教育

October 19, 2009

脳の性の多様化と婚活・・・雑感


最近は出張で、後三県を除き、全国走破してしまったので、何度目かの訪問地が、増えてきた・・・そうすると、悩んでいる人がすぐ分かるKozyとしては、放っておけないので、それとなくカウンセリングをしてしまうことが増えてきている・・・

恐らく数十年後には、脳、つまり、如何いう生き方をしているかが、顔(特に表情括約筋)や、体の各部の特徴などに、如何現れるかがの殆どが解明され、それらの知見が常識となり、一切嘘をつけない時代が来ると見ている・・・回教徒の女性のように目以外は全て隠さなければいけない時代になるのかもしれない・・・・・

現在は、まだ、一部の専門家だけが掴んでいる、人相学や、手相や、場合によっては星占いの一部なども科学的に解明される時代が近づいてきている・・・・それらの科学的な知見が一般の人にも共有化されるということは、邪気や私利私欲は見透かされ、善なる気だけが指示を受ける時代に変わることにより、人間は次なる進化を遂げる、または、駄目人間の強制教育とうことが、成されるのかもしれない・・・・・

男性は意識したところしか見えないが故に、また、女性は映像的に見えるものを全て観察できるが故に、男性は女性の観察能力と比較すると、女性の八分の一しか観察できない・・・・しかし、これも全ての男女がそうであるとは限らないが、現在の脳科学では、五感を通じて“What”と“How”に整理されるところまでは同じであるが、整理された情報がその後に流れていく回路は男女は大きく異なるところまでは解明したが、それ以降はこれからの研究成果を待つしかない・・・・

男性ホルモンや女性モルモンなどの内分泌系の研究も非常に進んできており、男性の脳回路の使われ方と女性の脳回路の使われ方も、生まれつきの生物学的な性と生まれた後の養育環境により20-25歳ぐらいで、男性の脳回路の使い方になるか、女性の脳使い方になるかが決まってくること、つまり、体の性と脳の性との二つの性の存在があることは確認されているが、脳の性については、単純に男性脳と女性脳とはいかずにその間もある・・・・・・・・

以前に、ディジット・レシオ(digit ratio)についてアップロードしたが、当初の研究は同性愛者の傾向の指標として捉えられていたが、むしろ、今では、男性脳なのか女性脳の度合いがどれほどなのかの指標として捉えてよいだろう・・・・また、個人的に多くの男女を観察してきたが、ディジット・レシオは、男性脳と女性脳の指標としては非常に信頼性が高いものであると確信する・・・・

しかし、観察能力は脳の使い方には関係が非常に薄いと捉えている・・・これは、恐らく、現代の人類が生まれた時は、まだ狩猟が中心であったので、男女の役割分担として、男性は男性ホルモンを通じて体が大きく筋肉質として戦える能力が与えられた、同時に恐怖の対象である獣から目をそむくては狩猟など出来ないので、恐怖の対象を見続けることが出来る脳回路が作られた・・・

女性は、種族保存の為にも、恐怖の対象から男性に守らせると同時に、子供たちを守る為に視界を広く且つ、男性のように意識したもの以外は見えないような視界の狭さでは、敵を見て夫を見て、子供を見て、どの方向に動くかを総合的に判断することを可能にする脳回路を持ったと思われる・・・種族保存だけを考えれば、男性は9割戦いで死んでも問題がない・・・・・・

また、以前“おばあちゃん仮説”が確認された旨のアップロードを、大人になるまでの期間が長ければ長いほど高等動物であり、高等動物の養育は、経験が大事な側面があり、動物の中で人間のメスだけ閉経が起きるのは、幾つになっても女性が発情して子供を作っていては、高等動物の養育が上手く機能しない為に、生理をとめて子育てを補助する機能を持つということなのである。

逆に男性は、種族保存のために幾つになっても発情できるようになっており、幾つになっても収まらない人がいるのは種族保存を考えた時には、自然なことなのかもしれない・・・・先人の言葉に、“腹は借り物”という言葉があるが、この言葉は優秀な遺伝子の存在からは理解できる面はあるが、感覚的には、所詮は男性は“種馬”出しかない・・・その証拠ともいえるが、現在の自然環境への進化の遺伝子であるミトコンドリアは、母親から娘にしか遺伝できない・・・・

男性脳と女性脳回路の違いは、正に、男女の違いを表すのであるが、現在は種々のアプローチにて如何に違うのかが研究されているが、少なくとも次のようなことが言いえるのであろう・・・・

男性脳は、意識したもの以外は、殆ど見えない回路が存在する、そして、男性ホルモンの存在より闘争本能がすぐに起動してしまい、かっとなってしまう、つまり、アドレナリンが大量に出やすい・・・男性が下手にプライドが高いのは、男性脳の特徴なのである・・・・先人の言葉に、“あさだち”のないやつに金を貸すな、また、“英雄、色を好む”などは、男性脳の特徴を現している・・・・

しかし、前頭葉を屈指した科学的思考、特に社会の現実を論理的に整理する事においては、事実を徹底的に解明することが出来て初めて本当の科学的な思考が出来る・・・これが、命の危険も顧みずに戦うことと、もう一つの特徴として、理性的な判断、つまり、科学的な思考能力を向上させている・・・・

しかし、生き抜くという生命力、強い情動、つまり、強い覚悟と意志の力は、女性と比べると脆弱なのである・・・・最近のアメリカ映画で体を求める男性、心を求める女性という宣伝コピーを聞いたような気がするが、全面的に肯定をする気はないが、否定をする気もない・・・

女性脳は、その時々の大局を見事に見抜く能力が、観察力の大きな違いによりもたらされる回路が存在するのであろう、しかし、強い情動に支配されやすいので、その時々の大局ですら、ましてや、中長期の展望は更に強く影響を受けてしまう構造的な問題が存在するのであろう・・・・・

女性の多数派は、男性脳と女性脳が顕在化してくる思春期において、男性脳と異なり男性の八倍の観察能力が発揮されてくるが故に、“厭なことは見ない、考えない”という知恵を身につけてしまっている・・・この種の女性は、男性に論理的な理解を深める為に、論理的な説明能力を求める・・・・

また、生き抜く強さを持つ女性は、そのための源泉となる心のエネルギーの維持=免疫力の維持には非常に大事にしている・・・それが故に、たとえ衝動買いで後で後悔をすることがあっても、その時々のあるレベル以上の心のエネルギーを重要視している。 それに伴い、批判されることを嫌い、自分の悪さを認める・・・つまり、自分が落ち込むことには強い抵抗を示す・・・・

一方、現在社会に眼を向けると、男女の特性を無視したジェンダー・フリーや、競争を全て悪いこととして、また、教育の三原則である、学校教育、家庭内教育、そして、コミュニティ教育で、どの教育でも叱らないとして、間違った教育により、90年ごろの大学生を境にして、それまでの男性的性格尺度では、男性はいなくなってしまう時代に入ってしまった・・・・

怒ることは個人の感情の発露であり、叱ることは相手への愛情の発露である・・・この二つを混同してしまった・・・・

元々の構造からは、女性は肉食系であり、男性は草食系であるが故に、女性には女らしく、男性には男の子らしく育てる人類の長年の知恵が活かされなくなり、女性は本性である肉食系になり、男性は90年以降は草食系になってしまった・・・通勤時に多くの男女のディジット・レシオを観察してきたが、若い男性の多数派が、男性脳ではなく、女性脳を獲得している・・・・

オカマキャラの流行により、カミングアウトする人が増えているが、今女性に人気がある男性で優しいイメージのある男性の多くも折にふれてみていると、女性脳の獲得者が多く、業開通に聞くと、やはり、オカマで有名だという・・・・

この様な男女が増えてくれば、確かに結婚相手を選ぶことは、従来の異性に望むことを選定基準とすると、論理的に難しくなる・・・しかし、あるべき論理的相性から言えば、正反対の性格のほうがシナジーが生まれやすいので、結婚の相性は上手くいくのであるが、男性は、男性ホルモンがあるが故に、闘争力があるが、この闘争力がむしろ、無意味はプライドに走り、女性脳を習得しているにもかかわらず、プライドに縛られ、更に悪いことに、論理的思考力が弱っている・・・・

先日の出張時に、関係した三十代の独身男性に、結婚相手に求めることを聞いてみたら、第一が〔“自分”が一緒に生活しても“気楽”でいられる人〕・・・・そして、第二が〔“自分”を(成長へ)導いてくれる(時に励まし、時に叱ってくれる)〕・・・・・これが、答えであった・・・

“自分”とは何ですか、両親の価値観を9割以上引き継いだだけの人間のことですか、それが“自分”ですか、“自分”とは、種々の広く深い経験を多くの人との交流、つまり、相互作用を受けて変化=成長していくものであり、死ぬ直前が“自分”ですよ・・・・・この“自分”が“気楽”でいられるとは、成長をすることを諦めることですか、しかし、第二では成長をしたいということですね???!!!・・

“気楽”とは、ありのままでいられることですね?・・・成長=変化は苦痛を伴います、しかし、成長は人に元気を与え真の楽しさを与えます・・・この二つの点で“気楽”といっているのですか?・・・・

以上の質問を投げかけてみました・・・

“自分”などは、一時の幻想でしかない、“気楽”とは、一時の気楽と恒常的な“気楽”と二種類あり、求めるべきは恒常的な“気楽”であり、これは、広く深い経験を通じて、広く深い物事のシステムを理解することにより齎されるものでしかない・・・

しかし、これらは苦痛を伴う修行のようなものであり、自分の変化を必要とするものであるが故に、男性は、結婚に恐怖感を抱いてしまい、踏み切れない・・・・

確かに、女性は真剣に婚活をしないと結婚が難しい時代になっている・・・・男性は、変わることへの覚悟の醸成なしには結婚には踏み切れない・・・やはり、出来ちゃった婚でないと駄目かもしれない・・・

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November 09, 2008

What is changing(19)・・・・人間の成長が希求されている・・・

昨年の“What is changenging (17)”では、次のように締めくくりました・・・・“来年は、Revamping Yearになると見ている・・・Revampとは、修正のために変化するという意味であり、大きな潮流の変化が出てくると見ている・・・・”・・・・

そして、今年は3月の“What is changing (18)”では、日本人として、“日本人の無知さが、馬鹿な政治家と官僚を温存して、低金利と過剰流動性を世界にばら撒き、金融バブルをDriveしてきた張本人であるのに、この罪の意識が薄すぎる”・・・・と指摘してきた、また、この中でBaraku Hussein Obama氏の勝利はなく、結局は、マケインが勝利する可能性が高いと読んでいた・・・・・

しかし、黒人で且つ“Hussein”という回教徒の代表的な名前が含まれた人が、大統領として選ばれた、良くも悪くも、Kozyのように世界を駆け巡り、米国とのビジネスの経験の長い人間には、正に、後の歴史学者は、今回の選挙を無血且つ平和革命と呼ぶかもしれないほどのことである・・・・

マキャべりは、人民の無知無能に立脚した歴史的な事実からの意見を述べているのが多いが、議論を大衆の前で行なわれた場合は、人民の判断が間違ったことは無いとも言っている・・・・米国ではケネディーとニクソンとのTVを通じた公開討論が、ケネディーの勝利を決定づけ、それ以後は、常に、公開討論がもたれるようになった・・・・・マキャべリズムは、日本と異なり、欧米ではビジネスマンの多数派が読んでいる本であり、マキャベリがいなければ、ケネディー大統領もオバマ新大統領も生まれなかったともいいえるのである・・・・・

今回は、マケインは失言が多く自滅した・・・金融恐慌が、権利と義務に基づく自由主義の米国人に、リーマンが破綻しても、米国経済は磐石であるとの失言、企業支援は必要だとの明確な意見発信、また、民主主義の最大の問題である、ポピュリズムにまけて、無能な副大統領にペイリン女史を選び、当初はよかったが、選挙前には無能さが露呈してしまった・・・・・オバマ氏は、非常に幸運であったといいえる・・・

しかしながら、WASP(White Anglo Saxon Puritan)と呼ばれる米国の支配階級は、予想を覆し、オバマ氏が、ヒラリー氏を打ち破ったことを受け、真剣にオバマ氏が米国大統領になったばあいを考えることにより、ブッシュの8年間の間の負の財産、つまり、一極支配、米国の威信の低下、そして、最後には、極端な市場主義を強行することで、製造業で敗退した米国を立て直す為に、最新の金融工学といえば聞こえは良いが、デリバティブの無制限で無軌道な発展を促進したつけが、正に、人類史上最大の津波となって、ブーメランのように米国に押し寄せた・・・・・

ここまで威信として地に落ちた米国の復興は、死語になりつつあった“American Dream”、つまり、自由で、偏見もなく、努力する人、また、能力がある人が報われる“素晴らしい国、米国”の演出抜きには米国の復興は難しいと考え、戦略的に、かってのネオコンと呼ばれる人たちも含めてオバマ支持に転換したようである・・・・単純に若い白人達がオバマ氏を支持したからというものではない・・・・

また、米国における白人比率が下がってきたのもオバマ氏には幸いしたようである・・・・今回の結果は、どうも幸運というより歴史的な必然性があると捉えるべきなのだろう・・・・・・

11月6日の日経によると、今回の有権者は、未だに、白人が66.0%、ヒスパニックが15.1%、黒人が13.5%、そして、アジア系が5.0%という比率であり、この様な状況では、白人からの支持が無い限り当選は出来ない構造になっている・・・・

また、米国メディアの出口調査の結果が掲載されていた・・・黒人は95%、ヒスパニックは66%、白人は43%がオバマを支持した・・・性別では、男性が49%、女性が56%がオバマを支持した・・・そして、意外にも無党派層は52%しか支持していない・・・・・・・

。また、面白いと思ったのは、プロテスタントは45%しかオバマを支持していないが、カソリックは54%がオバマを支持している・・・また今回の投票率は記録が残っている1960年以降では、ケネディー大統領が選ばれた時が63.8%であったが、これを抜いて最高投票率を更新した・・・そして、初めて投票をした人は68%がオバマ支持であった・・・・・・

論理的には、これだけでは正確な判断は出来ないが、日本における郵政選挙のときのように、オバマ氏の票が一票でも多くなるように、それまで選挙に行かなかった人たちが、歴史的な選挙=革命に参画したと捉えて良いのだろう・・・また、黒人のオバマ支持率が驚異的な数字である95%より伺えるのは、いかに現在でも黒人への差別があるということを物語ると同時に、如何に黒人がメシアを求めているかを物語っていると捉えている・・・・

白人のオバマ支持者は戦略的なWASPとまったく異なる白人の低所得者層が混在していると捉えている・・・・・また、民主党が議会選挙でも圧勝をしたが故に、大統領と議会の両方を民主党が握る形にはなっているが、米国には党議拘束はなく、ヒラリー路線とオバマ路線は異なっており、決して、大統領府と議会の蜜月の安定政権にはならないと捉えている・・・・・

個人的には、米国人としてのプライドを傷つけられ、生活の困窮の度を深め、自由という権利の実施は義務の履行が前提である自己責任社会の重みにつぶされかけてきた人たちが、オバマ氏をメシアと期待して投票行動をとった人がかなり多いと危惧している・・・・つまり、これは、ヒットラーが台頭したときと同じ状況と同じ側面を持つ・・・・・・現在の日本も同じ側面を持ってきていると危惧している・・・・

希望というものは、与えられることを望む人は未熟者でしかない・・・成長した人間は希望とは自分で維持するものであると理解している・・・これは、グループ・ダイナミクスの定理であり、誰も否定できない事実なのである・・・この点では、オバマ氏自身は、黒人差別の中で育ち希望を維持してきた人間であるが故に、また、生まれて物心がついてから、つまり、10歳のときに一度だけ一ヶ月のみ一緒に暮らした経験しかなく、回教徒の父親の価値感の影響を受けずに、男性として生きる姿勢を自分自身で築いてきた人間と思われる故、成熟した人間だと捉えられる・・・・・

また、レーガン大統領のナンシー夫人、クリントン大統領のヒラリー夫人を超えるような、苦労人であり頑張り屋さんである人がファーストレディーになっている、学歴的にはこのミシェル夫人のほうが上であるぐらいであり、観察力と論理的な分析はむしろオバマ氏より上でありそうな人である、しかし、オバマ氏の言葉による表現力にミシェル夫人は、見せられて結婚したとの逸話があり、この二人の共同作業による、これからの米国は確かに、期待は持てそうであるが、非常に険しい道のりが待っていると捉えている・・・

未熟者の特徴には、メシア願望だけでなく、事実に目を向けず、直ぐの効果を求めてしまうので時間感覚がなく、忍耐力が乏しい・・・どうも支持者の多くが未熟者である可能性が大きいがゆえに、また、民主主義の最大の弊害のひとつである多数決の暴力と未熟者がどの社会においても多数派である人間社会の持つ構造的な問題を反映した構造的な社会問題がるが故に、特に下院議員のレベルでは未熟者の支持者に迎合するポピュリズムの弊害が危惧される・・・・・

オバマ新大統領は党派を超えた閣僚人事を考えているということであるが、ある時は共和党を見方にして政治をするめる戦略んをとることは非常に重要になると見ている・・・

理想は理想として追求し、現実は現実として受け入れて、現時点でのあるべき姿を常に追求する政治姿勢が大事になるが、表に出てこないテーマは、産業革命以後の歴史を見れば解るように、また、社会心理学者がノーベル賞の経済学賞を数年前に受けていることからも解るように、人間の持つ構造的な愚かさ、21世紀で何とかする方策を確立しない限り、ここまでグローバル化した地球の経済活動は、相互作用および相互連携があまりにも発達してしまっているので、被害は甚大になるが、今回の世界的な金融恐慌は何とかなると思うが、その次に来る問題は地球の存亡にも影響してくると危惧している・・・・

つまり、今問われているのは、如何にして、未熟な人間を減らすのか、如何に多くの人を成長させる方策を確立できるかが問われている・・・・・

そして、今回の金融恐慌を通じて問われるのは、これからの経済活動として、企業が健康でいることが個人に幸福を齎すのか、または、個人の精神的な健康が所属する企業の健康に一番大事なのか、つまり、救済は個人からするものか企業からするものかが問われている・・・しかし、個人と企業が健康でいられるのは地球が健康を維持していることが前提であり、第一義である、しかし、今、この前提が崩壊ししつつある・・・・・

未熟者は二者択一をすることによりすっきりするので、二者択一を求めてしまうが、Kozyはある問題に対してその都度どちらに軸足をおくべきかをその都度考える事が大事だといいたい・・・・これが、成長した人間の姿なのである・・・・

また、今回の州別の結果を見ていると、農産物の世界最大の生産国である米国であるが故に、一次産業産業が中心の州はマケイン支持、二次・三次産業が中心の州はオバマ支持という構図がはっきりでている・・・都市部と田舎の意見の違いがはっきりした選挙でもあると捉えている・・・・この融合にも成長した人間が増えなければ、融合は生まれ得ない・・・・

かって、チャーチルは、民主主義は決して良いシステムでは無い。しかし、民主主義よりましな主義は存在していないという趣旨のことを言っている、また、社会主義は理想であり、人間が全員が充分成長しない限りは、最悪の結果を生むことを露呈した・・・・経済で言えば、市場主義は確かに神の見えざる手により軌道修正が成される側面があるが、人間が愚かであるが故に、今回のような金融恐慌を発生させてしまう・・・・

Kozyは、最近は、“秩序ある自由な社会”、つまり、人間全員が充分成長することは、現実としては非常に難しい、つまり、必要悪という概念があるが、反面教師の存在は人間の成長には残念ながら大きいものであるが故に、民主主義と社会主義の融合した社会としての“秩序ある自由な社会”を具現化したいと思い、Physical Securityで蓄積されたものを勉強をしている、この知見を人間社会におよび経済活動に活かす道を模索している・・・・

しかし、Physical Securityにおいても方策としての考え方は確立しているが、やはり、各個人のセキュリティーの意識向上が一番大事なのである・・・これ即ち、個人の成長度合いが一番大事なのである・・・・

最後に、今までに何度か述べているので詳細説明は避けるが、最近はイノベーションが叫ばれているが、イノベーションは人間の脆弱性とストレスの増加を齎すものであるが故に、科学・技術の発展には、無条件に推進することは、人間の成長へのもっとも大きな阻害要因になることを忘れてはいけない・・・・

以上、つれづれなるままに・・・・・

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September 21, 2008

成長=現実原則思考・・・不都合な現実・・・・

心理学では、快楽原則から現実原則への移行が人間の成長を表すといわれている・・・これは否定できないことであり、これこそがある意味では、一番認めなくてはいけない、成長できない人にとっての“不都合な現実”だといいえる・・・しかし、人間を観察していると、成長に必要な多くの不都合な現実の理解と受容が出来ていない人が多い・・・むしろ一生受容できずに死んでしまう人が、Kozyの研究結果の拡大解釈をすると、9割以上ではないかと捉えている・・・

今回は、Kozyが感じている自己成長への階段としての、受容しなければならない“不都合な現実”を思いつくままに羅列してみたい・・・各項目は、他の項目との相互作用もあり、関係は複雑であるが、個人差があるが故に、相互作用関係の説明は、敢えてしないが、自分自身で考えて欲しい・・・・

また、表裏一体または陰陽が常にあるが故に、都合の良いほうだけを見つめている人が多すぎると危惧している、自己成長をするには、常に、陰陽の両面思考が必要であることを、自分に言い聞かせ、そして、何と何が陰陽の関係なのかを考えながら読んで欲しい・・・人間は、特に女性の場合は都合の悪い事には目を背ける傾向があり、今回は、都合の悪い現実だけの羅列を試みたい・・・・

・・・・・人間は、種々の機能を見ても、特に他の生物に絶対的に勝っているものはない。個人としては非常に弱い存在であり、脳の構造から言うと、利己的なものでしかない・・・だから、醜い思いや言動が絶えない・・・人間の愚かさと醜さは、まさに、歴史が証明している・・・・

・・・・・しかし、同時に、一人だけでは生きていけないが故に、集団に帰属したい本能を持っている・・・残念ながら、集団に帰属することにより、集団の規範など、つまり、集団の文脈に縛られやすい構造を持っている。 集団は集団の愚かさに陥りやすい構造を持っている・・・だから、未だに戦争は絶えないのである・・・・

・・・・・集団は少なくともある共通目的を持っており、目的の達成には、集団の構成員のお互いの協力が必要になる。 しかし、一旦、集団の属すると、集団の存続ということが目的に変わりやすく、個人を大事にすることが難しくなる・・・この様な矛盾の中で人間は生活をして生きているのである・・・・

・・・・・個人を大事にする、または、個人の存続の維持の為には、自分自身が少しでも、自分の心に恥じるとの違和感を感じるときは、多数派の意見に迎合しなくて自分の意見をはっきり表明する勇気の維持が必要・・・・・経験が違う故に意見が異なるのは当たり前のことなのです・・・・

・・・・・人間の脳は素晴らしい進化をしていると捉える人が多いが、この進化を齎した最大の原因は、他の生物と異なり、曖昧性を取り込んだことにより、脳は飛躍的に進歩したのである・・・曖昧が故に、事実の基づく分析を行い、その都度如何すべきかを考えることが課されている・・・この様な掘り下げて考える行為を放棄することは、人間であることを放棄することでしかない・・・・・

・・・・・人間は、掘り下げて考えることが重要であるが、これは言葉でしか考えることができない。 しかし、言葉自体が同時に曖昧性を持っているが故に、経験を通じて五感からインプットされた情報を、また、その結果、自己内に築き上げた、情報の総体でもある自己そのものを意味する自己内概念を言葉で正しく記述して行くことさえ出来ない・・・だから、自分を知ることは非常に難しく、より広くより深い経験を通じて時間をかけてしか理解をすることは出来ない・・・・・

・・・・・しかし、実際の行動の多くは、自分で理解できない自己概念、むしろ、これが潜在意識だとKozyは捉えているが、この潜在意識に縛られる行動しか人間はとることが出来ない・・・・死ぬまで分からない人も多いのである・・・・大事なのは、先ずは自分の潜在意識との常なる会話であり、そのぜんざい意識の適正化をおこなうことである・・・・

・・・・・進化論と生態学が、導き出したのは、変化に対して、強い種が生存するのではなく、最小のエネルギーで所属する生態系への最大の効果を生む種だけが存続できるということなのである。 つまり、強いエネルギーを出し続けることは不可能(消耗を導く)であり、一番累積エネルギーとして大きなエネルギーを生むのは、たとえ小さなエネルギーの出力であっても、それが毎日継続可能な場合なのである・・・・この点では継続は力なのである・・・

・・・・・人生に近道はないのである、あるのはより遠回りをするか、しないかだけであり、実際には、最短距離を行くことは不可能な構造を脳は持っているが故に、多くの人がかなり遠回りをするが、全て必然であり、無駄なことはないのである・・・・つまり、それまでの経験の深さと広さに依存するのである・・・・

・・・・・また、全てのことをその都度掘り下げて検証をして行動に移すことは、タイミングを逸してしまうが故に、瞬時の判断を可能にする為に、それまでの経験を大まかに整理して俊時に判断できるように、脳は進化している・・・つまり、人間は過去の経験に基づく悩の判断に縛られている・・・進化しすぎた脳に支配されている・・・・・・・・・

・・・・・しかし瞬時の判断を可能にする脳の機能(Kozyは自動脳とよんでいる)は、守られ限られた経験に基づくだけではなく、最小のエネルギーで最大の効果を求めるのは、生体の本能でもあり、自分自身がいくら考えているつもりでも、この思考活動すら、白紙の状態で考える大変さを避ける為に、自動脳の回路に取り組んでしまうことであり、実際は、脳の機能は殆ど使っていないことと同じなのである・・・・・

・・・・・残念ながら、この自動脳の本質は、脳自体が楽をすることでしかないばかりか、人間の本質自体が怠惰であることを意味する・・・己に勝つ=克己とは、正に自分の中に形成された自動脳による自己の支配に対して打ち勝つことなのである・・・だから、よほどの強い覚悟を形成しないと、また、能動的に行動しないと、自動脳に負けてしまうので、殆どの人が怠惰性に埋もれてしまう・・・・・

・・・・・しかし、体も脳も本当に使わない限りどんどん退化してしまう、体の場合は弱体化したところに脂肪が付く、脳は自動脳に縛られているだけでは、脳細胞の退化が早まるだけであり、若くしてアルツハイマー病や統合失調症やうつ病になってしまうのである・・・体と脳は密接な相互作用があり、両方とも健全性を維持する必要がある・・・・・・

・・・・・快楽対象の一つでもある食事でも好きなものだけを食べていると、また、嗜好による偏食が関係部分の劣化を招き、個人の食事の傾向だけで、将来の死亡の原因になる病気が特定できるのである・・・・・

・・・・・心の状態も体の状態も、残念ながら全て因果応報でしかない・・・・・

・・・・・人間は男女で構成されているが、男女の特性がまったく差がなければ、男女の存在意味がない。 つまり役割分担があり、それに見合った特性を与えられている。 受胎した後に性別が与えられるが、その前は何も違いがないのである。 違いを作るのは性器の違いを別にすると、むしろ違いがないと言いたいが、生きる力を操る脳幹は女性の方が強い・・・・

そして、情動を司る大脳辺縁系も女性の方が強い、しかし、賢く上手く生きる機能である大脳新皮質は男性のほうが発達しているというよりは、発達していくという違いがあるのである・・・強く生きる能力と感情の強さは男性より強いが故に、女性には優しく=女らしくという育て方をする知恵を、男性は頭でっかちで行動力が弱い故に、強く行動的に=男らしく育てる知恵を人類は実践していた・・・・

これらの違いを生んでいるのが性ホルモンの機能の違いだということが出来る・・・しかし、この性ホルモンには性器の様なはっきりとした違い生むのではなく、個人差がかなり大きいのである・・・しかし、最近の科学的な知見を見るに、次男、次女からがより大きくなる傾向が確認されており、少子化社会、つまり、長男長女の世界では、強い女と弱い男がどうしても増えてしまう・・・・・

念の為であるが、ジェンダー・・フリーということに、Kozyは全面的に反対するものではない、個人差がある限りは、それをステレオタイプで見ることには反対である。しかし、本質的な特性を無視したジェンダー・フリーの考え方は反対である・・・・

・・・・・個人の人生は、何かを成し遂げるには短すぎる(しかし、何もしないには長すぎる)・・・少なくとも人類だけの、宇宙や地球の歴史と比べると、ある意味では非常に短いが、その中で、種の保存の一翼を担っているだけでしかなく、人類の継続の為の継続的な活動をサポートしているだけ・・・

・・・・・恐怖感に縛られる、つまり、恐怖感という情動の前では知力は無力でしかない・・・この恐怖には肉体的な死の恐怖と精神的な死の恐怖とに二分される、また、精神的な死は、やがて肉体的な死を導く・・・恐怖感が、それが故に、情動の中で一番強いものであり、幸福感は、幸福だと思った瞬間から、じわじわ失われていく情動でしかない・・・・大事なのは足ることを知ること・・・・

・・・・・動物の間でも怖がっているとなめられる様に、人間関係も確かに同じであるが、あれもこれも怖いでは、社会的に皆になめられ、社会的な死を招くのである・・・それゆえ、最大の恐怖感は自分にとって何なのかを知的思考力と体験により確かめる必要がある・・・・そして、自分の恐怖感の中で、自己内の恐怖感の強さの順番を整理することが出来ること=不惑なのである・・・・

・・・・・最後に申し上げたいのが、一体誰が一番支えてくれているのか、また、個人を犠牲にしてまで守ってくれているのか、そして、どれだけ多くの人に支えられているのか、いつも冷静に観察をして、理解して欲しい・・・恩返しの出来る機会は永遠にあるものではないのである・・・・・

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June 16, 2008

自己成長の方法論・・・三つの目の活性化

前回に引き続き、Kozyの本Blogで何度も触れている、成長の為の方法論としての三つの目で見ることの習慣化の話を、現在辿り着いている、更なる掘り下げに基づいたものを、ここに書き込んでおきたい・・・三つの目の視点で考える習慣がからだにしみこんでしまうと、全く無意識のうちに三つの視点で捉えて第三の目で考えることが、自動的に起動してくれる・・・

西欧社会では、“Old habits die hard”とよく言われるが、25歳までに出来てしまった自動的に起動してしまう脳回路が、正に、自動脳のことであり、脳科学の実験では、本人の“自由意志”ですら、前頭葉が大脳皮質の25歳までの経験のパターン化に基づき、“自由意志”とはこうであるという指示を出して前頭葉が追認しているだけなのである・・・・

つまり、自分の思考ですら、人間が瞬時の判断を可能にする為に限られた経験と知識に縛られてしまう・・・この本質を違った角度で見ると、正に、全ての生物が持っている、生存している多次元な生態系の中で、多次元な生態系との共生する為に“最小のエネルギーで、最大の効果を求める”進化の普遍なる公理に基づいている・・・・つまり、生存し続ける為には消費エネルギーが多すぎる様では、結局は、消耗が大きすぎる故に、淘汰されていく・・・・これが進化論の真髄なのである・・・

第三の目の熟成を目指すには、25歳までに、どれだけ深く広い経験を、どれだけ多くしているかにより、熟成をする為に必要な時間と努力の度合いが異なるのである・・・Kozyは、多くの人との話を聞いてきて、そして、色々の人を見てきて、また、自分自身を内観してきて、25歳までに、自分の生きる道を本当に選択できた人は成功する・・・と言ってきた・・・

この含意は、次の幾つかの考えが含まれる・・・・

1.25歳を過ぎると、人は見方考え方が固まってしまう=自動脳により強く縛られる。それ故に、25歳までに生きる道を決定できなかった、現実からの学習が不十分であったが故に、現実社会で生きる道を選択できなかった。現実社会の学習を十分してきた人は、生きる道を選択できる。

2.25歳までに選択が出来たということは、25歳で中長期の展望を踏まえた自己内の情動によるその後の迷いが生じにくい。しかし、現実を知らない状態でのいい加減な決定は、当然、現実と対峙する中で、迷いが生じて頓挫してしまう。

3.生きる道=仕事として捉えると、どんな仕事でも十年以上続けることによりその道で食べていけるようになる。また、仕事を本当に習得するには、できるだけ多くの実体験を踏むと同時に、その仕事のシステマティックな理解、つまり、システムの各プロセスの中で、人間は如何すれば如何動くのか、また、プロセス間の力動関係は、つまり、何が最大のドライバーになるのかを知る必要がある・・・・これは体力と知力の両方が必要であり、例えば、30歳で生きる道を決めた人は体力的により困難な道を歩く必要がある・・・・・つまり、それだけそれまでの人生が人に守られたものであったと感謝すべきでもある・・・・

4.仕事は、現在は一人だけで完結できるものはないのであり、年齢的に上の人と下の人とのチームワークが必要になってくる。この学習が30-35歳の期間であり、この深い学習がマネジメント能力を養成していく・・・たとえ専門職であったとしても、マネジメントの能力がない人は、どんなに素晴らしいアイデアを持っていても、周りの人を抱きこんだ大きな力を持てないのである・・・・・

まだ深い含意があると自分では確信するが、今日はここまでしか頭に浮かんでこない・・・しかし、25歳までに自分の生きる道を選択できるということは、端的にいうと、それまでに挫折や失敗を通じて、現実=苦悩体験を踏んでくることが、幸いにも出来て、その現実から逃げることなく、現実のより深い理解を得てきたことを意味する・・・・

この事は、無意識のうちに、第一の目である自分の視点というのは、むしろ、多くが思い込みであり、相手および社会の視点である第二の目を如何に正しく掌握することが大事であるのかを体得すると同時に、第一の視点と第二の視点のどちらが正しいとの二者択一ではなく、この場合は、本来如何あるべきかを白紙の状態で再度自問自答をして、自分の中に生まれた仮説を検証しながら進めていくことの重要性を体感していることを意味する・・・・

また、人間の成長のメカニズムを理解する、つまり、25歳までは社会的には子供として、経験も未熟であるが故に、現実から守られて生きていく中で、それまでの限られた経験を通じたパターン化された情動に縛られているが故に、現実を直視できない人間の構造を理解して、たとえ現実直視がどんなに辛くても、それが成長をもたらすことを体得している・・・

念の為であるが、情動と理性が同じ方向を目指さない限りは、自己変革は出来ないのである・・・だから、情動の適正化が必要になるのである・・・・

そして、人間としての自分は、そして、同時の周りの人達も同様に、如何に本質的には情動に縛られるという事と合わせて、怠惰な存在であるかを理解して、これが現実であることを踏まえて、如何にして、自己内の情動と怠惰性に打ち勝つかを日々考えて行動をする重要性を理解すること、これが成長の源泉になることを理解している・・・・

つまり、時間がかかろうと、人間は成長を出来ると言う確信を、25歳までに、もつことが出来た人が自分の道を選択できるのである・・・・

残念ながら、Kozyの研究結果が示すように、大企業の50歳前後の人達ですら、恐らく、今の若い人達よりも少なくとも経済的には苦しい生活をしてきた人達ですら、約9割の人達が、成長が止まってしまっている、つまり、自分は何時までも成長できるというMind-setを維持できていない=学習無力感の罠に落ち込んでしまっている・・・・

云うまでもなく、今の若い人達は、経済的にもより守られてきた人達であり、心理学の大罪で述べたように、また、統合失調症は一生の友でも述べたように、人間としての脆弱性が人類史上で、先進国では、最悪の状態である・・・脆弱性とは恐怖感という情動に一番縛られやすい世代の誕生でもある・・・

この恐怖感も不適切で不必要なものが殆どであり、正しく恐怖感の本質を理解していない、つまり、守られすぎることにより自分自身で恐怖感を正しく経験していない、親に埋め込まれた恐怖感やマスコミや社会的な通念という虚構により埋め込まれた恐怖感に縛られている・・・・

このことの最大の問題点は、曖昧且つ本当の確信なしに自動脳に取り組まれた恐怖心は、本来は恐怖感の優先順位が決められるにも拘らず優先順位を付けることが出来ないのである・・・優先順位がつくと、容易に、“Better than Worst”での自己内の恐怖感を逆手にとって、前に進むという選択が出来る・・・・

自分自身の恐怖感の正しい理解と正しい優先順位を決めることが出来るのも、自己内の恐怖感の判断基準は何なのか、また、それは正しいのかを磨き上げていくのが第一の目の熟成でもある、また、相手周りが自己に感じさせる恐怖感とは、何を判断基準にしているのかを堀下げていくことも第二の目の熟成なのである・・・・・そして、より深い理解への導くのが第三の目の機能であり、その熟成度合いなのである・・・・

また、自分自身が、一体誰に認めて欲しいのか、これも多くの人がより多くの人に求めているが、相手に認めて欲しい、むしろ端的に言い換えると、好かれたいとか尊敬されたいとか思う人が多すぎるが、このこと自体は簡単なのである、つまり、問題は相手の価値観を理解することの難しさであり、後は、それにあわせる言動をとることですむ・・・・

相手の価値観とは相手の判断基準の理解であるが、これが第二の目の熟成に依存するのである。異なる価値観を認めることは、自己内への多様性の取り組みであり、成長への大事なステップである、しかし、相手の価値観に単純合わせることは、自己の喪失、つまり、第一の目の喪失であり、自己崩壊を起こすことであり、自分の価値観と相手の価値観と、この場合はどちらが正しいのかと比較検討するだけでなく、求められるべき価値観は、白紙に戻ってこのケースでは本来如何あるべきかを考えるのが第三の目の機能なのである・・・・

一見、相手の価値観に合わせることは成長のように思えるが、自分の視点という第一の目の失明状態に陥ることでもある・・・だから、第三の目でのより深い思考が必要なのである・・・その結果、相手に認められない、相手に好かれない、相手に尊敬されないということを恐れてはならないのである・・・・・

第一の目と第二の目と第三の目は、お互いの相互に影響しあうものであり、影響しあって成長していくものなのである。では、自分とは何なのか???・・・第一の目が成長途中の自分であり、第三の目が自己内のあるべき姿としての、つまり、自己内の神のようなものであり、この神を如何に善なる素晴らしい神に育てていくのか、大事になる・・・

そして、この成熟した第三の目と自分自身である第一の目が、死ぬまでに如何に言動一致していくか、これが自己成長だと捉えている・・・・自分らしさとは虚構であり、どんな人にもなりえるのが人間であり、自分らしさは自分で作るものであり、しいて言えば、自分らしさは生きる姿勢の特徴でしかないのである・・・・・

第三の目とは、最低限次の機能が必要なのである・・・・

1.人間社会においては、普遍なものはないと常に白紙の気持ちから物事を考える・・・これを実行できる人は、既に、人間は誰でも成長できるを体感している。出来ない人は、宗教と同じように先ずはこの考えを信じてください。

2.何事もシステムとして捉えて、考えると同時に、一つだけのシステムなのか複数のシステムの共存しているのかを考える。そして、そのシステムの中のどのプロセスに含まれているかを考える。但し、システムで理解することは、各プロセス間の相互作用がどうなっているかを理解することを忘れないこと。

しかし、未熟な若い人には、システム内のプロセスの構成がどうなっているかは、解らない筈です。それゆえ、何がどうなるという捉え方だけでも当面はOKです・・・何とならば、このシステムとしての理解能力そのものが知識と経験を必要とするからです。この様な考えを身に付けることにより、判らないプロセスがあることをしり、そのプロセスを見つけるのに役立つからです・・・

3.自分の能力には限界があることを認めて、結論を出すのでなく、仮説を導き出し、仮説のポイントに対して、自分をより知っている人との対話を通じて検証して、確信をもてたら、行動に移す。しかし、所詮は仮設であるとして行動をすること。そして、仮説に至った判断基準を確り頭の中で整理をして行動に移すこと。

判断基準の優先順位を明確にすることにより、間違った場合の早期発見と早期の対応変更を容易にすることが出来る・・・

以上を見てお解かり頂ける人がいると思うが、これ即ち、人間の構造的な善さと悪さに対する理解の深さが齎すものなのでもあるのです・・・・・

Kozyは、昔は対人赤面症で毎年ノイローゼになるような小学生でしたが、三年かけて自己改革に成功したが、自分は出来たのに、周りの人間を見ていると、勝手の自分よりはずっとましな人達が、自己改革がもっと楽なはずなのに、自分で自分を殺していくのを見ていて、何でだろう???・・・・と人間に興味を持ちそれ以後、その人間への介入実験と観察をしてきました・・・

少しの変化を積み重ねることが大事です・・・つまり、遣れる事からやっていくとまた違った世界が見てて来て、またそこにやれることが見えてくるのです・・・・この見えるようにする機能が第三の目であり、また、希望という可能性があることを教えてくれるのも第三の目です・・・・

成長とはより多くのもが見えるということなのです・・・だから人間は経験と年齢を積み重ねて成長していく・・・しかしこれが出来る人は、一割にも満たない・・・・

第三の目とは、自分自身の情動のメカニズムの解明と希望を維持する、人間だけが持つ前頭葉の最大の利用方法、または、活性化策だとも捉えています・・・・

三つの目の全てにおいて、判断基準は何なのかそれは正しいのかを掘り下げる知的活動でもあります・・・・人間の怠惰性に打ち勝つのは、強い意思の確率ですが、一石何鳥にもなることを思いつけば、怠惰性を打破できます。また、恐怖感は、その優先順位をはっきりさせることが重要ですが、目を背けずに対峙しているだけで慣れてきます・・・・

脳へ入る情報は五感を通じてインプットされますが、全ての五感は対峙していると麻痺する素晴らしい特性を持っています・・・この様なあいまい性を習得することにより人間の脳は発達したのです。また、だから悩むのです・・・・

Kozyの口癖でもありますが、“かっときたら負け”というのがあります、これは自己内の情動に支配されることですが、かっときていることは、第二の目が失明していることなのです・・・これでは正しい判断が出来ないというより自分勝手な判断しか出来なくなります・・・蟻地獄しか待っていません・・・・

俗に言う“駄目な人”は全員がカッとき易い人達です・・・先ずは、カッと来たときには何を判断基準として自分はカッと着たのかを事後でもいいですから掘り下げて考えましょう・・・・

松下幸之助でも、内心はカッときていたそうです。Kozyもカッと来るときはあります。しかし、その判断基準を知っているが故に、感情を抑えることが出来るのです・・・そして、全て自分が悪いと思って抑えます・・・・・

先ずは、第二の目を意識して育てるのが良いでしょう、そして、第一の目である自分を内観しましょう、その後に第三の目を育てていきましょう・・・・これは死ぬまで続く作業です・・・

人間皆同じです。誰でも堕落をしていく構造を持っています。しかし、誰でも成長する構造を持っています・・・この二つの可能性を誰もが持っている・・・成長とは退行という再確認作業を経て成長へのサイクルに戻るという構造を持っています・・・

焦らず、諦めず、明るく元気で、第三の目を活性化して希望を抱き続けてください・・・

長くなりましたが、コピーでも取ってなども読み返してください・・・・・

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June 11, 2008

第三の目と生きる目的と現実への対応能力の構図・・・・

目的と手段の混同の罠に落ちるのではない旨を、以前ポストしたが、最近の風潮の“お金を稼ぐ”、では、そのお金を貯めたら何の為に使うのか、何に使うとしたら、一体お金を使って何を手に入れたいのか・・・・ここまでは、自分にとっての目的がわからない状態での手段としてお金を稼ぐことがあたかも、人生の目的になっている・・・・・正に混同している・・・・

では、“一番家庭を大事にしたい”・・・家庭を大事にすることは決して人生の目的ではない、家庭を大事にすることにより何を手に入れたいのか・・・・家庭が安定して相互信頼のできる集団を維持または構築したいのか、しかし、これは本当の目的ではないはずである、確りした状態を作って、そして取り組みたいものが、人生の目的なのであろう・・・・・

つまり、よく天命を知るとか天職を知るとか、人生の最良のパートナーを得る等々云われているが、一体どれだけの人が若くして、この答えを確信を持っていえるのだろうか、また、60を過ぎた人、70を過ぎた人、80や90を過ぎた人の中ですら一体どれだけの人が死ぬ前に確信できている人がいるのであろう・・・・

歴史上の偉人の多く、また、この様なことを問い続けた哲学者であろう、誰もが頷けるような人類普遍の答えを提供してくれたであろうか・・・・なのに純粋無垢という傲慢さにより若者は答えを直ぐに欲しがる・・・当然挫折をしていく・・・・人間として脆弱性が強い人は、折れた心が立ち直れない・・・

強固な人は、それらの経験を実学の習得、現実の正しい受容・理解として、正に神の啓示として成長に結び付けていく・・・まさに、心理学で言うところのレジリエンスの強い良い人は、挫折でなく善い経験をさせてもらったと捉えるが故に、それらの人の辞書には挫折という言葉はないのである・・・・・・

世間一般で云う逆境や苦行は、レジリエンスの強い人には、“災い転じて福と成す”が自然、むしろ自動的に発生してしまうのである・・・・・・ではこの違いは一体何が最大の原動力になっているのであろうか・・・・・

最近やっとKozyの頭の中で、人生の目的とは、何なのかがすっきりしてきた・・・心身ともに健康であり続けたいと本Blogでは何度か云ってきたが、これも所詮はKozyの煩悩でしかないと反省をしている、また、新たな経験、より深い経験をすることも自己成長への手段でしかない、また、自己成長も、自己成長をして何をやりたいのかと考えると、これも手段でしかないのである・・・

残念ながら皆さんへの具体的な答えはそれぞれの経験および能力の個体差があるゆえ、ここで提示は出来ないが、最近のKozyの辿り着いた結論は、動物およびたとえ生物であっても種族保存、それも個人レベルでなく人類という種のレベルでの保存の為に生きている・・・これが人間の人生の究極の目的である・・・・

唐突に感じる人が多いと思うが、むしろ、それは当然だとも理解している・・・これは、生命の恒常性にも関係するが、“種の恒常性”といっても良いだろう・・・・つまり、人間の社会集団の維持および発展のために生きていると・・・この社会集団の維持とは、一つは人間集団の内側からの維持および向上であり、もう一つは人間集団が基盤としているその他の生態系との共存を目指すことなのである・・・・・

正に、概念的には地球を一つの生態系として捉えた“ガイア”とその中の一つの種族としての生態系である人間社会との共存を目指すことが、各個人の人間であったとしても、人生の目的だと捉えている・・・

ミクロシステムでもある夫婦または家族、メゾシステムである社会集団(友人、企業社会、地域社会等々)、エクソシステムである国家、民族、文化、宗教等々の集団、そして、ガイアを構成する人間以外の種の集団と自然環境等々のマクロシステム、これらは正にダイナミックな相互作用の関係で成り立っているのである・・・・・

一個人である人間自体は、これらの多次元の大きなシステムとのダイナミックな相互作用の中での存在でしかないのである・・・

良くも悪くも、文明の進化が、現在ではこのことを良く感じさせてくれている・・・しかし、人間の脳は、残念ながら、文明の進化が齎した、エクソシステムおよびマクロシステムの変化への対能力を持っていない・・・

自然科学が大いに発達したが社会科学は、人間の持つ構造的な問題があるが故に、変化への対応能力を持てていないと言わざるを得ない・・・・

もう少し判りやすく説明すると、人間が人間に進化した当時は民俗学や考古学の知見が示すように、集落の単位は200-250人がマックスであり、それ以上の集落は発見されていない・・・つまり、これより大きくなると分裂をしてしまう・・・また、当時の集落はミクロシステムおよびメゾシステムの中で完結していたと言って良いだろう・・・・

つまり、脳科学が解明してきた、25歳までの経験を通じて、言動のパターン化がなされ、25歳ぐらいにそれまでは短期的展望しか考慮できなかった人間が、長期的な展望を以って判断する能力を備える構造、これをKozyは自動脳と名づけているが、小さな集落の中で暮らしていくのには、これで十分に大人としての機能を発揮できたのである・・・

然るに、現代社会では一部の農村を除くと、多層な集団の影響を受けるにも拘らず、両親の価値観や経済状況により、中学校からまたは高校から同じ地域の異なる環境で育った人達の地域集団から、私学に入ったり、進学校に入ったりして層別されて限られた人間同士の限られた社会集団に入っていってしまう・・・・・

そして、大学の入学に際しては、個人の環境と個人の勉学のレベル、そして、個人の趣向により選別された大学および専攻科の選定をして、同地域および同世代の中だけでも、非常に偏った人間集団に組していってしまう・・・科学技術の進化により促された文明は、人間を大人としての機能を持つ大人を生成できなくしている・・・・

そして、社会に社会人として参入をすれば、狭い日本の中にも地域文化の違いがあり、育った時代背景が異なる世代間の違いもあり、余りにも多層な集団の下では、全てが因縁生起、つまり、単純な直接的な因果関係だけでなく、間接的な因果関係である“縁”の影響を受けるが故に、また、単純ではない多層な社会のメカニズムについて、無知に近い経験と知見しかないが故に、必然的に悩み苦しむのである・・・・

今や、上述した自動脳は、恐らく産業革命以前まではそれなりに機能したと思われるが、事実、産業革命以後、急激に精神疾患者が増加している。そして、エクゾシステムやマクロシステムは、今や、ICTの技術革新に伴い、時間や距離を超越して個人に強く影響を与える時代になっている・・・・

脳の機能は今や、心の病を増幅する方が圧倒的に多くなっているのである・・・・

更に、褒められて守られて育ってきた人間の脆弱性は人類史上最悪の状態にあり、技術革新のあまりの早さがストレスの、先進国では、人類史上最悪の機会の増加を生んでいる・・・・・

しかし、純粋無垢な心から起きてくる自己成長への過度な期待・切望が蔓延している・・・自己成長はゴールとしての結果であり、どのような生きる姿勢、つまり、直面する、また、死ぬまで直面していく、自分が不都合と思う、そして、認めたくない現実に対して、どのように対処していくのかが、人類史上、ガイアの中で最大の拡大をしてしまった人間には、自分の中に醸成されてしまった自動脳とは如何いうものであり、その自動脳を如何に正しく熟成させていくのかが、人間に課された試練でもあるのです・・・・・・

そのための方法論として、自分自身が自動脳に縛られていることを自覚して、常に自己内の自分の視点(自分自身の判断基準でもある)に謙虚になり、相手および周りの視点(意見でもある)とその裏にある判断基準を理解または確認して、人類の最大の目的である人間社会の維持とその他のガイアの全てとの共生を一番目指すべきものとして、どちらの視点と判断基準が正しいとの二者択一ではなく、この場合は本来如何あるべきかを考える第三の目を熟成させる、これを習慣化させる・・・・・

この意味では生きる目的はガイアとの共生を行なうことであり、その方法論として、第三の目を熟成させていく・・・昔から、張った糸は過ぎきれる・・・とか、過ぎたるは及ばざることなり・・等々の諺があるが、正に、机上の論理による近道は存在しないのであり、徳川家康が言うように“人生は重き荷物を背負うて、長き(坂)道を歩くが如し”を肝に命じて、また、人間は誰でも何処までの成長できることは、脳科学的には否定の出来ない事実であることも肝に銘じて、生きていくしかないのである・・・・

孔子も言っているが、“人生は何かを成し遂げるには短すぎる、しかし、何もしないで生きるには長すぎる”のであり、何処まで第三の目を、いわば、自己内に存在する神として、どれだけ素晴らしい神に、時には退行も繰り返しながら自己内の神を成長をさせれ得るのか・・・正しい方向に進んでいけば、至福の幸福感の云う成果が種々の結果を通して得られるであろう・・・

また、知らない現実とは、自己に変化を求めるものである。進化論で言われる“生存できるのは強いものではなく、変化への対応が取れたものである”といわれるが、この含意は最大のエネルギーで変化に対応していれば、体が持たない。つまり、最小のエネルギーで最大の効果を齎す対応策をうてた者だけが、真の変化への対応の成功者なのである・・・・

このことの意味する含意は、如何に自分の長所を見つけ、如何に長所を最大限に活かすことが大事であることを意味している・・・・また、最小のエネルギーで最大の効果を生むことは習慣化することでもあるのです・・・・

先日の秋葉原での無差別殺人者の加藤氏が、何故にそのような状態に追い込まれたのは非常に理解できるが、まさに、殆どの若者の中に内在している現代病でもある、しかし、本質は、若者の性急な傲慢さでしかない・・・・これからも多発するのは避けられない・・・

この様なかっこ悪い生き方でなく、かっこよい生き方をするためにも、第三の目の熟成を図る生きる姿勢の確率をして欲しい・・・・加藤氏は、正に自分の視点(第一の目)だけでしか世の中の事実を見ることしかできていなかった・・・周りにも必ず何人の人が加藤氏を支えてくれた人がいるはずであり、まさに、周りの視点(第二の目)が全く成長していなかった・・・当然第三の目は未熟以前であったと捉えている・・・・・

次回は、Kozyのお勧めの成長の方法論である第一の目、第二の目、そして、第三の目を再度深く掘り下げて説明をするので、理解をして、常に三つの目で考えることを習慣化して欲しい・・・・・これが今一番求められていることである・・・・・

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June 01, 2008

社会考察・・・心理学の大罪・・・・

最近の社会の現象を見ていると、どうしても頭に浮かんでくるのが、心理学の陰陽の陰としての部分としての“心理学の大罪”という言葉である・・・

これだけでピンと来る人は少ないと思うので、何が大罪なのかを先ずは説明をしたい・・・・

① 人間の持つ弱い・負の側面に特化して研究してきた・・・・・だから、21世紀になり強い・正の側面の研究としてのポジティブ心理学が叫ばれているのである・・・

② 自尊感情を間違えて評価してきた・・・・・自尊とは自分は変化して成長が出来るというMind Setの問題と捉えるべきである・・・

③ 心理学の知見をあたかも、現実社会で適用できるような誤解を与え放置してきた・・・・・

以上の三点に要約されると捉えている・・・一つづつ掘り下げて説明をしたい・・・・

①の人間の弱い側面に特化しての研究は、確かに精神的な疾患の構造の解明には寄与したが、逆に何とか症候群と何とか症という名前を付けることにより、例えば、人間であるが故に誰でも当たり前に持っている側面を、病気でもないのに本人に自分は病気であるというマイナスのプラセボ効果を与え、結果として、普通の人、もっと言えば、精神的な健常者ですら、より悪い状態に持っていくことを促進したとも言いえるのである・・・・・・・

本Blogでも何度も述べているが人間には恒常性が備わっており、悪い方向、つまり、マイナス方向に行き過ぎるとそれをプラスに持っていく機能が起動するのである・・・20世紀までの心理学はプラスに持っていく機能を弱める学問に成り下がっていたと糾弾されてもしょうがない・・・・・・

そして、不必要に、心理的な非健常者を増殖してしまっている・・・・・・

② 主に米国発の心理学は、自尊感情の重要性を説き、褒めること大事にする文化を創り世界へ輸出していった・・・本Blogでも何度も言及しているが、脳科学的には確かに、褒められることは快感を齎す効果があるが、この主の快感は麻痺する特性があり、ますます褒められたいとの限りのない慾を増幅していき、足ることを知りえない側面をもつ・・・・

この様な感情は自分を尊いものと本心から思う感情ではなくなっていくのである・・・・また、人間には種々の個人差があるが故に、どこまで/どれだけ出来たことが、本当に自分が頑張ったと認知できるのは自分以外には誰も判らないのである・・・多くのほめ言葉は、自分はそんなに頑張っていないのに褒められている・・・・・

それが故に、この程度の頑張りで褒められるとの認識を生んでしまう・・・そして、今度は褒められないことに対して、本来はありえない不満を描く様になって行く・・・これこそ、本当に不幸な状態なのである・・・・

脳k学の最新の知見から云いえることとして、人間は限りなく成長できる動物であり、どんどん成長できる人間になるのには、褒めることは成長の大きなブレーキにもなるのである・・・残念ながら、同時に人間は構造的に怠惰性を強くもっている為に、この怠惰性の支配を促進するのが褒める行為になってしまう側面があるのです・・・・

カウンセリングにおいてはクライアントの心的エネルギーがあるレベルを下回っている場合は褒めることによりあるレベルまで上昇させる必要がある場合があるかもしれない、しかし、20世紀の最高のカウンセラーとも言われるミルトマンは、多くの場合は叱ることを実践していた・・・・

つまり、誰も人間の持つ怠惰性に支配されやすいが故に、怠惰性に負けるなとの叱りのメッセイジがどうしても論理的には必要になるのである・・・・

以前、守ることと支えることの二つの愛情について論じたが、守ることは褒めることに通じ、支えることは叱ることに通じているとKozyは捉えている・・・・・

③ 心理学の知見は、一つは動物実験を通じたもの、もう一つは、現実の社会においては余りにも多くのことの影響を受けるが故に、ある知見を得る為には、原因になるものが他の要因の影響を受けないように統制を行なう・・・如何にこの統制が正しく行なわれるかが実験を信頼性を増すからである・・・・

人間の脳は三層構造で出来ており、爬虫類の脳といわれる脳幹、哺乳類の脳と呼ばれる大脳皮質、そして、人間独自の脳である進化した人間としての哺乳類の脳と呼ばれる大脳新皮質で構成されている・・・脳幹は生命力、大脳皮質は感情、そして、大脳新皮質は思考力を主につかさどっている・・・・

つまり、動物実験ではそれらの動物には人間のような大脳新皮質はないのである・・・それが故に科学的に考えることの出来る人間への適用は単純には出来ない・・・しかし、情動と理性が合致しないと人間は実践が出来ない、つまり、多くの場合は情動に支配される構造化にあるので、動物実験は参考にはなる・・・・

一方、現状とはかけ離れた統制された実験に基づく心理学の実験は、殆どが単純には現実の世界には適用できないのである・・・

つまり、生起される反応は個人差とおかれている状況に依存するのである・・・

実は何故にこんなことを書きたくなったのかというと、川田アナウンサーの自殺事件の報道に接するに、Kozyが心理学の大学院にいた時に、専攻科に必ず一人は、川田アナの様な三十歳前後の美人がおり、必ず一年ほどで学校に来なくなるのである・・・・・・

世間で言えば非常に美人であり、笑顔も見せる人達であり、ある意味で家庭環境および経済環境も恵まれ、一体何を悩んでいるのかと、言いたくなるようなお嬢さんたちである・・・

しかし、彼女達を観察していると、表情が不自然で、また、前側の顔は笑っていても、横から見る顔は笑っていない、そして、女性だからしょうがないところもあるが、大きく口を開けて笑うところを見たことがない・・・・・

実は、Kozyが対人赤面賞を克服した一つの理由の中に、笑うときは大きく口を開けて笑うことを意識して習慣化していったことが大きく寄与している・・・

これはある有名な易者で人相学に詳しい人と話をしている時に、笑うことは如何いうことであり、どのような効果があるかを話している時に、笑うとは口を大きく開けることなのであるとの意見を頂き実践をしてみた、今までと違う心の変化を感じたゆえ、実践をしてきた・・・・・

それゆえ、人を観察するときにも重要なチェックポイントとしてみてきている・・・・

ここからは、川田アナのことを思い出して独善的ではあるが、訃報を聞いたときに、やはり自殺をしてしまったのかと全く驚きを感じなかったKozyの川田アナへの認識を開陳したい・・・・

恐らく川田アナはご両親に褒められて、また、回りから美人として見られて育って、確か日本女子大に入学して、家庭も経済環境も、生得的な知能も高かった、問題のない状況で育ってきたともう・・・しかし、現実社会にでると、美貌ではもっと上の人があり、知性でももっと上の人がおり、それまでは褒められたレベルの努力に基づく行動では褒められることが少なくなっていったのであろう・・・・

褒められて育つことは、少なくとも人間の精神的な強靭性を弱めることはあっても強めることはないのである・・・つまり、人間的には本当に自分を自分自身で追い込んで頑張ることを、そこまで頑張らなくても褒められてきたことにより人間としての脆弱性は強かった・・・・

そして、ストレスは、社会に出て、それまでに守られてきたが故に、当然大きいものとなっていたと容易に推測される・・・また、この様に育ってきた人達には嫌な思い、苦しい思いは自分自身での体験が少ないが故に本当の優しさはもたない、一方、こうすれば人を思うように使えるという社会的なスキルは自然と身につくのである・・・・

この思い上がった気持ちで社会に出ると、見抜く人は見抜くのであり、実際はフリーになった後の活躍状況を鑑みるに、嫌な女だと業界では見透かされていたのではないだろうか・・・

週刊誌によると、彼氏にフリーになるように勧められたとの話が出ていたが、恐らく彼氏は川田アナに川田アナが如何評価されているかを知って欲しかったのではないだろうか・・・・

そして、川田アナは自分が如何に好かれていないかを知ったのではないだろうか、典型的な統合失調症に陥り、更にうつが強まった結果、母の日に母親をなじる事になった、そして余計に自己嫌悪に陥った・・・・もし、足ることを知っていたなら自殺を踏みとどまることが出来たと思うが、重度な統合失調症に重度なうつが重なると、自殺への王道になってしまうのである・・・

正に昔は考えにくかったベンツ社内での自殺・・・これからは増えていく自殺のパターンである・・・・・

特に女性に言いたい・・・・笑うときは口を大きく開けて笑おう・・・これだけでも心のエネルギーは増えるのである・・・また、落ち込んだらスウィートを、つまり、甘いものを食べよう・・・砂糖はブドウ糖に変化するので脳の機能が低下したときには絶対に必要なのである・・・

マスコミに踊らされてはいけない・・・女性が甘いものが好きなのには、女性の方が男性の八倍もの観察力がるがゆえに、うつに陥りやすい・・・・

笑うときは大きく口を開けて、恥ずかしければ手で口を隠せば良い・・・Kozyは女性の笑うときの口の大きさを見て精神的な健康度を判断しています・・・・また、うつになったら、限度はあるが遠慮せずに砂糖を摂るべきなのである・・・・・

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April 29, 2008

現実と自分の折り合いをつける能力とは・・・・・

選択と折り合いへの考察してみると・・・・人生を生きることは選択をして前に進むことである。しかし、この選択のときに大事なのが、現実と本当の自分との折り合いを付けれる能力を如何に持てるか、しかし、選択の時間は限られている・・・また、現実との対峙能力、本当の自分を人間は概念的には、個人的には確りと捉えていると理解はしているが、この概念を正しく言語化することは非常に難しい・・・・

ここで重要なのが広く深い経験とそれに基づく思考能力という洞察力である・・・・しかし、人間としての叡智としては、経験と思考、端的に言い換えると、経験にともなう情動と理性という名の思考能力の折り合いを付ける能力なのである・・・

この折り合いとは、経験と思考の仲介機能に大きく依存するのである・・・Kozyも若い時に、Mediation=瞑想として捉えて、瞑想の機会を意図的に作ることを意識してきたが、むしろ、“無我”の境地という言葉の意味に憧れていた側面が強すぎたと反省している・・・・

つまり、瞑想にふけるには、年齢とそれに伴う経験により瞑想の目的が異なってくるというべきだと、今は反省している・・・つまり、如何なるものが、どの様に影響力を発揮して、どのような結果へ導くのか、その多次元さと複合的な動的な影響、この影響も、約6割ぐらいが直接的な因果関係であり、残りが複雑で多次元名間接的な因果関係である“縁”によるものである・・・・

そして、直接的な因果関係はまだ理解をしやすいが、間接的な因果関係を理解することは非常に困難なのである・・・釈迦もこの点では普通の人には、不可能ではないが不可能に近い、つまり、現実的には無理であろうという趣旨の言葉を残している・・・

ジョージ・オーウェルは端的に「いやしくも物を考える人間なら誰でも、頭脳の内部で起きていることを描写するのに、私たちの言語は事実上役に立たないことに気づいている」とも云っている・・・・

では、多くの人達、特に若い人達は、自問しても生きづまり、同じ過ちを犯す人が余りにも多いのは何故なのか、一つは正に本当の有りの侭の自分を傲慢な思い上がりというプライドに縛られていて、自分を、馬鹿で醜い自分を受容できない・・・そして、受容できないから、自己のバイアスに縛られてあるものが見えない・・・・

正しい現実と正しい自分自身が解らなくて折り合いが付けられる訳がないのである・・・・最近、Kozyが無意識のうちに何度も口にする言葉として、“人間の持つポテンシャルとして(つまり、脳の構造的な特性より)、誰もが素晴らしく成長する可能性を持っていると同時に、最悪の人間になっていく両面を持っている”・・・つまり、人間みな大なり小なり大して変わらないのである・・・・

また、生命の恒常性より、最悪の人間に100%なれる人はいない・・・残念ながら、凡人では100%善い人にもなりきれない・・・これも人間の本質の一つなのである・・・・だから、誰もが悩むのです・・・・

つまり、くだらない虚栄心に縛られて不幸になっていくか、人間が故にちょっと油断すると不幸になっていく構造、つまり、自己の悪さ加減を正しく強く認識して自分に常に言い聞かせることにより、幸福な人生を全うするか・・・これが人生の分水嶺になるのである・・・・

本Blogで何度か触れたことがあるが、関西には金儲けの三かき・・・という言葉があるが、汗をかき、義理を欠き、恥をかくことの三つの“かき”を実行すれば金儲けが出来るという意味であるが、この深い含意は、人間が幸せになるには、あるべき三かきをすれば善いと理解をしている・・・・

つまり、努力という汗をかかなくては幸福を求める資格がない・・・・

本当に守らなくてはいけない義理とは、何なのかを掘り下げることなしに、不必要な義理に縛られているようでは幸せにはなれない・・・・つまり、自分を守ってくれた人ではなく自分を支えてくれた人達には感謝の念を忘れない・・・出来るお返しをする・・・出来ないことを誰も期待していない・・・・・

本当の恥とは何なのか、このことを掘り下げることなしには、幸福にはなれない・・・つまり、恥とは、自分自身で感じるだけの感情であり、その結果耳が赤くなる状態を表した漢字なのである、周りへ自分の虚栄心を示そうとして、それが受け入れられないから感じるものではない・・・・

また、個人には個人の個体差および各個人の固有の経験があるが故に、本当にどれだけ出来ることを頑張って実行してきたのかは、論理的には自分自身しか判らない・・・しかし、未熟な人は、人に褒められたいと思う、たとえ十分やれることを実行していなくとも、褒められることで自尊心を維持したつもりになってしまう・・・

この様な自尊心は、やれることを頑張って実行しなくても褒めてもらえる状況に、自分自身が甘えてしまう・・・つまり、脳の持つ怠惰性にマケ癖をつけるだけなのである・・・・・本当に褒めることが出来るのは論理的には自分だけである・・・この歴然たる事実を忘れることにより、馬鹿げた恥に縛られる・・・・・

以上で少しは理解を深めていただいたと希求するが、関西で云われる“金儲けの三かき”とは、自分自身が大事だと思っている恥や義理をかくという実践を通じて、それまでの社会的な通念を再学習する、そして本当に守らなくてはいけない義理と本当にかいてはいけない恥とは何なのかを体得することが、結果として、お金がついてくる・・・・幸せになるのに十分なお金はどれほどのものかを体得させてくれる、人生のトレーニング・コースの一つであると、Kozyは、理解している・・・・

季節柄、五月病の時期であるが、サラリーマンの格言の中に“三日、三ヶ月、三年”というのがあるが、この説明は以前しているので省略するが、今回は、この意味の中で、“現実と自分の折り合いをつける”という切り口で紐を解いてみると、・・・・・・・・

最初の三日間で社会人として生きていく覚悟の表出として、学生時代の怠惰な生活からの決別が試される・・・

最初三ヶ月で、現実と本当の自分の直視能力が問われ、その体得具合が、自分自身の言動に表出してくる・・・仕事においては、全体の流れがわかっていない、如何分担して仕事をしているかがわかっていない、また、頭でわかっても体が自動的には反応しない、つまり、経験とはこの反応速度を高める事でもある事を解っていない・・・・

人間は過去に習得した知識や経験を通じて、自動的に反応する回路を作っているが故に、新しいことに対する面白さや重要性の理解は直ぐにできない、それ故、端的に言うと失敗をするように出来ているのである、失敗はこのレベルでは、自分がやれることをやっている限りにおいては恥ではないのである・・・・・

人間が人間である為には、これらの失敗から如何に多くを学ぶかが問われるのである・・・・困ったことに社会人になる前までの成功、つまり、社会的なスキルは、其れまでの、たとえ同世代であっても限られた人間社会で有効であったスキルであり、如何世代の中でも非常に多くの多様性があり、世代が異なれば社会的な文脈の異なりより、更なる多様性がある・・・

上述のような社会的なスキルは、失敗の傷を大きくしてしまうだけのものが多いのである・・・・

そして、三年もすれば、“本当の現実と本当の自分との折り合いをつける方法論=スキル能力”が表出してくるのである・・・だから、組織社会の中では三年で一生が殆ど決まってしまうのである・・・・・・・

また、標準的には22歳で就職すると考えると、25歳という年齢になるが、脳科学的にはちょうどこの年齢で、自分の中での判断基準の優先順位が一旦固まってしまう時期と重なるが故に、三年間での学習は大きな効果を生むのである・・・・つまり、他の人より悩みが少なく成長が出来るのである・・・・・

しかし、現代という時代は、技術革新が人類史上、最高のスピードで進展している。昔から、Kozyは多くの大人の愚痴を聞いて、また、社会人の生き様を、母が独身寮の寮母をしていた関係で、若くして人間の成長の問題、そして、社会のメカニズムを感得してきた・・・・・・・・

通常の人には味わえない環境に身をおいてきたゆえ、“自分の人生は25歳までに決めろ”と自分にいい書かせると同時に友人にはアドバイスをしてきた・・・・・脳科学の最近の知見からは、この捉え方は正しかったと確信している・・・・

現在という時代では、技術革新が齎す価値感の変化のスピードの高速化が、昔はまだ25歳までといいえたが、今では、25歳までの経験と習得したスキルでは、不十分になってきていると確信している・・・・・・・

正に一生、それまで体得したものが、現実と折り合いが付けれなくなったら、速やかにそれまでの価値観から知恵ですら棄却して、白紙の心で現実を直視して、自分を直視して、折り合いをつける=再学習の連続である・・・このことが、人類史上で一番強く求められる時代に入っている・・・・・

この様に考えると、今や、虚栄心は言うまでもなく、プライドの類の殆どが維持するのではなく、何時でも棄却できる存在として捉える生き方が求められる時代認識が必要になる・・・正に、赤ん坊のように白紙の心で何でも経験を厭わずに、経験を通じて再学習された実学ですら、棄却する為の強い仮定であると捉えることが必要なのである・・・・・

新しい経験、より深い経験等は、嫌なことと感じるのは当然です・・・みんな同じなのです・・・大事なことはそれまでの限られた経験により醸成された自分の殻に回避をしないことです・・・この回避行動をしていくことは、ますます、折り合いを付けることが難しくなっていくことなのです・・・・この様な馬鹿げた選択だけはしないで欲しい・・・・・

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April 15, 2008

もっと頭を使おう・・・掘り下げるとは・・・

前回、[明るく、元気で、希望を持って頑張ります]というのを掘り下げてポストしたつもりであるが、妙にこの言葉が自分の頭にこびりついている・・・・前回は含意を中心に掘り下げたが、この三つの頑張りがお互いに作用して、その人の人生を形作っているのであろう・・・・

話は飛ぶが、人間は進化の過程で、光の三原色である赤、緑、青、Red, Green, Blueの頭文字をとったのがRGBであり、最近はRGBは聞く機会が減ってきたが、実は、Greenのセンサーを放棄した、人間が今Greenだと思っているのは、RedとBlueのセンサー能力を上げて、その二色からの違いから、結果として、仮想のGreenのセンサーを再取得した・・・・

Kozyは個人的にはGreenという色が好きだ・・・しかし、本来グリーンというセンサーを放棄した人類がGreen Ageを迎えようとしているのは、何か非常に深いものを感じざるを得ない・・・・

何が言いたいのかというと、生きることで大事なことは、明るく、元気で、希望を持っての三点で、各三項からの乖離状態、また、ある二つの項からの乖離状態、また、それらの力関係や相互作用で、全てが説明できるということが云いたいのである・・・

また、これらの三つを考えるときに、何が本当の目的なのか、何がその目的の為の方法論として必要なのかということを、常に自問自答する習慣が大事になる・・・また、自問自答とか掘り下げて考えることの重要性を何度も云っているが、このことを掘り下げて説明したことがないことに気がついた・・・・・

また、話が飛ぶが、心理学は、統計解析とPCの技術革新により、統計解析をすることが主流になってきているが、幾ら統制してもバイアスは避けられない・・・

バイアスには、実験協力者のバイアス、そして、研究者のバイアスがあり、また、どんなに避けようとしても、何らかの文脈の影響を全ては回避することも不可能であろう・・・このことを理由に、有意さが有るという有意レベルを5%まで下げた研究が多い・・・

記憶が曖昧であるが、確か大阪大学の先生が、“Why問法”、つまり、質問表に回答してもらうが、それは何故ですか、また、その答えに関してそれは何故ですかと可能な限り、何故を続けて記入してもらうというものであり・・・・最低でも三回はWHYに対して回答してもらうと、真意がより正しく捕まえることが出来る・・・・・

自問自答とか掘り下げとは、正に、WHYを繰り返すことであり、理想は、論理では説明できないところまでWHYを繰り返すことであり、最後に到達するのが、論理ではなく感性でもあり、個人固有の情動でもあるのです・・・

このレベルに到達する途中の論理的に説明できる答えが、自分自身の判断基準というものになる・・・・

また、更に、感性や情動反応を掘り下げて、自分は何故にこのように感じるようになったのかと問い続けると、そこには個人固有の経験と身に付けてきた習慣が関係していることがわかってくる・・・・

ここまでの議論は、Kozyでも、学生時代に徹夜で議論をした時ぐらいである、何故そう考えるのだとお互いに議論を掘り下げていった・・・・ここまでの議論が出来る人は、非常に少ない、何とならば、そこまで自分自身を見つめていない人が殆どであるからである・・・・・

Blog発信四周年を数日後に向かえ、種々考えてみると、この時に、議論での勝ち負けの意味のなさ、そして、経験の持つ重要さを、また、多様性の受容の大事さを悟った・・・・そして、カッとくることの空しさを痛感した・・・

Kozyの人生には幾つもの転機にある出来事=エピソード記憶があるが、若き血潮の漲っている時でないと出来ないことかもしれないが、一度はこの様な体験を持つべきである・・・

それまでは、明るく振舞うことは、小学校時代に聞いたナットキングコールの“Pretend”に感銘して、暗くなるときに暗く落ち込んでいても仕方がない、また、明るく振舞いことで自分も元気になり、相手のリアクションも良くなることを体得していたが、今で云うPositive Mind Attitudeがあったから、徹夜の議論が出来た・・・

また、その何者にも囚われずに取り組んでみる元気があった、そして、それまでの経験を反芻する習慣があったが故に、議論をすることに価値を見出すことが出来た・・・つまり、議論の展開への希望を捨てずに取り組めた・・・・・

この様な徹夜の議論をすることは、明るさがないと喧嘩になり、元気がないと続かない、そして、この議論の展開にポジティブな希望が持てないと取り組めない・・・・面倒なことでもあり、忍耐力の要ることでも有る・・・・・

人間は確かに成長慾がある・・・以前述べたように、異性との恋に落ちることと同じであり、成長したい=強くなりたいと言う慾をもっている・・・しかし、人それぞれ、明るさ、元気さ、希望の維持能力に、差が有る・・・経験が違えば差が出るのは当たり前なのである・・・・

また、成長という最大の目的の為に、その為に自分は何が弱いのか、明るくなれないのか、元気になれないのか、希望が維持できないのか、これらの三つは全て向上させることが必要になる・・・つまり、成長の為の方策として先ずは何を強化すべきなのかを、真摯に自分を振り返ってみて欲しい・・・・

ここで、また、今回の最後として、成長には経験と思考の両方が必要であるが、価値ある経験は何時でも出来る訳ではないが、価値有る思考は何時でも出来るのである、また、脳は使えば使うほど良いのである、頭でっかちとは机上の理論に縛られることであり、自分を振り返る思考は、むしろ正しい行動への導くのである・・・履き違えないで欲しい・・・・

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March 30, 2008

新シリーズ:新しいドア(DOA)を開けよう(第5弾)・・・自分に言い聞かせる言葉(言霊の利用)・・・毎日が卒業日等・・・

新シリーズ:新しいドア(DOA)を開けようの第五弾として、自分に言い聞かせる言葉(言霊の力の利用)・・・・・・として、今まで折に触れて発信してきた言葉で、特に言い聞かせて欲しい言葉を厳選して、説明を添えて、まとめて見たい・・・・・・DOAの意味は、今までの連載で、常に述べているので、流石に省略させてください・・・・

今から述べる短い言葉は、その言葉の意味深く説明をさせて頂くので、この含意をよく理解して、自分に言い聞かせてください・・・・・・・

今振り返っても、自分自身に反復して言い聞かせることいにより、通常はよく言霊という表現をしていますが、脳科学的には反復による間違った認識の書き換え、ある時には自動的に回路の切り替え効果、そして、自分が折れてしまいそうな時に、大きな気付きを勇気を与える効果がある・・・・

この種の言葉が、効果がでるのは、含意をよく理解して、本当に自分自身が納得することが大事ですが、更に大事なのは、自分自身の言葉に置き換えて、肝に銘じることなのです・・・Kozyの言葉を、可能な限り、自分の言葉に置き換える努力をしてください・・・・脳科学的には、このことが、脳内の関係する部分に行渡るとともに記憶しやすくなるのです・・・・大事なポイントです・・・・

本Blogでは、あるべき正しい生きる姿勢の確立を説いていますが、これらの言葉は、生きる姿勢の確立の維持と一歩後退した後の二歩前進の踏み出しに役立つ言葉になります・・・・・

現実は神の啓示

これは人間の成長のメカニズムから言うと、限られ、そして、守られ生きてきた25歳までの未熟な経験に基づき、人それぞれが自分の中に自分の価値観・信条等を築いている・・・25歳とは既に社会人になっている人達になりますが、同世代ですらすら既に偏った見かたしか出来ない、そして、上および下の世代の人にも、自然ではありますが、偏った見かたしか出来ない・・・・

そして、社会のある集団の一員になり、異なる集団とも繋がりを持つようになる・・・集団内にしても集団同士にしても、すべて、ダイナミックな相互作用の中で成り立っている・・・・これらが現実であり、そこから生まれる相互作用の結果が現実なのです・・・また、この現実の中で生きていくことしか出来ないのが現実でもあるのです・・・

だから、いかなる現実も神の啓示として受け入れて自分の中で再整理をすることが、間違った妄想に囚われずに、一番効率よく成長しながら生きていける方法なのです・・・・・この再学習で習得したのが実学なのであり、如何に多くの実学を習得することが出来るのかが成長なのです・・・

毎日が卒業日

孔子の言葉で“人生は何かを成し遂げるには短すぎる、しかし、何もせずに生きるには長すぎる”・・・徳川家康は、“人生は長き道(まは、坂道の両説がある)を重き荷物を背負いて歩くが如し”とも言っています・・・釈迦は“一切皆苦”と説いている・・・これらの偉人達は、この様な悟りに至っている・・・・若い人には受け入れたくない現実だと想いますが、Kozyは、小中学校の時から、同じ観念を持っていたのですが、そう思うと、色々のもが急に見てきた・・・・・

また、ある賢人が“老人は過去に生き、青年は未来に生きる”といっており、この言葉も辛い思いをした過去を言い訳の材料にしようとしていた自分に強烈な気付きを与えてくれました・・・そして、“Stay young at heart”を自分に言い聞かせるようになりました・・・・

また、釈迦は因縁生起を説き、それ故に、“諸行無常”と“諸法無我 ”・・・つまり、一切の形成されたものは無常であり、縁起による存在としてのみあるが故に、常なるものはなく、そして、人間はその中で相互作用による存在でしかないので自分がある、自分は、と言うような我はないのである・・・・・

“因縁生起”とは、「因」は直接原因、「縁」は間接原因のことであり、世界の一切は直接にも間接にも何らかのかたちでそれぞれ関わり合って消滅変化しているという考え方を示しており、言わば、最新の心理学でもある生態心理学(アフォーダンス心理学)などは、欧米人がやっとこのことに気づいて、また、脳科学の発展が寄与して、“諸法無我 ”に取り組み始めたといいえるのです・・・・

実は、この“毎日が卒業日”という言葉は春休み特集番組などで、卒業関係の歌が多く特集されていて、その歌詞を幾つも聞いていると、悪い側面では“老人は過去に生きる”も感じますが、これからの未来という意味で“青年は未来に生きる”側面があり、また、多くの歌詞が、正に、“因縁生起”の信条を謳っているので、ふと自分を振り返ったときに、流石に毎日が卒業日として捉えてきたとはいえませんが、上で述べた言葉を全て包含して、言い聞かせる言葉として、これは善いと感じた次第です・・・

そして、毎日が卒業日だと捉えて、周りの人に感謝をして、“因縁生起”に留意して、明日の為に、今日を精一杯大事に生きる、そして、新たな気持ちで明日に向かっている・・・・・毎日が日曜日は最悪の人生になりますが、“毎日が卒業日”を言い聞かせて生きていくことは、何かに取り組むときにも、人生を長く感じることが出来るはずです・・・・

What is changing または、毎日に変化の予兆

英語の好きな人は、英語で、日本語が好きな人は日本語で言い聞かせてください・・・これは、上述の“諸行無常”のことでもありますが、普遍なことはないという意味でもあり、周り・社会だけでなく、自分も知らず知らずの内に、変化を余儀なくされている、また、変化している・・・・この当たり前のことを忘れないでほしいということです・・・

もっと掘り下げると、変化し続ける社会に対応するには、自分が変化し続けることが当然のことであるということを理解して欲しい、変化への対応を怠れば、より辛い苦が待っているだけなのです・・・

また、常に何が変化しつつあるのかの意識を持ち続けると、変化へのセンシング能力が向上してきます、また、これは、“現実は神の啓示”という姿勢が出来ていないと、不都合な現実の変化を見ることは人間には出来ないのです・・・・・・・・

変化へのセンシング能力が向上が成されてくると、先見性と洞察力が向上していきます・・・これが人間の真の成功への導いてくれる・・・

Beautiful Switcher または、切り替えの達人

どちらを使っても結構です・・・人間の脳は、生物の恒常性(ホメオスタシス)の原理によりシステムが機能しています、そして、人間は構造的に両義性(アンビバレント)な特性を持っています・・・脳の曖昧性と恒常性に起因している・・・念の為、恒常性とは行き過ぎると戻そうとする、つまり、ある状態を保とうとする性質です・・・・

人間の求めるべき、しかし、到達できないゴールは臨機応変の中庸というバランス感覚です・・・当意即妙でもあります・・・この事は、異なる価値観を正しく理解すること、および、人間と社会のメカニズムを正しく理解するこちにより初めてできる事がSwitch-wellです。

Switch-wellには、異なる価値観の正しく十分な理解があって、切り替えが上手くできる・・・また、その場合の異なる文脈の存在とその影響を知ることが人間と社会のメカニズムの理解の含意です・・・

そして、人間には方向の全く異なる才能があります。ネガティブ思考も才能です、ポジティブ思考も才能です、片方だけでは失敗を招く・・・・・・・

十分ネガティブ思考で問題点を整理できたら、その現実に基づき、ポジティブに整理をして、方針が決まれば再度ネガティブ思考で検証をして、答えの選択をする、一旦決めたら、ポジティブ思考で行動に移す・・・楽観および悲観も同じです・・・容易なことではありませんが、必要に応じた切り替えを肝に銘じてください・・・・

希望も夢を自分が維持して作るもの

人間は報酬系より嫌悪系に縛られる、つまり、恐怖感が一番強い情動だからです・・・だから、悲観的な思考やネガティブな思考には陥り安くなり、その結果、恐怖感に縛られて自分が変わることが出来なくなります・・・・克己とは、この恐怖に縛られた自分に打ち勝つ重要性を先人が伝えてくれている・・・しかし、これだけでは、打ち勝てない・・・・

本Blogで何度か述べていますが、徹底的にパラノイアになって、物事の陰陽の両面思考をしていくと、良い事と悪い事がどのぐらいの確率で起きるか、また、如何いうときに悪い事が起きるかまで掘り下げて考えていくと、意外と全てが悪くなる確立が高くないことがわかってきます・・・・

また、脳内にはミラーニューロンがあるので、相手の為、そして、もっと多くの人、つまり、社会の為に善い確信を持って行動をすると、善いことが起きる確率が高まり、悪い事が起きる確率が下がることが解ってきます・・・・ここまで掘り下げて考えられる能力を人間はもっているのです・・・・

つまり、夢も希望も自分で物事を掘り下げて考える知的思考能力を磨くことにより維持されるものなのです・・・希望は本来誰でも維持出来るものなのです・・・そして、この希望の維持能力があって初めて夢の達成確率が上がる・・・

人間の脳は曖昧性の取得により発達してきたものです、それ故、曖昧で多くが不適切なのが人間の感じる恐怖感の本質なのです・・・知的思考能力で精緻化して、対応してください・・・念の為ですが、“諸法無我”の境地とは、我が無いが故に、欲から解放されることであり、これ即ち、苦=恐怖感からの開放でもあるのです・・・人間は、ただ単に生かされているだけの存在なのです・・・

目的と方法論を混同するな

昨今は、拝金主義の人が残念ながら増えてきています・・・そして、お金を稼ぐこと、お金持ちと結婚すること、金持ちになることを人生最大の目的だと公言する人がいます・・・お金が目標???・・・人生の目標は???・・・とたずねるとお金があると何でもできるからと答えるのでしょうね???・・・・一体、お金で何をしたいのですか、その目標は何なのですか???・・・答えが出てこない・・・

拝金主義に囚われた人達には、目的が無い、また、方法論に追われ目的も見つけられない・・・つまり、本当の夢も希望を無い人達になってしまいます・・・これでは、お金持ちになることすら頓挫してしまう危険性が大なので、人生の目的と方法とを混同しないで欲しい・・・・

恐らく、この様な人達は、目的として幸福になりたいと言われる人もいるでしょう、しかし、少なくともお金持ちになることは決して幸福になるとは合致をしない、お金が減ることが心配でお金に囚われて生き方しかできない・・・お金の奴隷になる・・・・

Kozyは自分の固有の強さを速く見つけ、それを活かして、多くの人に喜んでもらうことが幸福の本質だと捉えています・・・これが出来れば、お金がついてくる・・・・・・お金は一つの例ですが、目的と方法論を確り峻別して生きることが、心のエネルギーの維持。増大に寄与するのです・・・・肝に銘じてください・・・

更なる例として、報酬や快楽は目的ではありません、目的は目的達成の為の心のエネルギーの維持の為の方法論の一つとして、報酬や快楽があるのです・・・これが人間の持つ機能の正しい使い方です・・・・

6因4縁(ろくいんよんいんと呼んでください)

釈迦は、“因縁生起”の縁起=間接的な関係性から生まれて起きてくるもののメカニズムの理解は常人には一番難しいであろうと言っています・・・種々のケースがあるゆえ、確かに言葉では説明できないものなのでしょう・・・しかし、ある実験で、直接的な因果関係で生じるのは、人生の中で、6割、縁起である間接的な因果関係で起きるのは4割と聞いたことがあります・・・

しかし、因縁とも個人との相互関係により生まれてくるものである事を考えると、全て因果応報、また、自業自得といえるでしょう、そして、半分以上が直接的な因果の結果、即ち、6割ぐらいを占める、そして、縁起が4割ぐらいを占める・・・個人的には非常に納得感をもてます・・・また、そうあるべきだとも思います・・・・

だから、縁も非常に大事になると同時に、一番大事なのは直接的な因果となる・・・この様に捉えて生きるのが一番捉え方として正しいのではと思っています・・・だから、“6因4縁”を肝に銘じて起きて欲しい、また、失敗原因の帰属は、所詮は自分自身でしかないと捉えて生きて欲しい・・・しかし、縁が4割なので縁にも正の相互作用を心がけて欲しい・・・・・

一石何鳥

人間の本質は生態系で生き残れる生物が、全てそうであるように、最小のエネルギーで最大の効果を求めて生きています・・・この事は、言い換えると、人間の本質は怠惰性でしかない・・・・Kozy自身も本当二怠け者だと強く認識しています・・・・・

しかし、ある行動が何れは遣らなくてはいけないもので、且つ、一石二鳥よりも何鳥にも成るならば、流石の怠け者のKozyを遣らないと損だという気になります・・・だから思い体が動くのです・・・・しかし、二鳥、三鳥、四鳥とするには、正に知的思考力を屈指して、遣らなくてはいけないことを、掘り下げて理解する必要があるのです・・・・

多くの場合は、遣らなくてはいけない行動の細分類をすることが、何長にも増やす事になります、つまり、ついでにここまでは、または、ここ部分だけは先に遣ることが出来るという分析能力と洞察力が必要になる・・・これは、システマテックなプロセスに分けて理解できているかに大きく依存します・・・・・

人間には思考力があります・・・思考は何時何処でも出来ます・・・普段から掘り下げて考える習慣をもつようにしていれば、この能力は向上していきます・・・これは、仕事の能力向上にもつながり、自己成長の近道も教えてくれます・・・・だから、“一石何鳥”が大事な言葉になる・・・肝に銘じてください・・・・・

意外と厳選するのは難しいですね・・・・・まだ言いたい言葉はありますが、長くなりすぎるので、言葉だけを追加します・・・・・

“如何にい習慣を身に付けるかで人生が決まる”・・・・“結婚は人生で一番重要なパートナーの選択である”・・・・“確信を持つな、もてば、成長は終わりだ、強い仮定として扱え”・・・・“五感で考えよう”・・・・“自己内概念の自己の言語化を疑え”・・・・・“受身は損”・・・・ここではここまで・・・・・

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February 22, 2008

人間不信の解消策・・・ブリーフ・セラピーSFAの例・・・

最近の人の中で、昔に比べると、人間不信が強くなっている気がしてならない・・・・いじめの問題が叫ばれて久しいが、多くの人達の人間不信は、いじめのトラウマ経験からきていると言っても良いのかもしれない・・・それが故に、人間に無関心になるという悪循環に陥る・・・また、人間不信を、恥を忘れた大人が増えて来ている事が、さら
に、拍車をかけている・・・・

いじめとは、心理学的には、人間になる為に、最初は同化することを学び、小学校の高学年ぐらいか、異なる環境と異なるDNAによる個性が生まれてくるが故に、違いを学ぶ訓練期間にいじめが発生する・・・同化学習から違いの学習、いわば、パラダイムシフトという葛藤から生まれる行為である・・・この以前には男女の差も殆どないのである・・・・

確かに、一部の人はこのパラダイムシフトの苦悩から、成長が止まっている人はいるかもしれない・・・平和の代償として・・・しかし、少なくとも、男女の違いは認めている・・・また、圧倒的多数が、この試練を乗り越えて成長している・・・・

仕事は成長の場である・・・と何度もいっている様に、仕事は一人で全て出来るものではなく、お互いに分担をして、チームとして行なうものであり、仕事を通じて、愛他性を学習していくものでもある・・・・お互いに分担することは、お互いの違いという特性に基づく、違いを受容するものでもある・・・・

また、人間不信ということは、自分も人間であるが故に、自己不信ということでもある・・・いじめを受けた時代から、自分自身は本当に成長していないのでしょうか・・・つまり、自分自身が成長していると認めることが出来れば、人間不信は消えるのではないでしょうか???・・・

また、25歳までは、短期的な展望だけで行動に移せるが、それまでの経験で習得してきた中長期での展望が25歳以降の脳では取り組まれています・・・・人をいじめることが、相手に何を齎し、また、自分自身に何を齎すのか・・・また、チームの一員であるとは、同じ集団の一員であり、同じ仲間がいじめられていれば、脳内で同じように感じる「ミラーニューロン」と言う部位が前頭葉で発見されています・・・・

「ミラーニューロン」は、正に、真似るという同化の機能のことでもあり、共感力を養う機能でもあります・・・相手を見るだけで脳内で感じ取る・・・よくスポーツの世界でイメージ・トレーニングという言葉を耳にしますが、「ミラーニューロン」の強化トレーニングでもあるのでしょう・・・・

また、カウンセリングにおいても、具体的にイメージできることは実現できるという知見があります・・・イメージ出来れば、体が受け入れたということを、意味していると捉えています・・・・

人間不信という感情を抱くことは、そのイメージが抜けないということでもあるのです・・・このような感情が残っていることは、まさに、心のエネルギーへのマイナス機能の強化装置を内蔵している事と同じといい得るのです・・・・人生のあり地獄への道を歩んでしまう可能性が非常に高くなる・・・・

それが故に、一旦このイメージが起動しているときの判断は、必ず逃避的、または、回避的な判断にしか導かないのです・・・・このような場合は、決して大事な決断をしてはいけないのです・・・逃避や回避の先には間違った判断しかまっていないのです・・・理由は非常に簡単です・・・事実に基づかない判断をしてしまうからです・・・・

このような状態に陥っている人には、次の二つの観察課題を実行して欲しい・・・・

1.現在の自分を取り巻く人は、昔のいじめをした人、また、それを無言で容認した人たちと比べて、同じですか・・・同じように成長していない人たちばかりですか・・・違いあるはずです・・・違いを探して記録してください・・・

2.自分に関係する行為をする人たちの行為を全て有難う御座いますという言葉に置き換えて捉える様に努力してください・・・例えば、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんという言葉は、何何していただき有難う御座いますと言い換えることが可能になります・・・いわれた方も、迷惑をかけられた言うことの喚起がされるのではなく、感謝されたとの気持ちが残り、お互いにこの方が良い連鎖を生起していくのです・・・・・・そして、感謝したことを記録してください・・・・

この二つの観察課題を一週間実行して、記録を見て下さい・・・そして、今や昔のようないじめは起きない状態であることを、最初はイメージしてください・・・イメージが出来れば、既にトラウマは卒業になります・・・・

ただし、そのイメージの中で、自分は今までと違った行動をしているはずです、朝起きたときから寝るまでを全てイメージするともっと違った行動をおおくしていることに気づくはずです・・・このことを確認して、これからは行動課題として実行してください・・・・

もし、イメージ出来ないようであれば、更にもう一週間、観察課題を実践してみてください・・・必要なら更に続けてください・・・

人間不信から脱却できない人は、そのような気持ちを持って行動している限りは、周りからも気づくので、当然、嫌われて、いじめたくなる対象に自分から追い込んでいる側面があるのです・・・

また、本当の自分からかけ離れた、恐怖から逃げれる自分、または、虚勢を張った自分を提示している・・・これを心理学では自己呈示といいます。有りの侭の自分を出すことを自己開示といいます・・・この差が大きすぎると、当然、ストレスが多くなり、心のエネルギーのマイナスを増やしてしまいます・・・・

上述した“違った行動”が、直ぐに全ては取れなくても、出来ることから実行していけばよいのです・・・一つづつでも良いのです・・・一つ出来ると、二つ目は更に取り組みやすくなります・・・一番取り組み難いのは最後でいいのです・・・・また、“違った行動”が取れなければ、また、観察の行動課題からやり直しても良いのです・・・・

これは、自分のもっている妄想からの開放の一つの方法です・・・・これが、問題解決志向のブリーフ・セラピーでもあるのです・・・行動課題を考えてあげる・・・そして、もとに戻らない為の、方法も伝授する・・・コーチングと似て非なるものなのです・・・つまり、常に隠れた目的としてポジティブ感情を高上させる側面があるのです・・・・・

人を成長されることは、不適切な恐怖感に基づく妄想からの解脱を促すことであり、このの為に、現実との違いを探させて、正しいイメージを抱けるようにして、それまでと違った行動=行動変容を可能にする・・・そして、これらの成功体験をドライバーにして、ポジティブな感情を増やすようにする・・・・・・・

ポジティブ感情が増えるともっと大きく困難な行動変容=成長が出来る・・・・ある意味では恐怖感の悪循環からの解脱活動でもある・・・しかし、ここで述べた観察課題とても、現実直視の苦悩体験でもあり、簡単ではない・・・

それ故、自己の持つ得意なことを活かす観察方法とか、自分をサポートしてくれている外的なリソースの発見から行なう必要もある・・・また、恐怖感からイメージできない場合は、それらの阻害要因が、奇跡が起きて全てなくなったと仮定をしてもらい、イメージ力を高上させる必要もある・・・このことをミラクルクエッションと呼んでいる・・・・

つまり、如何に縛られている恐怖から解き放ち、発想の自由化を促進するか・・・このためには、まだまだ色んな方法がある・・・

現実から離れすぎた未来では、流石にイメージ障害が少なくなる為に、そのイメージの中での自分を観察してもらう手法もある・・・そして、現在の自分と違う行動を行動課題として実行してもらう・・・・これをタイムマシン法とも呼んでいる・・・

スケーリングという方法もあるが、現在の自分の状態がゴールを10点満点とすると、今何点ですかを本人に規定してもらい、例えば、1点上げるとしたら、何なら出来ますか、何も出来ない、では0.5点なら何か出来ることがありますか、つまり、どんなに小さな点でも良いので出来る行動課題に取り組む・・・これが出来れば、更に出来ることが出てくる・・・この成功体験がもてれば自分でどんどん取り組んでいく・・・・

カウンセラーは、どのレベルのゴールが良いのか、どの観察課題が良いのか、どの行動課題が良いのか、それを考えるお手伝いをするだけ・・・本人が一番良く知っていると考えるが故に、ロジャースのスタイルのカウンセリングと異なり時間が短くなり、効果も大きくなる・・・だから、ブリーフ=要約されていて短いカウンセリングになる・・・・

まさに、セリグマンの学習無力感のまったく逆バージョンであり、学習効力感の勧めでもある・・・人間はこのような両方の潜在的な能力を持っているという人間尊重の思想に基づいている方法論でもあるのです・・・・Kozyの考えるPositive Organizationとは、このようなことが出来る組織でもある・・・その為には、職場にある文脈への介入をすることが、より効果的なのである・・・・

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February 14, 2008

新入社員教育の根幹・・・新入社員へのメッセイジ・・・

Kozyが新入社員を向かい入れたときに必ず言っている話がある・・・一般メディアでは差別用語になる為にいえない言葉であるが、“自分自身が精神的なかたわだと自覚して仕事に取り組んでください”・・・もちろん、この後その意味を説明する・・・

日本においては、小学校の私立は少ないので、公立小学校に入学したでしょう、少なくとも同じ学区の中に住んでいる全ての層の家庭のご子息と知り合いになり、交流を重ねる・・・しかし、全ての層とは言っても、地元の地域の中でも限定された(山の手と下町は文化が異なる)人達の可能性もあり、当然、日本全国で言えばある種の地域文化の影響下の人達である・・・

最近は中学校から私立に入学する人も多い、中高一貫校に入学する人も多いでしょう・・・この時点で地元の地域の中で私立に行く人達の親は経済的に裕福な層が多くなるでしょう・・・つまり、収入による選別化が為されている・・・また、総じてサラリーマンと商家では、教育への捉え方も異なってくる・・・・高校入学も同じです・・・

ましてや、大学入学となると自分の教科の得て不得手、そして、将来なりたいこと等により、学科を選択して、さらに細分化されていく・・・公立か私立にするかは同時に親の金銭的余裕と教育への熱の入れ方にも依存しても、細分化されていく・・・・

この様にして、一流大学を卒業した人達が、更に馬の合う人達と仲間を構成して、その仲間の価値観に縛られていくのが人間であり、当然同世代だけを考えてみても、価値観の偏りが存在する・・・企業に入ると、色んな世代の人がおり、当然世代間の価値観の異なりは必然的に形成されている・・・育った地域の文化的な影響も存在する・・・・

これらは否定できない事実である・・・だから、“自分は精神的なかたわとの自覚が必要になる”・・・ましてや、社会人としては一年生であり、先ずは、言われたことに素直に取り組んで欲しい・・・・との短い話をする・・・・

何とならば、この様に絶対必要で大事な基本姿勢に関するオリエンテーションをどこもしていなかったからである・・・これは企業社会に入り仕事に取り組む大事な基本姿勢なのである・・・・

また、紀元前の昔から、アリストテレスは、「服従することを一度も学んだことがない者は、よい司令官にはなれない」と明言をしている・・・この意味は、もっと深い意味がある・・・反発して生意気な姿勢で仕事に取り組んでいると、服従することを通じてしか理解の出来ない、見えない圧力、見えない苦汁の体験的な理解は出来ない・・・こ
の理解なしには、最大の効果を挙げる司令官にはなれない・・・・

ジンギスハンは、自分の軍隊を作る時に、隊長には体力に自身のある猛者は任命しないとのルールを作った、そして、優れた戦闘能力を持つ猛者達を近衛兵とした・・・だから、強い軍隊を作れたという側面があるのである・・・・

また、仕事においては、目の前の仕事に没頭しない限りその仕事の本質は見えない・・・また、関係する人達の見えない苦悩は理解できない・・・以前も紹介したが、“Knowing-Doing Gap”にて報告されているように、理性上は遣らなくてはいけないことを理解していても、見えない恐怖感により、人間は情動に支配されやすいので、実行に移せない・・・この仕事の本質への理解が出来ない・・・・・

これらのことを理解して仕事に取り組むのが仕事への基本姿勢であり、この先に、自分の遣りたいこと、キャリアプランという考えが初めてもてるのである・・・・これが現実であり、このことを理解して入社する人は皆無に近いと理解している・・・だから、現実から乖離した妄想に囚われている新入社員は、当然三年間も我慢できないで退社していく・・・・理論的には当然の帰結であると捉えている・・・人事の怠慢でしかない・・・

Kozyのもとで働いた新入社員で三年以内で辞めた人は誰もいない・・・・自己成長は多様な価値観の習得と理性だけで人間は動かないという、ある意味では、不条理への理解なしでは、達成できない・・・・・

更に、上述したことへの効率的な理解と自己成長を高める為には、新入社員教育の中で次の二つの講義をすることが大事になる・・・

1.人間の成長のメカニズムとその中で、自分の立ち居地はどこにあるのかを認識させること・・・

詳細説明は何度もアップロードしているので、省くが、社会に出るまでの自分は、謂わば、“裸の王様”の童話のように、自分を守ってくれる人達からの知識と宮殿の中での生活経験だけで、一般の絶対多数派の人々の実学と実体験を知らない・・・これが学生時代なのである・・・

そして、人間は25歳で肉体だけでなく脳の成長も終わる、この脳の成長とは脳内のメイン回路として、中長期の展望をもって瞬時に判断をする回路が出来上がり、これがメイン回路の構築としては最後になる・・・それまでは短期的な展望だけで判断をしている・・・だから若い時は種々のことに取り組める・・・情熱だけで取り組める・・・

しかし、これらの回路の判断基準は、情動というそれまでの限られて浅い経験に基づいた判断基準の回路と理性の回路とのダンスをして、この情動は恐怖感に置き換えるのが正しいが、ダンスが上手く踊れない、つまり、シナジーが生まれない場合は行動には移せない・・・・・・

つまり、25歳を過ぎると頭が固くなる・・・恐怖感が自動的に起動してしまい、中長期的視点で理性的に必要だと理解しても、行動が伴わなくなる・・・また、未熟な知識と経験に基づく、自分の心を自分らしさだと勘違いをしてしまう・・・そして、自分らしく生きたいとの罠に陥ってしまうのである・・・・この一歩手前までが第一の人生である・・・

25歳からの人生は、間違った、または、間違っている可能性の高い曖昧な自分の価値観という、謂わば、奴隷と同じように重い鉄球に、自分の足を鎖でつながれている状態の始まりなのです・・・だから、多くの人が、現実を受け入れられなくて病んでいくのです・・・・この鎖を解く方法を学び実行していくのが第二の人生です・・・

また、米国では以前から、“Temporary Staff = Temporary Slave”つまり、人材派遣の仕事は一時的な奴隷でしかないと云われているにも拘らず、正しい目的意識ももたずに、一時の自由さに流されていく・・・そして、病んでいく・・・・

この鎖を解くことが出来た人が第三の人生を迎える・・・脳はこの様にして、第二の人生での発達という課題を与えている・・・また、鎖を解く方法論を与えてくれるのが仕事の場であり、修練の場でもあるのです・・・・

2.三つの視点としての三つの目の熟成方法

自分の視点としての第一の目、周り社会の視点としての第二の目、第一の目と第二の目は、両方が常に必要です・・・ストレスの多い人は、第二の目が存在してない、または、広く深い経験の不足から、あまりにも未熟である・・・また、カッときてしまう人は、第一の目に囚われているということです・・・

第三の目は、第一の目と第二の目のどちらが正しいという二者択一でなく、この状況であるべき答えは何なのか常に考える目なのです・・・第一の目と第二の目、そして、第三の目は相互に影響し合い、効率的な自己成長を可能にします・・・・

そして、三つの目はどんどん熟成していく・・・この熟成がまた、組織をポジティブな自己学習する組織、また、良い影響を与え合う組織に変えていきます・・・だから、大きな成果に結びつくのです・・・少なくとも大企業においては、一人で出来る仕事はないのです・・・

また、新入社員教育の最後にグループ・セラピーの手法の一つを利用して、回りに如何見られるかの気づきを得る為の演習も効果的でしょう・・・

詳細は省いていますが、この二つの講演を行うべきです・・・もし、未熟な社員が多ければ、新入社員以外にも講演を行うべきでしょう・・・・

以上

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February 04, 2008

目的と手段の正しい認識への考察・・・

目的と手段=目的達成の為の方法論について、人間は、手段が目的になるという罠に落ちやすい構造を持っていると捉えている・・・・如何にいくつかの例を挙げて説明をしたい・・・

先ずは一番一般的な例で言うと、お金持ちになりたいという目標を設定する人がいる・・・お金をためて何を実現したいのかが、本来の目的であり、お金をためるのは目的を達成する為の手段でしかない・・・そして、お金を貯めると、そのお金を何に使うわけでもなく、お金の増減がその人の一番の感心になり、お金に縛られてしまう人が多い・・・正に、冥土にまでお金を持っていくことが出来るという妄想に縛られている・・・・・

また、お金を貯めたいという人が、お金を貯められないということも多く散見される・・・この人達は、正に自分自身を正しく受容できていない、つまり、自分自身を理解できていない・・・・これでは、お金を貯めたいという目的に対しての自己の動機付け、または、継続的な行動は維持できない・・・・ただ単に、お金がないことの不安に縛られているだけでしかない・・・ある意味では不安を継続的な目的達成の為の行動のエネルギーにしている・・・・しかし、このエネルギーだけでは非常に弱いエネルギーであり、大金は貯まる事はない・・・・・

次に、仕事の目標とそれを達成する為の手段を掘り下げて考えてみると、例えば、今期の目標を考えてみると、目標設定が自分も参画して設定したものでなければ、成果主義によるインセンティブだけであり、人間が本当に取り組む気力を向上するには、あまりにも微弱なものでしかない・・・・それ故に、手段に関しても、与えられた目標達成の為のアプローチにしても、本人が真の堀下げをして考えることは期待できない・・・手段まで指示を受けてそれに従うことになってしまう・・・・

一方、目標設定に参画することは、どのような手段を用いてどこまで達成できるかを、最初に念頭におくがために、自分が仮定した方法論がどれだけ正しいかを上司などと議論することにより、それまで見えなかったことが見えてきたりするものであり、達成の可能性は確かに増すのである・・・・これが、ドラッカーが推奨した目的管理システムであり、参画が前提なのである・・・

しかし、もっと掘り下げて考えてみると、これも、目標の達成は多くの場合、インセンティブだけなのである・・・インセンティブは外発的な動機付けでもあり、人間は、内発的な動機付けがゼロでは、行動不全に陥りやすいのである・・・・

以前に、課題業績能力と文脈的業績能力という説明をしたが、文脈的業績能力の高い人の方が、目標達成能力が高いのである・・・経験の未熟な人、または、精通していない人には、課題業績能力としての課題処理能力としての知識やより深い理解を促す必要はある・・・・しかし、この課題処理能力を高めるものに文脈的業績能力が、同時に必要になるのである・・・・

では、文脈的業績能力の源泉になる能力とは、Kozyの研究結果は、次のことを示している・・・・

1.愛他性・利他性の確立・・・これが、コミュニケーション能力および説得力の源泉になる、また、チーム活動の源泉でもある・・・・

2.諸行無常の哲学の感得・・・これが普遍なものはないとの視点を確立して、陰陽の両面での視点を確立する、そして、困難なのが当たり前であり、その中で自分がどこまで出来るかに価値を見出す・・・これこそが、忍耐力および鈍感力の源泉になる・・・・

3.己を知り=悪さ加減を認識して、一生かけて自己の向上目指す、そして、そこに喜びを見出す・・・

以上の三つが文脈的業績能力を増大していく・・・・

このことを、目標と手段にわけて捉えると、文脈的業績能力の高い人は、上述の三つを如何に向上するかというものが、ゴール、または、最近は“Final Line”という言葉が、最近の米国のドラマを見るとはやっているようであるが、生きている中での設定する目標は、この"Goal/Final Line"のへ到達する為の手段として認識している・・・また、そうすることが大事であると感得している・・・・

つまり、自分の為と社会および周りの人の為が、正のシナジーを生むことを感得している・・・また、このことを人間のみが持つ知的思考力通じた知的な希望の維持能力を持てる様になってきている・・・・・

最初に述べた、お金を貯めるというのは、手段であり、あるべき目的は、自分が社会および周りの人にどれだけ多く貢献できるかということを計測するのがお金の入金額である・・・そして、そのお金を、更に、社会および周りの人に貢献できる様にうまく使っていく・・・この気持ちになれることが一番の個人の能力を発揮する継続的に行動につながって行く・・・自分の為だけの目的では、継続的な行動エネルギーは維持できない・・・・・

仕事における目標と手段に置き換えると、設定した目的の達成は、社会への貢献および周りの人=仲間としての社員達への貢献の為の手段として捉えることが出来ることが大事となる・・・リーダーは、事業の目標を設定するときに、部下に参画をさせ、ここまで掘り下げての共有化が要求されるのである・・・・

大人に成長するということは、表面的で一時的な目標を、どこまでの将来にわたっての階段の一つであるかを掌握して、説明できるかという事でもある・・・・・残念ながら、このレベルの大人は少ないが、これは経験を通じてどれだけ現実に基づいて、より実学を習得していく姿勢と能力の差に起因する・・・・

この経験学習が、上述の三つの、謂わば、あるべき人生哲学を感得する道でもある・・・ではないでしょうか・・・・・

最後に、若い人の関心事である持てることとは、目標ではなく結果であり、尊敬および信頼を超えて多くの異性に持てることは、これは災難を招くことでしかない・・・好きでない人に横恋慕されることが、男性における女難の相の本質である・・・・それ故に、恋愛においての目標は、男女の性差の学習と自分の悪さ加減を如何に正しく認識するかということであり、これが出来て、初めて自分の求めるべきライフ・パートナーを見つける能力を持つのである・・・・

端的にいうと、自分の求めるべきライフ・パートナーを探すことが目的であり、この能力を磨く手段として恋愛が必要なのである・・・・もっと掘り下げると、自己の成長の最大化を目指すことが目的であり、その為に、最高の修練の場が仕事と恋愛であるとも言いえるのである・・・・

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January 28, 2008

切り替え思考能力の修練・・・・

Kozyの口癖の一つに、“Beautiful Switcher”という言葉があり、今や体に刻み込まれている・・・・つまり、自動的に必要なときおよびそのタイミングで起動するようになっている・・・・実はこの言葉は、社会に出てアメリカ人の女性と付き合っているときに、You are very good switcher・・・といわれ、米国社会では、このような視点があるのだ気づかされたとともに、それまでに自分が人生で学んできて、その時までは、概念とその実行として既に習慣化されていたものを見事に表現する言葉であると感じてすっきりしたのである・・・・

日本語では、切り替え思考というと、風見鶏とか、変わり身が早いとか、無節操とか悪いニュアンスしかない概念に、自分自身が日本人として、日本の文化の中で育った故に、自分の中の日本にはない新しい概念に対する正しい言語化が、そのときまで出来ていなかった・・・・

また、その当時の自分の中での概念は、日本の文化にしばられていたが故に、素晴らしく見事な切り替えとは、切り替える前の次元と切り替える先の次元の両方を熟知していないと出来ない・・・両方を熟知する前の未熟者には、切り替えるのはそれこそ十年早いとの戒めであった・・・・

話が少し落ちるが、このようにいわれた時に、What do you mean?・・・問いただした、彼女は、You are typical elite business man from 9 to 5, but after 5, you are typical gigolo・・・といわれた、つまり、仕事の次元をよく理解して演じることも、Gigolo=日本ではプレーボーイという意味になるが、女性をよく理解して女性をひきつける言動に長けている・・・つまり、仕事と恋愛の次元に精通している・・・ということで、問いただしたが、いやみでもなく褒めている・・・また、日本人では珍しいといわれた・・・

今回、忍耐力とか、イマジネーション能力とかを掘り下げていると、この切り替え能力の向上は、自分自身の中でもっと深い意味を持っていることに気がついた・・・つまり、上述した異なる二つの次元に対して精通することだけでなく、人間の構造的な問題を乗り越える為には、意識的な切り替えを必要に応じてすることが重要であると事を理解してほしい・・・

では、どのような切り替えが必要なのか・・・・思いつくままに羅列をしたい・・・しかし、これらは無意識に出来るようになるまでは意識的に取り組む、つまり、修練項目でもある・・・

* 冒頭の例は、学生から社会人になったときは、社会人としては未熟者であるが故に、言われることは素直に取り組んで全体を把握したときにおかしいと思う場合のみ反論をする・・・つまり、自分で100%は納得できない中での取り組みであるが故に、それなりのストレスを当然感じていた・・・しかし、恋愛は中学校から自分を追い込んで修練してきたものであるが故に、ストレスより楽しみが大幅に上回っているので、9 to 5でストレスで心のエネルギーが低下したものを、After 5では、心のエネルギーを充電していたと今では理解できる・・・・

9 to 5での仕事のストレスは自己の未熟さへの気づきでもあるが、ストレスを自己成長に昇華させるには時間が必要であり、心のエネルギーのDischarge and Rechargeの切り替えを常に意識することが大事である・・・なんとなれば、心のエネルギーがあるレベルを超えて低下すると、その復旧はより困難なものになるのが人間なのである・・・・

* 陰陽の両側面、表裏一体の両側面、そのときに恐怖感の対象により、どちらか一方だけを見てしまう・・・これが人間の構造的な問題である・・・・それ故、両面を見ることが出来ていないときは、心のモードの切り替えを行い常に両面を見る習慣をつける・・・・

* 上述の両面を見るときには、自分の視点という第一の目は、否応なしに起動してしまうが、このときには自分は何を判断基準として捉え判断しているのかのモードに切り替える、そして、相手または周りの視点である第二の目では、如何なのか、また、その判断基準は何なのかのモードに切り替える、そして、この状況のあるべき姿は何なのかと自問する第三の目でみる、また、その場合の判断基準は何なのかというモードに切り替える・・・・これが無意識に出来るようになるとカッと来ることは限りなく減っていく・・・・

* 以前アップロードしたが、ポジティブ思考とネガティブ思考は人間の持つ異なる二つの才能であり、そのときの状況によりどちらか一方が先に起動するが、ポジティブで最初に捉えたら、次はネガティブに切り替え捉える・・・どちらか一方の自分の都合の良い方に囚われる、または、恐怖感の強いほうに囚われるのが人間の構造的な問題であるが故に、常に、切り替えて両方で真実を見る習慣を身につける・・・・

* ズームイン、ズームアウトという言葉がるが、物事を正しく捉えるには、ミクロシステム、メゾシステム、エクゾシステム、そして、マクロシステムの四つぐらいには分けて捉える、また、この視点を最低一往復はして捉えることが重要である・・・つまり、各システムごとに切り替えてみる習慣化が大事になる・・・現代のような複雑系の社会では、木と森、つまり、ミクロとマクロだけでは不十分であり、層別して見る必要がある・・・・・

アカデミアにおける経済学とか経営学は、後付の理論であるが、後付の対象はマクロシステム以外の構成システムについてであり、特にミクロにおいては、大きな個体差があるが故に、鵜呑みにしてはいけない・・・

* 人間は論理的に整理しないと不安感に駆られるが故に、直ぐに因果関係を求める弱さがある。しかし複雑な社会においては、単純で絶対的な因果関係の特定は難しい・・・因果の特定が出来ないことは普通だと切り替えて、どれだけの複数の要因が働いたのか、また、その中で一番大きなものは、または、一番が特定できなければ大きな要因とは何であるかを掌握しておくことが大事である・・・・

上記以外に何か思いついたら、適宜追記します・・・・・

最後にもう一度いうが、切り替え能力とは、残念ながら、上述したすべての項目の組み合わせが要求される知的思考能力でもあり、その組み合わせは数は膨大になる側面がある・・・だから、人間は途中で考えるのを諦めてしまう・・・

また、換言すると、文系の人にはかえって解りにくくなるかもしれないが、物事を見るときにはそれ自体がいかなる次元の下に、置かれているかを見ることでもあり、各次元の相関関係や相互作用を理解することの重要性を理解する為の思考方法でもある・・・しかし、その人の経験と成長の度合いにより感得できる次元と出来ない次元がある・・・これが人間の構造的問題なのである・・・・

しかし、これらの切り替え思考能力は習慣化により、自動的に起動することが可能になる・・・つまり、日ごろから、物事を掘り下げて考える習慣を身につけることが大事となるが、習慣化されて自動的に切り替え思考が出来るまでは、苦行でもあるが、これが体に、刻み込まれると、より物事の本質を見る目が養われる・・・・・

それ故に、切り替え思考能力、むしろ、その習慣化は第三の目の熟成を早める・・・

追記;

* 人間は自分が標榜する価値観に縛られる構造的な問題がある、つまり、多くの人が自己崩壊をしていく最大の原因は、時代の変化が齎す価値観の変化に対応が出来なくなり、崩壊をしていく。本Blogで何度も述べているように、Unlearn & Relearn つまり、自分が習得してきたものの棄却と再学習の連続が、自己成長であり実学の習得である・・・

これが簡単でないことは、世界に名を残した文化が、衰退した原因であることが示している・・・だからこそ、先ず切り替えをして、異なる価値観に身をおいて、五感と知的思考力をフルに発揮して、真摯に吟味をする・・・・これも、正に、切り替え思考能力である・・・・先ず切り替えをする=遣ってみる=経験から学ぶことでもある・・・

* 人間は自分の限られて偏った経験に基づき相手への好き嫌い、得て苦手を判断してしまう構造的な問題を持っている。それは、自己成長の機会を大幅に減少させることであり、捉え方の切り替えとして、何が原因でこうなったのかの視点で交流の機会を持たして頂く姿勢で、五感と知的思考力を屈指して観察をさせてもらう・・・・

この機会は、苦手とか嫌いの気持ちには理解できないと思い込んでいる側面があり、自分が知らない人間の成長の異なるメカニズムを学習する最高の機会なのである・・・この繰り返しが対人関係の悩みを大幅に現象させる・・・Kozyは、理解できない人に出会うとワクワクして交流の機会を増やし、自分の知らないことの発見機会として歓迎する・・・・

* 切り替え思考能力を身につけると、切り替える=つまり別の次元での思考を強いられる・・・だから、それまで見えなかったものが見えてくる・・・これ、正に、自己成長なのである・・・つまり、切り替え思考能力の向上とは、そのための必要条件である・・・・

最追記:

* 別途以前にポジティブ思考とネガティブ思考は、二つの異なる別の能力であるが故、両方の思考を行き着いたところで切り替えることの有効性をポストしているが、ここに念の為に追記しておく・・・・

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December 26, 2007

人間の成長=年長者・経験者との交流・・・「おばあさん仮説」よりの考察

ヒトの「おばあさん仮説」というのがある。これは、98年に米ユタ大学の人類学者クリスティン・ホークス教授らが提唱した。閉経後の女性は人類独自に進化した存在で、孫の世話をしてくれる女性がいると、子孫の存続に有利だったとされる。・・・つまり、人間の取得した進化の結果である・・・ということである・・・・

ヒトの女性にある閉経期が、ヒトに最も近い類人猿である野生のチンパンジーにはないことを、米ハーバード大のリチャード・ランガム教授や京都大霊長類研究所の松沢哲郎所長らの国際共同研究チームが確認した。閉経後のヒトの女性は、子育ての知恵や経験を生かして種の繁栄に貢献するように進化し、動物の中では特異な存在だという。この「おばあさん仮説」を類人猿の調査から初めて裏付けたことになる。18日発行の米科学誌カレント・バイオロジーに発表した。・・・・

出展; http://www.asahi.com/science/update/1218/OSK200712180009.html

この記事に接すると、いろんなことを考えさせられる・・・おそらく、人類の創世記であるアフリカ大陸の大断層の出現後、アフリカの西側にいた、猿たちは、それまではボスの庇護を受ければ、集団の中で守られて育てられていたこともたちは、各夫婦または家族というより小さな集団の中での子育てを強いられ、その環境の大きな変化の中で、閉経という進化を成し遂げたのであろう・・・

昔のように、技術革新の非常にゆっくりであった時期には、むしろ, つい最近の19世紀ごろまでは、閉経という人間の機能は十分に有効であったと捉えてよいだろう・・・・産業革命がおきても、当時の誰もがそれに伴う人間の適応または進化の必要性を理解していなかったであろう・・・・多くの心理学の本質的な発達は、正に、産業革命が齎した変化への対応、つまり、人間の進化を齎すべく研究が続けられてきたとも言いえると捉えている・・・

「おばあさん仮説」は、日本においては、推測するに、大家族制の時代のときまでは有効に機能していたのであろう・・・念の為であるが、現在の社会においては、第二次世界大戦以前のおばさんの言うことはおおむね正しかった・・・しかし、その後の技術革新はそれまでの常識を覆すのみならず、覆された常識を再度覆しており・・・

つまり、それほどまでに技術革新は精度を上げてすごいスピードで進化している。それ故に、現在においては、おばさんたちの経験や知恵に対して、おばさん達が懐疑的になり、また、若いお母さんたちも、昔と違うのよ・・・といい、お互いの正なる相互作用が、残念ながら非常に希薄になってきている・・・

つまり、現代は子育ては非常に困難な時代である・・・・このことが世界的な先進国の少子化現象の本質なのかもしれない・・・・

しかし、脳の発達・進化と言う点では、また、体のメカニズムの進化という点では、環境ホルモンの負の影響は受けているが、進化としては何も変わっていないということだけは正しい・・・変わったのは、医学の進歩だけであり、その結果、肉体的寿命を伸びたが、逆に、昔は考えられなかった心の病に起因する病気や自殺が増えてきている・・・・

このことの意味することは「おばあさん仮説」だけでなく、人間が人間であるため、または、人間として成長するためには、人類が勝ち取った進化の中には、年長者・経験者との交流により成長できるメカニズムを人間は持っていると確信する・・・特に言葉の発達および文字の発達以前は、このメカニズムがなければ、人類は種の生存競争には勝てなかったといえるのではないだろうか・・・・

現実としては、この言葉自体も、自然科学の記号による数式を除けば、非常に曖昧なものでしかない・・・しかし、この曖昧な言葉を通じてしか人間は思考が出来ない・・・また、それが故に自然科学は発達したが社会科学は後付け理論でしかなく、予見能力を発揮できない・・・・

Kozyは大学卒業後、一貫して国際関係ビジネスに従事してきたが、外国人との議論が空転するときには、いつも頭に浮かんでくるのは、“Terminology”と“Criteria”・・・つまり、異文化を背負った人間が理解しあえるには、Terminology=術語(学)という意味であるが、むしろ言葉の話す人の規定と理解してよいと思うが、これが、文化的な背景の違いより、お互いに誤解を生じるので議論が空転するのである。・・・

また、Criteria=判断基準(の複数形)は、言い換えると論理の展開がどうなっているかでもある。また、関係する複数の判断基準の優先順位でもある・・・これらの事は人間同士のコミュニケーションには欠かせないものなのである・・・・・

人間は、実は大なり小なり、誰一人として同じ関係者と同じ関係性を持ち、さらに、まったく同じ社会的な文脈の中育った人はいないのである。それ故、たとえ日本人同士であっても、それ自体は異文化間コミュニケーションと同じ側面を持っているのである・・・・

Kozyの研究結果が示すように、困難な問題解決能力にはコミュニケーション能力が前提になり、自己実現者とそうでない人の違いはここから生起されている・・・・また、残念ではあるが、現在の日本においては精神的な脆弱性と変化の時代が故に、自己実現できる、つまり、熟成される人間は一割に満たないであろう・・・・

社会には自己実現者、即ち、人生の師として有意義なコミュニケーションが持てる対象と、所謂反面教師としての有意義なコミュニケーションをもてない二つのタイプの師しかいない・・・人生の師とは、大いに交流すべきである。しかし、反面教師の愚痴には嘘はなく、弱い人間はどこで道を誤るのかを、また、そのメカニズムを学ぶことが出来るのである・・・・

人間の構造的な弱さより、また、それに伴う怠惰性より、多くの若者が世代間ギャップを嫌がり避けてしまうことは、自己成長の機会の放棄でしかない・・・・このことを肝に銘じて、若い人は、年長者・経験者との交流を厭わずに取り組むべきなのである・・・・

既に上述しているが、世代間のギャップの本質は、生きてきた社会的文脈が異なるが故に、判断基準の優先順位、または、価値観=恐怖感の優先順位が異なるだけであり、判断基準も、価値観も、恐怖感も、まったく同じものを持っているのである・・・それは同じ人間であるからであり、コミュニケーションはいくらでも出来るのである・・・

多くの人が多様性の受容が大事だといっているが、同じ日本人の間にも大きな多様性があるのである・・・この多様性の受容が出来ない人に、真の多様性の受容などは出来ない・・・・このことを忘れないでほしい・・・・・

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December 19, 2007

スキル重視教育への警鐘・・・・

先日、ある会社のOff-JTで、戦略の設定方法の講義をしているとの話を聞いたが、先ず事実をつかみ整理したあとに、あれこれというものであった・・・・最近はスキルを重視するOff-JTが増えている現状を見るに、正に、一時期いわれた“マニュアル世代”という言葉を思い出してしまう・・・・

基本的には、自分で良いやり方を考えることを放棄させる学習であるという点では、スキルもマニュアルも同じ側面を持っている・・・企業においてマニュアル重視というのは、ISO-9000シリーズが、日本におけるTQC=Total Quality Controlのすばらしさを分析して、欧米が日本に追いつきたいという側面で作成されたにも拘らず、欧米企業が、ISO-9000シリーズの取得をベンダーに義務付けたが故に、日本も追従せざるを得なくなった・・・・

しかし、現場を見ていると、当時の若者達が、正に、マニュアル世代であったが故に、日本においてもISO-9000シリーズは急激に浸透していった・・・・この結果日本に持ち込まれた文化は、指定された項目しかチェックをしないという最悪の文化が出来てきた・・・・

この事は、仕事の遂行において一番大事な一から十までの一連の業務、最低でも自分の部署が責任を持っているプロセスの前後のプロセスでは何を如何やっているかを知らなくては、本当の仕事の理解はできないのである、つまり、全体の業務の分担のメカニズム等々を知らなくても仕事の出来る状況を作り出していった・・・・

Kozyは、マニュアルを全面的に否定するものではないが、日本の産業の強さは、少なくとも日本人だけの職場においては、英国におけるWorking Class,また、米国における多民族国家に伴う多様な価値観の違いと教育レベルの格差、そして、欧米とも、Managerは専門職として独立している色彩が強く、正に管理職と労働階級の溝は深い状況とは異なるが故に、日本には二つのチーム・ワークが育っていたのである・・・

一つは、同じ部署内のチーム・ワーク、そして、もう一つは日本のチーム・ワークの強さおよび特色である関係する他部門とのチーム・ワークである・・・・このことは、TQCを進めるときには、自部門内だけの改善では限度があり、全社トータルとしての効率化・改善活動なのである・・・

マニュアル化は、人間の持つ怠惰性とマニュアルどおりにやっていれば責められないと側面から、全社の全体の流れを理解することを怠るようになる・・・

Kozyは、ISO-9000シリーズは、欧米の日本企業の弱体化を意図した戦略的な、実の巧妙な、じわじわ蝕んでいく麻薬のような攻撃であったと捉えている・・・・

また、心理学的にはマニュアル化は脳の弱体化を招く・・・つまり、脳が使われる機会の略奪であり、老化の促進でもある・・・

Kozy自体、少なくとも部長異常の人達は、経験的に回りも見ていると、ほとんどの人があるべき姿、遣らなくてはいけない事を非常によく理解している・・・しかし、これらに取り組み成し遂げるまでに直面しなくてはいけない恐怖感に関しても同時によく理解しているが故に、恐怖感に縛られ実行に移せない・・・・これが実態なのである・・・・また、成功回避動機があるように、成し遂げた後の仕事の変化が自身に求める変化を拒絶する人達もいるのである・・・・

話を戦略策定に戻すと、あるべき戦略策定が出来ない集団は、想定される恐怖感のために存在する事実が見えていない、または、不都合な事実を見ようとしないので、結果としては不都合な事実は見えないのである・・・・本質的な問題はこの点なのである・・・

また、表面的な事実を整理することが出来ても、その裏に隠されているものを見抜くことが出来ていない・・・つまり、陰陽の視点、または、表裏一体の視点での両面を見ることが出来ていない・・・・これも大事な事実なのである・・・

つまり、戦略の策定には、存在する事実をすべて網羅できれば、その事実の機能と各事実間の相関・相互作用を掘り下げて理解をすれば、自ずと採るべき戦略は見てくる・・・そして、幾つか見えてきたときには、選択する戦略の判断基準を何にするかを議論することが大事なだけなのである・・・・

スキルはスキルで大事であるが、スキル自体はそれまでと異なる視点で考えることも有効であるということでしかなく、下手にスキルを過信すると、思考パターンにバイアスをかけることと同じになる危険性をはらんでいるのである・・・

トヨタやホンダの見える化は、正に、存在する事実を見落とさないようにする、多次元で総合的なアプローチをしている・・・しかし、あるべき戦略の再策定のための事実確認の整理は、不必要な恐怖感を起動する不適正な社内文脈への介入と個人の自己成長のレベルの二つに大きく依存するのである・・・・

一つの例を挙げると、誰かが何かを伝えようとした時に、トップが話の途中で、先読みをして、それはこうこうなので却下し、更に部下をおまえは甘いとなど突っ込んだりすると、誰も何も言えなくなるのである・・・また、関係者の間で共有化されていない事実というのは、普通の人には論理的に説明することは往々にして難しい・・・しかし、このような普通の人が発言しようとした内容は、大いに傾聴の価値があるのである・・・勇気を出していいたいぐらいの重要性認識を持っていることなのである・・・

傾聴ということは即ち、相手への信頼と忍耐力であり、この忍耐力を持たないトップは、トップ失格なのである・・・とにかく最後まで意見を言わせて、すぐに否定・批判するのでなく、何故にそれが大事なのかを掘り下げる議論をすべきなのである・・・そして、それでもトップとして納得できないときは、その納得できないことに対する自分自身の判断基準を明示してあげる・・・そうすれば、相手も自分の選んだ判断基準を明示することになっていくのである・・・・

将来のことは神のみ知ることである・・・将来に対する方策が戦略であるということは、誰も絶対に正しいと確信できる選択は出来ないのである・・・また、現在のように、技術革新が早い時代においては、昔の変化の少なかった時と比べると、戦略自体のライフ・タイムは、当然短くても良いのである。大事なのは戦略を策定するときには、その選定のための判断基準が何があるかをすべて網羅して議論をして、選定のための判断基準を同時に確認することが大事になる・・・・

この反転基準の共有化がなされることは、判定基準がセンサーの役割となり、関係者は、判断基準と異なる事実が出てきたときには、現場を預かる人達が、その想定外の変化を、気軽にトップに報告できるようになる・・・・最高のセンサー精度は現場なのである・・・・

この種の議論の掘り下げのスキルはコーチングでもあり、ファシリテーティングでもあるが、これも、どれだけ多くの関係する知識を持っているかに依存するのである・・・・Kozyは営業部長として、5年後10年後の技術革新、つまり、テクノロジー・ロードマップを整理共有化して、自社の強みを生かした戦略的な商品開発をするプロジェクトリーダーになったことがあるが、最新の技術や近々の将来技術がもたらす変化の認識が最初であり、幾つかの異なる開発部門の部課長を集めて取り組んでみたが、ファシリテーティングには、苦労した・・・・つまり、技術者間では会話の内容が理解できている問題に自分だけだ理解が十分出来ていない・・・その中で本質的な議論を深めるのは、あるレベル異常の技術に対する理解力と論理的思考が絶対に必要なのである・・・

いろんなスキルがあるが、スキルはあくまで本質を掘り下げる方法論であり、本質を掘り下げるのに大事な事実の掌握能力が第一である・・・・人間の成長とは、より多くのことが見えるようになることだとKozyは捉えており、すべての大事な事実をその陰陽まで含めて見えて、システム的理解とそのメカニズムの理解があって、はじめて、スキルが生きるのである・・・・

マニュアル化により日本企業の弱体化したように、スキル重視は日本企業を弱体化しようとする攻撃を再度受けているのではないかと危惧するのである・・・・Kozyは、スキル教育はそのスキルに見合った課題処理能力を持った人達のみに有効ではないだろうか・・・つまり、関係領域で、自分で考えて処理する能力を持った人への更なる進化を齎すものであるべきで、マニュアル化の弊害を最低限に抑える配慮が必要ではないだろうか・・・何事にも陰陽があることを忘れないでほしい・・・

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December 18, 2007

現代人の一生の友・・・統合失調症とは???・・・・

ここ二三回に亘り統合失調症=schizophreniaについて触れきたが、もっと具体的に統合失調症とは如何いうことなのかを少し説明しておきたい・・・・

まず、Kozyがいっている統合失調症とは厳密にいうと統合失調症様障害=schizophreniform disorderを含めて言及している。つまり、統合失調症様障害とは、統合失調症と症状的には同じであるが,症状の持続期間が。6カ月未満で症状回復するものを統合失調症様障害というのである。・・・・・しかし、この精神病症状の治まった後にうつ病相がみられることがあり,この場合は、自殺の危険がある・・・・

ここ数回のポストで述べたように、現代のようにより複雑化して、多様性も増加した上に、それまでの価値観の変化まで起きてくる時代においては、一生、誰もが統合失調症に陥ってもおかしくない時代だと捉えている・・・


さて、統合失調症は、昔は精神分裂病と呼ばれていたものであり、典型的な内因性精神病で,現実と非現実の区別がつくという意味である現実検討能力が部分的・可逆的に障害されることを最大の特徴とする。・・・簡単に言うと、現実への対峙能力、つまり、自己内の恐怖感に目を背ける習慣を身に着けてしまうと、現実、つまり、あるものが正確には見えなくなってしまうことなのです・・・・・

統合失調症は思春期以降に発症するのが一般的である,25歳以前には中長期の展望を踏まえて、何が自分のためになる=何が自分を恐怖体験に追い込むか、を短期的にしか見れない・・・更に、この時期の恐怖感とはあまりにも未熟な経験から来る思い込みとしての恐怖感、また、規定のあいまいな恐怖感に支配されているので、あるものが余計に見えない構造化にある・・・・

大昔は、25歳ぐらいで、再学習を終えるほどの、小さくてよりシンプルなコミュニティーでの生活であったが故に、直ってしまう・・・つまり、成長への誰でもが通り抜けれる一里塚のような精神病であったと思われる・・・それ故、昔は、“早発性痴呆”と呼ばれた、正に若気の至りであるということでもる・・・・・

症状としては・・・・・

幻覚や妄想などの現実歪曲症状;

人間は不安な、また、曖昧な状況に居ることは嫌なこと(=恐怖感の中にいること)であるがゆえに、自分に都合の良い現実だけをピックアップして回避をする。または、ただ単に逃避をする・・・これが、現実の歪曲の本質なのである・・・個人的には、教育の弊害として、このタイプがこれからは増えるのではないかと危惧している・・・

思考や行動の統合が障害される不統合症状;

これは、正に、理性と情動がまったく相反するときにおきる人間の特性に基づくものであり、誰でも思い当てはまること・・・このためには、正しい自己受容と人間の構造的な問題に対する理解が必要になる・・・理性すら普遍なものはなく、情動もあいまい性があり、両方の見直しを現実から再学習することが必要になる・・・・

念の為であるが、再学習とはそれまで築きあげてきたものを棄却することを意味し、恐怖感を伴う苦行なのである・・・・

思考や行動が貧困化する貧困症状;

この貧困症状とは、自分の考えを疑わずに、自分の考えだけで判断して行動することであり・・・つまり、自分の視点でしか物事を捉えることが出来ない(第一の目のみ起動)ことであり、状況に応じた最適解を求めることを放棄することでしかない・・・当然、思考も行動も貧困化する・・・・脳に一番楽をさせることであり、脳は急激に退化をしていくのである・・・

別の言い方をすると、心・脳のエネルギーがどんどん低下していき、死の世界に逃避したくなる・・・・第二の目と第三の目を常に起動することが大事になる・・・・

などが中心であるが、統合失調症では,表面的には症状が軽快するが本質的には治癒してはいないという意味である「寛解」を示すが再発し,再発・寛解を繰り返す経過をとったり,慢性的に症状が持続する経過をとることが非常に多い・・・現代社会においては、6ヶ月未満で直る統合失調症様障害を一生続けていくのが、普通になるのであろう・・・・

また,現実歪曲・不統合・貧困などの症状の出現の仕方は多様であり,症状の組合せと経過により解体型,緊張型,妄想型などに下位分類される。・・・つまり、自己の脆弱性より自己崩壊をしていく解体型、ストレッサーに縛られすぎる緊張型、自己内に強い妄想を抱き、妄想にすがって生きていく妄想型にも分類できる・・・・

これまでは、地域や時代による差や男女差はないと考えられていたが、Kozyは現代という時代では、発病率は増加すると捉えている・・・また、独身者および結婚して子供を持たない人達のほうが、発病は増えると危惧している・・・つまり、人間として男女のシナジーを享受できない。また、子育てによる人間の本質の理解の機会が減る・・・・

また、この他に失調型パーソナリティー障害というのがある。・・・・アイデンティティーとか自分らしさとかの言葉が、現代の悩める若者の間で、もてはやされたが、未熟なままでの統合は、他人との親密な関係を持つ能力の減少、および、認知的または知覚的歪曲と行動の奇妙さが生まれてることを意味している・・・・

具体的には、関係念慮(関係性への強い配慮)、奇異な信念、普通でない知覚体験、奇異な考え方と話し方、疑い深さ、親しい友人が居ない、などの特徴が見られる・・・

念の為であるが、生きる姿勢としての一貫性はたもてるが、アイデンティティーも自分らしさも、死ぬまで変化していくのである・・・

統合失調症の発病は個人の素因である発病脆弱性と社会生活上のストレッサーの相互作用(脆弱性―ストレス・モデル)が考えられている。発病脆弱性とは脳の構造的・機能的な特性である。・・・・だれでも発病脆弱性は、持っている・・・誰でも通る道なのである。・・・・・

現代人は再発脆弱性をもっていると、これからは捉えるべきだとKozyはおもっている。しかし、社会生活のなかでストレスにさらされても,その個人にストレス状況に対処する技能や周囲からの支え,社会復帰のための社会資源,適切な抗精神病薬の使用などの防御的要因があれば再発を免れることができる,ということである。・・・・

あるレベルを超えると、適切な抗精神病薬の力を借りる必要があるが、ストレスは、成長の一里塚であり、何が事実誤認をしているかを知る大事な機会であると前向きに捉えて、また、誰もが誰かに支えられている絶対的な事実を忘れずに、対峙してほしい・・・・どんな恐怖感でも、怖ければいくら離れても良いが、背を向けないこと・・・見ていれば、慣れてくるし、見えなかったものが見えてくる・・・より見えるようになる=成長でもあるのです・・・・

Kozyはあえて言いたいが、現代人にとっては、統合失調症様障害は、避けられない一生付き合いをする友達のようなものと捉えるべきであり、自分なりの上手い付き合い方を模索してほしい・・・・

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December 16, 2007

What is changing(16)・・・企業が自己成長支援を

本ポストを読まれる方は、2007年12月15日の“What is changing(16)・・・統合失調症が増えるわけ”と必ずあわせて読んでください。そうでないと論理の展開についていけないので、時間の無駄になるでしょう・・・・・

昨日ポストしたように、新しいシナプス・ネットワークを構成する方法論を有効化するにしても、行動変容の阻害要因を如何に乗り越えるにしても、読んでお解りいただいたと思うが、自分の過去の人生で形成された恐怖感に人間は縛られてしまうのである・・・記憶においても、楽しかったことよりも、怖かったことのほうがより深く刻まれるのと同じことなのである・・・

種族保存本能にも通じる自己保存・自己防衛本能は、一番、情動の中で強いのは、むしろ自然なことなのです・・・しかし、人生における状況は千差万別であり、いちいち深く掘り下げて考えていては、時間がかかりすぎて、それこそ命取りになりかねな・・・問題は、何が将来展開を考えたときに、本当に自分のためになるかの人生のメカニズムを十分は体得していないということ・・・・

ある視点で捉えると、人間の25歳までの成長のための学習とは、何が怖いのか、また、何が恐怖となって後で帰ってくるのか、そして、それらの怖いものの中でのその優先順を学んでいるとも言いえるのです・・・その為にいろいろの怖い思いを繰り返す・・・しかし、これらのことを体は理解していても、頭では論理的に判断基準まで含めて言葉にて整理できない・・・

上手くいえないけど、何か違うんだ・・・これがその整理の未熟さを表している・・・・つまり、自分にとっての恐怖感の判断基準の整理と自分の中での恐怖感の優先順位が整理できていない・・・

25歳で将来展開を踏まえて、自分の中の恐怖感の強さの優先順位を整理して、脳内で、報酬系(喜びの得られる行動)と嫌悪系(嫌で悪い=恐怖感に陥る行動)が、脳科学ではダンスという言葉を使いますが、如何判断するかを瞬時に判断することを可能にするRisk Managementの回路が出来上がります・・・・昔々は、小さなコミュニティーにのみ依存して、変化が少なかったので、これはこれでよかった・・・・・

しかし、現代社会においては非常に大きなコミュニティー、また、非常に多くのコミュニティーに現代人は依存しており、社会人になってから初めて見る・体験する複雑で多次元な社会体験の洗礼を受ける・・・実はこれだけでも非常に大きなストレス要因になります・・・

前回の最後で述べたように、平和な社会が故に齎される発病の脆弱性が、残念ながら、鈍感力という本がベストセラーになるような世の中が示すように、発病の脆弱性とは、この鈍感力のなさを意味しており、平和の代償を背負う世の中になってきている・・・

また、最後で述べたように、技術革新のスピードが人類史上一番速い世の中にいるが故に、多様な価値観の存在だけでなく、多くの価値観が変化していく、つまり、ストレス要因が人類史上で一番多い時代に入ってしまった・・・・しかし、このことは、同時に、人類が人類史上で一番大きな成長をもたらすとも言いえるのです・・・・

統合失調症を招くストレス要因と発病の脆弱性には強い相関関係があり、このままでは、統合失調症に陥る人は、増大の一途をたどるのではないでしょうか・・・・・21世紀は、心の世紀といわれ始めているが、統合失調症の人がこれ以上に増えていくことは社会の秩序が乱される・・・このことは、大きな生命体としての地球=ガイアの崩壊を、確実に導くことになるでしょう・・・・

恐怖感とは、正に有名な諺の“馬鹿とはさみは使いよう”に通じるものであり、行動変容=自己成長に対して、最大の阻害要因にもなり、また、最大のDriverにもなるのです・・・・この前提が、自分の中の恐怖感のあいまいな理解ではなく正しい理解と優先順位の整理なのです・・・つまり、最大の恐怖を避けるためには、そのためには2番、3番目の恐怖の乗り越えが必要であれば、最大の恐怖感が大きなエネルギーとして、2番、3番目の恐怖を乗り越えさせてくれる・・・

Kozyは、現在、東洋医学形の知見を使って、本来は経験を通じた検証でしか、恐怖感の優先順位の検証は出来ないのですが、体に問い合わせる方法を開発して実験をしている最中です・・・この実験にご興味のある方は、ご一報ください。但し、面談が必要なので関東圏在住の方、もしくは、横浜までおいでいただける方のみが可能になります・・・・この方法の有効性が確認できれば、自己成長のスピードアップができる・・・・

また、脳科学的に捉えると、人間の脳の進化は、脳の可塑性に拠るのですが、これをもっと掘り下げると、人間の脳は植物や動物のように本能だけで割り切るような回路でなく、あいまい性を追及して進化してきたといいえるのです・・・・それ故に、恐怖感の脳内の整理も非常に曖昧なものになっている・・・・だから、変化の時代においては常に精査が必要になる・・・再検証が必要になる・・・・

このあいまい性の源泉は、脳への情報はすべて五感を通じてインプットされ、HowとWhatの回路に分けられてインプットされます・・・しかし、人間の五感はすべてインプットを続けていると麻痺を起こすように出来ている・・・つまり、Whatは麻痺して変わることはないが、Howは麻痺して変化をすることを意味している・・・

日本の諺の中で、“覚えるより慣れろ”というシンプルな言葉がありますが、この点では、至極名言です・・・・・あがり症などは、まさに、自分自身で自分にプレッシャーをかけないことを場数を踏む中で、つまり、慣れる中で自分にあった方法論を試し続ける中で克服される・・・・慣れるとそれまで見えなかったものが見えてくる・・・自分も周りも・・・・・

学校教育においては、“アリスの不思議の国”・・・これは恐怖から逃げてはだめ、恐怖感が怪物を生み出すことを教える童話です・・・または、同類のことを小学校の低学年のうちに教え込む。地域の文化的価値観は小学校の高学年から中学校時代に形成されるようです・・・よって、この時期に、まったく異なる地域文化の体験学習を二回織り込む・・・

少年期における成長とは、自己と周りの友人を同一視することから、違ういうことを学ぶ時期でもあるのです・・・・

中学および高校のときは、しっかりした性教育が前提となるが、異性交際を推進すべき・・・個体差および男女差の勉強には最高の機会である・・・種々の危惧を抱く人がいると思うが、まずは、異性交際を推進することとして、心配なことを出来るだけ少なくする方策を考える・・・・

また、学校教育においては、日教組は共産主義的色彩が強い、それが故に、人間の本質を無視した非競争社会的な施策が多く導入されているが、自由主義を標榜する限りにおいては、競争は避けられないものであり、この競争こそが人間の脆弱性を弱めていくのである・・・

しかし、自由主義であることは、自由という権利の行使にはそれに付随する義務の行使が前提であること、そして、恐怖感に打ち勝つとは、克己のことであり、自分に克ことであり、競争至上主義ではなく、自己との競争の大事さを教える・・・この成果を図るのが現実としての競争の結果なのです・・・

学ぶことも同じであり、如何にすれば自分に打ち勝って学業に取り組めるのか、また、自分に一番あった勉強の方法は何か、この方法論を自分でつかむ、この成果を試験で確認する・・・つまり、人生は一生勉強である、しかし、社会に出れば学校とか塾とかはありません。・・・その中で自分で如何に勉強できる能力を養うかがその人の人生を意義あるものにしていくのです・・・・

企業においては、これまで述べてきた時代の変化に対応して、人材開発とか言う視点ではなく、人財活性化と視点、つまり、米国で推進されている“Human Resource/Capital Development”で使われているDevelopmentを心理学に疎い人しか日本にはいないことを図らずも証明しているが、これは、経営=心理学の時代の潮流を受けての言葉であり、心理学においてはDevelopmentとは、正しい訳は開発ではなく発達を意味するのである・・・・

発達心理学は、英語ではdevelopmental psychologyというのである。HRM/HCMの真意は社員を如何に発達=成長させるかと言う強い含意がある・・・・このニュアンスを含めていないネイミングである人材開発室は、この言葉だけで本質を外れてしまうのであり、Kozyは、あえて、“人財活性化”と呼びたい・・・活性化には適材適所、自己成長の促進、会社全体の活性化というニュアンスが生まれると捉えている・・・・

つまり、社員の自己成長の支援をすることを明確に目的意識として持つべきである・・・これに伴い、自動的に、Quality of Work Life, Mental Careなどが含まれてくるのである・・・・念の為であるが、カウンセリングの本質は、自己成長の支援活動なのである・・・・

人財活性化をもっと掘り下げると、個人支援と企業内の文脈のマネジメントに分けられる・・・つまり、両方への介入があって初めて、行動変容はおきやすくなるのである・・・個人支援はカウンセラーよりも、職場に支援者がいることのほうが効果は大であり、また、職場における文脈は構成員が作り出すものであり、文脈の形成と維持はトップに大きく依存するものであり、この点ではリーダーシップは非常に大事になってくる・・・・

しかし、変化を起こすにはライン部門の人間は、取り組みたくても時間も知識も不足している。この点ではスタッフ部門の人間が参画する必要がある・・・残念ながら、スタッフ部門しか経験のない人にはライン部門の文脈のメカニズムは理解の限界を超えてしまう。また、現状ではスタッフ部門の人の知識レベルも低すぎる・・・・これは一朝一日で出来るものではないが、問題があってもやり始めるしかない・・・・

米国では、Positive Organizationという動きがある。また、Psychological CapitalということもPositive Psychology学会でも議論されている・・・つまり、心のエネルギーを個人から組織、そして、組織から個人両方から効率的に送り維持することで職場の活気の維持・増幅を標榜している・・・これは東洋哲学における“気”のことであり、それが故に、Kozyは気財管理と名づけて促進しようとしている・・・・

先ずは、日本企業は、日本企業になじんだTQM=Total Quality Managementの原則として、悪さ加減の認識から始めるのが良いだろう・・・・しかし、社員がみんな感じていても論理的な説明が出来ない。

ついては、企業毎に的をえた質問表を作成すて調査することが前提になるが、層別をして共分散構造分析の多母集団同時分析を通じて、科学的な解析により実態をつかむ必要がある・・・ここからすべてが始まるのである・・・これが、Kozyの行った研究でもある・・・

また、新入社員に対しても、悪さ加減の認識という視点で、人間の構造的問題という悪さ加減の正しい認識をさせる。そして、人が成長するとはどういうことなのかのOff-JTを、現状の日本の教育と鑑みるに、企業が取り組むしかないのである・・・Kozyは、ここも取り組んでいきたい・・・・

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December 15, 2007

What is changing(16)・・・・統合失調症が増える訳・・・

人間の成長を見ていると、物理学で使う言葉で“相転移”という言葉をどうしても思い出す・・・・相転移とは、H2Oが一番,例としてわかりやすいと思うので、説明をすると・・・0度c 以下になると氷、つまり固体になり、0度cから100度cの間では液体となり、100度cを超えると気体になる・・・つまり、固体相から液体相、そして、気体相に転移をしていくこと・・・

人間では、あれだけ引っ込み思案であった人が、ある時から、ころっと前向きで行動的になる人がいたり、急に子供じみた人から大人への成長をしたりする・・・・

H2Oの例で概念的に言うと、0度c以下では氷として強固な結びつきとして結晶化して、液体としては活性化して緩やかに結びつき、気体としては活性化が結びつきを切れた状態にする・・・・この変化を起こさせるものが限界点を超える気温の変化のことなのである・・・

Kozyは経験的に、人間はどんな人間にでもなれる柔軟性を持っていると確信している・・・また、脳科学では可塑性といっているが、脳はまさに非常に大きな可塑性を持っている・・・そして、可塑性を維持推進するのが、脳の曖昧性でもある・・・

脳の構造的な面でいうと、シナプス・ネットワークが構築されると、それまで出来なかったことが急に出来る。また、皆さんの持っている遺伝子は実はすべては起動しないのである・・・ある刺激を受けて起動する・・・ある刺激はある限界点を超えると考えてよいだろう・・・・つまり、シナプスが人の特性を司っているといいえるのである・・・・

性格因子としてのDNAの報告もあるが、生きた人間の脳内を刺激する実験は、人道的問題と危険性の問題より、執り行なわれていないので、性格因子としてのDNAもすべてが起動しているか否かははっきりしないが、多くの遺伝子が起動しないで冬眠状態にいることは既に確認されている。それ故、性格因子のDNAもすべては起動しないものがあることも十分考えられる・・・

いづれにしても、性格や行動は、如何にシナプス・ネットワークが出来ているかにより決定されるのは間違いないであろう・・・

新しいシナプスを如何によい方向に作っていくかが、人の人生を決める。だから、人間には無限の可能性があるのである。しかし、新しいシナプス・ネットワークの構築、および、修正は容易なことではない。新しいシナプス・ネットワークを作ろうとする場合は、大きく分けると二つの方法がある・・・

一つは、継続的な反復刺激・・・つまり、新しい領域に取り組むときには、最初はなかなか覚えることが出来ないが、あきらめずに何度も何度も繰り返していると、ある時から突然、理解が深まり記憶も簡単になされる・・・よく言われる“継続は力なり”は、方向性さえ間違っていなければ、脳科学的には正しいのである・・・

面白い、一つの例をあげるとと、学生時代はいくら複数の彼女と付き合っていても誰にいつ何を言ったのか覚えているが、仕事にどっぷりとつかるようになると仕事のことは一度聞いただけで忘れないが、複数の彼女にいつ何を言ったか記憶があいまいになる・・・

この例は、学生時代は時間の自由があり彼女関係が一番の関心であり、時間的にも頭の中で大きな割合を占めているが故に、継続的な反復刺激が彼女関係に多く注がれる。一方、仕事にどっぷりつかると、継続的な反復刺激が仕事関係が最大になり、彼女関係は割合的に減ってしまうが故に、記憶があいまいになると今は考えている・・・・

当時は、このことは人間の記憶力には限界があるのだろうかと思っていたが、上述したように反復刺激と関心の大小の問題が、シナプス・ネットワークの強度を決めていると理解すべきであろう・・・

念のためだが、本来は加齢と記憶力は相関性はない。しかし、加齢に伴い若いときのような反復刺激の機会が減り、また、物事に対する関心が薄れていくことにより、記憶能力が落ちるというのが正しい・・・

また、もう一つの方法論として、記憶力もシナプス・ネットワークに関係するが、強固なシナプス・ネットワークを作るには強い情動の起動が伴う場合は簡単に記憶が出来る・・・シナプス・ネットワークも同様に強い情動刺激を伴うと簡単に出来てしまう・・・・平易な言葉にすると、ワクワク感という情動が影響する・・・しかし、情動で一番強いの恐怖感であることは不変である・・・

また、シナプス・ネットワークは、出来るだけ強く多くの刺激が形成を容易にするということは、実経験というのは、すべての五感からの情報が脳にインプットされる為に、実経験を伴った強い情動が起動されることが容易に新しいシナプス・ネットワークを構築できると考えられる・・・・

行動心理学では行動変容には論理化が必要であるとの知見があるように、この論理化という言葉を掘り下げるとメカニズムの理解、システム的な理解という言葉になるが、このことは行動変容を可能にするシナプス・ネットワークとは、出来るだけ多くのところにつながっていることがより変容を可能にすると考えられる・・・・

また、未踏の分野においては、メカニズムやそのシステムに対する理解力が当然苦手であるが故に、これらの理解は多くの時間を要する。つまり、シナプス・ネットワークの構築には時間がかかるということを意味する。Kozyは、いつも少しの情報からおそらくこのような機能でメカニズムができており、それ故にシステムとして機能するという独断でシステムの理解をするための仮説を設定している・・・

この種の仮説は、未熟な人には設定できないという人が多いが、そこにあるいくつものプロセスの理解は出来ないのは当然である。しかし、いくつもの詳細はわからなくても、それらを通じて、例えば、Aから幾つかのプロセスを経てBになる場合の変化はわかるはずである。その変化が何かを整理してその変化を起こす一つのプロセスとして捉えることは出来るはずである・・・

この仮説を設定することは、理解を深めるためのセンサーの役割をしてくれる・・・だから、仮説の設定は、より正しい理解を早めるのである・・・経験的には、これですっきりしたともう時から、シナプス・ネットワークが構築され、自動的に理解が出来て記憶を出来るようになる・・・これが行動変容につながる・・・

行動変容が出来ないのは二つの大きな要因が考えられる・・・・

一つは、人間が文脈に縛られるということである。文脈とは上述の例で述べた学生時代という文脈と社会人として仕事にどっぷりつかるという文脈。つまり、文脈を平易な言葉に置き換えると自分のおかれている環境条件・状態と言ってもよいだろう。そして、その条件および状態が起動させる情動(感情が人を規制するもの)のすべてと言うことである・・・・

25歳以下の学生は、中長期の展望を踏まえた、Risk Managementの回路が出来ていないので、報酬系、性欲とか楽しい恋愛に集中できる。しかし、仕事にどっぷりつかるようになる25歳以上になると、現実社会への理解も深まり、中長期の展望におけるリスクを理解するが故に、社会人という文脈に縛られていく・・・

また、種々の文脈に如何に縛られるかは、個人差があるが、この個人差とは一言で言うと人間の成長度合いにより異なる・・・

もう一つは、冒頭で臨界点の話をしたが、人間は、よく言われることで、追い込まれないと決断が出来ないとか、逆境が人を育てるとも言われるが、これは、行動変容をしたい人たちのほとんどの人が、限界点に到達する手前で、恐怖感を覚えてそれ以上追い込むことをやめてしまう・・・

臨界点とは概念的に説明すると、二つの異なる相のまさに境界線上と言うことが出来る。つまり、異なる二つの相の両方の理解を出来る場と言ってよいだろう・・・つまり、今までに十分理解している相とまったく異なる相の、つまり、まったく異なる相への経験と理解の場なのである・・・

この経験は五感からのすべての情報がインプットされることにより、つまり、これこそが文脈の本質なのである故に、情動、その中でも一番強い恐怖感が起動される。知らないものへの恐怖感、これが不安の本質であり、この不安に負けてしまう・・・しかし、子供のころは、この不安は好奇心に等しく、何でもやってみる機能が十分に発揮されていた。実は、この機能こそ人間成長の源泉なのである・・・・

昔から言われる、かわいい子には旅をさせろ、若いときの苦労は買ってでもしろ・・・これらは、限界点の体験学習なのである・・・そして、この限界点の体験学習を如何に多くしてきたかが、大人になってからの、つまり、25歳以上になってからの上述の不安の払拭に役立つのである・・・・

しかし、現代社会は、昔と異なり、技術革新のスピード・アップに伴う、つまり、技術革新は生態系における重要なもの、困難度等の優先順位の変化をもたらすが故に、価値観の変容が昔と異なり頻繁に起こる時代である。・・・

この変化に論理的に考え気づいてきているのが、現代であり。昔より25歳以降でのストレス要因(ストレッサー)は大幅に増大してきている・・・さらに悪いことに、平和の代償とも言いえる、苦労知らずで育ってきた人には、さらに大きなストレスになる構造下に現在はあるのである・・・

心理学では統合失調症という言葉があるが、統合失調症は個人の素因である発病脆弱性と社会生活上のストレッサーの相互作用(脆弱性―ストレス・モデル)とも捉えられているが、平和な先進国である日本では、発病の脆弱性とストレッサーの両方が悪い方向に増えている・・・また、日本は歴史的には“恥の文化”として、自己の成長=第三の目の熟成に依存する文化であるが故に、異常犯罪が増えることは論理的には自然の流れであるとも総括できる・・・・・・

今回は少し長くなったので、ここで終える。・・・次回にこの考察から、われわれ日本社会が採るべき方策について、意見を述べてみたい・・・・

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December 12, 2007

仕事こそ自己成長の場・・・・第一の人生と第二の人生???・・・

本Blogで述べている第二の人生について少し掘り下げて説明したい・・・

第一の人生と第三の人生の間が第二の人生であるが、第一と第二の人生の分技点は、単純に25歳という年齢である・・・これは脳の成長が、メイン回路の構築という意味で、終了する年齢ということである・・・もちろんこの後も脳の発達ということでは熟成という意味での進化を続ける・・・この点では死ぬまで進化を続ける・・・但し、150歳ぐらいでは誰でもアルツハイマー病にはなるようである・・・

この25歳での第一の人生と第二の人生との分技点は、自然の摂理でもある最小のエネルギーで最大の効果を生むものではある、つまり、瞬時の判断を可能にするRisk Managementの回路なのです。第一の人生と異なるのは中長期の展望を踏まえて判断をする回路、しかし、これは自動的に起動してしまうのです・・・・

おそらく、原始の昔では、十代のはじめから社会で働き、また、結婚もしていたでしょう。つまり、肉体的に大人になっているからです・・・・そして、25歳までの実社会での経験をもって回路が形成された。しかし、その当時としては、変化も少なく、コミュニティーの規模を小さかったでしょう・・・・

それ故、動物として大人になる訓練としてはそれなりのレベルと価値を持った経験をした後に、大人として成人をした状態において、中長期の展望を踏まえて、このRisk Managementの回路が出来たと捉えています・・・高等動物ほど成人になるまでに時間が必要であり、原始の人間は、実質的に25歳で成人になった・・・

参考まで、文化人類学の知見では当時のコミュニティー=集落はすべて250人以下であった・・・これが集団として維持できる人数の限界であったと捉えています・・・この点を組織学でも重視する意見もあります・・・

第一の人生では、生まれてから、ずっと何でもやってみることを通じて学習をしてきます。そして、その経験により自分自身の判断基準を徐々に作ってきている・・・自分にとっと何が恐怖なのかを学んできている、また、親のしつけや親の価値観に同調することで親に好かれようとします・・・・

第一の人生の特徴は、この中長期の展望を踏まえる回路が出来ていない・・・つまり、やりたいと思ったことを短期的な展望だけで判断をする・・・だから、自分自身を振り返っても、よくもあんな危険なことをしたもんだという類の経験が山のようにあります・・・この中長期の展望は親しか、または、地域コミュニティーの大人しかもっていないので、大人は叱る事を含めて子供を守る行為に走る・・・・

Kozyはこの25歳で出来上がった脳のことを“自動脳”と名づけています・・・しかし、この自動脳は、近代社会においては、人間にとっては、隔離された250人以下の世界で生きてはいけないが故に、また、25歳までに必要十分な経験を踏むことが出来ないが故に、自動脳はまったく不十分なものにしかなっていない・・・・

むしろ、より劣化した自動脳になっているといってよいでしょう・・・つまり、原始の時代は250人の小さな集落であったとしても、その中のすべての世代、また、役割を担っている人のすべてとの交流があり、異なる家庭環境の人達との交流もあったが、現代社会においては、一般的に小学校まではその地域のすべての階層の人の子供たちとも交流があるが、中学・高校、または、中高一貫の学校の公立か私立に行くかにもより、交流できる同世代の人達ですら限定されてくる・・・

ましてや、大学では公立私立により受容できる家庭の金銭的環境で二分類され、また、選考する学科の判断基準が同じ人達が集まる・・・

原始の昔の250人以下の集落ですら、大人とは認められない限られた経験に基づく自動脳が形成されている・・・しかし、現代の実社会は、もっと広い交流が基本となっており、当然、現代の25歳で出来上がってしまった自動脳は不十分であり、心のかたわを生み出している・・・

技術革新が進むことにより、人間社会の文明は飛躍的に発達したが、この点では脳の発達は昔のままである・・・むしろ、文明の発達により、自動脳は、不適切な判断基準に基づき、不必要な恐怖感を起動してしまい、そのために、25歳以降に行動変容が必要な場合においても、脳内で起動された恐怖感に囚われて動きにくいのである・・・ストレスがより多くなるのは当然のことなのである・・・・

このことに気づいた現代社会では、それが故に“心の時代”と呼ばれる様になってきている・・・・

つまり、第二の人生は、25歳で成人になるということではなくて、25歳は初期的な成人でしかない・・・つまり、人間という動物としては、現在の多次元で高度な社会のなかで生きるための、第一次としての成人でしかないことを認識して、自動脳の中の物事に対する理解のための判断基準と中長期の展望の持ち方の判断基準を、再度、白紙の心で見直して生きていく時代でしかない・・・・

現代社会においては、既に、サラリーマンの世界では、“入社三年ですべてが決まる”という経験則が出来ている・・・つまり、22歳プラス三年=25歳で決定してしまうということである・・・・この点では、大学院卒を採用することを好まなかった日本の人事の新入社員採用の慣行は、実に的をえたことであったといいえる・・・・

この点では、新入社員教育というのは非常に大事な教育ということになる・・・・入社後の三年とは、本Blogで説明したことをよく理解して、自動脳の向上・修正の為に必要な生きていく姿勢の確立のことであり、技術革新が継続する限りにおいて、社会はどんどん変化していくが故に、常に変化の胎動を意識して、より速く変化をつかみより早く適応して生きていくことであり、この点では、現代社会においては、死ぬまで自動脳の向上・修正は必要になる・・・・

しかし、現実の問題として、平和の代償といってしまえばそれまでであるが、あまりにも守られて、苦労という現実を学ぶ機会も少ない中で、また、原始の時代と異なり10代からより限定された交流しか積んでこなかった、現代の若者を見るに、25歳以降の自動脳の向上は、より厳しい修行になるが、若い人達だけでなく教育する立場にいる人達も取り組む覚悟を、もって臨むしかない・・・・・しかし、生きる姿勢の確立は、いつからでも出来ることであり、遅すぎることはないのである・・・

第二の人生は、実社会の中で働くことを通じて、自動脳の修正と向上を行う時、つまり、これこそが人間の成長なのであり、職場こそ自己成長を目指す修練の場なのである・・・・つまり、職場は自己成長の場なのである・・・企業は、如何に速く効率的に社員を成長させるかが企業の栄枯衰退のKeyであるばかりか、その責任を担っているのである・・・・・・

企業内では人事関係者だけではこの責任を果たすのは無理であり、全員参加が当然望まれる・・・そこには、良いロールモデルだけでなく、反面教師も必要なのである・・・・

パラドックスではあるが、反面教師の方が効果がある側面もある・・・人間はああなりたいよりもああはなりたくないという恐怖感がより大きなDriverにもなるのである・・・・だから、Kozyは先輩の愚痴を聞く機会があれば、愚痴を聞け・・・そして、何が愚痴だけの人間にしてしまうか、そのメカニズムは何なのかを汲み取れといっている・・・・

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December 10, 2007

経営戦略としての人材育成への考察・・・

日本の経営の問題を考えるに、多くの経営者が人材教育=OJTと捉えており、現場での教育が一番であり、育つやつは育ってくると捉えている。その結果、人材育成について人事任せになっている・・・

しかし、管理部門としての文化がしみこんでいる人事部門の人が、人材育成に関する自己成長をもたらす理論、また、その支援の理論をどれだけ勉強してきているのであろうか・・・また、自社の体質的問題=社内文脈を如何に論理的に分析・解析するツールとその理論を勉強してきているのであろうか・・・・

人材育成は、あまりにも多くの要因、または、次元の中の話であり、常に、よりベターを求め続ける仕事であり、その時々、部門毎の違いもあり、より適した方法を常に分析をして、仮説を立てて、検証をしていく仕事である・・・つまり、どうしても試行錯誤の側面があるのである・・・・

しかし、管理部門の仕事文化には試行錯誤をする、つまり、リスク・テイキングする文化はないのである・・・つまり、減点主義がしみ込んでいる・・・・これらの姿勢は教育を受けるほうは感じ取るが故に、結果として減点主義の文化の植え付けをする危険すらあるのである・・・つまり、構造的な問題をはらんでいるのである・・・・

人事関係者はそれが故に、世界で一番のコンサルタント会社=米国系コンサルタントに任すという、論理的には最悪の選択をしてしまう・・・・つまり、頭の裏には、先に言い訳を作っておく・・・世界のトップですら上手くいかなかった・・・採用のときと同じで、一流大学卒で成績も良かったので採用した・・・同じ愚行をしてしまう・・・

西欧には、しっかりした個人主義、自立を強く促すキリスト教などの社会的な文脈の違いがあり、日本では、相互互恵への期待に基づく日本の甘えの構造という文脈の違いより、自立の促し方、また、自立を促してもチーム・ワークを重要視するものを残す自立・成長支援が必要なのである・・・・

また、自立・成長支援活動とは、個人への支援・介入だけでは不十分であり、被支援者を取り巻く文脈への介入との二本だてが必要になる・・・この文脈にしても、ミクロ、メゾ、エクソ、そして、マクロシステムと最低でも四分類が必要で、すべてには介入が出来なくても、出来ることをやっていく・・・・つまり、不必要な恐怖感を起動する不適切な文脈への介入に関して、出来ることをすることが必要になる・・・・・

では日系のコンサルタント会社は適切なのか・・・残念ながら、日本においては教育界と産業界の交流および協力関係という点では、特に米国と比べるとあまりにも希薄であり、有益かつ有効な研究はなされていないといわざるを得ない・・・Kozy自身も日本を代表する一流どころを数社訪問して確信したが、各産業界、各企業には、それらを取り巻く独自の文脈があり、さらに、部門によっても異なる文脈があり、これらの実学および経験則に対する理解が浅い・・・・

確かに、いくつもの会社のコンサルをしていると理解が深まる側面はあるが、決定的に足りないのが、層別して分類する技術、共分散構造分析の、特に多母集団同時分析などは、ほんの十年前までは現実的には使えなかった統計解析が、今や、PCの飛躍的な発達に伴い、ノートPC で取り組めるにも拘らず、このスキルを持っている人は皆無に近い・・・

若い人では、このスキルを持っている人はいるが、産業・組織への洞察力がなく、実効のある実験調査計画を立てれる熟達者は、論理的にもいないのである・・・また、これらの若い人を使えるベテランもいないのである・・・

マーケッティングの世界では層別して捉えることは当たり前になっているが、人材育成計画を立てるにあたって、会社の実態を知るには、Kozyの研究結果は、当たり前のことであるが、その人間の成長具合により異なることを示唆しており、成長具合により層別出来る調査を方法にも熟知している必要がある・・・

しかし、日本の場合は研究者の努力不足と人事関係部門の理解不足により、大企業の社員なら一度や二度は人事に頼まれアンケート調査に協力した人も多いと思うが、これらは全員が答えているのではなく、せいぜい約二割ぐらいの社員だけが答えており、これらの結果をいくら何万件回収をしたとしても、答えた人達の中で成長度合いが、たとえばA,B,Cとしたときにどの人達が多数派になっているかにより結果は異なる・・・また、各企業により異なるものをいくら分析しても何の意味もないのである・・・これが日本の実態なのである・・・・・

では、日本企業はどうすればよいのか、大きな問題となるが、短期および中長期の両方の視点で、日本企業が取り組むべき方策を整理してみたい・・・・米国では、SASがこの分野で成功を収めているが、日本の文脈に即した研究はSASも取り組んでいない。日本のSASになれる企業は潜在的には存在すると思うが、大企業は独自の部門を持つべきだと捉えている。なんとなれば、これらのKnow-Howが今後の日本企業の競争力の源泉になるからである・・・・

短期的には;

現状では、上述したように、残念であるが、日本では皆無に近いと危惧するが、実業界の十分な経験と最新の心理学の知見、および、最新の統計解析に長けた人間をアドバイザーまたはスパーバイザーとして契約をして、つまり、一緒にチームを組むとか、共同で現状の悪さ加減の解明を行い、自社独自の人材育成策を立案して実行する。なんとなれば自社を一番知っているのはその社員でしかないからである。そして、このOJT的側面を利用して社内に専門家を育てていく・・・・

また、大学院との共同研究にも喜んで取り組むべきである・・・・

長期的には;

1.先ずは、心理学を選考して最新の統計解析に長けた人材の採用を行うべきである。そして、複数の部門を経験させるべきである・・・・

2.経営は心理学の世界になる中で、最低でも二つの部門での経験を持つ10年以上のベテランを心理学の大学院に行かせるべきである・・・

つまり、今後の経営を考えるに、独自に自社に一番適した方法論を、または、そのためのアプローチの仕方を構築して維持していくことが、その会社の競争力の維持において一番大事になる。

また、これからの望まれる企業としては、より成長した人間を通じて社会に貢献するばかりでなく、それらの成長した社員を社会に還元する事が一番大事になる・・・

このように社会で認知されることなしでは、企業は存続を認められない時代になっていくであろう・・・・・このためにも、上述した方策を戦略的にとる必要がある・・・・人事まかせではなく、社長直属とか経営企画部門が取り組むべきである・・・・

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November 27, 2007

アルツハイマー病から性差の考察・・・

先日友人の娘さんが尋ねてきた。彼女は都内の有名大学病院で看護婦をしている・・・何故かアルツハイマー病には明らかに性差があり、女性が男性の約1.5倍の発病率であるとの話を伺った。確かにウェブを検索しても同じことが書かれていた・・・・

更にウェブで調べていたら、学歴による発病率は、男性では変化が無いのに、女性の場合は低学歴者は高学歴者に比べて、約4.5倍になっている・・・

そして、結論として・・・「教育歴は臨床的な痴呆を示す閾値に達する時期を遅らせる生物的能力の1つのマーカーである」という意見(教育して、神経細胞のネットワークを増やした分だけ、脳の細胞が減っても症状が出るまでに多少時間的な猶予がもらえるという考え方)が最も妥当なようです。・・・・と結んでいた・・・・

Kozyはこの話を聞いて思い出すのは、バイリンガルの人は老化のするスピードが遅いと言うことである・・・・つまり、バイリンガルとは言葉に対して通常の人の二倍前後の神経ネットワークを持つと同時に、言葉の裏にある文化の違いも整理されていることにより、通常の人に比べて、大幅に広い神経ネットワークをこの点では持っていると解釈できる・・・

一方、最近の若い女性のアルツハイマー病の発症が時々話題になるが・・・男性においては教育暦による差が無いことを考えると、単純に普段から頭を使えばアルツハイマー病を発病しにくくなるとは言いがたいのである・・・・

ある年齢を超えて、つまり閉経に伴い女性ホルモンが急激に低下することにより、脳内の情報伝達物質の減少が発生して、神経ネットワークが衰退していくことも考えられるが、Kozyは、一つの仮説として、25歳までにどれだけ多くの広く深い経験をしてきたのかにも依存するのではないかと捉えている・・・・

もっと掘り下げて説明すると、たとえば低学歴の女性の場合は、中学校での社会への反発により高校にも行かない、または、高校での反発により、または、女性特有のいじめ経験より、集団の愚かさの脅威を感じて、大学にも進学しない・・・・現代社会においては経済的な問題より、自分を受け入れてくれる小さな仲間集団への傾倒が、自分の世界を小さくしていく・・・・

この裏には、過度な理想主義に陥ることにより現実への拒絶反応が存在するのではないだろうか・・・性差としては、女性は男性に比べて観察能力が大幅に大きいが故に、良い事も悪いこともよく見えてしまう・・・

また、女性の思春期は、女性ホルモンが充分に製造されていない・・・女性ホルモンは精神安定剤としても使用されるものであり、男性以上に大きな不安を感じ取ってしまう・・・

これらの経験より多くの女性は、嫌なもの、怖いもの、つまり、心のエネルギーを減退させるものには目を向けない、ある意味では知恵を習得している人が多い・・・それが故に失恋での立ち直りが女性は非常に早く男性は尾を引いてしまう・・・・

また、個人的な若いときの経験から言うと、25歳を過ぎた女性は自分の価値観を変えようとしない頑固さがあり、非常に口説きにくい・・・・

男性は観察力が低いが故に、痛い思いをするまで気がつかない特徴があるが、女性は、その兆候を早く察知して回避する術を持っている・・・

一見すると、女性の方が知恵を持っているとも言い得るが、この知恵の判断基準と中長期への展望への理解力は、25歳ごろに脳内の最後のメイン回路として脳内に形成されるものであり、その判断基準と展開性への理解は現実の社会においてはきわめて不十分なものである・・・・・

ところが男性は、鈍感が故に痛い思いをするまでの経験を積むことが出来るが故に、25歳までに培われた判断基準と展開性への理解の、ケースバイケースでの深耕の機会が多い。それ故、脳内の神経ネットワークの拡大拡充がなされていく・・・・

女性においては25歳までにどれだけ広く深い経験をするかということも大事であるが、むしろ、机上の学問を通じて物事の見方および捉え方を広めることが出来得るのではないだろうか・・・教育効果についても男女の性差があるきがしてならない・・・・・

また、多くの男性は理解していないと危惧するが、女性は論理的なメカニズムについて強い探究心を持っており、感情だけでなく理論的に納得したがる・・・このような論理化は心の安らぎを深める・・・

欧米の失恋の歌の詩を見ていても、男性の方が理論的整理が出来ていない。しかし、女性は見事にポイントをついている歌詞が多い・・・Kozyが若いときに、失恋を重ねるたびに男性は優しくなり、女性は強くなる・・・との整理をしたことがある・・・・・

心理学と脳科学の勉強をしてみると、鈍感な男性には人の情動のメカニズムの多様性の理解、女性には論理的な理解へのベストな方法が恋愛なのかもしれない・・・そして、男女とも本当のありのままの自分を認める機会にもなり、ありのままで居られる素晴らしさを学ぶ試練の場が恋愛なのではないだろうか・・・・

このように考えると、実学の習得の多さがアルツハイマー病の早期の発病予防には一番効果があるのかもしれない・・・・実学の説明はこの前の記事を参照して欲しい・・・

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September 29, 2007

95歳、日野原重明医師の〈健康で人生を満喫するためのよい習慣〉に学ぶ・・・・

日経BPのウェブ版に・・・現役の医師であり続ける、日本で最も多忙な95歳。日野原重明医師の〈健康で人生を満喫するためのよい習慣〉・・・が掲載されていた。言葉の深い規定は、日野原氏とのある意味では、禅問答に近いやり取りを必要とすると理解している・・・・

自分自身を振り返ってみても、言葉にしたときのその言葉の含意は、年齢を経るにつれて深まり、どちらかというと暗黙知の領域に入ってくる・・・それ故、言葉だけでのコミュニケーションの限界を知るようになってきた・・・・

ついては、言葉による伝承能力の向上を目指してきたKozyとして、日野原氏の以下の15の習慣について、独自に掘り下げて説明を試みたい・・・・

先ず最初に、この15の健康で人生を満喫する為のよい習慣という言葉には、まず深い含意があることを説明したい・・・・・・本Blogで何度も申し上げていることであるが、25歳頃に確立された、それまでの経験に基づく価値観や恐怖感に基づき醸成された言動のパターン化の呪縛からの開放は非常に難しいことなのである・・・・・・

唯一、これに勝てるのが“習慣化”という何度もの刷り込みに拠る、脳内回路の書き換えなのである・・・ある意味では新しいシナプスの構築といってもよいだろう・・・・・・だから、如何によい習慣を身につけることが出来るかが、その人の人生を心身ともに健康で満喫できるものに出来るかに起因するのである・・・・・・

Kozy自身も、大胆によい習慣を何とか三つに絞りたいと現在も悪戦苦闘しているが、95歳まで生きてこられた尊敬に値する日野原さんでも15の習慣と15個までにしか絞れなかったのを見ると、自分が如何に傲慢に三つに絞り込もうとしているのかと痛感すると同時に、普通の人達には、15個はやはり多すぎると危惧する・・・・・・

しかし、空海が最後に説いた“南無妙法蓮華経”だけでは、空海の中では幅広い理解と奥行きがあると推測するが、凡人にはついていけない・・・・・それ故、Kozyの独善的な解釈により次の15個の習慣の含意の共通構成要因を、結果としてあぶりだしたい・・・・同時にこれは、人間の持つ構造的な問題の中で、常に意識していくこと=習慣化の重要な部分のハイライトとなる・・・・

1.愛することを心の習慣にする

日野原さんぐらいの人であれば、愛の東洋的含意である、以下のURLにてポストした“希望の持てない国、日本???・・・・ないのは、“愛と平和”の深い含意の理解???・・・・”の中で述べた、“愛とは、立ち去ろうとして後ろに心が惹かれる人の姿を表しており、その心情を意味する。つまり、後ろの人(残る人)に心を残す、心にかかることをいう、それより、愛情の意味になった・・・・・つまり、含意としては、愛は貰うことを期待するものではないのである・・・”を言っている可能性がある・・・・
http://kozy55-39all.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_7fa6.html

または、固有の強さで述べた“11. Love: 他人との親密な関係性の理解に大きな価値を見出すことである・・・・・”・・・このことを感じ続けることの重要さを述べているのかもしれない・・・・・

Kozyは、この含意を、人間は集団でしか生きられない。そして、集団をよりよい方向性に導く健全な相互作用を生み維持する為に、愛することを心の習慣にする・・・・結果としても、自分に喜ばしい換言が成される・・・・これが言いたいのではないか???・・・・

つまり、人間はあるものですら見えない脳の構造的問題を持っているが、その代表が物質として見えない愛の存在であり、これをより見えるようにするために、自分が多くを愛することにより、見えない愛の形を学習し続けることが出来、且つ、大事である・・・・・

2.「よくなろう」という気持ちをもつ

水は低きに流れる・・・・脳も構造特性から言うと、どうしても楽な方に流される・・・しかし、楽に流されるとは脳の既存の回路に縛られることを意味し、脳は退化していく・・・・・その為にこの気持ちを持ち続けることが脳の活性化=健康に一番大事なのである・・・・

3.新しいことにチャレンジする

新しいことにチャレンジすることは、恐怖感に戦いを挑むことでもあり、何か新しいことに受身的に取り組まれたときは恐怖感が強く起動してしまう為に、新しい行動には取り組めない。また、この新しい経験が新しいシナプスを醸成していき、脳が活性化される=健康になる。

4.集中力を鍛える

東洋医学で言われる様に、西洋医学でも脳の活性化の維持と体力の維持は深く繋がっており、集中力を鍛えることは、気力=脳の活性化の維持と体力の維持が出来ていて初めて発揮されるものである・・・・つまり、心身の健康の維持が集中力を高める・・・・だから、大事・・・・

5.目標となる人に学ぶ

現在流に言い換えると善いロール・モデルの重要性を説いているが、個人的には、善い人からは善いところを、悪い人は反面教師として学んできた。つまり、より多くの人との交流を通じて日々学んできたので、ロール・モデルは必要とした覚えがない。しかし、多くの人と接していると普通の人には、多くの宗教が奇跡、または、もどきの力を利用して、勇気付けてきたように、存在する人を目標とすることは、学ぶ点においては、確かに効果はある・・・・・

この事は、過去の人では真意に不安が生じるが、現存する尊敬できる人の存在は、幻想ではないという力を発揮する・・・・つまり、人間は自分にとって楽な方の幻想に縛られやすい・・・しかし、幻想は幻想でしかなく、人生の蟻地獄へ落ちていくだけなのである・・・・・

6.人の気持ちを感じる

正確には、人間の多様性、および、移ろいやすい人の気持ちを感じ取ることは、不可能なのである・・・・・だからといって諦めてしまっては、集団生活は出来ないのである・・・・・この不可能への日々の挑戦が大事である・・・これこそが人間を知る王道でもあり、自己成長の源泉でもある・・・・・・つまり、多様性の理解が大事・・・・・

7.出会いを大切にする

人の気持ちなどは本当には掴みきれない・・・しかし、この事は対人関係においては不安を醸成する。それが故に、勝手なバイアスをかけて人を勝手に解釈してしまう・・・・人間の恐怖心と傲慢さのなせる業である・・・・

それぞれの人が社会の中で何かを担っている・・・・それまで見えなかったものを見せてくれるのが出会いなのである・・・・脳の怠惰性に負けてはいけないのである・・・・

8.腹八分目より少なく食べる

腹八分の規定は、基礎代謝にも依存するので、判断に苦しむが、少なくとも現在の時代においては、体内・皮下脂肪にして体内に脂肪を貯めておく必要はない時代であり、人間の体は腹八分でもとりすぎであると言うことだと推測する・・・・

9.食事に神経質になり過ぎない

食事に神経質になることは、食が偏りやすいということと、人間には足りなくなったものを食べたくなる機能が存在しており、食生活の習慣の問題か、または、体の真の叫びかけかの聞き分け能力が必要にはなるが、神経質になりすぎることは、消化も悪くする為に望ましくない・・・・

10.なるべく歩く

個人的には何百回か医者に言われている気がするが、歩くことは有酸素運動にも善いし、また、正しい姿勢で歩くことは、自律神経をコントロールする脊髄の正しい矯正に貢献する。・・・

11.大勢でスポーツを楽しむ

これはスポーツの観賞なのか、それとも、大勢でのスポーツへの参加なのかは不明であるが・・・・観賞だとすれば、集団の中での共感は心を元気付ける・・・・もし、参加であれば、チーム・プレイの重要性と楽しさを再認識させてくれる・・・・・・

12.楽しみを見出す

これは、次項のストレスの調節にも関係すると思うが、心が萎えそうなときには、心への充電方策を各個人が独自に探し出す必要がある・・・または、陰陽、表裏一体の原則を知れば、どんな嫌だと思うことにも楽しみを探し出すことは出来るといいたいのではないだろうか・・・・

13.ストレスを調節する

前項で述べた調節方法と、さらに、人間であるが故にストレスは成長過程において不可欠のものであることへの理解の重要性をいいたいのではないだろうか・・・・ストレスは、自分の未熟な部分および自分が偏っている部分を教えてくれている・・・・これに打ち勝つには時間が必要なのである・・・・何とならば、この事が新しい習慣化を必要とするからである・・・・・・

14.責任を自分の中に求める

人の責任にすることは、人に変われという事と同意語である・・・・自分が変わらないと人は変わらない・・・・殆どの場合、普段の自分自身の言動が問題である・・・・・世の中は、正に因果応報なのである・・・・また、こう考えて自省することが、脳の活性化になり、心の健康に繋がるのである・・・・・・

15.やみくもに習慣にとらわれない

世の中に普遍なことはないのである・・・・常に変化している・・・よって、あるときに善いと思った習慣も時代の変遷と伴に、善くない事になる・・・また、やみくもに習慣に囚われることは、脳および肉体の偏った使用を意味し、これ自体、脳にも体にもよくないのである・・・・・Kozy流には、どんな確信も強い仮説として処理する・・・・・

既に、この日経BPの記事を読まれた方もいるとおもいます・・・・また、今回始めて知ることになった人もいると思います・・・・・・独自にどんな解釈が最初は浮びましたか、Kozyの解釈と読み比べてみてください

21世紀においては、既に何が脳の活性化に良いのか、また、肉体の健康に良いのか・・・どんどん解明されてきています・・・・そして、人間の持つ構造的な問題も、また、それに伴う人間の成長のメカニズムも解明されてきています・・・・・そして、先人が残してくれた経験則の多くを追認しています・・・・・・

まさに、これらの問題に対する医者でもある日野原先生のお勧めしていることは、最新の知見の理にかなっています・・・・

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September 28, 2007

孤独感を独居へSwitch-wellしよう・・・・

最近の本Blogへのアクセスを見ていると、“胆力”の検索ワードで訪問している人が目に付く、恐らく、これらの人は胆力をつけたいが、孤立することを恐れすぎているのではないだろうか・・・・・・

ここで一度、孤独感について掘り下げてみたい・・・・・

心理学では、Dorothy,M.G.(1976)は、・・・孤独感とは、我々が世界のある面や関係を持ちたいという欲求が阻止されたときに感じる悲しさ(Sadness)やあこがれ(Longing)である・・・・と定義している・・・・

また、孤独感とは別に、独居(Solitude)という概念があり、孤独感とは、見捨てられたり、拒絶されたといった受身的感情である、独居とは、自分で選び取った孤独のことであり、自分でコントロールできるものである・・・・・

独居によって人はいつもの生活パターンから抜け出し、問題に対する新しい視点や展望を得ることが出来る・・・・Kozyに言わせると、孤独とは受身的な、相手への依存に基づいている・・・・独居は、能動的な活動であり、これこそが成長および創造力の源泉になるのである・・・・・

未熟な思春期の特徴の一つとして、集団の中での孤独を感じるようになる・・・・これは、人間はお互いに理解し共感できるという幻想に縛られているからである、つまり、個人個人は異なる個性を持っているという現実を理解できない為である・・・・

Kozyはちょうどこの前段階および中学校を含めて、つまり、小学校三校、中学校三校、それも都会の下町、山の手、そして、田舎、また、異なる文化圏に住んだ為に、そこで、本当に人はそれぞれの自然と社会的環境により、人間はこんなに異なるものかと体得していたので、この種の孤独感は味わったことがない・・・・・・

このことを知るためには、欧米での生活経験は有効だと思われる・・・日本にも大きな地域文化の違いもある・・・・

また、残念ではあるが、一生の真の友達というのは一人出来ればそれだけで十分幸福なのである・・・それだけ本当に理解し会える友というのは得がたい存在なのである・・・・正に、人間は自然環境を含む全ての文脈に支配される・・・・つまり、永続的な刺激に対して適応する動物なのである・・・・・・・・・

実は先日、全く誰もいない中で自然の生き物もいない情況で5時間ほど過してが、集団の中では感じなかった孤独感を久々に感じると同時に、自然物の存在のありがたさ、また、人間は人間同士の集団の中でしか生きてはいけない人間の性を痛感した・・・・

恐らく幼少時代以来のことだろう・・・・・・この様な物理的な孤独感は、近親者の他界のときに、これからも感じるのであろう・・・・

ライフサイクルとして、孤独感を捉えると、①人との関係性の濃淡に関する次元、②社会に認知される自分との差に起因する自己のあり方の意識に関する次元、③時間的展望の不足に起因する時間的な展望の次元に分類される・・・・

①は、人には異なる個性があることの理解が思春期には出来ない為の孤独、②は、死ぬまで続く自分らしさの確率不足に起因する、③は高齢期を迎えた人の孤独である・・・・・・

胆力というワードで検索している人たちの孤独は、①と②だと推察する・・・・両方に共通するのは、人間とは何かという本質的な問題への理解不足であると断言できる・・・・・・・

人間は遺伝子だけでなく、育つ環境の影響を受ける為に、同じときに同じ経験を持っていない限りは、理解および共感を100%することは、脳科学的には不可能なのである・・・・・

また、人間は、いくらでも成長できるものであり、これが自分だと決め付けることは、脳科学的には成長の拒否になり、強い仮説として取り組むことが大事である・・・・・・

何時までも、問い続ける、自分から能動的に問い続ける・・・・・即ち、孤独感に浸るのではなく、この状態を好機として、また、独居として、転換期に、また、定期的に、例えば十年毎に独居になり素直に現実を受け入れるべきなのである・・・・・・人間の構造的弱さを理解して受け入れよう・・・・

本Blogでは、Beautiful Switch の重要性を何度も言っているが、孤独感に陥ったら、独居に切り替えよう・・・・・これが出来れば胆力への道は大幅に短くなる・・・・・・・・・・・ストレスは孤独を伴い現れる・・・しかし、これを独居に切り替えれば、まさに、成長への一里塚になるのである・・・・・・・

孤独もストレスも、この様に、本質的には、人間の成長に必要であり、本来はポジティブに捉えられるべきものである・・・・・・

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September 25, 2007

誰にでもある固有の強さを知ろう・・

前回約束したように、個人の固有の強さ=Character Strength and Virtue=CSV=人生に貢献する性格とその徳の24項目は以前アップロードしたことがあるが、今回参照の論文にて、セリグマンが平易な言葉で説明しているの、訂正をかねてアップロードをしたい・・・・

このCSVの選択および整理に当たって、セリグマンは、人類に共通する、また、ほぼ全ての文化に共通する美徳とされる性格を、つまり、ポジティブな心の強さを構成するものとして六つの骨子に分類して、それぞれについて幾つかのCSVを整理して、計24種類のCSVを作成した。人間のネガティブなところや弱いところではなく、人間が本質的に持っているポジティブで強いところの分類を行ったのである・・・・・

さて、以下に同論文に纏められていた内容を記することとしたい・・・・英語の堪能な方は、

http://www.authentichappiness.org/ 

を訪問して英語の質問に答えてもらえれば、CSVの中で自分は何々が強いのかが提示されます・・・英語が得意でない人は、真摯に自門自答してください・・・・そして、自身の持つ強いCSVを如何に活かして生きていくかを考えてみてください・・・・・

I.Wisdom and Knowledge(叡智と教養)

1. Creativity: 新規で生産的なことを考えれること・・・・
2. Curiosity: 今経験していることの全てに興味を持てること・・・・・
3. Open-mindedness: よく考えて全てのサイドから検証をする能力と習慣を持っていること・・・・
4. Love of Learning: 新しいスキル、トッピックス そして、知識の本質をマスターすることを楽しめること・・・
5. Perspective: 他の人たちに、賢明なカウンセリングを提供できること・・・・

II. Courage(勇気・胆力)

6. Authenticity: 真実を話し、真の自分を開示できること・・・・・・
7. Bravery: 恐怖、チャレンジ、困難 または、痛みに怯まないこと・・・・・
8. Persistence: スタートしたらやり遂げること・・・・・
9. Zest: 興奮と気力を持って人生に立ち向かえること・・・・

III. Humanity(人間性)

10. Kindness: 他人に対する善意と勇気のある行動・・・愛他性の実践力とも言いえる・・・
11. Love: 他人との親密な関係性の理解に大きな価値を見出すことである・・・・・
12. Social Intelligence: 自分自身と他人は、何に動かされどんな感情を抱くかに気付くことが出来る・・・・・

IV. Justice(正義感・公平感)

13. Fairness: 全ての人に対して同じ公正さと正義の判断基準で接することが出来ること・・・・
14. Leadership: グループの活動を有機的な繋げ、そして、何が起きるかを理解する能力 ・・・・・・
15. Team-work: グループまたはチームの一員として行動をすること・・・・

V. Temperance(自制心)

16. Forgivenness: 間違いを犯した人を許せること・・・・
17. Modesty: 功績は、それを成した人の為に知らしめることが出来ること・・・・
18. Prudence: 後で後悔しないように自分自身の選択に非常に注意深くいられること・・・・
19. Self-regulation: 人間(自分)が感じて行うことを規制することが出来得ること・・・

VI. Transcendence(超越性=普通の限界を超えられること)

20. Appreciation of Beaty and Excellence: 人生の主要部分で、美、卓越したもの、そして、Skilled performance =  熟練した技による出来栄えに気がつき感謝する能力・・・・
21. Gratitude: 善なること、よい事が起きたことに速やかに気付き感謝することが出来得る・・・・
22. Hope: ベストを期待して成し遂げようとすること・・・・
23. Humor: 笑うこと笑いを取るために当惑させることを好み、他の人に笑いもたらすこと・・・・・・
24. Religiousness: 高貴な目的と人生の意義について首尾一貫した信念を持てること・・・・

皆さんは、以上の24個のCSVのどれが自分の中で一番強いとお感じですか????・・・・または、どれに磨きをかけて生きたいとお感じですか???・・・・よく考えてみてください・・・・

Kozyは、セリグマンの活動および功績は高く評価しています・・・・また、ポジティブ心理学のネイミングには、文句をつける気はありませんが、本Blogを書き始めて、四年目になりますが、セリグマンおよびその他の研究者と同じベクトルの方向ではありますが、今年になってふと吹っ切れたことがあります・・・・・・

それは前回に少し触れましたが、“Hope: ベストを期待して成し遂げようとすること”と規定されていますが、Kozyは、
Hopeとは、よりベターになる可能性があると信じて成し遂げる努力を出来ること・・・・つまり、普遍な自分にとってのベスト、そして、万人にとってベストはありえないと捉えているからです・・・・・・

日本語でも、夢も希望もない=生きていけないという言葉がありますが、確かに人間はその様に弱い存在です。Kozyは、自身の研究およびグループ・ダイナミクスの知見より、成長できない人達は、現実を正しく認識できずに幻想に囚われている・・・・・夢は多くの人にとり幻想であり、現実の直視能力の欠如と捉えている・・・

困難なことに挑戦し続ける為の能力は、CSVでは“7. Bravery: 恐怖、チャレンジ、困難 または、痛みに怯まないこと”である対象を夢として捉えることが出来るが、この継続力を可能にするのが、恐怖に打ち勝つ力とKozyが規定するところの希望の力になる・・・・・

即ち、Kozyとしては、この希望の維持能力を経験を通じて正しい維持能力を養うこと、これ即ち、ポジティブの本質だと捉えている・・・・・

しかし、恐怖感とは、生まれてまだ小さいときの幼少期までを見ているとわかるが、何でも遣ってみようという恐れない心、即ち、生得的に持っている“気”であり、元来の気力=元気なのであり、残念ながら、学習無力感と同様に、狭く浅い、且つ、守られた情況での経験に基づき学習されたものであり、つまり、不十分な学習により得られた恐怖感に人間はおののいている・・・・・・

そして、25歳ぐらいにおいて、不十分な経験に基づき学習された、中長期の展開性とそのリスクを織り込んで、恐怖感と報酬を天秤にかけた俊時の脳の自動判断を行う回路が完成される・・・・・

この不適切な回路の適正化のためには、より広く深い経験を通じて、自己責任による現実を直した再学習経験が必要になる・・・・・つまり、性格要因のBig Fiveにある“Openness to experience=知性”がポジティブになるためには必要であり、その成功体験による再学習の有効性の理解が必要になる・・・・・・・・

また、希望の維持能力とは人間の知的な活動がもたらすものでもあり、セリグマンのCSVには、その構成要因は基本的に全てカバーされていると捉えている・・・・・

念の為であるが、“VI. Transcendence(超越性=普通の限界を超えられること))”とは、普遍なものはないという確信に基づき習得されるものである・・・・・・・・

Kozyは、24項目を見てつくづく感じるのは、良くも悪くも経験が人を作る・・・脳科学的に換言すると、経験がシナプスをつくり、シナプスが人の性格を決定する・・・・・経験から如何に正しく学ぶことが出来るか・・・・これが一番大事ではないだろうか・・・

そして、正しい方向の学習に導いてくれるのが、“希望の維持能力”・・・・・本Blogの発言は全てこの希望の維持能力増進の為の発信である・・・・・・

この為には、弱いところを最初に強くするのではなく、個人の持つ固有の強さをより活かして、生きていくことがより大きな成長への原動力になる・・・・・ある意味では24項目は一つとして、100%の自信がもてないと思います・・・・経験不足であれば、当然のことです・・・24項目の中で他と較べて相対的に強いところを理解する・・・・・

まずは、それだけで善いのです・・・・・・つまり、新たな経験は、それまで見えなかったものが見えてくる・・・・そして、更なる可能なチャレンジ項目が増えてくる・・・・・見えてくるから正しい経験の理解がより可能になるのです・・・・そして、更なる経験に知的好奇心が沸きたてられる・・・・・・

Kozyはより見えることが成長だと捉えています・・・・・

あとは、焦らず、諦めず、経験を直視して真摯に掘り下げて考え続けていくことです・・・・人生には近道はありません・・・・

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September 22, 2007

ポジティブ心理学の知見と考察(2)・・・

第二回として、二つめの知見として、固有の強さのプロファイル、つまり、そのパターンの共通性が米国の大人と青年の間で見られる。しかし、米国の大人と米国以外の大人の間では、共通性がより低いのである。Hope,Team-work,そして、Zestについては米国の青年間の方が米国の大人の間よりより共通点がある。・・・・

米国の大人の間では、Appreciation of Beaty,Authenticity、Leadership そして、Open-mindedness がより共通している・・・前回に規定の説明をしていなかった固有の強さは以下の様に規定されている・・・・・

Appreciation of Beaty (and Excellence): 人生の主要部分で、美、卓越したもの、そして、Skilled performance =熟練した技による出来栄えに気がつき感謝する能力。・・・・

Leadership: グループの活動を有機的な繋げ、そして、何が起きるかを理解する能力 ・・・・・・

Hope: ベストを期待して成し遂げようとすること・・・・

Team-work: グループまたはチームの一員として行動をすること・・・・

Zest: 興奮と気力を持って人生に立ち向かえること・・・・

この知見に対しては、如何にある強さを、大人への旅の中で壊れていくことから守り維持する事が出来るか、また、種々の傷を受けながら、如何に他の固有の強さを構築できるのか、更に研究していくことが大事になると結ばれている・・・・・

Kozyは、米国には住んだことはないが、何度も米国内の色々の場所を訪問しており、いろんな人にあってきたが、所謂自由の国アメリカといわれるが、良くも悪くも伝統のない国が故に、他の国と較べて、米国人はより社会的な文脈に縛られやすい国民性を持っていると捉えている。・・・・

それ故、大人と青年に共通性が多いのは頷ける・・・・人間とは文脈に縛られる動物である・・・・

また青年の方が現実の社会のメカニズムを正しく理解できていないが故に、また、社会的な負荷が青年の方が少ないが故に、Hope,Zest、Team-Workが若いうちでは、固有の強さとして維持されているが、大人になるにつれて、現実の直面して、この三つが失せていく・・・・

そして、大人は社会で実学を理解および修得するにつれて、Appreciation of Beaty, Authenticity, Leadership & Open-mindednessの重要性を理解して修得していく・・・・・つまり、大人に成長をしていく・・・・しかし、現実は、9割以上の人が、これらの維持と修得に、何度もの挫折を経て無力感に染められていく・・・・

青年の固有の強さへの認識は、謂わば幻想の世界で守られた社会での認識であり、責任という負荷も少ない・・・・幻想の世界で感じる固有の強さでしかない・・・本当の固有の強さは、現実の恐怖感の醸成される中でしか正しくは認識できない側面を持つ・・・・・

また、三つめの知見としては、いわば、心の強さに関係する、Zest, Gratitude,Hope and Loveは幸福感に強く繋がっている。これらは、知的な強さでもあるCuriosityおよびLove of Learningより、幸福感に繋がっているのである・・・・・

ここで新しく登場した固有の強さ(CSV)の規定を追記する・・・・

Curiosity: 今経験していることの全てに興味を持てること・・・・・

Love of Learning: 新しいスキル、トッピックス そして、知識の本質をマスターすることを楽しめること・・・

Love: 他人との親密な関係性の理解に大きな価値を見出すことである・・・・・


つまり、人間の幸福感は、好奇心や学びの喜びという類の項目でなく、より情動的なZest, Gratitude,Hope,そしてLoveの影響が強いということでもある・・・・また、これらの心の強さが結果としての幸福感を映し出すのである・・・・しかし、もう一つのポイントとして、心の強さは、情動的な部分と知的活動の両方の相乗効果により生まれるのである・・・・・

Kozyは、この論文の中では、言葉の裏にある文化的な文脈の違いが原因だと推察するが、Hope=希望とは、稀なる望みという漢字で構成されており、維持することが出来る人は稀である望みという含意があり、セリグマンのHopeの規定は、東洋人から見ると本質を見逃していると危惧している・・・・・

また、もう一つの知見として、両親の人生の幸福感は、親の人生は全て知っているわけでもないのに、子どもの人生の幸福感に強く関わっている・・・・それだけ多くの日常生活を通じて、強い影響を受けるのである・・・・つまり、両親という文脈の呪縛から脱出できない(人が多い)・・・・・

Kozyは、ある年齢を超えてから、多くの自分固有の強さは、自分自身が物心がつく前に親父が海外に単身赴任して、そのまま両親が離婚をしてしまったので、通常は息子が故に、父親の影響を受けるのであるが、良くも悪くも、男性イデオロギーのまだ強い時期であったが故に、離婚を契機に、父親からの影響を受ける類の話は、自分で考え、自分で検証をして、自分で決めてきた・・・・・

ある意味では、大人への旅を、小学校の四年生から始めることが出来た・・・・正に、脳の発達の最後である25歳の15年ほど前からスタートを切ることが出来た・・・・確かに種々の嫌な思いもしたが、若いが故に適応能力・順応性が非常に大きかった・・・・実に善い時期に、父親の離婚のお蔭で、旅立ちを可能にしてくれた・・・・・

さて、今まで述べた知見は、“Positive Psychology Progress - Empirical Validation of Interventions” M.E. Seligman他、2005 American Psychologistよりの引用です。訳はKozyの翻訳であり、参考としてください・・・・

また、この論文には24種類の全てのCSVの規定が纏められているので、以前のBlogの訂正版として、別途、タイトルを変えて掲載します・・・・お待ち下さい・・・・

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August 07, 2007

「平凡こそ非凡なり」と真のリーダー像への考察・・・・

安倍首相の続投とその後を見ていると、芦屋に住んでいたときの、ボンボンを思い出す・・・・つまり、周りに常に支えられているが故に、現実の空気が読めないのである・・・・また、現実に対峙する前に、問題は周りの人により取り払われているので、常に、楽観主義に陥るのである・・・・・

また、仕事で何々首相のご子息で、東大の法学部を何番で卒業して入社されているという人たちにも会ったが、そういう人は、むしろ学生時代に、東大生自体がプライドが高い人が多く、彼らに良くも悪くもある種のいじめを受けたりして、その反動として、くそ生意気な人が生まれやすい・・・

安倍首相は、東大でもなく、小沢および小泉御両名が卒業した、慶応でもなく、成蹊大学卒である・・・・成蹊大学は三菱大学とも呼ばれることがあり、土佐、薩摩、長州などの政府の要職につく武家の子弟のいく大学としての歴史があり、岸前首相の孫であれば、血統が大事であるが故に、大学においても、周りに支えられていたと想定される・・・・・

また、安倍首相は、川重に就職されたが、ここでも現実との対峙の機会はなかったであろうと想定される・・・・・ただただ、周りが支えてきた・・・

当然、苦言を呈する友人などもいなかったのではないかと危惧する・・・・・つまり、真に信頼できる友人とはを学ぶ機会がなかったのではないだろうか・・・・・安倍首相の対応を見ていると、確信を持って言いえるのは、Kozyだけではないだろう・・・・

政界に入ってからも、昭和の妖怪といわれた岸さんのお孫であり、安倍晋太郎氏のご子息であり、昭和の妖怪と呼ばれる所以は、おそらく、裏社会にも通じている・・・・下手にはむかうと暗殺されるという意味が含まれていたと推測される・・・・この意味では、安倍首相はプリンスの中のプリンスであり、利用しようとした悪いやつらが、当然、アプローチをしたと考えるのが自然ではないだろうか・・・・・

20歳を過ぎると、人間は自分の顔に責任を持つ必要があるが、常識的に見て、あんな悪党顔のやつは選ばないという人をお友達内閣として選んでいる・・・・・政治と金の権化のような人をいっぱい選んでしまったので、当然の帰結として、問題が次から次と出てきた・・・・

また、安倍首相の顔を見るに、これだけ守られて育った人は少ないが故に、確かに人を疑うことも知らない、人のよさが伺い取れる・・・また、お金には不自由しないので、大義および正論重視の姿勢もうかがい取れる・・・・・しかし、人を見る目の教育は一切受けていないのではないだろうか・・・

日本の国民が十分に成長していて、経済的にも安定しているときには、悪人もいなくなるので、安倍首相は一番の適性を持っている・・・しかし、人類の歴史を見るに、その様な時代は論理的に来ることはありえない・・・・・・

この様に考えると、個人的にはカミュの“平凡こそ非凡なり”と言う言葉を思い出してしまう・・・・・・・安倍首相は平凡から最も離れたところで成長した人であり、日本のトップオブトップスとしての首相には最も適さない人である・・・・・・

先週の日曜日に日経に連載されていた“世界を創った男・・・チンギス・ハン”が終了したが、ふと頭に浮んだのは、徳川家康とチンギス・ハンはよく似た人生を送っていると痛感した・・・・安倍首相は、まさに、対極にある人生であり、この様な人には日本国のリーダーは任せられない・・・・・・・・

少し前にポスとしたが、“泥中の蓮”の本当の含意は、どろどろの汚れきった社会を体験することにより、蓮のような真っ白な心と崇高な理想が生まれる・・・・そして、その目標へ向けた実行力が熟成される、・・・・徳川家康は戦国時代の下克上の人間の汚さを熟知して200年以上の太平の江戸時代の礎を作った・・・・・

そして、チンギス・ハンは、“人間に差別なし、地上に境界なし”のビジョンの下に、大モンゴル帝国を構築する礎を作った・・・そして、道士の長春真人にあてた手紙にて、自身の自己分析として・・・・・・・

「朕には、特に際立った資質が備わっていない。朕が勝てたのは、朕の武勇が優れていたのではなく、敵の能力が足りなかったからだ。天は、我が周辺の富み栄えた国々を、傲慢と奢侈(しゃし)の故に罰した。朕は今も、馬飼いや牛飼いと同じものを着、同じものを食べている。我が君臣は労苦を伴にして、富と栄を共有している。朕が贅沢を憎み、節制を旨としている」

そして、こうも言っている・・・「朕は臣下の者を我が子の様に扱おうと努めている。才あるものは氏族身分に関わりなく兄弟の様に遇した。朕と臣下は原則において一致し、愛情によって結ばれていた」・・・・・・これは、チンギす・ハンが若い時に逆境の中でたどり着いた人生哲学であり・・・・また、世界史上の最大の帝国を築いたチンギス・ハンのお墓にも現れている・・・・・・

チンギス・ハンのお墓は、故郷の近くにただ深い穴を掘りそこに埋めて、その後を大量の馬で踏み固めただけで墓標すらないのである・・・・・・息子達および臣下たちが、これこそがチンギス・ハンの望みだと理解してこの様な埋葬をしたと思われる・・・・・

ここまでの素晴らしいリーダーシップを望むのは酷であるが、あまりにも安倍首相は血筋はよくてもリーダーになるには育ちが悪すぎる・・・・・

平凡を知ることは非常に大事なことであり、平凡を知って、初めて空気が読める(=KY)になれるのであり、リーダーの必須の条件である・・・・そして、泥中での生活経験を通じて、蓮のような清廉なビジョンと実行力を供える・・・・・この様な人が発言を許される言葉が、「美しい日本」なのである・・・・そして、「戦後レジームの改正」なのである・・・・

ふと考えると、平和な時代で育った人達には、この資格を持つことは至難の業である・・・・・・・・・・・・・

また、産業界の泥中の十分な経験を持たない、教育界や、コンサルタント、および、学者の類の意見も同じことが言いえる・・・・また、米国の平凡と日本の平凡は異なるのである・・・・踊らされないで欲しい・・・・・

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August 04, 2007

“不惑”と“当意即妙”の人生の罠に落ちるな・・・・・

カウンセリングをしていると、Kozyのお話は“当意即妙”の妙味で満ちている・・・・早く修得したい・・・・修得できないのが自分の一番の葛藤です・・・・・等々の話を聞く・・・また、早く不惑の境地に達したい・・・・とも言われる・・・・・

しかし、これらのクライアントは二十代の人達、時として、十代の人が何のためらいもなく、この様な発言をする・・・・・だから、抑うつ症に陥るのは自然の成り行きである・・・・・つまり、自立できない人、自己成長の出来ない人、自己実現が出来ない・・・・・人達が陥る悪循環の罠なのである・・・・・

今回は、このことを、パラダイムという言葉を通じて説明したい・・・・・・

英英では“paradigm”とは、

1. a particular way of doing something or thinking about something, which is generally accepted or copied

2. a very clear or typical exsample of something

3. an example or pattern of a word, showing all its forms of grammar, like “child, child's, children, children's ”

つまり、パラダイムとは、正に、Kozyが“自動脳”と名づけている、また、脳科学では25歳ぐらいで脳内に最後に出来上がる回路を意味する・・・・・・ものごとに対する見方、捉え方が一定化して、当然その思考および行動がパターン化されていることを意味する・・・・英和辞典などを引くと、“理論的枠組、方法論、対応策”とか、“模範、範例”とも訳されている・・・・・・

何度も申し上げているが、人間は25歳を持って動物社会における成人になることを意味しており、この自動脳の生成は、それまでの人生での習得した知識と経験に基づき、種々の日常の事象に対して、その都度ゼロから考えていると俊時の判断が出来ないために、また、瞬時の判断を可能にする為に、人間が進化の過程で習得したものである・・・・・

これは、自然摂理である最小のエネルギーで最大の効果を求めるものでもあるが、脳の怠惰性を意味している・・・

他の動物と較べて、人間社会は、集団の中で生きていくことは、良くも悪くも、25年もかけて各個人が個人特有の経験と知識により醸成されたパラダイムを持つことであり、各個人が独自のパラダイムを持っており、その個人の集合体である集団の中で生きていくには、25歳までの人生で修得した個人のパラダイムは、機能する訳がない・・・・つまり、葛藤の連続であるのが人間なのです・・・・・・

また、人間は、葛藤の中に居ることは不安感を醸成します・・・・それ故、“不惑とか、当意即妙”とかの境地に憧れを持ちます・・・・・・

確かに、孔子は・・・30にて立ち、40にて惑わず、50にて天命を知る・・・・といっています・・・・・・しかし、これは今よりも複雑性の少ない時代で

、人生50年の時代のことです・・・・・何度かアップロードしてますが、自分の死期を想定して生きることは、正に、孔子も言っているように・・・人生は、何かを成し遂げるには短すぎて、何もせずに過すには長過ぎる・・・・・この矛盾の中で生きることが人生を生きることであることを教えてくれる効果があり、人生50年のときと人生80年のときは、そこには人の成長という意味でも差が出てくるのです・・・・・・

また、孔子は・・・吾、十有五にして学に志す・・・つまり、裕福ではなかった孔子は、それまで働いていて、25歳の自動脳が構築される前に社会勉強して、成果を挙げて、十五才で学問に志した・・・・・それ故、15歳から学んだことは実社会と対比して修得できる立場にいた・・・

親の庇護の下に、勉強させられた人たちと、吸収能力が抜本的に違うのです・・・・・・

この様な、孔子の生きた、つまり、孔子の醸成したパラダイムは、現代社会、特に日本では論理的にはえられない孔子個人のパラダイムを形成しているのです・・・・それなのに、10代、20代で不惑を求めるとは、何を考えているのか!!!!・・・・

社会に出て働き始めた、特に大学卒、大学院卒の人は、孔子の15歳以下の時でしかない・・・といいえるのです・・・・だから、自立が、自己成長、自己実現が難しいのは、当然の帰結なのです・・・・・平和の代償と読んでもよいかもしれません・・・・・・・

また、“generation=世代”という経験則に基づく捉え方があります・・・・英英では・・・the average period of time betwenn the the birth of a person and the birth of that person's children・・・・親とその子どもの平均的な年齢差ということです・・・高齢出産は増えてきてますが、十代の出産も増えている・・・平均は約20年と言ってよいでしょう・・・・・

Kozyが、言いたいのは、40にて惑わずは、孔子でもなく時代も違うので、不可能というべきでしょう・・・・しかし、現在の社会は間違った理解による“不惑”を40代の人は求めている・・・・これは非常に危険なことであり、人生の罠でもあります・・・・・

つまり、40代とは社会に出て20年前後立ち、自分の生活している、また、仕事をしている限られた社会のパラダイムを十分学習して理解することにより、社会が解ったような気分になる・・・そして、それを金科玉条の様に捉えてしまう・・・・・そのパラダイムは社会の一部でしかない・・・また、社会は常に変化しており、それまでの経験に凝り固まってしまうことは、これからの変化に対応が取れない・・・・・・

さらに、悪いことに、同じパラダイムの中で生きていることは、新たな自動脳を、習慣と繰り返しを通じて醸成しており、白紙に戻って種々考え検証をすることを放棄していることであり、脳の持つ怠惰性に縛られており、実際は脳はあまり使用されない・・・・

これは脳の老化を招く為に生きていることと同じことになります・・・・・・・・社会にも個人にも害にしかならない・・・・

Kozyは、40歳になった時に、四十路は“よそみち”と読むべきだと知覚しました・・・・四十にして惑わずではなく、今の人間は、脳が楽したくて固定概念を生むように出来ており、40代は意図的に、それまでの固定概念、バイアスの間違いに気付くために、それまで経験のないフィールド、仕事であり、交友関係の拡大・・・等々を自分に課すべき時代になるのです・・・・これを称して、四十路=よそ路を歩く必要がある・・・・

また、“当意即妙”は、相手のパラダイムを理解して、相手のパラダイムの中で説明してあげる能力です・・・・同世代の中でも難しいことであり、また世代が異なればもっと難しいことである・・・・・・

パラダイムを理解することは、“理論的枠組、方法論、対応策”の理解になりますが、この事は、相手がどの様なシステマティックな理解をしているか、そして、システムの各プロセス間の相互作用を如何理解しているか、また、全てに関係する陰陽を何処まで理解しているか、そして、他のシステムとの相互作用を何処まで理解している・・・・・これらを理解することです・・・・・・・・

この時に一番大事なのが、普遍なものはない・・・この不安にどれだけ耐ええる人間なのかというのが、見るべきスタートになります・・・・・

自分が不安に耐えれない人には、当意即妙は存在しない・・・・・・これが胆力の源になる・・・・そして、第三の目の活性化をする・・・しかし、第三の目は、自分の視点の第一の目と相手の視点の第二の目の両方の目の成長があって可能になる・・・・・・

胆力にはもう一つの大事な源泉があります・・・・それはカッとこないことです・・・カットくると第一の目しか機能しません・・・カットくるようでは成長できない・・・・・・

しかし、参考まで、孔子ですら、・・・・六十にして耳順(したが)う・・・つまり、六十で、やっと、カッとくる気持ちを抑えることが出来るようになり、他人の意見を素直に聞けるようになった・・・・・実は、松下幸之助にも同じ逸話があります・・・心中はカッときていても、両者とも自分を押さえる術を修得していたと考えられます・・・・・

怒らず、焦らず、諦めず、問い続けてください・・・・・如何に生きてる間に、孔子が七十にして、心の欲する所に従いて矩(のり)をこえず・・・つまり、七十で、自分の欲望のままに振る舞っても、正しい行動がとれるようになった・・・・

これは、正に叡智の境地ですが、凡人には何処まで近づくことが出来るか・・・・これが、我々凡人の生きる目的ではないでしょうか・・・・・・

より広い、より深い経験・・・・これが、第一の目、第二の目、そして、第三の目を熟成するのです・・・・嫌なこと、やった事のないことは、先ずしばらく取り組んでみてください・・・・・徹底的に取り組んでも嫌ならその理由と判断基準を確認してやめれば善いのです・・・・・やってみることが大事です・・・・

“不惑”とか“当意即妙”という罠にはまらないで下さい・・・それらは、凡人として到達できない理想のゴールとして捉えてください・・・・・・

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August 01, 2007

動機でなく動因に注視・・・・自分の恐怖感を整理しよう・・・・

先日、成功回避動機についてアップロードしたが、行動変容する、つまり、変わりたい=成長したいということと、行動に移すことは、分けて考えるべきだと捉えているので少し説明をしたい・・・・・

動機とは、行動に移らせる為の要因と規定できるが、成功回避動機とは、逆であり、行動に移らせない為の動機であり、要因にもプラスとマイナスがあることを先ず理解して欲しい・・・・・

そして、動機としては、生得的な一次欲求と社会的学習の結果としての二次欲求がある・・・・・・・また、英語では“Driver”と呼ぶが、日本語では動因と訳されているものがある・・・・つまり、動機の原因になるもの・・・・・・・・参考まで、欧米では既に、Motivation よりもDriverを多く使っています・・・・・

ごく一般的には,行動は,本人が何らかの要求(欲求)をもち,同時に要求の対象(誘因)が存在する時に生起すると考えられている。・・・・さらに,要求と誘因が出会うことによって生じ,行動の直接的な推進力となる動因の概念もこの過程に加えられることがある。・・・・・

動機づけの概念は,これら行動の発現と維持にかかわるすべての要因を含んだものとも考えられる。しかしながら,動機づけ概念の捉え方は,各研究パラダイムによって異なり,確定的なものはない。・・・・パラダイムとは、何を拠り所としてどの様に捉えるかということである・・・・

多くの人が動機付けについて述べているが、この動機付けという言葉の規定の統一さえなされていない言葉なのである・・・・・・

しかし、その中でも、認知的動機づけ理論と呼ばれるものがあり、人間は、生得的ないし生理学的な過程とはなかば独立に,人間の認知機能が行動を発現させる原因になるという立場のものがある。・・・・・

この中で、以前も紹介したが、行動は目標達成への期待と目標の価値(誘因価)との関数であると仮定するJ. W. アトキンソンらの期待 = 価値理論と,入力された刺激と何らかの内的な基準とのずれが行動を発現させるというバーラインらの認知論的な内発的動機づけ理論,あるいはTOTE単位の理論を発展させたパワーズ(Powers, W. T.1973)らのコントロール理論、・・・・・・

そして、もう一つ、 産業場面での研究によって提唱されたヴルーム(Vroom, V. H.1964)の動機づけ理論。期待 = 価値理論の一種でもあるが、ある行為に随伴する産出(outcome)によって他の何らかの産出が得られるか否かについての期待が,行動を動機づける重要な要因となることを強調している。例えば、給与が増えるとか、周りに評価されるとか等の,ある行為の産出は他の産出を得るための手段(道具)となる・・・・

難しいことはさておいて、アトキンソンの期待 = 価値理論とヴルームの別名、道具性理論との二つを比較すると、面白い違いがある・・・・・

つまり、アトキンソンの理論は、達成したい動機が一定で在れば、成功確率が半々のときに行動がおきやすくなる・・・・一方、ヴルームの理論では、成功するとの主観的な成功確率に対する認知が高いほど、行動がおきやすい・・・・・これは何を意味するのか???・・・・

アトキンソンの理論は行動そのものが困難であるほどやりがいを感じることを示しており、ヴルームの理論は行動の結果得られるものが大きいほど、やる気が沸いてくる・・・・・・ある意味では、アトキンソンの理論はバーラインの言うとこの、内発的動機付け理論に通じるものがある・・・・

ここでKozyの見解、つまり、仮説としては、最近の脳科学の知見では、理性的な思考だけでは行動に移せなくて、情動と合致しないと行動に移せいないことより判断するに、二次的な欲求は、すべて、一次的な生得的欲求が根本にあり、また、一次的欲求の中で一番強い影響力を持つものが恐怖感であり、恐怖感は自分を取り巻く文脈により起動されるものであり、如何なる動機付け理論も、文脈への介入がない限り無力でしかない・・・・・これはむしろ自然科学で確認されていることでもあり、確信に近い強い仮説としてKozyは捉えている・・・・・

アトキンソン氏は会ったことがないので断言は出来ないが、現実および恐怖と対峙することの出来る、ポジティブな人であろうと推察します・・・Kozy苑でも言った気がするが、自分自身でも“周りが不可能というから、自分の出番である”・・・・・

つまり、Kozyはこの様な困難の極みのような課題に取り組むときはワクワクするのである・・・・そして、それに取り組む自分を誇らしく思うのである・・・・・・

とにかく仮説を設定して、検証をしてだめなら、また、そこから仮説を設定して検証をすることを繰り返す・・・・そして、不可能と思われたことが可能になることに至福の喜びを覚える・・・・なんとなれば、自分がまた成長できたことを実感できるからなのである・・・・個人的にはアトキンソンの理論は非常によく理解できる・・・・・

また、セリグマンの学習無力感の研究の示唆するように、8割ぐらいの成功率での計画の立案は産業界においては非常に大事であり、失敗の連続では仕事は続かない・・・・この点では、ヴルームの理論もよく理解できる・・・・

今回、皆さんに申し上げたいのは、行動に随伴する報酬が目的の行動なのか、または、行動そのものが目的の、行動なのか・・・・行動に移したいと考えるときには、どちらなのか、ハッキリ整理することが大事なのです・・・・

どちらの場合も一番大事なのは、自分自身にとって一番の恐怖感は何なのか・・・・このことを自分自身を直視して、恐怖感の序列を確りと掴むことが大事になる・・・・これが出来ると、The Better than The Worstとして、最悪の恐怖感を避ける為には、その次とか、それより小さい恐怖感は、最大の恐怖感を避けるという一次的な欲求の強力なるエネルギーを利用して乗り越えられるのです・・・・・

そして、ヴルームの理論の場合は、Kozyの言っている第三の目の知的思考力を発揮すると、より多くの報酬が隠されていることが理解できるようになる・・・つまり、一石二鳥どころでなく、一石何鳥にもなるのです・・・・・・

また、人事および組織論で考える場合は、不必要な恐怖感を起動するものは何なのかを、詳細説明は既に何度もアップロードしているので省くが、Kozyの開発した方法で洗い出して、その文脈への介入が絶対的に必要になる・・・・動機付け理論だけでは機能しないのである・・・・

念の為ですが、上述したことは本では学べません、より深く、より広い経験を通じた実学が必要になります・・・・焦らないで下さい・・・・しかし、問い続けてください・・・そして、新しい経験、嫌な経験は躊躇せずに取り組んでください・・・・自分が、また、社会がよく見えてきます・・・・・・

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July 25, 2007

もう目を背けるのはやめよう・・・苦悩だけが人を成長させる!!!

いまでもKozyが大学院で、グループ・ダイナミックスの講義を受けたときを思い出すことがある、それは、“苦悩しか人を成長させない”という、長年かけてたどり着いた、ビヨンの定理である・・・・・このことを教授が伝えると、すぐある大学院生が、それとは異なる理論は、または、それを否定する理論は無いのですか?・・・・と質問した・・・・

教授は答えていった・・・・君たちが期待することはわかるが、これを否定する理論はない・・・・Kozy一人だけ、その通りだと頷いていたが、他の誰もがうな垂れていた・・・・・・

グループ・ダイナミックスは、臨床心理学を学ぶ人の必須科目でもあり、まさに、個人と集団のダイナミックスを取り扱ったものであり、心理カウンセリングを体系的に学ぶ場合には欠かせないものである・・・・・

しかし、世に出て、心理カウンセリングおよび個人と集団の権化のような人間関係の縮図でもある産業・組織心理学の専門家という人たちで、この当たり前の真理を口にする人は少ない・・・・大学院の授業においても、Kozyを除いて、他の人には信じたくないことであり、彼ら自身にとっても、正に目を向けたくない、“不都合な事実”なのである・・・・

この様な人たちが、専門家として説く理論などは、こうあって欲しいという希望的意見、または、机上の空論でしかない・・・・自分で見たくない事実は、本人認識の中で抹殺される・・・・これが、人間の脳の構造的問題なのでもある・・・・・

しかし、Kozyは、多くの所謂大人は、この事実・・・“苦悩しか人成長させない”・・・ことを、経験を通じてむしろ体感している・・・・心理学では、成功回避動機というのがある・・・・これは、かっては、女性の特性の様に言われていたが、決して女性特有のものではない・・・・ここには性差はないのが現在では通説になっている・・・・・

カウンセリングをしていると、この成功回避動機に縛られていて、“解っているが、したくない”・・・・という典型的な発言にて表出されてくる・・・・

つまり、自己成長をしたいといっているが、そのこと自体が苦悩と対峙して乗り越えなくてはいけないことを確りと理解しているから、“やりたくない”ということになるのである・・・・・

また、悪者ほどこの心理状態を利用する・・・・つまり、“楽して”とか“夢の力”とか“好きなことで”・・・等々で成長しようとか、乗り越えようとかを強調する・・・・・これは、詐欺行為でしかない・・・・

残念ながら、マスコミは本来は事実を伝える義務があるが、売れないと商売にならない・・・また、読者が喜んで読んでくれることばかりに、フォーカスする構造的問題があり、そのマスコミが、社会的文脈に一番影響力を持つが故に、まさに、間違ったことが多数派を形成してしまう・・・・これが社会の構造的な問題でもある・・・・・

経営においても同じ構造的な問題が存在する・・・・企業経営と自己経営とは、正に同じ構造的問題を含んでいる・・・・株式投資も同じ問題を含んでいる・・・・・

このBlogを、幸いに訪問した人達には、声を大にして申し上げたい・・・・・

苦悩を誘導する恐怖感に目を背けていては、何時までも苦悩からは開放されないのです・・・

そして、歳を取ればとるほど、苦悩に対峙するのが困難になるばかりか、より多くの経験を通じてより多くの苦悩が見えてくるようになり、ストレスばかりの人生になっていくのです・・・・これが、人生の蟻地獄の構図なのです・・・・・

苦悩こそが、人間の苦悩からの解放へ導いてくれる・・・・・人間の人間たる所以は、動物にはこの様な脳の構造的問題はありませんが、人間が獲得した脳の構造はこの様な矛盾を乗り越えることにより、より高度な進化を可能にしてきているのです・・・・・・

また、人間が構築した複雑な社会は、矛盾に満ちています・・・・それが故に、人間は中庸を探し出す能力が要求される・・・つまり、その都度の状況において、バランスを見て判断をすることが求められている・・・・他の動物には、Yes or No の判断しか出来ないことです・・・・・

苦悩は、人間である証でもあり、苦悩に対峙して乗り越えることにより、25歳に完成されたRisk Mnangement回路へのあるべき修正がなされる・・・これが未熟な人間から熟成した=自己実現がなされることなのです・・・・・・

特に女性に申し上げたいのは、男性の八倍の観察力をもつ女性は、男性の何倍かの恐怖か見えるとKozyは捉えております・・・男女の性差はこの点に起因すると考えられます・・・・成功回避動機は、確かに女性の方が強いと考えられます・・・・・

しかし、生きる強さは女性の方が強いのです・・・・俗にいう所の腹をくくるという点では男性よりも胆力があるのです・・・・痛みに耐ええる強さを持っている・・・

最初は男性よりも辛いかもしれませんが、この胆力が人間の持つ才能である“慣れ”のスピードを速めると捉えています・・・・慣れるとそれまで見えなかったものが見えてきます・・・・・是非立ち向かってください・・・・・真の幸福へのこれが本当の近道なのです・・・・・

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July 22, 2007

自己成長の戦略を真摯に考えよう・・・・

実は、カウンセリングの依頼を受けた方には、自己成長の為の“Marketing Chart on yourself”というものをお渡ししています・・・・

大きく分けると、Marketing Management(副題:正しく自己受容できていますか???)・・・・とMarketing Strategyと二つに分けています・・・・このMarketing Strategyの副題は、頭領運 or 参謀運・・・・としています・・・・・

自己成長のゴールをどちらにするのかということです・・・・最近のリーダー教育、また、エリート選抜教育を見ていると、矛盾を禁じえません・・・また、資格を取ったり、スキルを磨く教育も然りです・・・・・

参謀運、参謀向きの人と、頭領運、頭領向きの人に、人間は大きく分けると二つに分かれるのです・・・・

勇気と無謀は全く異なることは、皆さんお解かりだと思いますが、勇気とは、胆力と言い換えてもよいでしょう、危険を熟知して立ち向かうのが勇気であり、胆力なのです・・・・無謀というのは危険が十分認識されていない行動を無謀というのです・・・・・・

ご存命の中での日本の誇る銘経営者と言えば、誰もがその中に、信越化学の前会長である“金川千尋”をあげられると思います・・・以前、金川さんの日経に掲載された、私の履歴書にて、次のようなことを言われている・・・・

社長としての私の仕事は、社員に仕事のチャンスを与え、自ら伸びる人間を見つけることだ・・・・将来の社長候補だからといって、勉強のためにあれこれとポストを準備するようなことはしない。誰かに育ててもらうようなひ弱いことでは、社長など務まらない・・・・・・

参謀運とは、一言でいうと、まさに、“ひ弱な人”なのです・・・・また、言い換えるとネガティブ思考の得意な人とも言いえるでしょう・・・・・

頭領運とは、危険を十分予知できるネガティブ思考能力を持ち、その現実の中でそれらのリスクを踏まえて、ポジティブに思考能力を発揮して、決断と行動を出来る人です・・・・・だから、誰かに育ててもらうのではなく、どんな逆境にも動ぜずに、自発的に自分を磨いていく人なのです・・・

だいぶ前にリーダーに一番求められるのは、胆力であるとポストとしたことがありますが、この能力は大企業でいえば、正に入社後三年で、胆力による差がついてしまうのです・・・・この差を埋めることは、ある意味ではより強い胆力が必要であり、より難しいことである・・・・

この胆力は若いときにどれだけ苦労し、その中で養われるものであり、人生で、この事がその後の人生に大きく影響するので、だから、先人は“若い時の苦労は買ってでもしろ”との言葉が伝承されている・・・・また、それが故に、“逆境が人を育てる”といわれている・・・・

今の社会の風潮および多くの企業の人事の対応を見ていると、参謀は多く揃っても頭領は育たないと危惧する・・・また、参謀は気弱な本質を持っているので、頭領運の人に対して排斥をすることも危惧する・・・・

この様な参謀ばかりが揃うと、正に“船頭多くして、船山登る”の様に暗礁に乗り上げてしまうのではないだろうか・・・・

自己成長を考えるときは、自分自身をよく見つめて、頭領運を目指すのか、それとも、参謀運を目指すのかを冷静に決断する必要がある・・・しかし、参謀運を目指すとしても、頭領運の人の足を引っ張らない・・・

また、自分にとっての頭領は誰かを見極め、参謀はよき頭領と一緒ではじめて実力を発揮できることを肝に銘じて欲しい・・・・・

金川さんは、社長としての仕事として、私の仕事は、会社を優良企業にするための方法を「考える」ことであり、考えるための時間と場所は選ばない・・・・とも言っておられるが、この「考える」とは、まさに、ネガティブ思考とポジティブ思考を交互にSwitch-wellすることであり、このこと自体が胆力を要する・・・・

胆力とは、同時に現実の直視であり、そこにある恐怖への対峙能力である・・・・念の為であるが、頭領運を目指すにも参謀運を目指すとしてもコミュニケーションおよび説得能力は必須であり、この為には、言動の一貫性が保たれていないといくらスキルを屈指しても無駄なのである・・・

そして、実学の修得が絶対条件である・・・念の為だが、実学とは、現実の問題に直面したときに、それまで学習したものを棄却して、現実に即して、検証を通じて、再学習されたものである・・・実は、ここでも胆力がいるが、この胆力よりも、経営判断としての危険を熟知して決断と行動をする胆力に較べると小さなものなのである・・・・

また、異なる言い方をすると、見えるところを磨くのが参謀運であり、見えないとこも磨くのが頭領運でもある・・・・資格に頼る人は、参謀を目指すしかなく、自分を活かしてくれる頭領を見極める能力が必要になる・・・・・

さて、皆さんは、頭領運をお持ちですか???・・・・!!!・・・・

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July 10, 2007

久々のKozy苑・・・・The fundamental things !!!・・・

久々のKozy苑として、最近頭の中に浮んでいる短編集をいくつか書き残したい・・・・・・

前回の記事の日本の国家戦略の中で述べた、現在の特徴は、“Cross Border and Culture”であるということは、今、正に求められるのは、日本の善い文化を確り修得した、“Cosmoplitan”なのである・・・・・国際人とも訳されるが、本来は、コスモポリタンとは、自国の利益に囚われない。そして、自国の文化に囚われない人のことであり、国家の立場に囚われない国際人という無国籍主義、むしろ、地球国家の国民になろうという思想でもある・・・・・・

世界を知らなくてもCosmopolitanになろう・・・ダイバーシティ・マネジメントなどが、今更ながら叫ばれ、多様性の修得なども叫ばれたりしている、環境問題も叫ばれている、また、自立とかも叫ばれている・・・・これらは全て、コスモポリタンになれれば解決できる問題である・・・・

やはり世界史は、全員必須にすべきであり、異文化心理学なども、高校か大学にて必須にすべきではないかと危惧している・・・・・文化とは、歴史的社会文脈と規範などのソフトの総体であり、ソフトに影響する構造物と自然環境を含む・・・・

異文化理解の本質は、人間の持つ価値観は世界中かわらない。人間は同じである。そして、どのような要因により、価値観の優先順位が異なるかを学ぶものであると捉えている・・・・

この理解は、男女間、世代間、民族間、国家間の理解を深めるものであり、異なる集団への理解および地方文化への理解も深めるものである。・・・・・・

そして、結果として大事な基本原則を学ぶのである・・・つまり、人間社会に普遍なものはないという確信、人間は人間同士の相互作用で成長するという確信、人間を取り巻く社会および自然環境とのダイナミックな相互作用により変化するという確信を得る・・・・

異文化にも関係するが、北欧で白夜を経験してみてください・・・・・人間は日中に太陽を浴びるだけでも、ポジティブな気分になり、脳も活性化します・・・・・夏は、感覚的には、発情期なのだと感じてしまいました・・・・しかし、北欧には長い夜の冬もある・・・・・

人間は昼と夜と睡眠時間に如何適応してきたのか、参考まで、暑い国では、例えば、コアラなどは、皆さんはおとなしい動物として見ていますが、実は俊敏でどう猛でもある動物なのである・・・・・昼が暑すぎる為に夜行性の生活パターンで生きることを選択しただけなのです・・・コアラはおとなしいのでなく睡眠時間に起こされていて眠いだけなのです・・・・・・

北欧の白夜のある人は別にすると、日中と夜と夜の睡眠という生活パターンを人間は選択しています・・・・・これは如何いうことか、また、それに伴い如何適応しているのか・・・・・・人間は日中に働くことを選択している・・・・日に当たるとポジティブになれて、狩猟生活には適していた・・・・

そして、夜は、ネガティブになりやすいのであるが、反省して欠点・問題点を見つけやすいので、夜に考えた・・・・・そして、解決しなくとも、寝ている間に脳が整理をしてくれて、ふと解決法が解り目を覚ますこともある・・・・・

歳を取ると、睡眠時間が短くなるのは、問題が減っているからとも考えられる・・・・・・・・科学的には、睡眠誘発ホルモンのメラトニンの生成量が減るからだといわれている・・・・・しかし、他の哺乳類では、メラトニンは発情期のコントロールをしている・・・確かに眠いと性欲は起きない・・・しかし、一方では、日にあたることでメラトニンは増えると云われている・・・・・

南国は総じて、セックスに関して開放的である・・・・メラトニンは、他の動物では発情期をコントロールしているが、人間は、365日発情できる・・・・・そして、睡眠誘発剤でもある・・・・????・・・・何か進化上の理由があるはずだと思う・・・・

人間は進化の中で、日中に働く事を選んだことにより、日中にポジティブになりすぎると危険であるが為に、ネガティブ感情を修得して、バランスをとることに成功したとも考えられる・・・同時に、夜に落ち込み過ぎないように、ポジティブ感情を修得したのかもしれない・・・・

動物と戦う狩猟民族は、ポジティブ感情がより強いのかもしれない・・・・農耕民族はネガティブ感情が、つまり、自然災害に備える体質を維持する為に、強いのかもしれない・・・・・

日本人の多くには、何々の権利が認められると、それをたてに、権利を主張する・・・・・しかし、全ての権利には義務の履行という前提がある・・・自由主義の中で、自由の権利だけを履行する人は、利己主義と何が異なるのであろう・・・・その自由を履行することに伴う義務の履行がある・・・・なんでこんなことが解らないのであろう・・・・

日本国憲法ですら、教育を受けさせる義務、勤労の義務、納税に義務の三大義務が存在する・・・・この義務の履行があって、憲法の擁護を受けることが出来る・・・つまり権利の行使が出来る・・・・

民主主義と自由主義を日本国憲法はベースにしているが、納税の義務を果たしていても選挙権の行使をしない人が多い・・・これもおかしい・・・やはり、市民革命運動を通じて苦労して勝ち取らずに与えられたからなのであろうか・・・・

おかしいこととして、育児休暇などは、この制度を導入するには、良くも悪くも、仕事自体のマニュアル化および詳細の権利と義務とそれに付随する責任の詳細規定がないと、いくら導入しても、回りに迷惑をかけすぎるわけには行かないので、権利の行使があまりなされないのは当然であり、産業界の仕事のシステムまでに介入しないと、実効は上がらない・・・・・しかし、経営者も組合もこの点の突込みが足りない・・・・・

常に権利と義務を論理的に考える習慣が欠如している・・・・この背景には、君子和して同ぜずに基ずく、各人の個性を活かして調和を求める“和”、即ち、議論を尽くしてことにあたるという本来の“和”へあり方を、小人同じて和せずの異論を挟まない同じるを和すると混同している・・・長いものには巻かれろの封建主義的体質から脱却できていない・・・・また、論理的な議論をする訓練が出来ていない・・・・これが日本人ではないだろうか・・・・・

最近、はたと気付いたが、KozyのBlogは、音楽のカテゴリーへの記事は少ないが、アクセスが一番多いかもしれない・・・・日本の歌の歌詞には、歌は現実逃避のものが売れており、聞くべき歌などで紹介した歌の歌詞のような歌は非常に少ない・・・・そして、より自立を阻害している・・・・・

政治もマスコミも国民の一時的な快楽要求に迎合しすぎている・・・・しかし、これは国民の問題でもある・・・・・

最後に、ハンフリー・ボガートのカサブランカの主題曲である“As time goes by”は、Kozyよりも一世代も二世代も年上の人たちの名曲であるが、その中の歌詞の一節をここに記したい・・・・・

You must remember this
A kiss is still a kiss,
A sigh is just a sigh
The fundamental things apply
As time goes by

キスはまだキスであり、ため息はただため息であり、基本的なことが、時の流れの中で、適用される・・・・この頃を忘れてはいけない・・・・基本的なことは、現実から逃げても逃げられない、恐怖に目を背けていては何も解決しない・・・・・・

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July 09, 2007

日本の国家戦略への一考察・・・・

一部の方は覚えておられると思いますが、小泉首相の時代には、良くも悪くも国家戦略が描かれていたと認識している・・・・それは、勿論、“構造改革なくして成長なし”・・・・に関係しますが、“KGB枢軸”と呼ばれたものである・・・・

Kは小泉、Gはグリーンスパン(当時FRB議長)、そして、Bはブッシュ大統領の頭文字をとったものであり、9.11以後の米国の株価の停滞と日本の当時の株価の停滞を救う両国間の国家戦略である・・・・この結果として、ゼロ金利までの低金利政策と、米国のTB(財務省証券)の日本の購買であった・・・・・・

表に出ない国家戦略であるが故に真意は推し量るしかないが、日本の低金利政策は、円安を促進するものでもあった・・・・当時はやたらと、外貨預金とか海外投資が宣伝されていた・・・・・そして、日本が必要な構造改革には、二つの大きな柱が実際はあったと捉えている・・・・

一つは表に出ているように、小さな政府の促進であり、これが、民営化を意味する・・・・・・また、国家財政のあまりの大きすぎる赤字体質よりも、金利を低くせざるを得なかった・・・・・・

もう一つは、決して表で語られることはなかったが、日本株式会社の競争力の回復であったと捉えている・・・・・表向きには、“平等から公平に”と云われていたが、この事の意味することは、ご存知の様に、輸出に強い一部の企業は、世界的に競争力を維持していたが、その競争力も、“平等”という美名の中で、競争力を支えている社員は高給でも競争力を維持できるが、それ以外の社員の給与レベルが高すぎる為に、および、関係するほかの日本の産業が給与レベルが、国際水準として高すぎる為に、競争力に陰りを齎していた・・・・

つまり、給与を下げることは政権として維持が難しいので、為替を下げた・・・・・

KGB戦略は、正直言って、プラダ合意時代までの円安にまで行くとは想定していなかったのではないだろうか・・・・・・・

キャノン(武田製薬かも知れない???)のような高収益会社でも、研究とかマーケッティングとかの部門の給与は別にして、間接部門とか製造部門の給与レベルを下げることを既に数年前に行なっている・・・・・・この事は各個人の仕事のアウトプットの価値に見合うべく、給与を平等から、国際的な市場価値による公平な供与体系への見直しがなされている・・・・・・・

KGB戦略の結果として、既に、民営化は道半ばであるが、“平等から公平”・・・つまり、弱い産業にあわせた円安レベルは既に達成されている・・・・また、生産性の低い人達と生産性の高い人たちの、少なくとも産業間の公平な給与レベルの修正はなされてきている・・・・・・

また、株価は低金利と円安を受けて、既に、バブル後の日経平均銘柄の入れ替え前の水準で考えると、バブル時代を既に上回っているといってもよいだろう・・・・・

ずっと海外ビジネスに関わって来たKozyから見ると、日本のほぼ全ての産業において、世界の中での比較において、競争力は回復していると感じている・・・・むしろ、ここまでの円安は、国家としての弱体化の側面をより強く感じる・・・・・

KGB戦略の後が“美しい日本”・・・・・・これが国家戦略に如何繋がるのか、未だに理解が出来ない・・・・・・・・

基本的には、円高は国家が目指すべきものである・・・・確かに何もしなくても、米国が自滅していき、ユーロには追いつかないかもしれないが、遅かれ早かれ、円高にはなるとは感じているが、国家戦略としては、受身の待ちではなく、能動的に推進するべきである・・・・

この間に、ファンド資本主義が横行して、経済学の原則の一つである、金利の決定メカニズムがOECD全体で捉えると、既に崩壊している異常事態だ続いている・・・・つまり、金利がインフレ率より低くなっている・・・・この原因は、日本の極端な財政赤字であり、中国の元高の阻止の為の、つまり、輸出競争力維持のための金利政策でもある・・・・・・

銀行は所謂融資では、ペイしない・・・・ファンド資本主義には、米国の金融による世界の産業支配戦略が明らかにある・・・製造業で勝つことは、米国は諦めている・・・・・・しかし、日本はこの点では残念ながらノウハウ不足で弱く、消費者金融を通じて儲けている状態であり、嘆かわしいばかりである・・・・

理系不足の大きな弊害の一つである・・・・また、Double Graduate(経営・経済+金融工学等)への社会的評価の転換が出来ていない・・・いまや、ICT技術の中でも、統計解析のプロの養成が急務である・・・

以上を俯瞰するに、国家戦略を、国民と一緒に隠さずに真摯に議論するべきだと捉えている・・・個人的にも推測がつかない状態であり、苛立ちを覚えている・・・・・・・

この国家戦略の国民との共有化が、KGB戦略の折は、8割以上の人が給与が下がることを意味していたので、政治的
に表に出さなかったのは、善い悪いは別にして理解できるが、日本の将来への国民がポジティブな展望が持てない限り、それこそ、“美しくない日本”が促進されると危惧している・・・・・

また、民主党の格差解消も、平等社会へ戻ろうと、言ってる様に聞こえる・・・・しかし、努力が報われる社会とも言っているので、公平な社会をといってもいる・・・・・詭弁にしか聞こえない・・・・・正に、古い政治の“玉虫色”戦略のようで、真の戦略が見えない・・・・・

何れにしても、選挙の為の選挙のスローガンという、平和で安定した時代のスタイルであり、正しい危機感を持っていない・・・また、国民を愚弄している・・・・・・・

さて、国家戦略をKozyなりに考えてみると、・・・・・・

国家財政の健全化が、第一義である・・・・この為には、民営化は避けて通れない・・・・日本の産業の中では、未だに、GDPの約半分が、官公需および旧官公需(NTTとか電力会社)等の公益企業(含む規制で守られているTV局等々)・・・・・これらに直接及び間接的に関係する需要に依存している・・・・・・

ご存知の様に天下りに代表される官製談合体質は、本Blogで何度も言っているが、麻薬と同じで企業を駄目にする・・・これらの企業は日本国の競争力のお荷物になっているばかりか、税金の浪費になっている・・・・・特に“霞ヶ関”もさることながら、“虎ノ門”の解体・民営化が必要になる・・・・・これらの政策が、お荷物産業の競争力の強化に繋がる・・・・

税制の小手先ではない、少子高齢化を見据えた、抜本改正が必要になる・・・・

財政の健全化が起きて初めて、円高政策に繋がる金利の値上げが適正に働いてくる、円高に戻ることにより、高品質な海外労働者を受け入れることが出来るようになり、少子高齢化対策に関してより有効な手が打てる幅が広がってくる・・・・

勿論一年で取り組めば、大不況になるが、10年ぐらいのロード・マップの作成が、また、確実に実行されるロード・マップの作成が必要である・・・・・勿論読みきれないところはあるので、作成したときの判断基準および修正の判断基準を構築すれば、適宜、適正な修正ができる・・・これは、経営の根幹の一つでもある・・・・・・つまり、不確定要素が多いからやらないのは、政策立案義務の放棄でしかない・・・・・・

そして、未だに具体的な話が浮んでいないこと自体が不思議であるが、より多くの国に“日本文化センター”の設立を行い、東洋と西洋の文化的架け橋を日本文化のスパイスを活かした形で世界に展開すべきである・・・・・・・

いま起きている変化の本流は、"Cross border & Culture"であり、この事は地球全体の中での所得の再配分が起きてきており・・・・地球人としての公平な所得の配分が進んでいる・・・・この大義は、地球人である限り避けられない・・・・・つまり、どれだけの能力を持つかにより所得の配分が見直されつつある・・・・それ故、格差の解消はありえないことであり、必要なのはセーフティーネットの整備が中心になる・・・・・

また、学校教育、家庭教育、コミュニティー教育の三位一体の教育改革が必要なのである・・・・この新しい企業社会を含んだ社会システム・メカニズムが、KozyのLLP PCPのPCP=Psychological Capital Promotion の“Psychological Capital ”の意味するところであり、目指すところである・・・・・

共産主義および社会主義は、人間の成熟が前提であり、如何に人間を成熟させることの出来る社会システムの構築が必要であり・・・・これからの課題である・・・・・そして、その時には、平等社会が出来るのかもしれない・・・・

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July 02, 2007

“叱り”の含意・・・叱りは善いが、怒るのは駄目・・・

先日、本Blogへのアクセスの中で、“叱るとは 意味 漢字由来”にて検索してきた人がおり、その検索Webを見たが誰も答えていないことが解った・・・・・・

自分自身でも良く使う“叱る”をもっと理解したくて調べてみた・・・・・・

早速、白川静先生の常用字解を紐解いてみたが、見逃していたらご容赦願いたいが、見つけられなかった・・・ついては、広辞苑で“しかり”で見てみると、二つの漢字が同じ意味で紹介されていた・・・・一つは、当然、“叱”であり、もう一つは“呵”であった・・・・・・

また、面白いことに、しかりとは、第一義としては・・・・江戸時代の庶民に課した一番軽い刑、つまり、白州に呼び出しその刑を叱ったもの・・・・・・・・・そして、第二義として、正に通常使う叱りの説明があった・・・・・・

そこで、“呵”という字を白川静先生の常用字解で調べてみたら、こちらは掲載されていた・・・・・・

可は“呵”のもとの字であるとのことであり、“可”とは、神への祝詞を入れる器としての口と木の枝との組み合わせであり、祈り願うことが実現するように神にせまること・・・・つまり、願い事を実現す「べし」と神に命令するように強く訴え、それに対して神が「よし」と許可するのである・・・・許可とは元々は神の許可を言う・・・・・

ここからはKozyの勝手な解釈になるか“呵”とは、更に神への祝詞を入れる器を意味する“口”を加えているので、更に強くお願いすることと、その後の人の口としても使用される経緯から、口頭で、神に間違いを改めることをお願いして、神の許可を得ることの両義であると解釈したい・・・・・・

一方、“叱”という字は、左が口であり、右側か人がさかさまになっている様=死者の形であり、“化”の右側と同じであるが、“化”とは、生きている人間が左側で、右側が死者の形で、背中合わせに横たわっている様なのである・・・・つまり、“化”は生気を失って変化すること・・・

この裏にはすべてのものは変化しながら死と性を繰り返していくので、変化することをいう・・・・・・Kozy流に解釈すると、25歳までの自分の判断基準を見直し、不適切なものは死なせて、より正しいものに置き換える・・・・これが変化・・・

ここから“叱り”を、Kozyが解釈すると、生気を失って心が死んでいる人にたいして、神に対して生まれ変わることを強くお願いする・・・・また、それを口頭で相手を強く叱ることではないだろうか・・・・・

また、これらの二つの漢字が入ってきたときの和語として、“しかる”という言葉が先にありそれに合わせて、二つの漢字が選ばれ、、恐らく二つの漢字の両方の意味が本来含まれていたが、叱るという言葉が主に使われるようになった・・・・呵責;叱り責める・・・ぐらいしか“呵”ではあまり使われていない・・・・

よって、ふたつのしかるという漢字とそれ以前の漢字のなかった日本本来の和語の時代を想像するに、現在使用されている“叱る”とは、全くの独善ではあるが、次のように含意として解釈してよいのではないだろうか・・・・・・・

ある映画のせりふを借りると、“死ぬのは怖くない、多くの人が本当に生きていなくて死んでいく。信念を貫いて死ぬことは、その人たちの人生よりも価値がある”・・・・欧米においてもこのような哲学が存在している・・・・

それゆえ、しかるとは、死んでいるような生き方をしている人たちに対して、神すらも、認めさすぐらいの強い覚悟とエネルギーを自分で発揮して、本当に生きることを知らしめる為に行なう行為・・・・・これが叱りの本質ではないだろうか・・・・・

だから、伝統的なカウンセリングにおいても、最新のカウンセリングにおいても、真のカウンセリングの王道は叱りのカウンセリングと両方の分野の教授たちが、Kozyのカウンセリングスタイルの継続を推奨したのであろう・・・・

ここで認識しなくてはいけないのは、“怒る”と“叱る”の違いである・・・・“怒る”とは、白川静先生の常用字解を紐解くと、形声語であり、はげしく勢いが強いの意味があり、その様な心の状態と説明されている・・・・心理学的および脳科学的には、これは自己保身および自己の価値観に縛られていることであり、教育的な指導というよりは感情的になっている・・・・・また、感情の強い表出でしかない・・・・・

参考まで、Kozyの幾つもの座右の銘に、“怒ったら負け”といつも言い聞かせている・・・・何人かの人に何故、Kozyはどんな時も、カッときて感情的にならないのか???・・・・よく聞かれたことがある・・・・・答えは、本Blogの三つの目をずっと心がけて生きているから・・・・

つまり、自分の視点の第一の目、相手・社会の視点の第二の目、そして、本来は如何あるべきかの第三の目の三つの目の活性化から捉えると、カッとくるということは、第二の目および第三の目が失明することであり、決して賢明な人間がとる行動ではない・・・・ろくなことはない・・・・・

皆さん、叱らなくちゃいけないときは叱りましょう・・・・・しかし、決して怒ってはいけません・・・・叱りは、強い相手への愛の表出であり、怒りは自分勝手な情動の表出でしかない・・・・・・

念の為ですが、ある時期は、感情は表に出した方がよいとの説が主流であったが、今は、感情は表出しない方がよいとされています・・・・・

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June 28, 2007

ビジネスのスキル学習って???・・・・

人材教育の話の中でスキルの教育を真顔で言う人が多い・・・・また、スキル関係の本がそれなりに売られている・・・・・本来はこれらは可笑しいのである・・・・・知識の足りないところを補うのはよいが、スキルは学習するものではないのである・・・・履き違えないで欲しい・・・・・

Skillを英英でひくと、・・・・an ability to do something well, especially because you have learned and practiced it・・・・・つまり、何かを上手く行なう能力が本来の意味であり、特に自分で学んで練習してきたからである・・・・・・

つまり、ビジネスにおけるスキルとは、前提が、細分化された分業による多次元で継続的な一つのプロセスの責任を負っている。それ故、運動の技術とは個人の技術の向上がスキルの向上になり、ビジネスにおけるスキルとは全く異なる・・・・・・・多次元で動的な環境におけるビジネスのスキルには、普遍なものはないのである・・・・・

また、社会的スキルという言葉はあるが、これは主にコミュニケーションのスキルと人の説得のスキルになるが、コミュニケーションの場合は伝える中身の力は、一割以下、また、説得の場合は2割以下であり、中身の正当性とか重要性はごく一部でしかない・・・・・・

何が一番の影響力を持つかというと、普段の自分自身の言動が相手に与えたイメージが、相手から見て信頼に足りるか否かなのである・・・つまり、相手の為を思っての言動であるか、相手を騙すとか陥れられるという類の恐怖感を醸成するか否かが大事であり、スキルではなく、普段の言動が因果応報の如く帰ってくるだけなのである・・・・・

本質的な問題としては、狼少年に通じるのである・・・また、自分の言動が相手に如何とられるかをより正しく知ることがスキル自身の本質になるのである・・・・・

ビジネスにおけるスキルとは、常日頃からの仕事に対する姿勢、同僚・上司そして顧客への貢献を考えて行動しているかに一番大きく依存するものである・・・・・自分のことは棚に上げていくら正論を言っても、意味がない側面を持っている・・・・・

このことは、本Blogでいっている“第二の目”、つまり、相手の視点に立って考える=相手の立場になり相手の価値観を理解する・・・・この第二の目が未熟な人ほど、これは正に自己中であり、文句を言う・・・・・・

自分が変わり、相手の多様な価値観を理解していくことが出来れば、自ずとその正しい理解に基づく方策、即ち、スキルは自動的についてくる・・・・・・表面的にいくら暗記をしても意味がないのである・・・・・

自分を変えるには、有りの儘の悪い自分自身を正しく強く受け入れることが大事になる・・・・強く認識をするから、自分を変えることが出来るのである・・・・・

スキルには、もう一つ、仕事上の効率化に関するスキルというのが別途ある・・・・この種の本も売られているが、確かにすぐに効率化に寄与することが述べられているが、この種のスキル本を購入することは、ただそこに掲載されているスキルを流用するという姿勢で読んでいる人は、自殺行為と同じことをしている・・・・・・・

つまり、スキル本に出ているのは既に古いことであり、これからの新しい事態には適用できない、または、新しい事態では、もっと良いスキルが想定されるのである・・・・スキル本を読む場合は、効率化とは何なのか、また、技術革新に伴い、今まで出来なかったことの何が出来るようになったのかを、つまり、スキルは、どの様にして考えられるのか、このいくつかのパターンを理解して、自分の思考回路に抜けがないかを検証する思考姿勢が大事なのである・・・・・

この間普段から考える姿勢が構築できることが、自己成長の門をくぐることを可能にするのである・・・・スキル本を読んで流用することでしか読まない人は、自己成長の門はくぐれないのである・・・・・だから、自殺行為なのである・・・・・・また、脳は使わないと死んでいくのです・・・・・・・

職場には職場の異なる多次元で動的な環境があり、種々の変化に対応して一番最初に職場に合ったスキルを自分自身が考え出す習慣をつけることが、スキルの向上に一番求められることであり、一番最初になれることが大事なのである・・・・・・・・・・・・・

かっての自分の部下にどうして何でも上手く出来るのですか、教えてくださいと何度も聞かれたことがあるが、前述の全てを一言でいうと・・・・・・・・・・Brush up yourself!!!!!・・・・・でしかない・・・・・・

最後に、everybody is trying・・・・・・・如何いう意味か解りますか、みんなTRYしている・・・・という意味ではありません・・・・tryingとは現在進行形であり、まだ達成していないことを意味します・・・・つまり、正しい訳は、みんな苦しんでいる・・・・・・しかし、やってみることが、自己成長の門をくぐることであり、やってみることにより、それまで見えなかったものが見えてくる・・・・・これが成長なのです・・・・・・

スキル本は、もう卒業すべきではないでしょうか・・・・・・・・・マニュアル至上主義は論外です・・・

もうお解かりかと思うが、仕事をすること、そして、有能な仕事をすること・・・・・これらは、“Brush up yourself”でしかなく、職場は、正に自己成長のために最高の場を与えてくれているのである・・・・・・・!!!!!・・・・・

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June 18, 2007

優しいだけの人への分水嶺・・・小さな親切 vs 小さな勇気

最近どうしても気になることとして、昔から同じタイプの人は多くいるが、その弊害についてあまり述べられていないので、ここで述べておきたい・・・・・・・

如何いうことかというと、よく相手に対して“空気を読め”とか、“空気が読めない”とかいう言葉を耳にするが、これは文脈的理解能力という点では昔から言われることであり、婉曲的な言い回しに対する、相手の理解能力に対していわれることは、それはそれで構わない・・・・・しかし、この言葉が、使われる状況に対して苦言を呈したい・・・・・・

つまり、婉曲的表現をもちいて、対人関係において、対立を避けることを重要視しすぎである・・・・・・・・全ての対立を避けて生きるということは、如何いうことであり、どの様な弊害が出てくるのか・・・・・・

人間の本質として、集団における生活において、心地よさを求めるのは人間としての本能である・・・・しかし、ものごとは全て状況次第である・・・・

特に若いときは、それまでの人生において習得した机上の知識、即ち、限られた状況において有効な知識、そして、狭く浅い経験を通じて修得した自己内の判断基準、心理学上では“自動思考”、とか“Stereo Type”とか、“バイアス”と呼ばれ、脳科学上では、脳の成長としての最後の基幹回路と呼ばれている・・・・・Risk Management回路に縛られている・・・・25歳ぐらいでこの回路は完成する・・・・

人間の成長とは、ある意味では、如何にRisk Managementの回路の精度を向上させることが出来るのか・・・・・が課題になる・・・・同世代の間ですらも、対立を避け、そして、異なる世代との間でも対立を避ける・・・・・この事は今の自分の脳に縛られていることであり、脳が楽をしようとしていることを増長させる・・・・・

つまり、脳自体があまり使われない・・・・・全ての対立を自分の意思で避けている心算でいても、これは自分自身が自分の脳に支配されていることに他ならないのである・・・・・・人間関係上の対立とは、その持つ大事な機能とは次の側面を持つ・・・・表裏一体でもある・・・

1.論理的には対立は未熟な人の間で起きることであり、対立の機会は、違いを知る機会=多様な価値観の理解の機会なのである・・・・つまり、このような大事な機会を放棄すると、脳は何時まで経っても成熟しないのである・・・・脳は活性化しない・・・・

2.Riskとは恐怖・不安・嫌悪に代表されるが、これらを正しく理解する機会が対立でもあり、これらのRiskへの対峙能力の修練の場でもあるのが対立する機会なのでもある・・・・・つまり、不必要かつ不適切な理解によるRiskに縛られていては人間は何も出来なくなる・・・・

3.対立することは、相手へのより深い理解に繋がるばかりか、自分自身の中でのRiskに対するより深い理解を得る機会なのである・・・つまり、一体何を判断基準としてRiskとして認識していたのかを知る大事な機会なのでもある・・・・・・これが人間の成長であるRisk Management回路の精度の向上に繋がる・・・・・

4.対立を避けることは、一つの社会性の能力ではあるが、意義ある社会性の能力とは、相手との違いを理解して、相手の価値観を認めることであり、この修練の場が対立の機会なのである・・・・・

これらの人生における大事な機会を回避してばかりいると、何時まで経っても、対立のストレスから開放されない・・・対立を避けるとは現実からの一時回避でしかない・・・・ストレスが永続的に続くことは、免疫力の低下を招き、ガンの発生率を高める・・・・

また、脳の活性化の機会の喪失でもあり、脳の老化を促進することであり、最近は、昔は考えられなかった若い年齢でのアルツハイマー病の報告があるが、Kozyは対立の回避が度が過ぎていることに起因していると危惧している・・・・・・

一方で“優しいだけの人”という言葉も同時によく聞く様になっているが、上述したことは正に優しいだけの人の本質なのである・・・・しかし、空気を読めという人に限って、常に対立を回避している、本質的には、“優しいだけの人”が多いのも事実である・・・・・・

ついては、真の脳の活性化を促し、自己成長を促し、感情的な対立を避ける為には次のような習慣を身につけることをアドバイスしたい・・・・・

1.先ず最初に、自分の脳は何時までも未熟であると理解すること・・・・

自分のそれまでの人生を振り返ってみて欲しい・・・・つまり、同世代との人間関係をだけを見ても、小学校までは多くの人が公立に通っていたと思うが、地域文化の中でのある一部の人の中での全ての人と知り合うきっかけがあったが、これも下町と山の手では異なる・・・・・

最近が中学受験が増えているが、高校受験も含めて、公立に進学するか、私立に進学するかにより、各家庭の収入状況と親の価値観の違いおよび記憶力による学習の能力の違いにより同世代の中で選別された人間同士の付き合いに限定されてくる・・・・・・・

大学受験となると、更に専攻学科の選択の折に同じ選択基準を持つ人同士の付き合いに限定されていく・・・・・・

このように成長に伴い同世代の中でも偏った友人との付き合いの中で醸成された自分の常識、つまり、Risk anagementの回路が創られていく・・・・・・社会に出ると、異なる世代の人との共同作業が増えるが、世代間の価値観のずれなどは、殆ど学習されていない・・・・・

しかし、この価値観の違いは、人間の求める価値観には、本質的には全く違いはないのであり、あるのは、価値観および判断基準の優先順位の違いだけなのであり、この違いは誰でも理解できる能力を持っている・・・・・・これは、全ての世代の違いと生育環境の違いを掛け合わせると無限大の大きさになる(特に外国人まで含めると)・・・・・

だから、何時までも未熟でしかない・・・また更に、時代環境は常に変化をしているからである・・・

2.常に自分自身がストレスを感じるときは、その判断基準まで掘り下げて自分を深く理解する努力をする・・・・・

3.感情的対立を避ける方法は、対立を生じたと感じたときに、自分は何を判断基準として、相手を捉えて自分は発言しいたかをそくざに説明できれば、感情的な対立は生まれない・・・・生まれるのはお互いの深い理解だけなのである・・・・・・

4.しかし、己の判断基準までの掘り下げは無意識のうちに行なわれているので、解明は容易ではない・・・・・この能力向上に対立の機会が必要であり、対立の機会は成長への一里塚でしかない・・・・特に理解したい人および仲良くしたい人には、渡らなくてはいけない人生の大事な橋でもあるのです・・・・・・・このように考えるべき・・・・・

5.ここで大事になるのが、如何に有りの儘の自分で接することが出来るか、これを心理学では自己開示能力と呼んでます。その反対の言葉は、自己呈示と呼ばれ、本当の自分ではなく、こう理解して欲しい自分を装うことです・・・・

しかし、相手は自己開示でないことを感じ取ることが出来るので、何を言っても信用されません。だから自己開示が必要であり、自己開示が出来ることは自分自身の判断基準を伝えることでもあるのです・・・・・

6.“空気を読め”という発言の裏には、自己開示の拒絶がある・・・・しかし、“合縁奇縁”と先人が言っているように、人との交わりで、気が合うも合わないも、皆不思議な縁だといわれるように、人間はあるレベル以上に付き合ってみないと解らないのです・・・

これが人間の本質でもある・・・・・偏見を持つとは、“愛縁機縁”の機会を放棄することなのです・・・・こう考えるべきです・・・・

本能的に人間はこのことを感じ取っているので、“優しいだけの人”は愛されないのです・・・・・・あなたは大丈夫ですか???・・・・愛されないと孤独に浸る前に、このことをよく考えてみてください・・・・

相手の変わることを期待するのは傲慢でしかありません、自分が変わるのが生きることです・・・・

対立を避けることは、ある意味では気遣いであり配慮でもありますが、Kozyはこれを小さな親切と呼んでおり、結果として自分にも相手にも大きな迷惑になって帰ってくる・・・・・

必要なのは、人間皆異なるが故に対立は当たり前であり、これを恐れない小さな勇気が必要であり、これが大きな生きる心地よさに導いてくれます・・・・・・・・

優しいだけの人への分水嶺;小さな親切 vs 小さな勇気・・・・・・本当に大事なのは小さな勇気なのです・・・・・

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June 14, 2007

脳を上手く使おう・・・物事を上手く進めるために・・・

この投稿は、日経BPnetのSafety Japanの日下公人氏の“現実主義に目覚めよ日本人”の第60回寄稿の「情」のパワーが人を動かす・・・に誘発されたものである・・・・・・・

この中で、日下さんは・・・ 「日本人は、脳をうまく使う使い方を知らないのだと思う。物事をうまく進めるには、情や意、行動などとセットでないといけない。知だけ、前頭葉だけを使っていてもなかなかうまくいかない。」 ・・・・・といってられる・・・・・

脳科学において、既に、理性と情動が一致しない限り行動に移せない・・・これはいまや常識になっている・・・・・・しかし、Kozy自体、経験的には、強い覚悟を持ては行動変容は可能である・・・・・そして、前向きに考えて行なえば、情動の影響を受けにくいということも云って来た・・・・

日下さんのいわれる言葉を、Kozyの経験則にも照らし合わせて整理すると、情や意、行動および知、そして、前頭葉とは次のように解釈できる・・・・

A.情=情動であり、個人の限られた経験を通じて体感した恐怖感の強弱とそれに対する距離感で決まる・・・・・・恐怖感からある距離を置いた状態が心地よく、離れつつあるとの実感がワクワク感、恐怖感からの開放が至福の幸福感・・・・・残念ながら、この恐怖感が不必要に、または、不適切に強く起動されると、行動変容および自己変容は不可能になる・・・・・

B.意=決意であり、意思であり、換言すると不動の意識でもある・・・・この意識とは能動的・自発的になるか受動的になるか、つまり、ポジティブな意識で望むかネガティブな意識で望むかの、どちらの意識で望むかにより決定される・・・・・チャレンジの決意はポジティブな意識によりもたらされる・・・・

C.行動=理性と情動の力関係で決まる・・・・・・最高の行動力とは情動と理性が一致したものである・・・・・

D.知=自分が知らないことを知る・・・・一つは知識であり、もう一つは智恵でもある・・・・当然、総合的に、つまり、陰陽の両面、表裏一体の両面を見て、システマティックに思考する、つまり、各プロセス間の相互作用まで掘り下げて、普遍なものはないと考えて弁証法的に検証をしていく思考能力が必要である・・・・・・

E.前頭葉とは、謂わば脳内の司令塔であり、脳内の必要な情報を集めて論理的分析と時間軸も含めて総合的な思考に携わる。・・・・しかし、25歳以降は、脳内のリスク・マネジメント回路が完成しており、これをKozyは自動脳と呼んでいるが、残念ながら、自動脳が先に起動すると、それまでの不十分な経験に囚われた判断を追認しているだけなのである・・・・・・これが潜在意識の支配の構造でもある・・・・・

物事をうまく進めるための脳の正しい使い方は、日下先生は具体的には述べていないが、今回の記事の中では、次のことを言っておられる。Kozyの簡単な補足説明と合せ挿入します・・・・

①情愛欠乏症の人が情緒不安定になり、何事にも過剰反応をするのがいけない・・・・・だから曲解して素直になれない・・・・

・・・・・・これでは悪循環であり、何ゆえ愛される言動がとれないのか、自分自身を直視するだけでなく、相手・社会の視点への理解能力の向上が必要になる・・・・・

②子供に個室を与えることが、親と子の日常的なかかわりを阻害した・・・・・子どもの勉強は、茶の間に下りてきて、お母さんが台所で働いているのを見ながら、こたつの上でするのが一番よい。 ・・・・・・

・・・・・・集団および社会という生態系の中で、人は如何に支えあって生きているかの関係性の理解が視野を広げる・・・・

③情が豊かな人間は、不幸とは何かが分かる。幸福が何かも分かる。分かるということは、不幸を予防し幸福を開拓することについて新しい方法を考えられる人になる。人の情愛に共感できる人間になる。共感から始まる世界がある。それは理屈から始まる世界ではない。・・・・・

・・・・・・より多くの広く深い経験と知的思考能力の向上が成果へ導く・・・・共感能力は経験に依存する・・・・・

④ 情に溺れる日本人は、溺れないやり方を開発しなければならない。そのためには、まず自分の弱みを自分でちゃんと考えてみるべきだ。そして、自分が元々持っている情は、悪いものではないのだから、それはそれで実現させる。・・・・・・

・・・・・・・一時の情に流されない為には、時間的視点をしっかり持ち、中長期の展望を踏まえて、判断することが大事になる・・・・・

⑤「この人はわたしの弟子だ」とか、「この人は米国で褒められている」とか、「この人は英国では誰も褒めていないからやめておこう」とか、・・・の判断基準に陥る人が多い・・・・・・・

・・・・・・・・自分の確固とした論理的な判断基準を持つべき。私心を排除して如何に目的の為には効果がある、貢献できるかに基づき判断すべき・・・・・・

⑥ あまり脳ばかり使っていると、おかしい人だと思われてしまう。確かにおかしい人なのかもしれないけれど、それがぐるっと回ってきて世の中の役に立つと、人は突然ほめ始める。それまでの間はみんなにボロクソに言われる。 ・・・・変わっている=理解できない・・・・

・・・・・・・・理解できないという不安に負けてはいけない。鈍感力は時として非常に重要である・・・・・

⑦思い切った研究は「情」がないとできない・・・・大化けするか分からない研究に資金を提供する。それを今、この官僚主義の下でやれるだろうか。たぶん無理だ・・・・しかし、大金持ちの一部はおお化けする可能性があることを知っているので、支援する・・・こうしてサイエンスは発達してきた・・・

日下さんが述べているのは以上の類のことである・・・・・Kozyは、日下先生の問題意識が「現実主義に目覚めよ」・・・・Kozyは現実は神の啓示と呼んでいるが、Kozy流に更に掘り下げると、正しい脳の使い方は次のようになると捉えている・・・・・・

脳とは、コンピューターでいえば、OSがインストールされないと使い物にならない。そして、必要なネットワークが構築されないと役に立たない・・・・・・教育とは、OSとネットワークの構築の側面を持っている・・・・・そして、最後の主要ネットワーク回路である、謂わば、Risk Managementの回路が出来上がるのが25歳ぐらいである・・・・・・主要回路の構築=脳の発達という点では、これでお終いである・・・・・・・

念の為であるが、若いとき、つまり、25歳ぐらいまでは正しいRisk Managementは出来ていない。だから、良くも悪くも色々な危険で向こう見ずなことが出来たのである・・・・言い換えると、若い時は新しい経験を容易につめるのである・・・・

後は、どれだけ主要回路の発展と充実を行なっていくかが脳の成長といいえる・・・・論理的にはずっと成長を続けることが出来るのが脳である・・・・・脳は、更にいうと、老化の研究を見ると、定年とか引退をすると決めた3年ほど前から急激に老化をが始まる・・・・つまり、脳自体が自身で老化を始めてしまう・・・・・

つまり、ずっと使い続ける、こき使う意思が萎えると急速に老化をしていく・・・・・ある意味ではすぐ楽をしたがる怠惰性を持っているのが脳でもある・・・・・・生物は最小のエネルギーで最大の効果を求めることで環境に適応している、つまり、効率的に種族を保存できている側面がある・・・

即ち、Risk Management回路とは、正に最小のエネルギーで最大の効果を求めた結果でもある・・・・また、換言すると瞬時に判断が出来ることを可能にするために報酬系と嫌悪系の総合判断をして、情動の表出を行なっている・・・・しかし、これは25歳までの浅く狭い経験を辻手の認知によるものであり、社会に出てからの総合判断には全く不十分でしかない・・・・・・

社会に出て、幅広い年齢層の異なる経験を積んできた人たちとの仕事は、当然、驚きと不安と恐怖の連続である・・・・・・

この不十分な報酬系と嫌悪系の判断力の精度を上げるためには、何ゆえ嫌なのか、何ゆえに好きでやりたいのかをその都度検証していく習慣が必要になる・・・・・これが同時に自分を知り、また、回りを理解するのに貢献するのである・・・・・何ゆえかを掘り下げることは自分自身の判断基準は何処から来ているのか、それは本当に正しいのであろうかを掘り下げて考え、再度検証することである・・・・・・・・

現実主義とは、現実に直面したときに、自己内で起動される情動を判断基準まで掘り下げて、現実の中で再度検証をすることであり、これが情動としての判断力の精度を向上するのである・・・・・種族保存・生命維持の観点では、理性よりも情動の方が影響力が強いのが人間の脳であり、情動のコントロールまたは、情動の適正化は人間が熟成した人間に成る為に大事である・・・・・

この情動の適正化、つまり、より正しい認知には、現実のより広く深い経験と知の項目で述べた知的思考活動能力が必要になる・・・・・

皆さんも経験しているように、人間はネガティブになると、ネガティブなものしか見えなくなる・・・・・つまり、前頭葉と情動の関係は、受身になると嫌悪系の情動に縛られやすい・・・・・ポジティブになるとポジティブな情動に縛られやすい・・・・・また、ポジティブになると、前向き、即ち問題解決志向に入りやすくなる・・・・・・・

それ故、最初はポジティブな意識を高めることが重要になる。そして、検証の為の思考の時はネガティブな意識に切り替えて隠された問題点を突き詰めるのが大事であり、そして、最後にもう一度ポジティブな意識を高めて決断をして、ポジティブに行動に移す・・・・・これが、大事な人間の“Switch-well”のスキルであり脳を上手く使う方法でもあるのです・・・・・・

一方、脳へ取り込まれる情報とは全て五感を通じて、WhatとHowの二つルートにて整理されるのである・・・・この結果の認知が情動の判断基準になるのである・・・・・・また、ご存知の様に五感は全て「慣れ=麻痺」という特性を持っている・・・・これが人間が人間として成長できる為の大事な機能なのです・・・・・

つまり、人間の行動不全の最大の原因は恐怖感という情動に理性が負けてしまうことである・・・・しかし、恐怖感に背を向けずに、たとえ離れてもよいので、対峙していると恐怖感にも慣れてくるのである・・・・あがり症も場慣れでしのげるのは一つ例でもある・・・・・

また、解らない恐怖が不安を招くが、これは踏み込んでみるしかない・・・・恐怖の対象がハッキリすれば、立ち向かうか、もしくは、一歩後退して対峙していれば慣れてくる・・・・・また、なれることはそれまで恐怖感のために見えなかったことが見えてくることにもつながり、恐怖感への不適切な認識を訂正することにも繋がるのである・・・・・

脳科学の最新の知見を見ていると、集団の中でしか生きられない人間の脳は、集団の中で心地よく生きることを強く求めており、最大の報酬系とは、正にこの心地よさの可能性が大である・・・・・つまり、集団の中で生きる上での恐怖感からの開放が最大の報酬系の動因であると捉えている・・・・・つまり、人間は恐怖感からの開放を求めている・・・・・

一方、集団は支えあうことにより機能するものであり、生物である限り最小のエネルギーで最大の効果を発揮する生き方が希求される・・・・これが、Risk Managementの回路の究極の求めるべき姿である・・・・25歳ぐらいで完成されたRisk Managementの回路は、諸刃の剣であり、Risk Managementの回路の高精度化の最大の阻害要因になる・・・・・だから、多くの人が成長できない・・・・・・・

だから、事実の直視が必要であり、知的思考を有効活用して正しい情動への修正が必要になるが、この為には先ず、ポジティブな意識の醸成が大事になる・・・・・知とは自分の知らなかった自分を知ることでもあり、事実という神の啓示に常に耳を傾けることが内省力であり、現実主義に目覚める必要がある・・・・・

そして、集団の中で成果を生み出すには、相手の情動と自分の情動が何処から来ているのか知ることが大事になる・・・・そして、この情動の調整を取る、または、バランスをとる、換言するとMutual Benifitsを如何に探すかのゲームでもある・・・・当然普遍な答えはなく、経験から学ぶ=やってみることから学ぶ・・・・この時に障害になるのが不適切な恐怖感なのである・・・・・

正にこの様なエンドレスのサイクルと実行していく忍耐力が決め手になる・・・・・・相手が、また、社会のメカニズムが理解できれば、恐怖感も減額され、より多くのものが見てくる・・・・より理解が深まる・・・・より全てが上手く機能して、目的が達成できるようになる・・・・・このサイクルの中で必要な共感力と希望の維持能力が向上してくる・・・・この実感がより強い忍耐力を醸成していく・・・・この好循環に如何に入り込むか・・・・・これが脳の上手い使い方の基本ではないだろうか・・・・・・・

また、新しいことに取り組むということは、新しいネットワークを構築することでもあり、新しいシナプス結合を生むことでもあり、新しいことがすぐには覚えられないのは、新しい回路構築には時間がかかるということである・・・・この時間を早めるのは、反復であり、強い意志および強い好奇心の発揮である・・・・・記憶するにはより多くの関連性を持たせて脳内で整理することが効果があるが、これは、正に、システマティっクナ理解と同じことである・・・・・・・

これらの習慣化が出来てくると、常に物事をうまく進めることができるようになる・・・・・・・

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May 22, 2007

日本人としての自立・・・一考察・・・

最近は、大企業において、メンタル・ヘルスの問題が増えてきている・・・・アイデンティティーの統合失調症でもあり、マズローの自己実現強迫観念シンドロームでもある・・・・・

日本の歴史を鑑みるに、自立を謳歌した時代などはないのである・・・・・

土井 健郎の「甘えの構造」(1971)は、個人的にも影響を受けた本であり、そして、追加・修正された「続甘えの構造」(2001)も含意の深い本である・・・・・この甘えの構造を、個人的には“健全なる相互依存関係と不健全な一方的依存期待関係”の両方のことを言っており、大人になれば、不健全な一方的依存関係という甘えを絶つことが自立だと捉えてきた・・・・・

また、自立のスタートは自己受容である・・・自己受容とは、自分の悪さ・弱さ・醜さ、つまり、人間が本質的に持っている問題を有りの儘に受け入れることから、人間への慈愛の心、現実社会の不条理への理解の促進への道が開ける・・・と述べてきた・・・・・・

しかし、甘えの本質は、最近は、人間の持つ最大の本能ではないかと感じてきている・・・つまり、人間としては集団の中でしか生きられず、むしろ、動物であることは、集団の中でしか生きられない・・・一匹狼の類は、謂わば村八分と同じであり、集団の中でしか生きられないのである・・・・それ故、集団の中の個体として、人間は集団生活での心地良い生活を望んでいる・・・・

心地よいとは、人を助け、人に助けられる“健全なる相互依存関係”に基づく生活のことではないか・・・・しかし、これは、ファミリーの中では、成り立つ可能性は非常に大きいが、集団が大きくなった場合は、集団構成員との間で全て成り立つのは、お互いの真の情動の理解の限界から不可能である・・・・・これが普遍的な現実である・・・・・

念の為であるが、自己実現者には真の友達は、それ故に、限られているのである・・・・・・・

しかし、この普遍的な現実と真逆の幻想に普遍性を求めるのは、全くの間違いであり、不幸へ導く“不健全な一方的依存関係”の悪い甘えである・・・・・・

心地よさを求めることを最大の人間の本能と敢て呼んだのは、この心地よさが得られないことが最大の恐怖として、意識されるかしないかは別にして、人間は内在している・・・・と最近は捉えている・・・・

しかし、論理的には恐怖は避けられないものであり、あい得ない普遍性を求めて、恐怖感に目を向けない・・・この状態は不安を生むだけでなく、増長させる・・・・

実は、欧米においてもメンタル・ヘルスの問題は増えているのである・・・・この背景には、日本人には理解しやすいと思うが、キリスト教への不信の増大がある・・・・天から監視している絶対神の喪失に伴う、自我の確立、自立の重要視の価値観および強制力が落ちてきているからである・・・・

日本文化には、たとえ大人になっても、甘えを許容する社会的文脈がある・・・・これは、ある意味では迎合にも通じて、また、談合に通じる、また、全体主義にも通じる恐ろしい側面がある・・・・・・

それ故、日本の歴史上に名前を残した人の中には、現実とそれに伴う恐怖を直視して超自立した人材が、甘えを許容する社会が故に輩出されてきた・・・・つまり、歴史的必然性により輩出されているとも言い得る・・・・・

また、日本人にはこれらの超自立した、または、真に自立した人を崇め従う側面がある・・・・ある意味ではこれで善いのではないだろうか・・・・・しかし、現在は、妬み、僻み、恨みという悪い甘えが蔓延しつつある・・・・

日本における集団での生活の心地よさには、自分が甘えさせていただいているという正しい認識、不安を恐怖までに掘り下げて正しい認識を維持する。しかし、恐怖は怖いので甘えさせて頂いている・・・・・恐怖まで掘り下げて理解しているので、心のエネルギーの維持のために、楽しみを求める・・・・・・・

これだけで善いのではないだろうか・・・・・念のためだが、恐怖の活き活きとした認識の維持が、真の集団・社会の安全をもたらすのである・・・だから、恐怖に対する正しい認識は人間社会の維持には絶対必要なのである・・・・この認識があれば、真に自立した人を崇めることが出来るのである・・・・・

これが日本における自立で善いのであり、自我の確立とか自己実現は、それだけ広く深い経験を積んだ人に任せれば善いのではないだろうか・・・もし、自我の確立と自己実現を求めるのであれば、恐怖に打ち勝つ苦悩のたびを、限られた人生なので、急いで出来るだけ多く経験するしかないのである・・・・・

真の自立を望むなら、「電力の鬼」さらに「人生の鬼」とまで呼ばれた、日本の電力業界の今日の礎を作った松永安左エ門は、人間とは次の三つの経験を踏まないと一人前になれないといっている。・・・・

1.闘病生活
2.極貧生活
3.投獄生活

松永翁は、97歳で現役で他界された方であり、ここまでのエネルギーを持ちたい方にはお勧めしますが、投獄生活までは、お勧めいたしません。ご安心下さい。・・・・・・

これが出来ない人は、平和で守られてきた人であるが故であり、社会に甘えさせて頂いて来たとこであり、その事実を正しく認識する・・・・これが、Well-beingというメンタル・ヘルスの問題が起きない生活が出来ることに繋がる・・・・

悩んでいる人がいれば、この甘えさせて頂いている自分を割り切って認めることが大事だと感じる昨今です・・・・・

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May 19, 2007

説得力の本質とは・・・・

前々回に引き続き、コミュニケーション能力の次に、説得とは、如何いうことかを、そして、説得能力とは如何いうことがを掘り下げて見たい・・・・・心理学においては、説得とは次のように整理されている(株式会社有斐閣 心理学辞典)・・・・・

説得とは、おもに言語的手段によって,他者の態度や行動をある特定の方向へ変化させようとすること。・・・・・

ジンバルドーら(Zimbardo, P. G. & Leippe, M. R.1991)によれば,説得の構成要素としては,事実や論拠の呈示,それに基づく推論,結論の導出,勧告された行動がもたらす肯定的結果の明示などがあげられる。説得が受容されると,唱導方向への態度変化が生じ,さらには勧告された行動が遂行される。・・・・・

一方,説得が拒否されると,説得への抵抗やブーメラン効果が生じ,勧告行動は遂行されない。社会心理学では,このような説得効果を左右する要因の分析が行われてきた。・・・・・

メッセージ学習説(Hovland, C. I. et al.1953)では,説得効果の独立変数を四つあげている。・・・(独立変数とは因果関係があることを前提とする原因要因のことである)・・・・

(1)説得の送り手が誰であるかによって説得効果は異なる。一般に,信憑性があり,魅力的で,受け手との類似点が多い送り手の説得力は大きい。・・・

・・・・・・説得には誰が誰に説得を試みるか、送り手と受けてへの真の理解が重要であるのである・・・・

(2)メッセージの内容,構成,表現によって説得効果は異なる。受け手の立場を攻撃する場合には,唱導される立場だけを主張する一面呈示よりも,逆の側の立場にも言及する両面呈示の方が有効である。また「勧告を受容しないと大変なことになる」と脅かす恐怖喚起アピールが有効であることも多い。

・・・・・・言葉はよくないかもしれないが、恐怖を利用して脅すのか、恐怖を取り除いて自発的に賛同を得るかの両極のアプローチのどちらを選択すべきかの理解も重要になるのである・・・・・

(3)説得の媒体によって,説得効果は異なる。内容が複雑・難解であれば活字メディアが,単純・平易であれば視聴覚メディアが有効である。

・・・・・・・一対一の対面のときでも、口頭だけでなく、内容が複雑な問題のときは、媒体を有効利用することを常に再考すべきである・・・・

(4)同じ説得を受けても,その効果には受け手によって個人差がある。被説得性については,知能や自尊心などとの関連が検討されている。
 
・・・・・・・よく言われる言葉であるが、相手への目線を合わせる能力が必要であり、コミュニケーションで述べたように、前提となるルールの違いのあることを前提に、確認しながら行なうのが基本である・・・・・・・

これらの四つの独立変数は,説得の内的な媒介過程に影響を与える。たとえば,メッセージが難解でチャネルが視聴覚メディアである場合には,主張を聞いただけではよくわからず,理解が抑制される。・・・・・

・・・・・・これらは、説明能力の問題であるが、平易な言葉に置き換えて、または、自分の言葉へ置き換えての理解がないと説明能力は持てないのである・・・・・

一般に,説得の受容が生起するためには,メッセージに注意が向けられ,理解されることがまず必要である。さらに説得効果が持続するためには,メッセージ学習を保持し,忘却しないことも必要である。これらの媒介過程の結果,説得効果として,信念変化や態度変化,行動変化が生じる。・・・・・


説得の媒介変数と従属変数についてはマクガイア(McGuire, W. J.1985)が,説得過程の入力/出力分析のなかで,出力の諸段階として詳述している。・・・・(媒介変数とは、原因を結果に結びつけるのに影響する要因、従属変数とは、原因から起きる結果)・・・・・・

(1)コミュニケーションの受信,
(2)メッセージへの注意,
(3)メッセージへの好意・関心,
(4)メッセージ内容の理解(whatの学習),
(5)関連する認知の産出,
(6)関連する技能の獲得(howの学習,たとえば禁煙のコツ),
(7)コミュニケーションの立場への同意(態度変化),
(8)態度変化を記憶,
(9)関連資料を記憶から想起,
(10)想起資料に基づく意思決定,
(11)意思決定に基づく行動の遂行,
(12)行為後に,新しいパターンを統合・再体制化。


ペティとカシオッポ(Petty, R. E. & Cacioppo, J. T.1981)は,説得へのアプローチとして,メッセージ学習説以外にも以下のものをあげている。・・・・・・

(1)条件づけ・モデリング説(古典的条件づけ,オペラント条件づけ,観察学習),
(2)判断説(順応水準説,社会的判断理論),
(3)動機づけ説(認知的均衡理論,認知的不協和理論,心理的リアクタンス理論),
(4)帰属説(自己知覚理論),
(5)結合説(情報統合理論),
(6)自己説得説(役割演技,認知反応理論)。

初期の説得研究では,メッセージ学習説に代表されるように,説得の一般理論を構築しようとする傾向が強かったが,研究が進むにつれて,それぞれの理論の制約条件が明らかになったり,研究がますます細分化されていくことも少なくなかった。

また,初めからその適用範囲を限定した理論も現れた。たとえば接種理論や心理的リアクタンス理論は,説得効果のうちの,説得への抵抗だけを扱う理論である。しかし近年では,説得の一般理論の重要性が再認識され,精緻化見込みモデルに代表されるような,説得過程に関する従来の知見を統合的に説明しようとする理論が提出されてきている。・・・・・

以上が、心理学の知見であるが、お分かりの様に、解明されていないほど複雑なものであり、ある意味では恐怖で縛ることは簡単であるが故に、また、それが人間の本質であるが故に、恐怖による説得という脅しは効果がある。・・・・・

しかし、これだけ、平和な時代を迎えた現在の日本においては、恐怖による説得は効力は低下しているともいい得るし、同時に平和に伴う恐怖への対峙能力の取得の機会の損失による恐怖への対峙能力の低下による不安は増加してきているので、恐怖に縛られやすくなっているとも捉えられる・・・・・

心理学の知見としてもう一つ大事なのは、説得力を100とすると、説得の中身であるメッセイジの持つ力は、昔は20%言われていましたが、だんだん減ってきていて最近は17%になってきているようです・・・

しかし、メッセイジ内容に正当性がなければ、一時は騙せても、説得効果の持続は期待できないのです・・・

脳科学の知見を取り入れて考えると、情動と理性が合致しないと行動変容は起きない。つまり、説得されるというのにも、レベルの違いがあり、自分から行動変容が起きるもの、諸般の事情よりしぶしぶ行動変容をするというもに二分されると考えます。

つまり、情動にも二種類があり、心から喜んでのレベル、そして、自己保身のためにレベルがある・・・しかし、これも本当は、恐怖という同じ軸上で、恐怖からより離れる、または、恐怖により近づくのを避けたいということでしかないのです・・・・・・

自分自身も含めて、現実の中にある恐怖を普段から、直視する姿勢がないと、何がどれほどの恐怖感を起動するかの実学的知識の集積は出来ないのです・・・・・

情動の絡む余地のあること(殆ど全ての状況)においては、真に前向きな賛同を得ることは不可能に近い。しかし、ある目的を共有化している集団関係においては、また、企業においては、会社の真の利益の維持・向上の為の集団あるが故に、何が所属する集団の維持の為には必要かとの理解の向上の説得活動が生まれる。だから、説得活動が可能になる・・・・

一方、コミュニケーションの真髄で述べたように、たとえ同じ目的を共有した集団構成員同士であっても、信頼関係がなければ、コミュニケーションは成立しない・・・・つまり、普段の言動により周りに築かれた送り手のイメージにも依存する・・・

以上を総合すると、説得とは、実際に発言するしないは別にして、以下のような手順による活動になると考える・・・・

1.説得したいことは、自分だけの都合なのか否か、自分だけの都合であれば、相手の情動を100%理解するのは不可能であり、説得活動は努力目標でしかない。

2.説得が、自分だけの都合でなく、ある集団(ある一人でも良い)の都合、つまり、ある集団の維持と貢献の為であれば、この目的を共有する相手であるのか否か、また、目的共有の為の説得が必要であるか否か、つまり、目的の共有の確認がスタートになる・・・・目的の共有が出来るか否かも情動が絡むゆえ、努力目標でしかない・・・・

3.目的が共有できて、同じ集団であることの確認が出来ているのが、多くの場合説得の前提条件になっている・・・しかし、前提条件の確認または、確信出来るのかの再確認が必要である・・・・

4.3項までの確認が出来た場合により、送り手として、所属する集団の中で、コミュニケーションを持つに相応しい言動を積んできたのかを真摯に直視すべきである・・・・

5.そして、初めて、上述のメッセージ学習説に基づいて、説得方策を考える・・・しかし、この時には、受け手が、それまでの人生において起動される恐怖感を感じ取り、不必要な恐怖感に対するバイアスを取り除く・・・もし、メッセイジが、同一目的の集団の維持・向上に対して妥当性が在れば、不意必要な恐怖感に対するバイアスを取り除くことが説得活動の本質になる・・・

また、現実的には、恐怖感の優先順位を知り、この恐怖の方がまだよいだろうとの説得が多くなる。良くも悪くも人間は恐怖感により動くのである・・・・

6.メッセイジの妥当性とは、存在する事実(問題)の共有化があって初めて、科学的な問題解決法への、理性に基づく、議論が出来る・・・・科学的な問題解決法に対して知識不足であれば、解りやすく教えてあげることが説得活動の本質になる・・・・

多くの人が、人間の性を理解せずに、この6項から入ろうとするから、説得できるものも出来なくなってしまう・・・と危惧している・・・・しかし、1-5項のことは、実学の世界であり、経験から学ぶ部分が多い・・・・

もっというと、1-6項の全てが、実学の世界でもあり、普遍なものはなく全て相対的で陰陽がある、そして、システマティックに捉えて理解する、そして、弁証法により常により深い理解を探求する・・・そして、全てのことに対して自分自身の判断基準まで掘り下げる思考の習慣化がもたらすものである・・・・・

つまり、自分自身の普段の言動、そして、普段からの真に考える姿勢の確立と実行・・・・即ち“Brush up yourself”に尽きるのが、説得力の本質なのである・・・・・・・説得力のない人は自業自得なのです・・・これから頑張りましょう・・・・

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May 17, 2007

マスコミが取り上げるべき点・・・・会津の男子高校生の母親惨殺事件・・・歴史の教訓を活かそう・・・

妻が会津出身なので、自分自身も何度も会津は訪問しているので、今回の会津の高校生の異常な母親の惨殺事件は、知り合いの知り合いぐらいの関係は想定されるので、妻が地元の人に聞いた話によると、地元の元有名県立女子高が6年前に共学になり、そこの男子生徒であり、共学とはいえ、男子の割合が未だに非常に少ないとの情報を得た・・・・・

都会育ちの人には、公立で未だに女子高が、6年前に共学になったとはいえ、それまで存在していたことに驚くと思う・・・実は、Kozyも、都会から信州大学に入り、長野県に、当時も、県立でありながら、女子高が残っていたことに驚いた・・・

これは、長野県のもつ保守性から起きたと想定されるが、実際は、戦後に共学法(?)が出来たときに、男子生徒の受け入れが促進されたが、クラスに数人ぐらいしか入学しなくて、また、それらの男子生徒の多くが精神異常を起こして退学する事件が多発した為に、それ以後男子生徒が受験しなくなってしまった・・・だから、男性の入学はOKではあるが、実質的に女子高に戻ってしまった・・・

今回の会津の男子高校生の言動の報告が断片的であるが、その内容を見ていると明らかに、今時に明るく挨拶の出来た少年が、高校入学後に精神異常を起こしていると捉えている・・・・母親でなくても、誰でもよかったとあるが、女性なら誰でも良かったという可能性もある・・・・

長野県の場合は、Kozyが大学卒業後、いつか忘れたが、今でも女子高なのと誰かに聞いたときには、その前に既に共学になっていた・・・・恐らく長野教育委員会には、これらの歴史的な問題を覚えている人が多く存在したので、何らかの手が打たれて、男子生徒の割合を多くして共学への移行を成功させたと思われる・・・・・

心理学の視点から捉えると、最低でも3割、むしろ、4割は男性にしないと、力動的には危険であると感じている・・・・

本Blogでも、脳の構造や性ホルモンの違いから、観察力が男性の何倍もあり、情動を含む生きる強さも女性は男性を上回っており、多くの人がご存知の様に、女性特有の陰湿的ないじめの誘因になっていると考えられている・・・・・結婚後ある時間がたつと、殆どの旦那さんが奥さんに頭が上がらなくなるが、このような状態が、高校内で常態化していたことも考えられる・・・・

また、男性は出血が多いとなれていないので異常に心配するが、女性は出血になれているので、平気な人が多く、若いときは、この違いを知るだけでも、女性に恐怖を抱くのである・・・・・

全国で見ても、戦後、共学になる時に、元の男子高校にごく少数の女性が入学して、女性が精神病に陥った話は聞いたことがない・・・

一方、福島県では、ほんの6年前に初めて共学に移行したと思われる・・・長野県は実質は女子高であっても、高校名には“女子高”とはなっていないが、福島県は県立でありながら、はっきり“女子高”とついていた歴史があり、全ての県立の女子高が6年前に、高名を変更して女子高に移行したと判断している・・・・・

つまり、福島教育委員会には、全国の中で県立で女子高はまずいと思う人はいても、女性の残忍性を理解して移行計画を慎重に練る人は居なかったのではないだろうかと危惧している・・・・・また、文部科学省には、この当たり前の問題をアドバイスできる人は、年齢的に居なかったのではないだろうか・・・・

歴史の教訓が活かされなかったと危惧している・・・長野県の事件ですら、長野県に住むまで知らなかったことであり、地元では公知の事実でも、対外的には隠蔽されていたのかもしれない・・・しかし、同じ間違いを繰り返してはいけない・・・

更に、保守的な風土を持つ福島県で、会津の女性の強さは歴史的なものもあり、福島にも、磐城にも同じようにかっては、県立女子高があり、恐らく同様に共学に移行していると思うが、やはり会津かという気もする・・・・

恐らく公立高校での共学化は、福島県が最後だとは思うが、もし残っている県があるのなら、例えなくても、女性の成長期における不安定さから来るこの種の問題は、教訓として、もし、Kozyの危惧することが原因であれば、公表して残すべきである・・・・・

もし、この問題があるにも拘らず、ジェンダー・フリーの圧力に屈して、公表しないことは教育学の歴史上に禍根を残すことになる・・・・少なくとも、長野県では事実として起きたことであり、Kozyが抱く危惧は当然のものであり、この点でのマスコミの追求に期待したい・・・・

ジェンダー・フリーに移行している現在こそ、戦後の状況より恐ろしい状況なのかもしれない・・・・・

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April 20, 2007

Blogの三周年記念(2/2)・・・三つの目の深化・・・

第二回は三つの目の自分の中での深化について記録しておきたい・・・・・

先ずは、『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』のなかで、「自由は不自由の中にあり」といっている、意見は矛盾してますね・・・また、ロックバンドのRolling Stonesの名前の由来になっている諺である・・・・A rolling stone gathers no moss.・・・moss は「こけ」の意味です。・・・

怠けずによく働く人は生き生きしている,または、仕事や家をよく変える人は成功しない・・・という正反対の意味にも使われます。・・・

自由とは、何でも好きなようにやると言う自由は存在しないのです・・・あくまで責任を果たす、また、決められたルールおよび礼節の遵守・・・つまり、不自由な中でしか存在しない・・・自由という言葉と自己中とか自分勝手という言葉と混同をしてはいけない・・・皆さんはこのぐらいのことを判っていると思います・・・・

自分勝手な視線が第一の目です・・・集団でしか生きられない人間は、集団の存続の価値観、価値観という言葉は日本人にはなじみが薄いので、共有化されている判断基準、または、その構成員である個人である相手の判断基準の視点、この場合はその理解力が第二の目です・・・・・

そして、第一の目と第二の目のどちらが正しいかではなく、多くの関係する次元を整理して、この場合は如何あるべきかを考えるのが、第三の目です・・・・“A rolling stone gathers no moss”・・・これは自然の摂理です。しかし、真逆の捉え方が出来ます・・・・判断はケース・バイ・ケースで全く正反対になる・・・この判断をするのが第三の目です・・・・

矛盾の中に真実がある・・・また、矛盾からほど、より学ぶものが多い・・・これは大事なポイントであり、だから、矛盾への対峙力を口癖の様に言っているのです・・・・

前回少しふれた、“二項同一”とか、“二項同体”とも呼びます。また、実は、西田幾太郎先生がいった言葉ですが“絶対矛盾的自己同一”という考えは、アインシュタインの登場以後変わってきていますが、欧米の論理学上は論理的に矛盾は矛盾であり、異なるものを一つで捉えて同一化すると、馬鹿と呼ばれます・・・・

日本という国は島国であり、大陸の国では、認められない価値観を押し付けられると、国を逃げ出すことが容易であり、米国なども、迫害を受けたピューリタン=清教徒が逃げ出して創った国でもあるのです・・・しかし、日本人は、逃げれない中で、絶対矛盾を、常に取り入れてこざるを得なかった・・・この文脈は今も脈々と生きています・・・・・

Kozyは“居直り”という言葉が好きですが、これは避けられない現実を、どんなに嫌なものでも受け入れることです・・・“ええじゃないか”・・・これも同じことだと思います・・・・しかし、一般論で言うと、これらの行為は自己崩壊を招く危険があるのです・・・・・しかし、社会的な文脈の力を借りて、日本人は変化に対応して生きてきている・・・・

歴史的に消滅した文明は、文明の基礎になる価値観の修正を、求められる環境の変化への適応の為に、価値観を修正できなかった・・・だから滅亡した・・・・換言する、現実は神の啓示でもあり、受け入れないと死んでしまう・・・そこには、当然、自己の中に絶対矛盾するものを取り組むことになる・・・・

しかし、上述したように、矛盾の取り組みは多くの学びを与えてくれますが、両方の矛盾することにより広く深く理解しないと取組が出来ない・・・・また、この学習段階では、知らないことに対する恐怖も含めて多くの恐怖感が起動される・・・恐怖感という情動に打ち勝たないことには、あるものが見えない、また、感じられないように脳が出来ているのです・・・・・

第一の人生で修得した情動は、不十分ですが、俊時の危険を判断して身を守る機能を果たしていることが、脳科学の知見でハッキリして、心理学の主にゲーム理論の実験等においても追認されている・・・また、この機能は、最小のエネルギーで最大の効果を求める設計思想であります・・・自然の中で生存するための一つの摂理です・・・・

しかし、大人になるまでの時間が長い動物ほど高等動物であることが知られております・・・・自然の摂理に刃向かって成長を可能にしたのが人間だとKozyは捉えています・・・つまり、例えば、25年かけて大人になったとします・・・このままでは、他の動物と大して差がでない・・・・・

むしろ、不十分か経験に基づく情動に支配されることは、自己を守るだけの行動になり、集団の維持は難しくなる。また、自然の摂理に基づく設計思想とは、やらずに済まそうという設計思想であり、人間の本質は怠惰性にあることでもあるのです・・・・

自己中で怠惰性に支配されている人間は大人といえるのでしょうか、一匹狼になれても、人間社会においては、一人での自給自足は現実的には無理であり、仕事一つ考えて、多くの人と分担をして支えあっている・・・人間は集団の叡智を選んだといってもよいでしょう・・・・・

しかし、集団内のシステムとメカニズム、そして、他の集団との共存のシステムとメカニズム、また、もっと大きな集団の中でどの様なシステムの一部を担っており、そのメカニズムはどうなっている・・・・そして、全て動的な相互作用の中で存在している・・・この人間社会への貢献のない人間は淘汰されている・・・

変化への対応とは、変化に対応して何を如何適応して、どれだけ多く貢献できるかということが大事になるのです・・・変化への対応が、貢献する部分が無ければ、淘汰される・・・生存者への必要十分条件です・・・ここまでの視点で如何考えるかだ第三の目の大事な機能なのです・・・・

動的で相互作用の社会で生きていく、即ち、第三の人生で生きる本当の大人として生きていく為には、第三の目の活性化が一番大事になる・・・しかし、この為には、第一の目と第二の目で、全ての行動に対して、行動の為の判断基準まで掘り下げることにより、広く深い理解が出来、第三の目が機能するのです・・・・これが三つの目の活性化のことです・・・

情動と理論・理性が常にダンスをして如何行動するかを決めているのではなく、強い恐怖感という情動が起動したら、情動に支配される・・・あるものが見えなくなり、感じられなくもなる・・・俊時の判断とは、理性的思考の停止を意味しています・・・

このような脳の機能は、自律しすぎた脳というべきでありますが、俊時の判断という意味で、Kozyは“自動脳”と呼んでいます・・・・一方、人間には理性をつかさどる。つまり、自動脳の指示を認めるか認めないかを決定する、前頭前野があり、0.5秒ほどの検証時間があることまで判明してきました・・・・

つまり、強い情動=強い恐怖感が、この点では一時の快楽への衝動も強い情動ではあります、これらの強い衝動は、いったん起動してしまうと、三つの目で言うと、第二の目および第三の目は失明状態になります・・・当然上手くいくものも上手くいかなくなる・・・

これを何とか第二の目と第三の目の機能を維持させるのが、自分を律する自律性といいえるのでしょう・・・または、カッとこないための忍耐力といってもよいでしょう・・・・ビヨンによれば、自立出来ない未熟な人の特徴として、時間的概念が欠落しており、発達・成長への刺激には敵対反応を示す・・・・

つまり、時間というは希望の維持能力が在って初めて認知されるものである。また、発達・成長は常に恐怖感と自己の怠惰性の先にあるものであり、恐怖経験を回避しようとして、自己保身のために敵対反応を示す・・・・

一方、自立できている人は、自ら共同し、科学的方法をもちいて、経験から学ぶ姿勢を持ち、、時間の重要性を理解して、欲求不満への忍耐力があると長い質的研究を通じて整理しています・・・・・

Kozyは自己の経験から習得しているものとして、能動的=挑戦的の姿勢の大事さ・・・これが生きることと自身に言い聞かしてきた・・・たしかに成果があったが、自ら共同することと同じであり、この姿勢での働きは、前頭葉前野が活発に活動していることであり、自動脳に縛られないとは断定できないが、より少ない、または、より弱い自動脳の影響しか受けないと捉えれるのではないだろうか・・・・・

“科学的方法をもちいて、経験から学ぶ姿勢を持ち、、時間の重要性を理解して”は、正に第三の目の必須条件である、三つの思考法の習慣化と同じである。そして、忍耐力は恐怖への対峙能力の問題である・・・・心理学ではこれらの姿勢を現実原則の姿勢と呼んでいる・・・また、自立できない人の姿勢を快楽原則の姿勢と呼んでいる・・・・

念の為であるが、第三の目の目的は、換言すると、現実を通じての仮説の設定能力とその検証能力を磨くことでもある・・・・・これ独創性を高めることでもある・・・また、あるものの見える化の能力でもある・・・・

ここで、理性を発揮して考えて理解して欲しいのは、快楽とは一時的なものでしかない。現実への直視、対峙、そして、恐怖への対峙の能力を挙げることは、殆ど、むしろ、死の恐怖までも超えれる、つまり、全ての恐怖からの開放であり、一つづつでも、ある恐怖感から開放されるまたは慣れてしまえば、どんどん多くのものが見えてきて、安らかで且つ自分の生きる意義まで感じれるようになる、永続的な快感なのである・・・・・

以上理解を持って、三つの目の活性化の習慣化を目指して欲しい・・・・

誰でも何でも出来る・・・習慣化の能力が唯一必要な才能と感じてます・・・一日一進でも十分です・・・より多くのことが見えてくる・・・最高の快感です・・・人生を真の意味で楽しんで欲しい・・・・

これからは、著作活動に軸足を移します・・・今コミットできるのは、最低週一はポストします・・・・・

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April 18, 2007

悪妻から鬼嫁へ・・・・What is changing(7)・・・

今月より鬼嫁日記が前回が好評(?)だったので新シリーズが始まった・・・ふと考えてみると、歴史的には、“悪妻”から“鬼嫁”への変化が起きている・・・・

恐らく、その中間においてといっても、ここ百年ぐらいの人類の歴史で見ると僅かな時間において、“恐妻家”、“かかあ天下”、“ジェンダー・フリー”という三つの社会的な文脈の変化を介在していると思われる・・・・

先ずは、世界三大悪妻を見てみると、クサンティッペ(ソクラテスの妻)、コンスタンツェ・モーツァルト(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの妻)、《ソフィア・トルストイ(トルストイの妻)、ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(ナポレオン・ボナパルト第一夫人)》 の四人が三大悪妻を競っているようである・・・

つまり、夫が天才に分類される人たちの妻であり、単に「常識人であり、常識人からすれば天才を理解できなかったのだ」という側面が否定できない・・・逆の視点で見ると、男性が男性脳を活かしきることが出来た時代に、男女の生物的な違いより、実態以上に悪妻として、主に男性の視点から、非難された人たちであるともいいえる・・・・

ソクラテスの奥さんはソクラテスの頭に水を浴びせたこととでも勇名であるが、作家の佐藤愛子(彼女自身も元夫に頭から水を浴びせたエピソードが有名)が「ソクラテスの妻」という小説を発表、後に「ソクラテスのような男と結婚すれば、女はみんな悪妻になってしまう」との旨を述べている。・・・・・・・

女性と男性の脳は、大きな違いがあり、男性にとって他人であった妻と一緒に暮らすことは、人生の最大のカルチャー・ショックであり、大きな人間成長の機会でもある・・・・・科学的にはこのように言いえるのである・・・・乗り越えなくてはならない成長の試練でもある・・・・・

今では、“悪妻”という言葉に、ノスタルジーを感じる人も多いのではないだろうか・・・・

“恐妻家”とは、大正時代に生まれた言葉のようであり、社会的文脈の変化を受けて、男が恐妻家であるとは言えなかった時代の変化がこの大正の時代に日本に起きてきたと捉えられる・・・・本当に怖ければ、逃げれば善いのに、逃げれない男のイデオロギーが言わせた言葉でもある・・・・・

現代では、“恐妻家”には、二種類あると思っている・・・一つは、男のイデオロギーおよび関係する社会的文脈に縛られて、大正時代の様に、現在も逃げられない男・・・・念の為ではあるが、心理学的には、愛し合っていない両親の存在は、子供の発達上は、弊害の方が多いのである・・・・・・・・・

もう一つは、妻の欠点を受容して妻を愛している・・・これが男性には、“だけど愛している”と口に出せない、むしろこの様なことを言うことは、自分は幸せであるという事と同じであり、特に仕事社会で優秀な人であれば、妬みを倍増させてしまう・・・実質的には恐妻家=愛妻家の人たちである・・・・

“かかあ天下”とは、戦後に勢いを得てきた言葉で言葉であり、サラリーマンの給与が振り込みに変わった時代と符合していると捉えている・・・また、恐妻家の人たちが、“専業主婦に頭を下げて小遣いを貰う”また、“家庭内のことは全て妻が決定権を持つ”・・・この二つのことが相乗効果を生み、より勢いついてきた・・・・・

しかし、“かかあ天下”の家庭においては、子供は、父より母が偉い人であると学習してしまい、大事な家庭内の父親の権威を失墜してしまい。元来は母性は守ることが本質であり、可愛い子を旅に出そうとしても、父親の言うことを、子供は母親の本心を見抜くので、聞かなくなってしまう・・・・

たとえ“かかあ天下”でも、給与が現金支給の折には、このことが、“見える化”の効果を子供に与えていたのである・・・・子育てには両親の特性に基づく役割分担があり、“内の旦那は・・・”という奥さんたちの多くは自身が役割分担を崩壊させた側面がある・・・・・

“ジェンダー・フリー”の、ここ20年ぐらいの、欧米からの大きな波を受けて、既に、ジェンダー・フリーの社会になっている。しかし、男性の口からは“女でしょ”という言葉はセクハラになるので言わないが、女性の方が、“男でしょ”とかといっていることを耳にする・・・・

ジェンダー・フリーとは、元来は肉体的な違いはあっても、脳の違いはないことに発している・・・しかし、本Blogで述べるように、脳に違いがあり、性ホルモンの働きに違いがあり、ジェンダー・フリーの概念は、本来はキリスト教の自立を重視し、自立の促進を図る社会構造を持っている社会には上手く適用が出来る・・・・・・

しかし、日本の様に“甘えの構造”を持った国には、この違いに適応できるシステムの構築、または、もっと自立を促す社会構造を先に構築するとか、両方同時にするのであれば、もっと社会的理解を得る必要があったのではと危惧している・・・・

そして、生まれるべくして、1996年に姫路在住の呉エイジ氏のホームペイジのコンテンツの中での「我が妻との闘争」で妻を鬼と呼び、その後出版された・・・そして、福岡市在住のカズマ氏のブログの「実録鬼嫁日記」の登場を受けて、“鬼嫁”という言葉が勢いを挙げてTVドラマのシリーズ第二段まで生み出すようになった・・・・・

90年ごろの大学生より、弱い男性の行動力を育成するイデオロギーの側面を持った、また、強い女性を優しくするように育成する側面を持った男性および女性イデオロギーであるジェンダーが崩壊している・・・・・従来のジェンダー尺度は日本では機能しなくなっている・・・・・

ある意味では、日本人が得意でない“ハードランディング”を日本人の未熟さゆえに、無意識のうちに取り組んでしまった・・・鬼嫁は第二シリーズが始まるほどに、視聴者の共感をえている・・・・

松下幸之助の経営哲学には“災害を受けた町の方が、何も無かった町より10年後を見ると、災害を受けた町の方が発展している”・・・つまり、逆境が人を育て社会(企業)を発展させる・・・・心理学では古くからの知見である“苦悩だけだ人を成長させる”ことを松下幸之助は体得していた・・・・

“ソフト・ランディング”は、時には必要であるが、総じて、“ハード・ランディング”が望ましい・・・・

鬼嫁ファンのかたは、知的活動力をフルに発揮して、あるべき姿の構築をより早く達成されることを切望します・・・・・また、マスコミの人達も、歴史的および本質的な理解をもって、より早くあるべき姿への構築を念頭において取り扱って欲しい・・・

鬼嫁日記は、“揺り戻し”のサインである・・・・なんとなれば、自立力を高めるレジリエンスの鍵でもある、人間の弱さを笑い飛ばす“ユーモアのセンス”を著者の二名の方に強く感じるからであり、鬼嫁ファンの人の中に大事な“ユーモアのセンス”があると信じているからである・・・・

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April 16, 2007

What is changing(6)・・・経営・人事・・・・

マーケッティングのフィールドでは、以前から層別での対応は既に常識になっており、現在では更に、One to One Marketing とか、Binary Marketingすら求められてきている・・・これらはICTの技術革新がもたらし、また、最新の統計解析技術がもたらすことを可能にしてきている・・・・・

一方、価値観の多様化がマーケッティングでは、これらの変化の裏にあり、経営的にはDiversity Managementなどがこの多様化への対応として、既に脚光を浴びてきている・・・しかし、これは、未だに女性の有効活用のみの側面が強い・・・

しかしながら、少なくとも日本の企業のおかれている日本人の社員に対するマネジメント・人事は、まだまだ一律のマネジメントの領域を出ていないのではないだろう・・・・・

これからは、次の視点を踏まえての層別のマネジメントが必要ではないだろうか・・・・

* 男女の性差

* ジェンダーの性差・・・日本では未だに、履歴書にこの記入欄がない・・・・

* ジェンダー・フリー世代とそれ以前の世代・・・現場のデータから見ると90年頃の大学卒を境にして、男性イデ  オロギーおよび女性イデオロギーの沁み込み度合いに大きな落差がある・・・40歳以降と以前では大きな差   がある・・・・

* 少なくとも、標榜する価値観の地域の違いも大きい・・・特に関東と関西・・・

* 人間としての成長度合いの違い・・・これが一番大事なことでは・・・

Diversity Management自体が、本来は多様性のマネジメントであるが、目的自体が、多様性の取り組みによる個を活かす組織を通じて、企業イメージの向上、優秀な人材の獲得・維持、創造性の向上を目指しているが、この為の方策が女性中心であり、それこそ、良くも悪くも男女平等の時代において、ホリスティックに捉えて取り組まない限り、魂の入ったものにはならない・・・

冒頭で述べたように、最新の統計解析の技術革新が、マネジメントにも適用できるのである・・・米国では、既に、SAS Institute Inc.が、元々は、統計解析の技術に特化した会社であったが、その応用分野にシフトしてきており、IBM、SAP等が提携を強めてきている・・・・統計解析ソフトのもう一方の雄としてSPSS社が存在するが、SASの様な対応は出来ていない・・・・

しかし、SASの場合は何千万・何億円レベルのシステムでの拡販をしているが、SPSSは統計解析ソフト自体の販売と講習での利益確保モデルである・・・本来は、種々の統計解析ソフトを屈指して、“自社には自社の独自解”を希求する能力が在れば、論理的はより良いことではある・・・・・

これらの統計解析技術は、ソフトの向上による部分も大きいが、PCの高性能化に負う所の方が大きいとKozyは捉えている・・・・しかし、日本の場合は、統計解析のプロがあまりにも少ない・・・・至急に自前の部隊を持つ為の戦略的な投資が、現在のマネジメントには必要だと捉えている・・・・・

まさに、21世紀になり可能になってきた・・・・大きな潮流の変化を生んできている・・・・・・

残念ながら、たとえば、SEの世界では、最近は聞かなくなったが、KEが最上級の立場で、KEの能力がキーであった・・・KEとは全体のシステムに対して、各プルセス間のメカニズムにも深い知識と理解をもっているKnowledge Engineerのことである・・・・

つまり、有効な統計解析を、本当に有効に使う為に、最低でも心理学の基本知識および全社のシステムおよびメカニズム精通してまた、あるレベルまでの統計解析のアルゴリズムに対して理解のある人が必要なのである・・・

大企業しかこのような人材は抱えられないとは思うが、日本の大企業でこの体制だ出来ている、または、既に取り組んでいるとの話しを聞いたことがない・・・・

たとえSASのシステムを導入しても社内外の文脈が日米では大きく異なっており、上手く機能しない可能性が危惧される・・・このフィールドは、当然これから強化すべきであるが、統計の解析のアルゴリズムに精通する社内SEの人が居れば、また、社内SEの人たちが昨今は本当に社内システムは判っていても、メカニズムまで理解している人たちが居るのであろうか???・・・

これらの統計解析ソフトを屈指して、個人管理または層別管理により効率の良い、管理・支援を通じてより早く社員の成長を促す必要がある・・・・社員の成長をより効率的に早く達成できるようにするかは、今や、経営の要諦であり、人事の責任事項にも変化してきている・・・・・

大丈夫か日本企業・・・・・・更に、ホワイトカラーの生産性で米国に遅れを取って良いのか・・・しかし、この点での危機感が経営者にも人事部にも、未だに薄いのではないかと危惧している・・・・・

日本人の経営者・ホワイトカラーの総合力は大だと思うが、統計解析と心理学の知識は無さ過ぎる・・・・・・マッキンゼーは既にこのフィールドに力を入れてきている・・・・

日系の最大手のコンサルとミーティングを持ったが、統計解析の話をしたが、現役コンサルでは、多変量解析は知っている人はいてもSEM(共分散構造分析)を知らない・・・今必要なのは、最低でもSEMが必要である・・・・・・・

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April 13, 2007

成長力・行動力に貢献する各人の固有の強さ・・・・

ポジティブ心理学の創始者であり、米国心理学会の会長も勤めたセリグマンは・・・Values in Action(=VIA),つまり、行動することの価値、換言すると、このような価値観が人を動かしているかという意味で、各人間によりこの概念が異なると捉えている・・・・・また、この概念化としての理解度、修得度をその人固有の強さだと・・・・

そして、自分が主管している http://www.authentichappiness.sas.upenn.edu/  のサイトにて、無料で“VIA Signature Strength”=固有の強さの測定をしてくれている・・・

やはり“人口は力”と思い知らされたが、英語、スペイン語、そして、中国語の三言語だけであるが、英語の得意に人は、自分で訪問して、自分で自分の固有の強さを検査してみて欲しい・・・・

ここで述べられている24の固有の強さとは何であるのか、これを知るだけでも価値はあるのでポストしたい・・・また、シンプルな英語と、Kozyの測定結果のコメントより、深い意味があるので、独自に意訳した日本語を併記します・・・

普段からの掘り下げが少ないと違いが解り難いかもしれないが、頑張って理解して欲しい・・・・順番には意味はない・・・

1. Appreciation of Beauty and Excellence・・・・・・・・美と卓越の意義と重要性の理解力とその追求力
2. Bravery and Valor・・・・・・・・・・・・・・・・・・恐怖へ打ち勝つ重要性の理解力と胆力
3. Citizenship, Teamwork and Loyalty・・・・・・・・・・チームワークの重要性の理解力と忠誠心の力
4. Creativity, Ingenuity and Originality・・・・・・・・個性の理解力と独創性の構築力
5. Curiosity and Interests in the world・・・・・・・・・好奇心の重要性の理解力と維持力
6. Fairness, Equity and Justice・・・・・・・・・・・・・あるべき正しい姿の理解力と維持能力
7. Forgiveness and Mercy・・・・・・・・・・・・・・・・人間の弱さの理解力と慈愛性
8. Gratitude・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・厚意の発見能力
9. Honesty, Authenticity and Genuineness・・・・・・・・自己受容力と自分に正直に生きる力
10. Humor and Playfulness・・・・・・・・・・・・・・・・笑うことの重要性の理解力と実践力
11. Judgment, Critical Thinking and Open-mindedness・・・事実重視の多面的・多次元的思考能力
12. Perspective(Wisdom)・・・・・・・・・・・・・・・・・長期的・システム思考且つ大局観での思考能力
13. Spirituality, Sense of Purpose and Faith・・・・・・・心の自分への直視力と自分自身への信頼力
14. Capacity to love and be loved・・・・・・・・・・・・相互支援のメカニズムの理解力と相手への信頼力
15. Caution, Prudent and Discretion・・・・・・・・・・・後悔することを見極める力と自制力
16. Kindness and Generosity・・・・・・・・・・・・・・・利他性の重要性の理解力と維持力
17. Love of Learning・・・・・・・・・・・・・・・・・・・向学心の重要性の理解力と維持力
18. Hope, Optimism and Future-mindedness・・・・・・・・・未来志向の重要性の理解力と維持力
19. Leadership・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・自己犠牲力、言語表現力、多様性の受容力、予測能力
20. Self-control and Self-regulation・・・・・・・・・・・自省力と自律力
21. Social Intelligence・・・・・・・・・・・・・・・・・共感力と適応力
22. Zest, Enthusiasm and Energy・・・・・・・・・・・・・楽しんで困難に取り組める遂行力
23. Modesty and Humility・・・・・・・・・・・・・・・・・自身を特別とは捉えない人間の構造への理解力
24. Industry, Diligence and Perseverance・・・・・・・・・やり始めたらやり遂げる勤勉性の維持力

以上の人それぞれの固有の強さは、誰でも持てるものです. また構築出来るものなのです・・・また、24の強さは多くの部分で相互作用の関係にあります。・・・・

あなたは何が備わっていて、何が備わっていないのか、もう一度よく見直してください・・・・・

必要ならクリック&ペーストして、印刷して見直してよく自問してください・・・・・

人間が人間である所以は大脳皮質が、他の如何なる動物より発達している(実はイルカが人間より大きいが、人間の様に運動能力を棄てて、五感を通じての情報収集力を高めていない。・・・人間の脳は、人間の体に応じて発達している)・・・・つまり、上手く生きる、賢く生きる能力があるということです・・・・

こんどは、上記を少し簡単な解析して見ましょう・・・・

理解力が必要と書かれているのが13項目です・・・・見極める力を加えると14項目です・・・・

そして、思考力、構築力、予測能力は同じ類です。これが書かれているのが4項目です・・・

残りの全ては、行動不全に陥らない為の恐怖感への対峙力であり、怠惰性に打ち勝つ能力です・・・これは、脳の構造的問題であり、誰でも恐怖に囚われたり、怠惰性に囚われたりする・・・・これが人間の脳の構造的問題なのです・・・・・

また、この事は同時にあるものが見えない・・・脳が見るのを拒否するのです・・・唯一異なるのは共感力であり、恐怖感の自己経験が高めるものである・・・・・・快感とは、恐怖感と同じ軸上の概念であり、恐怖感の反対が快感なのです・・・・

先月やっとたどり着いたKozyの言葉としては、心のエネルギーは希望の維持能力のいかんにより創生される・・・・この心のエネルギーが全てに必要なのです・・・・

このように整理をすると、自己成長および行動変容には、人間の持つ知的能力の活性化が第一義であり、その知的活動という思考により人間の構造的な長短およびメカニズムを理解する・・・・・・

知的思考力を磨き上げることです・・・人間の行動変容には論理化が必要なのです・・・・物事を掘り下げて考えることの習慣化が大事になる・・・

その中の鍵になる理解は非常に単純なことです・・・全ての情報は五感を通じて、脳内で、WhatとHowの回路で整理されます・・・しかし、皆さんがご存知の様に、五感の全ては継続すると麻痺をする特性を持っています・・・・

だから、恐怖から離れてもよいですが、直視・対峙していればなれてくる・・・これは素晴らしい特性でもあるのです・・・・・これは経験を通じて得られる・・・・

つまり、脳内に焼き付けるのに一番効果があるのが、経験なのです・・・嫌な事・やった事のないことをやってみると、それまでの経験とは全く同じ環境条件=文脈はありえないので新たな気づきを得ることが出来、新たなものが見えてくる・・・これも脳の特性なのです・・・・

脳の本質の怠惰性に打ち勝つのは、一つは習慣化です。習慣化されたものは自動的に起動するのです。しかし、習慣化は継続的努力です・・・これは決して裏切らない・・・一度自転車に乗れるようになると、何も考えずに体が反応する・・・これと同じことです・・・・

しかし、習慣化の阻害要因として恐怖感が同時に邪魔しに来ることが多い・・・・その為に、自分にとってのより大きな恐怖感、また、最大の恐怖の対象は何かを常に掘り下げて考える。 そして、この習慣化が出来ないことにより、より大きな恐怖感に直面することを知的思考を屈指して理解することです・・・これが、出来れば、より大きな恐怖感が習慣化の後押しをしてくれる・・・・・

また、怠惰性を逆手に取り行動することも可能なのです・・・つまり、これを今しておけば後でやることが減ることに対する知的理解を高める・・・つまり、一石二鳥を出来るだけ考え出し、二鳥を三鳥、四鳥とする知的活動です・・・

恐怖感や怠惰性を逆手に取る・・・これが知的活動なのです・・・残念ながら普段から掘り下げて考えることに伴う知的能力の向上がないと駄目なのです・・・・しかし、これは少しの勇気で取り組める・・・・・・

机上の論理的理解だけでは行動変容は難しいのです・・・人間を知る、人間のメカニズムを知る・・・これは、第二義として、自己を有りの儘に受容することなのです・・・特に、悪さ加減、醜さ、弱さ加減を受容することです・・・自己受容が出来て初めて他人および社会への理解が深まるのです・・・体得であり、これが情動の変化を起こす・・・・

人間は理論と情動の一致がないと変容できないのです・・・異なる深い経験が情動の変化を呼び起こすのです・・・・

正しい論理化と深く広い異なる経験があって初めて行動変容が出来る・・・即ち、自己成長が出来る・・・・・

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April 12, 2007

21世紀はCollaborationの世紀(2/2)・・・世代間のコラボ(1/1)・・・

“21世紀はCollaborationの世紀”のもう一つ大事なのは、世代間のコラボだと認識している・・・・・・・一般論としては、成功体験は、また、経験はバイアスを増やし、そのバイアスに囚われる。しかし、Kozyの研究結果では、老舗大企業の50歳前後の正部長の中で約9割の人は、この一般論は適用できるが、1割は異なるのである・・・・

1割の人は、常に“What is changing”に留意して、その変化を分析して、変化への対応を考え自発的に、つまり、自分で考え、自分で決断して、種々の恐怖に囚われずに、変化への対応へむけて行動してきた人達なのである・・・・この中高年をもっと活用すべきである・・・・

ここで日本のトップの棋士である、羽生善治氏がNikkei Netの“勝利への執念”の著名人のインタビューに応えて、次のようなことを言っている・・・
引用元 http://www.nikkei.co.jp/ps/sports/

「20代の頃は直感や反射神経、記憶力を強みにしていました。30代となった今は、総合力やバランス感覚が武器になっています。その年代ごとの、長所や能力を最大限に活かした戦いこそが目標です。恐らく40代になれば経験に頼る部分が増えると思います。大局観というものに磨きをかけたいですね。究極は、あまり考えることなく、最善手をあるいは次善手を選択できる棋士になることでしょうか(笑)」・・・・・

羽生氏は、ある意味では、プロフェッショナルの権化の様な人でもある・・・そして、総合力、バランス感覚および大局観の重要性を重視し、ゴールとして、至高の暗黙知を修得したい云っている・・・・トップを極めている現在も、これから努力して生きたい謙虚に呼べている・・・・・

そして、最後に「今の時代は、なかなか手応えを感じることが難しい時代だと思います。いろいろな意味で、常に不安と背中合わせだと思います。でも、下した決断を、信念を持ってやり続けることで、また見えてくることがあると思います。情熱ある限り、将棋を極めていきたいと思います」ともいっている・・・・・

つまり、日々恐怖と対峙して信念と情熱を維持している・・・・まるで孤高の人のようであるが、このインタビュうの途中で「仮に実力が同等だとすると、差がつくのは将棋以外の部分です。本を読む。スポーツを観戦する。友人と会話する。プールで泳ぐ。その効果を証明することはできませんが、何かしらの役に立っているという実感はあります」・・・・・

これは、カウンセリングの視点から云うと、正に、信念と情熱の維持を可能にする心的エネルギーの維持と増加の効果があるのです・・・将棋の決断は、出たとこ勝負の一人だけの対局の中での決断です・・・羽生氏はある意味ではセルフ・カウンセリングを実践している・・・・・

一方、昨今はトップとして、30-40歳代の人が増えてきている・・・・・

トップの仕事は激務であり、Kozy自体も昔からトップは40代の仕事だと思っていた。しかし、ここには日米の違いがあり、米国では、例えば月一回のカウンセラーとの食事をするというような、経営者へのカウンセリングが当然の様に行なわれている。・・・・

しかし、日本では、経営がわかり、実情がわかる心理カウンセラーは殆ど居ないだけでなく、“Executive Counseling”を受けるのが当然だという産業界の文脈が希薄であり、需要も供給も少ない・・・・・・・極言すると、経営者は命を削り売りする程の厳しい職業であり、周りには愚痴も言えず弱さも見せれない孤独な職業である・・・カウンセラーは必須なのである・・・

今、一番、日本のトップに欠けているのは、このカウンセリングという世代間のコラボではないだろうか・・・・・これは、社長に限ったことではなく、また、経験が十分の社長にしても、“Executive Counseling”は必須なのである・・・・

また、新しい商品、新しいサービスの開発のコンセプトの掘り下げなどにおいても、結果としては関係グループへのグループ・カウンセリングの効果があるが、各世代には各世代の長短があり、最高のシナジーを求めるのであれば、上述した1割の中高年を取り込んだチームを作ることが大事になってくる・・・・

企業・事業体質の改革などは、正に、日米の社内外の文脈の違いを考慮すると、日本における独自解が必要であり、例えばKozyのような欧米の文脈の違いにも通じ、最新のしい理学と脳科学の知見を有し、また、最新の統計解析にも通じる中高年の人間と人事の中堅および若手との世代間のコラボが、一番のシナジーを創生するのである・・・流行言葉では創発を生むのである・・・

また、たとえ、上述の9割の人であっても、コラボを通じて、反面教師として、社会人としての自己成長の為にも有効であるのです・・・・

最近、米国では既に以前から撤廃されているが、日本の採用の年齢差別だけでなく、社会全体として、世代間の断絶が顕著になってきていると危惧している・・・・・

企業の発展および社員の自己成長のためにも、人間は種々の人との交流の中でしか成長できないのであり、社員の成長が会社の発展に一番貢献することは、Kozyの研究結果も示唆しており、世代間のコラボをより意識的に推進する必要があるのではないだろうか・・・・・・・・

男女のコラボ、世代間のコラボ・・・・21世紀のKey Word ではないだろうか・・・・・

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April 11, 2007

21世紀はCollaborationの世紀(1/2)・・・男女のコラボ(1/1)・・・

21世紀はCollaborationの世紀であると捉えている・・・当然、産業界において効果もあるが、同時に、人間の成長においても大事なことである・・・つまり、種々のコラボを通じて、自社の社員の成長を促し企業の発展のみならず、人類の発展をうながす世紀であると捉えている・・・・

しかし、現在本当に必要なコラボとは、二点であることを強調したい・・・・本号では男女のコラボについて掘り下げ、次回は世代間のコラボについて掘り下げたい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ジェンダー・フリーが叫ばれているが、男女は脳科学の点においても、また、性ホルモンのもたらす特性においても異なるものであり、この違いを理解して、最大のシナジーを求められている・・・つまり、科学の最新の知見がこのことを示しているのである・・・・・

当然個人差はあるので、個人の性と個人のジェンダーを踏まえてよく個人を理解して対応を考える必要がある・・・・つまり、今から述べることは一般論であることを前提としている・・・・・

生物学的な知見から云いえることは、次の違いである・・・・

男性は、大脳皮質(だいのうひしつ)という、いろいろ勉強しで情報を集め、それを分析する脳ですので『うまく生きる脳』と呼ばれている部分が、女性より発達している。また、さらにおでこの後ろにある前頭葉(ぜんとうよう)が非常に発達しています。ここは物事を考える創造力の基礎になる脳ですので、『良く生きる脳』と呼ばれています。この二つの部分が女性より発達している。

女性が男性より発達しているのは、脳幹(のうかん)と脊髄(せきずい)の部分です。ここは『生きている脳』と呼ばれ、呼吸や心臓の調節など