に、白紙の気持ちで現実を直視して、現実の発するメッセイジを出来るだけ正しく汲み取ることが出来ることが重要になるのである・・・・この点では、自分で決めることなどは何もなく、現実との相互作用の中で正しく選択することしか出来ないのである・・・・

三年もたたないうちに退社する人達は、自分自身に問うて欲しい・・・・“自分はただ現実から逃避しているだけではないか???”・・・・逃避の先には何も生まれなく、より対峙が難しくなり、また、逃避を繰り返すという人生の蟻地獄しか待っていないのである・・・・・


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June 16, 2008

自己成長の方法論・・・三つの目の活性化

前回に引き続き、Kozyの本Blogで何度も触れている、成長の為の方法論としての三つの目で見ることの習慣化の話を、現在辿り着いている、更なる掘り下げに基づいたものを、ここに書き込んでおきたい・・・三つの目の視点で考える習慣がからだにしみこんでしまうと、全く無意識のうちに三つの視点で捉えて第三の目で考えることが、自動的に起動してくれる・・・

西欧社会では、“Old habits die hard”とよく言われるが、25歳までに出来てしまった自動的に起動してしまう脳回路が、正に、自動脳のことであり、脳科学の実験では、本人の“自由意志”ですら、前頭葉が大脳皮質の25歳までの経験のパターン化に基づき、“自由意志”とはこうであるという指示を出して前頭葉が追認しているだけなのである・・・・

つまり、自分の思考ですら、人間が瞬時の判断を可能にする為に限られた経験と知識に縛られてしまう・・・この本質を違った角度で見ると、正に、全ての生物が持っている、生存している多次元な生態系の中で、多次元な生態系との共生する為に“最小のエネルギーで、最大の効果を求める”進化の普遍なる公理に基づいている・・・・つまり、生存し続ける為には消費エネルギーが多すぎる様では、結局は、消耗が大きすぎる故に、淘汰されていく・・・・これが進化論の真髄なのである・・・

第三の目の熟成を目指すには、25歳までに、どれだけ深く広い経験を、どれだけ多くしているかにより、熟成をする為に必要な時間と努力の度合いが異なるのである・・・Kozyは、多くの人との話を聞いてきて、そして、色々の人を見てきて、また、自分自身を内観してきて、25歳までに、自分の生きる道を本当に選択できた人は成功する・・・と言ってきた・・・

この含意は、次の幾つかの考えが含まれる・・・・

1.25歳を過ぎると、人は見方考え方が固まってしまう=自動脳により強く縛られる。それ故に、25歳までに生きる道を決定できなかった、現実からの学習が不十分であったが故に、現実社会で生きる道を選択できなかった。現実社会の学習を十分してきた人は、生きる道を選択できる。

2.25歳までに選択が出来たということは、25歳で中長期の展望を踏まえた自己内の情動によるその後の迷いが生じにくい。しかし、現実を知らない状態でのいい加減な決定は、当然、現実と対峙する中で、迷いが生じて頓挫してしまう。

3.生きる道=仕事として捉えると、どんな仕事でも十年以上続けることによりその道で食べていけるようになる。また、仕事を本当に習得するには、できるだけ多くの実体験を踏むと同時に、その仕事のシステマティックな理解、つまり、システムの各プロセスの中で、人間は如何すれば如何動くのか、また、プロセス間の力動関係は、つまり、何が最大のドライバーになるのかを知る必要がある・・・・これは体力と知力の両方が必要であり、例えば、30歳で生きる道を決めた人は体力的により困難な道を歩く必要がある・・・・・つまり、それだけそれまでの人生が人に守られたものであったと感謝すべきでもある・・・・

4.仕事は、現在は一人だけで完結できるものはないのであり、年齢的に上の人と下の人とのチームワークが必要になってくる。この学習が30-35歳の期間であり、この深い学習がマネジメント能力を養成していく・・・たとえ専門職であったとしても、マネジメントの能力がない人は、どんなに素晴らしいアイデアを持っていても、周りの人を抱きこんだ大きな力を持てないのである・・・・・

まだ深い含意があると自分では確信するが、今日はここまでしか頭に浮かんでこない・・・しかし、25歳までに自分の生きる道を選択できるということは、端的にいうと、それまでに挫折や失敗を通じて、現実=苦悩体験を踏んでくることが、幸いにも出来て、その現実から逃げることなく、現実のより深い理解を得てきたことを意味する・・・・

この事は、無意識のうちに、第一の目である自分の視点というのは、むしろ、多くが思い込みであり、相手および社会の視点である第二の目を如何に正しく掌握することが大事であるのかを体得すると同時に、第一の視点と第二の視点のどちらが正しいとの二者択一ではなく、この場合は、本来如何あるべきかを白紙の状態で再度自問自答をして、自分の中に生まれた仮説を検証しながら進めていくことの重要性を体感していることを意味する・・・・

また、人間の成長のメカニズムを理解する、つまり、25歳までは社会的には子供として、経験も未熟であるが故に、現実から守られて生きていく中で、それまでの限られた経験を通じたパターン化された情動に縛られているが故に、現実を直視できない人間の構造を理解して、たとえ現実直視がどんなに辛くても、それが成長をもたらすことを体得している・・・

念の為であるが、情動と理性が同じ方向を目指さない限りは、自己変革は出来ないのである・・・だから、情動の適正化が必要になるのである・・・・

そして、人間としての自分は、そして、同時の周りの人達も同様に、如何に本質的には情動に縛られるという事と合わせて、怠惰な存在であるかを理解して、これが現実であることを踏まえて、如何にして、自己内の情動と怠惰性に打ち勝つかを日々考えて行動をする重要性を理解すること、これが成長の源泉になることを理解している・・・・

つまり、時間がかかろうと、人間は成長を出来ると言う確信を、25歳までに、もつことが出来た人が自分の道を選択できるのである・・・・

残念ながら、Kozyの研究結果が示すように、大企業の50歳前後の人達ですら、恐らく、今の若い人達よりも少なくとも経済的には苦しい生活をしてきた人達ですら、約9割の人達が、成長が止まってしまっている、つまり、自分は何時までも成長できるというMind-setを維持できていない=学習無力感の罠に落ち込んでしまっている・・・・

云うまでもなく、今の若い人達は、経済的にもより守られてきた人達であり、心理学の大罪で述べたように、また、統合失調症は一生の友でも述べたように、人間としての脆弱性が人類史上で、先進国では、最悪の状態である・・・脆弱性とは恐怖感という情動に一番縛られやすい世代の誕生でもある・・・

この恐怖感も不適切で不必要なものが殆どであり、正しく恐怖感の本質を理解していない、つまり、守られすぎることにより自分自身で恐怖感を正しく経験していない、親に埋め込まれた恐怖感やマスコミや社会的な通念という虚構により埋め込まれた恐怖感に縛られている・・・・

このことの最大の問題点は、曖昧且つ本当の確信なしに自動脳に取り組まれた恐怖心は、本来は恐怖感の優先順位が決められるにも拘らず優先順位を付けることが出来ないのである・・・優先順位がつくと、容易に、“Better than Worst”での自己内の恐怖感を逆手にとって、前に進むという選択が出来る・・・・

自分自身の恐怖感の正しい理解と正しい優先順位を決めることが出来るのも、自己内の恐怖感の判断基準は何なのか、また、それは正しいのかを磨き上げていくのが第一の目の熟成でもある、また、相手周りが自己に感じさせる恐怖感とは、何を判断基準にしているのかを堀下げていくことも第二の目の熟成なのである・・・・・そして、より深い理解への導くのが第三の目の機能であり、その熟成度合いなのである・・・・

また、自分自身が、一体誰に認めて欲しいのか、これも多くの人がより多くの人に求めているが、相手に認めて欲しい、むしろ端的に言い換えると、好かれたいとか尊敬されたいとか思う人が多すぎるが、このこと自体は簡単なのである、つまり、問題は相手の価値観を理解することの難しさであり、後は、それにあわせる言動をとることですむ・・・・

相手の価値観とは相手の判断基準の理解であるが、これが第二の目の熟成に依存するのである。異なる価値観を認めることは、自己内への多様性の取り組みであり、成長への大事なステップである、しかし、相手の価値観に単純合わせることは、自己の喪失、つまり、第一の目の喪失であり、自己崩壊を起こすことであり、自分の価値観と相手の価値観と、この場合はどちらが正しいのかと比較検討するだけでなく、求められるべき価値観は、白紙に戻ってこのケースでは本来如何あるべきかを考えるのが第三の目の機能なのである・・・・

一見、相手の価値観に合わせることは成長のように思えるが、自分の視点という第一の目の失明状態に陥ることでもある・・・だから、第三の目でのより深い思考が必要なのである・・・その結果、相手に認められない、相手に好かれない、相手に尊敬されないということを恐れてはならないのである・・・・・

第一の目と第二の目と第三の目は、お互いの相互に影響しあうものであり、影響しあって成長していくものなのである。では、自分とは何なのか???・・・第一の目が成長途中の自分であり、第三の目が自己内のあるべき姿としての、つまり、自己内の神のようなものであり、この神を如何に善なる素晴らしい神に育てていくのか、大事になる・・・

そして、この成熟した第三の目と自分自身である第一の目が、死ぬまでに如何に言動一致していくか、これが自己成長だと捉えている・・・・自分らしさとは虚構であり、どんな人にもなりえるのが人間であり、自分らしさは自分で作るものであり、しいて言えば、自分らしさは生きる姿勢の特徴でしかないのである・・・・・

第三の目とは、最低限次の機能が必要なのである・・・・

1.人間社会においては、普遍なものはないと常に白紙の気持ちから物事を考える・・・これを実行できる人は、既に、人間は誰でも成長できるを体感している。出来ない人は、宗教と同じように先ずはこの考えを信じてください。

2.何事もシステムとして捉えて、考えると同時に、一つだけのシステムなのか複数のシステムの共存しているのかを考える。そして、そのシステムの中のどのプロセスに含まれているかを考える。但し、システムで理解することは、各プロセス間の相互作用がどうなっているかを理解することを忘れないこと。

しかし、未熟な若い人には、システム内のプロセスの構成がどうなっているかは、解らない筈です。それゆえ、何がどうなるという捉え方だけでも当面はOKです・・・何とならば、このシステムとしての理解能力そのものが知識と経験を必要とするからです。この様な考えを身に付けることにより、判らないプロセスがあることをしり、そのプロセスを見つけるのに役立つからです・・・

3.自分の能力には限界があることを認めて、結論を出すのでなく、仮説を導き出し、仮説のポイントに対して、自分をより知っている人との対話を通じて検証して、確信をもてたら、行動に移す。しかし、所詮は仮設であるとして行動をすること。そして、仮説に至った判断基準を確り頭の中で整理をして行動に移すこと。

判断基準の優先順位を明確にすることにより、間違った場合の早期発見と早期の対応変更を容易にすることが出来る・・・

以上を見てお解かり頂ける人がいると思うが、これ即ち、人間の構造的な善さと悪さに対する理解の深さが齎すものなのでもあるのです・・・・・

Kozyは、昔は対人赤面症で毎年ノイローゼになるような小学生でしたが、三年かけて自己改革に成功したが、自分は出来たのに、周りの人間を見ていると、勝手の自分よりはずっとましな人達が、自己改革がもっと楽なはずなのに、自分で自分を殺していくのを見ていて、何でだろう???・・・・と人間に興味を持ちそれ以後、その人間への介入実験と観察をしてきました・・・

少しの変化を積み重ねることが大事です・・・つまり、遣れる事からやっていくとまた違った世界が見てて来て、またそこにやれることが見えてくるのです・・・・この見えるようにする機能が第三の目であり、また、希望という可能性があることを教えてくれるのも第三の目です・・・・

成長とはより多くのもが見えるということなのです・・・だから人間は経験と年齢を積み重ねて成長していく・・・しかしこれが出来る人は、一割にも満たない・・・・

第三の目とは、自分自身の情動のメカニズムの解明と希望を維持する、人間だけが持つ前頭葉の最大の利用方法、または、活性化策だとも捉えています・・・・

三つの目の全てにおいて、判断基準は何なのかそれは正しいのかを掘り下げる知的活動でもあります・・・・人間の怠惰性に打ち勝つのは、強い意思の確率ですが、一石何鳥にもなることを思いつけば、怠惰性を打破できます。また、恐怖感は、その優先順位をはっきりさせることが重要ですが、目を背けずに対峙しているだけで慣れてきます・・・・

脳へ入る情報は五感を通じてインプットされますが、全ての五感は対峙していると麻痺する素晴らしい特性を持っています・・・この様なあいまい性を習得することにより人間の脳は発達したのです。また、だから悩むのです・・・・

Kozyの口癖でもありますが、“かっときたら負け”というのがあります、これは自己内の情動に支配されることですが、かっときていることは、第二の目が失明していることなのです・・・これでは正しい判断が出来ないというより自分勝手な判断しか出来なくなります・・・蟻地獄しか待っていません・・・・

俗に言う“駄目な人”は全員がカッとき易い人達です・・・先ずは、カッと来たときには何を判断基準として自分はカッと着たのかを事後でもいいですから掘り下げて考えましょう・・・・

松下幸之助でも、内心はカッときていたそうです。Kozyもカッと来るときはあります。しかし、その判断基準を知っているが故に、感情を抑えることが出来るのです・・・そして、全て自分が悪いと思って抑えます・・・・・

先ずは、第二の目を意識して育てるのが良いでしょう、そして、第一の目である自分を内観しましょう、その後に第三の目を育てていきましょう・・・・これは死ぬまで続く作業です・・・

人間皆同じです。誰でも堕落をしていく構造を持っています。しかし、誰でも成長する構造を持っています・・・この二つの可能性を誰もが持っている・・・成長とは退行という再確認作業を経て成長へのサイクルに戻るという構造を持っています・・・

焦らず、諦めず、明るく元気で、第三の目を活性化して希望を抱き続けてください・・・

長くなりましたが、コピーでも取ってなども読み返してください・・・・・

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June 11, 2008

第三の目と生きる目的と現実への対応能力の構図・・・・

目的と手段の混同の罠に落ちるのではない旨を、以前ポストしたが、最近の風潮の“お金を稼ぐ”、では、そのお金を貯めたら何の為に使うのか、何に使うとしたら、一体お金を使って何を手に入れたいのか・・・・ここまでは、自分にとっての目的がわからない状態での手段としてお金を稼ぐことがあたかも、人生の目的になっている・・・・・正に混同している・・・・

では、“一番家庭を大事にしたい”・・・家庭を大事にすることは決して人生の目的ではない、家庭を大事にすることにより何を手に入れたいのか・・・・家庭が安定して相互信頼のできる集団を維持または構築したいのか、しかし、これは本当の目的ではないはずである、確りした状態を作って、そして取り組みたいものが、人生の目的なのであろう・・・・・

つまり、よく天命を知るとか天職を知るとか、人生の最良のパートナーを得る等々云われているが、一体どれだけの人が若くして、この答えを確信を持っていえるのだろうか、また、60を過ぎた人、70を過ぎた人、80や90を過ぎた人の中ですら一体どれだけの人が死ぬ前に確信できている人がいるのであろう・・・・

歴史上の偉人の多く、また、この様なことを問い続けた哲学者であろう、誰もが頷けるような人類普遍の答えを提供してくれたであろうか・・・・なのに純粋無垢という傲慢さにより若者は答えを直ぐに欲しがる・・・当然挫折をしていく・・・・人間として脆弱性が強い人は、折れた心が立ち直れない・・・

強固な人は、それらの経験を実学の習得、現実の正しい受容・理解として、正に神の啓示として成長に結び付けていく・・・まさに、心理学で言うところのレジリエンスの強い良い人は、挫折でなく善い経験をさせてもらったと捉えるが故に、それらの人の辞書には挫折という言葉はないのである・・・・・・

世間一般で云う逆境や苦行は、レジリエンスの強い人には、“災い転じて福と成す”が自然、むしろ自動的に発生してしまうのである・・・・・・ではこの違いは一体何が最大の原動力になっているのであろうか・・・・・

最近やっとKozyの頭の中で、人生の目的とは、何なのかがすっきりしてきた・・・心身ともに健康であり続けたいと本Blogでは何度か云ってきたが、これも所詮はKozyの煩悩でしかないと反省をしている、また、新たな経験、より深い経験をすることも自己成長への手段でしかない、また、自己成長も、自己成長をして何をやりたいのかと考えると、これも手段でしかないのである・・・

残念ながら皆さんへの具体的な答えはそれぞれの経験および能力の個体差があるゆえ、ここで提示は出来ないが、最近のKozyの辿り着いた結論は、動物およびたとえ生物であっても種族保存、それも個人レベルでなく人類という種のレベルでの保存の為に生きている・・・これが人間の人生の究極の目的である・・・・

唐突に感じる人が多いと思うが、むしろ、それは当然だとも理解している・・・これは、生命の恒常性にも関係するが、“種の恒常性”といっても良いだろう・・・・つまり、人間の社会集団の維持および発展のために生きていると・・・この社会集団の維持とは、一つは人間集団の内側からの維持および向上であり、もう一つは人間集団が基盤としているその他の生態系との共存を目指すことなのである・・・・・

正に、概念的には地球を一つの生態系として捉えた“ガイア”とその中の一つの種族としての生態系である人間社会との共存を目指すことが、各個人の人間であったとしても、人生の目的だと捉えている・・・

ミクロシステムでもある夫婦または家族、メゾシステムである社会集団(友人、企業社会、地域社会等々)、エクソシステムである国家、民族、文化、宗教等々の集団、そして、ガイアを構成する人間以外の種の集団と自然環境等々のマクロシステム、これらは正にダイナミックな相互作用の関係で成り立っているのである・・・・・

一個人である人間自体は、これらの多次元の大きなシステムとのダイナミックな相互作用の中での存在でしかないのである・・・

良くも悪くも、文明の進化が、現在ではこのことを良く感じさせてくれている・・・しかし、人間の脳は、残念ながら、文明の進化が齎した、エクソシステムおよびマクロシステムの変化への対能力を持っていない・・・

自然科学が大いに発達したが社会科学は、人間の持つ構造的な問題があるが故に、変化への対応能力を持てていないと言わざるを得ない・・・・

もう少し判りやすく説明すると、人間が人間に進化した当時は民俗学や考古学の知見が示すように、集落の単位は200-250人がマックスであり、それ以上の集落は発見されていない・・・つまり、これより大きくなると分裂をしてしまう・・・また、当時の集落はミクロシステムおよびメゾシステムの中で完結していたと言って良いだろう・・・・

つまり、脳科学が解明してきた、25歳までの経験を通じて、言動のパターン化がなされ、25歳ぐらいにそれまでは短期的展望しか考慮できなかった人間が、長期的な展望を以って判断する能力を備える構造、これをKozyは自動脳と名づけているが、小さな集落の中で暮らしていくのには、これで十分に大人としての機能を発揮できたのである・・・

然るに、現代社会では一部の農村を除くと、多層な集団の影響を受けるにも拘らず、両親の価値観や経済状況により、中学校からまたは高校から同じ地域の異なる環境で育った人達の地域集団から、私学に入ったり、進学校に入ったりして層別されて限られた人間同士の限られた社会集団に入っていってしまう・・・・・

そして、大学の入学に際しては、個人の環境と個人の勉学のレベル、そして、個人の趣向により選別された大学および専攻科の選定をして、同地域および同世代の中だけでも、非常に偏った人間集団に組していってしまう・・・科学技術の進化により促された文明は、人間を大人としての機能を持つ大人を生成できなくしている・・・・

そして、社会に社会人として参入をすれば、狭い日本の中にも地域文化の違いがあり、育った時代背景が異なる世代間の違いもあり、余りにも多層な集団の下では、全てが因縁生起、つまり、単純な直接的な因果関係だけでなく、間接的な因果関係である“縁”の影響を受けるが故に、また、単純ではない多層な社会のメカニズムについて、無知に近い経験と知見しかないが故に、必然的に悩み苦しむのである・・・・

今や、上述した自動脳は、恐らく産業革命以前まではそれなりに機能したと思われるが、事実、産業革命以後、急激に精神疾患者が増加している。そして、エクゾシステムやマクロシステムは、今や、ICTの技術革新に伴い、時間や距離を超越して個人に強く影響を与える時代になっている・・・・

脳の機能は今や、心の病を増幅する方が圧倒的に多くなっているのである・・・・

更に、褒められて守られて育ってきた人間の脆弱性は人類史上最悪の状態にあり、技術革新のあまりの早さがストレスの、先進国では、人類史上最悪の機会の増加を生んでいる・・・・・

しかし、純粋無垢な心から起きてくる自己成長への過度な期待・切望が蔓延している・・・自己成長はゴールとしての結果であり、どのような生きる姿勢、つまり、直面する、また、死ぬまで直面していく、自分が不都合と思う、そして、認めたくない現実に対して、どのように対処していくのかが、人類史上、ガイアの中で最大の拡大をしてしまった人間には、自分の中に醸成されてしまった自動脳とは如何いうものであり、その自動脳を如何に正しく熟成させていくのかが、人間に課された試練でもあるのです・・・・・・

そのための方法論として、自分自身が自動脳に縛られていることを自覚して、常に自己内の自分の視点(自分自身の判断基準でもある)に謙虚になり、相手および周りの視点(意見でもある)とその裏にある判断基準を理解または確認して、人類の最大の目的である人間社会の維持とその他のガイアの全てとの共生を一番目指すべきものとして、どちらの視点と判断基準が正しいとの二者択一ではなく、この場合は本来如何あるべきかを考える第三の目を熟成させる、これを習慣化させる・・・・・

この意味では生きる目的はガイアとの共生を行なうことであり、その方法論として、第三の目を熟成させていく・・・昔から、張った糸は過ぎきれる・・・とか、過ぎたるは及ばざることなり・・等々の諺があるが、正に、机上の論理による近道は存在しないのであり、徳川家康が言うように“人生は重き荷物を背負うて、長き(坂)道を歩くが如し”を肝に命じて、また、人間は誰でも何処までの成長できることは、脳科学的には否定の出来ない事実であることも肝に銘じて、生きていくしかないのである・・・・

孔子も言っているが、“人生は何かを成し遂げるには短すぎる、しかし、何もしないで生きるには長すぎる”のであり、何処まで第三の目を、いわば、自己内に存在する神として、どれだけ素晴らしい神に、時には退行も繰り返しながら自己内の神を成長をさせれ得るのか・・・正しい方向に進んでいけば、至福の幸福感の云う成果が種々の結果を通して得られるであろう・・・

また、知らない現実とは、自己に変化を求めるものである。進化論で言われる“生存できるのは強いものではなく、変化への対応が取れたものである”といわれるが、この含意は最大のエネルギーで変化に対応していれば、体が持たない。つまり、最小のエネルギーで最大の効果を齎す対応策をうてた者だけが、真の変化への対応の成功者なのである・・・・

このことの意味する含意は、如何に自分の長所を見つけ、如何に長所を最大限に活かすことが大事であることを意味している・・・・また、最小のエネルギーで最大の効果を生むことは習慣化することでもあるのです・・・・

先日の秋葉原での無差別殺人者の加藤氏が、何故にそのような状態に追い込まれたのは非常に理解できるが、まさに、殆どの若者の中に内在している現代病でもある、しかし、本質は、若者の性急な傲慢さでしかない・・・・これからも多発するのは避けられない・・・

この様なかっこ悪い生き方でなく、かっこよい生き方をするためにも、第三の目の熟成を図る生きる姿勢の確率をして欲しい・・・・加藤氏は、正に自分の視点(第一の目)だけでしか世の中の事実を見ることしかできていなかった・・・周りにも必ず何人の人が加藤氏を支えてくれた人がいるはずであり、まさに、周りの視点(第二の目)が全く成長していなかった・・・当然第三の目は未熟以前であったと捉えている・・・・・

次回は、Kozyのお勧めの成長の方法論である第一の目、第二の目、そして、第三の目を再度深く掘り下げて説明をするので、理解をして、常に三つの目で考えることを習慣化して欲しい・・・・・これが今一番求められていることである・・・・・

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June 01, 2008

社会考察・・・心理学の大罪・・・・

最近の社会の現象を見ていると、どうしても頭に浮かんでくるのが、心理学の陰陽の陰としての部分としての“心理学の大罪”という言葉である・・・

これだけでピンと来る人は少ないと思うので、何が大罪なのかを先ずは説明をしたい・・・・

① 人間の持つ弱い・負の側面に特化して研究してきた・・・・・だから、21世紀になり強い・正の側面の研究としてのポジティブ心理学が叫ばれているのである・・・

② 自尊感情を間違えて評価してきた・・・・・自尊とは自分は変化して成長が出来るというMind Setの問題と捉えるべきである・・・

③ 心理学の知見をあたかも、現実社会で適用できるような誤解を与え放置してきた・・・・・

以上の三点に要約されると捉えている・・・一つづつ掘り下げて説明をしたい・・・・

①の人間の弱い側面に特化しての研究は、確かに精神的な疾患の構造の解明には寄与したが、逆に何とか症候群と何とか症という名前を付けることにより、例えば、人間であるが故に誰でも当たり前に持っている側面を、病気でもないのに本人に自分は病気であるというマイナスのプラセボ効果を与え、結果として、普通の人、もっと言えば、精神的な健常者ですら、より悪い状態に持っていくことを促進したとも言いえるのである・・・・・・・

本Blogでも何度も述べているが人間には恒常性が備わっており、悪い方向、つまり、マイナス方向に行き過ぎるとそれをプラスに持っていく機能が起動するのである・・・20世紀までの心理学はプラスに持っていく機能を弱める学問に成り下がっていたと糾弾されてもしょうがない・・・・・・

そして、不必要に、心理的な非健常者を増殖してしまっている・・・・・・

② 主に米国発の心理学は、自尊感情の重要性を説き、褒めること大事にする文化を創り世界へ輸出していった・・・本Blogでも何度も言及しているが、脳科学的には確かに、褒められることは快感を齎す効果があるが、この主の快感は麻痺する特性があり、ますます褒められたいとの限りのない慾を増幅していき、足ることを知りえない側面をもつ・・・・

この様な感情は自分を尊いものと本心から思う感情ではなくなっていくのである・・・・また、人間には種々の個人差があるが故に、どこまで/どれだけ出来たことが、本当に自分が頑張ったと認知できるのは自分以外には誰も判らないのである・・・多くのほめ言葉は、自分はそんなに頑張っていないのに褒められている・・・・・

それが故に、この程度の頑張りで褒められるとの認識を生んでしまう・・・そして、今度は褒められないことに対して、本来はありえない不満を描く様になって行く・・・これこそ、本当に不幸な状態なのである・・・・

脳k学の最新の知見から云いえることとして、人間は限りなく成長できる動物であり、どんどん成長できる人間になるのには、褒めることは成長の大きなブレーキにもなるのである・・・残念ながら、同時に人間は構造的に怠惰性を強くもっている為に、この怠惰性の支配を促進するのが褒める行為になってしまう側面があるのです・・・・

カウンセリングにおいてはクライアントの心的エネルギーがあるレベルを下回っている場合は褒めることによりあるレベルまで上昇させる必要がある場合があるかもしれない、しかし、20世紀の最高のカウンセラーとも言われるミルトマンは、多くの場合は叱ることを実践していた・・・・

つまり、誰も人間の持つ怠惰性に支配されやすいが故に、怠惰性に負けるなとの叱りのメッセイジがどうしても論理的には必要になるのである・・・・

以前、守ることと支えることの二つの愛情について論じたが、守ることは褒めることに通じ、支えることは叱ることに通じているとKozyは捉えている・・・・・

③ 心理学の知見は、一つは動物実験を通じたもの、もう一つは、現実の社会においては余りにも多くのことの影響を受けるが故に、ある知見を得る為には、原因になるものが他の要因の影響を受けないように統制を行なう・・・如何にこの統制が正しく行なわれるかが実験を信頼性を増すからである・・・・

人間の脳は三層構造で出来ており、爬虫類の脳といわれる脳幹、哺乳類の脳と呼ばれる大脳皮質、そして、人間独自の脳である進化した人間としての哺乳類の脳と呼ばれる大脳新皮質で構成されている・・・脳幹は生命力、大脳皮質は感情、そして、大脳新皮質は思考力を主につかさどっている・・・・

つまり、動物実験ではそれらの動物には人間のような大脳新皮質はないのである・・・それが故に科学的に考えることの出来る人間への適用は単純には出来ない・・・しかし、情動と理性が合致しないと人間は実践が出来ない、つまり、多くの場合は情動に支配される構造化にあるので、動物実験は参考にはなる・・・・

一方、現状とはかけ離れた統制された実験に基づく心理学の実験は、殆どが単純には現実の世界には適用できないのである・・・

つまり、生起される反応は個人差とおかれている状況に依存するのである・・・

実は何故にこんなことを書きたくなったのかというと、川田アナウンサーの自殺事件の報道に接するに、Kozyが心理学の大学院にいた時に、専攻科に必ず一人は、川田アナの様な三十歳前後の美人がおり、必ず一年ほどで学校に来なくなるのである・・・・・・

世間で言えば非常に美人であり、笑顔も見せる人達であり、ある意味で家庭環境および経済環境も恵まれ、一体何を悩んでいるのかと、言いたくなるようなお嬢さんたちである・・・

しかし、彼女達を観察していると、表情が不自然で、また、前側の顔は笑っていても、横から見る顔は笑っていない、そして、女性だからしょうがないところもあるが、大きく口を開けて笑うところを見たことがない・・・・・

実は、Kozyが対人赤面賞を克服した一つの理由の中に、笑うときは大きく口を開けて笑うことを意識して習慣化していったことが大きく寄与している・・・

これはある有名な易者で人相学に詳しい人と話をしている時に、笑うことは如何いうことであり、どのような効果があるかを話している時に、笑うとは口を大きく開けることなのであるとの意見を頂き実践をしてみた、今までと違う心の変化を感じたゆえ、実践をしてきた・・・・・

それゆえ、人を観察するときにも重要なチェックポイントとしてみてきている・・・・

ここからは、川田アナのことを思い出して独善的ではあるが、訃報を聞いたときに、やはり自殺をしてしまったのかと全く驚きを感じなかったKozyの川田アナへの認識を開陳したい・・・・

恐らく川田アナはご両親に褒められて、また、回りから美人として見られて育って、確か日本女子大に入学して、家庭も経済環境も、生得的な知能も高かった、問題のない状況で育ってきたともう・・・しかし、現実社会にでると、美貌ではもっと上の人があり、知性でももっと上の人がおり、それまでは褒められたレベルの努力に基づく行動では褒められることが少なくなっていったのであろう・・・・

褒められて育つことは、少なくとも人間の精神的な強靭性を弱めることはあっても強めることはないのである・・・つまり、人間的には本当に自分を自分自身で追い込んで頑張ることを、そこまで頑張らなくても褒められてきたことにより人間としての脆弱性は強かった・・・・

そして、ストレスは、社会に出て、それまでに守られてきたが故に、当然大きいものとなっていたと容易に推測される・・・また、この様に育ってきた人達には嫌な思い、苦しい思いは自分自身での体験が少ないが故に本当の優しさはもたない、一方、こうすれば人を思うように使えるという社会的なスキルは自然と身につくのである・・・・

この思い上がった気持ちで社会に出ると、見抜く人は見抜くのであり、実際はフリーになった後の活躍状況を鑑みるに、嫌な女だと業界では見透かされていたのではないだろうか・・・

週刊誌によると、彼氏にフリーになるように勧められたとの話が出ていたが、恐らく彼氏は川田アナに川田アナが如何評価されているかを知って欲しかったのではないだろうか・・・・

そして、川田アナは自分が如何に好かれていないかを知ったのではないだろうか、典型的な統合失調症に陥り、更にうつが強まった結果、母の日に母親をなじる事になった、そして余計に自己嫌悪に陥った・・・・もし、足ることを知っていたなら自殺を踏みとどまることが出来たと思うが、重度な統合失調症に重度なうつが重なると、自殺への王道になってしまうのである・・・

正に昔は考えにくかったベンツ社内での自殺・・・これからは増えていく自殺のパターンである・・・・・

特に女性に言いたい・・・・笑うときは口を大きく開けて笑おう・・・これだけでも心のエネルギーは増えるのである・・・また、落ち込んだらスウィートを、つまり、甘いものを食べよう・・・砂糖はブドウ糖に変化するので脳の機能が低下したときには絶対に必要なのである・・・

マスコミに踊らされてはいけない・・・女性が甘いものが好きなのには、女性の方が男性の八倍もの観察力がるがゆえに、うつに陥りやすい・・・・

笑うときは大きく口を開けて、恥ずかしければ手で口を隠せば良い・・・Kozyは女性の笑うときの口の大きさを見て精神的な健康度を判断しています・・・・また、うつになったら、限度はあるが遠慮せずに砂糖を摂るべきなのである・・・・・

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May 25, 2008

避けるべき恥と守るべき義理・・・

前回は、“三かき”の“汗をかくとは”本当は如何いうことかを述べてみました・・・今回は、“恥をかく”と“義理を欠く”について掘り下げて、深い含意を共有化したい・・・・この二つとも、犬を何度も飼ってきたKozyとしては、犬には恥や義理という感覚はあるのではと思うことがありますが、本能のままに生きている動物には存在しない感情と捉えるべきでしょう・・・・

脳の大きさ=(知能+記憶力+強欲さも含めての感情+脳の強靭性)と捉えることも可能ですが、脳の大きさだけではイルカの方が人間より大きい・・・・しかし、人間の脳の中でも、人間が人間たる所以でもある前頭葉の発達という意味では、人間が一番、前頭葉の部分が、大きいといいえるのでしょう・・・・

面白いのは、犬の場合は人類の最大の共生者と云えるでしょう、しかし、狼や昔の野犬から、人間に飼いならせれた我々の友でもある犬の脳は、小さくなってしまったのです・・・・

恐らく、人間との共生を図るといえば聞こえが良いですが、人間に飼いならされることにより犬族は、安全と食料を拾得したが、飼いならされるということは、言い換えると自分で考え、自分で決断をして、自分で行動するという、正に前頭葉の本質的な機能の多くを放棄したために、脳が小さくなったのではとKozyは捉えています・・・

Kozyの専門でもある組織人の自己成長の達成、また、マズローの自己実現者の特徴、そして昨今の研究結果でもある“The Knowing-Doing Gap ”や“The Matured Mind”そして、グループ・ダイナミクス、また、脳k学の知見は全て、フランスの哲学者であるアンリ・ベリクソンの言葉である“存在とは変化することであり、変化とは成熟することであり、成熟とは自分自身を永遠の創造していくことである”を支持している・・・・

また、ベルクソンは自身の著作において言葉をとても大切にしながら書いていて、その文章は明快かつ美しい文章で書かれ散文としても素晴らしいものとなっており、1927年にはノーベル文学賞を受賞した。・・・・これは、察するに、本当は哲学者としてノーベル賞を与えたいが、それが出来なかったが故であろう・・・・・

つまり、あいまい性を取り込むことで発達してきた人間の脳の陰の特性でもある、飼いならされて習得した恥や義理に縛られるた上で、現実社会の多次元に交錯して、動的な変化の中で、普遍なものは何もない、大事なのはその都度あるべき姿は何なのかを現実を通じて、科学的思考を積み重ねて、仮説を設定して検証を繰り返して、与えられた時間内で決断をしていく事が大事なのである・・・・・・

これ即ち変化を強いられ、変化の方向が正しくても間違ったとしても、人間の熟成を齎し、この熟成が自分自身を永遠に創造していく・・・・・・つまり、人生で自分探しをするのではなく、種々の新しい経験とより深い経験を通じて、自分を創造していくことが人間の生きる目的である・・・・・釈迦も結局は同じことを言っている・・・

一方、進化論と生態論から捉えると、人間としての個人は、先ずは、自分の所属する集団、それには、最低限、ミクロシステム、メゾシステム、エクソシステム、マクロシステムのどのシステムの影響が一番大事なのか、それらのシステムがどのような交互作用や相互作用があるのかをシステムで捉えて、最小のエネルギーで最大の効果を生む方向を見出すことが、善い変化であり、熟成を速める・・・・・・

この時に同時に、どのような世界観で捉えるのか、また、考えるのかにも熟慮する必要がある、以前もアップロードしたが、世界を機械として捉える機械論,世界を有機体として捉える有機体説,また存在間の類似性と差異性を中心とするフォーミズム,同時に働く諸条件によって生ずる事象の集まりとして世界をみる文脈主義の四つのどの論理で考えるのか、また、それらの複合体で捉えるのかを考えることが重要になる・・・・・

恥や義理というのは、先人の生きるための知恵として形成されてきたものであるが、また、現実的には親の価値観および文化的価値観の一分野の知恵であるが、特に産業革命以後の技術革新が齎す生活パターンの変化に伴い、先人の知恵も、また、その裏にある価値観は変化してきている・・・・

しかし、Kozyの研究結果および愚かな人間の歴史から学ぶまでもなく、9割以上の人間は、時代の変化に適応できず、その都度にあるべき、また、望まれるべき行動を、飼いならされた犬と同じように、自分で考え、自分で決断をして、自分で新しい経験をすることをしないが故に、脳の機能をどんどん低下させる道を選んでしまう・・・・・

その原因の多くが、無意識のうちといって良いほどに言葉を通じて自己ののなかに取り込んでしまった恥と義理という言葉で構成された概念に縛られてしまうからなのである・・・・言葉で構成された概念と、現在を生きている経験を通じて言葉では正しく構成するに至っていない概念に、現代のように人類史上、一番技術革新のスピードが速いが故に、食い違いがあるが存在する・・・・

この違いに、もどかしさを感じながらも、社会的通念という社会的文脈や、人間社会の中で圧倒的多数派の人達を食い物にするマスコミや、駄目な圧倒的多数派に知識人と呼ばれる人間達の多数派の意見からの乖離や、自分を一番守ってくれる親の価値観からの乖離に伴う軋轢を怖がるが為に、通念的な恥や義理に縛られてしまう・・・・・・

これらの行動は、人間が人間であることを放棄することと同じなのである・・・つまり、少しでも善いから、また、天邪鬼ではなく、通念的な恥や義理について再考をしてみるべきであり、たとえ全くの少数派であろうと、ほんの少しの勇気をだして、自分で考えて善いと確信できることは実践すべきなのである・・・・・

残念ながら、人間社会においては、常に変化への一番あるべき対応は、常に少数派の意見なのであり、変化への対応が遅れれば遅れるほど、その人の存在価値は希薄になる・・・更に、多数派の集団の愚かさと拘束を受けて、自分が嫌になっていくのである・・・・つまり、確実なる不幸への道を歩むことになる・・・・・

マズローの自己実現者の特徴にも、文化的な通念に常に、攻撃的ではないが、盲目的に縛られないというのがある・・・・

全てがその都度のあるべき道があるが故に、避けるべき恥と守るべき義理については、細かくは説明できないが、大事なのはその都度自問自答をして、その都度事故の判断基準を明確にして、一体その判断基準は何処から来ているのかを掘り下げることが先ずは一番大事である・・・・

そして、掘り下げた後で、再度自問自答をした折に、避けるべき恥とは、少なくとも、自分が自分に対して恥じることがないのかを内観して、自分で恥じないと思えることが大事である。・・・・

また、守るべき義理とは、同様に掘り下げて内観をしたときに、義理を守ることが自分の、これから創造して行きたい自分の価値観に合致する、言い換えると自己内で腑が落ちる事が大事なのである・・・・・

“金儲けの三かき”の格言とは、本当に金儲けをしたければ、はなから恥をかき義理を欠く覚悟の重要性を示唆している・・・そして、三かき経験を通じて人間として成熟していけば、また、迷いを無くして行けば、自ずと商売は上手くいくことを示唆しているのである・・・・

それが故に、若くまた早く商売で大金を入手してしまった人達には、驕りを生じるが故に、人間として成熟できなくなり、人生の坂道を転げ落ちていくのである・・・・実質的にこれと同じことを、日本の名経営者の一人である松永氏は、経営者として成功するには、貧乏生活、闘病生活、そして、投獄生活の三つを経験する必要があると言っておられた・・・・・

三かきも三つの人生経験である貧乏生活、闘病生活、投獄生活も全て苦行でもあり、逆境経験でもある・・・ビオンが述べるように、逆境だけが人を成長させる・・・・これは真理である、真理であるが故に、心のエネルギーの維持およびチームワークの向上の為には、楽しく面白くすることが出来なければ、継続的な成長は出来ないのである・・・・

楽しく面白く仕事をする、または、人生を楽しく面白くするのは、これらの苦行や逆境に堪えるための手段でしかないのである・・・・そして、自己がどんどん成熟することが、社会への貢献の機会と貢献度合いを増やすが故に、最大の幸福感が得られるのである・・・・・このことを忘れないでほしい・・・・・

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May 21, 2008

かくべき汗とは・・・あるべき努力とは・・・

前回のアップロードで次のように述べさしてもらった・・・[情動回路の書き換えは時間が要するのである・・・だから継続が必要になるのである・・・・・・・これがあるべき汗をかくことの本質でもあるのです・・・]・・・・

これだけでは理解しにくいと思うので、もっと深く掘り下げて説明をしたい・・・・

努力をする、汗をかく・・・この前には何の為に何を努力すべきかという考えがあるから努力をする、しかし、多くの人が途中で挫折をしてしまう、・・・・何故だと思いますか・・・・????・・・・

Kozyは努力を目的として捉える人は、苦しみが目的であると同じことであり、人間の構造的な怠惰性より誰でも途中で止めてしまう・・・・努力という行為は手段でしかないのである、つまり、何の為に努力をするのか、この目的の為の手段としてとるべき努力が本当に正しいと思えるのか、また、一体何時に目的は達成されるのか・・・・

また努力の対象は人に押し付けられたり、人がしていることの模倣であったり、つまり、自分自身が決断したものでない努力の対象などは、途中で挫折する・・・・つまり、かくべき汗とは自分自信で考え抜いたものであるべきなのである・・・・

しかし、本Blogで何度の述べているように、人間はある意味でバイアスの塊なのであり、自分で考えたつもりでも、親の価値観や社会的な文脈に縛られており、本当に自分自身で考えるのは難しいことであることを自分自身が強く認識する必要があるのである・・・

しかし、これは自分は自分だと思っていたことの否定でもあり、また、結果としてはそれまで信じていたものを自分から棄却することを意味するのである・・・・・まさに、冷や汗ものなのである・・・・

では、本当に自分自身で考えるとは如何いうことなのか、ここで大事になるのは、ある判断、または、選択をするときに自分自身の判断基準は一体何なのか、そして、この判断基準を一体自分は何時ごろから用いて来たのか、これは、自分の実体験に基づくものなのか、親の言っていたことではないのか、または、ただ単に多数派の意見を妄信しているのではないのか・・・????

この様に、掘り下げて掘り下げて考えて、自己内で言葉に出来ていない自己の納得できる価値観としての概念と本当に一致しているのか、この検証が必要であり、厳密には何時までもこの検証が、世の中が変化していくが故に必要であるが、取り敢えずは、何かに向かって努力をしようと決断するときにはここまで掘り下げて考える・・・つまり、脳に汗をかかせることが大事なのである・・・・・

念の為であるが、日本人には価値観という言葉は、何に大きな価値を置くのかという表層的な理解が成されているが、Kozyに言わせると、日本人には価値観とは、判断基準の序列の総体であると捉えるのが一番善いのではないだろうか・・・自分の判断基準が何なのであるかを知ることにより自分の価値観というものがはっきりしてくる・・・・・

もう一つ、努力が挫折する原因に、人間の持つ脳の構造的な怠惰性の理解が足りない・・・Kozyの口癖に“一石二鳥ではなく何鳥も”というのがある、怠惰性に克つには、中長期の展望能力を磨き、この努力が、何鳥もの利得があることを知的能力を屈指して整理をすべきなのである・・・・・・

この様なプロセスを踏んだ努力の対象は、継続できるのである、または、継続が容易になるのである・・・本当の努力は努力の対象を真摯に掘り下げて思考して前頭葉を使い込むことなのである・・・・また、自己内の概念の適切な言語化の努力でもあり、自己内のバイアスからの開放を上述した思考を繰り返し、新しい取り組みという経験を通じて焼き直しをしていくことでもある・・・

つまり、物事に取り組むにはここまでの事前作業が必要なのであり、これが主体性の本質であり、このための努力対象の選定が、強い覚悟をも醸成するのであるとKozyは捉えている・・・このプロセスを経ていない、努力対象のイージーな選定に基づく努力という行為は、当然の帰結として頓挫する・・・・・・

第一の目、第二の目、そして、第三の目の三つを屈指して考える習慣を付けて欲しい・・・・・

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April 29, 2008

現実と自分の折り合いをつける能力とは・・・・・

選択と折り合いへの考察してみると・・・・人生を生きることは選択をして前に進むことである。しかし、この選択のときに大事なのが、現実と本当の自分との折り合いを付けれる能力を如何に持てるか、しかし、選択の時間は限られている・・・また、現実との対峙能力、本当の自分を人間は概念的には、個人的には確りと捉えていると理解はしているが、この概念を正しく言語化することは非常に難しい・・・・

ここで重要なのが広く深い経験とそれに基づく思考能力という洞察力である・・・・しかし、人間としての叡智としては、経験と思考、端的に言い換えると、経験にともなう情動と理性という名の思考能力の折り合いを付ける能力なのである・・・

この折り合いとは、経験と思考の仲介機能に大きく依存するのである・・・Kozyも若い時に、Mediation=瞑想として捉えて、瞑想の機会を意図的に作ることを意識してきたが、むしろ、“無我”の境地という言葉の意味に憧れていた側面が強すぎたと反省している・・・・

つまり、瞑想にふけるには、年齢とそれに伴う経験により瞑想の目的が異なってくるというべきだと、今は反省している・・・つまり、如何なるものが、どの様に影響力を発揮して、どのような結果へ導くのか、その多次元さと複合的な動的な影響、この影響も、約6割ぐらいが直接的な因果関係であり、残りが複雑で多次元名間接的な因果関係である“縁”によるものである・・・・

そして、直接的な因果関係はまだ理解をしやすいが、間接的な因果関係を理解することは非常に困難なのである・・・釈迦もこの点では普通の人には、不可能ではないが不可能に近い、つまり、現実的には無理であろうという趣旨の言葉を残している・・・

ジョージ・オーウェルは端的に「いやしくも物を考える人間なら誰でも、頭脳の内部で起きていることを描写するのに、私たちの言語は事実上役に立たないことに気づいている」とも云っている・・・・

では、多くの人達、特に若い人達は、自問しても生きづまり、同じ過ちを犯す人が余りにも多いのは何故なのか、一つは正に本当の有りの侭の自分を傲慢な思い上がりというプライドに縛られていて、自分を、馬鹿で醜い自分を受容できない・・・そして、受容できないから、自己のバイアスに縛られてあるものが見えない・・・・

正しい現実と正しい自分自身が解らなくて折り合いが付けられる訳がないのである・・・・最近、Kozyが無意識のうちに何度も口にする言葉として、“人間の持つポテンシャルとして(つまり、脳の構造的な特性より)、誰もが素晴らしく成長する可能性を持っていると同時に、最悪の人間になっていく両面を持っている”・・・つまり、人間みな大なり小なり大して変わらないのである・・・・

また、生命の恒常性より、最悪の人間に100%なれる人はいない・・・残念ながら、凡人では100%善い人にもなりきれない・・・これも人間の本質の一つなのである・・・・だから、誰もが悩むのです・・・・

つまり、くだらない虚栄心に縛られて不幸になっていくか、人間が故にちょっと油断すると不幸になっていく構造、つまり、自己の悪さ加減を正しく強く認識して自分に常に言い聞かせることにより、幸福な人生を全うするか・・・これが人生の分水嶺になるのである・・・・

本Blogで何度か触れたことがあるが、関西には金儲けの三かき・・・という言葉があるが、汗をかき、義理を欠き、恥をかくことの三つの“かき”を実行すれば金儲けが出来るという意味であるが、この深い含意は、人間が幸せになるには、あるべき三かきをすれば善いと理解をしている・・・・

つまり、努力という汗をかかなくては幸福を求める資格がない・・・・

本当に守らなくてはいけない義理とは、何なのかを掘り下げることなしに、不必要な義理に縛られているようでは幸せにはなれない・・・・つまり、自分を守ってくれた人ではなく自分を支えてくれた人達には感謝の念を忘れない・・・出来るお返しをする・・・出来ないことを誰も期待していない・・・・・

本当の恥とは何なのか、このことを掘り下げることなしには、幸福にはなれない・・・つまり、恥とは、自分自身で感じるだけの感情であり、その結果耳が赤くなる状態を表した漢字なのである、周りへ自分の虚栄心を示そうとして、それが受け入れられないから感じるものではない・・・・

また、個人には個人の個体差および各個人の固有の経験があるが故に、本当にどれだけ出来ることを頑張って実行してきたのかは、論理的には自分自身しか判らない・・・しかし、未熟な人は、人に褒められたいと思う、たとえ十分やれることを実行していなくとも、褒められることで自尊心を維持したつもりになってしまう・・・

この様な自尊心は、やれることを頑張って実行しなくても褒めてもらえる状況に、自分自身が甘えてしまう・・・つまり、脳の持つ怠惰性にマケ癖をつけるだけなのである・・・・・本当に褒めることが出来るのは論理的には自分だけである・・・この歴然たる事実を忘れることにより、馬鹿げた恥に縛られる・・・・・

以上で少しは理解を深めていただいたと希求するが、関西で云われる“金儲けの三かき”とは、自分自身が大事だと思っている恥や義理をかくという実践を通じて、それまでの社会的な通念を再学習する、そして本当に守らなくてはいけない義理と本当にかいてはいけない恥とは何なのかを体得することが、結果として、お金がついてくる・・・・幸せになるのに十分なお金はどれほどのものかを体得させてくれる、人生のトレーニング・コースの一つであると、Kozyは、理解している・・・・

季節柄、五月病の時期であるが、サラリーマンの格言の中に“三日、三ヶ月、三年”というのがあるが、この説明は以前しているので省略するが、今回は、この意味の中で、“現実と自分の折り合いをつける”という切り口で紐を解いてみると、・・・・・・・・

最初の三日間で社会人として生きていく覚悟の表出として、学生時代の怠惰な生活からの決別が試される・・・

最初三ヶ月で、現実と本当の自分の直視能力が問われ、その体得具合が、自分自身の言動に表出してくる・・・仕事においては、全体の流れがわかっていない、如何分担して仕事をしているかがわかっていない、また、頭でわかっても体が自動的には反応しない、つまり、経験とはこの反応速度を高める事でもある事を解っていない・・・・

人間は過去に習得した知識や経験を通じて、自動的に反応する回路を作っているが故に、新しいことに対する面白さや重要性の理解は直ぐにできない、それ故、端的に言うと失敗をするように出来ているのである、失敗はこのレベルでは、自分がやれることをやっている限りにおいては恥ではないのである・・・・・

人間が人間である為には、これらの失敗から如何に多くを学ぶかが問われるのである・・・・困ったことに社会人になる前までの成功、つまり、社会的なスキルは、其れまでの、たとえ同世代であっても限られた人間社会で有効であったスキルであり、如何世代の中でも非常に多くの多様性があり、世代が異なれば社会的な文脈の異なりより、更なる多様性がある・・・

上述のような社会的なスキルは、失敗の傷を大きくしてしまうだけのものが多いのである・・・・

そして、三年もすれば、“本当の現実と本当の自分との折り合いをつける方法論=スキル能力”が表出してくるのである・・・だから、組織社会の中では三年で一生が殆ど決まってしまうのである・・・・・・・

また、標準的には22歳で就職すると考えると、25歳という年齢になるが、脳科学的にはちょうどこの年齢で、自分の中での判断基準の優先順位が一旦固まってしまう時期と重なるが故に、三年間での学習は大きな効果を生むのである・・・・つまり、他の人より悩みが少なく成長が出来るのである・・・・・

しかし、現代という時代は、技術革新が人類史上、最高のスピードで進展している。昔から、Kozyは多くの大人の愚痴を聞いて、また、社会人の生き様を、母が独身寮の寮母をしていた関係で、若くして人間の成長の問題、そして、社会のメカニズムを感得してきた・・・・・・・・

通常の人には味わえない環境に身をおいてきたゆえ、“自分の人生は25歳までに決めろ”と自分にいい書かせると同時に友人にはアドバイスをしてきた・・・・・脳科学の最近の知見からは、この捉え方は正しかったと確信している・・・・

現在という時代では、技術革新が齎す価値感の変化のスピードの高速化が、昔はまだ25歳までといいえたが、今では、25歳までの経験と習得したスキルでは、不十分になってきていると確信している・・・・・・・

正に一生、それまで体得したものが、現実と折り合いが付けれなくなったら、速やかにそれまでの価値観から知恵ですら棄却して、白紙の心で現実を直視して、自分を直視して、折り合いをつける=再学習の連続である・・・このことが、人類史上で一番強く求められる時代に入っている・・・・・

この様に考えると、今や、虚栄心は言うまでもなく、プライドの類の殆どが維持するのではなく、何時でも棄却できる存在として捉える生き方が求められる時代認識が必要になる・・・正に、赤ん坊のように白紙の心で何でも経験を厭わずに、経験を通じて再学習された実学ですら、棄却する為の強い仮定であると捉えることが必要なのである・・・・・

新しい経験、より深い経験等は、嫌なことと感じるのは当然です・・・みんな同じなのです・・・大事なことはそれまでの限られた経験により醸成された自分の殻に回避をしないことです・・・この回避行動をしていくことは、ますます、折り合いを付けることが難しくなっていくことなのです・・・・この様な馬鹿げた選択だけはしないで欲しい・・・・・

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April 28, 2008

5周年に向けて、近況報告と“奇跡”への考察・・・・

Kozyの誕生日でもある55歳になった4月19日より本Blogを開始して、4周年を迎えることが出来た・・・5周年に向かって“go = 5”となる・・・53歳でサラリーマンを引退を決意して辞めたのであるが、その後の徹底的な検査の結果、8項目の経過観測すべき点が確認され、その時に決断をしていなければ、翌年には死んでいた可能性が大であった・・・奇跡的な判断力であった・・・・

その一年後に心理学の大学院に入学したが、これも奇跡的な出来事であった・・・そして、このBlogを開始した次第である・・・

しかし、大学院においては、産業組織心理学の重鎮の先生および統計解析の重鎮の先生との奇跡的な出会いにより、大きなシナジーが生まれて、両先生とも何十年も大学院で指導してきて、これ程までに、産業組織心理学と最新の統計解析の奇跡的な融合を叶えた修士論文は見たことがないとの言葉を頂いた・・・・

起業後の一年は、心理学の大学院の修士論文の研究にご協力頂いた、企業への更なる貢献による事業収入で、存続が出来たが、次なる顧客の獲得が出来なかった・・・当初より、新規市場を構築していく側面があるが故に、非常に困難なことは理解していたが、終に資金が尽きて、事業としての継続は諦めざるを得なくなった・・・・

つまり、ここでは奇跡を起こすことは出来なかった・・・・しかし、ライフワークとして、これからも取り組んで生きたい・・・・この様にあえて奇跡的という言葉を多用してみると、送辞として言われた言葉として“全ての危機を、Kozyが常人では思いもつかないアイデアと行動力で、乗り切ってくれた”と云われたが、正に、それまでの仕事は奇跡の連続であったと言い換えることが出来る・・・・

しかし、生きていく為に、この年齢でのサラリーマンへの復帰も、これまた非常に困難なことであり、ここ数ヶ月、現実の直視とそれに伴う現実からの再学習、そして、自己内と自己外の求める・求められるものとの再度の対話を通じて、折り合いを付けるという落としどころの模索を行なってみた・・・

何度か、自己破産をすることも考えたが、今まで生きてきた自分自身が一体どうなっていくのかをトコトン見つめて見たくなり、やれることはやりながら、如何、自分が活かされるのか、それとも、神に啓示としての現実から、自己破産に追い込まれるのかを、自分自身でも驚くほど冷静且つ平静な気持ちで、戦略の見直しもしながら様子を見てきたが、友人の方にはご心配をかけてしまったが、また、奇跡的にこの歳で、世界のベストテンの米国系の企業でもあり、ある業界の世界一の企業に、奇跡的に正社員として再就職を果たすことが出来た・・・・

これは、Kozyの今までの実績が、逆に作用して、余りにも素晴らしすぎることより、自分自身の専門分野での再就職は、日系企業においては疎まれることを学習さしていただいた、また、本Blogでも述べているように、年齢と経験を重ねてどんどん成長を続けれる人は、一割にも満たないが故に、理解はできるが、年長者へのステレオタイプの差別は、如何ともし難かった・・・・

その折に、外資系の仕事の求人で、日系企業ではどの大企業にも存在しない仕事の話があり、実績は求められないが適正だけが求められ、応募したところ、米国人二人による英語による最終面接まで漕ぎ着けて採用の運びとなった・・・

実は先々週から、既に業務に就き働いている・・・・・これは、ある意味では、生活維持のための一歩後退というところであるが、初めて取り組む特別な仕事であり、特に脅威の分析能力と対応策の立案能力が要求される仕事であるが故に、神の啓示として、もう一度脅威・恐怖に関して再度整理をしなおすべきと命じられたと捉えている・・・・

つまり、一歩後退というよりは、現在の足場をより充実させて、同時に将来の為にもっと資金力を付けろと命じられたと捉えている・・・なかなか興味のもてる仕事だと捉えている・・・

この様に自分の人生を振り返ってみると、奇跡とか奇跡的という言葉の含意とは、なかなか深く興味深いものであると痛感させられる・・・・・色んな視点で掘り下げることは出来るが、一番的をえていると感じるのは、原因の帰属理論であり、約一年前に、自分自身で総括している“失敗の原因の捉え方・・・達成動機とは・・”(2007年4月7日にポスト)だ思える・・・・

このBlogで最後に締め括っている内容は:

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、達成動機を高く維持出来ている人は、たとえ失敗をしても、内的問題として捉えて、自分の能力不足または努力不足であった。十分耐えうる能力がなかった、つまり、不安定として捉えて、自己統制が足りなかったとして捉え、再び努力をして、能力を磨けば、次回は上手くいくとの次回への動機付けに繋がる・・・・

一方、失敗に終わったときに、達成動機を維持できなくしている人は、課題が容易であり、運も良かったとしても、自己の能力を不変的なものとして捉え、能力が無かったと捉えてしまう・・・努力不足と捉えない・・・・

平易な言葉にすると、やる気がない、向上心がない人の最大の間違いは、人間の能力は努力次第で、たとえ時間はかかるとしても、限りなく伸びていくということを信じられない・・・・もっと、掘り下げると、努力=苦悩であり、努力したくないという、何もしなくて快楽だけを求めている・・・・・

まさに、このような人は、口では何を言おうと、進化したくない・・・・苦悩は味わいたくないという快楽原則から卒業できていない人たちであり・・・この生き方を続けると、もっとひどい苦悩に陥ることを理解できていない・・・・これが、平和の代償として、今の日本に蔓延していきいる・・・・・

つまり、今の日本で希望が持てないという人は、能力を磨くという、換言すると、自分探しという自分を磨いて自己実現を目指すことは、苦悩体験を積むことにより実現できるものであるという歴然たる事実を、直視しないで、希望が持てないといっていることである・・・・

希望とは、どんなに時間がかかろうとも、人間は努力という苦悩により能力が向上していく事を理解している人が、有資格者として、希望を持てるのである・・・この事は脳科学の知見よりも裏付けられている・・・・

希望の維持能力こそが人間の証なのである・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

常日頃本Blogを読んでくださっている方はお解かりと思うが、希望の維持能力とは、人間の生得的に持っている思考能力の構造的な問題点を良く理解した上で、もっと頭を使い思考能力を上げることである・・・・

そして、五感から入る情報の曖昧性にも起因する、自己内に醸成された概念とその言語化の精緻化を齎す、現実との対峙能力と現実からの再学習能力・・・これは実は苦行であり、胆力が必要になるるのです・・・・・

人間は言語でしか思考できないのです、だから概念の言語化の精緻化が必要になる・・・この目的は自己内で醸成されている概念を如何に正しい言葉で表すことが出来るようにすることです・・・・この意味では、無意識とか潜在意識とは、自己内に醸成されている概念を正しく言語か出来ていないが故に生まれてくるものです・・・・・・

無意識とか潜在意識は、多くは恐怖感や不安からの逃避であったり攻撃行動を起こしますが、言葉の、普段からの精緻化を行なっていない人に対して、それは間違った決断であるとして適正化を目指してくれるという両面を持っています・・・

だから、先人は相手を知ることより自分を知ることの方が難しいが、自分を知ることがより重要であるとの趣旨の言葉を残してくれている・・・・ここで大事になるのが、自分自身の真の姿を見つめるという内観すること、そして、自分自身を事実に基づいて反省するという意味の内省すること・・・・

Kozyは今まで奇跡とか奇跡的という言葉は50歳を過ぎるまでは殆ど使ったことはなかった。あくまで可能性を追求してきただけであり、その都度の関係者の力動的な力関係を直視して分析をして、あるべき姿に如何に近づいていくかを模索してきたに過ぎない・・・・・力動的な相互作用に依存するが故に、普遍なものは存在しない、だからいつも可能性はあると捉えてきた・・・

釈迦が説くように、因縁生起が根本にあると強く感得しているが、釈迦は、同時に間接的な因果関係である“縁起”は常人にはなかなか理解できないといっているが、自我の存在の幻想に囚われて、不適切な恐怖感に囚われていては、“縁起”の構造は理解できないであろう・・・・つまり、見えてこないのである・・・

しかし、“笑うかどには福来り”という言葉に代表されるように、多くの人が、見えない“縁起”の存在と機能は感じていると確信してます・・・これが、自分の発する第一印象でもあり、生きる姿勢として、“明るく、元気で、希望を持って頑張る”を実践していくことが、“縁起”を増やしていくことは間違いないのではないでしょうか・・・・・

新しい仕事と生活時間のスライドに馴染むまでは、Blogを書く時間がとり難くなっています、アップロードは週一ぐらいにならざるを得ない・・・・ご了承ください・・・

以上近況報告と奇跡への考察でした・・・・

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April 15, 2008

もっと頭を使おう・・・掘り下げるとは・・・

前回、[明るく、元気で、希望を持って頑張ります]というのを掘り下げてポストしたつもりであるが、妙にこの言葉が自分の頭にこびりついている・・・・前回は含意を中心に掘り下げたが、この三つの頑張りがお互いに作用して、その人の人生を形作っているのであろう・・・・

話は飛ぶが、人間は進化の過程で、光の三原色である赤、緑、青、Red, Green, Blueの頭文字をとったのがRGBであり、最近はRGBは聞く機会が減ってきたが、実は、Greenのセンサーを放棄した、人間が今Greenだと思っているのは、RedとBlueのセンサー能力を上げて、その二色からの違いから、結果として、仮想のGreenのセンサーを再取得した・・・・

Kozyは個人的にはGreenという色が好きだ・・・しかし、本来グリーンというセンサーを放棄した人類がGreen Ageを迎えようとしているのは、何か非常に深いものを感じざるを得ない・・・・

何が言いたいのかというと、生きることで大事なことは、明るく、元気で、希望を持っての三点で、各三項からの乖離状態、また、ある二つの項からの乖離状態、また、それらの力関係や相互作用で、全てが説明できるということが云いたいのである・・・

また、これらの三つを考えるときに、何が本当の目的なのか、何がその目的の為の方法論として必要なのかということを、常に自問自答する習慣が大事になる・・・また、自問自答とか掘り下げて考えることの重要性を何度も云っているが、このことを掘り下げて説明したことがないことに気がついた・・・・・

また、話が飛ぶが、心理学は、統計解析とPCの技術革新により、統計解析をすることが主流になってきているが、幾ら統制してもバイアスは避けられない・・・

バイアスには、実験協力者のバイアス、そして、研究者のバイアスがあり、また、どんなに避けようとしても、何らかの文脈の影響を全ては回避することも不可能であろう・・・このことを理由に、有意さが有るという有意レベルを5%まで下げた研究が多い・・・

記憶が曖昧であるが、確か大阪大学の先生が、“Why問法”、つまり、質問表に回答してもらうが、それは何故ですか、また、その答えに関してそれは何故ですかと可能な限り、何故を続けて記入してもらうというものであり・・・・最低でも三回はWHYに対して回答してもらうと、真意がより正しく捕まえることが出来る・・・・・

自問自答とか掘り下げとは、正に、WHYを繰り返すことであり、理想は、論理では説明できないところまでWHYを繰り返すことであり、最後に到達するのが、論理ではなく感性でもあり、個人固有の情動でもあるのです・・・

このレベルに到達する途中の論理的に説明できる答えが、自分自身の判断基準というものになる・・・・

また、更に、感性や情動反応を掘り下げて、自分は何故にこのように感じるようになったのかと問い続けると、そこには個人固有の経験と身に付けてきた習慣が関係していることがわかってくる・・・・

ここまでの議論は、Kozyでも、学生時代に徹夜で議論をした時ぐらいである、何故そう考えるのだとお互いに議論を掘り下げていった・・・・ここまでの議論が出来る人は、非常に少ない、何とならば、そこまで自分自身を見つめていない人が殆どであるからである・・・・・

Blog発信四周年を数日後に向かえ、種々考えてみると、この時に、議論での勝ち負けの意味のなさ、そして、経験の持つ重要さを、また、多様性の受容の大事さを悟った・・・・そして、カッとくることの空しさを痛感した・・・

Kozyの人生には幾つもの転機にある出来事=エピソード記憶があるが、若き血潮の漲っている時でないと出来ないことかもしれないが、一度はこの様な体験を持つべきである・・・

それまでは、明るく振舞うことは、小学校時代に聞いたナットキングコールの“Pretend”に感銘して、暗くなるときに暗く落ち込んでいても仕方がない、また、明るく振舞いことで自分も元気になり、相手のリアクションも良くなることを体得していたが、今で云うPositive Mind Attitudeがあったから、徹夜の議論が出来た・・・

また、その何者にも囚われずに取り組んでみる元気があった、そして、それまでの経験を反芻する習慣があったが故に、議論をすることに価値を見出すことが出来た・・・つまり、議論の展開への希望を捨てずに取り組めた・・・・・

この様な徹夜の議論をすることは、明るさがないと喧嘩になり、元気がないと続かない、そして、この議論の展開にポジティブな希望が持てないと取り組めない・・・・面倒なことでもあり、忍耐力の要ることでも有る・・・・・

人間は確かに成長慾がある・・・以前述べたように、異性との恋に落ちることと同じであり、成長したい=強くなりたいと言う慾をもっている・・・しかし、人それぞれ、明るさ、元気さ、希望の維持能力に、差が有る・・・経験が違えば差が出るのは当たり前なのである・・・・

また、成長という最大の目的の為に、その為に自分は何が弱いのか、明るくなれないのか、元気になれないのか、希望が維持できないのか、これらの三つは全て向上させることが必要になる・・・つまり、成長の為の方策として先ずは何を強化すべきなのかを、真摯に自分を振り返ってみて欲しい・・・・

ここで、また、今回の最後として、成長には経験と思考の両方が必要であるが、価値ある経験は何時でも出来る訳ではないが、価値有る思考は何時でも出来るのである、また、脳は使えば使うほど良いのである、頭でっかちとは机上の理論に縛られることであり、自分を振り返る思考は、むしろ正しい行動への導くのである・・・履き違えないで欲しい・・・・

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April 13, 2008

“明るく、元気で、希望をもって頑張ります”・・・この深い含意・・・・

昨日(4月12日)NTVの“アニーの舞台裏に密着!オーディション親子奮闘気”10:30-11:25a.m.を偶然見ていた。そして、9000人の応募者の中から選ばれのアニー役を射止めた小学生の“荻野七穂”チャンの言葉“明るく、元気で、希望をもって頑張ります”という言葉にギョッとした・・・・・

定期的な読者はお解かりと思いますが、Kozyは、小学生のころから、人生を生き抜くのに大事なことは、種々の事が言われているが、その本質を掘り下げていくと、きっと三つから、最大でも五つのポイントに要約されるはずだと考え続けてきた・・・

また、最近は、本Blogの四周年を迎えるにあたり、ポジティブ心理学、“Authentic Happiness”、“成長するMindset”を通じて、ポジティブ・オーガニゼーションの提案等を“新しいドア(DOA)を開けよう”というシリーズで人間の発達・成長に焦点を絞って最新の自分の意見を整理しているところである・・・・・

また、以前から、最近の若手女優の“蒼井 優”の所謂美人女優ではないがその存在感、または、醸し出す素晴らしいオーラがどうして今の若い人にはないものを持っているのか不思議に思っていた・・・・・そして、昨日、初めて彼女も昔、アニーのオーディションにパスして、アニー役が芸能界デビューであることを知った・・・

勿論、Kozyの思い込みでもあるが、“荻野七穂”チャンと“蒼井 優”がダブって見えて仕方なかった・・・・きっと“蒼井 優”も同じ様に“明るく、元気で、希望をもって頑張ります”と同じ言葉、もしくは殆ど同じ気持ちを持っていたのではないかと・・・根拠のない確信を抱いた・・・・

つまり、“明るく、元気で、希望をもって頑張ります”という言葉の持つ深い含意を言葉でどれだけ理解していたかは確認のしようがないが、58年、もう直ぐ59年になるが、Kozyは、問題意識を持っているが故に、この言葉の深い含意に、正しくは、Kozyが理解する含意に(自分自身で)感銘を受けた・・・・・

物心がついた時期から、“明るく、元気で、希望をもって頑張ります”を“何妙法蓮華経”という言葉でなく誰でもわかる言葉として子供に教えていくだけで善いのではないかと、Kozy自体も、幾つもの座右の銘の類はあるが、掘り下げていくと頑張る対象はこの三つ“明るく、元気で、希望をもって”だけで良いと気付かされた・・・・・

ついては、この三つを頑張ることの深い含意をここに説明した・・・正に、光の三原色の様な気がしてならない・・・・

“明るく頑張る”

これは、笑顔を絶やさない・・・常に、ネガティブ感情に陥っても、陰陽の陰だけに囚われないで陽のサイドも正しく見つめることによりポジティブ感情を奮い立たせる為に頑張る・・・これは、知的な洞察力および論理的かつ科学的な思考力を屈指しないと出来ないことである・・・・

また、明るい表情とポジティブな行動は、相互作用としては相手の正の相互作用を起動させるものであることを体感し続ける、少なくとも負の相互作用はより少なくなる・・・これが、人間不信を人間信頼へと導いてくれる・・・正に、Kozyの口癖でもあるSwitch-wellの能力向上に繋がっていく・・・・・・

“元気で頑張る”

この元気という言葉は東洋哲学および東洋医学からきている人間の陰陽の意味である“気”と“血と水”、つまり、心のエネルギーと体のエネルギーの意味でもある“気”が、生まれた赤ん坊のときが最大であるという考え方・・・つまり、赤ん坊のようになんでも五感を屈指して体験して学んでいく元来の気という意味が“元気”の意味なのである・・・・

人間は、この経験をすることによりバイアス=経験に基づく固有の捉え方を身に付けてしまうが故に、元来の気を忘れていく構造を持っている・・・元気を出してとは、経験による概念ですら正しく言語化されていない言語でしか思考できないにも拘らず、バイアスに縛られて、五感を通じた経験をせずに判断をしてしまう・・・・

勿論、なんでも全てを経験するのは不可能である、また、事実を正しく認識することが一番大事であるが故に、五感を通じて経験をする、つまり、遣って見ることが目的であるが、遣って見る必要がないものもある・・・それが故に、自分で元気がうせていると感じるときは、頭で悩まずに、遣れる事から、先ず遣って見る・・・これが“元気で頑張る”の本質なのである・・・・

それにより、現実から正しい学習が出来るようになる・・・つまり、実学の習得が出来る・・・残念ながら、実学の習得が一番大事であるが、実学とは当意即妙ではあるが、この意味することは普遍なことはないということであり、その都度、現実と対峙をして再学習をする・・・

これを繰り返すだけなのである・・・・この繰り返しが、また、知的且つ科学的な論理思考を可能にしていくのである・・・・

“希望を持って頑張る”

これは、おそらくアニーのメインテーマでもあると思うが、希望を失うことは、知的思考能力の放棄であり、知的思考能力を磨いていくと、希望を持てないものは論理的には在り得ないのである・・・

希望を維持することは、昨今の言葉で言うと、面倒な努力と継続的に思考する必要があり“うざい”とも言いえるが、また、可能性を見出しても=希望を見出しても、何事も相互作用の原理の中で動いているが故に、変化には時間がかかるものが多いが故に、長い時間軸で考えて継続的に取り組むことにより、つまり、忍耐力を持って取り組むことが必要になる・・・・・

そして、人間の脳が持つ基本特性は“最小のエネルギーで最大の効果を求める”、平たい言葉にすると怠惰性であるが故に、これに打ち勝つには、この特性を利用して、常に“一石何鳥”にもなる行動を考える知的洞察力が必要なのである・・・・

また、進化論および生態学的に言うと、一つの生態系での適応とは、最小のエネルギーで最大の効果を生む行動適用が出来るものだけが生存を許されるのである、簡単に言うと最大のエネルギーで最小の効果しか生み出せないでは、その生物は消耗してしまうのである・・・・・

つまり、人間が学習をする場合は如何に効率よく学習をする方策を、つまり、Good Strategy考えることが出来るかに依存するのである・・・これも正に知的思考能力であり、これは幅広い実学のなせる業でもあるのです・・・

机上の論理だけでは、関係者の情動は感じて読み取ることが出来ない・・・このことが理解できて初めて、情動の起動条件を含む実学の習得が増えて、人間への両面の理解が出来るようになる・・・

この領域では脳科学の貢献は非常に大になってきているが、経験を通じていない理解は、同時に脳科学的には、後で考えれば理解が出来ても、その場では、体に沁み込んでいないが故に、つまり、経験を通じた五感での識別能力が養われていないが故に、機能しないのである・・・・・

“頑張る”ということが死ぬまで必要が故に、徳川家康は“人生は長き(坂)道を、重き荷物を背負うて歩くが如し”と自分自身の慢心を戒めたということでもあるのです・・・・・・・

また、努力を惜しむことを戒める意味で、孔子は“人生は何かを成し遂げるには短すぎる、しかし、何もしないで生きるには長すぎる”と自分に言い聞かせ、だから、何もしないで生きるのではなく、たとえ、成し遂げられなくても、継続してやっていく道を自分は選んでいるとして、元気を取り戻して生きてきたと理解できるのである・・・

ここまで感じさせてくれたNTVの番組に感謝したい・・・・・そして、皆さんも“明るく、元気で、希望をもって頑張ります”というあえて言うと、覚悟をもって生きていってください・・・・その為に、戦略的な方法論として“3355”を有効に使ってください・・・・・

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April 10, 2008

新シリーズ:新しいドア(DOA)を開けよう(第八弾)・・・ポジティブ・オーガニゼーションの具現化に向けて・

新シリーズ:新しいドア(DOA)を開けよう(第八弾)・・・ポジティブ・オーガニゼーションの具現化に向けて・・・として、前回は骨子を書いたが、少し長くなるので、覚えやすい言葉で、潜在意識へ働きかけると大事な提供すべき情報=共有すべき知識について、再度取りまとめたい・・・

先ずは、同じ言葉を並べたい、古くは“ものの見方捉え方を磨く”、また、“潜在意識への介入と潜在意識からの開放”Kozy曰く“第三の目の熟成”または“自動脳からの開放”、そして、最近は、“自己ない概念と言語の精緻化”、心理学で言うと、“自己成長のマインド・セットの構築”また、“バイアスに囚われるな、とか、それはステレオタイプだ”とか・・・みんな同じ問題意識を持っての解決方法をそれぞれ異なる表現をしている・・・・

最近の脳科学は、人類が感じてきた経験則でもある問題意識の構造を解明してきています・・・つまり、年限はある年齢までで、これが25歳ぐらいであることが判ってきたが、それまでの経験に縛られるということです・・・しかし、これも昔は変更できないとか言われていましたが、今は脳の可塑性が素晴らしいことが解り、幾らでも努力と学習により変えられることがわかってきている・・・・

また、脳の構造的な問題は、人間は他の生物と異なり、曖昧性の取得を選択したことにより、曖昧がゆえに悩む、つまり、頭を使うが故に、他の生物と異なり、非常に大きな大脳新皮質を発達させてきた、そして、そこに、同時に、曖昧性を減らし対処すべく、前頭葉が存在して、思考および判断をする機能を発達させてきた・・・・

しかし、人間も生物である限り、瞬時の判断は必要であり、脳にインプットされた情報自体も曖昧であり、情報の整理、それに伴う概念の構築、また、概念の言語化にも曖昧性があるなかで、曖昧なグルーピングを行なうことにより瞬時の判断を可能にしている・・・・この判断の下になるのが、潜在意識でもあり、自動脳の機能でもあり、バイアスでもあり、ステレオタイプを生むものでもあり、マインドセットでもある・・・・

つまり、曖昧な認識に基づく曖昧な意識が、不安と恐怖感を生み出し、その恐怖感の強さが一番影響力のある判断基準になっている・・・・残念ながら、理性よりも恐怖感のほうが強いが為に、恐怖感が理性を打ち負かしてしまう構造になっている・・・しかし、学びと努力により、また、それを可能にする忍耐力と胆力により、曖昧な認識も曖昧な意識も精緻化される、それに伴い、理性が力を増していくのである・・・・つまり、人間に近づいていく・・・・・

もっと細かく言うと、恐怖感に囚われていると、大脳辺縁系からの指示を前頭葉が追認するだけであるが、この間には0.5秒ほどの時間があり、強い意思があれば、理性で抑えることが出来るのである・・・・、有名な実験では自由意志ですら、脳にコントロールされていることが証明されている・・・・自由という概念ですら、それまでの経験による学習で規定されている・・・

Kozyが述べている三つの人生論の述べていることは、25歳までの世間を知るのにはあまりにも不十分なそれまでの経験により、構築された認識と意識に、25歳以降も縛られている・・・これでは、裸の王様と同じである・・・また、25歳以降は不十分で不適切な認識と意識という鎖に繋がれた奴隷といいえるのである・・・常に冷静にカッと来ることなく、常に三つの目の第三の目を十分活用して、第一の目も第二の目も変化に対応させて充実させていく習慣が身について、第三の人生が楽しめるのである・・・
(詳細は、新しいドア(DOA)を開けようの第二段を参照ください)

マインドセットの研究においては、Fixed Mind SetからGrowth Mind Setへの移行を説いているが、一番大事なのが、人間は努力と学習によって幾らでも進化できるということへの理解と確信であり、この為には、脳科学の上述した最近の事実としての知見の習得である・・・

以上より、[人間の成長には限界はない]・・・・・このMind Setが成長の源泉であるが故に、標語または、成長へのルールとして認識すると伴に、本当に成長をした人、または、成長の為の良い戦略の策定したことを褒めよう・・・・心理学で“Self-esteem”つまり、自尊感情を高める為に、褒めて育てる事が全面的に良いとする意見があったが、これは、他人に褒められることを求める・・・

つまり、自分が如何に成長したかは自分が一番知ることであり、他人の評価ばかりを気にするFixed Mind Setを醸成する・・・しかし、これでは、失敗のときのレジリエンスは、自分の努力が足りなかったとの捉え方が出来なくなる、つまり、立ち直れなくなるが故に、[安易に褒めるな]というのも実は必要なのである・・・

しかし、批判に関しては、既にGrowth Mind Setが出来ている人には、事実を知らしめることが、その事実より再学習をすることに繋がるが故に有効であるが、Fixed Mind Setの永続的成長を可能に出来ない人には、立ち直れなくなる可能性があるので、慎む必要がある・・・・残念ながら、これらの人が9割ぐらいの多数派なのである・・・

上述した、成長の為の良い戦略は非常に大事なことである、孔子の言うように“何かを成し遂げるには人生は短すぎる”ので、努力と学習を如何に的をえたものにするか、また、如何に効率的にするかにより成長スピードが異なる、また、人間は弱いゆえに速く成果を実感したいのである・・・・・だから、[Beautiful Strategy !!!]も標語に入れたい・・・・

社内会議とか社内談義において、前向きな気持ちに持っていくことが必要なのである、なんとなれば、人間はネガティブな感情により縛られやすいからである、しかし、ネガティブ思考はリスク分析には有効であるが故に、[ネガティブ感情/ムードの後はポジティブ感情/ムードへ]・・・・という標語も大事無いなる・・・・・

また、机上の論理は常にバイアスが入っているが故に、Fact Figure-upは非常に大事なことである、つまり、[三現主義]はたとえ事務の仕事であっても標語しては良いものだと思う・・・・・

曖昧性の適正化をすること事態が成長でもあるが故に、[その判断基準は!!!・・・本当に正しいか!!!]を常に自問自答する必要があるので標語としても入れておきたい・・・・

結果として成長に伴いより多くのものが見えてくる・・・これは成長に伴う成果であり、より正しく見えるが故に業績に貢献するのである・・・・[より多く正しく見えてきてるか!!!]を常に自問自答して欲しいので標語にも入れたい・・・

Fixed Mind Setの人の特徴は、自分は知性があり才能があると思われたいが故に、失敗により、馬鹿に思われるのが恐怖となり、失敗の責任を他人のせいにする・・・それ故に、[実学の蓄積こそ、成長なり]を標語として入れたい、また、実学とは、今までの知性や才能への過信を棄却して、現実に基づき再学習することにより得られるものである・・・・この推進の為に、[白紙の心で学び取ろう]も入れておきたい・・・・

技術革新があるが故に時代の価値観も変化していく・・・だから、[普遍なものはない]そして、[先ず、取り組んでみよう]更に、技術革新が変化のスタートであることから、[技術的洞察力を磨こう]、また、変化は意識していないと見えないが故に、常に[何が如何変わりつつあるのか!!!]を常に感じ取る努力が必要である・・・Kozyは、その指標として、流行歌やアイドルの特徴の変化にはいつも気を配っている・・・・

脳科学の知見の中に、新しい音楽を聞くようにしていると、脳がそれを理解して記憶しようとする為に、脳が発達するというのがあり、良好化を聞くことは一石二鳥でもあるのです・・・

最後に、[一生勉強!!!]・・・脳は使うほど良くなる、また、刺激が多いほど成長できる、だから、逆境は人を育て、また、責任が人を育てる・・・・

そして、[Let's Strive for Thrive]・・・・・!!!!!

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April 08, 2008

新シリーズ:新しいドア(DOA)を開けよう(第7弾)・・・仕事の本質とPositive Organizationの骨子・・・

今回は、“仕事とは、仕事の本質とは”という観点で捉えなおしてみたい、まず、ドラッカーの言葉を借りると・・・組織のマネジメントを、「成果目標による管理=Management by Objects」と言う。つまり、未来を想定し、それを尺度として、現在までの達成を計る。これがマネジメントという。つまり仕事です。・・・・

この仕事とはもっと掘り下げて言うと、普通の人間には、見たくないものは見えない構造的な問題があるのである・・・・・・・つまり、仕事の基本的な能力は、全て、または、より多くの現実を直視することにより、目標とする未来のイメージ、そして、未来への道筋がより正しく見る能力があって初めて仕事がこなせるのである・・・・・

実は、これが人間の成長度合いに大きく依存するのである・・・つまり、失敗が減る、また、失敗が起きてもリカバリーショットが打てることに繋がる・・・

そして、関係する人達の仕事、また、反応のメカニズムをより正しく理解する、そして、恐怖感が、見たくないものを作り出すが故に、恐怖感に打ち勝てる人のみが仕事をまっとうできる側面を持っている・・・この為には仕事の遂行時に直面する文脈は何なのか、また、関係者がその文脈を受けて如何動くのかを理解していることが必要になる・・・

この理解の為には、同じ人間である自分自身が仕事を深く理解して、仕事に没頭することにより仕事で直面する文脈に自分自身が如何反応してしまうのかを先ずは見極めることが必要になり、また、それは何故かを掘り下げる、そして、自分以外の誰であれば如何反応するかを現実を直視しながら種々の反応の原因と起きる条件を学んでいくこと・・・これが仕事の本質である・・・・

この基本能力を、敢えて、文脈的業績達成能力と呼びたい。また、これに対比する能力としては職務遂行上に必要な課題の処理の方法に熟知するという意味で、課題的業績達成能力と呼びたい、米国では、この研究は採用の判断基準の作成の側面でされてきている、日本ではごく少数の研究がなされている・・・・・・

しかし、米国の研究結果を見ていると、文脈的業績達成能力は、人間の成長度合いと符合しており、この能力が高い人は高い業績を上げている・・・また、課題的業績達成能力は、仕事の遂行に必要な専門知識やスキルを意味している・・・

だからこそ、現実にあるものが、見えるようにする方法として、種々の見える化の方策が重要になる・・・つまり、仕事の本質を極めることは人間の構造的な問題とその仕事と仕事を取り巻く文脈のメカニズムを極める、そして、特に文脈への反応のメカニズムを見極めることなのである・・・・・・・

この点では、ポジティブ心理学の本質は、仕事の本質と全く同じことなのである・・・・それゆえ、従業員の育成と業績の向上にはポジティブ・オーガニゼーションが必要であると捉えている・・・・・

Kozyは人材育成=人を成長させる方策としては、大きく二分すると、①文脈的業績達成能力の向上策、そして、②課題的業績達成能力の向上策になると捉えている・・・しかし、この二つの間にも相互作用は存在しており、概念的に言うと、①知的思考能力の強化の為の知識の習得、②OJTのより有効化の為に知識の習得、③実践・経験(=OJT)による学習システム(有効な実践と経験の中長期計画の作成)の構築、・・・この三つの視点で、その都度、目的は文脈的業績達成能力なのか、それとも、課題的業績達成能力なのか、それとも、一石二鳥の両方なのかを正しく意識して取り組むことが大事である・・・・・

Positive Organizationを構築することは、これらの三つの人材育成=人を成長させる方策をより有効に気のさせる為のインフラのようなものである。つまり、不必要なネガティブ感情および恐怖感を起動させる文脈の管理と統制、そして、一番大事なのが、人間の成長のメカニズムを体得・理解させるシステムが必要になる・・・・

しかし、忘れていけないのは同じ文脈であっての個人個人の成長のレベルにより認識の仕方が異なり、また、恐怖感や無力感のレベルが異なるが故に、最低でも、三層に分けて対応を考えていく必要がある・・・・つまり、一つの方策が万人に有効ではない・・・・各層の人間により、支援すべき自己成長への課題は異なるのである・・・・

特に米国と比較して、日本においては、産業界と教育界の交流が希薄であり、また、残念ながら、種々の実験調査を行なう場合、悉皆調査、つまり、対象母集団の全ての人への調査はまれであり、三層の中のどの人達が割合として一番多く実験に協力したかにより、全く異なる結果がでてくるのであり、それが故に、納得感のもてる調査はまれであり、結果に納得感がもてない・・・むしろ、ミスリードをすることが多い・・・・

また、三層に分類するとしても、その分類に全くバイアスの入らない分類が必要であり、科学的な妥当性を持った認識と反応による分類は、日本では見たことがない・・・・

また、全てが相互作用の中で成り立っているが故に、統制をかけて実験を行なってきた多くの心理学の知見では、科学的妥当性は担保できない・・・心理学の中では、妥当性を確保できるのは、集団と個人の動的な相互作用を扱ってきている“グループ・ダイナミックス”ぐらいであろう・・・

産業界での経験則は、むしろ有効なものが、論理的には多いといえるのである・・・・つまり、日本の企業村社会と日本文化のミームという文脈の中では、組織人=サラリーマンの“さん、よん、さん”または、昨今は“に、ろく、に”とか云われる経験則が、グループ・ダイナミックスの知見と見事に一致しているのである・・・

つまり、グループ・ダイナミックスの知見と産業界の経験則が合致するものは、一番科学的な妥当性が担保できるとKozyは捉えている・・・もう一つは複雑性の科学の知見である・・・つまり、生態学的な知見であり、今の統計解析技術とコンピューターの処理能力における技術革新が、これらのアプローチを可能にしている・・・・

また、先日、Business Weekを見ていると、“There is Gold in reality-Mining”とのタイトルの記事があったが、QA/QCの基本のように、先ずは、現実としての悪さ加減の認識が、王道であり、まさに、現実の採鉱の先に金鉱が見つかる・・・Kozyの研究結果が示すように、産業界で云われている、何も云われなくても主体的行動する上の三は、一割にも満たない・・・これが大きな日本企業の現実だという危機感を持って欲しい・・・・

Kozyの研究は探索的に取り組み、演繹法でも帰納法でも、質問項目とその内容が十分であった為に、バイアスが一切入らない三層分類の方法が確立された・・・そして、各層における認知および反応のパターンの違い、ある意味では面白いほど、描き出すことが出来た、また、その結果は、見事にグループ・ダイナミックスのビオンの言う通りの理論に符合し、また、先ほど述べた、文脈的業績達成能力、そして、産業界の経験則である“さん、よん、さん”の特性とも一致している・・・・

三層分類が出来ると、更に、どの質問で反応が分かれてくるかが理解できる為、何が如何影響を与えているかが類推できるようになるのである・・・・

改革に取り組みたい企業は、この分析から自社の問題点を洗い直すことが、最初である・・・各社の企業文化は9割以上が創業者または偉大な実績をあげた社長等の成功哲学が9割以上を占めている、また、これらの成功の哲学は当時の顧客の標榜する価値観と強い相関関係にもある、つまり、業界の文化という文脈にも大きな相関関係もある・・・・・・・

それ故、自社の問題は独自の問題であり、それに見合った方策が必要になる・・・・以下に示すのは一般論として云いえることだけを述べており、実際は、自社独自の改定が必要である・・・・・

組織人が三層に分かれる理論的背景として、次のように考えられる・・・・

心理学の視点で言うと、グループ・ダイナミックスでは、ビオンは、大きく二分類しており、作業グループと基底想定グループに分けており、作用グループは、現実を整理して、科学的アプローチを行い問題解決に取り組む人達、そして、彼らは、変化を起こすことは時間がかかることを論理的に理解しているが故に、時間をかけて取り組む忍耐力を持っている・・・・

一方、基底想定グループは、現実を直視できなく、現実からかけ離れた放送に縛られており、時間をかけて取り組む忍耐力が無い、そして、更に問題なのは、変化が起きる事により自分自身が変化しなくてはいけないことを認識しているが故に、変化そのもを拒絶している・・・・

基底想定グループには、更に三つのグループがあり、全くの学習無力感に囚われている三無主義的なグループ、現実逃避または攻撃をするグループ、そして、つがいグループと呼ばれる、一人では決断できないが故に誰かをつがい先としてついていくグループ、このグループの目的は、一時の快楽主義に囚われていることなのである・・・・

以上の三つのグループになるが、流石に、管理職クラスの年齢になると、このつがいグループは、企業では存在しない・・・若手の社員にはこのグループの存在が見られると確信する、それ故、若手に対する調査は、つがいグループの特性を織り込んだ質問紙作成と、計四層として、四分類の必要がある・・・・・

また、心理学の中で、マインド・セットという意思と認識の組み合わせのセットのことであるが、この分野も研究が進んできており、Fixed Mind Set、つまり、自分の能力は生得的である、または、これ以上変わらないという意識と認識をする人は、三無主義に陥るか、または、自分が傷つくことを恐れて、たとえ成功を望んでも、自分が傷つくことになりそうなことへは逃避をしてしまう、または、頭が良い=種々の(机上の)知識を鼓舞して自分のプライドを保とうとして、種々の抗議をする・・・正に、真ん中の四と下の三の特性そのもでもある・・・・・

一方、マインド・セットには、もう一タイプあり、Growth Mind Set、つまり、自分は成長できると捉え成長することに喜びを感じる人達であり、失敗も成長の一里塚として失敗から学び、成功からも学ぶ人達であり、正に上の三に当てはまる・・・

脳科学の視点で捉えると、曖昧な情報インプット、曖昧な情報整理、そこからくる曖昧な脳内の概念整理、脳内概念とその言語化された言葉が精緻化されていない、しかし、人間は言葉を通じてしか思考できない、これらの中での瞬時の判断が必要になりそれを可能にする脳内装置・・・・本当に正しい判断が、未熟で狭い経験を通じて出来るわけがない故に、人は現実と異なる妄想に縛られる構造を持っている・・・・・・・

他の生物には、これらの曖昧性がないが故に悩まないが、人間は、自分の中の言葉に出来ない概念が不安を呼び起こし、間違った言語と概念の違いがより恐怖感を呼び起こす・・・精緻化を目指すには机上の理論では、脳内の精緻化は出来ない・・・経験という全ての五感からのインプット殻生起される概念とそれに合った言語化が、経験を通じて成されることにより、精緻化は可能になってくる・・・・また、これらの精緻化は他人との交流によりも成される・・・このときに必要なのが知的思考であり、物事の判断基準まで掘り下げての検証作業なのである・・・・・

25歳までは、短期の報酬に負けるが、苦い経験を通じて25歳ぐらいで中長期の展望を織り込んで判断する回路が、最後のメイン回路として構築され、これが脳内で構築されるメイン回路としては最後のものになる・・・後は精緻化の作業なのである・・・・・・・・

恋に落ちるワクワク感も、チャレンジするワクワク感も、人間独自の復習の達成のワクワク感も、全て、不適切な恐怖感からの開放、または、恐怖の対象から遠ざかるワクワク感、これ即ち成長願望を意味する・・・つまり、この楽しみを覚えて人は成長のサイクルに入っていく・・・・・この精緻化を可能にするのが、現実から再学習できる論理的思考能力なのである・・・・

つまり、恐怖の多くは自分が作り出している、本当に必要なのは実学であり、実学とは、現実の問題を直視して(恐怖感を取り除いて)存在する現実がそれまでの自分の机上の知識とそれまでの経験では解決できない場合は、それまで学んできたことを棄却して、現実の事実に基づいて再学習を、知的思考能力を屈指して、行い習得したものが実学なのである・・・

つまり、成長のサイクルとは、学び、必要に応じて学んだものを棄却して、再学習をする・・・Learn-Unlearn-Relearnの繰り返しなのである・・・この喜びを体得した人は成長を続け、途中で挫折した人は、三無主義に陥る、または、机上の知識に縛られて机上論ばかりを言うのである・・・正に、“さん、よん、さん”の人の特性となり現れてくる・・・・・

一旦、成長のサイクルに乗った人は、人にとっては苦悩と見えることでもそれが現実であれば、その現実から再学習を繰り返し、その成長が齎すワクワク感を楽しむことが出来るのである・・・復習は、復讐を遂げることにより、自分を拘束していたものからの開放の側面があるが故に、満足感を覚える・・・念の為であるが、真の知的思考力を身に付けて正しい中長期の展望能力を身に付けると、復習は連鎖を呼び復讐心に囚われることは虚しいことであることを知るのである・・・・・・

以上より、ポジティブ・オーガニゼーションを構築する場合には、不必要な恐怖感を起動させない、不必要で不適切な恐怖感の間違いを見える化する、気付きのシステムを構築する、恐怖感を起動する文脈の管理が織り込まれるべきなのである・・・そして、萎えた心への充電を齎すものを生み出すシステムが必要になる・・・仲間への支援の推奨、褒めることの推奨、ユーモアの精神の推奨、“One for all, all for one”のチーム・プレイの推奨、必要に応じた報奨システム等等である・・・・

Growth Mind Setの人達には、悪いところのポイント・アウトとしての叱りは成長の促進になるが、多数派のFixed Mind Setの人達には、所謂叱りは逆効果を生む、叱る時は、当人が、間違いを一番直視できる状況で行なうのが良い、しかし、叱る内容を自分が実践できていない場合は、俺も駄目だけでお互いに注意していこうと言うのが良い・・・・

また、叱る場合は、本当に相手の為になるという確信とその判断基準の提示が必要になる・・・これらのあるべき判断基準の共有化がチーム内で広がることが、新しい文化の構築繋がるのである・・・もっと掘り下げると、これらの判断基準の優先順位まで共有化することが大事なのである、また、ケースにより判断基準の優先順位が異なる場合は、これのケースの共有化も必要になる・・・

また、何事も、それに関して一番良く知っている人およびその実学が活かされることの共有化も必要であり、例えば、人事評価は、論理的には人事には不可能であり、現場に任せるべきである・・・そして、この場合の問題点を最小にするシステムを構築することが必要になる・・・360度評価等・・・・

今回はここまで・・・・

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April 05, 2008

新シリーズ:新しいドア(DOA)を開けよう(第六弾)・・・人を育てる経営の留意事項・・・

新シリーズ:新しいドア(DOA)を開けよう(第六弾)・・・人を育てる経営とは・・・を本シリーズの第一弾ではその詳細に触れておらず、後でも触れることになっていたが、何処まで長くなるかは判らないが、あまりにも長くなる場合は、数回に分けて説明したい・・・・・

第一弾では次のように述べている・・・・

Aspiration(達成しようとする熱意と実行力)の能力をあげる時代となるが、この為には従業員の成長を促すしかないのである・・・・・この為には:

①チクセントミハイルが推奨した、Psychological Capitalsの促進(PCP)が必要であり、
②個人の主体性を上げてチームワークのアウトプットを上げるには、グループ・ダイナミックスの知見であるWorking Groupに属する人間を増やすことが必要となる、
③企業内の健全なるコミュニティーの育成と維持には、コミュニティー心理学の知見である、文脈への介入と管理が必要になる、そして、
④Positive Organizationの構築が必要になる・・・・

先ずは、詳細に入る前に、留意事項を述べておきたい・・・

①サイコロジカル・キャピタルとは、如何にすれば、Positive Society consists of many and various positive collective(=共同体/集団)・・・つまり、ポジティブな社会を作ることが究極の目的であるが、ポジティブ・シンキングは、一時的には出来たとしても、PMA=Positive Mind Attitudeという常にポジティブ・シンキングが出来るわけではない・・・この習慣化は非常に難しいことであり、人間の持つ生得的能力である知的思考力の増強が必要である・・・・・

社会的に、または、種々の集団内でこの能力を促進する施策が必要である・・・そして、より多くのポジティブ・マインドを維持している集団が必要になる・・・・これらの類の社会的な資産の構築が必要になる・・・しかし、全員に心理学を大学・大学院で学んでもらうわけにもいかない・・・・Kozyは社会的気財と呼んでいるが、新しい規範の構築も必要となる・・・・

②現在は、欧米の経営も人の成長とチームワークの重要性を理解してきているが、日本の文化のミーム(文化の遺伝子)には、経営は人つくりという文化もあり、職場は成長の場であると云うのもあり、集団に過剰依存する部分もあり、チームワークの文化を持っている・・・・個人を大事にする個人主義の文化が希薄な日本人は、集団の愚かさに支配されやすい構造を持っている互恵を期待する甘えの構造もある・・・・だからこそ、より自己成長を促す必要がある・・・・

念の為であるが、土井先生の“甘えの構造”の持つ含意は、文明化の中で互恵主義を維持している日本の文化は、陰陽の“陽”の視点で捉えると、生態学的にはあるべき姿の文化である、しかし、成長した人間が前提であり、人間は構造的にはどうしても低きに流れやすい・・・つまり、Psychological Capitalsが十分構築されたときには、この“陽”の部分が活かされる・・・この意味では、あるべき方向への揺り戻しの責任を日本人は担っているのであると、Kozyは捉えている・・・

③日本人の文化は、確かに受信者責任文化の側面があるが故に、謙虚に成りすぎてネガティブな感情を欧米以上に起動しやすい構造があり、より多くの社会的な気財の促進策と蓄積が必要になるのである・・

④ポジティブ・オーガニゼーションは、ポジティブ感情の起動という意味でも、また、気の充電という意味でも表面的には楽しい職場を志向するが、楽しい職場の構築は目的ではなく、仕事は苦しいが故に、心のエネルギーの充電の為に“楽しさ”を方策として志向するものである・・・・

⑤受信者責任文化の下にある日本人は欧米人以上に文脈に囚われやすい、また、この種の改革には文脈主義の世界観で捉えるのが正しいが、常に多くの文脈の下にあるが故に、単純な因果を求められない、むしろ、求めてはいけない、明確な因果を求めるのは人間の弱さであり、人間の持つ傲慢さでもある・・・全てが、相互作用の中にあり、文脈の受け取り方も個人により大きく異なるのである・・・・また、常に変化するものであり、普遍なものはないとの考えに基づく・・・・

⑥文脈主義で捉えるが故に、その都度のより善い方策の選定と定期的なモニタリングシステムでの永続的なチェックと永続的な改良が必要であり、この継続的な努力がThe Bestなのである・・・・

⑦少ししつこくなるが、日本という国は、世界で奇跡的に、農耕民族からくる互恵主義の文化の遺伝子(ミーム)が温存されている。それ故、正に受信者責任文化が醸成された。この事は、日本人は世界で一番文脈に囚われ易い、また、影響を受けやすい“村社会”の規範が残存している。“村八分”という言葉が未だに残っている、これは、明治以後、村が企業に置き換えられたという側面を持っている・・・それ故に“企業内村八分”の怖さを熟知している、または、産業革命後の大企業の出現を受けても、社員と村民の変化を理解できなかった、むしろ、深く理解したのかもしれない・・・・・

⑧“企業内村八分”という恐怖感が強いが故に、その誘因になりかねない文脈には非常に強く反応してしまう。それが故に、外発的あろうと内発的であろうと、個人の動機などは、この恐怖感を一旦感じ取ると、吹き飛んでしまう・・・十分に成長するまでは人間は文脈に支配されるのである・・・内発的な動機付け理論に期待をするのは、的外れでしかない・・・・・むしろ、個人の言い訳に使われているとしか捉えられない・・・職場での人間成長に関しては、内発的動機付け理論は、キリスト教と個人主義の社会的文脈が早期の自立を促す、欧米置いて通じる理論でしかないのである・・・・

⑨職場においての人間成長として日本人に必要なのは、不必要な恐怖感を起動する文脈への介入、よく練られた苦悩(含む孤独)体験、カルチャーショック、よく練られた困難を乗り切る成功体験、そして、後述するが、ポジティブ心理学の根幹ともいえるレジリエンス能力を上げる、現実を正しく認識して現実に基づき再学習(Relearn)を可能にする知的思考能力の向上なのである・・・参考まで、“気付き”は大事なことであるが、これは知的思考能力の向上が齎すとともに、正しい現実への“気付き”が、更なる深い理解を生む知的思考能力を向上させる関係にある・・・・

以上を頭に入れて、次はPositive Organizationの基本理論になるポジティブ心理学について要点を説明したい・・・ポジティブ心理学は、しばしば、“the science of Optimal Human Functioning”つまり、人間の最適化された機能の科学と呼ばれる、しかし、人間の成功学は、種々の相互作用の中での断片的結果でしかないので、人間の弱さや失敗学を学ぶことにより、如何いうときに人間はどうなるのかという人間の構造的なメカニズムを研究している心理学である・・・・

また、ポジティブな主観的経験、つまり、幸福感やWell-being等、そして、人間のポジティブな性格、つまり、各個人の固有の強さや徳等・・・また、個人だけでなくグループや組織の構造、また、ファミリーや文化にもポジティブな感情とか強さを奮い立たせてくれる構造等を中心に研究する学問でもある・・・

また、人間の進化として習得しているとも言いえるネガティブ思考は、知的思考における大事な要素である、陰陽の両面を常に見るという点では、重要な能力であり、Positive Organizationの構築と維持には非常に大事な能力とも捉えている・・・むしろ、問題は、ポジティブとネガティブの思考の比率、または、ムードの割合であると捉えている・・・・ネガティブを一とするとポジティブは最低でも三以上に保つことが重要になる・・・・

人間はネガティブ感情に囚われ易いので最低でも三倍以上のポジティブ感情のエネルギーを維持する必要がある・・・・念の為、ポジティブ感情やムードが、二倍以下になるとネガティブな感情やムードに縛られてしまう・・・・

人生においても仕事においても常に勝ち続けることは、人間であるが故に、不可能であり、特にビジネスにおいて勝者の席は限られているが故に、むしろ負けるほうが多いであろう・・・それが故に、ポジティブ感情は、組織の持つレジリエンス(速やかな復旧能力)に一番依存するのである・・・・尚、自信という感情は脆いものであり、自信を維持するのもレジリエンスの力なのである・・・・

組織のレジリエンスは、折に触れて、本シリーズで述べていくが、本Blogで何度も述べている、三つの人生の中でも位置づけと三つの目の熟成が齎すものであり、第三の目が、正に、知的思考能力の源泉となり、知的思考能力がついてくると、第三の目が熟成していく・・・この為には現実を直視する第一の目と第二の目の修練が必要にもなる・・・・・・

つまり、本Blogで何度も述べている人生におけるあり地獄に陥らない、また、失敗を減らすようにする科学であるとも言い得るのである・・・・

もう一つとして、脳科学の最新の知見をあわせて鑑みるに、曖昧性の獲得により進化してきた人間の脳は、曖昧に情報が整理されているが、それを曖昧に分類したカテゴリに

より、生物として瞬時の判断を可能にするメカニズムを習得している、このメカニズムが潜在意識でもあり、自分自身の中にあるMind Setでもあると言えるのであろ。確かに、この瞬時の判断機能は、弥生時代までの一つの集落は200人前後より少ない完結した社会においては十分機能したとも捉えれるが、文明化され技術革新の荒波に揉まれ始めた産業革命を契機に精神疾患を起こす人が急激に増えてきた・・・・

脳内の瞬時に判断する機能は、ネガティブ感情がポジティブ感情を負かしてしまう様に、最大の判断基準は曖昧な恐怖感の曖昧な強さであり、報酬系の力は、生きることを一番に考える生命の基本本能より、弱いものなのであり、恐怖感がネガティブ感情を起動している。そして、25歳ぐらいまではリスクに関する短期展望の回路しか出来ていないが、25歳頃からそれまでの経験に基づくリスクの中長期の展望をする回路が瞬時の判断機能に結び付けられる・・・・

そして、20世紀の末から始まった、ICTの飛躍的な技術革新とグローバルな市場主義社会になり、善い側面としては人類史上、個人が一番影響力を発揮できるようになったが、同時に、多様な価値感の衝突と価値感の変化のスピードも人類史上、最高レベルに達している・・・

関係性、つまり、直接的な相互作用と間接的な相互作用を持つ対象は飛躍的に拡大してきており、今や、弥生時代以後の文明化の中では、変化が少ないが故に、瞬時の判断機能(これをKozyは自動脳と呼んでいる)はそれなりに機能したと思われるが、それ以後の産業革命の時代までもそれなりに、現実社会での、自動脳の修正を可能にしてきた・・・・・・

しかし、産業革命以後は、交通手段の技術革新、通信技術の技術革新、種々の電気製品の技術革新等が仕事や生活のパターンの変更を齎す、そしてこの変更が新しい価値観を生み出す・・・残念ながら、価値感の変更への適用はストレッサーであり、強いストレスを生む、そして、この価値感の変更のスピードは21世紀は人類史上最速なのである、また、21世紀の日本などの先進国では、精神的にも肉体的にも、若いときには、逆境、挫折、苦悩、競争等の経験する機会が減っている・・・つまり、人類史上、一番脆弱性をもつ人間達を育てている・・・・・

また、技術革新により、逆に非常にそれまであまり影響を受けなかった相互作用を受けるようになり、より複雑化した社会への言語化前の概念的理解を困難にしているばかりか、更に、言語でしか思考できない人間の脳が曖昧性に支配されている構造下では、概念の正しい言語化自体が困難をきたしている。これでは、概念の共有化自体が困難を極める時代に入っていると認識せざるを得ない、また、前述した自動脳も現実社会では混乱をきたしてきている・・・つまり、ストレスが飛躍的に増えてきている時代なのである・・・

つまり、今や、経営の根幹として人の育成に取り組まなければ社員の圧倒的多数派が統合失調症になる時代なのである・・・統合失調症とは、(人間の脆弱性)X (ストレス頻度)の総和が齎すものなのである・・・・この認識も非常に大事なのである・・・

この変化への対応としても、企業における人を成長させる経営の必要性は、人間社会というコミュニティーの存続の為には、正に一番大事な社会的な責任を担っている時代にもなってきているという理解が必要になる・・・また、企業にとっても社員の成長は、特に、Positivityは創造性にも寄与して、チームワークにも寄与して業績に大きな貢献をするのである・・・・また、メンタル・ヘルスにも大きく寄与するのである・・・だから、ポジティブ組織の構築が、今一番求められるのである・・・・

正に、日本のお家芸でもある(もしくはあった)QA/QC活動と同じことがPositive Organizationの成否と決めると同時に終わりのないQA/QC活動の時代になるのである・・・・

先日、日経BPの記事で、積水化学の社長が人事部を解体したという記事を読んだが、今や、減点主義の管理部門文化の下で育った人事の人達には任せてられない。経営の根幹であるが故に、社長が直々に取り組んだ結果が人事部の解体であり、個人的には分割された人事機能を見ていると、あまり感銘を受けるところはないが、社長が直々に取り組んでいる経営姿勢に感銘を受けた・・・

今回は、ここまでとしたい・・・

追伸:
念の為ですが、村八分とは、規約違反などにより村の秩序を乱した者やその家族に対して、村民全部が申し合わせて絶交するもの。八分とは、全ての協力する関係を十分として、葬式には出てあげる、また、火災は、燃え移ると困るので、消火活動は手伝います、それ以外は絶交するということです。つまり、最低限のことは(2割は)協力するが、残りは協力しないことにより、支え合って生きることの重要性を悟らせ反省を求めるものである・・・・本来は、今の法律に替わる善い側面もあるが、現代では、恐怖感の側面である“仲間はずれにする”こととして使われる・・・

また、ここで述べる職場での文脈とは、評価システムや、組織構造、共有された価値観等々の企業の文化、そして、職場のリーダーシップが作り出すものに集約できるが、これらの文脈も、関係する異なる機能を持つ職場の文脈、業界の文化、社会の文化との相互作用により変化をしていく、また、変化していく必要がある・・・しかし、実際に一番大きな影響力を持つのは、“現在の”企業の最高権力者である社長の言動なのである・・・・それが故に、昔から、兜町では“社長を見ろ”という言葉があり、社長を見れば企業の将来が見えてくるという経験則が今でも存在している・・・・

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March 30, 2008

新シリーズ:新しいドア(DOA)を開けよう(第5弾)・・・自分に言い聞かせる言葉(言霊の利用)・・・毎日が卒業日等・・・

新シリーズ:新しいドア(DOA)を開けようの第五弾として、自分に言い聞かせる言葉(言霊の力の利用)・・・・・・として、今まで折に触れて発信してきた言葉で、特に言い聞かせて欲しい言葉を厳選して、説明を添えて、まとめて見たい・・・・・・DOAの意味は、今までの連載で、常に述べているので、流石に省略させてください・・・・

今から述べる短い言葉は、その言葉の意味深く説明をさせて頂くので、この含意をよく理解して、自分に言い聞かせてください・・・・・・・

今振り返っても、自分自身に反復して言い聞かせることいにより、通常はよく言霊という表現をしていますが、脳科学的には反復による間違った認識の書き換え、ある時には自動的に回路の切り替え効果、そして、自分が折れてしまいそうな時に、大きな気付きを勇気を与える効果がある・・・・

この種の言葉が、効果がでるのは、含意をよく理解して、本当に自分自身が納得することが大事ですが、更に大事なのは、自分自身の言葉に置き換えて、肝に銘じることなのです・・・Kozyの言葉を、可能な限り、自分の言葉に置き換える努力をしてください・・・・脳科学的には、このことが、脳内の関係する部分に行渡るとともに記憶しやすくなるのです・・・・大事なポイントです・・・・

本Blogでは、あるべき正しい生きる姿勢の確立を説いていますが、これらの言葉は、生きる姿勢の確立の維持と一歩後退した後の二歩前進の踏み出しに役立つ言葉になります・・・・・

現実は神の啓示

これは人間の成長のメカニズムから言うと、限られ、そして、守られ生きてきた25歳までの未熟な経験に基づき、人それぞれが自分の中に自分の価値観・信条等を築いている・・・25歳とは既に社会人になっている人達になりますが、同世代ですらすら既に偏った見かたしか出来ない、そして、上および下の世代の人にも、自然ではありますが、偏った見かたしか出来ない・・・・

そして、社会のある集団の一員になり、異なる集団とも繋がりを持つようになる・・・集団内にしても集団同士にしても、すべて、ダイナミックな相互作用の中で成り立っている・・・・これらが現実であり、そこから生まれる相互作用の結果が現実なのです・・・また、この現実の中で生きていくことしか出来ないのが現実でもあるのです・・・

だから、いかなる現実も神の啓示として受け入れて自分の中で再整理をすることが、間違った妄想に囚われずに、一番効率よく成長しながら生きていける方法なのです・・・・・この再学習で習得したのが実学なのであり、如何に多くの実学を習得することが出来るのかが成長なのです・・・

毎日が卒業日

孔子の言葉で“人生は何かを成し遂げるには短すぎる、しかし、何もせずに生きるには長すぎる”・・・徳川家康は、“人生は長き道(まは、坂道の両説がある)を重き荷物を背負いて歩くが如し”とも言っています・・・釈迦は“一切皆苦”と説いている・・・これらの偉人達は、この様な悟りに至っている・・・・若い人には受け入れたくない現実だと想いますが、Kozyは、小中学校の時から、同じ観念を持っていたのですが、そう思うと、色々のもが急に見てきた・・・・・

また、ある賢人が“老人は過去に生き、青年は未来に生きる”といっており、この言葉も辛い思いをした過去を言い訳の材料にしようとしていた自分に強烈な気付きを与えてくれました・・・そして、“Stay young at heart”を自分に言い聞かせるようになりました・・・・

また、釈迦は因縁生起を説き、それ故に、“諸行無常”と“諸法無我 ”・・・つまり、一切の形成されたものは無常であり、縁起による存在としてのみあるが故に、常なるものはなく、そして、人間はその中で相互作用による存在でしかないので自分がある、自分は、と言うような我はないのである・・・・・

“因縁生起”とは、「因」は直接原因、「縁」は間接原因のことであり、世界の一切は直接にも間接にも何らかのかたちでそれぞれ関わり合って消滅変化しているという考え方を示しており、言わば、最新の心理学でもある生態心理学(アフォーダンス心理学)などは、欧米人がやっとこのことに気づいて、また、脳科学の発展が寄与して、“諸法無我 ”に取り組み始めたといいえるのです・・・・

実は、この“毎日が卒業日”という言葉は春休み特集番組などで、卒業関係の歌が多く特集されていて、その歌詞を幾つも聞いていると、悪い側面では“老人は過去に生きる”も感じますが、これからの未来という意味で“青年は未来に生きる”側面があり、また、多くの歌詞が、正に、“因縁生起”の信条を謳っているので、ふと自分を振り返ったときに、流石に毎日が卒業日として捉えてきたとはいえませんが、上で述べた言葉を全て包含して、言い聞かせる言葉として、これは善いと感じた次第です・・・

そして、毎日が卒業日だと捉えて、周りの人に感謝をして、“因縁生起”に留意して、明日の為に、今日を精一杯大事に生きる、そして、新たな気持ちで明日に向かっている・・・・・毎日が日曜日は最悪の人生になりますが、“毎日が卒業日”を言い聞かせて生きていくことは、何かに取り組むときにも、人生を長く感じることが出来るはずです・・・・

What is changing または、毎日に変化の予兆

英語の好きな人は、英語で、日本語が好きな人は日本語で言い聞かせてください・・・これは、上述の“諸行無常”のことでもありますが、普遍なことはないという意味でもあり、周り・社会だけでなく、自分も知らず知らずの内に、変化を余儀なくされている、また、変化している・・・・この当たり前のことを忘れないでほしいということです・・・

もっと掘り下げると、変化し続ける社会に対応するには、自分が変化し続けることが当然のことであるということを理解して欲しい、変化への対応を怠れば、より辛い苦が待っているだけなのです・・・

また、常に何が変化しつつあるのかの意識を持ち続けると、変化へのセンシング能力が向上してきます、また、これは、“現実は神の啓示”という姿勢が出来ていないと、不都合な現実の変化を見ることは人間には出来ないのです・・・・・・・・

変化へのセンシング能力が向上が成されてくると、先見性と洞察力が向上していきます・・・これが人間の真の成功への導いてくれる・・・

Beautiful Switcher または、切り替えの達人

どちらを使っても結構です・・・人間の脳は、生物の恒常性(ホメオスタシス)の原理によりシステムが機能しています、そして、人間は構造的に両義性(アンビバレント)な特性を持っています・・・脳の曖昧性と恒常性に起因している・・・念の為、恒常性とは行き過ぎると戻そうとする、つまり、ある状態を保とうとする性質です・・・・

人間の求めるべき、しかし、到達できないゴールは臨機応変の中庸というバランス感覚です・・・当意即妙でもあります・・・この事は、異なる価値観を正しく理解すること、および、人間と社会のメカニズムを正しく理解するこちにより初めてできる事がSwitch-wellです。

Switch-wellには、異なる価値観の正しく十分な理解があって、切り替えが上手くできる・・・また、その場合の異なる文脈の存在とその影響を知ることが人間と社会のメカニズムの理解の含意です・・・

そして、人間には方向の全く異なる才能があります。ネガティブ思考も才能です、ポジティブ思考も才能です、片方だけでは失敗を招く・・・・・・・

十分ネガティブ思考で問題点を整理できたら、その現実に基づき、ポジティブに整理をして、方針が決まれば再度ネガティブ思考で検証をして、答えの選択をする、一旦決めたら、ポジティブ思考で行動に移す・・・楽観および悲観も同じです・・・容易なことではありませんが、必要に応じた切り替えを肝に銘じてください・・・・

希望も夢を自分が維持して作るもの

人間は報酬系より嫌悪系に縛られる、つまり、恐怖感が一番強い情動だからです・・・だから、悲観的な思考やネガティブな思考には陥り安くなり、その結果、恐怖感に縛られて自分が変わることが出来なくなります・・・・克己とは、この恐怖に縛られた自分に打ち勝つ重要性を先人が伝えてくれている・・・しかし、これだけでは、打ち勝てない・・・・

本Blogで何度か述べていますが、徹底的にパラノイアになって、物事の陰陽の両面思考をしていくと、良い事と悪い事がどのぐらいの確率で起きるか、また、如何いうときに悪い事が起きるかまで掘り下げて考えていくと、意外と全てが悪くなる確立が高くないことがわかってきます・・・・

また、脳内にはミラーニューロンがあるので、相手の為、そして、もっと多くの人、つまり、社会の為に善い確信を持って行動をすると、善いことが起きる確率が高まり、悪い事が起きる確率が下がることが解ってきます・・・・ここまで掘り下げて考えられる能力を人間はもっているのです・・・・

つまり、夢も希望も自分で物事を掘り下げて考える知的思考能力を磨くことにより維持されるものなのです・・・希望は本来誰でも維持出来るものなのです・・・そして、この希望の維持能力があって初めて夢の達成確率が上がる・・・

人間の脳は曖昧性の取得により発達してきたものです、それ故、曖昧で多くが不適切なのが人間の感じる恐怖感の本質なのです・・・知的思考能力で精緻化して、対応してください・・・念の為ですが、“諸法無我”の境地とは、我が無いが故に、欲から解放されることであり、これ即ち、苦=恐怖感からの開放でもあるのです・・・人間は、ただ単に生かされているだけの存在なのです・・・

目的と方法論を混同するな

昨今は、拝金主義の人が残念ながら増えてきています・・・そして、お金を稼ぐこと、お金持ちと結婚すること、金持ちになることを人生最大の目的だと公言する人がいます・・・お金が目標???・・・人生の目標は???・・・とたずねるとお金があると何でもできるからと答えるのでしょうね???・・・・一体、お金で何をしたいのですか、その目標は何なのですか???・・・答えが出てこない・・・

拝金主義に囚われた人達には、目的が無い、また、方法論に追われ目的も見つけられない・・・つまり、本当の夢も希望を無い人達になってしまいます・・・これでは、お金持ちになることすら頓挫してしまう危険性が大なので、人生の目的と方法とを混同しないで欲しい・・・・

恐らく、この様な人達は、目的として幸福になりたいと言われる人もいるでしょう、しかし、少なくともお金持ちになることは決して幸福になるとは合致をしない、お金が減ることが心配でお金に囚われて生き方しかできない・・・お金の奴隷になる・・・・

Kozyは自分の固有の強さを速く見つけ、それを活かして、多くの人に喜んでもらうことが幸福の本質だと捉えています・・・これが出来れば、お金がついてくる・・・・・・お金は一つの例ですが、目的と方法論を確り峻別して生きることが、心のエネルギーの維持。増大に寄与するのです・・・・肝に銘じてください・・・

更なる例として、報酬や快楽は目的ではありません、目的は目的達成の為の心のエネルギー